日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国式「デウス・エクス・マキナ」


さて、本日は「自らの行いすら他者のせいにしてしまう」傾向の強い韓国社会の特徴に関連した内容となります。


本文に入る前に、「デウス・エクス・マキナ」について知らない方のためにざっと説明をします。(本格的に書くとどちらが本題か解らなくなってしまうので、かなりざっくりです)


デウス・エクス・マキナとはラテン語で「機械仕掛けから出てくる神」という意味で、こう書くと何かかっこいいように聞こえますが、意味は演劇等における演出法の一種です。


元々は古代ギリシャにおいて、演劇などの劇中で話が入り組んでしまい「オチ」が困難になったときに、絶対的な力(神)や権力を持った存在、或いは全体像を知るものが現れて物語を収束させ(時にどんでん返しで)解決に導き出す或いは文字通り「オチをつける」演出から来ています。


このときの演出法が、機械の仕掛けによって神様役が現れて裁定を下すと言う仕組みであったため、この演出が「機械仕掛けから出てくる神」と呼ばれるようになったわけです。


身近な例では、水戸黄門の印籠、遠山の金さんの桜吹雪、アニメやマンガなどで主人公が使う必殺技、などがこのデウス・エクス・マキナに相当します。


韓国では、近年の民族主義の先鋭化に伴い「自分達は優れた民族である」という認識が広まり、それに見合った権威や国際的賞賛を得ようと「輝かしい歴史」や「輝かしい文化」の創作が頻繁に行われている。


しかし、それはあくまで「想像上の物語」である場合が多いため、粗や矛盾点がどうしても出てきてしまうわけだが、こうした粗や矛盾点を韓国では「日本が原因だ」とすることで「オチ」をつけ粗や矛盾を解消するという手法、つまり実社会における「デウス・エクス・マキナ」が頻繁に利用される。


また、歴史関連での「創作」以外でも、様々な社会の問題点を「日本のせいだ」とすることで解決した事にしてしまう事例も多く、こうした韓国の行いが日本との間に更なる問題を引き起こす場合も多い。


※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:「全ては日本のせい」という考え方


まず、彼らがどのような心情から「日本のせいだ」と考えるようになるのか、その元となる発想の記事を紹介します。


[ビバ100]"外国人たちが着物に賛辞を送ることにかっとしました"
ブリッジ経済新聞(韓国語) 2016-05-23
http://www.viva100.com/main/view.php?key=20160522010006489

大学でファッションを専攻した。大学卒業前、英国ロンドンを訪れた。 デザイナーの専攻者で、彼らのファッションを見て研究することはある意味で日課だった。一日はロンドンハロッズ百貨店を訪れた。そこで「かっ」となった。日本伝統服である着物展示館の前で英国人が賛辞を送っていた。線がきれいだと言った。華やかだと言った。彼女の心の底から何かが噴き上がった。重苦しくなるほどだった。

その場から簡単に離れることができなかった。 そして心の中で何度となく吐き出した。
「私たちの服がもっときれいで美しいのに…」

韓国に帰って来る飛行機でその光景が頭の中を離れなかった。何度も繰り返し、何度も考えた。「東洋の神秘」を着物に見出した彼らを受け入れるのが難しかった。自分の固執なのか、韓国人特性の自尊感なのか、はっきりしなかった。 ただ悔しかった。
(中略)
キム名匠は韓服が世界で最も美しい服だと固く信じている。しかし、依然として低い認識は不自由だ。隣国の日本は、政府や人々が着物に投資する費用が少なくない。

「日本人は数千万ウォンもの着物を購入するためにバイトをする若い人も多いです。ところが、私たちは韓服に対する価値を理解するどころか、むしろ貶める人もいます。韓服が記念日にだけ着る服でなく、文化的価値と認められるように多くの人が認識を変えてくれたらと思います。」

キム名匠には今年から「韓服研究家」という肩書がもう一つ生まれた。 韓服を作ることができる素材を探して全国を駆け巡っている。また、TV放送に出演してドラマで韓服の諮問活動もしている。このすべてが韓服が世界へ広がっていく重要な要素と考えた。

「韓服の色は自然から探します。韓服を着るのは自然を着ることです。私が、韓服が世界で最も立派な服だと信じる理由の一つです。ハロッズ百貨店に韓服展示館を作るという目標はまだ捨ててないです。」



上記記事は、「本来和服よりも韓服のほうが優れているのだ」という前提のもと、韓服が正当な評価を受けていないと感じているという内容です。
多くの場合、韓国式デウス・エクス・マキナはこの発想から始まります。


なぜ「優れているはず」の韓国文化が「劣っているはず」の日本文化よりも国際的評価が低いのか、という「矛盾」から始まり、そこで殆どの場合「韓国内部の問題」を考慮せずに演繹法で思考し「日本の植民地支配の影響だ」との発想に行き着きます。


そして、「なぜ日本の植民地支配のせいなのか」という問いに対して頻繁に使われるのが、「日本による文化抹殺政策で優れた韓国の文化が抹殺されたからだ」或いは「日本の悪習が伝わったからだ」との結論です。
これが韓国式デウス・エクス・マキナの正体です。


以前から書いているように、韓国では根拠を必要としない「主観的・絶対的正しさ」を前提として思考する場合が多いため、たとえ個別に問題があったとしてもそれを全体の問題に関連付ける事ができず、原因を内側に見出す事ができないのです。


更にこうした問題の場合、韓国では一般的に「日本の文化は韓国文化の劣化コピーであり低俗である」との認識があるため、一般的な韓国人は「本来ならば韓国文化は日本文化よりも世界から評価されるはず」なので、評価されないのは何か外部に問題があるはずだと考える傾向にあることも関係しています。


実際のところどうなのかと言えば、韓服の事例を見てみると、そもそも国際評価以前の問題として、実は韓国内で韓服があまり受け入れられていないという背景があり、国内で受け入れられていないものが国際的に受け入れられるわけがない、実態はただそれだけなのですが。


韓国の若者「韓服、不便だから名節に着ない」 中央日報 2016年02月05日


しかもそれだけではなく、現在の韓服は皆染色されているのですが、韓国では度々「日本統治時代に伝統的な白衣文化が禁止され伝統衣装が染色された」という記事が民族主義の高揚のために書かれることがあり、韓服そのもののアイデンティティーが定まっていないのです。


植民支配時代の白衣民族抹殺政策示す1930年代の写真を発見 中央日報 2005年08月09日

(※1)
【天地日報-日本侵略史]伝統衣装染色強要(1932年) 天地日報(韓国語) 2015.05.14


あまりにも韓国式デウス・エクス・マキナ=日本による文化抹殺政策説が便利に使われすぎているため、この手法そのものが更なる矛盾を作り出してしまっているのです。


こうした韓国式デウス・エクス・マキナの乱用は頻繁に見られ、以前にも紹介した事がありますが、過去韓国は南大門が放火で消失する前には、「南大門は文化財として優れているわけではないが、日本が嫌がらせで朝鮮を代表する国宝にしたのだ」という趣旨の記事が全国紙に掲載された事があります。


【噴水台】国宝の家 中央日報 2004年10月19日


そしてその後南大門が放火で消失し、文化財保護の世論が高まると今度は「南大門を含め文化財の管理が杜撰なのは親日派文化財を管理してきたからだ」という主張が登場します。


(※2)
[パク・チョンヒコラム]文化財冷遇根本の背景は 慶南道民日報(韓国語) 2008年2月20日


韓国において最も重要なのは、客観性や根拠よりも「そのときの感情」です。
そして皆が皆そのときの感情で韓国式デウス・エクス・マキナを利用するため、矛盾を収束させるつもりが更なる矛盾を作り出すという事態に陥っている事例すらあるのです。


2:社会の問題も全て「日本のせい」


こうして韓国は、発生した矛盾を全て「日本のせい」とすることで解決した事にしてしまうわけですが、この習慣は何も歴史関連だけではなく社会問題などでも発生しています。


たとえば、韓国が文化財や文化そのものに強い関心を持つようになったのは、経済が発展し民族主義が先鋭化し始めた1990年代後半から2000年代前半頃の事です。
そしてこの頃国外へ観光や仕事、或いは移民などで出て行く韓国人が増えた結果、「日本文化は受け入れられているのに韓国文化はまるで知名度がない」という事実を知った事も関係してます。


こうして韓国は民族主義の観点、そして「日本文化が評価されていて韓国文化が評価されないのはおかしい」という発想から文化財や文化に関心を持つようになって行ったわけですが、ここでも彼らは「なぜ過去韓国では文化や文化財が注目されなかったのか」という事を「日本のせいだ」としています。


【時論】文化アイデンティティ生かしてこそ経済も再生する=韓国(2) 中央日報 2015年05月26日


要するに、韓国で文化財が省みられなかったのは、急速な経済発展というだけではなく「日本の文化抹殺政策で韓国文化に関心がもてなかったからだ」としてしまっているのです。


つまり、自分達が文化をないがしろにしてきた責任すらも日本のせいにして「解決した事」にしたわけであり、韓国社会にある日本への悪感情はこうして形成されて行くという事情もあります。


更には、以前から何度か書いているソメイヨシノ韓国起源説すらも、「王桜は韓国固有の土地産木というが、現在楽しんでいる桜の花は日帝強制占領期間に、私たちの民族抹殺政策に基づき、日本がムクゲを切って代わりに桜の花を植えたものだ。」と、何でもかんでも文化抹殺、民族抹殺につなげて考える思考が社会に定着してしまっています。


(※3)
[キム・サンフィ風景の音]桜の花祭りでない春の花祭りとしなければならない スポーツ・ワールド(韓国語)  2015-04-22


また他にも、韓国で酒税法の改正が行われたときには、政府高官が記者会見で「焼酒が庶民のお酒になったのは、日帝が我が国の伝統酒を無くして酒専売権を握る中で出た、日帝の残滓だ」と言い出し、逆に批判された事例があります。


(※4)
「焼酎が日帝残滓?」長官の説明に当惑 マイデイリー(韓国語) 2005-09-14


これは要するに、日本統治時代にできた酒税法を韓国がそのまま使い続けてきた結果時代に合わなくなっただけのものを、改正で焼酎の税率が高くなる事に対して批判が来ないように、予防線として「韓国式デウス・エクス・マキナ」を使った事例です。


要するに、「改正前の制度は日帝残滓だ」とすれば酒税法の改正も受け入れられると考えたのでしょう。


(ちなみに余談になりますが、朝鮮の「焼酎(ソジュ)」はモンゴル由来の蒸留酒であり、13世紀の高麗王朝の頃から記録がありますから、朝鮮の伝統酒で間違いありません。)


しかしさすがにソジュを日本産とするのは無理があったので、(厳密には前回書いたように、韓国の焼酎は大半が河内菌を使って醸造されているので、ある意味で日本由来ですが)むしろ余計に批判されたという珍しい事例です。


3:韓国式デウス・エクス・マキナの効果


このようにして、韓国は韓国社会の様々な矛盾を「日本のせいだ」とする事で解決して行くわけですが、今回書いたようにそれは更なる矛盾を次々と発生させて行きます。


元々デウス・エクス・マキナとは、終わりと始まりがある「物語」だからこそ成り立つ演出法にも関わらず、韓国はこの手法を実社会に取り入れたがために起きている現象です。


当たり前の事ですが、現実の世界には物語のように結末があって「はいおしまい、めでたしめでたし」というわけにはいきません、オチを付けようと何をしようとずっと「その先」があります。


結末があるからこそ成り立つ手法を、「結末のないもの」に適用するため、むしろ矛盾や粗を正すために行った行為が更なる矛盾や粗を作り出し、それをなんとかするために更に韓国式デウス・エクス・マキナの利用度が増えて行くという循環ができているのです。


そしてその結果、韓国社会のあらゆる粗や矛盾に何でもこの手法を使う事が習慣化しているわけですが、当然のことですがそれでは何の解決にもなりません、延々と矛盾を矛盾で上書きし続けるようなものです。


これは一見すると何の効果もない事をしているように見えますが、一つだけ効果があります。


それは、この韓国式デウス・エクス・マキナは全て一貫して「日本が悪いのだ」という「オチ」がつく仕組みになっているため、民族主義の先鋭化とともに子供の頃から日常的にこの演出法を目の当たりにしてきた若い世代の韓国人は、日本に対する潜在的な悪感情を持つ傾向が強いです。


これは通常の反日とは違い、政治的なものではないので目立たないうえに、本人たちにも反日という自覚がないのですが、たとえば韓国内で何か問題が起きると「日本の植民地支配の影響で」との発想を持ったり、日本の文化を見ると「朝鮮文化の劣化コピーでしかない」という発想を思考せずに反射的に感じてしまうケースが多いのです。


重要なのは、こうした発想をする韓国人達は大半が全くの無自覚であり、場合によっては悪意のかけらもないケースすらあるということです。


これは当然です、彼らは子供の頃から韓国式デウス・エクス・マキナを当たり前とする社会に生きてきたのですから、そもそも疑問を持つという発想そのものがないのです。


彼らにとってそれこそが自然な事であり、これはどうにかしようとしてどうにかなるものではありません、子供の頃からずっとそういう環境で育ってきた以上、もはや理屈ではないのです。


だからこそ彼らは日本人とは相容れないという面もあるわけです。



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(※1)
【天地日報-日本侵略史]伝統衣装染色強要(1932年)
天地日報(韓国語) 2015.05.14
http://www.newscj.com/news/articleView.html?idxno=290332

[天地日報=キム・ヒョンジン記者]日本は私たちの伝統文化を抹殺するために白衣民族だった私たちに白い服の代わりに色のある服を着るよう強要した。

白い服に固執すると、強圧的に墨汁と万年筆の染料をむやみにばら撒いて白い服を着られないようにした。

写真はこれと関連してあるキャンペーン行事を行っている。右側の垂れ幕には'色服奨励'、左側の垂れ幕には'白衣退散'と書かれている。

白い服を着ることが何の罪だろう。私たちの先祖の魂まで抹殺しようとした日帝の悪賢い計略だ


(※2)

[パク・チョンヒコラム]文化財冷遇根本の背景は
慶南道民日報(韓国語) 2008年2月20日
http://www.idomin.com/news/articleView.html?idxno=245146

崇礼門火災以後のマスコミ報道を見ると、数年前に文化財に関する記事を担当したときのことを思い出す。当時も文化財は発掘記事中心だった。「史上最大」「史上最高」という修飾語さえ入っていれば、まずは文化財記事としての要件は揃っているものとして扱われた。しかし、それだけだった。大々的に報道されてもちょっと世間の注目を集めるだけで、その後は冷遇されるのが常だった。
(中略)
とにかく文化財を担当した以上、勉強せねばならないので専門家を訪ね歩いた。慶尚南道文化財を紹介する「文化財探訪」というコーナーも作った。リストを元に毎週現場を訪れた。
(中略)
屋外の文化財の事情は一層悪かった。山腹にある城跡には立て札が一つかろうじて立っているだけで、どこからどこまでが城跡なのかも分からず迷わなければならなかった。もっと残念なのは内容が分かりにくいという点だった。一般市民たちがもっと親しく文化財に近付けるように内容を知らせたかったが、大変だった。特に、びっしりと漢文が刻まれた碑文を見て、「内容を解説しておけばいっそう文化財の価値が輝くはずなのに」と思ったことは一度や二度ではなかった。一部専門家の助けも借りたが、納得ゆくまでにはならなかった。

あの時から今までにも、たまに文化財は関心を呼び、あちこちで毀損され、火災に遭った。崇礼門火災が起こると、我が地域の記者たちも慶尚南道文化財を訪ね回った。間接的に見ても、数年前の当時と今とで文化財が粗末に扱われている状況に変わりはなかった。

哀痛と驚きは、余りにも多くの人が指摘したから重言復言する必要は無いだろう。ただ、過去も、そして今も変らず抱いている疑問がある。無残な姿をさらす崇礼門に向かって「間違っていた」「思いやりが無かった」と言って反省しているが、私たちはどうして、そのように文化財に対して思いやりが無かったのだろうか。今でも開発現場では、瓦屋根一つでも守ろうとする文化財保護と、こんな瓦屋根の何が重要なのかと言う地域住民との間の摩擦が少なくない。なぜだろう。我が民族が他民族よりも劣るからか?

そうではあるまい。答えにならないかもしれないが、私は我々の歴史的な背景影響が大きいと思う。長年の日帝統治、解放、米軍による軍政、軍事独裁、そして民主化…。激動を経ても、民族を裏切った勢力が歴史の断罪を受けていたら、そして歴史を正しく立てることが出来ていたら、私たちの文化財がそのように冷遇されることは無かったはずだ。私たちの文化を中心に置いて、きちんと発展をしてゆくこともできたろう。

しかし権力を掌握した親日残滓と、これに連なる独裁権力にとっては、私たちの文化なんかは重要ではなかった。生きてゆかねばならないという当時の現実的事情があったにせよ人々はこれを開発論理として十分に活用し、文化は後回しにされてしまった。為政者の責任が大きいという意味だ。

文化が関心を呼ぶ時もあることはある。対外的に民族的自負心を強調する必要がある時とか、広報パンフレットでも作る時には、我が国にもこんな固有の文化財があると言う。しかし保存と管理は誰の責任でもなかった。問題が起これば対策樹立を約束するが、その時だけだ。見に来る人がいれば整備するが、いなければ放置するわけだ。
(後略)

(※3)
[キム・サンフィ風景の音]桜の花祭りでない春の花祭りとしなければならない
スポーツ・ワールド(韓国語)  2015-04-22
http://www.sportsworldi.com/content/html/2015/04/22/20150422002123.html

毎年4月、桜の花が満開になる頃、鎮海(チンヘ)で開かれる軍港祭を始まりに‘桜の花祭り’が開かれる。しかし、‘桜の花祭り’ではなく‘春の花祭り’といってこそ我々の民族感情に合うと見る。

王桜は韓国固有の土地産木というが、現在楽しんでいる桜の花は日帝強制占領期間に、私たちの民族抹殺政策に基づき、日本がムクゲを切って代わりに桜の花を植えたものだ。こういう桜の花の経緯を知らず、ただ‘桜の花祭り’と言って楽しんでいる間、日本の右翼団体日帝侵奪時に作った道路や港湾がみな朝鮮の発展に役立ったので感謝すべきという話を堂々としているのだ。

彼らが道路や鉄道、港湾を作る時、私たち民族を総動員して強制徴兵し、人以下の悪辣な方法を動員して作ったもので、それを通じてすべての私たちの国富を侵奪して行ったことは見ぬふりをする狡猾な言葉だ。

第二次大戦で崩壊後、再び6.25戦争(朝鮮戦争)が起きて私たちの領土は焦土と化し、数百万の人命被害を受けたが、日本は米軍の軍需物資の製造基地になったせいで経済が生き返った有り難みを知らない。良い隣国として生きていくべきなのに今もときどき過去の侵略時代に私たちを統治したことを思い出し国際的均衡のために日本が韓国の世話をすべきという考えを捨てることができず、独島(ドクト、日本名:竹島)を自らの土地だと主張して自衛隊を軍隊と表現し海外派兵をしようと憲法を直している。

こういう現実では‘桜の花祭り’ではなく‘春の花祭り’と言うのが正しく、国会議事堂の後のユンジュン路にもムクゲの木も植えて民族精気を求めるようにしなければならない。まだ日帝侵奪の残滓があちこちに残っているが、私たちの歴史教育が不十分だからか、歴史が分からなくなりそうで心配だ。

国が今このようにあるということは祖国の独立のため犠牲になった烈士らの犠牲のおかげで、その魂を賛え、歴史観を明確にしなければならないだろう。常に他国を見下げる日本に対し精神的でも国防力でも強く出るようにすべきではないだろうか。現実はとても混乱して貧弱で歴史は繰り返すという言葉があるように再び日本に侵奪される可能性がある。

葬儀場の祭壇花で白菊が置かれるのも、釜山(プサン)相助という相助サービス会社が1987年、日本から相助サービスを持ってきた時、日本式の菊で祭壇を作ったのが今日、高位層でも知識人でも全国民がそれと知らずに菊の前に頭を下げている。我が国の国花ムクゲも白色があり、それを祭壇花にして大韓民国の精気を生かさなければならない。

日帝侵奪前まで私たちのムクゲは見事で大きかったが民族精気抹殺政策で交配によりムクゲがみすぼらしくて虫が多く、枯れれば不気味に見えるようにしたのだ。日本は自分たちの国益のためなら、互いに争っていても一つに力を合わせ対応するのに私たちは団結どころかかえって内紛を起こし力も分割して弱くなっている。韓民族不屈の精神を鼓吹しなければならないだろう。


(※4)
「焼酎が日帝残滓?」長官の説明に当惑
マイデイリー(韓国語) 2005-09-14
http://www.mydaily.co.kr/news/read.html?NewsID=200509141605251200 (リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20051028022058/http://www.mydaily.co.kr/news/read.html?NewsID=200509141605251200 インターネットアーカイブ
卞良均(ピョン・ヤンギュン)企画予算処長官が14日、焼酒税率引き上げは妥当だという趣旨の記者懇談会の席で、「焼酒(ソジュ)は日帝の残滓」と説明したことに対し、多くの人が当惑している。

マスコミの報道によれば卞長官は14日の記者懇談会の席で、「焼酒が庶民のお酒になったのは、日帝が我が国の伝統酒を無くして酒専売権を握る中で出た、日帝の残滓だ」として、「日帝によって強要された過飲文化を清算するために、酒税調整が不可避だ」と説明した。

しかし卞長官のこうした説明に対して、多くの人が当惑している。特に一般人は勿論、酒類業界の関係者らも、「焼酒が日帝残滓という理論は初耳な説明」と首を傾げた。

これについて最近国内最大焼酒製造メーカー「眞露」を買収したハイトの関係者は、「焼酒が日帝の残滓という客観的な根拠はない」と述べた。この関係者は 「ただし、全世界的に度数の低い酒類には低税率を、度数の高い酒類には高税率原則を適用するのが一般的なのに、韓国の場合ビールは度数が低いにもかかわらず高税率、焼酒は度数が高いにもかかわらず低税率が適用されてきた。こうした酒類税率政策は日帝時代に作られたものだという意味で、日帝の残滓という言葉を(長官が)使ったものと考えられる」と説明した。