日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

「韓国の前方後円墳が隠蔽のために破壊された」は間違い


さて、今回はネット上に多数ある韓国関連のコピペの中の間違いについてとなります。
こういったコピペは有用なものから毒にも薬にもならない物まで多数あるので、一々突っ込みを入れていたらきりが無いのですが、このコピペに関してはかなりあちこちで見かけること、何度かざっと調べた(昨日も調べてみました)のですが、間違いを指摘している書き込みなどが見当たらなかったこと、結構信じている人が多かった事もあり書く事にしました。
(間違いを指摘している書き込みやブログなどがあったらごめんなさい)


ではまず問題のコピペを


【韓国】ソウルで日本式の前方後円墳発見 KBSが報道(聯合ニュース)05/10/31
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1130769150/

【1500年前の木棺発掘…古墳時代朝鮮半島を支配していた日本の皇族の墓の可能性】

   ↓↓ ↓↓ (2日後) 

【韓国】KBS報道の「江東前方後円墳発見」なかった事にしましょう(聨合ニュース)05/11/02
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1130938466/

【韓国】自国の文化さえ破壊する韓国人達 ~古墳を埋め戻して歴史を隠蔽
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/bunka08.htm

【韓国】 「韓国の前方後円墳倭人の墳墓」 朴天秀(パク・チョンス)著(朝鮮日報)07/11/18
http://www.chosunonline.com/article/20071118000001

【韓国】ソンジン精工、掘削機で古墳を破壊 /忠南・唐津(朝鮮日報)08/05/01
http://www.chosunonline.com/article/20080501000



このコピペ、数年前から2ちゃんねるなどを中心として出回っており、yahoo知恵袋や多数の2ちゃんねる系まとめブログなどにもあったのですが、後ほど詳しく書きますが最初のリンクにある記事と最後のリンクにある記事は全く別の場所の出来事で一切関連性がありません。


そもそも、当時(2005年)韓国の前方後円墳の顛末は日本のネット界隈でも結構な頻度で取り沙汰されていたのですが、「破壊された」という話は当時聞いた事が無く、このコピペをみかけるたびに「何かおかしいな?」とは思っていました。
そこで、実は今年の夏頃にリンク先を辿って調べてみたわけです、今回書くのはその時の調査結果です。
ちなみに今頃書くのは、すみません完全に資料に埋もれて忘れていました…


ではまず最初のリンクから見て行きましょう。


ソウルで日本式の前方後円墳発見か、KBSが報道
聯合ニュース 2005/10/31
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=052005103110500(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20070309064757/http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=052005103110500(ウェブアーカイブ
【ソウル31日聯合】KBSは31日のニュース番組で、ソウル・江東区一帯で漢城百済時代に作られた前方後円墳10数基が1度に発見されたと報道した。KBSではこれらを百済初期の王陵クラスの墓と推定している。前方後円墳は日本で典型的な古墳方式だが、朝鮮半島では全羅南道の栄山江流域で10基あまりが確認されるだけだ。しかし、調査主体が考古学の調査専門機関ではないこと、発掘調査ではなく地質探査技法による結果に基づいていることなどから、報道内容に疑問の声も上がっている。




コピペでは2ちゃんねるのスレッドがリンクされていますが、元記事はこの韓国の聯合ニュースの記事です。
当時この発見が韓国のKBSで放送され、「我々が前方後円墳を日本へと教えてやったのだ」と前方後円墳韓国起源説のようなものが韓国で騒がれたのですが、その後報道自体が殆どなくなり話題自体が消えていきます。


実は記事にもあるように以前にも韓国で前方後円墳が発見されており、それが全て日本のものより新しく規模が小さかった事から、日本から伝わった古墳である事は以前から指摘されていたことが世間に知られるようになったのです。
ちなみに、韓国で発見され明確に前方後円墳と確認された古墳は、ソウルよりずっと南の全羅南道全羅北道に集中しています。


しかし、韓国の考古学会は「日本から伝わった」「日本人の支配者階級の墓」とすると任那(古代朝鮮半島における日本の直轄地)の存在を認めてしまいかねない事になるため、「あれは百済に仕えていた倭人の墓だ」等、様々な説を出して反発していたわけですが、どれも根拠不足でお話にならない物でした。
要するに、この当時のKBSの報道は、韓国の学者たちからするとこの議論を再燃させる「薮蛇」でしかなかったわけです。


そして次のリンクの記事の内容がこちら


<'江東前方後円墳発見' 根拠なさ判明>
聯合ニュース 2005/11/02
http://www.yonhapnews.co.kr/news/20051102/030000000020051102085828K0.html(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20060310164851/http://www.yonhapnews.co.kr/news/20051102/030000000020051102085828K0.html(ウェブアーカイブ
漢城都邑期百済時代(BC 18~AD 475)王陵級前方後円型超大型古墳10数基がソウル江東一帯で発見されたと31日報じた一部メディアの報道は根拠の裏付けがないことが判明した。

国立文化財研究所は報道直後の1日、現地に対する予備的性格の調査を実施した結果、マスコミ報道で前方後円墳と表示された丘陵頂上では一般民墓と軍事用塹壕(ざんごう)などが確認され、塹壕内掘削された壁面には自然丘陵の風化岩盤層が現われていたと2日発表した。

塹壕を造成する過程で形成された掘削された地層が「自然丘陵風化岩盤層」という言及はこれらが墓封墳などを造成する過程で人為的に造成された地層ではないという意味だ。

しかし研究所は、この一帯に大規模開発工事の計画があることを知ると、周辺地域の開発状況とともに開発によって埋蔵文化財が毀損される事がないように措置を取って行くと言った。

前方後円墳は、死体を安置する封墳は丸く、一方その先方の祭壇は四角形に造成された形態で、日本列島で発生してそこで流行った独特の墓様式だ。



この記事では、先ほど書いたような事情から薮蛇にならないようにしたい韓国の学者達が、「誤報だった」としようとさまざまな説を持ち出して火消しをしている内容です。
そして結局その後、殆ど調査もされないまま「誤報だった」として埋め戻してしまっているので、このとき発見された古墳が本当に前方後円墳だったかどうかは今でもわからないままです。


この時、韓国の学者達がかなり必死だった事から、恐らくそれが伝言ゲームで「破壊した」と言う話へと変わっていく切っ掛けになったのではないか?と考えています。


次のリンクは既に消えている個人のサイトの記事ですが、文体やページのデザインから恐らく誰が書いたものなのか一応見覚えがあるのですが、確証が無いのと本題と関係ないので言及しません。
また、書かれている内容はウェブ魚拓にキャッシュが残っていたので確認できますが、文章に間違いはありません、要するに先ほども書いたように韓国が問題の古墳を埋め戻した事に言及している記事です。


自国の文化さえ破壊する韓国人達 ~古墳を埋め戻して歴史を隠蔽
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/bunka08.htm(リンク切れ)
http://megalodon.jp/2008-0503-2049-17/members.at.infoseek.co.jp/konrot/bunka08.htm



そして次のこの記事なのですが、内容的には今までに書いた通り、なんとか百済に仕えた倭人の墓だとしようとしている記事ですが、要するに「起きたまま寝言を言っているだけ」なので読まなくてもいいです。
そもそもこの内容だと、朝鮮に現存する最古の歴史書である三国史記の記述とすらも矛盾してしまいます。


「韓国の前方後円墳倭人の墳墓」
新刊】朴天秀(パク・チョンス)著『新しく書く古代韓日交渉史』(社会評論)
朝鮮日報 2007/11/18
http://www.chosunonline.com/article/20071118000001(リンク切れ)
http://megalodon.jp/2008-0906-2110-36/www.chosunonline.com/article/20071118000001ウェブ魚拓
(前略)
著者は、前方後円墳の形態で見る時、倭人の墳墓だという事実を認定する。しかし墳墓から出土した百済の威勢品は、百済に服属した「倭系官僚」だという事実をあぶり出す。遺物や遺跡、そして歴史書などを総合すれば、こういう話になる。西暦475年、百済はソウルを高句麗に奪われた後、韓半島南部に南下した。その過程で、栄山江流域最大の土着勢力が居着いていた全羅南道羅州潘南面地域は土着勢力を首長に据えて「間接支配」し、その外郭は前方後円墳を作った倭系軍事勢力を利用し「直接支配」した、というものだ。しかし、538年に熊津(現在の公州)から泗沘(現在の扶余)への遷都と栄山江流域の直接支配、そして倭系官僚の本土帰還や「百済化」により、前方後円墳は消えた。


さて、ここまではコピペの内容にほぼ間違いはありません。
(注釈は必要ですが)
問題は最後のこの記事です。


ソンジン精工、掘削機で古墳を破壊 /忠南・唐津
朝鮮日報 2008/05/01
http://www.chosunonline.com/article/20080501000(リンク切れ)
http://megalodon.jp/2008-0503-2044-52/www.chosunonline.com/article/20080501000039ウェブ魚拓
文化財の発掘調査のため新しい工場の建設が遅れることに不満を持ったある企業が、重機で発掘現場を破壊していたことが明るみになった。

 重機部品メーカーのソンジン精工は先月29日午後2時ごろ、忠清南道唐津郡にある工場建設予定地内の文化財発掘現場で、掘削機1台を動員して高麗時代の古墳と推定される四つの遺跡を破壊した。

 現場で発掘調査を行っていた忠南歴史文化研究院の関係者は30日、「ソンジン精工が29日朝から作業を急ぐよう要求し、突然遺跡の内部にある木の根を引き抜くと言いだし、周辺にあった掘削機で遺跡をすべて破壊し始めた」「発掘調査の原則に従って作業を進め、遺跡そのものが重要な文化財だと説明したのだが、会社側は理解してくれなかった。調査員が持っていたカメラも奪われた」と証言した。

 ソンジン精工は最近忠南唐津に5万坪の敷地を購入して新しい工場の建設を進めていた。ある米国企業と500億ウォン(約52億円)の輸出契約を締結していたので、納期を合わせるには10月までに工場を完成させなければならなかったという。同社のパク・ソンス代表取締役は「たいして価値もない三つや四つの石ころのために仕事を遅らせようとするので、当社が掘削機で掘り進んだところ遺跡は出てこなかった。問題があれば処罰は受けるが、自分もすべてを投げ打って資金を調達し、行っているビジネスだ」と主張した。

 先月5日にはすでにこの場所での文化財地表調査が終了したにもかかわらず、すぐに発掘調査が始まらなかったことから、ソンジン精工は28日にあるマスコミを通じて不満を訴えた。文化財庁は直ちに発掘が行えるようにすると連絡し、29日から作業を始めたばかりだった。しかしソンジン精工は発掘調査が遅れそうだと自ら判断し、突然遺跡の掘削を始めたという。



重要となるのは、最初の記事とこの記事の遺跡の場所と、この時破壊された古墳がどの時代の遺跡なのかです。


最初の2005年の聯合ニュースの記事ではこう書かれています。


>ソウル・江東区一帯で漢城百済時代に作られた前方後円墳10数基が1度に発見されたと報道した


最後の2008年の朝鮮日報の記事ではこう書かれています。


忠清南道唐津郡にある工場建設予定地内の文化財発掘現場で、掘削機1台を動員して高麗時代の古墳と推定される四つの遺跡を破壊した。


ソウル特別市の位置はここ






ソウル特別市江東区の位置はここ





忠清南道の位置はここ






忠清南道唐津市の位置はここ





説明するまでも無いと思うのですが、2005年に発見され騒がれた古墳の場所と2008年に破壊されたとする古墳の場所は全く別なのです。
更に、最初の聯合ニュースの記事では「百済時代の前方後円墳」としており、2008年の朝鮮日報の記事では高麗時代の古墳となっています。百済とは西暦346~660年まで朝鮮半島にあった国、高麗とは西暦918~1392年まで朝鮮半島にあった国です。



時系列が全く合わない上に、そもそも日本は西暦663年の白村江の戦い百済を支援し、新羅・唐連合軍と戦いましたが百済が敗れてしまい、これにより朝鮮半島での活動拠点を失ってしまったため、前方後円墳もこれ以後は作られていません。
つまり、高麗の時代の古墳という事は、前方後円墳ですらないわけです。


まとめると要するに、2005年にソウル市内で前方後円墳らしきものが発見された事、当時KBSの報道により僅かな期間韓国で前方後円墳の起源が騒がれた事、その後ソウルで発見された前方後円墳らしきものを、韓国の学者がろくに調査もしないまま誤報として埋め戻してしまい、結局有耶無耶になった、ここまでは事実。


そして、当時の韓国の考古学者達のドタバタが独り歩きし、なぜか「埋め戻した」が「破壊された」に摩り替わり、2008年の全く関係ない場所の古墳破壊事件が、なぜか2005年に話題になったソウル市内で発見された前方後円墳らしき物の埋め戻し事件と混同されコピペ化されたというわけです。


最後に。
以前から書いてきたように、韓国では現在非常に民族主義的傾向が強くなっており、歴史もその民族主義を満足させるための道具と成り下がってしまっています。
結果的に、史跡や史料を元にしたまともな研究が「愛国心」や「日帝史観」という名の下に無視されているため、例えば日韓の歴史共同研究ではこんな事も起きています。


文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69~70頁
-韓流(韓国人)「自己絶対正義」の心理構造-
櫻井よしこ
以前、呉善花さんと話していたら、「櫻井さん、あなたの話し方では絶対ダメよ」と言われました。「とにかく相手より大きな声と尊大な態度、相手より大げさ形容詞と身振り手振りで非難しないと、韓国では論争に勝てない」と(笑) 。

古田博司
日韓歴史共同研究委員会の)当事者なのであまり詳しくはお話できないのですが、例えば意見が対立しますね。日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る(哀) 。
            
関川夏央
「ない!」と答えてはいけないのですか(笑)。

古田
さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。                      
関川
歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。



この対立は現在でも起きており、韓国側は「史料はそうだが感情的に受け入れられない」という態度を取り続けているのですが、結局はこのコピペもそんな背景から「韓国ならやりかねない」という先入観により出来た物なのでしょう。


しかし、そんな背景があるからと間違いは間違いである事に変わりはありません。
韓国関連のコピペは今も増え続けており、大半は問題ないのですが中にはこんなものもあり、元ソースらしきリンク先があると信じてしまいがちです。今回の件にしても、私がたまたま当時の顛末を知っていたからこうして調べる機会があっただけで、知らなければ私自身「韓国ならありえそうなこと」なので信じていたかもしれません。


そして恐らくこのコピペを作った人にしても、意図的に騙そうとしたわけではなく、リンク先をよく読まずにタイトルのみでまとめた結果なのでしょう。
こういった事は常に起きうることです、そして明確な予防手段というもの特にありません、不確定要素の高い対処にしかなりませんが、私がこのブロマガで書いていることも含め、「ほんとかな?」と思ったらまず自分で多方面をあたって調べてみる事が重要でしょう。


「先入観」というのは誰しもが持つものですから。