さて、今回の内容はタイトルからはわかり難いですが、以前書いた「日本以外に対する韓国起源説」に関係したものとなります。
そして今回これを書こうと思い立った動機は、前回の記事のコメント欄で「日本人と韓国人は元々同じ民族云々」という内容を書いていた人がいたからです。
これなのですが、一見すると単なる歴史観のひとつに過ぎないように見え、日本では実際にそうなのですが、韓国ではこの歴史観が民族主義や民族純血主義に根ざしたある種の選民思想の延長線上にあり、単なる歴史観という範疇を明らかに超えています。
そして、その彼らの考え方は、到底一般的な日本人が受け入れる事のできるようなものではありません。
彼らの民族主義とはどのようなものなのかをざっと書いてしまうと、以前も書きましたが「朝鮮人という民族は紀元前2333年から続く純血の単一民族である」という前提で(場合によっては更に前まで民族の定義を広げ)、優れた民族である朝鮮人が周辺の国や民族へ様々な文化を伝播させていったという単一民族主義に根ざした歴史観です。
日本に対しては、この前提で「未開で何の文化的背景ももっていなかった石器時代の倭人に対し、優れた単一民族の朝鮮人が移民し文明化してやった、日本という国も文化も作ったのは我々である」「日本人とは優れた韓民族と野蛮な縄文人の混血である」という考え方です。
以前から書いているように、この考え方を背景として韓国起源説が発生するわけです。
ですから私は、「日本人と韓国人は~」という話を特定の日本人から聞くたびに、「彼らはそう主張する韓国人の背景に何があるのかを理解しているのだろうか」と感じてきました。
そこで今回は、この日本人と韓国人が元々同一の民族であるとの考え方が、韓国内でどう解釈されどのような歴史観を構築しているのかについて書いて行きます。
まずはこちらの記事から。
檀君の古朝鮮建国、神話から「歴史」に
東亜日報 FEBRUARY 24, 2007
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007022488438
古朝鮮の建国過程が高校の歴史教科書に公式に入った。また、韓半島に青銅器が伝わった時期は最大、1000年をさかのぼることになった。
教育人的資源部(教育部)は、07学年度の歴史教科書をこのように修正して、現場の学校に普及することにしたと、23日、明らかにした。学会や政界ではこれまで、中国の東北工程(歴史歪曲)など周辺国の歴史歪曲に対応するために、神話の形で記されていた古朝鮮建国の部分を公式的な歴史と明確に規定すべきだと求めてきた。
高校の歴史教科書の32ページには「三國遺事と東國通鑑の記録によると、檀君王儉が古朝鮮を建国したという」と記されているが、教育部はこのくだりを、「…建国した」と変えることにした。中学の歴史教科書にはすでにこのように書かれている。
中国は古朝鮮という国は存在しなかったと教えており、日本の歴史教科書の年表には韓国歴史の始まりを「楽浪郡や高句麗」と記述している。
(後略)
歴史学上は伝説でしかなく、13世紀に書かれた三国遺事に数行言及のあるだけの檀君を、神話では無く史実として教えるとした記事です。
また記事中にも言及がありますが、この記事は高校でもそう教えるとしただけであり、小学校・中学校のような義務教育ではそれ以前からそう教えていました。
(ちなみに韓国の小・中学校小学校の歴史教科書は現在も国定の一種類のみ)
2015年9月8日20:05訂正
私の勘違いで、恐らく韓国の中学校の国史(韓国史)教科書は国定ではありません。
ここから、古来から継続性のある単一民族であり、混血せず純血を守ってきた優れた民族であるとの歴史観が、以前紹介した以下の記事と合わせて、韓国では公教育の場で子供達に教えられているという背景が見えてきます。
初等教科書、高麗の時「23万帰化」言及もしない
京郷新聞(韓国語) 2007-08-21
http://news.nate.com/view/20070821n11817
小学校4~6年生用の教科書、単一民族・血統を過度に強調
そしてこうした公教育の背景を基盤として、韓国では「血」や「民族」で人の優劣を判断する考えが一般化しており、度々以下のようなトラブルが発生します。
韓国人の“的外れ”な賛辞に米華人女性が激怒、「何があっても韓国人とは交流してはならない!」―中国ネット
yahoo/Record China 7月29日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150729-00000016-rcdc-cn
2015年7月27日、中国ネットユーザーは、韓国に関する親戚の体験談を紹介し、韓国人に怒りを覚えたエピソードを語った。
私の姉は米国籍を持つ華人で、韓国の政府関連機関に招かれ韓国に訪れたことがある。自分の容姿をほめてくれる韓国人に姉も初めは気を良くしていたが、その賛辞はいつの間にか道を外れ、中国人批判に及んだという。
姉と交流した韓国人らは、「中国人ではないですよね?中国人がこんなに美しいはずがない。中国のきれいな女性は韓国の血が流れているか、韓国人のどちらかだ」と発言したという。これにはさすがに姉も強い憤りを覚え、「韓国人を見ただけで気分が悪くなる。何があっても韓国人とは交流しないように!」と私に話していた。
以前日本人が韓国で体験した似たような事例を紹介した事がありますが、韓国ではこれは悪意や嫌がらせ目的では無く、子供の頃から「自分達は優れた純血の民族である」と教育されているため、これでも相手を賞賛しているつもりなのです。
これも一種の常識の違いです、我々の価値観からすると非常識極まりない価値観ですが、韓国ではこのような考え方が一般的なのです。
そして当然の事ですが、よほど特殊な人でもない限り、日本人はこの価値観をまず許容できません。
またこうした背景から、日本や日本文化に対して韓国人は非常に特別な感情を持っています。
先ほども書いたように、彼らは公教育で「日本という国と文化は自分達が作ったのだ」「古代、百済人は日本を支配していた」と教えられて育つため、日本人も「同じ“正しい”歴史観を持たなければいけない」と非常に強く感じているのです。
結果、少しでもこの歴史観から離れた考えを持つと、彼らは以下のように激しく反発します。
韓国首相「日本の起源は百済…日本の歴史歪曲、絶対許せない」(1)(2)
2015年04月10日09時35分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/799/198799.html
http://japanese.joins.com/article/800/198800.html
韓国の李完九(イ・ワング)首相は9日、日本文化庁が最近韓半島(朝鮮半島)古代史の一部である三国時代を日本の支配を受けた任那時代と表記したことについてさらに強く批判した。これは異例とも言えることだ。李首相は「手のひらで天を隠す(以掌蔽天)」「鹿を指して馬と為す(指鹿為馬)」などの故事成語まで動員して日本を叱責した。
李首相は同日午後、政府ソウル庁舎で予定にはなかった記者会見を自ら要望して開き、「日本の歴史歪曲は(我々民族の)民族魂を否定するもの」としながら「いかなる場合でも歴史歪曲は絶対に許してはいけない」と述べた。これに先立ち、日本は文化庁ウェブサイトで三国時代の韓半島から搬出して日本が所蔵している23点の遺物のうち、8点を任那時代の遺物だとする説明を添えている。
(中略)
李首相は「日本で会った熊本県知事も百済崩壊当時、数十万人の百済遊民が九州にやって来たと話した。私が知事だった忠清南道公州(コンジュ)と扶余(プヨ)は百済王朝だった。歴史的真実を見れば日本の起源は百済」と強調した。李首相は「奈良県の東大寺にある日本王室遺物倉庫である正倉院がなぜ公開されないのか今でも疑問」と話した。日本王室の起源が百済という事実が立証されることを恐れて日本が正倉院を意図的に開くことができないという意味だ。
李首相は「歴史的真実は覆い隠すことはできず、いつかは評価を受ける」とし「日本に比べてまだ及ばない歴史研究を強化しなければならない」と話した。また、李首相は「古代の韓日関係研究に予算と人材を拡充できるように教育部に指示する予定」と話した。
(後略)
しかし実際のところ、このような韓国人の歴史観はまるで根拠が無いため、学術的には完全に否定されており、日韓歴史研究会が対立のまま実質無期延期になったのもそれが原因です。
具体的には、彼らは過去朝鮮半島に存在していた日本の直轄地「任那」の存在が許容できないのです。
なぜならば、彼らの歴史観では檀君の時代からずっと一つの民族が、他の国や民族から支配される事無く、朝鮮半島で民族の純血を守り通し単一民族国家を形成し、「日本を支配していた事になっていなければならない」からです。
彼らの対日の歴史観というのは、このような民族主義と直結したものなのです。
以前紹介した日韓歴史研究会での「韓国に対する愛情はないのかー!」というフレーズも、要するにこの学問と民族主義のせめぎ合いの結果韓国側から出てきた言葉です。
これは「韓国人の正しさを理解しなけれないけない」という、主観的な正しさに基いた言葉であり、彼らの民族主義的な視点から「日本人も同じ歴史観を共有しなければいけない」と強く感じているからです。
書き方を変えると、「韓国人は日本人が韓国人の民族の優秀性を認める事を強く望んでいる」という事でもあります。
そして、この彼らの民族主義に基く歴史観に反する考えに対しては、韓国内であっても以下のような反応をします。
[コラム]解放70年と歴史戦争の敵
ハンギョレ新聞 2015.08.13
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/21601.html
(前略)
日本は朝鮮半島を併合し、それを合理化する論拠として古代史の任那日本府説を前面に打ち出した。朝鮮半島の南に、新羅と百済以前からヤマトの倭の植民政権があったというのだ。だから併合は強奪でなく歴史の復旧だという。丁酉再侵(慶長の役)時、豊臣秀吉は忠清、全羅、慶尚の三道分割を朝鮮に要求した。ただ単に武力でだけ脅したのではなく、あらゆる捏造された歴史的破片を持ち出して正当性を主張した。
(中略)
朴槿恵(パク・クネ)政権は発足当初から国内で歴史戦争を始めた。左派史観あるいは自虐史観除去という旗印の下、李承晩(イ・スンマン)政権、5・16クーデター、(朴正煕政権独裁)維新体制を美化しようとした。さらには植民地近代化論など日帝が併合を合理化した主張を韓国の公式立場にしようとした。大多数の学者の反発で意図を完遂できなくなると、歴史教科書を国政体制に変えてしまおうとしている。そうすることで親日の前衛だった朴大統領と与党代表の祖先の行跡を隠せるからだろうか。
国内でこんな内輪揉めが続く間 日本と中国は朝鮮半島に狙いを定めた歴史戦争の橋頭堡を確保した。周辺国の歴史歪曲に対抗するため設立された東北アジア財団は、中国と日本が自分勝手に再構成した古代史をこっそり書き写したり受け入れる間者の役割を果たした。事実を発掘することは疎かにし、理論をたてることには無能で、学問的には不誠実極まりなかった。
結局、この政権は内外の歴史戦争で大韓民国の胸に銃口を突きつけたようなものだ。内では私たちの歴史学界を敵とみなし、外では中国と日本の主張を根をおろすように助けた。その結果として紛争は現実になっている。独島は国際的に大韓民国の領土でなく紛争地域になってしまった。韓国政府傘下の歴史財団が作った地図から除外しておきながら、どんな方法で紛争地域化を防げられるのか。歴史時代以来、大同江以北を中国の領土と表記しておいて、有事の際に中国が入ってきて紛争地域化されることを、どう防ぐというのだ。光復70年を迎えて、政府はいったいどういうつもりで歴史を70年前以前に戻そうとするのか。
最早韓国では学問としての歴史を論じる事の出来るような土壌は殆ど存在していないのです。
これが「日本人と韓国人は元は同じ民族」という歴史観を韓国人が語る場合の背景です。
そして安易に彼らの歴史観に同調するという事は、同時に彼らの民族主義や選民思想にも間接的に同意している事と同じなのです。
「日本人と韓国人は元々同じ民族である」と安易に語る日本人の中で、この事を理解している人はどれだけいるのでしょうか。
最後に。
今回この記事を書いた理由は実はもう一つあります。
こうした韓国人の民族主義や選民思想について他者から指摘されても、日韓友好を訴える人の大部分が明らか意図して無視したり、露骨に論点をそらす傾向にあるからです。
このブロマガを始めるずっと以前より、私は今回紹介したこの韓国人の価値観を、日韓友好を訴える人々に様々な場で問題提起していましたが、その「ほぼ全て」の人々が、この問題を無視したり意図して論点をそらしたりしてきました。
そして、このブロマガをはじめてからも、こうした問題を扱うたびに彼らは本題からの論点のすり替えを繰り返しています。
しかしどんなに論点を摩り替えたところで、どんなにこの問題を無視したところで、この現実が変るわけではないですし、何より日韓の関係が近付けば近付くほど、この問題はより表面化し問題となります。
また勿論、一部の例だと書けばそれで問題が消えるわけでも、問題を差別問題や思想の左右の問題にすり返れば問題が解決するわけでもありません。
にも拘らず、こうした事を続けているのが日本で日韓友好を訴えている人々の姿です。
そろそろ彼らは「韓国社会には非常に先鋭的な民族主義と選民思想が存在している」という現実を直視するべきでしょう。
また漠然と日韓問題を考えている人々も、この韓国人の価値観をまず知るべきです、そうしなければそもそも何をするにしてもスタートラインにすら立てません。
2015年9月6日20:01追記
余談になりますが、現在韓国では「日本の嫌韓は民族主義」といった論調が、韓国の三大紙のひとつである中央日報を中心に頻繁に見られます。
彼等が日本の民族主義として挙げる内容として、慰安婦問題や竹島問題、世界遺産登録問題、戦後補償問題、日本海呼称問題などが例として挙げられているのですが、仮に百歩譲って彼らの言分が全面的に正しくとも、ここで出てきたようなものは定義上民族主義ではなく「国粋主義」となるはずです。
ではなぜ彼らはこれを民族主義としているかといえば、要するに「劣等性の天秤」を相手側に傾けて、つまり自己に向けられた批判を、こじ付けでも曲解でもなんでも良いので同じ問題を「天秤の相手の側」に積み重ねることで、自身に向けられた批判を相手の問題に摩り替えるためです。
他者の劣等性が自己の優越性とイコールの関係にある彼らの価値観だからこそ起きる現象です。
今回の場合にならば、実は韓国社会における民族主義の先鋭化は、特にここ数年日本人を含む複数の外国人から指摘されてきたことだからです。
韓国人は、特に日本人の「劣等性」を指摘する事で自己の優越性を実感しやすいため、逆に日本人から「韓国社会の問題」を指摘されることを極端に嫌う傾向にあります。
彼らの価値観では、相手から問題点を指摘されたときに、それを認めるという事は自らが相手よりも劣等であると認めるのと同じだからです。
例外として、「韓国人の正しさ」を理解したと韓国人が感じている日本人からのものに関しては、ある程度の韓国への批判を許容しますが、そもそもそういった人達は決して韓国に全面的に問題がある事には触れません、どっちもどっち論にもって行くか、或いは「日本の方が問題だ」として「天秤」のバランスをとり、韓国人の蔑視ありきの自民族中心主義を満足させようとします。
だから許容されているともいえます。
こうした背景があるため、韓国との対話は多くの場合無意味になります。
問題を解決しようと他者から韓国側の問題を指摘された時点で、韓国人の多くはこの「劣等性の天秤」が動いて相手の問題に摩り替わるため、そこから一歩も前に進まなくなるからです。
以前からこのブロマガで「韓国とは必要以上に関わらず距離を取るべき」としている背景には、こんな理由もあるわけです。