日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

本当の意味での日韓の関係正常化への道


さて、今回は本来の日韓関係の正常化とはどういったものなのか、私なりの考えを書いて行きます。
そしてどんな形が正常なのか、理由が少々長くなるので最初に結論を書いてしまうと、


「日韓は本当の意味で近くて遠い国になるべき」


というものです。


まずはこちらの記事から


韓国はどのように絵文字大国になったか
NAVER/マネートゥデー(韓国語) 2014-09-11
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=008&aid=0003328744
ハングルは顔文字と子音だけで会話が可能である
世界中で利用されているSNSソーシャルネットワークサービス)Facebook。全世界の言語が一目で見られるこちらでも、韓国語を使う利用者は他の言語の使用者と違い、エモティコン(以下、顔文字)を楽しんで使っているのが確認できる。英語を使う韓国人利用者は、ネーティブスピーカーと比べて英語の顔文字をより多く使う傾向も見られる。

韓国人は他の言語使用者と比べて、顔文字の使用頻度が高い方だ。通信強国としての通信言語が約20年にわたって発展して来た理由もあるが、ハングルが他の言語に比べて顔文字に適用しやすい理由も大きい。

タイポグラフィーメディア(絵文字)の疎通と公共性(弘益大学・造形大学キム・ヨングク教授)』の論文によれば、ハングルは字面の基本形態が単純で絵文字に適用した際、他の文字や記号と調和して使われやすい。ハングルは、西洋のアルファベットが象形文字から長年の歳月変異を経て確立された歴史的発端とは違う脈絡で、科学的かつ体系的に使いやすくされた文字だ。

ハングルは組み合わせを基本にするため、自由に縦横にばらし書きできる特徴を持つ。ハングルの集合文字の特性によって、それぞれの音節文字を別に集めて再配列しても、上下左右のハングル構造さえ守れば認識が可能で顔文字を簡単に作れる。

同時にハングルの通信言語は文語体に閉じ込められず、様々な文体で発現される。特にPCのメッセンジャースマートフォンなどを経て、ハングル通信言語の口語体的な使われ方は更に強化された。一方、英語の通信言語は文語体の枠組みから大きく抜け出さない。このために顔文字の使い道においてもハングルの顔文字が指示的機能、感情的機能などを豊富に表す一方、英語の顔文字はリアリティーを表せない。主に親しさや連帯感を現わす役割に限って使われる。

代表的に使われる英語の顔文字には、大笑いする姿を現わす『lol(laugh out loud)』や笑顔を形象化した『:-)』などがある。ハングルは'ㅋㅋ', 'ㅎㅎ', 'ㅋㄷㅋㄷ', '^^' など、状況と脈絡によって一層豊かな形態と方法で笑う姿を顔文字化できる。

これだけでなく、ハングルは子音だけでも感情を伝達することができる。例えば 'ㅎㄷㄷ', 'ㄷㄷ'などの場合 '같은 경우 '(ガクブル)などの表現を子音のみで書いて感情を伝達する方法だ。指示的な方法で使われる場合も少なくないが 'ㄱㄱ'は '고고(gogo)'を表して、『2222222』などは主にゲームで使われる絵文字で、「2時の方向に攻撃しよう」という意味がある。



この記事を引用した理由について説明をすると、なぜ韓国がこんな記事を書いているのかといえば、それは2000年代末頃より国際的に日本の顔文字やAAが有名になり、世界を席巻するというほどのものではないですが、日本式の顔文字がネットを通じて世界に広まり、利用者がかなり増えた事が関係しています。


地味ですが日本関連の特異ないわゆる「ガラパゴス」が世界に認知されたという事になります。


そして韓国という国は、日本で流行った物は文字通り何でも「真似をする」国です。勿論日本のネット文化も韓国に輸入され、顔文字やAAも「日本式」が欧米式と共にかなり普及しています。
そして常に日本の後追いをする彼らは、日本のネット文化が世界で広がりを見せると、「ならば自分も」と考えるのです。
結果が最初に紹介した記事です。
(こちらの記事を読むとどれほど日本の文化が韓国に浸透しているかがわかります 【韓国BBS】 韓国ネット用語の起源が日本語だと判明し、韓国ユーザー動揺 韓フルタイム 2012年11月3日


このように韓国人は日本のものが世界で注目されると、「日本が出来たなら自分も」と後追いで同じ事をして注目されようとする傾向がかなり強いのです。
他にも例えば、韓国は毎年10月頃になるとノーベル賞の話題でもちきりになります、以下の記事のように。


【社説】19対0、韓日ノーベル科学賞の数が雄弁に語るもの
2014年10月09日08時28分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/100/191100.html
日本出身の科学者3人が今年、ノーベル物理学賞を受けた。エネルギー効率が高く親環境的な光源である青色発光ダイオード(LED)を開発した功労だ。今年のノーベル物理学賞は、これまでにない新しい基礎固有技術を開発した基礎科学者ではなく、人類に有益な技術開発に成功した応用科学者に渡ったという点で意味が大きい。今後、基礎科学をこえて多様な応用科学分野でもノーベル賞を期待できるようになったためだ。

今回の受賞で日本出身のノーベル科学賞受賞者は19人、日本国籍者は17人になった。1人のノーベル科学賞の受賞者も輩出できない韓国の立場としては、うらやましいばかりだ。受賞者の数字を比較して、スポーツ競技スコアのように「19対0」と表現した用語もインターネットなどで出回っている。日本との競争を重視する国民感情上、理解できる面もある。韓国科学者の中からノーベル賞受賞者が出てくれば、科学に対する国民の関心や国家的な投資が促進されると期待できる。多くの人材と研究費が科学分野に流れていき、科学技術研究がより一層促進される連鎖反応効果も出すことができる。

だがノーベル賞は長年の科学研究に献身した結果として受けとるものであって、軍隊のように作戦を展開したり企業のように事業計画を推進したりして受けとれるものではない。ノーベル賞受賞を国家科学技術政策の目標にすることもできない事情だ。政府がノーベル賞に焦燥感を抱く必要はない。ただし科学技術に対する国民的な認識を高め、人材と資金が集まるよう努力する必要はある。科学技術は、私たちの未来を担う価値を創造する源泉だからだ。

(後略)


見ての通り、かなり日本を意識しています。
はっきり書いてしまえば、彼らは純粋にノーベル賞を取れるような研究がしたいのではなく、「日本人が取ったから欲しい」のです。
そして韓国では、なぜ受賞できないのかが毎年話題になり、中には真っ当な意見もあるのですが、その中ですら比較対照となるのは常に日本です。
議論の中心が「なぜ日本が取れて自分達は取れないのか」なのです。


また真っ当な意見以外にも、【BOOK】日帝が朝鮮人の科学教育を妨げた理由は 中央日報 2014年12月25日のように、取れない理由すら日本のせいにする記事が毎年のように飛び交います。


このように、韓国人は何もかもが日本基準で後追いです。
他にも例えば、日本がホンダ技研のアシモで二足歩行ロボットを開発すると、韓国はヒューボというアシモと外見だけよく似たロボットを「開発」したり、ミシュランガイドが日本版を出版するとミシュランに対して政府レベルで「韓国版も作れ」と要求した挙句、韓食の世界化プロジェクトというものを始めたりします。


また日本のマンガやアニメが流行ると国家プロジェクトとして政府主導のトップダウンでアニメやマンガの「世界化」を実行しようとしたりと、そのほかにも色々ありますが、とにかくなんでも後追いしようとします。
全て動機は「日本がやっているから」です。


しかし、元々国際的に普及するための韓国内での下地があったり技術や文化の土台としての背景があったわけではなく、ただ日本が注目されたからという理由で、上辺だけ真似て政府主導で予算を立てて実行するものですから、大半は失敗し途中で有耶無耶になります。
そしてまた次の後追いをするという事を繰り返すのです。


なぜ韓国はこんな事ばかり続けるのでしょうか。
なぜ独自の道を進もうとしないのでしょうか。
そこには韓国人の「恨(ハン)」という文化が関係しています。


この恨(ハン)という概念、日本の概念で言うところの「恨み」とは全く違う概念です。
どんなものかというと、恨み、怒り、絶望、羨望、悲哀などが混ざった物で、一般的には朝鮮の儒教社会における徹底した上下関係の抑圧の中で、不満の累積と解消願望のために作り出された概念とされているものです。
(ちなみに韓国人はこのように表現しています 【コラム】恨と興の融合民国=韓国 中央SUNDAY/中央日報 2014年03月19日


この「恨(ハン)」を、韓国人は常に日本人に対して強烈に感じているのです。
韓国人は、学校教育で日本は文化的に劣等であり日本の文化は自分達が教えてやったものだとしているため、日本の文化などが世界的に注目されると「なぜ自分たちではないのだ」と感じ「恨」を溜め込み続けるのです。


そして彼らはこの恨をなんとか解消しようとします。
この恨の解消方法として最もよく取られる手段が、相手への同質化と「成り代わり願望」です。
要するに起源主張などもその一例なのですが、例えばこれがその典型例でしょう。


ピ "倭色論議?アジア的な色の忍者示す"
NAVER/マネートゥデー・スターニュース(韓国語)  2008-09-19
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=106&oid=108&aid=0001958745
歌手兼俳優のRain(ピ=チョン・ジフン)がハリウッドの初主演作品の『忍者Assassin』に対し、率直な考えを明らかにした。

ピはアメリカのオンラインエンターテイメントサイト、『CraveOnline』とのインタビューで、「日本伝統の忍者は私のロールモデルではない。『忍者Assassin』のライゾーは日本伝統の忍者ではなく、国際的な東洋人の孤児のようなキャラクターだ」と語った。

引き続き、「韓国も忍者文化を持っている。でも日本のそれとは違い、武技の一分派のような存在」と付け加えた。

ピは『スピードレーサー』に続いて、『忍者Assassin』でウォシャウスキー兄弟の作品に出演した。ピは組織オズヌに人間兵器として育てられる孤児のライゾー役を引き受けた。

ピは今回引き受けた配役に対し、「幼い頃からアクションヒーローを夢見ていた。そして現在その夢を掴んだ」と意味を付与した。
(後略)

クレーブ・オンラインのインタビューの元ソース
http://www.craveonline.com/film/interviews/150202-rain-stars-in-ninja-assassin




忍者といえば、外国では日本をあらわす典型的なアイコンの一つです。
ですから彼らは、忍者映画に出演する事で日本のイメージと同質化し、そのうえで「韓国にも忍者がいた」と成り代わりをしようとしたわけです。
勿論韓国に忍者がいたという記録は一切ありませんから、これは明らかな嘘なのですが、彼らに取ってはこれこそまさに「恨を晴らす」手段なのです。


そしてもう一つ恨を晴らす手段があり、それがいわゆる韓流です。
要するに「韓国人の正しさ」や「韓国人の優秀性」を、当の日本人達に理解させ自分達を崇拝させる事で、優越感を得て恨を晴らすことでコンプレックスの解消としようとしたわけですが、結局どちらも下地としての背景を持たないため事実上失敗しました。
そして韓国人はより日本人に対し恨を溜め込む事となるのです。


こうして韓国人は日本しか見ないために日本に対して恨を溜め続け、日本しか見ないからこそ日本に対して恨を晴らそうとして次々と失敗し、更に恨を溜め込むと言う無限ループの状態に陥っています。
そのうえ、こうして恨を晴らそうと日本ばかり見て日本の真似と後追いばかり続けた結果、実は韓国の中にある「韓国らしさ」や「独自性」というものがどんんどん無くなって行ってしまっているのです。


私は90年代の韓国というものを実はよく知らないのですが、90年代から2000年代前半頃までは、本当の意味での「韓国らしさ」が好きで韓国文化のファンという人がそこそこいたようなのです。
そして、私は2000年代初め頃にそういった人達から「韓国らしさとその魅力」についても教えてもらっていたのですが、私にはクド過ぎて合いませんでした。
まあそれは個人の好みの問題なので、結構どうでもいいのですが、重要なのは当時はそういった人がいたということです。


しかし韓流が日本で始まり韓国人が本格的に恨を晴らそうと活動し始めると、そういった「韓国の独自性」というものがどんどん消えていきました。
私が最後に見た「韓国らしさ」の作品は、2006年に日本でも上映された「グエムル-漢江の怪物-」という映画でした。


あの映画はゴジラの影響を強く受けているうえに、肝心の怪物の姿が日本の映画作品である「WXIII 機動警察パトレイバー」に登場した怪物とそっくりであり、日本ではその事が特に話題になっていたのですが、実はあの映画の見所は、そういった「パクリ部分」ではなく主要登場人物である韓国人家族の人間劇です。


先ほども書いたように、私は韓国人独自の「クドさ」がどうしても好きになれなかったですし、作品自体色々と日本を意識しすぎてはいますが、その中に明らかに「韓国人家族の人間劇」として、韓国人の独自性があったという点では私はあの映画をかなり高く評価しています。
ああいったものを昇華して独自性を出していけば、地道に外国へ売り込めて徐々に評価される可能性もあったのですが。


そのうえで、韓国政府主導で行われた韓流ブームにおけるK-POP、これの「韓国らしさ」とか「独自性」とはなんでしょうか?はっきり言ってあれに「らしさ」や独自性など何もありません。
最近何かと話題の「BABYMETAL」、あれは良くも悪くも非常に「日本的」であり、それが世界のメタルファンに意外とウケた結果、物凄い賛否両論の大論争を巻き起こしたのですが、K-POPはまさにそれとは対照的です。


これは政府主導で売り込まれた韓流ドラマや韓流映画でも同じです。下地が無く、ただひたすら評価を受けようとか恨を晴らそうという目的で、様々な国のポップカルチャーを切り貼りしただけだったために、韓国らしさが年々排除され続けたものの末路なのです。


そのため、欧州で売り込んだK-POPは散々な評価を受けました。


SMパリ公演は韓流快挙?
オーマイニュース(韓国語)
http://media.daum.net/culture/others/view.html?cateid=1003&newsid=20110613120918187&p=ohmynews
(前略)
<ルモンド> "韓国行政府、躍動的な国家イメージを売ろうと大々的支援"

現地反応はどうだろうか?フランス二大日刊紙である<ルモンド>と<フィガロ>がこのニュースを6月11日付で比重あるように報道した。フィガロの場合1面に。ルモンドの場合、文化面を通じてだ。

希望一辺倒および'パリ征服'式の刺激的なヘッドラインでこのニュースを報道する私たちの言論と違い、現地言論の論調は物静かだというより隠喩的に批判した姿だ。 もちろん表面では韓国のアイドル文化を事実そのまま報道したが、その中には批判的な内容があらわれる。

"des ensembles de garcons ou de filles imagines par des societes de production ayant fait de la musique un produit d'exportation, avec le soutien actif des autorites sud-coreennes, qui voient la un moyen de vendre une image positive et dynamique du pays."

"「音楽を輸出できる製品に仕上げた製作社の企画通りに作られた少年少女たちが、肯定的で力動的な国家イメージを売りたがる韓国政府の大々的支援を得て進出したと見える」" - <ルモンド>



この無個性で工業製品的という評価は、同時期英国のBBCや米国のCNNでも見られたものでした。
結局は韓流やK-POPというもの自体、「日本より有名になり注目されたい」という、恨を晴らすための行動でしかなかったため、世界展開しても結局は日本を意識し韓国らしさや独自性を失う原因としかならなかったのです。


現状、韓国にも一応まだ韓国らしさのある作品群が残ってはいるようなのですが、それは韓国国外では殆ど目にしません、多くの韓国人が目指す目的とは方向性が違うので、韓国内ですらまるで評価されていないようです。
というより、そういったものを昇華し高め国外へ進出しようと言う動きそのものが無いようなのです。


このように、現在の韓国は日本しか見ていないがために、自ら「日本の紛い物」になろうとしているのです。
当然こんな状態は韓国にとっても日本にとっても不幸でしかありません。
最初の「近くて遠い国になるべき」というのは、まさにこれがあるからです。


韓国はもう日本を意識し日本を見るのを止めるべきですし、日本側も安易な友好など止めるべきです。
そんな事をしても無意味どころか韓国が日本の紛い物になる事を助長するだけです。
韓国には韓国の独自性があるのですから、一度韓国は日本を見るのを止めるために現在の関係を絶つべきなのです。


そして、日本のメディアなどは「嫌韓は自身の不幸を韓国に転嫁しているだけだ」とか、「韓国の躍進に一部の右翼が嫉妬し危機感をもっているだけだ」などと、韓国人に耳打ちするのはやめるべきです。
そんな事をしていたら、韓国人はよりいっそう問題を直視できなくなり日本ばかり見るようになり、延々と晴らせない恨を溜め込むようになるだけです。


韓国人が韓国人らしさを生かし昇華していくための道は、日本を意識するのを止めて近くて遠い国に戻るしか方法が無い、これこそが私の考える本当の意味での日韓の関係正常化への道です。
今までが「異常」だったのです。


年末年始の予定についての追記
今年の更新は今回で最後となります。
次回についてなのですが、年明け1月3日はちょっと更新が無理そうなので、再開は1月7日(水)となる予定です。


それでは皆様、本年はありがとう御座いました、良いお年を。