日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

日本と韓国で意思疎通が難しい原因


皆様、明けましておめでとうございます。
さて、本日はタイトルにもあるように日本と韓国では物事に対する考え方や認識が全く異なるため、一つの物事が双方で別の解釈になる件について書いていきます。


初めて来られた方はまずこちらを先に読む事をお勧めします。

ブロマガ『日韓問題(初心者向け)』を始めた理由


以前から書いているように、日本と韓国の間では価値観にかなりの違いがあるが、その為同じ行為に対して全く異なる印象を持つ場合があり、例えば日本の他者への配慮や謙遜は韓国人からは「卑屈な態度」に見える。


また韓国の「贈り物文化」が日本からは下品に見えたりと、日韓の文化的・社会的な常識の違いから双方に全く別の解釈をされている事例は非常に多い。


こうした認識の違いがあるにも関わらず、その事を認識しないまま強引に交流を行う人々が後を絶たないため、日韓は交流すればするほど軋轢が生じていく事となる。


※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:韓国人には解らない日本


まずはこちらの記事から

【寄稿】無料でタオルを提供しない日本の公衆浴場
朝鮮日報 2017/12/31
https://web.archive.org/web/20180107002148/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/12/29/2017122900944.html

 日本の公衆浴場、いわゆる「銭湯」では多くの場合タオルが準備されていないため、入浴客は自分でタオルを持ってくるか、その場で購入しなければならない。そのため日本人は入浴を終えて出る時はタオルを固く絞って体を拭く。韓国人の目からすると、このような光景はどこか貧乏くさく見えるかもしれない。そのため日本の公衆浴場を初めて利用した韓国人の多くはこれをばかにして舌打ちをする。「タオル一つで何を丁寧にやっているのか」と考えるのだ。

 ただその一方で日本の公衆浴場は料金が300-500円と韓国よりも安い。日本における人件費の高さ、水道や電気料金のレベルを考えると、韓国のようにタオルを提供していると料金を安く維持することができないのだろう。

 また日本人はこのような費用以上に「公平性」を重視する。タオルを無料で無制限に使えるようにすれば、マナーのない利用客が得をし、環境を考えてタオルを無駄に使わない利用客が損をする。誰かが5枚のタオルを使い、他の誰かが1枚しか使わないのに同じ料金だとすれば、一方は不当な利益を得て一方はそれだけ損をすることになる。そのためタオルは各自が準備し、その代わり入浴料を安くする。それが日本人の持つ公平性という考え方だ。誰もが使っただけの費用を負担することが、全体にとって最も公平になるということだ。

 これは公衆浴場だけの話ではなく、飲食店などでも同じだ。日本の飲食店では無料で提供される料理などほとんどない。客は食べたいものがあればそれだけ料金を支払わねばならない。日本で韓国人がそのような経験をすれば「日本人は本当にけちでみみっちい」と感じるだろう。しかし私は日本人の日常生活に見られるこのような公平性への執着、あるいは徹底した態度はけちだからではなく、合理的な考え方が反映されたものと考える。

 一見すると韓国にはただでもらえるものが多いようだが、実はそれらは全て基本料金に含まれているケースが多い。言い換えると、さまざまな観点から公共の利益を考え、節制するマナーのある客の方が損をする構造になっているのだ。受益者負担という考え方あるいは原則が日常生活に適用されれば、それはけちではなく現状に合わせて浪費を防ぐ知恵になるのだ。

申尚穆(シン・サンモク)さん(日本式うどん屋「桐やま」代表、元外交官、『学校では教えてくれない日本史』著者)


この記事なのですが、日本人ならばこの内容には違和感しか無いでしょう。
なぜかといえば、そもそも湯上りにタオルで体を拭くのは脱衣場を水浸しにして他者に不快な思いをさせないためであり、「タオル使用の平等のため」ではないですし、この記事の筆者の想定する公益性ともあまり関係が無いからです。


ではなぜ韓国人にはこの記事のように見えるかといえば、韓国では対等の概念が希薄であり、また易地思之の概念もあることから、「他者に配慮する」という行為が「卑屈」に見えるからです。


つまり、他者の迷惑にならないようにするという行為は、「自身が弱いために周囲の顔色を気にしないといけないから」という発想になるため、公衆浴場で脱衣場に上がる前に体を拭くという行為が何のためなのか理解できないわけです。


またこちらの記事では先日亡くなった星野仙一氏に関連し、中央日報が以下のような記事を掲載しています。

【取材日記】日本が星野氏を送る方法
中央日報 2018年01月08日
http://japanese.joins.com/article/257/237257.html

(一部抜粋)
星野氏は自らを「超二流」と呼んだという。一流ではなく、それでも二流ともいえない存在という意味だった。実際、星野氏はトップではなかった。選手または監督として日本シリーズ優勝を経験したのは66歳だった2013年の1回だけだ。日本メディアが星野氏に熱狂するのは強敵にも立ち向かっていく闘志のためだ。


日本人ならば、星野氏が自身を「二流」と自称したのは謙遜であり、また自己の評価は他者が決めるものであるという考え方が根底にあるからだと理解できるわけですが、韓国人にはこれが理解できません。


「自身は常に正しい」という大前提を元に思考するため、自身の評価を自身が行うのは比較的当たり前の行為です。
ですから、本人が「二流である」と主張すればそれを言葉通りに取るわけです。

2:日本人に解らない韓国


当たり前の事ですが、上記のような状態である以上日本人には理解できない韓国人の行為というものもあります。


以下の事例が典型的ですが、タイトルにもあるように季節や行事ごとの贈答品に現金そのものを送るという行為が韓国で広まっているという事が書かれています。

韓国で「贈答用現金」が大人気
朝鮮日報 018/01/04
https://web.archive.org/web/20180107140658/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/01/04/2018010401281.html

(一部抜粋)
 これまでは、クリスマスや年末年始のプレゼントとして、衣類や靴、玩具などをよく贈っていた。最近では、品物を直接選ぶ代わりに、受け取る人が必要な品物を望みの場所で購入できるよう現金を贈るケースが増えている。現金封筒やボックスなど「現金プレゼント」に関する商品が人気を集めている。


日本の場合、直接現金を送る行為は基本的にタブーですし、何より「相手に選んでもらう」場合にはカタログとセットになった商品券等を利用するのが一般的です。


これは恐らく韓国の賄賂文化から来るものです。
徹底した序列社会である韓国では、贈答品というのは原則的に賄賂としての要素が強く、このため韓国人は賄賂に対して日本人ほどには拒否感がありません。


そのため日常的に賄賂が横行しすぎであったことが社会問題となり、一昨年になって金英蘭法という、「贈答品の金額に制限をかける」法律が施行されました。


保護者の83%と教師の85%は「付け届けの慣行がなくなった」 請託禁止法1年
東亜日報 September. 25, 2017



上記の記事では「付け届けの慣行がなくなったとしていますが、実際には「高額付け届けの慣行がなくなった」というだけです。
実際、以下の記事のように、金英蘭法に触れない額の付け届けはむしろ人気になっています。


大学街では「論文審査の茶菓セット」が依然飛ぶように売れる 東亜日報 June. 19, 2017


序列社会の韓国では、贈答品とはどこまでいっても「付け届け」や「賄賂」の意味合いがあり、序列の上位者に「よい印象を与えるための利益供与」が贈答品であるという認識が下地にあるため、「現金の直渡し」にも日本人ほど抵抗が無いわけです。


序列社会であり賄賂社会である韓国では「相手に物を贈る」という行為に対する認識そのものが日本人と異なっているという事でもあります。


ですから、以前安倍総理トランプ大統領に送ったゴルフクラブも、韓国人から見たら「付け届け」にしかみえなかったという現象も発生しています。


※2018年1月11日22時10分追記
例えば日本でも現金を送る習慣として、結婚式や葬式、或いはお年玉などがありますが、これは相手に対して何らかの見返りを求めるためというよりも、共同体の中での共助という意味合いが強く、韓国の現金贈答文化とは意味合いが異なります。


3:「誰」が最も問題か


日本と韓国では、このように何気ない日常の小さな出来事ですらその認識にかなりの違いがあり、更に問題なのは双方にとってマイナスイメージになるような「違い」が多数ある事が特徴的です。


日本の常識と他国の常識が違う事は特段珍しい事ではないですが、こと韓国関連では単に違いだけでは済まされない事例が非常に多いという事です。


ですから当然、日本と韓国は普通に交流しようとしても本来は上手く行きません。
表面的に上手くいったように見えても、必ずどこかで軋轢が生まれます。


そしてその軋轢は容易に相互不信につながります。


例えば、韓国人の日本人への感想などを見ていると、「日本人には二面性がある」と指摘する韓国人をよく見かけます。


これなのですが、詳しく調べていくとその多くが最初に挙げた「配慮」や「謙遜」に関連している事がわかります。


彼らは日本人の配慮や謙遜を「弱いからだ」と判断し、自身のほうが序列が上なのだと認識するケースが多いのですが、日本人には当然その意識は無くお互い対等であると認識している場合が多いです。


そして、その認識のまま「対等の友人として」韓国人に「これはおかしいから直した方が良い」等と忠告すると、韓国人は「裏切られた」とか「いきなり劣等性の指摘をし始めた」と認識します。


その結果「日本人はいきなり態度が変わる、二面性がある」と認識し、相互不信に繋がるわけです。


だからこそ、本来は交流をしたいならば個人単位の自己責任によるもの以上はしない方が良いわけですし、韓国人の日本での組織的な就職斡旋なども本来はしない方が良いわけですが、日韓友好を訴える人達は違いそのものを否定し強引に交流事業を進めています。


こんな事をしても双方にとって不幸しかないわけですが、彼らは価値観の違いの指摘すら「悪」であると否定し異論を排除しようとします。
ある意味、こうした友好を強引に進めようとする人々こそ「日韓問題最大の原因」と言えるでしょう。




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