日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国では理論や学問や法律よりも「感情」が優先される


さて、今回は韓国であらゆる物事を超越して優先されてしまう韓国人の国民感情というものの問題となります。
今回これを書く上で、あまり詰め込みすぎてもいけないので、事実上の前後編に分けることにしたのですが、一応両方読まないと意味が解らないという作りにはしません、可能な限りどちらか片方だけを読んでもそれなりに納得できる内容になるようにします。


韓国発のニュースなどを見ていると、時々日本人の目から見て非常に奇妙な記事を見かける事があります。
外から韓国批判をしている人や組織などに対する記事で良く見られる傾向なのですが、本来批判をされた場合は


1:批判内容(状況の説明)
2:批判に対する反論や弁解、同意・反省など
3:1に対する見解や感想、対処


という流れになるのが、日本人の反応では一般的ではないでしょうか。
これが韓国の記事では1から3に突然飛んでいる記事が見受けられるのです。
たとえば日本人からの韓国起源説批判の場合、「(日本人が)韓国がこんな起源主張をしている」という紹介や批判の言葉をいくつか列挙しておいて、その後突然「こんな事を言っている、なんて右翼的なんだ」という流れになる事が多いです。
相手の言葉を否定しているのに反論や弁解がないのです。


当初これを見て、奇妙に感じると同時に「恐らく韓国人にとっては、状況説明する事が反論になるのではないか」と考えていたのですが、調べていくうちにそうではない事が解りました。
どうやら韓国人にとって、文章と言うのは理路整然と状況を説明し解釈し、問題に対する対処を書くものでは無く、自身がその時感じた感情をそのまま表現する場のようなのです。


だからこの事例の場合ならば、「日本人が韓国人が起源主張をしていると笑って蔑視している、何て酷いやつらなんだ」という感情を表現しているだけなので、反論や弁解などの理論は重要ではないのです、自身がこんなに傷ついたとか、こんなに怒りを感じたということを読者に伝えることが重要というわけです。


また、私は過去それこそ何度も様々な場所で韓国人と歴史問題(特に私の場合は韓国起源説関連)で論争をしてきたのですが、そういった論争の中でもこちらが資料を元に反論をしたり、韓国人が出してくる資料の問題点の指摘などをしても、最終的に韓国人はそういった反論を全く意に介さず、「資料はそうだが感情的に受け入れられない」という反応をされるという経験を何度もしてきました。


(最終的に私が「韓国人との会話は時間の無駄である」という結論に至ったのもこれが主な原因です)


以前も書きましたが、韓国人の中には常に自己を絶対正義とする「韓国人の道徳」があるので、そもそも資料を前提にするとか論理的に間違っている事を説明するとか、そういった行為は無意味なのです。
韓国人からしてみれば常に自身は正しいので、そういったものよりもその時感じた感情が重要であり、むしろ韓国人に間違いを指摘すると言う行為は、韓国人の道徳的正しさや感情を傷つける行為としか見えないという事です。


韓国との歴史教科諸問題や歴史の共同研究が全く上手く行かないのもこれが原因です。
優先すべきもの、前提とすべき物がそもそも根本から違うのですから、これは当たり前の事でしょう。
ただしここまでなら勿論いくつか実害はありますが、文化や習慣などの違いという事になります。
しかし問題はそれでは済みません。


以下の記事を見てください。


【噴水台】 国民情緒法
http://japanese.joins.com/article/603/66603.html
2005年08月12日20時50分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
(前略)
最近、韓国でこの罪刑法定主義を否定する「国民情緒法」という妙な論理が登場した。これは手につかめる実体も、文字で記録された文件もない。長期にわたって蓄積された慣習法でもない。だが国民情緒に合うという条件さえ満たせば、実定法に拘束されない不文律となっている。憲法上にも君臨する。

あいまいで抽象的な概念の国民情緒は、一部の市民団体と学者の意によって具体化される傾向を見せる。彼らが特定事案に対して正否を判断し、これを一部のメディアが後押しすれば、国民情緒法は‘制定’される。

国民情緒法に引っかかると、いかなる形態であれ罰を受ける。数十年前の偽装転入、半世紀を超えた父親の親日などの問題で、国民情緒に背いた公職者は現職から退く「恥辱刑」を受けた。通貨危機の直後、国民の憂憤に押されて「政策も司法的審査の対象」とし、当時の経済政策当局者らは司法処理された。最高裁で無罪が宣告されたが、当事者らは6年間も捜査機関と再判定に呼ばれながら、苦難を受けなければならなかった。
(後略)


要するに韓国では、国民情緒や民族情緒とよばれる、法治主義よりも感情が優先される不文律が司法の世界に存在しているのです。
ある意味これは独裁よりも危険です、なぜならば独裁などは良くも悪くも個人の裁量で制御可能ですが、この国民情緒法の基準は「国民感情」という定義付けや法則性を見出す事すら不可能な曖昧なものを基準にしているので、場合によっては完全に制御不能になる可能性を持っているからです。


ここまで読んで来て、多くの人は対馬の仏像盗難事件を連想したのではないでしょうか。
まさにその通り、

対馬から韓国に持ち込まれた国宝級仏像、日本への返還認めず
2013年02月27日08時32分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/811/168811.html
文化財専門の窃盗犯が日本から盗んできた金銅観音菩薩座像(右)は日本の寺刹側が仏像を正当に取得したということを訴訟で確認するまで返還してはならないという裁判所の決定が下された。

大田(テジョン)地方裁判所は26日、大韓仏教曹渓宗浮石寺(プソクサ)が国を相手に出した

「有体動産占有移転の禁止仮処分申請」で原告の請求を認めた。対馬の観音寺に保管されていた仏像は先月窃盗犯が韓国に持ち込み摘発され文化財庁が保管中だ。金銅観音菩薩座像は14世紀の高麗時代末期に作られたと推定される。



韓国の裁判所が盗難品の返還を事実上拒否する決定を下したのですが、この判決は法治主義の観点から見ると非常に奇妙です。
まずそもそも600年も前の事を現在の法律で判断できるのかと言う話は置いておくにしても、盗品であるとして返還を拒否するのならば、最初に韓国側が盗品である事を証明しないといけません。
にも拘らず、韓国の司法は盗まれたという前提で「日本側が正当に入手した事を証明せよ、できなければ返還しない」つまり証明できないのならば奪ったものだという決定を下しているわけです。


また韓国の法律でも「外国文化財保護関連条項」というものがあり、不法に韓国内に持ち込まれた外国の文化財を返還する法律がある事、更に韓国は「文化財不法輸出入等禁止条約」を批准しているのですから、いずれにせよ如何なる理由があれ返還義務があるわけですが、韓国は「国民感情を考慮して」このような判決を下しています。
これがまさに「国民情緒法」の影響です。


また日本でも何度か話題になっているので知っている方も多いでしょうが、韓国で併合時代の親日行為を裁く親日反民族行為者財産没収法もこの国民情緒法を前提として施行された法律です。
この法律、以前こちらで書いたように事実上親日派と認定された人々の子孫から財産を没収する人権や財産権の侵害、韓国の憲法無視の法律なのですが、これもあやふやな国民感情を考慮してという前提の下に、現在でも親日派認定された人々の子孫からの財産没収が続いています。


更に、この国民感情というものを考慮して法が捻じ曲げられる事例は何も対日本関連だけで起きていることではありません。
2007年12月に韓国で発生した原油流出事故であるHebei Spirit号原油流出事故、錨を下ろしエンジンも切って停泊中だった原油タンカーのHebei Spirit号に対し、航路を無視して航行していたサムスン重工のクレーン船とタグボートが衝突、韓国史上最大規模の原油流出事故となりました。


この事故でHebei Spirit号は港から指定された所定の位置に停泊し、船員の殆どが下船していて船を運航できる状況になかったにも拘らず、韓国の司法はサムスンの都合や国民感情を考慮して、一時期インド人の船長と航海士を安全措置を怠ったとして逮捕、有罪判決を下しました。


当然ですがこの事件は国際問題となり、2009年にやっと船長らは無罪判決を受けて韓国から開放されたわけですが、このように韓国という国は反日を抜きにしてもその場の感情や目先の都合で簡単に法が捻じ曲がってしまう国という事です。


このように、韓国という国は何よりも感情が優先されます、そしてその感情によって国内の法律も国際法も何もかもが「感情的に受け入れられない」という理由で無視されます。
従軍慰安婦問題や三菱訴訟問題、竹島問題なども結局はこの韓国人の考え方が原因となって条約が無視され今のようになっているわけです。
つまり実際のところ、韓国人に対して資料はこうだとか条約はこうだと説明しても、問題の前提としている物が違うのでまるで無意味という事になります。


そして、日本国内でこの韓国人の「何よりも感情が優先される」という問題をまるで考慮せずに、安易に同意し協力する「韓国人が認定する良心的日本人」の存在が、日韓の問題をより大きく、深く複雑にして行っています。彼らは韓国人の言分を聞けば問題が解決されると思っているようですが、そもそも韓国人は自信の感情にそって要求をしているだけなので、要求を受け入れれば更に感情的になり要求が増えるだけなのです。


最後に、実はここで紹介した「国民情緒」とか「民族情緒」という物自体にも様々な問題があり、それが日本に関係した問題にも関わっているのですが、それは次回に。


今回は以上となります。


実質的な続き
非常に厄介な韓国人の国民情緒・民族情緒