さて、本日は日本人から見ると理解不能な韓国の歴史観について扱っていきます。
本日の投稿動画
www.nicovideo.jp
元記事
韓国でよく使われる問題解決法
https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar690073
日本人には理解不能な韓国人の歴史観
https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar1867883
関連動画
【日韓問題】韓国人は記憶の改変をしているわけではない?
https://www.nicovideo.jp/watch/sm35775418
YouTube版
https://youtu.be/UnCTeSO6_Y8
【日韓問題】日韓で異なる「正しさ」の概念 前編
https://www.nicovideo.jp/watch/sm31616028
YouTube版
https://youtu.be/PvEa1FjkkEw
【日韓問題】韓国独特の「ウリ」と「ナム」の概念 前編
https://www.nicovideo.jp/watch/sm31815129
YouTube版
https://youtu.be/Zk4XP6QbfEo
以下は動画のテキスト版です
注意
・この動画は「日韓の価値観の違い」を扱っています・うp主のスタンスは「価値観に善悪や優劣は存在しない」というものです
・相手が不法を働いているからとこちらが不法をして良い理由にはなりません
・自身の常識が相手にとっても常識とは限りません、「他者がそれを見たら
どう思うか」という客観性を常に持ちましょう。・日常生活で注意する程度には言動に注意を心がけてください
・リクエストは原則受け付けていません
・引用ソースへのリンクが同時掲載のブロマガにあります
・毎週土曜日更新
レイム マリサ
ゆっくりしていってね
レイム
さて、今回は日韓問題なので私が扱っていくわね。
マリサ
なあレイム、歴史観っていうとまたあれか?慰安婦問題とか徴用工問題とか日韓併合とかか。
レイム
今回はそういうのではなくて、それ以外の日本ではあまりなじみのない、でも韓国内で日本に対する敵愾心の原因になっている歴史観について扱っていくわ。
マリサ
ちょっとまて、まだ他にも対立の原因があるのか?
レイム
はっきり言っておくけど、韓国社会で子供の頃に教えられる歴史って、その半分以上が日本に関係した内容だから。
マリサ
いやちょっとまて、朝鮮史とか世界史とか、日本が絡まない歴史だってあるだろ?
レイム
まず、韓国では最近になって世界史を高校生くらいでほんの少し教えるようになっただけなうえに、古代史は「日本に文明を教えた」、中世は「秀吉が攻めてきた」、近代以降は「日帝が侵略してきた」で歴史授業の大半が終わるから。
マリサ
ちょっと待て、という事は韓国人の多くはそもそも世界の歴史を知らないし、自国の歴史よりも日本どうのこうのが優先されているってことか?
レイム
その通りよ。
そしてそういう教育によって韓国社会の歴史観のコンセンサスが形成されていて、今回はその結果起きている事などについてとなるわけ。
石窟庵
レイム
それで最初に説明しておくけど、今回紹介する事例は「なぜそうなるのか」が一般的な日本人には理解不能な内容になるのだけど、まずはいくつか事例を紹介して、そのうえで最後に「なぜそうなるのか」を説明するわ。
マリサ
つまり、今回はちゃんと最後まで見ないと意味不明って事か。
レイム
そういうこと、その方が「なぜ」のインパクトが強くて印象に残りそうだし、彼らの思考ロジックの理解も深まりそうだから、あえてこういう形にするわ。
それじゃあまずは記事を紹介する前に石窟庵について軽く説明すると、これは韓国で世界遺産登録されている8世紀頃の石仏群の遺跡なのね。
発見当時の石窟庵
レイム
その後15世紀頃の李朝による仏教弾圧で打ち捨てられ、1909年に雨宿りをしようとした郵便局員によって再発見されたのだけど、この画像にあるようにこの時点で既に崩壊しかかっていたのね。
マリサ
この流れの感じだと、それを日本が補修したのか?
レイム
そうよ、そして次の記事に繋がるのね。
石窟庵(ソックラム)本尊仏亀裂「日帝時代不良保守のためとは…」
東亜日報(韓国語) 2013-11-08
http://news.donga.com/Main/3/all/20131108/58769538/3▲石窟庵(ソックラム)本尊仏に25個の微細亀裂.
石窟庵(ソックラム)本尊仏に25個の微細亀裂があることが確認された。
8日、文化財庁によれば7世紀~8世紀統一新羅時代の代表的な建築様式を見せる石窟庵本尊仏座像と床の表面に剥離や変色を含む微細亀裂が約25個程度確認されたと明らかにした。文化財庁は去る1996年から定期的に石窟庵点検を実施しており、現在まで発見された微細亀裂のうち半分が本尊仏、本尊仏座台に集中している。
チェ・ビョンソン文化財庁建築文化財研究室長は「まだ全体構造物に緊急問題が起きたと見るのは難しい」として「用心深く観察中」と説明した。文化財庁は今後、石窟庵の亀裂がさらに深刻化したら直ちに対策準備に入る方針だ。石窟庵は文化財庁の前身である文化財管理局の時も微細亀裂で構造安全診断を受けたことがある。
石窟庵本尊仏亀裂は日帝強制占領期間に不十分な保守工事でできたことが分かった。石窟庵本尊仏亀裂の報せに接したネチズンらは「修学旅行で行ってきたが、本尊仏の狭い空間に人が多かった..」「石窟庵本尊仏亀裂、日本のせいとは本当に腹が立つ」「この亀裂、はやく保守しないと突然崩れるんじゃないか」などの反応を見せた。
レイム
韓国三大紙のうちの一つ、東亜日報の2013年の記事なのだけど、ここでは石窟庵補修に関して、現在できている仏像の亀裂が、日本の不十分な補修作業によってできたとしている内容ね。
マリサ
これは事実なのか?
レイム
次にこちらを見てほしいわ
【コラム】「手当たり次第反日」という愚民化政策=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.05.10 09:57
https://japanese.joins.com/JArticle/253208映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』の熱風の中で、2016年作『闘う建築家 安藤忠雄』が静かに公開された。高卒のボクシング選手出身で、すでに1995年に「建築のノーベル賞」といわれるプリツカー賞を受賞した安藤忠雄氏(77)のドキュメンタリーだ。直島の地中美術館、済州(チェジュ)維民(ユミン)美術館などに行ってみて安藤忠雄氏について結構知ったつもりでいたが、先週末に映画を見て少なくない衝撃を受けた。漠然と考えていた以上にその地位がはるかに偉大だったからだ。日本では言うまでもなく、鼻っ柱の強い欧州でも彼の存在は際立っている。1677年に建てられた由緒正しいヴェネツィアのプンタ・デッラ・ドガーナ美術館の改築を欧州の建築家ではなく安藤忠雄氏に一任するほどだからだ。
安藤忠雄が非常に卓越した人物だからでもあるが、ここには日本に対する欧州人の深い畏敬の念も根底に流れている。安藤忠雄という名前に日本というブランドが結合して魅力が最大化したということだ。
実際、西欧の日本愛は昨日今日のことではない。ドイツの作家ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)は青春の必読書であり今は防弾少年団(BTS)にインスピレーションを与えた本として有名な『デミアン』(1919年作)に「背が低いおしゃれな人、日本人」をデミアンの同行者として登場させて日本に対する愛情を誇示する。ヘッセのように日本に魅了された近代欧州知識人や芸術家は数えきれないほど多い。ゴッホをはじめ19世紀の欧州画家が日本の伝統木版画である浮世絵から多大な影響を受けていることは広く知られた事実だ。
そしてこのような西洋の日本愛は過去形ではなく現在進行形だ。文化から産業に、また欧州から米国に、むしろその領域を拡張している。先週末ソウル聖水洞(ソンスドン)に長い列を作った「コーヒー業界のアップル」というブルーボトルとそのアップルの2社とも、米国人創業者が日本に魅了されて製品の中に日本の魂を溶かし込んだといっても過言ではない。
一行で要約するなら、韓国人がよく言うように日本が単にお金で世界の人の歓心を買ってきたのではなく、文化的な深さと驚異的な匠の精神で世界の人を魅了してきたということだ。ところが韓国というプリズムを通すだけで日本は全く違う国になる。いくら忘れることが難しい旧怨があるといっても、どうしても日本を韓国の高い文化的水準の足元にも置けないくらいの野蛮の国にしてしまう。目だけしっかり閉じているならよいが、日本をけなすためならわい曲もはばからない。
このような感じだ。ヘッセが『デミアン』におしゃれな人・日本人を登場させたまさにその年の1919年にあった三・一運動100周年を控え、有名な韓国史講師であるソル・ミンソク氏はあるテレビバラエティ番組に出演して日帝の石窟庵(ソックラム)き損を非難した。「石窟庵は数学・幾何学・科学の完ぺきな結晶体で、1000年以上にわたって完ぺきに保存されてきたが、日本が嫉妬してセメントとコンクリートを塗って傷つけた」という。記録は全く違うことを語っている。1912年に大規模補修工事に入った当時、石窟庵は天井が崩れて土に埋もれた状態だった。日本としては文化遺産を生かそうとして、当時としては最新の技術であるセメントを使って最善を尽くしただけだ。それでも放送以降、日本は嫉妬で盲目になり石窟庵を傷つけた野蛮国家として韓国大衆の袋叩きにされた。
資料を一度ひもとけば露見する明白な歴史わい曲だが、ソル氏や放送局が謝罪どころか訂正したという話はついぞ聞かなかった。実は、特に驚くようなことではない。韓国で「手当たり次第反日」はいつもこのように免罪符を受けてきた。
ただし、ソル氏の石窟庵発言をただバラエティで片付けることができないのは、文在寅(ムン・ジェイン)政府になって反日扇動が度を越していて、放送がその先鋒的な役割を果たしているからだ。
今年の三一節100周年記念演説で、文大統領は「パルゲンイ(=赤い奴、共産主義者)という言葉とセッカル(=色)論は我々が一日も早く清算しなければならない代表的な親日残滓」とし、反日という官製民族主義〔チェ・ジャンジブ高麗(コリョ)大学名誉教授〕の旗を遠慮なく振り、与党である共に民主党はある在野史学者の「土着倭寇」発言を「正しい」と思って反日商売に使っているから、放送がこのような振る舞いをするのだ。
事実を冷遇した私たちだけのこのような「精神勝利」が、朝鮮建国以来、最悪の戦争につながった朝鮮通信使の誤った判断と何が違うだろうか。1592年、黄允吉(ファン・ユンギル)正使は「外敵の侵犯に備えなければならない」と進言したが、全く同じものを見てきた金成一(キム・ソンイル)副使は「豊臣秀吉の目はネズミと同じで怖いものはない」として宣祖(ソンジョ)の判断を曇らせた。そして後は私たち皆が知っているとおり、民が過酷な対価を支払わなければならなかった。
「手当たり次第反日」は国内政治に利用しやすいのかもしれないが、国民を阿呆にして国を危機に陥れる。壬辰倭乱、そして1997年外国為替危機の時にあれほど辛い思いをしたのに、私たちは事実を事実通り見なければならないという、その単純な常識さえ学ぶことができなかった。
アン・ヘリ/論説委員
レイム
記事にもあるけど、李氏朝鮮の仏教弾圧で発見当時は既に崩壊しかかって天井も崩れていて、日本はそれを当時最新の技術で補修したのよ。
20世紀初頭の技術的限界はあったけど、誤った補修をしたわけでも、雑な補修をしたわけでもないのよ。
マリサ
つまり、韓国はそれを「日本のいい加減な補修で亀裂ができた」とか言っていたのか。
レイム
しかもそれだけじゃなくてね。
世界文化遺産「石窟庵」、60年代の復元工事に誤り
朝鮮日報 2007/09/23
http://web.archive.org/web/20071018052714/http://www.chosunonline.com/article/200709230000211960年代の石窟庵復元が間違っていたことを証明する写真が発見された。現在、石窟庵の入口左右にある八部神衆(仏法を守る8人の神)は全て一列に並んでいるが、本来は入口直近の1体が90度曲がっていたことが石窟庵補修工事(1913‐15年)直前に撮影された写真によって明らかになった。
成均館大博物館が17日に公開したこの写真は、石窟庵の本尊仏に向かって右側にある金剛力士像と八部神衆を撮影しているが、八部神衆は現在とは異なり3体が一列に並び、残る1体は90度の角度で曲がっている。この八部神衆像の影がすぐ前の八部神衆象に差している写真からも、このことが分かる。
ひどい破損のため崩壊が憂慮された石窟庵を日帝が1910年代に解体・復元した際、左右の入口にある八部神衆像1対については、他の八部神衆に対して90度角度を付けて配置した。しかし、文化財管理局が1961年から64年にかけて石窟庵を再度復元した際には、この八部神衆を他の八部神衆と同じく一列に並べた。当時の復元関係者は、「日帝が石窟庵の原型もすべて壊してしまった」と主張し、以後40年余りの間、論争が絶えなかった。
姜友邦(カン・ウバン)一郷韓国美術史研究院長(前国立慶州博物館長)は、「2001年に、書誌学者の故・李鐘学(イ・ジョンハク)氏が『朝鮮美術大観』(1910年刊行)に掲載された石窟庵本尊仏左手側の八部神衆の写真を公開したことがあったが、写真の状態が悪かったために、当時は入口にある八部神衆に90度角度がついていたと100%断定することができなかった。今回の写真は、石窟庵の原型を探る決定的な資料となる」と語った。また兪弘濬(ユ・ホンジュン)文化財庁長も「八部神衆の位置が間違っていたことが今回明らかになった。しかし、今即座に石窟庵に手を加えることはできず、そのうち補修時を見計らって手直ししなければならない」とした。
この写真は、1910年代、慶州で東洋軒という写真館を運営していた日本人タナカ氏が撮影したものだと言われている。日帝強占期に京城帝国大学教授だった藤田亮策氏が所蔵していたが、53年に成均館大が購入し、所蔵してきた。
石窟庵の八部神衆の構造は明らかになったものの、石窟庵は依然として多くの論争点を抱えている。石窟庵本尊仏に自然採光できるよう天井に窓があった、という主張(光窓説)もその一例だ。しかし、光窓が天井にあると荷重を支えることができない、という反論もある。その上、本尊仏が向いている方向は文武王陵としても知られる大王岩の方角だという主張もあるが、旧暦11月に太陽が昇る方角だという説もある。
また、石窟庵が無理数√2の比例美により幾何学的に建築された、という主張もある。日本人測量技師の米田美代治氏が40年に論文を発表して以降、数多くの学者がこの説に従った。しかし60年代に石窟庵を精密に実測した結果、石窟庵の本尊仏を祀っている場所は米田氏の主張するような半径3.6メートル程度の真円ではなく、場所によって半径の長さが1メートル以上も違っていることが明らかになった。要するに幾何学的比例美など、最初からなかったのだ。
レイム
韓国が1960年代に再補修作業を行っていて、当時韓国は「八部神衆像の配置を日帝が間違えた」「日帝が石窟庵の原型もすべて壊してしまった」といって、像の位置を変えたそうなのよ。
レイム
でもその後日本による補修前の石窟庵の写真が出てきて、「日本の補修で行った配置が正しかった」と判明したのね。
しかも韓国が分解補修後に再組立てしたら、配置する場所がわからなくなった石材がいくつも出て、それを石窟の周囲に展示している有様なのよ。
配置の違いはこの図を見てほしいわ。
マリサ
で、韓国の事だからこっそり配置を戻したとかだろ?
レイム
違うわ。
今でも間違った配置のままなうえに、補修の件も「日本が雑な補修をして石窟庵は崩壊しかけた」という話がまかり通っているわ。
マリサ
え?
でも朝鮮日報や中央日報でちゃんと「それは間違いだった」と記事にしているじゃないか。
レイム
それ、韓国では当の朝鮮日報や中央日報の記者すら今では無視しているうえに、
石窟庵の悲劇
釜山ナビ 2014-03-25
https://www.pusannavi.com/miru/1083/石窟庵の歴史には悲しい事実が刻まれています。統一新羅時代に作られた石窟庵は高麗、朝鮮時代まではある程度創建時代の姿を保っていました。しかし日本の植民地時代に入ってからは、盗掘にあい、また日本の行った3度の復元工事の失敗により、仏像の位置や石窟庵の正確な構造などがすべてわからなくなってしまいました。もともとこの石窟庵は石を組み合わせて作ったにも関わらず、1000年以上持ちこたえられる耐久性と、湿気などを除去する自浄構造を持っていました。誤って組みたてた上に、また補修素材としてセメントを利用したことによって、換気が不可能となり、内部に湿気がたまって脆弱な姿となってしまいました。現在は保存のため後部を完全にセメントで塞ぎ、前室もガラスで閉じて人口的に換気をしています。石窟庵そのものはなんとか維持されていますが、この場所を訪れる人たちにとってはガラス越しの観覧を余儀なくされてしまいました。もちろん後方にある彫刻も見られません。新羅時代に作られた通りに復元すればとの声もありますが、設計図などが残されておらず不可能なのだそうです。現代の建築技術をもってしても再現できない、高度な技術を新羅人は持っていたことになります。
石窟庵のそばにある階段には、修復工事のときに交換したかつての建材が陳列されていました。1000年以上もの期間、石窟庵を支えてきたこれらの石たちは今何を思っているのでしょうか。新素材であるセメントに地位を奪われ、今はただ静かに横たわるだけ。どこに組み込んでよいのかもわからないとのことです。加えて石窟庵の保存状態も決してよいとはいえません。偉大なる国宝をガラス越しにしか見られないといういたましい現状。これら石たちの無言の叫びに耳を傾けなければなりません。以上、ナビでした。
レイム
日本向けの観光案内にすら「日本の行った3度の復元工事の失敗により、仏像の位置や石窟庵の正確な構造などがすべてわからなくなってしまいました」とか「また補修素材としてセメントを利用したことによって、換気が不可能となり、内部に湿気がたまって脆弱な姿となってしまいました。」とか書かれているわ。
マリサ
意味が解らん…。
弥勒寺址西塔
レイム
そして次の事例は、韓国で百済考古遺跡という遺跡群を形成する世界遺産のなかの、「弥勒寺址西塔」という7世紀頃の石塔なのだけど、これも李朝の仏教弾圧の結果打ち捨てられ、半分近く崩れてた状態だったので、日本がこの画像のように補修をしたのね。
レイム
それに対して韓国側は
韓国・益山の弥勒寺址石塔 20年にわたる補修工事終え完工
聯合ニュース 2019.04.30
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20190430004300882【益山聯合ニュース】百済の第30代王・武王(在位600~641)の時代に創建された、西部・全羅北道の益山弥勒寺址石塔(国宝第11号)が、20年にわたる補修工事を終えて荘厳な姿を取り戻した。
国立文化財研究所と全羅北道、益山市は30日午後、弥勒寺址で石塔の補修整備完工式を開催した。
鄭在淑(チョン・ジェスク)文化財庁長は「1300年前の王后が安寧のために塔を建てた心をそのまま胸にとどめ、石一つ、土一握りの歴史をよみがえらせた」と述べた。
現存する国内最古・最大の石塔である弥勒寺址石塔は、1627点の部材を組み立てて新たに完成した。高さ14.5メートル、幅12.5メートル、重さは約1830トン。塔の上に石をもう一つ乗せ、以前より30センチ高くなった。
美術史的には木塔から石塔への進化の過程を示すこの石塔は、弥勒寺址西側の金堂址の前に建てられている。百済が王室の安寧と衆生仏道を祈願して創建した弥勒寺は、金堂と塔がそれぞれ3つある三院式の寺刹で、中央に木塔を置き、西側と東側に石塔を建立した。
植民地時代の1915年に日本は石材の一部崩れた部分をコンクリートで応急修理した。石塔はそれから約80年そのまま持ちこたえた。
西側から見るとコンクリートの塊のようだった石塔は、99年に構造が不安定であるとの安全診断結果を受けて文化財委員会が解体・修理を決定し、補修工事が始まった。
翌年には石塔を保護するために巨大なプレハブが設置され、国立文化材研究所は2001年10月から本格的な解体作業を開始した。
同研究所は設計過程を推定しながら復元を進め、破損した石材を科学的な方法で補強して再利用し、現代技術の使用は最小限にとどめるという原則を立てた。
これにより古い石材のうち81%を再利用し、新しい石材は益山で採石された花崗岩を使用した。古い石材と新しい石材の比率はそれぞれ65%、35%だ。
石材を一つ一つ取り除き、185トンに達するコンクリートを除去した後、再び組み立てるのに16年かかった。研究所は17年に組み立てを完了し、プレハブと囲いを今年初めに撤去した。
弥勒寺址石塔は単一の文化財では最も長期間修理された事例として記録され、さまざまな研究成果が発表されている。
国立文化材研究所によると、弥勒寺址石塔に関する学術発表は18件、研究論文14本、学位論文5本、書籍9冊が発表された。特許登録も5件に及ぶ。補修に参加した述べ人数は12万人だ。
研究所の関係者は「年末までに研究成果と解体・補修過程を整理した報告書を発刊する計画だ」と述べた。
レイム
「植民地時代の1915年に日本は石材の一部崩れた部分をコンクリートで応急修理した。石塔はそれから約80年そのまま持ちこたえた」とか「西側から見るとコンクリートの塊のようだった石塔は、99年に構造が不安定であるとの安全診断結果を受けて文化財委員会が解体・修理を決定し」と、まるで雑な手抜き工事でもしたかのような言いようだったのね。
マリサ
というかこれ、画像を見ると半分以上崩れていて、残りが崩れないよう補修したように見えるんだが、韓国側はこれをどう補修したんだ?
韓国・益山の弥勒寺址石塔 20年にわたる補修工事終え完工
聯合ニュース 2019.04.30
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20190430004300882【益山聯合ニュース】百済の第30代王・武王(在位600~641)の時代に創建された、西部・全羅北道の益山弥勒寺址石塔(国宝第11号)が、20年にわたる補修工事を終えて荘厳な姿を取り戻した。
国立文化財研究所と全羅北道、益山市は30日午後、弥勒寺址で石塔の補修整備完工式を開催した。
鄭在淑(チョン・ジェスク)文化財庁長は「1300年前の王后が安寧のために塔を建てた心をそのまま胸にとどめ、石一つ、土一握りの歴史をよみがえらせた」と述べた。
現存する国内最古・最大の石塔である弥勒寺址石塔は、1627点の部材を組み立てて新たに完成した。高さ14.5メートル、幅12.5メートル、重さは約1830トン。塔の上に石をもう一つ乗せ、以前より30センチ高くなった。
美術史的には木塔から石塔への進化の過程を示すこの石塔は、弥勒寺址西側の金堂址の前に建てられている。百済が王室の安寧と衆生仏道を祈願して創建した弥勒寺は、金堂と塔がそれぞれ3つある三院式の寺刹で、中央に木塔を置き、西側と東側に石塔を建立した。
植民地時代の1915年に日本は石材の一部崩れた部分をコンクリートで応急修理した。石塔はそれから約80年そのまま持ちこたえた。
西側から見るとコンクリートの塊のようだった石塔は、99年に構造が不安定であるとの安全診断結果を受けて文化財委員会が解体・修理を決定し、補修工事が始まった。
翌年には石塔を保護するために巨大なプレハブが設置され、国立文化材研究所は2001年10月から本格的な解体作業を開始した。
同研究所は設計過程を推定しながら復元を進め、破損した石材を科学的な方法で補強して再利用し、現代技術の使用は最小限にとどめるという原則を立てた。
これにより古い石材のうち81%を再利用し、新しい石材は益山で採石された花崗岩を使用した。古い石材と新しい石材の比率はそれぞれ65%、35%だ。
石材を一つ一つ取り除き、185トンに達するコンクリートを除去した後、再び組み立てるのに16年かかった。研究所は17年に組み立てを完了し、プレハブと囲いを今年初めに撤去した。
弥勒寺址石塔は単一の文化財では最も長期間修理された事例として記録され、さまざまな研究成果が発表されている。
国立文化材研究所によると、弥勒寺址石塔に関する学術発表は18件、研究論文14本、学位論文5本、書籍9冊が発表された。特許登録も5件に及ぶ。補修に参加した述べ人数は12万人だ。
研究所の関係者は「年末までに研究成果と解体・補修過程を整理した報告書を発刊する計画だ」と述べた。
レイム
さっきの記事によると、90年代に塔が崩れかけている事が判明、2001年から古い石材のうち81パーセントを再利用し、元の石材と新しい石材の比率を65パーセントと35パーセントで分解補修を進め、2019年に補修が完了したそうね。
マリサ
というか、記事を読んだ後に補修画像を見ると、単に崩れた場所の補強をコンクリートではなくて石材で行ったってだけじゃないか?
レイム
それが、どうもそれだけじゃなかったのよ。
この朝日の記事を見てもらうと
20年かけ修復「元の姿と違う」百済の石塔、韓国で批判
朝日新聞 2019年3月26日
https://www.asahi.com/articles/ASM3S3WKBM3SUHBI00C.html韓国で国の予算執行を検査する監査院は、約20年かけた修復工事が今月に完成した百済時代末期(7世紀)の寺院跡、弥勒寺址(し)の「西の石塔」(高さ約14・5メートル)について「原型通りに修復されず、安全性の検討も正しく行われていない」とする報告書を発表した。所管の文化財庁は釈明に追われ、韓国内で「ありえないことだ」と批判が起きている。
「西の石塔」は百済の都だった扶余から南へ約30キロにある寺院遺跡、弥勒寺址にあり「韓国最古の石塔」として国宝に指定されている。日本統治時代に補強されたコンクリートの傷みが激しくなったことから、2001年から約230億ウォン(約23億円)かけて大規模な解体修理工事が行われ、日本の古代史ファンの関心も集めていた。
報告書によると、修復過程で構造安定性が十分検討されないまま設計変更が行われ、当時の石材と新たに持ち込んだ石材を混ぜて積むなどした結果、元の姿と輪郭などが異なるようになったという。
監査院は「安全性を検討した上で、適切な措置案を検討すべきだ」と通知。4月に完工式を準備する文化財庁は「設計変更図に準じる図面を作成した」と釈明したものの、安全点検を実施すると発表した。
石塔はユネスコの世界文化遺産「百済歴史遺跡地区」の構成資産の一つで、地元全羅北道の観光資源になっている。地元の市民団体は「石塔のイメージが傷つき、住民は精神的な衝撃を受けた」
的な衝撃を受けた」として賠償を求める声明書を発表した。
レイム
韓国の予算執行を検査する監査院が「原型通りに修復されず、安全性の検討も正しく行われていない」という報告書を提出、報告書には「修復過程で構造安定性が十分検討されないまま設計変更が行われ、当時の石材と新たに持ち込んだ石材を混ぜて積むなどした結果、元の姿と輪郭などが異なるようになった」と書かれているそうよ。
マリサ
おいちょっと待て。
散々日本の補修にケチをつけておいてこの有様かよ。
レイム
比較画像を見るとこうなっているわね。
マリサ
まてまてまてまて。
これ微妙に違うとかじゃなくて完全に別物になってるだろ。
レイム
しかも現在、韓国はこの補修後の姿で「東塔の再現」も行っていて、こういう状態になっているわ。
マリサ
これ、韓国で世界遺産登録されている遺跡群の一つなんだよな?
レイム
そうよ、更に問題なのが韓国ではこの
弥勒寺址
百済世界遺産センター
http://www.baekje-heritage.or.kr/html/jp/historic/historic_010402.html弥勒寺址は、益山市金馬面の弥勒山(標高430m)の麓に広がる平地にあり、東アジア最大規模の寺域を誇る。百済の寺院としては珍しく『三国遺事』に創建説話が残っている。
百済武王と王妃が獅子寺に向かう途中、龍華山の下の池から弥勒三尊仏が現れたため、王妃の望みどおりこの池を埋めて3カ所に塔と金堂、回廊を建てたという。この説話からわかるのは、弥勒寺が百済の国力を結集した国の中心的寺院であることや、湿地を埋め立てて平地を造成していること、未来仏である弥勒が天から降りて3回にわたって説法し衆生を救済するという仏教経典の内容に即した伽藍配置となっているということである。これは、1974年から23年間行われた考古学的調査でほとんど事実であることが明らかになった。また、寺院の創建時期は武王が在位した7世紀初頭であり、壬辰倭乱(文禄の役)の前後に廃寺となったことがわかった。 弥勒寺は、中門・塔・金堂を一直線に並べる百済の典型的な「1塔1金堂」の伽藍を3棟並置した独特な構造となっている。中央にある中院は、面積や金堂、塔の規模が東院と西院より大きい。
東院、中院、西院は、長い回廊によって区画されてそれぞれ独立した空間となっているが、北側では一棟の大きな講堂とつながっている。つまり、いったん3つの院に区分したものを、一つの講堂によって統合しているのである。講堂とつながった北・東・西回廊址からは、後代に僧房として使用された跡が見つかっている。
百済時代の寺院址の規模は、講堂から中門までが134mであり、幅は東院と西院の外郭を基準にして172mである。
寺院裏の弥勒山からの水流は人工水路として寺院の四方に引かれており、南正面には大きな池を造成した跡がある。また、講堂の北には二つの橋があり、人工水路を渡って裏の後苑に行くことができる。もともと湿地帯であるためとりわけ緻密に排水処理をしており、各院の金堂も特殊な構造によって湿気を防止した。金堂の床に地台石を敷いて、その上に1mほどの高さの礎石を菱形に置き、礎石の上に根太(床を支える木材)を張った跡がある。このように、金堂の床に空間をつくって通気性をよくしたものとみられる。
百済では1塔1金堂の寺院構造をもとに弥勒信仰を具現化し、さらに3塔3金堂という独特な寺院構造で弥勒寺がつくられた。百済の人々は、この弥勒寺を中心として、誰もが平等に生きることを願う弥勒下生の夢を実現しようとした。弥勒寺は、すべての衆生を救おうという切なる願いが反映された、古代の百済の人々の信念の結晶といえる。
もともと弥勒寺には3基の塔があり、中院は木塔、東院と西院は石塔だった。中院の木塔がいつ消失したかはわかっておらず、東院の石塔は発掘当時完全に崩れ落ちて石材が周辺に散乱しており、一部は外部に流出し、修復が不可能な状態だった。一方、西院の石塔は、多くの部分が壊れていたものの東北の側面だけ六層まで残っていた。 1998年の構造安全診断の結果、石塔の安定性などに問題が見つかり、2001年から国立文化財研究所が解体調査と保守整備を進め、2002年からは本格的な学術研究が行われている。
東塔址からは、露盤石と屋蓋石が出土しており、これを西塔との比較をもとにコンピューターで計算して復元したところ、九層塔であったことがわかった。この結論に基づいて1992年、弥勒寺址東院に石塔を復元しており、その全体の高さは24mに上る。現存する新羅の石塔のうち最も高い慶州感恩寺址石塔は13mなので、弥勒寺址石塔はその2倍近いということになる。
一方、2009年、西院の石塔の解体調査の途中で一層の心柱石の上面中央から舎利孔が見つかっており、十字の墨線と石灰で密封した跡も残っていた。舎利荘厳は舎利孔の中に安置されており、舎利壺、金製舎利奉迎記、銀製冠飾、青銅盒など様々な供養品が一度に出土した。なお、舎利奉迎記から、石塔は639年に舎利の安置のために建立されたことが明らかになった。これは、弥勒寺が武王在位中に創建されたという記録を立証する貴重な例である。
レイム
百済世界遺産センターという所が日本語で紹介している記事にもあるように、「壬辰倭乱(文禄の役)の前後に廃寺となったことがわかった」と紹介されていて、あたかも秀吉のせいでこうなったかのような内容になっていて、
李朝の仏教弾圧について一切触れていないのね。
マリサ
というか、そういう背景なら「なんで文禄・慶弔の役後に再建なかったのかって事になるしな。
レイム
しかも、この塔の日本による補修前の写真も残っていて、当時こんな状態だったそうなの
マリサ
これ、ほぼ崩れてね?
レイム
しかも周囲の状況もこんな感じで、当時の彼らには寺院を再建しようとするような意思すらなかったことがわかるのよ。
ついでに言えば、なんで90年代に補修が必要になったかといえば、独立後に一切メンテナンスをしていなかったからよ。
マリサ
そしてその責任を日本に押し付けた挙句、再補修したら元の形と別物になってしまったと。
レイム
そして現在、監査院の報告書はなかったことにされ、「日本の雑な補修で再補修しなければいけなかった」というストーリーが出来上がって既成事実化しているわ。
マリサ
いやだから、なんで原型と変わってしまっているのにそれを問題視しないんだよ。
判断基準が違う
レイム
それでね、こういう事になっている背景なのだけど、それは以前から何度か説明しているように、彼らと私たちでは「何を正しいと認識するか」のロジックそのものが異なっているからよ。
マリサ
どんなふうに違うんだっけか?
レイム
私達が何かを正しいと判断する場合、客観的に観察可能な実際の出来事や資料を判断材料として、間違いを認めない場合もなんとかして資料との整合性をとるための方法を探す傾向にあるわよね。
「正しさの証明」のために。
マリサ
いや、それ普通じゃね?
レイム
でも彼らはそこが違うのよ。
過去動画「韓国人は記憶の改変をしているわけではない?」で解説したように、彼らは事実よりも「その時の感情的利益」を優先するうえに、「韓国独特の「ウリ」と「ナム」の概念により「ウリは常に正しい」という前提で思考するわ。
つまり彼らの正しさとは証明するものではなくて「前提」なの。
※動画説明欄に関連リンクがあります。
レイム
なので彼らの思考ロジックでは、石窟庵や石塔の問題点を指摘した時点では、欠陥補修を指摘した側にとってした側は「ナム」なのよ。
だから過ちを指摘しているわけ。
レイム
でもこの「ウリとナム」の範囲はその時の状況次第で拡大したり縮小したりするので、日本との間のことでは日本が「ナム」であるので、「ウリは正しい」という前提によって、「日本の補修が間違い」という話が「正しい」となるわけ。
レイム
補修した人たちも韓国人なので、日本との対比では「韓国人」なのでウリなわけだしね。
マリサ
つまり、そもそも「その時の感情的利益」が重要なので実態は重視していないうえに、対日本では「日本の補修は間違っていなかった」とすると「韓国(ウリ)が間違っていて、日本(ナム)が正しい」となって、彼らのロジックでは矛盾してしまうから、「日本の補修が間違い」が既成事実化していると。
レイム
その結果、石窟庵はこの画像にあるような間違った石造の配置が、弥勒寺西塔は原型とかけ離れた形のまま既成事実化し、「韓国の誇る史跡が日本によって棄損され、独立後に韓国が補修して今に至る」というストーリーがまかり通ってしまっているの。
マリサ
普通だったら「史実と異なっている」と大問題になって、「原状復帰」がされないといけないのに、「ウリ(韓国)は正しく、ナム(日本)は間違っている」という思考ロジックによって、史実と異なる史跡になってしまっていると。
参考記事
植民支配時代の石窟庵解体工事写真
中央日報 2007.09.18
https://japanese.joins.com/jarticle/91257
レイム
そういう事。
今回のまとめ
・韓国によって石窟庵は史実と異なる構造になっている
・弥勒寺西塔は補修で別物になってしまった
・「正しさ」の判断基準が異なるからこそ起きた事。
レイム
それでね、もう一つ重要なことがあって、彼らは客観的な判断が全くできないのではなくて、「ウリの感情的利益」に抵触しない場合、客観的事実を前提に判断を下すのね。
マリサ
という事は、「そういう判断」自体はできるって事か。
レイム
概念的には、判断基準が上下二重構造になっていて、上部構造に「ウリの正しさ」が存在していて、「感情的利益」のスイッチが入らない場合は、下部構造の「客観的事実」を前提に判断するって事ね。
レイム
そしてややこしいのは、「相手がナムの場合」は一見すると「客観的事実に基く判断」という処理がされているようにみえるけど、実態は「ウリの正しさ」に基づく判断であって、状況次第では主張が180度変わってしまう事もあり得るという事よ。
マリサ
つまり、一見すると私達との間に共通認識ができていそうに見えても、判断基準が異なっているからその時の状況次第でいきなり手のひら返しをされることもあり得るって事か。
レイム
そういうこと。
そして慰安婦問題や徴用工問題も、こういう思考に基いて彼らの歴史観は決定されているし、更にはいわゆる福島原発の処理水問題でも「このロジック」での処理がされているのね。
マリサ
どういうことだ?
レイム
あれ、元々韓国の海洋水産部や原子力安全委員会が「海洋放水は科学的に問題ない」という報告をしていたのに、それが無かったことにされたうえに、「影響はない」という判断をした研究者が処罰されているのよ。
詳しくは同時掲載のブログにリンクを貼っておくから、そっちを見てほしいわ。
汚染水の海洋放出 「科学的に問題ない」=韓国政府報告書
聯合ニュース 2021.04.15
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210415001200882
「福島の汚染水、韓国への影響微々」報告書を作成した博士研究員に懲戒処分=韓国原子力研究院
朝鮮日報 2021/06/16
https://web.archive.org/web/20210615231802/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/06/16/2021061680003.html
マリサ
うわぁ…。
レイム
しかも、この処罰を糾弾したメディアが今は「日本の汚染水はけしからん、放水するな」という記事を書いているのよ。
マリサ
一見意味不明な態度だけど、今回の事例を見たあとだと「なるほど」となってしまうんだぜ。
レイム
なかなか興味深いでしょ?
そんなわけで今回の本編はここで終わるわ。
レイム マリサ
ご視聴ありがとうございました。
大口
おつかれ~
大口
ところで、ナマケモノって実は泳げる種と泳げない種がいるって知ってた?
マリサ
え?あれみんな泳げるわけじゃないのか?
レイム
違いは何なの?
大口
ミユビナマケモノ科は主にアマゾン川とかの河川附近に生息していて、あの辺りは雨期に川が氾濫するから泳げないと生きて行けないんだよ。
マリサ
つまり、フタユビナマケモノ科はアマゾンとかの河川流域に住んでいないから泳ぐ必要がないってことか?
大口
そういう事。
どっちも中南米の森林に棲息しているけど、生息環境が違うからそこで泳げる泳げないに違いが出たわけ。
レイム
フタユビとミユビでそんな違いがあったのね。
レイム
そんなわけで今回はここで終わるわ。
レイム マリサ 大口
またらいしゅ~
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