日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

【ゆっくり解説】朝日新聞の慰安婦報道検証 part1/2

さて、本日は2014年のマスコミ不信、朝日新聞慰安婦報道訂正事件について扱っていきます。



本日の投稿動画
www.nicovideo.jp
youtu.be


元記事
朝日新聞 吉田証言問題 慰安婦編 1
http://ooguchib.blog.fc2.com/blog-entry-396.html
朝日新聞 吉田証言問題 慰安婦編 2
http://ooguchib.blog.fc2.com/blog-entry-397.html
慰安婦訂正報道における朝日新聞の誤魔化し
http://ooguchib.blog.fc2.com/blog-entry-398.html



以下は動画のテキスト版です

お品書き

定義の誤魔化し

リサーチ無し?

注意
・この動画は「マスコミ問題」を扱っています

・「マスコミ問題」であり右派・左派等の陣営論争は本題ではありません

・「特定の国との特別な関係」は問題の枝葉です、主問題は業界の体質です

・自身の常識が相手にとっても常識とは限りません、「他者がそれを見たらど
う思うか」という客観性を常に持ちましょう。

・日常生活で注意する程度には言動に注意を心がけてください

・リクエストは原則受け付けていません

・引用ソースへのリンクが同時掲載のブログにあります

・毎週土曜日更新


レイム マリサ 
ゆっくりしていってね


マリサ
さて、今回はマスコミ問題なので私があつかっていくぜ。


レイム
今回はこの動画シリーズのマスコミ問題本題の「マスコミ不信の歴史」について、2014年の朝日新聞慰安婦報道訂正問題について扱っていくのよね。


マリサ
そうだぜ。
あの件ってな、途中から個人へと矛先が向いてしまっていったせいで、朝日新聞自体の問題点の追求が中途半端で終わってしまったからな、その件を中心に扱っていくぜ。


レイム
ということは、吉田証言とかの問題ってこと?


マリサ
いや、それ以外の朝日新聞による慰安婦報道全般の問題だぜ。
あの件って、朝日はあたかも吉田証言だけの問題であるかのように誤魔化していたが、それ以外も問題だらけだったからな。


レイム
なるほど。
だから吉田証言訂正問題とかじゃなくて「朝日新聞慰安婦報道検証」なわけね。


マリサ
そういう事だぜ。
そんなわけで本編へ行くぜ。


定義の誤魔化し


レイム
で、最初はこの動画シリーズでも何度も扱っている「慰安婦の定義」の問題からなのね。


マリサ
そうだぜ。
で、まず最初に朝日新聞慰安婦報道訂正問題についてざっと扱っておくと、2014年8月5日に朝日新聞が「慰安婦問題を考える」「読者の疑問に答えます」という内容の記事を紙面に掲載し、吉田清治という人物が「韓国済州島慰安婦狩りをした」と証言していた内容を、事実と異なっていたと1982年の報道から32年ぶりに訂正したという件だぜ。


レイム
でもそれ以前からこの吉田証言の矛盾が指摘されていて、本人が「誇張した」等と矛盾を誤魔化して内容を二転三転させていたり、当時の記録と証言内容が矛盾していたりして90年代の時点で既に捏造であることがはっきりしていたのに、朝日含め複数のメディアがそのことを無視し続け、世界中に「日本軍が慰安婦狩りをした」というデマが広まる原因の一つとなったのよね。


マリサ
まあこの時点で問題なんだが、この訂正報道後ネット上で当時慰安婦報道を行っていた記者個人に矛先が移ってしまってな、朝日新聞自体の問題が色々と有耶無耶になってしまったんだぜ。


レイム
で、今回はその有耶無耶になった部分を検証していくのね。


マリサ
そうだぜ。
まずはこちらから

慰安婦問題 核心は変わらず
朝日新聞 2014年8月28日
https://www.asahi.com/articles/ASG8W4CPWG8WUTIL01N.html

 朝日新聞が今月5、6日に掲載した慰安婦問題の特集をきっかけに、さまざまな議論が起きている。慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏の証言を報じた記事を取り消したことを受け、慰安婦問題で謝罪と反省を表明した河野洋平官房長官談話(河野談話)の根拠が揺らぐかのような指摘も出ている。談話作成にかかわった当時の関係者の証言を紹介するとともに、韓国社会での慰安婦問題の受け止め方を振り返り、改めてポイントを整理した。

河野談話、吉田証言に依拠せず

 韓国・済州島慰安婦にするために女性を暴力的に無理やり連れ出したとする吉田氏の証言を報じた記事について、朝日新聞済州島での再取材や研究者への取材の結果、虚偽と判断し、取り消した。

 これに対し、吉田氏の証言が事実でないならば、河野談話の「根幹」が崩れるとする主張が出ている。

 自民党内でも同様の発言が出ており、高市早苗政務調査会長は26日、戦後70年となる来年に、河野談話に代わる新しい官房長官談話を出すよう求める申し入れ文書を、菅義偉官房長官に提出した。

 だが、日本政府は河野談話の作成過程で、吉田氏をヒアリングの対象としたものの、その証言内容を談話に反映しなかった。

 談話作成にかかわった当時の政府関係者は朝日新聞の取材に対し、内閣外政審議室の職員が吉田氏に複数回にわたって接触したことを認めた上で「つじつまが合わない部分があったため、談話には採用しなかった」と明かした。

 また、菅官房長官も27日午前の記者会見で「河野談話作成過程の検証で、強制連行は確認できなかったという認識にたって(韓国側と)交渉したことが明らかになっている」と述べ、当時、吉田氏の証言を考慮していなかったとの認識を示した。

 談話作成の根拠になったのは、軍や朝鮮総督府慰安所経営の関係者の証言のほか、日本の関係省庁や米公文書館などから集めた大量の資料だった。

 河野談話発表の約4カ月前には、当時の谷野作太郎外政審議室長が参院予算委員会で「強制は単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖(いふ)させ本人の自由な意思に反した場合も広く含む」と答弁した。

 河野談話も「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と結論づけ、吉田氏が言うような「強制連行」ではなく、女性たちが自由意思を奪われた「強制性」を問題とした。

 安倍政権が今年6月に公表した、河野談話の作成過程の検証にも、吉田氏の証言をめぐる経緯が出てこないのは、談話が吉田証言を採用していなかったためとみられる。河野談話について、菅官房長官は27日、「見直すことはないと繰り返し言っている」と述べ、歴代政権と同じように継承していく姿勢を示した。
韓国、元慰安婦証言を重視

 韓国政府が慰安婦問題で最も重視しているのは、元慰安婦自身による多くの証言だ。朴槿恵(パククネ)・韓国大統領は「歴史の真実は生きている方々の証言だ。政治的な利害のためにこれを認めないなら、孤立を招くだけだ」などと繰り返し強調している。

 韓国では、長く続いた軍事独裁政権が終わり、社会の民主化が進んだ1990年代にはいって、慰安婦問題に光があたり始めた。

 その大きな転機となったのは、90年1月に尹貞玉(ユンジョンオク)・梨花女子大教授(当時)が日本や東南アジアを訪ね、韓国紙ハンギョレ新聞に連載した「挺身(ていしん)隊『怨念の足跡』取材記」だった。

 同年6月、参院予算委員会で当時の社会党議員が、慰安婦問題を調査するよう政府に質問したのに対し、旧労働省の局長が「民間業者が軍とともに連れて歩いている状況のようで、実態を調査することはできかねる」と述べ、韓国で強い批判の声が上がった。この答弁に反発した金学順さんが翌91年8月、初めて実名で「慰安婦だった」と認めると、その後、次々に元慰安婦が名乗り出始めた。

 これを受けて、韓国政府は92年2月から元慰安婦の申告を受け付け、聞き取り調査に着手した。

 また、支援団体の「韓国挺身隊問題対策協議会」も93年2月、約40人の元慰安婦の中から信憑(しんぴょう)性が高いとみた19人の聞き取りを編んだ証言集を刊行した。女性たちは集められ方にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におびえ、性病、不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語った。

 現役の韓国政府関係者によると、朝日新聞の特集記事が出た後、吉田氏は何と証言したのかとの問い合わせが韓国人記者から寄せられるなど、証言そのものは韓国では一般的に知られているとは言えないという。

 80年代半ばから90年代前半にかけて、韓国外交当局で日韓関係を担当した元外交官は「韓国政府が慰安婦問題の強制性の最大の根拠としてきたのは元慰安婦の生の証言であり、それは今も変わっていない。吉田氏の証言が問題の本質ではありえない」と話す。

     ◇

 〈河野談話〉 韓国の元慰安婦らが1991年、日本政府に補償を求めて提訴したことなどを受け、日本政府は調査を始めた。92年7月には当時の加藤紘一官房長官が調査結果をまとめて発表したが、内容が不十分だとの声が上がり、国内のみならず海外にも調査を拡大。93年8月に宮沢内閣の河野洋平官房長官が公表した。談話は、慰安所について「当時の軍当局の要請により設営された」とし、慰安所の設置や管理、慰安婦の移送に「旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」と認めた。

     ◇

 〈河野談話の作成過程検証〉 今年2月の衆院予算委員会で、河野談話の作成に関わった石原信雄・元官房副長官が、韓国との事前のすりあわせを示唆したことを受け、政府の検討チームが談話の作成過程を検証した。安倍晋三首相は、結果が出る前に「(河野談話を)見直すことは考えていない」と発言。検討チームは6月20日、河野談話の作成や「アジア女性基金」の事業をめぐって、日韓両政府が頻繁にやりとりしていたことなどを盛り込んだ検証結果を発表した。

     ◇

 〈吉田清治氏の証言〉 戦時中に山口県労務報国会下関支部の動員部長だったと語る吉田清治氏(故人)は、日本の植民地だった朝鮮の済州島で、慰安婦にするため女性を暴力的に無理やり連れ出したと講演や著書で証言。朝日新聞は1982年以降、吉田氏の証言を記事やコラムで取り上げた。証言内容を疑う指摘が92年にあり、朝日新聞は97年に「真偽は確認できない」との記事を掲載し、以降は吉田氏の証言を取り上げていない。今年、改めて済州島などで裏付け取材をし、5日の特集「慰安婦問題を考える」で、「証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」とする記事を掲載した。

マリサ
この記事では、吉田証言は虚偽であったとしたうえで、「慰安婦問題の本質は変わらない」として、挺対協(現:正義記憶連帯)の見解である「女性たちは集められ方にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられた」という内容と、韓国政府の「韓国政府が慰安婦問題の強制性の最大の根拠としてきたのは元慰安婦の生の証言であり、それは今も変わっていない。吉田氏の証言が問題の本質ではありえない」という内容を紹介しているぜ。


レイム
要するに、どんな形であれ本人の意思に反して慰安婦になり、軍の慰安所で性的サービスに従事していた事が問題で、朝日新聞は吉田証言を訂正してもこの部分は変わらないとしているわけね。


マリサ
そうだぜ。
そして次の記事では

強制連行 自由を奪われた強制性あった
朝日新聞 2014年8月5日
https://www.asahi.com/articles/ASG7M03C6G7LUTIL06B.html

〈疑問〉政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。

慰安婦問題に注目が集まった1991~92年、朝日新聞朝鮮人慰安婦について、「強制連行された」と報じた。吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言(「『済州島で連行』証言」で説明)を強制連行の事例として紹介したほか、宮沢喜一首相の訪韓直前の92年1月12日の社説「歴史から目をそむけまい」で「(慰安婦は)『挺身(ていしん)隊』の名で勧誘または強制連行され」たと表現した。

 当時は慰安婦関係の資料発掘が進んでおらず、専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。秦郁彦氏も80年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した=注①。

 もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、日本内地や軍占領地の炭鉱や鉱山などに労働者として動員したことを指していた=注②。60年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び=注③=、メディアにも広がった経緯もあり、強制連行は使う人によって定義に幅がある。

 こうした中、慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解=注④=と、「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方=注⑤=が研究者の間で今も対立する状況が続いている。

 朝鮮半島でどのように慰安婦が集められたかという過程は、元慰安婦が名乗り出た91年以降、その証言を通して次第に明らかになっていく。

 93年2月、「韓国挺身隊問題対策協議会」は、元慰安婦約40人のうち「信憑性(しんぴょうせい)に自信が持てる」(鄭鎮星〈チョンジンソン〉)・挺身隊研究会会長)19人の聞き取りを編んだ証言集を刊行。「軍人や軍属らによる暴力」があったと語ったのは4人で、多くは民間業者が甘い言葉で誘ったり、だまして連れて行ったりする誘拐との内容だった。

 慰安婦たちは、徴集の形にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におびえ性病や不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語っていた。

 93年8月に発表された宮沢政権の河野洋平官房長官談話(河野談話)は、「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましいものだった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めた。関係省庁や米国立公文書館などで日本政府が行った調査では、朝鮮半島では軍の意思で組織的に有形力の行使が行われるといった「狭い意味の強制連行」は確認されなかったといい、談話は「強制連行」ではなく、戦場の慰安所で自由意思を奪われた「強制」性を問題とした。

 談話発表に先立つ7月には、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会事務所で、日本政府が元慰安婦たちに聞き取りをした。今年6月に発表された河野談話作成過程の検証チーム報告は、聞き取りの目的について「元慰安婦に寄り添い、気持ちを深く理解する」とし、裏付け調査などを行わなかったことを指摘した。

 河野談話の発表を受け、朝日新聞は翌日の朝刊1面で「慰安婦『強制』認め謝罪 『総じて意に反した』」の見出しで記事を報じた。読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は「強制連行」を使わなかった。

 官房長官への取材を担当していた政治部記者(51)は、専門家の間でも解釈が分かれていることなどから「強制連行」とせず単に「強制」という言葉を使ったのだと思う、と振り返る。「談話や会見、それまでの取材から読み取れたのは、本人の意思に反する広い意味での強制連行を認めたということだった。しかし、強制連行という語を使うと読者の誤解を招くと考え、慎重な表現ぶりになった」

 93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた。

 97年春に中学教科書に慰安婦の記述が登場するのを機に、朝日新聞は同年3月31日朝刊でこの問題を特集した。

 日本の植民地下で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない。貧困や家父長制を背景に売春業者が横行し、軍が直接介入しなくても、就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められたという。一方、インドネシアや中国など日本軍の占領下にあった地域では、兵士が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合軍の戦犯裁判などの資料に記されている。インドネシアでは現地のオランダ人も慰安婦にされた。

 97年の特集では「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いられたりした場合は強制があったといえる」と結論づけた。

 河野談話が発表されて以降、現在の安倍内閣も含めて歴代の政権は談話を引き継いでいる。一方、日本軍などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に、「強制連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してきた。

 朝鮮など各地で慰安婦がどのように集められたかについては、今後も研究を続ける必要がある。だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある。

 これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。
読者のみなさまへ

 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。

マリサ
記事では「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解と、「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方が研究者の間で今も対立する状況が続いている」としているな。


マリサ
そのうえで、「朝鮮など各地で慰安婦がどのように集められたかについては、今後も研究を続ける必要がある。だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある」と書いているぜ。


レイム
でもこれ明らかに論点のすり替えなのよね。


マリサ
そうだぜ。
実際には韓国政府は

慰安婦問題で日本記者に反論 韓国「強制性の証拠は無数」
聯合ニュース 2014.09.02
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20140902002800882

【ソウル聯合ニュース朝日新聞慰安婦報道の一部を取り消したことを受け、日本の右翼勢力などが旧日本軍の強制性を否定する動きを強めるなか、韓国外交部の2日の定例会見で一部日本メディアが強制動員の証拠を求めた。日本メディアの質問に対し、魯光鎰(ノ・グァンイル)報道官は韓国政府の立場を強く主張し、論争が起きた。

 読売新聞の記者は「朝日新聞済州島で女性を慰安婦として強制連行したという吉田清治氏の証言を虚偽と認め、記事を取り消した」として、「慰安婦が強制連行されたという説を裏付ける主な根拠がなくなったわけだが、韓国政府は日本軍が組織的に強制連行したと主張するのか」と質問。これに対し、魯報道官は「軍の強制性を立証しているものは無数にある」と強調し、「最も明白なのは被害者の肉声による証言」と述べた。

 また、毎日新聞の記者が「読売の記者は強制連行、狩りのように連れ去られたこと(があったかどうか)について質問したもの」として、再び韓国政府の見解を聞いた。魯報道官は「強制性という言葉の意味は皆さんが常識的に知っているもの」と答えた。その上で、「そういう明白な証言を聞いたのに、なぜ顔をそむけようとするのか。証言もあり、証拠もあり、世界中が知っている。万人が知っていることは証明する必要がない」と反論した。

 「証拠」を求める質問が再度出ると、「最近、中国で戦犯の供述書を公開している。その内容にも詳細に記録されている」と話した。

 一方、韓国旅客船セウォル号沈没事故当日の朴槿恵(パク・クネ)大統領の動静に関する疑惑を報じ、朴大統領の名誉を毀損(きそん)したとして市民団体から告発された産経新聞の加藤達也ソウル支局長を検察当局が事情聴取したことについては、「司法当局が捜査を進めているので、結果を見守る必要がある」と述べた。

 国連総会に合わせた尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官と李洙ヨン(リ・スヨン北朝鮮外相の会談を検討しているとの報道に関しては、「事実無根」とした。

マリサ
2014年9月の記者会見で韓国政府は、朝日の吉田証言訂正報道を踏まえた読売新聞の質問に対し強制連行があったと主張、この回答に毎日新聞が「読売の記者は強制連行、狩りのように連れ去られたこと(があったかどうか)について質問したもの」と聞き返すと、「証言もあり、証拠もあり、世界中が知っている。万人が知っていることは証明する必要がない」と答え、慰安婦の定義が「軍や国の命令で軍人や官憲が行った拉致や連行」であると明確に定義付けていて、朝日の主張する「慰安婦問題の本質」と全く異なる主張をしているぜ。


レイム
この事から解ることとして、朝日新聞毎日新聞は韓国政府の公式見解としての慰安婦の定義が「軍や国の命令で軍人や官憲が行った拉致や連行」であるという事を意図して隠して誤魔化しているって事だぜ。


マリサ
つまり朝日新聞は、一連の訂正報道においてすら嘘や誤魔化しを行っていて、今もこの問題にだんまりを続けているって事になるのよね。


リサーチ無し?


マリサ
で、ここまでの朝日の言い分は、「(慰安婦)問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある」という事と、「証言は検証されたものであり事実である」という前提に立っている事がわかるぜ。


レイム
そうね、朝日の言い分は「証言は検証されている」という前提での事なのよね。


マリサ
でも実際にはどうかというと

慰安婦らが証言集会で訴え 東京・大阪など10カ所で
朝日新聞 2004/12/04
https://web.archive.org/web/20041205214826/http://www.asahi.com/national/update/1204/020.html

 東京、大阪、福岡など10カ所で4日、韓国、台湾、フィリピンの元慰安婦ら8人と強制連行被害者のビデオ映像による証言集会が同時に開かれた。旧日本軍による慰安婦制度や強制連行・強制労働などを否定する政治家の発言が相次ぐ中、証言に立った被害者らは「歴史の事実と向き合う誠意と勇気を持ってほしい」と呼びかけた。

 戦後補償問題に取り組む市民団体や学生団体が主催した。

 川崎市の集会では台湾の鄭陳桃(チェン・チェンタオ)さん(82)が証言。女学校の学生だった18歳の時、通学時に日本人警察官に「学校に送っていく」と声をかけられた。そして十数人の女性とともに船でアンダマン諸島(現インド領)に連行され、慰安婦をさせられた――と訴え、自殺を図ったが死ねなかったこと、年上の女性から「がまんしろ」と諭されたことなどを話した。

 東京の集会で証言したフィリピンのベアトリス・トゥアソンさん(74)は「日本が経済大国で世界のリーダーなら、まずこの問題を解決してから国連の常任理事国になるべきだ」と話した。

マリサ
例えばこの2004年12月の朝日新聞の記事では、「台湾の鄭陳桃(チェン・チェンタオ)さん(82)の証言」として、「18歳の時、通学時に日本人警察官に「学校に送っていく」と声をかけられた。そして十数人の女性とともに船でアンダマン諸島(現インド領)に連行され、慰安婦をさせられた」と書かれているのだけど、ここでおかしいのは2004年に82歳という事は、日本人警官に拉致されたのは1940年に起きた出来事という事だぜ。


マリサ
日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領は1942年の事で、1940年時点ではイギリス軍が駐留しているんだぜ。

日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領 wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%90%E3%83%AB%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E3%81%AE%E5%8D%A0%E9%A0%98

日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領(にほんぐんによるアンダマン・ニコバルしょとうのせんりょう)は、1942年(昭和17年)3月下旬の日本軍によるアンダマン諸島の占領に始まり[1]、1945年8月に大日本帝国が連合軍に無条件降伏し、同年9月にイギリスが両諸島を再占領するまで続いた[2]。

レイム
よく擁護する人達は「昔の事だから記憶が曖昧なのだ」と主張するわよね。


マリサ
まあ、この時点で検証できていないんだが、一応記憶違いと強弁もできるな。
でも次はどうかな?


原告ふたりの意見陳述書
台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会 1999.12.26
http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/resources/19991102_Chinjutu.html

(一部抜粋)

私は名前を鄭陳桃といいます。年齢は80歳になります。


私は、高等科1年まで学校に行きました。


私は台北で生まれて、その後塩水に住み、18歳のとき、魏という人の妻に「看護 助手を募集している」と騙されて高雄港からアンダマンに連れて行かれました。私はとて も辛い思いをしました。約束が違ったのですが、アンダマンは、離島で逃げたくても逃げ られず、そこに1年2ヵ月くらい居ました。その軍隊は海軍の石川部隊でした。

その後、「新しい女性と交代する」ということで私たちはジョホールに連れて行かれた のですが、台湾に帰る船も、サイパンに行く船もなくて魏の妻にそこに置き去りにされ ました。


アンダマンに行ったときに、21名いた女性たちは今はみんな死亡し、私だけ が生き残っています。そこでの経験は、誰にも話せない恥ずかしいものでした。台湾に返 ってから叔父にはそのことで」いじめられ、私は故郷には居られずあちこちを放浪し仕事 を探して暮らしました。50年以上の長い間若いときのことで辛い目に会い続けでした。

今は年とって働けなくなりました。

台湾の政府から、毎月1500元をもらって暮らしていますが、私はこのお金は日本の 政府が出すべきだと考えています。


私は55年間も黙っていた事実を話すのは、日本の若い人にこの事実を知ってもら いたいし、日本の政府に日本の兵隊のしたことを、私の長い苦しみの被害弁償をしてもら いたいからです。


私は、これ以上話すのが辛いのでもう終りにします。

マリサ
同じ人物が1999年12月、つまり朝日の記事の5年前の証言では「18歳のとき、魏という人の妻に「看護 助手を募集している」と騙されて高雄港からアンダマンに連れて行かれました」と主張していて、警官ではなく「魏という人の妻」に騙されたと証言しているんだぜ。


レイム
ああ、2004年の証言では「日本人の警官」に「学校に送っていく」と騙され拉致されたとなっていたのが、1999年の証言では「魏という人の妻に看護 助手を募集していると騙されて」となっているのね。
しかも証言通りならば、1940年時点でイギリス軍が駐留していたアンダマン諸島に「海軍の石川部隊」が駐留していたことになってしまうわね。



マリサ
朝日新聞は「証言は正しい」という前提で話を進めているよな。
そして次の事例でも

韓国 元慰安婦たち、静かに寄り添って
朝日新聞 2006年03月02日
https://web.archive.org/web/20060314084843/http://www.asahi.com/kansai/kataritsugu/OSK200603020051.html

 ソウルからバスで1時間の広州(カンジュ)。小雪が舞う町はずれの山あいに「ナヌムの家」はあった。ナヌムとは「分かち合い」。日本軍に性暴力を受けた元慰安婦9人が助け合い、静かに暮らしていた。

     ◇

 「やっと平穏な生活を手に入れることができた」。李玉善(イ・オクソン)さん(78)はオンドルのついた8畳ほどの個室で編み物をしていた。「家」に来たのは6年前。戦後55年間、連行先の中国で暮らしていたという。

 「無理やり連れて行ったうえ、戦争が終わっても、ほったらかし」。編み物をやめ、語気を強めた。

 韓国南東部の蔚山(ウルサン)で、住み込みのお手伝いとして働いていた42年、大通りを歩いていると、背の高い男2人に突然、両脇をつかまれた。トラックに放り込まれて両手両足を縛られ、口をふさがれた。連れて行かれたのは中国東北部の延吉。電気の流れる鉄条網に囲まれた飛行場で草刈りや滑走路の掃除をさせられ、食べ物は小さなパンだけだった。

 「こんな所では働けない」。抗議すると、3畳ほどの部屋が並ぶ土やれんがの建物へ。風呂に入れられ、着物や足袋、げた、布団を渡された。「これはお前らの借金。稼いで返せ」。その日から「トミコ」と呼ばれ、兵士らの相手を強いられた。

 多い日は40~50人が列を作った。ある時、階級の高い兵が入ってきた。避妊具を使おうとしないので拒むと、殴られて短刀で腕を刺された。

 戦争がいつ終わったのかは知らないという。ある日、日本兵が「ここは危ない。一緒に逃げよう」と山に連れ出した。だが、女性たちを山に残したまま去った。山を下り、知り合った北朝鮮出身の男性の後妻になった。子どもはできなかった。

 「もう一度、家族に会いたい」。夫が亡くなり00年、韓国に戻った。両親はすでに亡くなり、自分の死亡届も出されていた。生きていると認めてもらうのに2年近くかかった。

 「慰安婦を認めようとしない日本人は、私たちが死ぬのを待っているんじゃないか」。李さんの言葉は、取材する私の胸に突き刺さった。

     ◇

 李さんの隣の部屋で暮らす金君子(キム・グンジャ)さん(79)。「私は天涯孤独。この世に生きて、何も残すものがない」と、硬い表情で天井を見つめた。

 幼い時に両親が死んで養女に。17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。列車で連行されたのが旧ソ連国境近くの中国・琿春。慰安所だった。

 「ジュンコ」と呼ばれ、日本兵の相手をする毎日。「死にたい」。首をつったが、ひもがちぎれて未遂に終わった。そのアザを見つけた日本兵が殴りかかってきた。日本語で返事できないと短刀で足を刺された。

 ある日、銃声がやみ、飛行機の音も聞こえなくなった。日本兵が「お前ら好きにしろ」と言う。慰安婦たち7人で40日ほど、祖国を目指して歩き続けた。畑で大根を盗んで食べた。手をつないで中国国境の豆満江を渡った。一番端の女性の手が離れ、流された。誰も助ける力がなく、じっと見ていた。

 故郷に戻ったが養家には帰らず、友人宅に居候した。連行を知っていたはずなのに何もしてくれなかった巡査の養父に、不信感を持っていた。

 数日後、昔の恋人が訪ねてきた。すでに結婚していたが、「親のために結婚した。一緒に住まないか」と告げられた。部屋を借りて同居したが、3カ月後、恋人は周りから責められ自殺した。

 恋人の子を身ごもっていた。生まれた女の子は5カ月後に死んだ。働いたり寺で修行したりと、各地を転々。ナヌムの家にたどり着いたのは98年のことだという。

 「慰安婦を知らない人が増えた。日本だけでなく韓国でも……」。金さんの顔が一層悲しく見えた。

     ◇

 「行きましょ」。取材後、李さんに食事に誘われた。日本語だった。人生を変えた日本。本当は私の顔を見ることも、日本語を聞くことも嫌だろうと思っていただけに、ちょっと救われた気がした。だが、彼女の日本語は植民地支配の証しでもある。過酷な体験と今も続く偏見に、口を閉ざす元慰安婦もいる中、李さんと金さんは服をめくり上げて傷跡を見せてくれた。「歴史の事実を忘れてほしくないから」と語り続ける彼女たちは、今も日本の戦争と闘っている。そう感じた。(深松真司)

マリサ
2006年3月の記事で朝日新聞は韓国の「李玉善(イ・オクソン)」という人物の証言について記事を書いていて、「住み込みのお手伝いとして働いていた42年、大通りを歩いていると、背の高い男2人に突然、両脇をつかまれた。トラックに放り込まれて両手両足を縛られ、口をふさがれた。連れて行かれたのは中国東北部の延吉」と書かれているぜ。


マリサ
でも2005年6月に東京で高校生を招待して開かれた「平和のつどい」というイベントでは

東京の高校生 平和のつどい
暗川 2005年 11月 20日
https://web.archive.org/web/20060516222345/http://lumokurago.exblog.jp/d2005-11-20

「東京の高校生 平和のつどい」に行ってきました。写真は高校生の感謝の言葉を聞くハルモニ。

オウプニングに「翼を下さい」などとともに「ねがい」が歌われ、最後にみんなで歌おうと呼びかけられました。
スライドを使った「侵略戦争の実態」(元日本兵や中国の方の証言を交えた朗読)の後で、元「従軍慰安婦」キム・グンジャ(金君子)さんからの証言がありました。

キム・グンジャハルモ二は初めて日本に来て、初めてご自分の人生について話してくださったのです。

「私は初めて日本に来ました。この中には「慰安婦」を否定している人もいるかもしれません。また、このような会を妨害する勢力もあったかと思いますが、みなさんがこんなに集まってくれたことに感謝いたします。日本に来るまで不安でしたが、こんなに集まってくださって、心が軽くなりました。

私は10歳で父、14歳で母を亡くし、孤児でした。あの頃はみんなそうでしたが、大変な暮らしで、他人の家に働きに出て日銭を稼いでいましたが、16歳の時、チョロンの巡査の養女になりました。その頃、私にはボーイフレンドがいましたが、結婚できませんでした。1942年3月、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。

中国・ソ連・朝鮮の国境近くのコンシュンというところに金曜日に連れて行かれ、土曜日の午後にはもう軍人の相手をさせられました。日本語がわからなかったので、やれといわれたことができず、されるままになっていたので、左の耳を殴られて、今でも聞こえません。

翌日曜日には朝から軍人がずらっと並びました。コンドームを使うきまりでしたが、使わない軍人が多く、次から次へと相手をさせられ、涙を流しながら死ぬにも死ねず、やらされました。細かいところまで話すと長くなるし、今でも恥ずかしいので話せません。
コンシュンに1年半いました。死ねたらどれほどよかったか・・・。

その後、戦況が激しくなってコンシュンにいられず、コガシに移りました。戦争がひどいところで、民間人はおらず、空き家のみで、砲撃や飛行機の飛び交う音、銃撃の音が聞こえる戦場でした。

マリサ
「私は10歳で父、14歳で母を亡くし、孤児でした。あの頃はみんなそうでしたが、大変な暮らしで、他人の家に働きに出て日銭を稼いでいましたが、16歳の時、チョロンの巡査の養女になりました。その頃、私にはボーイフレンドがいましたが、結婚できませんでした。1942年3月、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。」と証言しているんだぜ。


レイム
「住み込みのお手伝い」をしていたという内容が、「チョロンの巡査の養女」と変わっていて、しかも、「大通りを歩いていると、背の高い男2人に突然、両脇をつかまれた。トラックに放り込まれて両手両足を縛られ、口をふさがれた」となっていたのが、「養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました」と変わっているわね。



マリサ
そして次に、2013年時点で韓国のナヌムの家のホームページに書かれていた内容として

李玉善(イ・オクソン)の証言
やましょき  2013-9-14
https://web.archive.org/web/20130927165827/http://yamushokey.com/modules/picoarchive/content0051.html


(一部抜粋)
玉善が十五,弟(妹)たちがそれぞれ 7歳,5歳,4歳だったある日だ。

お母さんが静かに 玉善を呼んだ。

釜山津駅オドメでうどんを売る食堂があるのだけど,主人に娘がいなくて、養女を欲しがっているが、行くか?

そっちへ行けば学校に通わせてくれるんですか?

そう,そこはご飯も自由に食べることができるし,学校にも通わせてくれると言ってくれてる。

それでは行きます。

これで少女、玉善は食堂に養女に行った。

しかし学校に通わせてくれるという話は真っ赤な嘘だった。養女でもなかった。朝鮮の主人はあらゆる下動きはもちろん酔客の接待までさせた。玉善はお酒の接待を拒否して二回も逃げて、非道く殴られたりした。

それから、数ヶ月の内に、そこの主人は他の居酒屋に玉善を売ってしまった。その店は、芸者の置屋だった。ここでも玉善は夜 12時まで、あらゆる下動きをした。とても大変で、夜に布団の中で枕を濡らしたこともあった。

ここ来てから、まだ1年もならないうちに、満洲まで連れてこられた。
というのは、芸者の置屋さんでおつかいに出された時、白昼大道で拉致にあったのだ。
その時、 42年 7月,玉善は年十六(満15歳)だった。

白昼に強制拉致

午後におつかいに出たが、40歳を過ぎたように見える太っている朝鮮男 2人が手首をぱっと引っ張って、有無を言わさず、力ずくで私をトラックに押し込んだ。

朝鮮チマチョゴリを着たままトラックに積まれて蔚山駅に行ったら、他にも女達が連れてこられていた。

蔚山駅で汽車に乗って二日位かかって倒文に到着した。女達は(貨物室)にのせられたが窓がなくてどこに行く分からなかった。ご飯も食べさせて貰えなかった。

汽車を乗り換えるのであれば、逃げることもできると期待したが、一度も乗り換える事なしに倒文に到着した。

一緒に来た女達は 15人ほどだった。そのうちには十四歳の娘も居て、玉善とおない年の者もいた。みなで汽車から飛びおりて死のうという話もしたが決行することができなかった。

倒文に到着して玉善を含んだ 5人は駅の近くの留置場に監禁された。ここでまたひと晩を寝たが特に玉善だけは独房に監禁した。その理由は今もわからない。あの時もご飯は与えて貰えなかった。

マリサ
こちらの証言では、実母から「釜山津駅オドメでうどんを売る食堂があるのだけど,主人に娘がいなくて、養女を欲しがっているが、行くか?」「そこはご飯も自由に食べることができるし,学校にも通わせてくれると言ってくれてる」と言われ、食堂の養女になったと書かれているぜ。


マリサ
そして、「しかし学校に通わせてくれるという話は真っ赤な嘘だった。養女でもなかった。朝鮮の主人はあらゆる下動きはもちろん酔客の接待までさせた。玉善はお酒の接待を拒否して二回も逃げて、非道く殴られたりした」その後満州の「芸者の置屋」に売られ、「午後におつかいに出たが、40歳を過ぎたように見える太っている朝鮮男 2人が手首をぱっと引っ張って、有無を言わさず、力ずくで私をトラックに押し込んだ」と書かれているぜ。


レイム
この証言では、そもそも実母が死亡して養女になったという設定が存在しなくて、実母に騙されて養女になり、その後芸者となり各地を転々とし、満州で朝鮮男2人に拉致されて慰安婦になったと書かれていて、警官や軍人の設定もどこかに行ってしまっているわね。


マリサ
そして次に、ファイトフォージャスティスという慰安婦支援団体のページにある証言によると

被害者の証言からみた慰安所連行状況
FIGHT FOR JUSTICE 日本軍「慰安婦」─ 忘却への抵抗・未来の責任
https://fightforjustice.info/
https://fightforjustice.info/wp-content/uploads/2013/07/%e9%80%a3%e8%a1%8c%e4%b8%80%e8%a6%a7.pdf

李玉善 1942(15) 延吉(満州) 買い物に行く途中で日本人と朝鮮人の男に捕まり、トラックの荷台に押し込まれた。

マリサ
「買い物に行く途中で日本人と朝鮮人の男に捕まり、トラックの荷台に押し込まれた」と書かれていて、「朝鮮男2人」という設定が変わってしまっているぜ。


マリサ
更に、2014年にアメリカメディアで紹介された内容では

慰安婦」が韓国から訪米、ユニオンシティの献堂式記念碑の除幕式に参加
AdvanceLocal(英語) 2014.8.15
http://www.nj.com/hudson/index.ssf/2014/08/comfort_woman_fly_in_from_korea_to_join_in_union_city_dedication_monument_unveiling.html

イ・オクソンは15歳のとき、第二次世界大戦中に韓国の自宅から大日本帝国陸軍に連れて行かれ、「慰安婦」、つまり日本軍の性奴隷になりました。

同様に、イル・チョル・カンも、戦争中に人身売買の対象となるために自宅から連れて行かれた20万人の少女の1人でした。

数千人の「慰安婦」が、1日に約50〜200回兵士に性的虐待を受けた後、殺害されました。

現在、87歳と86歳のそれぞれの年齢で、彼らが耐えた苦しみからまだ心が痛い状態で、2人の生存者は韓国から飛んで来て、韓国系アメリカ人と協力して、ユニオンシティ市長ブライアンP.スタックと市の委員会に加わりました。今日の正午にリバティプラザで「慰安婦の碑」の記念碑を発表するための市民のエンパワーメント。

「私たちは、日本政府によって盗まれた私たちの盗まれた名誉と尊厳を取り戻すためにここにいます、そして私たちがまだ生きている間に今これを行うことができます」とリーは通訳を通して言いました。

式典は、目隠しされ、鎖でつながれ、殴打された女性のグラフィック像をフィーチャーした「OurCry」の美術展に囲まれていました。

「それについて何か快適なことがあったと本当に信じますか?」李承燁は、慰めという言葉でラベル付けされることに怒りを表明した。「私たちは強制的に連れ去られました、なぜ彼らは私たちを慰安婦と名付けたのですか?私はそれにとても不公平を感じます。」

ルシオ・フェルナンデス委員は、それを「上から」と呼んでいる芸術の批評家を爆破しました。

フェルナンデス氏は、「11歳の少女30万人が1日に50〜200回レイプされていると考えている」と述べた。「私たちのほとんどが世界を見ている間、ナイジェリアで200人の少女が誘拐されていると考えている。カップ。その上には、中東の少女の性器切除があります。その上には、毎日インドで輪姦され、ここユニオンシティで中央アメリカからの捕虜の若い女の子でいっぱいのバーを見つけて売春を強要されている1日あたり300人の女の子がいます。」

現在、フェルナンデスが「ユニオンシティの中心」と呼んだリバティプラザの真ん中に、「慰安婦」の記憶に捧げられたプラークが付いた蝶の彫刻が岩の上に取り付けられているのを見ることができます。フェルナンデスによれば、記念碑は民間の寄付者によって完全に資金提供された。

スタックは、将来同様のイベントを繰り返さないように、この問題について若者を教育することの重要性を認めました。サンドラ・カニンガム州上院議員は、歴史を共有し、これらの女性にいくらかの尊厳を取り戻す必要性について話しました。

しかし、被害者自身にとっては、60年経った今でも、彼らが感じる恥は日常生活の中で残っています。

「私はまだ非常に恥ずかしくて恥ずかしいと感じています」とカンは通訳を通して言いました。「これらの悲惨な悲劇をあなたと分かち合うことは私の心を壊します。」

カンは、戦争が数年続いた後、「コンフォートハウス」から家に帰ることができず、ついに家に帰ると、家族全員が死んでいることに気づきました。涙を流しながら話した話です。

女性たちは、別々の説明で、それぞれが「コンフォートハウス」に住むことを人間に適さない場所として説明し、リーはそれを食肉処理場とさえ呼んでいた。

ジャージーシティのWomenRisingもこのイベントに参加し、メンバーのマーガレットエイブラムスは、記念碑が被害者に支援を求め、他の人に犯罪活動を報告し、人身売買をやめるよう促すと説明しました。

このイベントでは、「コンフォート」 のキャストからのキャットJ.レーンによる演劇の詩と、スメタナモルダウを演奏するハープに乗った12歳のスビンリーも登場しました。

李承燁は、「慰安婦」の悲劇が存在したことを認めるために、日本に正式な謝罪を要求することで、彼女の説明を終えた。彼女は、日本は女性の草案に強制はなく、女性はよく扱われ、お金を稼ぐために自発的に売春婦だったと言っていると主張している。

「私たちにはこれを自分たちで解決するのに十分な力がありません」とリーは彼女の要求について語った。「だからこそ、私はここにいて、ずっとアメリカに来ました。日本は私たちの要求に耳を傾けておらず、アメリカに置かれている記念碑に反対しているからです。あなたの助けをお願いしたいと思います。できるだけ早くこれを解決するために。」

マリサ
「15歳のとき、第二次世界大戦中に韓国の自宅から大日本帝国陸軍に連れて行かれ、「慰安婦」、つまり日本軍の性奴隷になりました」と書かれていて、買い物設定や養女設定、芸者の置屋設定などがどこかへ行っているぜ。


マリサ
更には2019年の神奈川新聞の記事では

少女像巡る首長発言に抗議 元慰安婦、川崎で証言
神奈川新聞 2019年10月6日
https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-200064.html

旧日本軍慰安婦の韓国人女性、李玉善(イ・オクソン)さん(92)が5日、川崎市内で自らが受けた被害を証言した。慰安婦の歴史を否定する言説がまかり通る中、市民団体の集会に合わせて急きょ来日。「日本政府はきちんと反省し、公的な謝罪と賠償をしてほしい」と訴えた。

 ソウル近郊で共同生活する李さんら元慰安婦ドキュメンタリー映画「まわり道」の上映会に合わせて来日した。主催の「川崎から日本軍『慰安婦』問題の解決を求める市民の会」によると、あいちトリエンナーレで平和の少女像の展示が相次ぐ脅迫で中止に追い込まれ、慰安婦の歴史を否定する首長の発言を知り、証言することを決意したという。

 満場の約180人が詰めかける中、李さんは「私たちは『慰安婦』ではない。日本人が勝手に名付けたもので、強制的に軍人の相手をさせられた強制労働の被害者だ」と訴えた。

 14歳だった1942年7月、朝鮮半島東南部の蔚山で2人組の男にトラックに押し込められ、中国の慰安所へ連れて行かれた。時折苦しそうな表情を浮かべながら「1日で40、50人の相手をさせられ、耐えられずに自ら命を絶つ人もいた。拒否すれば軍人に刀で刺し殺された。慰安所は実際には死刑場のような所だった」と証言した。

 介助者に車いすを押してもらい、看護師同伴で来日した。上映会に先立つ記者会見では「安倍(晋三首相)に会いたい一心で来た。謝罪を直接求める。皆さんの力で会えるよう取りはからってほしい」と呼び掛け、「強制的な状況に置かれていたのだから謝罪と賠償を求めるのは当然。日本政府が強制したのではないと言い張るのは耐えられない」と思いを吐露した。

 歴史否定の発言は首長からも相次ぐ。慰安婦を象徴する少女像を巡っては、悲劇を繰り返さぬよう願って創作されたものであるにもかかわらず、河村たかし名古屋市長が「日本人の心を踏みにじる」と敵対視。松井一郎大阪市長は「慰安婦の問題というのは完全なデマ」と発言、神奈川県の黒岩祐治知事も「事実を歪曲(わいきょく)したような政治的メッセージ」と曲解を重ねる。

 「少女像は私たち自身。歴史を記憶するための像になぜ反対するのか」と李さん。「自らやった悪いことをなかったと言い、私たちの身に起こったこともなかったと言う。許されないことだ」と語気を強めると「その結果が今の日韓の対立だ。歴史に向き合わずに政治的、経済的圧力をかけている」と断じた。

 記者会見を含め約1時間の証言を李さんは「日本政府は私たちが死ぬのを待っているとしか思えないが、死んでも問題はなくならない。次の世代が解明してくれる」と結んだ。元慰安婦の女性たちが共同生活を送る「ナヌムの家」の安信権(アン・シンクォン)所長によると「韓国では若い人の関心が膨らんでおり希望的雰囲気がある」といい、「慰安婦」ではなく「日本軍性奴隷制度被害者」と呼ぶようになるなど人権意識の高まりを指摘した。

マリサ
「14歳だった1942年7月、朝鮮半島東南部の蔚山で2人組の男にトラックに押し込められ、中国の慰安所へ連れて行かれた」と書かれていて、満州の話が蔚山に戻りり拉致設定だけ復活しているぜ。


マリサ
そして最後に2020年の朝日新聞の記事では

慰安婦の半生描いた漫画、各国語に翻訳 日本でも出版
朝日新聞 2020年3月21日
https://www.asahi.com/articles/ASN3P3C64N3JUTIL047.html

 韓国人元慰安婦の李玉善(イオクソン)さん(92)の語る半生を描いた漫画「草」の日本語版が出版された。韓国語から各国語に翻訳され、480ページに及ぶ大著は「静かで悲痛、息をのむほど印象的」「描写に力がある」と評価され、米英仏各国で新聞社主催の漫画賞を受賞した。

 著者は韓国出身の金(キム)ジェンドリ錦淑(グムスク)さん(48)。ソウル郊外にある「ナヌムの家」を訪れ、李さんから話を聞く形で物語は進む。

 1942年。奉公に出された李さんは、買い物へ行く途中で男に連れ去られた。韓国南部の蔚山(ウルサン)から中国東北部(旧満州)・延吉の日本軍慰安所に送られた。戦後も半世紀以上にわたって中国にとどまった。
(後略)

マリサ
「奉公に出された李さんは、買い物へ行く途中で男に連れ去られた。韓国南部の蔚山(ウルサン)から中国東北部(旧満州)・延吉の日本軍慰安所に送られた」と書かれていて、当初の設定に近い内容に戻っているぜ。
朝日の初期の記事にあった「中国東北部の延吉。電気の流れる鉄条網に囲まれた飛行場で草刈りや滑走路の掃除をさせられ、食べ物は小さなパンだけだった」「抗議すると、3畳ほどの部屋が並ぶ土やれんがの建物へ。風呂に入れられ、着物や足袋、げた、布団を渡された。「これはお前らの借金。稼いで返せ」。その日から「トミコ」と呼ばれ、兵士らの相手を強いられた」という初期設定はどこかへ行ってしまったがな。


レイム
証言が度々変わるというと李容洙って人物が有名だけど、この李玉善(イ・オクソン)って人も相当ね。
というか、朝日新聞が何一つ検証ってものをしていないのが時系列でみるとよく分かるわね。


マリサ
あとな、これは次回のパート2の方で扱うが、証言のいくつかにある「養女」について、当時の警察資料をもとに朝鮮の文化を検証した京都大学大学院文学研究科現代文学部の資料によると、私たちの考える「養子」とは全く別の概念が見えてくるんだぜ。


レイム
まあ、その辺りは来週って事ね。

今回のまとめ

朝日新聞は韓国側の慰安婦の定義や慰安婦報道の問題点について論点のすり替えで誤魔化している
・証言の「検証」はほぼ行われていない

マリサ
それでな、今回の事から解るのは、朝日新聞は「韓国側の公的な慰安婦の定義」を誤魔化しつつ、「韓国政府や挺対協が証言は検証されていると言っている」という事を根拠に、「証言は正しい」という前提で慰安婦報道の釈明を行っていて、実際には何の証明もできていないって事だぜ。


レイム
確かに、「吉田証言以外は問題が無い」と言っているわりに、その根拠が「韓国政府や慰安婦団体は正しいと言っている」では、ただの権威論証で何の証明にもなっていないわね。


マリサ
そうだぜ。
しかも過去に朝日自身が報じた「慰安婦の証言」がこれだけ矛盾だらけという事は、自社報道の検証すらしないで釈明会見を行ったって事だぜ、


マリサ
それでな、こんな動画を「記者」が見ているとはおもえんが、それでもあえて問いたいことがあるんだぜ。


レイム
どんな事?


マリサ
もし、政府や公官庁、政治家、或いは企業・著名人などが、不祥事や疑惑の件で今回紹介した「朝日新聞と同レベル」の検証や釈明を行ったら、大手・フリーに関わらず、記者達はそれ受け入れるのかって事だぜ。


レイム
ああ、それは確かに知りたいわね。
実際に今回の朝日の件では、容認しているのか黙認しているのかは知らないけど、「何も言っていない」のは紛れもない事実なのだしね。


マリサ
そういう事だぜ。
そんなわけで今回の本編はここで終わるぜ。


レイム マリサ
ご視聴ありがとうございました。


大口
おつかれ~


大口
今回は2部構成のパート1なのでおまけはないよ。


レイム マリサ 大口
またらいしゅ~




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