日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

「伝統」を創作する韓国


さて、本日は韓国社会でたびたび行われる「伝統の創作」についてとなります。


韓国では、たびたび歴史書などの記述を曲解し、「(自分達の望む)かくあるべき姿」をつくりだしそれにそって「伝統」を創作してしまう傾向がある。


そしてこの創作過程で頻繁に引き合いに出されるのが日本であり、「日本の文化抹殺政策で奪われた伝統を取り戻した」とか「日本の文化は元々わが国の文化を模倣したものだ」という前提のもと、本来朝鮮に存在しなかったり一般的ではなかったものを伝統文化”という事”にしてしまっている事例が多い。


結果、元の朝鮮の文化が実際にどうだったのかが失われるだけでなく、日本に対する風評被害も頻繁に発生しており、特に現状は韓国の民族主義の先鋭化とともにこの頻度が多くなり、韓国が伝統文化をアピールする=日本文化への風評被害という構図になりつつある。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:「日本に奪われた」を口実に文化を創作


まずは以下の記事を

韓経:日帝時代に命脈途切れた…朝鮮伝統酒600種を復元
2016年05月20日09時50分
[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/923/215923.html

韓国内の伝統酒は朝鮮時代だけで数百種類に及ぶほど繁盛していた。しかし日帝治下に入って酒が課税対象になり、「文化抹殺政策」によって朝鮮総督府醸造場を統廃合しながら伝統主義の命脈が急激に途切れた。忘れられていく伝統酒文化を生き返らせるための行事が19日、ソウル南山谷(ナムサンゴル)の韓屋村(ハノクマウル)で開かれた。韓国伝統食研究所が農林畜産食品部と手を組んで開いた「第9回伝統酒と伝統料理の出会い祭り」だ。伝統酒の種類が最も多様だった朝鮮時代の居酒屋を再現し、伝統酒ソムリエである奏香師選抜大会も行った。

◆朝鮮末に全盛期迎えた伝統酒

日本の「古事記」が醸造法を日本に伝えた百済人の仁番の記録を書いているほど国内伝統主義の歴史は深い。穀物を麹で発酵させた穀酒やコメだけで醸した清酒を主に飲んでいた先祖が、モンゴルから蒸留法が伝えられた高麗時代から焼酎も楽しんでいたと伝えられている。朝鮮時代は伝統酒が最も多様だった時期だ。家ごとに酒を直接醸造して飲む「家醸酒」文化が発達したおかげだ。地方や一族の銘酒もこの時に登場した。ソウルの春酒(チュンジュ)、平壌ピョンヤン)の碧香酒(ピョクヤンジュ)、全羅北道金堤(チョンラブクド・キムジェ)の清明酒(チョンミョンジュ)、忠清南道(チュンチョンナム道)の素麹酒(ソゴクジュ)が特に有名だった。朝鮮時代後期には伝統酒の種類だけで600種余りに達した。

華やかだった国内の伝統酒文化は日帝時代に命脈が断絶した。1907年に朝鮮総督府が酒税令を出して国内の歴史上初めで酒が課税対象になった。酒の製造が免許制に変わり家庭で酒を醸造する行為も禁止された。家や地域ごとにあった代表的な醸造場を大挙統廃合したのもこの時だ。薬酒、どぶろく、焼酎のほかには製造できないようにした。朝鮮末に6つの家で1つの酒を醸造していた家醸酒文化が1930年に至っては完全に消えた。光復(解放)と6・25韓国戦争(朝鮮戦争)を体験した後、伝統主義の位置づけはさらに狭まった。1965年には政府が糧穀保護措置としてコメで酒を醸造することを全面禁止した。代わりに小麦粉マッコリや希釈式の焼酎が普及した。

◆伝統酒文化復活の動き

政府は1994年と2000年それぞれ薬酒とどぶろく供給区域を制限した制度を廃止した。例えば抱川(ポチョン)で製造した「抱川マッコリ」をその地域だけで流通するようにした制度をなくしたことだ。過当競争を防ぐために作った制度だったが、国内の伝統酒市場が縮小しながら実効性がなくなった。

今年初めに政府は16年ぶりに再び伝統酒文化活性化のため関連法令を緩和した。ビールに限定していた小規模酒類製造免許の対象にどぶろく・洋酒・清酒を追加した。これまでは醸造場のつけ込み・保存容器がどぶろく・薬酒は5キロリットル以上、清酒は12.2キロリットル以上の場合にだけ伝統酒を製造できた。今は1キロリットル以上5キロリットル未満の保存容器を保有すれば小規模酒類製造免許を受けることができる。小規模酒類製造免許を取得すれば飲食店で売ったり、ビンに入れて外部販売したりできる。

この日、韓屋村では国税庁職員の酒類免許取得に関するコンサルティングや創業説明会などが開かれた。ユン・スクチャ韓国伝統食研究所長は「今回の行事をきっかけに伝統酒文化が再び活性化することを期待する」と話した。


この記事なのですが、まず朝鮮の「伝統酒」というのがどんなものかといえば、要するに貨幣制度が全く定着しなかった朝鮮では、貨幣制度を前提とした商業の発達もなく、結果酒造が商業化されず各家庭などで自家製造されていたというだけです。


そして、日本による併合後に朝鮮で本格的に貨幣制度が導入され、税制も近代化された結果酒税法が導入されただけであり、朝鮮の伝統酒を禁止したわけではなく、朝鮮人自身が近代化の過程で「伝統酒で商売をしようと考えなかった」だけです。


朝鮮に限らず、近代化の課程で失われていった文化や習慣というものはどこにでもありますから、現在の韓国ではそれを「日本に伝統酒を禁止された」としているわけです。


しかも、現在韓国では伝統酒として燒酒(ソジュ)という焼酎の一種が流通していますが、このソジュや濁り酒の一種であるマッコリの大半は、戦前に日本で麹菌の製造を手がけていた河内源一郎という人物が作成した麹菌をもとにしています。


河内源一郎のもとで従業員として働いていた朝鮮人に、戦後「韓国に帰ってこれで酒を作りなさい」と河内が渡した麹菌をつかって事業を始めたのが韓国の酒造メーカーであり、ほんの十数年前まで韓国ではこの麹菌を「カワチキン」と呼んでいました。


更にまだあります。
まず記事では「穀物を麹で発酵させた穀酒やコメだけで醸した清酒を主に飲んでいた先祖が」と書かれていますが、そもそも朝鮮で清酒が製造されていたという記録はありません。


清酒と言うのはその由来がはっきりしており、日本で室町時代正暦寺という寺院で確立した製法であって、その過程に朝鮮は一切関わっていません。


参考資料
正暦寺、清酒発祥の歴史


しかも、記事中では「日本の「古事記」が醸造法を日本に伝えた百済人の仁番の記録を書いているほど」と書かれていますが、これも全くのでたらめです。


これがどういう事なのかは、2007年に韓国の清酒メーカーと学者が「日本酒の起源を主張した」という事から始まります。


(※1)
【リビング・アンド・ジョイ]韓国産清酒白化修復シェア80% ソウル経済/NAVER(韓国語) 2007-11-14


この記事中で、日本の古事記に「百済の仁番(インボン)という者が米酒を醸す方法を教えてくれて、彼を酒神として師事した」という内容があり、これが先ほどの中央日報に書かれている「日本の「古事記」が醸造法を日本に伝えた百済人の仁番の記録を書いているほど」の元ネタです。


これなのですが、原文の「古事記 応神天皇の巻 百済朝貢の条」には「百済の仁番という人物が、応神天皇に神酒(みき)を献上した」とあるだけです。
「酒神として師事した」などという記述は存在せず、どうも「神酒」を勝手に「酒神」と読み替え、それにあわせて話を創作したようなのです。


この韓国起源説が韓国内で既成事実化し、結果最初の中央日報の記事となったわけです。


このようにして現在の韓国では、「伝統の創作」と「日本への風評被害」が既成事実化しているわけです。


2:「日本」が全ての行動原理


上記の清酒の件もそうなのですが、彼らが「伝統の創作」を行う動機は「日本が国際的に評価されたから」です。
(ここ10年ほど、日本酒は国際的な評価が高まり輸出量が増え続けています)


以前から書いているように、韓国では「日本の伝統文化は全て韓国の劣化コピーである」という事になっており、「日本文化よりも韓国の文化のほうが優れている」と韓国人は子供のころから家や学校で教えられて育ちます。


教科書:李首相「韓国の民族魂を否定、絶対容認できない」 朝鮮日報 2015/04/10


ですから彼らの考えでは、日本に存在する文化は全て韓国にそのオリジナルがあるはずですし、日本の文化が国際的に評価されたのならば韓国の文化はそれ以上に評価されないとおかしいのです。


その結果、彼らは何かしらの日本文化が国際的に評価されると、「韓国にも同じものがあったはずだ」というかくあるべき姿を作り出し、伝統文化の創作を行うわけですが、特に最近韓国が活発にターゲットにしているのが日本庭園です。


「日本庭園に胸痛めた」 シカゴで韓国庭園クラブ発足 朝鮮日報 2015/02/06
【寄稿】韓国庭園の「文化商品」としての価値を認識せよ 朝鮮日報 2016/02/09
【寄稿】韓国庭園が持つ独特の美を世界にアピールしよう 朝鮮日報 2016/05/15


確認できるものではこの2015年の朝鮮日報の記事が「最初」なのですが、この記事を皮切りに現在韓国では「韓国式庭園」の国際的なごり押しが始まっています。


更に、そもそも朝鮮には伝統的に庭園という概念があまり一般的ではなく、たとえば19世紀に朝鮮を訪れたイザベラ・バートの「朝鮮奥地紀行」などでも、「朝鮮には日本や中国にあるような庭園が存在しない」と書かれていますし、元々朝鮮の記録にも明確に庭園と呼べるような記録はありません。


厳密には全く庭園がなかったわけではなく、李氏朝鮮宗主国であった清に習い、儒教思想に基く庭園と呼べるものがいくつかあったにはあったようなのですが、それはあくまで「儒教式」であって朝鮮独特の様式などは存在していません。


要するに、一部の李朝の王族や貴族である両班儒教思想に則った庭園をいくつか作成した、それだけなのです。


しかし現在、韓国では「朝鮮式の伝統的な庭園」が存在していた事になっており、20世紀に日本が再評価しその後建設された李舜臣の霊廟に、1990年代に「日本の庭園を真似て」建設した庭園があったのですが、それを近年の民族主義の高まりとともに「朝鮮の伝統庭園に変える」という事になっています。


忠武公賛える顕忠祠池、「日本風」議論…伝統様式の四角形の池に作り直す 2016年05月20日


日本が再評価するまで存在すら忘れ去られていた李舜臣、しかも庭園施設は1990年代に建設されたもの、そこにある池を「儒教様式に作り変える」、私たちの価値観ですと「それのどこが伝統なのだ」という事になるのですが、根拠を必要としない「かくあるべき姿」を行動原理とする彼らの中ではこれも伝統様式となるのです。


こうして彼らは「日本に対抗するためだけ」に伝統の創作を行い続けています。
本来ある朝鮮の伝統文化を蔑ろにしてまで。


3:「伝統の創作」に日本が関わってはいけない


今回書いたように、彼らが伝統の創作を行う行動原理は「日本」です。
そして、韓国起源説などでもそうですがこうした韓国の活動には大抵の場合「日本の文化抹殺政策で失われかけた」という「物語」がセットとなっており、単に韓国が伝統の創作を行っているというだけでは済まされない問題です。


しかしこのような背景があるにもかかわらず、韓国人から良心的日本人と呼ばれている日韓友好論者、特に政治的意図を含まない無自覚な日韓友好論者ほど安易に彼らの文化創作活動に積極的に関わって行きます。


たとえば、以前から書いているように朝鮮には茶道は存在せず、儒教における茶礼文化(※)を捻じ曲げているだけな事、仏教弾圧の影響で茶を飲む習慣が廃れ、朝鮮では伝統的に中国由来の固形茶や木の皮や柑橘類の皮を乾燥させたものを使う煎じ茶が主流だったという歴史があります。


(※茶礼と書きますが、実際には祖先の祭壇に酒を捧げる儀式です)


しかし、現在の韓国では「日本の茶道が国際的に評価された」という動機で茶道の起源を主張し、「日本の茶道は元々朝鮮が起源である」「日本の文化抹殺政策で廃れたものを復活させた」と宣伝しているという背景があるにもかかわらず、日韓友好論者は安易に以下のような事をしています。


日中韓の茶文化で交流  京都・左京 市民ら各味わい楽しむ 京都新聞 2016年05月09日


起源主張や文化抹殺政策云々など、歴史を捻じ曲げるような行為は当然問題ですし、日韓友好論者が更に問題なのは、こうした行為は朝鮮の本来の伝統文化を捻じ曲げ失わせる行為であり、朝鮮文化を日本文化で上書きする行為でもあるのですから、本当の意味で韓国の事を考えるのならば批判しなければいけません。


しかし彼ら無自覚な日韓友好論者は韓国人の言い分を何でも肯定してしまい、それが友好であり多文化主義であると勘違いしており、日韓の間にある価値観の違いや今回書いたような韓国社会独特の文化創作活動の事など知ろうともしません。


こんな事をする人々が存在するために、問題がいつまでも続いて行くのです。
彼らはいい加減、韓国社会の行動原理が「日本が評価されたから」であり、この前提を元に伝統文化の創作活動を行っているのだと知るべきです。


現在彼らのやっている事は、友好ではなく対立の恒常化・問題の深刻化でしかありません。
批判すべき事すら批判できない人間の何が友好なのでしょうか。




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(※1)
【リビング・アンド・ジョイ]韓国産清酒白化修復シェア80%
ソウル経済/NAVER(韓国語) 2007-11-14
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=011&aid=0000206965

百済の仁番(インボン)という者が米酒を醸す方法を教えてくれて、彼を酒神として師事した」

日本の古代歴史書である『古事記』に出る句節。SAKEが韓半島から伝来したという証拠である。

だが他人の物を『私物化』する事に卓越した能力を持つ日本人達は、清酒を日本の国酒として作った。世界の人々は清酒(rice wine)とは、すなわち『日本酒』であると認識する。

実は味も日本産のSAKEが韓国産の清酒よりも上というのが事実。酒の仕込みに使う材料や製造の工程はほとんど似ているのだが…。

●“何故この様な結果になったのか”

市場競争の状態が何より一番大きなな理由。日本にはSAKEの製造会社だけでも約2,000社もある。市場で生き残る為には、当然熾烈な競争をくぐり抜けなければならない。

韓国の清酒市場はこれと正反対。韓国で清酒は実質的に無競争の製品である。韓国内にも清酒を生産する会社は、斗山(ドゥサン)酒類、麹醇堂(ククスンダン)など、2~3箇所に過ぎない。ブランド種類も『百花寿福』、『茶礼酒』、『天寿万福』など5~6種類位しか無い。この中でも『百花寿福』の市場シェアが、80%以上を占める。百花寿福の独占体制であるという事。

それに韓国産の清酒は大部分が祭祀酒として使われる。販売量の約80%が祭祀膳に乗せられたり、料理する時の調味酒として使われる。完全に飲用酒として売れるのは20%も満たない。

昨年飲用酒として販売された割合は、全体販売量のうち17.8%だった。これさえも過去と比較して高くなった数値である。去る2002年にはその割合が9.8%と、10%にも満たなかった。この4年間で飲用酒の販売の割合が二倍に増えたのも、日本式SAKEブームの影響が大きい。

これにより韓国内の清酒業界も、飲用清酒を開発した。

斗山酒類は去る5月25日、『多味seke』という飲用清酒を発売した。SAKEブームが始まった2004年から製品を開発して、今年には市場に発表したのである。

斗山主類で清酒ブランドマネージャーに働いている李再演代理は “最近消費刺字たちが日本式サケを好んでいて名前とデザインもそんな式で作った. 日本清州よりチープな価格に高級品質をお目見えしようと出市したこと”と言った.

だが韓国内の酒類業界は、相変らず清酒を重要商品として認識していない。市場自体が焼酒やビールに比べ、格段に小さい為である。

韓国内の酒類市場から、焼酒とビールを除いた低アルコール酒市場の割合は、2.5%に過ぎない。これらも梅酒や薬酒、野イチゴ酒などを全て合わせた物で、完全な清酒販売の割合はこれよりも
更に少ない。

イ課長代理は、「最近の市場雰囲気を見ると、もう少し攻撃的にならなければいけないみたいだ。だが、清酒の特性自体が急速に拡散しにくい部分がある。まずダ『多味seke』を根深く定着させて、他の製品の発売開始を考える予定」と言いながら、新しい種類の飲用清酒発売開始に対し、慎重な態度を見せた。