日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

『旭日旗問題』に見る韓国人独特の考え方



(画像は2011年1月開催のアジアカップにおける奇誠庸キ・ソンヨン)韓国代表による猿真似パフォーマンス)

こんばんは。
今回は韓国が現在も抗議活動を続ける旭日旗問題に触れながら、韓国人の独特な物の考え方について解説していきます。


まずは「旭日旗問題」の経緯から。
2011年1月25日、アジアカップ準決勝日本対韓国戦において、韓国の奇誠庸キ・ソンヨン)選手が猿の物まねをするパフォーマンスを行った。
そしてその行為に対する批判が高まると、彼は「観客席の旭日旗を見て涙が出た、私も選手の前に大韓民国国民です」と釈明した。しかし、その後会場に旭日旗が無かった事が判明、すると今度は「(スコットランドの)セルティックでプレーしていて、相手のサポーターから韓国人ということで猿呼ばわりされている、そういう差別発言をする人たちに向けてやった」と証言を翻す。
その後今度はこの発言でイギリス人の反感を買うと、証言を二転三転させて最終的にまた「会場に旭日旗があった」と言い出した。

以前から旭日旗に対する韓国からの反発はあったにはあったが、それは特に大きなものでなくましてや政府や公的機関が動いて大キャンペーンをするようなものではなかったのだが、このキ・ソンヨンの「旭日旗があった」という発言に多くの韓国人が共感し、次第に韓国で旭日旗に対する反発が強くなっていく。

そして次に2012年のロンドンオリンピックサッカー3位決定戦において、韓国代表選手の朴鍾佑パク・ジョンウ)が、試合後に「独島はわれわれの領土」と書かれたプラカードを掲げるという事件が発生、これをオリンピック憲章違反として日本がIOCに訴えると、それに対して韓国側は「会場に旭日旗があった、これもオリンピック憲章違反だ」と主張しだし、この頃から韓国で「旭日旗ナチスハーケンクロイツと同じ」という意見が出始める。
しかし韓国側の訴えがIOC側に聞き入れられず、「旭日旗に政治性はなく問題がない」という公式コメントが発表されると、韓国は官民挙げて「旭日旗を追放する運動」というものを世界規模でし始め現在に至る。

これが現在も続く旭日旗問題の全容だ。
日本人から見ると韓国人の行いは非常に理不尽で不可解なのだが、ここに韓国人独特の物の考え方がある。
まず一つ目は「結論ありきで思考する」というものだ。

旭日旗問題に関して書くと、旭日旗ハーケンクロイツが同じという主張が根本からおかしい。
そもそもハーケンクロイツとは、ドイツのナチス党が民族主義運動のシンボルとして古代アーリア人のシンボルとされているカギ十字を党の旗や腕章に採用したものだ。
では旭日旗はどうかというと、そもそもこれは日本で古来より太陽のシンボルとして「めでたさ」や「縁起のよさ」の象徴として使用されてきたもので、民族の象徴としての意味で使われた事がない。
日本軍にしても、このマークを軍旗として採用したのは「めでたさにあやかる」という意味からだ。
前提が根本から異なる。
何より、ハーケンクロイツが旗として使われたのは「党旗」としてであり、旭日旗は「軍旗」で用途も意味も違う。旭日旗とドイツを比較するのならば、当時から現在までドイツ連邦軍で使用されており、十字軍に由来を持つ「バルケンクロイツ(黒十字)」のほうが妥当だろう。


(第二次大戦中、ハーケンクロイツとともに描かれたバルケンクロイツ)



(ドイツ空軍のバルケンクロイツが描かれたユーロファイター)

韓国人の「旭日旗ハーケンクロイツと同じ」という主張がいかにおかしいか、この2つが明らかに前提の異なるものであることがわかると思うが、ここに韓国人の「結論ありき」の思考が関わってくる。
以前も書いたように、韓国人は物の考え方が一元的であり、立ち位置によってものの見方や考え方が変わってくるという概念が理解できない。
そして韓国人は、自己を絶対正義の位置に置くという大前提をもっている。
そのため彼らは問題が起きた時にまず「自分は正しい」という結論が先にきて、そこから「正しいとするための理由」を探し始める。

その結果、「旭日旗は第二次大戦で日本軍が使っていた」「ハーケンクロイツは第二次大戦でナチスが使っていた」この2つの共通した部分のみを『複数の要素の中から』抽出し、同じだと主張しているわけだ。
つまるところ、彼らは自己が正しいと言う結論になるための「粗探し」をしているに過ぎないのだ。

次に、韓国人は「悪い事は全て他人のせい」にしてしまうという特徴だ。
それを知るために、まずこの韓国の記事を見てほしい。
「あなたのせい」という意識まん延
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2005112677788
身の不自由な人についての意識調査で、調査対象の89.1%は「私は身の不自由な人を差別していない」と回答した。
その半面、「(自分を除いた)他の社会構成員たちは身の不自由な人を差別している」と回答した人々が74.6%にのぼった。
調査に参加した身の不自由な人の71%は「社会が差別している」と回答した。

この結果は、多くの身の不自由な人たちが差別を体験しているという意味だ。
この統計から考えると、個人的に身の不自由な人を差別していない、と回答した人々の中にも、自分の知らない間に差別していたというがい然性はあるだろう。
順法レベルについての質問でも、似たような結果が出ている。
調査対象の64.3%が「自身は法律を守っている」と回答したのに比べて、
他の人も法律をよく守っている、という回答は28%にすぎなかった。

自身が法律を守らない理由の中には「他の人が守らないから」という回答が25.1%で最も多かった。
法律に違反する理由を、他人のせいにするわけだ。
梨花(イファ)女子大学の金聖二(キム・ソンイ、社会学)教授は「倫理意識はあるが、実際の行動に移すことができない人が多くいる社会では、社会の構成員たちが自分の誤りを他人の誤りにすり替えて表現する傾向がある」と話した。
つまり、自己の行いすらも全て他人のせいにすることが社会全体で日常化しているのだ。
先ほども書いたように、旭日旗問題が持ち上がったのは韓国がスポーツの国際試合で差別表現や政治問題を持ち出した事が切っ掛けなのだが、それだと「韓国人が間違っている」という事になってしまう。
自己を絶対正義の立ち位置に置いている韓国人にとって、これでは困るので韓国人はこう考える。
「自分達に落ち度はないが、相手が問題のある事をしているので仕方なくこうなっているのだ」「理由があるから仕方なくやっているのだ」と。
結果、サッカーの試合で自分達がした過ちは彼らの中で打ち消され、「旭日旗があるから悪い」という結果だけが残る。

そして、その訴えがIOCに受け入れられなかったので、「メンツを潰された」と考えた韓国人達は自己を正当化するために、「旭日旗を追放する運動」を展開、旭日旗に問題があるという既成事実を作ろうとしているわけだ。

韓国人との間に問題が起きる場合、大抵がこの韓国人独特の考え方に起因する場合が多い。
旭日旗問題に限らず、韓国人の行いを批判すると必ず「だって○○だって△△しているじゃないか」と相対化して責任転嫁しようとしてくる。
大抵の場合、この相対化した出来事は本来前提が違いすぎて比較にならないのだが、結論ありきで思考することになれてしまっている韓国人には、その違いがわからない。
しかも物事の複数の要素の中から、「似た」部分が一つでもあれば彼らは同じ事としてくるので、それこそなんとでも言えてしまう。

日本人は、この韓国人特徴を知らない人が大部分なので、韓国人にこういわれてしまうと違和感を感じながらも「たしかにそうだけど…」と返してしまう。
そうすると彼らの思うつぼだ。少しでも認めてしまうと、後はもうなし崩し的に韓国人の行いへの批判が相対化された出来事への批判に摩り替わってしまう。
日本人的な人間関係だと、まず相手の違いを認めることから始まるのでこうなってしまうのだが、そもそも韓国人は価値観の多様性と言う概念そのものを持っていない。
それが良い悪いではなく「そういうもの」なのだ。

こう書くと、「では違うことをちゃんと説明すればいいのではないか」と考える人が大部分だろう。
しかしそれも違う。
それをやったところで、彼らは延々と「似た」部分について説明するか、或いは別の「似た」部分を探してくるか、以前の発言を前提からひっくり返してソースもなく他の難癖をつけてくるだけで、非常に不毛な論争になるだけなのだ。
ではどうすればいいのか。

答えは簡単だ。
韓国人を相手にするのは不毛なのでやめて、「韓国人がプロパガンダを行った相手」に対して事情を説明すればいい、こちらに正当性があるものならそれだけで事足りる。
当然、その問題に対する相応の知識とバランス感覚・客観的視点は必要になってくるが。



いかがだったでしょうか。
最後の「韓国人を相手にする意味がない」というのは、人によっては差別的と見えるかもしれません。
しかし、私が2002年~2007年までの間ネット・リアル問わず韓国人と話しをし、その後も現在まで韓国から発信される様々な情報を観察してきた結果、これが自分の中でもっとも合理的な解決法として行き着いた結論なのです。
少なくとも自分はこれ以上に良い解決法を導き出す事が出来ませんでした。