日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国では日韓は同質の文化的背景を持つ者同士と考えられている


さて、今回の内容なのですが、これは現在の日韓の間にある様々な対立の構図の中で、以前紹介した韓国の蔑視ありきの自民族中心主義と同じくらい重要な要素を持つ問題です。


以前から書いているように、日本と韓国の間には非常に大きな価値観の壁があり、また韓国人は原則的にこの価値観やあり方の違いの存在を理解できないために、だからこそ様々な問題を引き起こすと書いてきたわけですが、実際のところ韓国人は国や人種・民族の違いによる文化的・社会的背景の違いというものは、漠然とですがある程度は理解はしています。
(基準はかなり区々で全く理解できない人もいるうえに、違い自体まで優劣で考えてしまう場合が多いですが)


ただし、その違いの存在は日本との間には全くなく、あるのは単純な優劣であると考えています。
この事が様々な問題を引き起こすのです。


それを知ってもらう前に少し小話を。
今から100年以上前、日本はアメリカの要求で開国をしたわけですが、開国し日米修好通商条約締結頃にある事件が起こります。


ある席上でアメリカ人が建物内に土足で上がり、それを見咎めた日本人達とあわや一触即発という事態にまでなりました。
これは要するに、日本では屋内へ入る時は履物を脱ぐのが当たり前であり、アメリカでは屋内でも靴を履いたままなのが当たり前という、双方の常識が理解されていなかったからです。


つまり、日本人の常識とアメリカ人の常識が異なるにも関わらず、双方がその事を理解していなかったがために、日本人は「屋内に土足で上がりこむとはなんて失礼な連中だ」と、アメリカ人は「なぜ靴を脱ぐ事を要求されるのか、なぜそんな事で激怒するのか」と、お互いの常識の範囲で事態を把握しようとしたからです。
さぞや双方ともお互いの事を「なんて野蛮な連中だ」と思ったことでしょう。


私は日本と韓国の間に現在起きている様々な対立も、本質的にはこれと似たようなものだと考えています。
お互いに異なる常識を持つにも関わらず、双方が自身の常識が相手にとっても常識と考え、違いを理解できないからこそ、お互いが自身の常識に沿って「野蛮だ」と感じるわけです。


上記を踏まえたうえで以下の記事を


【コラム】韓国のシルム、日本の相撲(1)
2015年02月02日11時09分
[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/080/196080.html
http://japanese.joins.com/article/081/196081.html
隣国日本とはうまく付き合えれば本当に良いのだが、安倍政権の反省のない歴史認識から始まった最近のぎすぎすした関係はむしろますます悪化しているようだ。ある元外交官は現在の韓日関係を複合多重骨折状態と診断したが、これは早い時間内に関係が改善される可能性もあまりないという意味として刻まれる。韓国と日本ともに結局は苦痛なことだ。

ベストセラーだった『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンドは、日本人のルーツが韓半島にあることを明らかにした文で、「日本人と韓国人は成長期をともに過ごした双子のような兄弟だ」と話したことがある。実際に韓国と日本の間には双子のような点が非常に多いが、同時にそれぞれ異なる点もとても多い。その例として人類の最も原初的スポーツである「シルム」を比較してみよう。

日本ではシルムを相撲という。シルムや相撲、そして西洋のレスリングはすべてルーツを同じくするもので、こうした闘技を円形の土俵で、まわしを結んでする国は韓国と日本だけのようだ。そうした意味でシルムと相撲は双子だが、その発達過程でそれぞれの民族性が加味されディテールは大きく異なることになった。
(中略)

韓国のシルム競技場の大きさは直径8メートルだが、相撲はそれよりはるかに小さい直径4.55メートルの土俵のため、途轍もない大きさの相撲選手2人がかがんで座り力を競うにはすでにとても狭い空間だ。したがって多くの試合が押し出しで数秒後に終わったりもする比較的味気ないゲームが相撲だ。シルムは3試合2勝を主にし、決勝戦では実に5試合3勝を選んだりもするが、これは1度や2度の敗北には屈服せず、絶えず挑戦する韓国人に似ている。しかし相撲は1試合で勝負を決めるが、実際に日本人はすべてにおいて1度決まった勝敗に対してはめったに異議を認めない。

相撲の土俵には伝統的に4本の柱を立てその上に屋根を載せた。近世に入り観客のために柱はなくしたが、現在でも屋根は専用競技場の天井にぶら下がっている。結局相撲で土俵の外に押し出されるということは家の外に追い出されることを象徴するが、日本文化で家という概念は家族で構成された家門以上の集団を意味するようだ。企業は言うまでもなく、国全体もある側面ではひとつの家門のように運営される国が日本だ。

このように集団から外に押し出されるのは取り戻すことはできない敗北なので日本人の考え方は個人より集団を優位に置く傾向がある。その結果として集団の他の構成員、すなわち他人のためにした配慮が体質化されたことは日本社会の光だが、同時に個性が剥製化されるのは影ではないだろうか。豪快に振り回し虚空に砂を飛び散らせ相手を倒した後、勝者が力の限り咆哮する韓国のシルムは本当に個性満点の華麗な競技だ。しかし相撲は勝っても浮き立たず、負けても絶対に不快な表情を作ることができない、感情が極度に自制された無表情な競技だ。

今年で国交正常化50年を迎える日本はいずれにせよ韓国の永遠の隣人だ。韓国の国益のためにも良い関係を築くべきで、このためには政治・外交指導者だけでなく、これからは個人も努力しなければならないだろう。もつれている両国関係改善のための突破口はどうであれ個性的で大胆な韓国人が用意できるだろうと信じられる。

キム・ドヨン(ソウル大学招聘教授・工学)


この記事は、今までこのブロマガで書いてきた、儒教社会における序列意識、蔑視ありきの自民族中心主義、韓国起源説など様々な要素が含まれているわけですが、文章の全体としては日本人の感覚からすると何を言っているのか解らないのではないでしょうか。
しかし、韓国人にはここに書いてある事が非常に納得できるものなのです。


要するにそれは日本人と韓国人が異なる価値観や文化的・社会的背景を持っているからなのですが、本文にもあるように韓国人は日本人を「自分達の分派」のような存在と考え、儒教社会の序列における「弟」と考えているので、だからこそ同一の背景を持ち、同じ背景を持つ存在であるからこそ、日本の相撲を「自分達の価値観の範囲」で分析し、その結果がこの記事なのです。


例えばそもそも韓国のシルムと呼ばれる競技は、そのルーツを辿るとモンゴル相撲に行き着きます。
それは高麗の時代にモンゴルによって数百年支配されてきた事の名残です。
そして日本の相撲は日本書紀古事記に言及があり、その頃の形式は打撃もあり現在の総合格闘技に近いものであったのですから、相撲とシルムに直接的な関連性はありません。


しかし韓国人にとっては、日本とは韓国の分派のような存在であり同じ文化的背景を共有する兄弟であるはずなので、相撲自体もシルムの分派のような存在でなければいけないのです。


また、相撲の「分析」において「負けても絶対に不快な表情を作ることができない、感情が極度に自制された無表情な競技だ」としているのは、韓国は法やルールよりも感情が優先される社会であり、それができないと韓国社会では「情がない」と言われ軽蔑されるからです。


そしてそれが非常に重要であるからこそ、「本来同じ背景を持つ民族」のはずの日本が「情がない」ように見え、このような分析になるわけです。
つまり、韓国人からしてみると、日本人は同種の民族でありながら(韓国人の)「正しさ」や「情」が理解できない、冷酷で道徳心のない非常に劣った存在に見えると、そんなわけです。


彼らはこの前提を元に日本人をこう分析します。
日本は正しさも情も理解できない道徳的に劣った弟なのだ、だから我々がその劣った考えを改めさせ正しさを教えてやらなければいけないと。
記事中にもあり、韓国が日本に対して度々言及する「反省が無い」とは、このような意味もあるわけです。


つまり韓国人は、日本人以外の他の民族や人種に対しては異なる点をある程度「違い(とそれを前提とした優劣)」と理解しているわけですが、こと日本人に対しては異なる点を同じ背景を持つ者同士の「優劣」の問題と考えているわけです。


そして、彼らはこの前提を元に現在の日韓関係を以下のように考えます。


ヤン・サンフンコラム]世界の人は日本が良いという
朝鮮日報(韓国語) 2013.05.31
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2013/05/30/2013053001184.html
ヤン・サンフン論説委員

日本の政治家たちの破廉恥な過去歴史否定で国際社会における日本の位置はきびしくなったろうと考えた。ところが現実は必ずしもそうではないようだ。英国BBC放送が毎年、大陸別に一部国家を対象に実施する国家の評判調査で今年、日本は世界で四番目に人気のある国だった。

20余カ国2万5000人程度を対象に特定国家が「国際社会に及ぼす影響が肯定的か否定的か」を問う調査だ。2005年から毎年行われ蓄積された統計が様々な示唆を与える。昨年は日本が世界で最も人気のある国だった。日本はほとんど毎年、最上位圏に上がる。今年は4月9日までが調査期間だった。日本の政治家たちの妄言はちゃんと反映されていないだろう。しかし、来年の調査でも日本は世界の人々が好む国家最上位圏から落ちないと思う。
(中略)

今年の調査で最も良い評判を得たのはドイツだった。同じ第二次大戦戦犯国だがドイツは徹底した反省を続ける国で日本はそうではない国だ。この様な違いにもかかわらず日本がドイツ同様に国際社会の尊敬を受けている現実、そこに韓・中・日の過去の問題の根源があるのではないか。

国家にも良心や善意がありえるのかは様々な答えがあるだろう。奴隷貿易に一番最初に反対した英国、その多くの植民地を解放させたフランス、奴隷を解放した米国など良心的な行動をした国家がある。しかし、その裏面にはそれしか方法がなかった国家的な必要や環境が常にあったことも事実だ。英国・フランス・ロシア・米国は戦争でドイツを破りその領土を占領した。ドイツが虐殺したユダヤ人らは米国を動かす勢力になった。そのよう国々と勢力がドイツを囲んでいる。ドイツの良心的な過去の反省はそのようにしなければならない外部環境から出たものだ。

韓国は戦争で日本を破れなかった。米国・英国・フランスはすべての面でドイツより良いか対等な国になったが韓国は違った。韓国が英国やフランスのようにならなかったため、日本は韓国に今のように接し、日本が韓国にどのようにしようが世界の人々は日本が好きなわけだ。ドイツと比べ、日本には良心的な過去の反省をしなければ耐えられない外部環境が無いも同然だ。

今は中国の浮上のために逆に日本人たちが被害意識を育てている。BBCの調査で韓国人は21%が日本を肯定評価したが、日本人たちは19%しか韓国を肯定評価しなかった。中国人の17%が日本を肯定評価したが、日本人はたった5%しか中国を肯定評価しなかった。中・日間の競争が激化する限り、日本が自ら変わってドイツのようになる可能性はない。結局、日本問題は私たちがより良くなるかに掛かった問題だ。中国のように筋肉だけ育てて解ける問題でもない。

日本はさらに反対方向に行くだろう。私たちがより良くなるということは、さらに強くなるだけでなく世界の人々が好んで尊敬する国になることだ。私たちがより良くなるということは礼儀・信義・正直・清潔・規律・遵法・誠実・団結で私たちも日本に劣らない国になることだ。そうなれば日本の政治家たちは靖国神社を行き過ぎながらも顔色を見ることになるだろう。安倍や橋本の様な人たちが日本国民の支持を得られず、日本の独島(ドクト、日本名:竹島)領有権主張は無意味になって日本国内ですら忘れさられるだろう。
(後略)



要するに韓国人は韓国人の序列意識を前提にして、「日本人は良い評価(国際的評価の序列の上位)にいるから反省しないのだ」と考えているのです。
勿論実態は全く違うわけですが、韓国人は日本人も自分達と完全に同じ背景を持っていると考えるからこそ、日本でも序列意識が絶対のものであると考え、韓国の「序列」が国際評価で上になれば日本は深く反省し我々の言う事を聞くようになるだろうと、そんな風に考えているのです。


このように、韓国において「日本人は劣等だ」と考える場合に、実は韓国人が他国を劣等だと考える場合とはその評価基準が根本的に異なっています。
そして、以前も紹介したこちらの記事(Battle of the dueling war crimes globalpost August 16, 2013)のように、韓国人は格下と認識する相手には何をしても良い、なぜなら格上の相手は絶対的に正しいからだと考えているからこそ、同じ背景を持ち、かつ劣等な日本には何をしても許されると考えるわけです。


その結果が産経新聞ソウル支局長逮捕事件であり、対馬の仏像盗難事件の顛末なのです。
ある意味で、韓国人が日本人も同じ背景を持っていると考えているからこそこの2つの事件は起きたとも言えるのです。


最後に。
日本人と韓国人は全く異なる常識と価値観を有している事は明白なのですが、今まで書いてきたように韓国人がその事を全く理解していないと同時に、大半の日本人もこの事を全く理解していません。


しかも日本のメディアなどがあたかも日本と韓国は同じ価値観を共有するもの同士と宣伝したり、去年の朝日新聞社長の韓国人へのメッセージのように、「過去、朝鮮半島の影響なしには日本の文化が豊かにならなかったと考える。そのような面で、韓国は日本の兄のようだ」と、あたかも同じ価値観を共有しているかのような発言をしてしまうので、余計に韓国人は韓国人の常識で行動するようになり、よりいっそう日韓の間のトラブルや対立が増えるのです。


また、このブロマガのコメント欄でも度々見かけられますが、「良い韓国人もいる」とか「まともな人もいる」とのコメント、或いは「異常」と評価する人のコメント、これは要するに「日本人の価値観から見て」という意味なのでしょうが、なぜ日本人の基準を絶対値としてまともとか良い人とか或いは異常とか判断するのでしょうか。



これは要するに、最初に書いた「土足で屋内に入る」で一触即発となった江戸時代末期の出来事と全く同じ発想です。
自身の常識でしかないものを、相手も同じ常識に当てはめているからそのような評価になるわけです。
これでは本質的に日本人は自分達と同じと考える韓国人と何ら変わりがありません。


日本人と韓国人は本質的に価値観もあり方も常識も、多くの場合かなり異なります。
そして「違う」からこそ問題の解決法や捉え方そのものが異なるのです。
しかし韓国人はこの違いが無いものと考え、韓国人の常識を日本人に対して行うがために、そして日本人の多くも違いを理解していないがため、お互いにお互いの事を異常と考えたり、逆に違いを指摘することすら差別だと、そう考えてしまうわけです。


日本人と韓国人は全く異なる背景を持つ存在です、そして多くの場合、双方の価値観やあり方は致命的に相性が悪いです。
なぜならあり方が異なるからこそ、双方の常識が相手にとって「非常識」となるからです。
重要なのは、まず違いは違いであると正確に理解することでしょう。


そして、お互いの常識がぶつからないように、ある程度の距離をとって行くことが最も最適な関係なのです。



2014年2月5日20:10追記
結論の部分が説明不足だったので追記します。


距離をとるというのは、要するに日本的な譲り合いによる「こっちが引けば相手も引く」という考えで接すべきではなく、はっきりと要求を拒否し、かつ関わりは必要最低限に留めるという事です。
ここまで考え方が違ったらそうするしか手がないとも言えますが。


「それでも韓国側は絡んでくる」と考える方も多いとは思いますが、それに関して、先日の日経の鈴置氏の記事に面白いものがありました。
慰安婦」を無視されたら打つ手がない 日経ビジネス 2015/2/3」なのですが、その中で韓国の保守系重鎮が、日本へ行って要求をすれば何だかんだと要求を受け入れるだろうと考えていたが、実際は全くとりつくしまもなく拒否された、今の方針は変えるべきとの反応をしているとの記事です。


この記事では、最終的に結局韓国人の反日は止まらないだろうとはしていますが、少なくとも韓国人は「今までのように要求を聞いてくれない」とは理解しているようです。
これは小さな一歩ですが、こうしてしっかりと距離をとり明確な意思表示として「あなた達の考えは容認できない」との態度を続けていけば、いずれ今のような態度も減るでしょう。


要するに、今まで日本は韓国の要求を聞きすぎていたのです。
そして聞きすぎていたからこそ、彼らは日本人と韓国人の間にある価値観やあり方の違いを全く理解できず、「韓国人の常識」で日本へ次々と様々な要求をし、その結果今のような状態になったとの側面があります。


ですからこれからは、日本人的な感覚で安易に関わろうとせず、「日本人と韓国人は価値観が全く違うのだ」という事を日本人の側もしっかりと理解し、その前提で韓国人の態度に対応していく事が重要となるわけです。
「彼らはそういうものなのだ」と理解していれば、自ずと対応も決まってきますから。