日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

非常に厄介な韓国人の国民情緒・民族情緒


さて、今回は韓国人の良く使うフレーズである国民情緒・民族情緒の話となります。


※今回は前回書いたように「韓国では理論や学問や法律より「感情」が優先される」の実質的な続きとなるわけですが、相互に補完しあってはいますが、特に前回を読まないと理解できないというものではありません。


前回、韓国ではこの国民情緒とか民族情緒と呼ばれるもので簡単に法が捻じ曲げられ、憲法や国際条約すらも蔑ろにされ、それは反日に関係せずとも様々な場所で発生していると書いたわけですが、実はこの「情緒=感情」は韓国人個人の感情とは少し違います。


ではなんなのか、これは簡単に書いてしまえば韓国人或いは北朝鮮も含めた朝鮮人という民族全体で、誰しもが必ず共有しなければいけない感情のことです。
つまり韓国人個人がどうこうではなく、国民としてとか民族として自他の境界を越えて必ず共有し共感“しなければいけない”感情という事です。


たとえば韓国で4月に発生したセウォル号事故の場合、韓国発のニュースで国民全体があらゆる物を自粛し、全ての学校で修学旅行が中止になり、事故の犠牲者や遺族を少しでも中傷する書き込みをネットですれば即逮捕という状況になり、現場には特に何をするわけでも無いのに多くの企業や組織の船や車両が駆けつけました。


こういったニュースを知った人なら、「気持ちは解るが大げさ過ぎるのではないか」と感じた人も多いでしょう。
これがまさに民族や国民全体で共有しなければいけない「情緒」の代表例です。
韓国人は、こういった大きな事件や事故などがおきた場合、国民全体、或いは民族全体で「遺族や関係者と同じように」怒りと悲しみを共有し、関係者と同じ気持ちでその出来事と“向き合わないといけない”わけです。


また、この国民情緒とか民族情緒と呼ばれるものは過去にも無制限に遡ります。
例えば日韓併合とか従軍慰安婦問題とか、そういったものも現在の韓国人は当事者と同じ気持ちで怒り嘆き悲しまなければいけないのです。
だから韓国人は、慰安婦のおばあさんがそういった、政府がそういったと言う理由で、「当事者と同じ気持ちのつもり」で怒りや悲しみを“共有した事になっている”ので、少しでも意に沿わない検証などは一切受け付けないわけです。


またこれは500年以上も前の文禄・慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)や更にその前の倭寇などでも同じです。
秀吉に侵略されたとか倭寇に侵略されたとか、それも「当事者と同じ気持ちになったつもり」になっているのです。
だから文禄・慶長の役の謝罪を今でも日本人に求めたり、対馬の仏像盗難事件でも「倭寇に奪われたという当事者の気持ち」になっているつもりなので、実際にどうだったかは関係ないし、返還は感情的に絶対に許せないというわけです。


そして、この国民情緒とか民族情緒と呼ばれるものの共有・共感を拒否したらどうなるか、するとその時点でその人は文字通りの売国奴とか非国民とか、民族の敵と認識されるようになり、法で裁かれなくとも社会的に抹殺されます。
つまり韓国という社会で生きていけなくなるわけです。


こう書くと、「多くの韓国人はそう思っていないのに、そう思うことを強要されているだけなのではないか」と考える人もいるでしょうが、それは違います。
むしろ多くの韓国人がこの「情緒」を子供の頃からの教育によって何の疑問も疑いもなく共有した“つもりになっている”ので、「情緒」に沿わない言動をする人間への社会的制裁が成り立っているというわけです。


在日韓国・朝鮮人が本国人から嫌われ差別される原因も多くの場合これが原因です。
要するに朝鮮戦争やその後の貧困など本来共有すべき苦難や悲しみを日本にいて共有しなかった人達、と本国の人々は感じているので、在日韓国・朝鮮人の事をそもそも同胞と感じていないわけです。そのため一般的な韓国人は在日韓国・朝鮮人に対して非常に冷淡であり、柔道の秋山成勲やサッカーの李忠成youtubeに李忠成が韓国で受けた差別のインタビュー動画があります)が日本に帰化する原因ともなっています。


ただし在日韓国・朝鮮人のほうも、この「情緒の共有」によって「日本人により強制連行されてきて差別され迫害され続けた」という民族情緒の共有を「しなければいけないこと」になっているので、結局日本人とは全く相容れず「日本人が変わり受け入れろ」という要求をする悪循環が出来上がっているわけですが。
だから強制連行の嘘がばれた後も多くの在日たちがあんな態度な訳です。


さて、ここまで読んで来てこの韓国人の民族情緒とか国民情緒は非常に強固で変えようの無いものと感じた人は多いでしょうが、実はそれも違います。
実際のところ韓国人のこの情緒=感情は、直接的・刹那的な利害やその時の社会や政治の情勢などで簡単に変化してしまいます。
以下のニュースを見てください。

忘れられた殉国烈士の霊魂 独立公演
東亜日報 FEBRUARY 29, 2004 23:06
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2004030162918
先月28日、ソウル西大門区峴底洞(ソデムング・ヒョンジョドン)にある独立公園内の独立館。
独立館は日本帝国による強制占領期に独立運動をして貴い命を捧げた殉国烈士2327名の位牌が供えられている所だ。
しかし、記者の見た独立館は、国のために命を捧げた英霊たちを祭る記念施設とは到底信じられないところだった。

引き裂かれた門に変色した看板、ほこりの積もった位牌…。
韓国の伝統的建物の内部に入ると、あちこちを縫い合わせボロボロになった祭壇の布の切れが目に入った。
中央の合同位牌は塗りが剥がれていて、文字さえまともに読めなかった。位牌を手で触ってみると、汚いほこりの塊がついた。
周辺の排水口には吸い殻が散らばっており、軒下の片方の欄干は全部崩れていた。
(後略)


現在でも韓国は反日ですし、安重根や金九のような一部の人物は義士として文字通り神聖視され崇められているのですが、それは現在も直接的に政治的な利用や利益を得られる対象として価値があるからというだけで、それ以外の人物はこの有様です。


実際に韓国人は「本当に当事者の感情を共有している」「歴史を大切にしている」のなら、本来こんな事は起こりえません、単に現在の利益に繋がるから「そういうつもりになっている」というだけなのです。
結局のところ、韓国人が時系列を超えて絶対普遍と思い込んでいるだけで、実際には韓国人のこの情緒や韓国人の道徳的正しさというものは、ちょっとした変化で簡単に覆ってしまうわけです。


またこれは過去の死者に対するものだけではありません。

韓国旅客船沈没事故、食事の配達さえ「拒否」される海洋警察・・・士気が下がり業務への影響を懸念する声も=韓国報道
サーチナ 2014-05-30 17:31
http://news.searchina.net/id/1533812

韓国の旅客船セウォル号沈没事故で、救出活動に失敗したとして組織解体が発表された海洋警察庁が、各方面で肩身の狭い思いをしていることが分かった。複数の韓国メディアが23日、報じた。

 報道によると、全羅南道・莞島(ワンド)海洋警察署のある派出所では、職員が飲食店にデリバリーを注文したところ、海洋警察であることを理由に配達を拒否された。飲食店の店員は電話口で「お前は飯を食う資格がない。配達しない」と言い放ったそうで、職員はこの時について「頭を殴られたようだった」と話した。

 別の海洋警察署の職員は、漁船の点検を行おうとしたところ、船長に「もうすぐ解体される海警が何をしにきたんだ」と言われ、点検を拒否された。

 韓国の朴槿恵大統領は19日の国民向け談話を発表した際、事故の対応をめぐり非難を受けていた海洋警察庁を解体することを明らかにした。同庁の捜査や情報収集は警察庁に、救助や救難は新たに新設する災害調整機関に移行する。

 業務が新たな管轄下に完全に引き継がれるまで対応に当たらなければならない海警だが、このような士気をそぐ出来事が頻発。そのため一部では違法操業する中国漁船の取り締まりに影響がでるのではないかと、懸念する声が上がっている。



韓国の海洋警察といえば、それまで韓国内では完全に英雄でした。
竹島に駐留しているのも海洋警察ですし、過去日本の排他的経済水域内で違法操業している韓国漁船を、日本の海上保安庁から「保護」して英雄と称えられた人々です、また中国の違法操業船の取り締まりで海洋警察側に死者が出ると、この「国民情緒」によって全ての国民が殉職を嘆き悲しみました。


しかし、セウォル号の事故関連で政府から責任を負わされスケーブゴートにされるとこの有様、逆に国民情緒によって今度は国民から憎悪の対象にされてしまったというわけです。
それまでの(それも色々問題がありますが)評価は全て無視されます、そしてそれに異論を唱えれば今の韓国では国民情緒を共有しない非国民扱いとなります。
韓国では「十人十色」とか「考え方は人それぞれ」という概念は容認されないのです。


このように、韓国人はその場のちょっとした変化で「国民情緒」によって国家レベルの評価基準ですら簡単に変わってしまうわけですが、ここで「ではそれを利用すれば簡単に親日になるのではないか」と考えてはいけません。
これは裏を返せば、どんな事でもその時の感情で簡単に180度変わってしまう可能性を常に秘めているという事だからです。


これまで日本(主に自民党政権)は、「援助をし続ければそのうち親日になるのではないか」という前提の元で韓国に接してきました。
現状この有様ではありますが、それでも援助を続ければいずれ親日になる事もあるかもしれません。
ただし、それが韓国で長続きするという保障は一切ありません。今まで書いてきたように、ちょっとした「何か」の影響で簡単に国民情緒によって物事の評価基準が変わってしまう社会なので、援助に見合った外交的成果が得られる可能性は限りなく低いのです。


また、民主党政権や韓国人の想定する「良心的日本人」のように、何でも韓国の要求を聞いて外交を進めて行ったらどうなるでしょうか。
その時は以前「日本人の考える反日と韓国人の考える反日は違う」で書いた、韓国人の道徳的正しさ=日本人からみた反日を肯定してしまうことになるので、余計に日本人から見た反日が加速し国民情緒を背景とした要求が際限なく増えていくだけです。


日本人と韓国人は、このように根本から価値観もあり方も物事の判断基準もあまりにも違いすぎます。
だから結局、「親日になるよう努力しよう」とか「友好を深めていこう」という努力は、この違いによって確実に悪い方向にしか進んでいきません。
結局韓国との付き合い方というのは、政府レベルの必要最低限の付き合い以外はお互いにとって不幸でしかないという事になるわけです。
これは善悪や優劣の問題ではないので、それしか解決策がないのです。