さて、今回は日韓の歴史認識の間にある大きな溝についてとなります。
皆さんは日韓の歴史問題というと何を連想するでしょうか。
慰安婦問題や竹島問題や日韓併合、或いは日本海呼称問題や旭日旗問題など、つまり19世紀以降の近代史に関する問題を連想する人が大部分でしょう。
しかし、実は日韓の間にはこれらよりも更に深い溝が存在します。
それは古代史、厳密に書けば倭と百済の関係や任那と呼ばれた古代朝鮮半島における日本の直轄地、或いはそれ以前の弥生時代における日本と朝鮮半島の関係、これが最も相容れない「歴史観」なのです。
もう少し具体的に書くと、現在の韓国では百済が日本を支配し、日本は百済から文明を「授かった」ので、日本の起源は百済=韓国にあるというのが、韓国人の中での絶対普遍の歴史観であり、それ以外のいかなる歴史観も解釈も容認していません。
そして、以前から書いているように韓国人の価値観では、根拠を前提としない絶対普遍の「正しさ」が存在する事になっているのですが、この古代史に関する韓国の歴史観というのは、単に「正しさ」とか「正義」と言うものではなく、民族主義に根ざした一種の教条主義に近い概念であり、根拠を提示したからどうにかなるとか、議論してお互いの意見を話し合えばどうにかなるとか、そういった類のものではないのです。
大雑把に書いてしまうとこんなところなのですが、要するに韓国では古代史における韓国公式の歴史観を熱心な宗教家が教典の内容を信じるような、そんな感覚で「信じている」ので、はっきり書いてしまえば理屈ではないのです。
一種の心の問題であり、だからこそ歴史観が対立した時点で絶対に解決不能となるわけです。
ここまでは以前も似たようなことを書いたのですが、実は今回これをテーマに選んだのには相応の理由があります。
実はこの問題、以前からくすぶってはいたのですが、これまで韓国政府もあまりこの事を前面に出さず、日本に抗議する時は韓国内で政府の意向を受けた政治家や学者とか、或いは民間団体とか、または日本国内で韓国の民族主義を容認している学者やメディアなどをつかって間接的に日本の歴史観に抗議や揺さぶり、或いは配慮要請を行ってきました。
が、先週韓国政府はこの古代史に関する歴史問題を、明確に外交問題にしたのです。
それが以下の記事
教科書:李首相「韓国の民族魂を否定、絶対容認できない」
朝鮮日報 2015/04/10
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/10/2015041000708.html
http://web.archive.org/web/20150410070650/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/10/2015041000708.html
李完九(イ・ワング)首相は9日、日本政府が歪曲(わいきょく)された歴史教科書を承認したことについて「事実に基づかない歴史の歪曲(わいきょく)は、われわれの民族魂を否定するものであり、絶対に容認できない。いつの日か歴史の厳しい評価を受けることになるだろう」と述べた。
李首相はこの日、政府ソウル庁舎で記者懇談会を行い「日本の文部科学省が最近、任那日本府説を取り上げた歴史教科書を検定で合格させ、また文化庁がウェブサイトで、韓半島(朝鮮半島)の三国時代について『日本の支配を受けた任那時代』と表記した。これは全く事実と異なる」と述べた。その上で李首相は「忠清南道知事時代、百済の歴史の研究者を政策補佐官に任命し、姉妹提携している日本の熊本県や大阪、奈良などを訪れて、歴史的な真実を目の当たりにした。任那日本府説は歴史的な事実と合致せず、むしろ百済こそが日本の根源だ」と述べた。さらに「熊本県知事も私と会ったとき『百済が滅亡した後、数十万人の人たちが九州に渡ってきた』と話した」と語った。
この韓国政府の反応を見て、正直驚きました。
先ほども書いたように、今まで韓国政府の中枢にいる現役の人物が、ここまで明確にこの問題を扱い外交問題とした事は、私の知る限り一度もなかったからです。
そして今まで政府が直接この古代史の問題に触れなかったのには相応の理由がありました。
要するに客観的に見れば、日本の歴史観に対して「感情的に気に入らない」と反発しているだけで、学術的に日本側の説を覆せるようなものではなかったのです。
これは有名なので知っている方も多いとは思いますが、過去日本と韓国は歴史の共同研究をかなり大規模に行った事があるのですが、それも古代史の時点で韓国側が「感情的に容認できない」という態度を取り続けたがために、結局物別れに終ったという経緯があります。
文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69~70頁
-韓流(韓国人)「自己絶対正義」の心理構造-
櫻井よしこ
以前、呉善花さんと話していたら、「櫻井さん、あなたの話し方では絶対ダメよ」と言われました。「とにかく相手より大きな声と尊大な態度、相手より大げさ形容詞と身振り手振りで非難しないと、韓国では論争に勝てない」と。
古田博司
(日韓歴史共同研究委員会の)当事者なのであまり詳しくはお話できないのですが、例えば意見が対立しますね。日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。
関川夏央
「ない!」と答えてはいけないのですか。
古田
さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
関川
歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。
日韓歴史研究報告書の要旨
47NEWS/共同通信 2010/03/23
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010032301000547.html
第2期日韓歴史共同研究の報告書要旨は次の通り。(委員以外の執筆者を含む)
一、古代史
【安羅倭臣館】
▽韓国側 任那日本府は「日本書紀」にあるが、倭の任那支配説は説得力を喪失。4~5世紀は存在していない。6世紀にはあったが、当時の用語でもない。伽耶(かや)(任那)の一部だった安羅が倭人官僚を迎え入れた外務官署だ。間違った先入観を呼び起こすので「安羅倭臣館」という用語が適当だ。官僚は安羅にいた倭人で臣下だった。(金泰植・弘益大教授)
▽日本側 日本書紀は「在安羅諸倭臣」とも表現。任那日本府を使わない方が良いというのは同じだ。ただ、安羅にいる倭人が自立した活動をしていた場所で、安羅に隷属していなかった。(森公章・東洋大教授)
(中略)
韓国の教科書が朝鮮民族の始祖とされる檀君の神話をそのまま認めるような記述をしているのは、資料考証に基づく結論なのか疑問だ。(井上直樹・京都府立大准教授)
(中略)
日本の教科書で渡来人は、古代王権に包摂された存在として機能的な側面が強調された。日本民族の主要構成員であり、古代国家を建設した開拓者との観点が必要だ。(延敏洙・東北亜歴史財団研究委員)
先ほども書いたように、韓国人にとってこれは「心の問題」に近いものなので、日本側の任那に関する解釈、つまり古代朝鮮半島の南部を日本が統治していたという事実が感情的に容認できないのです。
この有様では、韓国内で韓国人を納得させる事は出来ても、政府が外交問題にして日本と直接やりあっても絶対に勝ち目は無いですし、何より慰安婦問題のように人権問題として扱う事もできないわけですから、国際社会の支持や賛同を得る事もできません。
さすがにそれは韓国政府もわかっていたはずです。
だから今まで、直接韓国政府がこれを外交問題にする事は無いだろうと、私はそう考えていました。
が、先ほど引用したように、韓国政府はやってしまいました、だから驚いたのです。
そして政府が公式の外交問題にしてしまった以上、もはや後戻りは出来ません。
現在韓国は朴政権の収賄問題で大騒ぎなので(「腐敗なくす」と叫んだ韓国首相…3000万ウォン授受説で捜査対象に 中央日報 2015年04月15日)、今のところはこれ以上何か言ってくる事は無いでしょうが、だからといって一度外交問題にしてしまった以上、それをなかった事にする事はできません。
つまり、日韓の関係悪化の原因となっている「歴史問題」に、正式に古代史の歴史観が政府の公式声明として、慰安婦問題や竹島問題と同列で加わったわけです。
当然、今後韓国政府はこの問題を日本へ抗議し続けないといけなくなります。
当たり前ですがこれは解決不能です。
学問としての歴史観と、教条主義としての歴史観など相容れるわけがないのですから。
しかも、韓国政府は最近「ツートラック」と呼ばれる歴史問題と外交問題を切り離そうとのスローガンをたちあげていたのですが、その矢先にこれなのです、更なる状況の悪化は確実です。
そして更に問題なのが、この古代史に関する韓国の歴史観というのは、韓国人にとって非常に重要な意味を持っています。
以前から書いているように、韓国では近年民族主義と蔑視ありきの自民族中心主義が過熱しているのですが、その基幹部分がこの古代史なのです。
それは以下の記事を読むと解りやすいです。
韓国首相「日本の起源は百済…日本の歴史歪曲、絶対許せない」(1)(2)
2015年04月10日09時35分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/799/198799.html
http://japanese.joins.com/article/800/198800.html
韓国の李完九(イ・ワング)首相は9日、日本文化庁が最近韓半島(朝鮮半島)古代史の一部である三国時代を日本の支配を受けた任那時代と表記したことについてさらに強く批判した。これは異例とも言えることだ。李首相は「手のひらで天を隠す(以掌蔽天)」「鹿を指して馬と為す(指鹿為馬)」などの故事成語まで動員して日本を叱責した。
李首相は同日午後、政府ソウル庁舎で予定にはなかった記者会見を自ら要望して開き、「日本の歴史歪曲は(我々民族の)民族魂を否定するもの」としながら「いかなる場合でも歴史歪曲は絶対に許してはいけない」と述べた。これに先立ち、日本は文化庁ウェブサイトで三国時代の韓半島から搬出して日本が所蔵している23点の遺物のうち、8点を任那時代の遺物だとする説明を添えている。
該当の遺物が、実在した三国時代と出土地である慶尚南道昌寧(キョンサンナムド・チャンニョン)などは意図的に削除した。4世紀後半に日本が韓半島南部に進出して加耶(任那)に日本部という機関を設置し、6世紀まで百済・新羅・加耶を支配したといういわゆる「任那日本府説」に伴う歴史歪曲を進めているものだ。
李首相は「安保・経済的には日本と協力して未来志向的に進んでいくとしても、歴史はツートラック(two track)で行かなければならない。歴史問題では事実(Fact)に基づいて我々の立場を堅持しなければならない」と強調した。
それと共に、李首相は自身が忠清南道(チョンチョンナムド)知事時代に姉妹都市だった熊本・大阪・奈良・静岡などを訪問して知るようになった事実などを根拠に、任那日本府説を一蹴した。特に、道知事時代に歴史学者である洪潤基(ホン・ユンギ)博士に要請して執筆された百済関連の歴史書物3冊(『百済は大きい国』『日本の中の百済(ペクチェ)、百済(クダラ)』『日本の中の百済、奈良』)を会見会場に持参した。
李首相は「日本で会った熊本県知事も百済崩壊当時、数十万人の百済遊民が九州にやって来たと話した。私が知事だった忠清南道公州(コンジュ)と扶余(プヨ)は百済王朝だった。歴史的真実を見れば日本の起源は百済」と強調した。李首相は「奈良県の東大寺にある日本王室遺物倉庫である正倉院がなぜ公開されないのか今でも疑問」と話した。日本王室の起源が百済という事実が立証されることを恐れて日本が正倉院を意図的に開くことができないという意味だ。
李首相は「歴史的真実は覆い隠すことはできず、いつかは評価を受ける」とし「日本に比べてまだ及ばない歴史研究を強化しなければならない」と話した。また、李首相は「古代の韓日関係研究に予算と人材を拡充できるように教育部に指示する予定」と話した。
(後略)
要するに、文明的に劣った日本に百済人が神のような存在として君臨し支配し、日本に文明と文化を教えてやったと、それで出来上がったのが日本であり、天皇も元々は百済人なのだと、そして「だから我々は優れているのだ」という、日本の劣等さを担保とした自民族の優越性の基幹部分なのです。
更にそこから「だからこそ韓国人は優秀な民族なのだ」という解釈に繋がっています。
そして、度々問題になる「韓国起源説」に関しても、この歴史観がベースとして起きている問題であり、だからこそ個人差はあれ大半の韓国人が何かしらの韓国起源説を信じているという背景があります。
また、日本で韓国のこの古代史に関するこだわりを「過去日本に併合され支配された事があるから受け入れられないのだ」と説明し、一種の配慮をするよう訴える人もいますが、実態としては問題はそこではないのです。
韓国人の民族主義の基盤として、「劣った日本に文明を教えてやったのだ」という部分がなければ、彼らは自らの優秀性を確認できないですし、ましてや日本が任那を通じて半島南部を支配したとか、或いは百済が日本に服属した歴史があるとか、そういった歴史を認めてしまうと、彼らの価値観では自分達は劣った民族となってしまうのです。
要するに韓国人は、「民族の誇り」を維持するためにこの歴史観を失うわけには行かないのです。
更に、先ほどこの韓国人の歴史観を「教条主義的」と書きましたが、たとえば宗教の問題であったのならば、よほどの原理主義者でもない限りは「それはそれ、これはこれ」と割り切って考える事も出来るでしょうが、これはあくまで「教条主義的」なだけであって、実質的に宗教に近くとも宗教ではありません。
当然韓国人にもその自覚はありません。
その結果、韓国人はこの蔑視ありきの自民族中心主義に根ざした歴史観を「世界中の人々が当然もたなければいけないもの」と考えており、日本も含め世界中の国々に韓国の国粋主義団体であるVANKなどが「改善要求」をしています。
教条主義的でありながら、本人達にその自覚が皆無であるために、割り切る事ができないのです。
そして今回、韓国政府がこの歴史観を公式の外交問題にしてしまったことの意味と言うのは、だからこそ尚更非常に大きいのです。
韓国人の心のあり方や、韓国人の民族としての誇りに直結する問題であり、その重さは慰安婦問題や竹島問題をはるかに超えています。
だからといって、日本政府も「韓国人の民族主義や蔑視ありきの自民族中心主義を容認していない学者」なども、当然彼らの要求を受け入れる事はできません。
日本では歴史と言うのはあくまでも学問であってそれ以上でも以下でもないですし、解決したいのならば政治による学問への介入が必須になりますから。
だからこそ、もうどうにもならないのです。
韓国政府は、何気にこの公式声明で「超えてはいけない一線」「住み分けできるギリギリのライン」すら超えてしまったのです。
もうどうやっても解決は不可能です。
そして我々日本人にとって重要なのは、この韓国人の歴史観が韓国独特の価値観に根ざした物であり、我々の考える学問としての歴史とは全く性質の異なるものだという事を理解し、そのうえで「相応の割り切った対応」をしていかないといけないわけです。
友好ありきでの安易な妥協は、特にこの問題では更なる大きな問題を引き起こすわけですから。