日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

日韓の間の友好が歪になる理由


さて、今回は前回の記事にも関係した内容となります。
タイトルにもあるように、日本と韓国の間で友好的関係を構築しようとした場合、その規模が大きくなればなるほど日本人の感覚からすると「いびつ」になっていきます。


それはなぜなのかといえば、韓国社会における一般的な常識では二重基準が当たり前であり、自身に適用される条件やルールと、相手に適用される条件やルールが異なる事を当然としているため、その二重基準を許容できる相手しか一般的には彼らと友好関係を結べないからです。


また、彼らは主観的な視点の「正しさ」を絶対視しているうえに、他者の劣等性を自己の優越性の担保とする独特な価値観があるため、彼らの主観的正しさを認めなかったり、或いは彼らの意見の問題点を指摘したりすると、彼らの中では間違いを指摘された=自分達の劣等性を指摘されたとなるので、意に反する意見を持つ人達は受け入れられず、彼らの二重基準を受け入れることのできる人々ばかりが彼らとの友好関係をすんなり築くことになるわけです。


結果として、前回言及したように「トラブルの原因となっている韓国人の行為は批判しないが、韓国人の行いを批判する日本人は黙らせようとする」そんな歪な状態が続く事になるわけです。


まずはこちらの記事から。


【寄稿】英国の「カリー」と日本の「カレー」、何が違うのか
朝鮮日報 2015/09/12
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/09/12/2015091200790.html
http://web.archive.org/web/20150918113053/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/09/12/2015091200790.html
(前略)
明治維新を前後して英国海軍をモデルに創設された日本の海軍は、船での食事まで英国をまねた。英国海軍の「カリーシチュー」を模倣して、独自の「カレー」を作ったのだ。17歳のときにこのカレーを初めて食べたエスビー食品の創業者、山崎峰次郎は、3年間の試行錯誤の末に「S&Bカレーパウダー」を発売した。これが日本のエスビー食品の始まりだった。一方、韓国のオットゥギ食品は1969年「即席カレー」という名称で独自のカレー粉を生産することになる。つまり「カリーパウダー」「カレーパウダー」「即席カレー」はそれぞれ、英国式、日本式、韓国式の「マサラ」といえるわけだ。

 日本でカレーはさらに劇的な変化を遂げる。ジャポニカ米という短く丸っこい短粒種のコメと出合って「カレーライス」という料理が誕生し、太くて弾力のある「うどん」にもかけられるようになる。さらには「カレーパン」という奇想天外な発明品まで登場する。日本海軍の伝統を受け継いだ海上自衛隊は、今でも毎週金曜日の昼食にはカレーライスを食べ、軍港都市横須賀市では「海軍カレー」を郷土料理として観光商品化している。

 コメが主食の韓国でも、カレーライスは爆発的な人気を集め、キムチという最高のパートナーとも出合った。日本人はカレーライスに「福神漬け」という野菜の漬け物を添えて食べる。しかし発酵の進んだ酸っぱいキムチとの組み合わせに比べたら、ワンランク下であるのは誰の目にも明らかだ。

 実に250年にわたるマサラの「変身」は、これにとどまらない。「九州駅弁グランプリ」で3年連続優勝・準優勝に輝き、日本全国に名をとどろかせる名物となった佐賀県の「有田焼カレー」。28種の香辛料が配合され、韓国の薬膳料理をモチーフに開発された。実際に韓国人にもなじみのある韓薬(韓国式の漢方薬)が何種類も使われている。マサラとしては全く予想できない「事件」であることは明らかだ。このように、時間と大陸を超えたカレーの「叙事詩」はいまだに進行形なのだ。




まずこの記事で注目してもらいたいのは、「船での食事まで英国をまねた。」という部分です。
韓国における一般的な歴史観では、「日本は欧米を真似したから先に発展できただけ、日本こそパクリ国家だ」という事になっています。
だから「船での食事まで英国をまねた。」という表現なわけです。


しかしそれを言い出すと、「では韓国のカレーはどうなのだ?」ということになるのですが、この文中にある「韓国独自のカレー」の元が何かといえば、それは英国のカレーでもインドのカレーでもなく、日本式のカレーを「日本人から教わって」作られたものです。
ちなみに日本式のカレーと違うのは、韓国のカレーは日本式のカレーを水っぽくした感じというだけです。


この事は韓国の一定の年齢層以上の人ならばよく知っている事なのですが、その前提を踏まえて改めて上記記事を読むと、日本に対して「ケチを付けている」部分が全て韓国にブーメランとなって突き刺さっている事が解ります。


しかし、韓国の一般的価値観ではこれはブーメランでも何でもないのです。
なぜならば韓国人が日本のカレーにケチを付けるために適用しているルールと、韓国人が韓国のカレーに適用しているルールは「違う」からです。
仮に例を挙げると、韓国は軍まで真似をしたわけではないとか、郷土料理になどしていないとか、そうやって自身にのみ適用できるルールを付け足しているわけです。


またこちらの事例も同じです。


「韓国人は難民に無関心だが...あなたも難民のように住んでいた 」
聯合ニュース(韓国語) 2015/09/15
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2015/09/15/0200000000AKR20150915201900004.HTML
国会図書館で国内初の世界の民主主義の日記念式開い

(ソウル=連合ニュース)セロム記者= 「1950年代の韓国戦争の時期、1980年代の民主化の時代にあなたも難民のように生きていて、世界はあなたを受け入れている。しかし、なぜ韓国社会は扉を閉じますか?」

「私の名前はヨンビ」という本でも有名な光州大教授ヨンビ・トナ(49)さんが15日、難民に対する韓国の無関心にそう訴えた。 ソウル汝矣島国会図書館講堂で「市民社会のためのスペース」をテーマに開かれた世界の民主主義の日記念式だ。

ヨンビ教授はコンゴ民主共和国の王族出身、秘密情報要員として生活して政権の不正を知らせようとする行為で服役を行ったが脱獄し、難民の身分で韓国に住んでいる。

彼は「シリア内戦のように、1950年代の韓国戦争の時、多くの韓国人が難民のように生きていて、金大中大統領も難民であったが、今の韓国人は難民に対して、アフリカの人々、貧しい人々との認識しかない現実が残念だ」と話した。

彼のこのような言及は、韓国の歴史に対する誤った認識から始まったと思われる。 韓国戦争などの歴史的な試錬期もほとんど故国を離れることなく、一緒に国難を克服した韓国人たちに難民の概念は不慣れである。

このため、韓国で押し寄せる難民に対して共感するのが容易でない側面があるという分析も出ている。
(後略)



この記事では、韓国に難民としてやってきたアフリカ系の大学教授が、韓国人の難民への差別や無関心さに対して、「韓国も昔は難民を多数出していたのだから、今の難民の気持ちも理解するべき」と主張したところ、要するに平たく書くと「韓国人はお前らのように多数の難民を出していない」と反発している記事です。


しかし実態はどうでしょうか。
以前こちら(「我々は強制連行で奴隷として連れてこられた被害者だ」日本の多文化主義と在日韓国・朝鮮人)で書きましたが、そもそも日本の敗戦後から朝鮮戦争前後にかけて、韓国人が20~40万人という単位で日本へ逃げてきていますし、それ以外にもアメリカ等へ逃げた韓国人も多数おり、総数では100万人以上の人々が当時韓国から脱出したのではないかとも言われています。


しかし、韓国人はこうしたアフリカ系の人々を非常に蔑視しているため、自分達がそういった人々と同じだったとされることを嫌い、様々な条件を後付けして「韓国からはお前らほど難民が出ていない」とか、「韓国人は戦争があっても愛国心があるから逃げ出さない(はず)」とか、条件を付け加えた結果このような反応になっているわけです。


要するに、蔑視している相手と同じに見られたくないのでこうして条件を付け加えて相手と自分達に違うルールを適用しているわけです。
ですから、当然現在の韓国ですら社会問題になるほど移民希望者=韓国を捨てる人々が多いことも無視しています。


また全て引用しているときりがないので、大幅に省略して紹介しますが、こちらの記事(<魅力コリアレポ>(1)韓国が持つ強み…世界の人を魅了する感受性 中央日報 2015年09月17日)でも同じように二重基準を使って自らの事を棚に上げています。


こうして、韓国では二重基準が当たり前であるわけですが、最初に書いたようにこの「韓国ルール」を受け入れることができなければ、基本的に彼らとの友好は成り立たない場合が多いです。
以下の事例がわかりやすいです。


【コラム】日本は「植民地支配」でなはく「植民地化」に謝罪を
朝鮮日報 2015/08/10
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/10/2015081000883.html(リンク切れ)
http://megalodon.jp/2015-0810-2333-38/www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/10/2015081000883.htmlウェブ魚拓
四日後、安倍談話で何が語られようとも

日本のことを好きになろうと努力しているところだ。ほかに理由はない。好きになってこそ深く知ることができるし、深く知ってこそ正確に書くことができるからだ。それと同様に、韓国に対する批判についても、深く考えている日本人が発する言葉と、そうでない日本人が発する言葉には大きな違いがある。

 従軍慰安婦やサハリン残留韓国人を長年支援してきた明治大学大沼保昭特任教授が朝日新聞で「(日本にも間違いはあるが)、韓国も被害意識にとらわれている」と語った。この言葉には胸に刻み込まれた。一方、ソウル特派員を務めた大手新聞社のベテラン記者は、慰安婦問題・独島(日本名:竹島)問題・対馬仏像盗難事件などあらゆる懸案を「卑日」という一つのキーワードでくくった。この記者は「日本は合理的だが韓国は不当で、日本がじっといても韓国が挑発してくる」という二分法を立て、答えを韓国人の劣等感の中に見いだそうとしていた。「長年取材してきたからと言って深く知っているわけではないのだな」と思った。
(後略)



この記事、「ソウル特派員を務めた大手新聞社のベテラン記者」とは、明らかに日経ビジネスの鈴置高史氏の事なのですが、鈴置氏のような論調は実際のところ朝鮮日報でも「用日論」として、鈴置氏ほどはっきりとは書いていませんが、特に韓国保守系の重鎮から何度か出てきています。


しかし、彼らは「道徳的に劣等」な日本人から自らの問題点=韓国人視点では劣等性を指摘される事は許されないため、鈴置氏の記事の内容は一切認める事ができず、逆に朝日の記事のようにどっちもどっち論に相対化し、「日本が一番悪いが韓国にも(少し)問題がある」と、相手の天秤に問題点を積み重ね、相対的に韓国側の問題点を打ち消す「韓国人に都合の良い」論調しか受け入れないわけです。


(※日本人的感覚ですと、この状態では少なくとも韓国にも問題があることになるわけですが、他者の劣等性と自己の優越性が=の関係にある韓国の価値観では、相手のほうが問題が大きいとなった時点で、自己の問題は消えてなくなり、相手の問題のみになります)


こうして、韓国人は自身に都合の良い条件付けを追加する事で二重基準を当たり前とし、その二重基準に同意できるor異論を言わない相手とのみ友好関係を構築していくため、友好の規模が大きくなればなるほど関係が歪になっていくわけです。
ですから、日韓友好を訴える人ほど韓国に対して本当の意味での批判ができないわけです、したら友好が成り立たなくなりますから、ある意味当たり前なのですが。


韓国社会の一般的な価値観では、自分達と異なる意見や自分たちの考えに反する意見は「受け入れられない」それが当たり前だからこそ、こうした現象が起きるとも書けます。
当然のことですが、一般的な日本人の価値観でこうした考えを受け入れる事ができる人は殆どいないでしょう。