日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

慰安婦問題で重要な事

お知らせ
来週の前半少し忙しく、記事の更新ができるかわからないため、月曜と水曜の記事の更新をお休みします。

さて、本日は慰安婦問題であまり語られる事の無い、しかし非常に重要な件について書いていきます。

初めて来られた方はまずこちらを先に読む事をお勧めします。


ブロマガ『日韓問題(初心者向け)』を始めた理由
https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar892003


注意

・このブログは「日韓の価値観の違い」を初心者向けに扱っています

・当ブログのスタンスは「価値観に善悪や優劣は存在しない」というものです

・相手が不法を働いているからと、こちらが不法をして良い理由にはなりません

・自身の常識が相手にとっても常識とは限りません、「他者がそれを見たらど
う思うか」という客観性を常に持ちましょう

・日常生活で注意する程度には言動に注意を心がけてください


慰安婦問題について、最近話題となったものとして元正義記憶連帯代表による寄付金の横領などがあるが、この件を扱うメディアの多くが触れない、非常に重要な問題がいくつか存在している。


この件を日本のメディアで唯一集中的に扱った文春の記事によると、元正義記憶連帯代表の尹美香議員は、元々あった慰安婦支援団体から主導権を乗っ取ったうえに、90年代に韓国政府と協力し「慰安婦証言の検証」を妨害したという経緯がある。


そのため、いわゆる「慰安婦の証言」は未だ一切検証されておらず、矛盾したものが多数あり、今後すべきことは証言の客観的な検証で、これがない限りどんな話であれ一歩も進めてはいけない。


※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:正義記憶連帯元代表の問題


まずはこちらの記事から

焼き肉やマッサージに 元慰安婦支援団体の寄付金 私的に流用
朝日新聞 2021年10月5日
https://digital.asahi.com/articles/ASPB55GFJPB5UHBI00X.html

朝日新聞の10月5日の記事ですが、慰安婦支援団体「正義記憶連帯」(旧挺対協)による寄付金流用事件に関する新情報を伝えている記事です。


起訴されている元正義記憶連帯代表の尹美香被告は、日用品や飲食、交通違反の罰金、所得税の納付などに寄付金を流用し起訴されたと書かれています。


またこちらの記事によると

【社説】「公金を私的使用」尹美香氏、議員辞退して裁判受けるべき=韓国
中央日報/中央日報日本語版2021.10.06 09:46
https://japanese.joins.com/JArticle/283595


尹美香により2011年から2020年にかけて、合計1000万円以上が217回に分けて支援金を横領した痕跡がある事や、それ以外にも医療費名目で20万円近くが尹議員の口座に振り込まれていたり、夫名義の口座に9万円近くが、また娘の口座に18万円近くが振り込まれていたりと、寄付金が私的に流用されてきていた事がわかります。


これに対し裁判で尹議員は「過去30年間、活動家で恥なく生きてきた」と無罪を主張、正義連側も「尹美香の個人のお金を先に書いて後で補填した」と主張しており、個人的に使用したお金は後で補填していると主張しています。


そしてこの件、こうした記事を見ると単なる元代表による寄付金の横領事件のように見えますが、実態は大きく異なるのです。


2:問題はもっと大規模で組織的


ここで重要となるのが、文春がこの件で慰安婦問題初期から「慰安婦の支援」に携わってきた人物の取材を行っており、そこに正義記憶連帯の前身となる挺対協と尹美香元代表の実態が書かれている事です。


次の特集記事では、90年代から慰安婦問題に関わってきたフリー記者の臼杵敬子氏による「慰安婦問題が今のようになるまでの経緯」が書かれています。

「お金をあげるから事務所に来なさい」慰安婦支援団体がいかに日本政府の調査を妨害したか
文春オンライン 2020/06/15
https://bunshun.jp/articles/-/38366

こちらの記事によると、挺対協は慰安婦や挺対協より以前からあった慰安婦支援団体(韓国太平洋戦争犠牲者遺族会)をかなり見下していたようで、臼杵氏によると挺対協は日韓の歴史問題で主導権を握り活動自体を乗っ取ろうとしていたようです。


そしてまんまと慰安婦問題で主導権を握り、後に駐韓日本大使となる武藤正敏氏と交渉するようになったそうですが、挺対協が「日本政府は調査をしろ」等と訴えていたので、日本政府として元慰安婦の聞き取り調査を行いたいと打診したところ、「日本は信用できない」といって証言の検証を拒否したそうです。


そこで、挺対協よりも前から慰安婦支援をおこなっていた韓国太平洋戦争犠牲者遺族会(上村隆氏の義理の母が代表を務めていた団体)に話を持って行ったところ、挺対協が「日本政府の真相調査を受けるな!」と訴え妨害活動を行っていたようなのです。


そして慰安婦達に対し「(挺対協から)お金をあげるから事務所に来なさい」という連絡があり、「250万ウォンあげるから、日本政府の調査に協力しないと誓約書を書け」と言われたという話を後に慰安婦から聞いたと書かれています。


そしてこのことから解るのは、挺対協以前から慰安婦支援を行っていた韓国太平洋戦争犠牲者遺族会は証言の検証に前向きであり、挺対協が「お金で釣る」という事をしていなければ、日本政府による証言の検証は行われていたという事です。


またもう一つ重要なこととして、慰安婦証言は矛盾だらけで検証が必要であることは以前から指摘されていたわけですが、それに対して日本側支援者は何と言っていたかです。


彼らは「慰安婦だったのは事実なのだから検証よりも名誉回復が先」「高齢なのだから証言に矛盾があるのは仕方がない」といって、頑なに検証を否定していたのです。
つまり、日本側で慰安婦を支援していた人々は、「事実上挺対協の方針を支持していた」事になります。


また次の記事によると


「当事者は“良し”としていないのに『性奴隷』と……」慰安婦支援30年の日本人が見た挺対協の仕打ち
文春オンライン 2020/06/15
https://bunshun.jp/articles/-/38367

挺対協は慰安婦問題の解決法について「日本政府がまとまったお金を韓国政府に渡す。韓国政府はそのお金を挺対協に預け、私たちが配分するのがいい。そう思っています」と発言していたという事が書かれています。


今回の一連の正義記憶連帯による疑惑においても、元慰安婦とされる人物に支払われたお金が引き出され正義記憶連帯や挺対協の口座に振り込まれていたり、挺対協として融資を受けて元慰安婦保養施設という名目で建造された建物が、レジャー用施設として流用されていたり、今回最初に引用した事例のように元代表が私的に横領していたという事例があります。


こうした背景を見る限り、元々挺対協は慰安婦問題を利用して詐欺ビジネスを行うための組織であった可能性まであるわけです。


更に記事では、慰安婦同士の間でも「証言への疑問」を持つ人々がいたうえに、韓国政府の慰安婦認定が非公開のブラックボックス化しており、当時から挺対協と韓国政府が一蓮托生であった事を示唆しています。


また最後の方では、90年代に日本政府が設立した「アジア女性基金」に関しても、挺対協が主導的役割をして妨害していた事が書かれており、更にはそれにこじつけて「問題解決」を目指す臼杵氏らの活動までも挺対協が妨害してきた事が書かれています。


ここで少し補足しておきますが、臼杵氏らのスタンスも実は完全に真っ当というわけではなく、そもそも彼女らは「慰安婦=被害者」という前提で話を進めていますが、自動的にそうなるのは現在の韓国政府による慰安婦の定義である

慰安婦問題で日本記者に反論 韓国「強制性の証拠は無数」
聯合ニュース 2014.09.02
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20140902002800882

「軍や国の命令で、軍人や官憲が直接的に行った拉致」が成り立つ場合のみです。
これが成り立たない以上、そもそも問題があったかどうかは証言の客観的検証を行わなければ成立し得ないにも関わらず、臼杵氏は「慰安婦=被害者」としている事が問題なのです。


この人物も「日韓の慰安婦の定義」をあいまいにしておきたいように見えます。


また、この正義記憶連帯に関する疑惑に関しては次の記事にもあるように

韓国政府元高官「正義連は利益追求団体…文政権、正義連を被害者と勘違い」
朝鮮日報 2020/05/26
https://web.archive.org/web/20200527030609/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/05/26/2020052680085.html


韓国側の千英宇元青瓦台外交安保首席秘書官からも「(正義連は)慰安婦のためというより自分の利益を追求する団体だ」と証言しており、また「文政権は慰安婦被害者ではなく、正義連を被害者と勘違いしたのが大きな問題だ。文政権の言う被害者中心主義は、正義連中心主義だったということだ」と、正義連が慰安婦問題を取り仕切っていたという事も告発しています。


こうした事例からもわかるように、慰安婦問題とは「問題の解決」ではなく、90年代の時点で韓国政府と挺対協が「問題を永続化させるため」という利害の一致で利用しており、日本側の慰安婦問題支援者の多くは「そうした活動の支援」をしていたという事になります。


最初の方で紹介した「尹美香による横領疑惑」とはこの延長線上の氷山の一角ということになります。


3:これからでも解決すべき問題



こうした背景がある以上、「2015年の慰安婦合意では終わっていない」という態度を韓国側が取り続けるのならば、日本側は強力に「証言の客観的検証」と「検証されなかった経緯」の客観的検証を訴えるのも一つの手です。


長くなりすぎるのでリンクを貼るだけにしておきますが、


「まずいな、と思いました」30年寄り添った日本人が語る「慰安婦問題」の真実 文春オンライン 2020/06/04
bunshun.jp



日韓の慰安婦支援者の間で絶対視されている「金学順証言」自体、実は一切客観的な証明がされていないのです。


また、韓国で「慰安婦代表」のような扱いになっている李容洙氏にいたっては、時系列で証言を追うとこんな状態です。

1992年

慰安婦=売春婦」論文に噛みついた元慰安婦の過去
JBpress 2021.2.20
https://web.archive.org/web/20210226044112/https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64163?page=3

 番組のなかで李氏は「16歳のとき、ぼろを着て食べることもできなかったが、日本人がワンピース1着と靴1足を持ってきてくれた」「それを差し出して『行こう』と言ったのでついて行った」と話した。司会者が「だまされたのか」と再度尋ねると、李容洙氏は再度「日本軍の強制連行ではなかった」と述べた。「拉致」や「強制連行」ではなく誘惑に負けたのである。

動画
[単独] '慰安所ポン引きのねじれ」(1992年、KBS)が「日本軍の強制連行」(2007年、米議会)は、180度変わったイ・ヨンス映像証言 (韓国語)
https://youtu.be/VzZAqNVqKKo


1993年

写真記録 破られた沈黙―アジアの「従軍慰安婦」たち 単行本 – 1993/7/1
伊藤 孝司 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4833110318

「1944年夏、友達の母親に「豊かな生活ができる」所へ行かないかと誘われるが断る。その何日か後、その友達が家に誘いに来て外に出ると、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついていった」


2002年

元「慰安婦」へ補償を参院議長らに法案成立要請
日本共産党 2002年6月26日
https://web.archive.org/web/20020812031745/http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html

 韓国の李容洙さん(74)は、十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し、「私は歴史の生き証人として今、生きている。この法案が審議され、成立することを望む」と語りました。


2003年

「消せない記憶」-日本軍「慰安婦」被害女性を招いて- 
全国証言集会京都実行委員会  2004年12月4日
https://web.archive.org/web/20050207022507/http://www.geocities.jp/kesenai_kioku_04/kyoto/profile.htm
https://web.archive.org/web/20050129162422/http://tateiwa.kir.jp/0n/z01.htm

李容珠(Yi Yong-Su)
1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。


2005年

慰安婦問題の解決願いデモ 支援団体が各国で
朝日新聞 2005年08月11日
https://web.archive.org/web/20050813014239/http://www.asahi.com/national/update/0811/TKY200508110102.html

韓国の大邱から15歳ごろ連行されたという李容洙(イ・ヨンス)さん(76)が「私という生き証人がこんなに何度も訴えても、日本政府は変わらない」と嘆いた。


2007年2月

慰安婦の人権を守る
米国下院外交委員会 アジア太平洋・地球環境小委員会 2007年2月15日
https://web.archive.org/web/20070228194330/http://www.internationalrelations.house.gov/110/lee021507.htm

(一部抜粋)
1944年の秋、16歳の時、友人のキム・プンスンと一緒に川沿いで貝を集めていたところ、丘の中腹に老人と日本人男性が見下ろしているのに気づきました。年上の男が指で私たちを指さし、日本人の男が私たちに向かって歩き始めました。年上の男は姿を消し、日本人は私たちに彼に従うように頼んだ。友達に何が起こったのか気にせず、怖くて逃げました。数日後、プンスンは早朝に私の窓をノックし、静かに彼女を追いかけるように私にささやきました。私は彼女の後に家からつま先立ちました。母に言わずに持ち上げる。私は暗いスカート、前にボタンで留められた長い綿のブラウス、そして私の足にスリッパを履いていました。川岸で私たちに近づこうとした同じ男に会うまで、私は友人を追いかけました。彼は30代後半のように見え、戦闘用の帽子をかぶったある種の人民軍の制服を着ていました。全部で、私を含めて彼と一緒に5人の女の子がいました。

私たちは駅に行き、慶州まで電車に乗りました。電車に乗ったのは初めてでした。慶州ではゲストハウスに入れられました。私たちはゲストハウスに2日間滞在し、その間にさらに2人の女の子が私たちに加わりました。今、私たちの7人がいました。電車に乗って大邱を通り抜けると、壊れた窓から家が見えた。突然母が恋しくなりました。家に帰りたいと言って泣き始めました。私は服の束を押しのけて泣き続け、男に降りるように頼んだ。彼は拒否しました。電車が走り続けていたので、疲れ果ててようやく眠りに落ちました。私たちは数日間旅行したに違いありません。


2007年3月

日本の首相による戦争奴隷制の否定は古い痛みを明らかにする
CNN  March 3, 2007
Japan PM war slavery denial uncovers old pain - CNN.com

最近の東京旅行でインタビューを受けた韓国人の李容洙さん(78)は、1944年に日本兵が台湾で性奴隷として働くために彼女を家から連れて行ったとき、彼女は14歳だったと


2007年4月

慰安婦問題で在米韓国人ら抗議デモ ホワイトハウス前で
朝日新聞 2007年04月27日
https://web.archive.org/web/20070429030815/http://www.asahi.com/politics/update/0427/TKY200704270157.html

李さんは「私は15歳の時に拉致された。まわりの女性は誰も売春婦のようにはお金をもらっていなかった」と訴えた。安倍首相が宿泊する迎賓館ブレアハウス前まで足を運び、「謝れっ」。デモに参加した米国人男性は「日本の政治家は歴史を書き換えようとしているのか」と語った。


79歳元慰安婦ハーバード大学で涙の訴え
朝鮮日報 2007/04/30
https://web.archive.org/web/20070502011127/http://www.chosunonline.com/article/20070430000025

16歳の時に強制連行された後2年間、日本兵の「慰安婦」をさせられたイ・ヨンスさん(79)は、ハーバード大の学生の前で同日、当時の「地獄の日々」について証言した。1944年に強制連行された後、繰り返し受けた無差別な暴行・強姦・拷問の悪夢を60年以上経った今でも忘れることのできないイさんの叫びに、聴衆は嘆き、目頭を熱くした。


2015年8月

慰安婦生存者13人証言>おばあさんの韓服(1)
中央日報/中央日報日本語版2015.08.25 10:32
https://japanese.joins.com/JArticle/204814

彼女は16歳のときに大邱の自宅の近所の川岸でカワニナをとっていて「友だちのプンスン」と一緒に、軍帽を深くかぶり鼻と口しか見えない男に引きずられて行った。生まれて初めて汽車に乗った。その旅行が不幸の始まりになるとは思わなかった。平安道安州(ピョンアンド・アンジュ)で船に乗り換えた。「どこへ行くのかも分からなかった。後になって台湾の新竹の神風部隊ということを知った」。


2015年12月

【コラム】「日本のせい」ではなく、日本を畏怖させる外交を
朝鮮日報 2015/12/30
https://web.archive.org/web/20151230040439/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/30/2015123001044.html

大邱は李容洙さんの生まれ故郷だ。15歳だった1943年10月、「隣人に呼ばれて外出したところ、ほかの女性4人と一緒に日本軍に連れて行かれた」という。汽車・トラック・船などに乗り換えた末に行き着いたのが台湾だった。そして10代半ばにして日本軍の性の慰みものになった。


2020年5月

慰安婦被害者「日本政府の主張『国家免除』を適用してはならない」
中央日報/中央日報日本語版2020.05.21 07:10
https://japanese.joins.com/JArticle/266156

初めての裁判が開かれた昨年11月、旧日本軍慰安婦被害者の李容洙(イ・ヨンス)さんは「丁寧に育ててくれた両親がいたが、軍人に連れ去られて電気拷問にあい、1946年に帰ってきた」として「日本が堂々とした立場であるなら裁判に出てこなければならない」と話した。


2020年11月

慰安婦被害者 損賠訴訟の最終弁論で日本政府に謝罪要求=韓国
聯合ニュース 2020.11.11
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20201111005100882

李さんは、法廷で最後に言いたいことを問われ、「14歳のときに連れて行かれ、今は老人としてこの場にいると」し、「判事と法だけを信じて(解決を)待っていた」と述べ、自身には残された時間が少ないなどと涙ながらに訴えた。

見てのように、話をする度に証言内容が大幅に変わっており、一貫性が全くないのです。
検証しなければ「何が問題だったのか」すらはっきりしません。


証言の検証が挺対協によって阻まれてきた可能性が極めて高く、また未だ日韓の間で「慰安婦の定義」に違いがある上に、日本側支援者はこの「慰安婦の定義の違い」があることを「見なかったこと」にしているという現状があります。


そしてこの韓国側の慰安婦の定義が「慰安婦の証言」を根拠としており、実際の証言は客観性がないどころか矛盾だらけです。
これは李容洙証言だけではなく、複数回証言している慰安婦の証言に一貫してみられる傾向であり、また証言の公的記録が1回しかない事例の場合も、そもそもそれが事実であるという根拠は存在していないというのが現状です。


この状態で「慰安婦の名誉の回復」とか「法的責任の追及」などと訴えても、前提が成り立っていないのですから主張自体が成り立ちません。


である以上、韓国側や日本の支援者たちが「慰安婦合意では解決していない」という態度を取るのならば、最低限「証言の客観的検証」を行わない限りお話にならないという事で、これが慰安婦問題におけるもっとも重要な部分になるのです。


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