日韓問題(初心者向け)

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韓国文化の特徴


さて、本日は以前から書こうとは考えていましたが、丁度良い引用記事がなく見送っていた内容について書く事とします。


最近韓国メディアにおいて韓国の詩人の寄稿として書かれた記事で、韓国的価値観による「他者の劣等性を指摘する事で自己の優越性を証明する」が、日本の盆栽や庭園文化の劣等性を指摘する事で行われていた。


しかし、この詩人の主張は韓国がこれまで行ってきた「韓国庭園の世界化」と矛盾する内容が含まれているうえに、かつて韓国は「盆栽の韓国起源」を主張した事もあり、それぞれがそれぞれに相互に矛盾する状態になっている。


こうした背景には、韓国特有の「主観的・絶対的正しさ」により、それぞれがそれぞれ自身の「正しさ」を主張しているうえに、その時の事情で「伝統文化」をこの「正しさ」で上書きしてしまうために、文化が伝統として定着し難い特徴があり、ある意味この「いい加減さ」と「一貫性・継続性のなさ」こそが現代韓国文化の特徴といえる。


※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。



1:他を貶す事で自画自賛


まずこちらの記事から

日本人の「閉じられた自然観」-イ・ヒョヌ(詩人)
慶南新聞(韓国語)  2017-06-16
http://www.knnews.co.kr/news/articleView.php?idxno=1217856

深夜、家の中で静かに盆景を見ていると、自分もあたかも自然の一部になったような錯覚に陥ることもある。余裕を失った現代人が限定された空間の中だけでも悠悠自適に過ごして友とするには申し分ないわけだ。「人間精神の審美的活動を土台に自然景観を表現したもの」と言った盆景愛好家の言葉のように、表面だけを言えば盆景は明らかに芸術的造形物に違いない。しかし、切って捻って針金でぐるぐる巻きにする作業には残忍さまで感じられる。自然に対するすべての過程が真に非自然的だ。

そのためか、盆景からは自然が奏でる激しい変化の中にも終始一貫した「平和と自由の交響楽」が聞こえない。人間の貪欲の中に他の生物を引き込んで如何におしゃれしてもその全てが束の間の幻想にすぎない。盆景が韓国でも中国でもなく唯一、日本で「盆栽」として花開いた理由は、彼らの国民性がその土台にあると思う。これは人為と模倣で物事を縮小し、自分の手中に作らなければ気がすまない特別な指向が自然に対する態度にもそのまま現れる、という意味だ。

その点で、盆景の話を庭園に移してみれば日本人の閉じられた自然観がより一層明確になる。「客を迎える落葉の散った茶室の前庭をすっきりするように掃いた後、木を揺さぶって落葉を落とした」という日本の故事がある。何でもありのまま見ることができず、整えなければならない日本人の自然観はこの故事に基づく。どれほど人為的で閉鎖的なのか。一言で言えば、日本の庭園は自然を切り取って人間の望みの中に象徴的に配置した「虚構の庭園」だ。

これに比べて私たちの庭園は自然と人間の調和を基礎にする。流れる水のように自然に、地形と地物をそのまま生かして、花を植えて良ければ花を植え、木を植えて良ければ木を植え、池一つを掘っても水生植物一つを植えても自然美人に対するようにし、日本のように刃物で過度に整形手術をしていない。従って私たちの庭園は自然と人間の生が一つになる「共存の庭園」と言える。

日本最高の庭園がある足立美術館と朝鮮最高の園林である瀟灑園(ソセウォン)に行ってみればこれ以上説明は要らない。今日も日本人たちは自然を縮小して自分のものとするために熱心に盆栽を整えて庭園を育てるのに忙しい。

たとえ偽物の宝石の指輪でも指にはめれば、さらにきれいに見えるという「錯覚の美学」により「残忍な貪欲」が文化の服を着たのではないだろうか?とにかく、日本人の閉じられた自然観の中にある自然は循環する自然ではなく全季節咲いていても香りがしない単なる造花にすぎない。


この記事では、日本の盆栽文化を「人為と模倣で物事を縮小し、自分の手中に作らなければ気がすまない特別な指向」としており、また日本庭園を「日本の庭園は自然を切り取って人間の望みの中に象徴的に配置した「虚構の庭園」」としています。


まず、なぜ彼が足立美術館の日本庭園を日本最高の庭園としているのかについて調べてみました。


この美術館の庭園は有名ですが、元々この美術館自体近代日本芸術を集めた美術館であり、庭園も「日本庭園の要素を取り入れた」庭園であって、伝統的な日本庭園とは少し違い、日本最高の庭園としている評価がどこからのものかわからなかったからです。


調べた結果分かったのは、アメリカに日本庭園専門誌が存在しており、ここが13年連続で足立美術館の庭園を「日本一」としており、つまり「日本最高の庭園」とは日本国内での自薦ではなくアメリカによる他薦の評価だったのです。


またこの評価は、「庭そのものの質の高さ」「建物との調和」「利用者への対応」「維持管理の丁寧さ」などから評価されており、単純な伝統庭園そのものへの評価とは少し違います。


日本庭園が米誌ランキングで「12年連続日本一」に選ばれました 足立美術館


更に興味深い事として、記事中にある韓国最高の庭園とされている瀟灑園なのですが、歴史を調べてみると、梁山甫(1503-1557)という両班(朝鮮の貴族)が、恩師である趙光祖(1482-1519)が失脚し流配後に死亡すると、自身も隠棲しその時に過ごした住居とされています。


全羅南道観光案内
Imagine your Korea


そしてこの庭園について調べてみると、上記2つの韓国の観光案内に行き着くのですが、内容がそれぞれ微妙に異なっているうえに、なぜ隠棲したのかについても詳細が書かれていません、しかしこれは朝鮮半島の風習である「廃族」という概念で説明できます。


この廃族とは、失脚した人物の親族や関係者も連帯で地位を失い出世できなくなるという概念で、現在の韓国の親日派財産没収法もこの考えの延長線上にあるわけですが、ようするに梁山甫は恩師が失脚したので自身も連帯で廃族され失脚したという事です。


つまり、中央から失脚した貴族が、地方の山の中に隠棲しそこに立てた住居と庭が瀟灑園という事になります。


そしてこの庭園なのですが、調べてみると李朝時代の韓国の主流だった庭園と少し異なっており、失脚し資産もあまりない貴族が、なんとかやりくりしてつくった儒教式庭園というのが真相のようです。


ただし、高敬命という文禄・慶長の役頃の軍人の書いた『遊瑞石録』では高く評価されているようであり、ただマイナーだったというわけでもないようです。


【寄稿】韓国庭園が持つ独特の美を世界にアピールしよう 朝鮮日報 2016/05/15


瀟灑園




韓国の代表的な庭園の一つとされている舞沂蓮塘





そして興味深いのは、下段の庭園では池が四角くなっているのですが、韓国にある伝統様式の庭園はその多くが画像と同じように。「四角い池を有している庭園」なのです。


なぜ四角なのかといえば、これは古代~中世中国における世界観「大地は平面であって四角く、対して天は丸い」という考えに影響されたもので、要するに箱庭的な「世界の縮小デフォルメ」であり、概念的には盆栽の原型となった中国の盆景などと発想が同じなのです。


そして更に、現在韓国が政府主導で進めている「韓国庭園の世界化」では、この四角い池などを取り入れた伝統庭園の世界化も目指しているのです。


「日本庭園に胸痛めた」 シカゴで韓国庭園クラブ発足 朝鮮日報 2015/02/06


つまりこの記事を書いた詩人は、朝鮮の伝統も現在の韓国における韓国庭園の世界化も考慮せず、アメリカの専門誌が評価した日本庭園への評価と、自身の想像で作り上げた日本観で日本の劣等性を指摘し、それで「韓国庭園の優秀性」を主張しているという事になります。


「蔑視ありきの自民族中心主義」を差し引いても、何もかもがいい加減ですが韓国では「良くある事」です。


2:「上書き」されていく伝統


そして上記の記事なのですが、恐らくこれはかつて韓国が行っていた「盆栽の韓国起源説」の延長線上にある論調ではないかと考えられます。


まずかつて行われていた盆栽の韓国起源説なのですが、それは以下のような内容です。


(※1)
私たちの博物館1号の宝物(16)韓国刺繍博物館四季分頃にも 中央日報(韓国語) 2009.06.17


この記事では、「盆栽の起源は韓国」にあり、その根拠は14世紀の四季盆景図であるとしています。


四季盆景図






上記がその四季盆景図なのですが、どう見ても盆栽ではなくただの「鉢植え」です。
また盆景という名称となっていますが、これは定義的には恐らく中国の鉢植えである盆養に定義されるものです。


また盆景とは、中国で6世紀に始まった盆の上に土や砂、石、苔や草木などを配置して自然の景色をつくりそれを鑑賞する、ある種の箱庭の事であり、これが遣唐使によって日本に持ち帰られ、平安時代に独自進化したのが盆栽です。


つまり、四季盆景図は中国の盆景とは関係があるでしょうが、日本の盆栽とは全く関係ないものという事が解ります。


そして更にここからが問題です。
最初の記事では、筆者が自宅に盆景を持っている事が書かれていますが、ニュアンス的に盆景ではなく盆栽のような印象をうけます。


そこでハングルで盆景をgoogle画像検索してみると驚くべき事がわかります。






見ての通り、「盆栽だらけ」なのです。
ちなみに、ずっと調べていくとたまに「鉢植え」も出てきます。


参考までに、日本語で「盆景」を検索してみるとこうなります。






恐らくですが、現在の韓国では盆景と盆栽の区別が付いておらず、盆栽の事を盆景と呼んでいるのではないのでしょうか。


つまり最初の記事は、盆景と盆栽の区別が付いていないがために、日本の盆栽は盆景をそのまま模倣したものという前提で、韓国起源説をベースに「人為と模倣で物事を縮小し、自分の手中に作らなければ気がすまない特別な指向」が、朝鮮や中国では廃れたが日本ではその道徳的な劣等性から残ったという結論に至っているのではないでしょうか。


このようにして、韓国では伝統そのものが次々と上書きされ改変され、原型とは全く異なるものとなっている事例がいくつもあります。


この事例ならば、現在の韓国では「盆栽と盆景の区別が付いていない状態になっている」「朝鮮に存在した盆景とは日本の盆栽と全く同じものであると認識されている」ということです。


また、以前から書いているように韓国では「文化に序列があり、文化とは序列が高い国・民族から低い国・民族へと一方通行でつたわっていくもの」という概念がある事から、元々韓国では「日本から韓国に伝わった」という前提そのものを認めない傾向にあります。


しかし文化とは「相互作用」するものですから、本来は日本の文化の影響が韓国に存在しても何らおかしな事はありません。
それを認める事ができない韓国では、以下のような事例が発生しています。


忠武公賛える顕忠祠池、「日本風」議論…伝統様式の四角形の池に作り直す 中央日報 2016年05月20日


こちらの記事では、韓国の庭園にある池が「顕忠祠池は1990年代初めから日本の京都の二の丸庭園の池をまねて作った」としており、だからこそ先ほども挙げた中国式世界観の四角い池に変えるべきとしています。


しかも記事によると完全な作り変えは不可能であるため、「伝統様式に近い形」にするそうです。


文化が相互作用するものである以上、仮にこれが日本の池に影響を受けて作られた池ならば、本来それは日本文化の影響を受けて作られた韓国文化の池という事になるわけですから、長い時間がたてばそれも伝統文化の一部となっていくはずです。


しかし上記に説明したような考え方から韓国ではそれが受け入れられず、強引に現在の事情で改変し伝統様式とも異なる全く別物に上書きしようとしているわけです。


3:現代韓国文化の特徴


今回書いたように、現在の韓国ではその場の勢いや「他者の劣等性を指摘できれば自己の優越性が証明される」といった考え方から、伝統が伝統として継承されずに別物に上書きされ改変されていくという事がよく発生します。


一見すると過去の伝統を復活させているだけのように見えても、実際には韓国茶道などに見られるように現在の事情で創作されたものや、今回の事例の盆景のようにまったくの別物に改変された事例、または庭園の事例のように伝統や歴史になる前に上書き目的でリセットされ別物になった事例などが多数あります。


結果、現在韓国が「世界化」しようとしている文化はその多くが「今現在の事情で創作されたもの」ばかりになっているため、「薄っぺらさ」を外国人に看破され全く広まらないという状態になっているわけです。


そして、これをそのまま定義すると韓国は「文化が定着しない国」となるわけですが、私は実はむしろこれこそが韓国文化なのではないかと考えています。


私達は文化といえば歴史の積み重ねであると考えていますし、韓国でも表面的にはそう定義されていますが、実際の韓国で行われているのは「リセット」と「上書き」ばかりです。
そして彼らはそれを昔からあった伝統であるとして疑っていません。


だからこそ、その場の事情でリセットされ上書きされた「今」こそが韓国の文化そのものであり、いい加減さと一貫性・継続性の無さという行動様式に基き、「伝統文化”という設定”で継承され続けている」のが韓国の伝統文化なのではないかという事です。


現在の韓国で盆栽が盆景と混同されているのも、日本庭園の池の影響を受けて作られた20年前の池を「新たに」”四角っぽい”池に作りかえるのも、それが韓国の伝統文化というわけです。
「いい加減さ」と「一貫性・継続性の無さ」は常に安定して一貫していますから。


書き方を変えると、時間的に連続性の無い独立した「今」が連続している「事になっている」のが韓国の伝統文化の特徴ともいえます。
ですから韓国では、今日まで伝統だったものが明日には全く別のものに変わって「伝統」と呼ばれる事もありうるわけです。




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(※1)
私たちの博物館1号の宝物(16)韓国刺繍博物館四季分頃にも
中央日報(韓国語) 2009.06.17
https://web.archive.org/web/20090621001526/http://news.joins.com/article/840/3650840.html?ctg=12

盆栽(プンジェ)は「縮み指向の日本」を象徴する代表的な文化です。「盆栽」といえば日本を思い浮かべるほどで、日本の盆栽の歴史が私たちより先んじているとしても、首を縦にふる方が多いでしょう。

このような日本の盆栽宗主国の主張に待ったをかける文化財がまさに『四季盆景図 4幅屏風』です。14世紀作品のこの屏風に描かれいるの梅(春)・レンゲ(夏)・ブドウ(秋)・松(冬)等植木鉢に咲いた四季の花木と器物です。

盆栽の下に車輪を付けて移動しやすくした発想が引き立って見えます。植木鉢の周りには花・雲・波などの紋があって、石盤の周囲には採石彫刻を飾りました。私たちの先祖の盆栽の水準が当時、すでに相当な水準に達していたことを見せるものです。

この屏風は現存する刺繍品の中で年代が最も古い作品であり、唯一の四幅屏風です。屏風は通常二幅屏風あるいは八幅や十幅で作ります。無地の絹を土台にして、円の中だけ模様を描いた点もめったに見られない構造です。染料を使わないで色糸だけ使う韓国伝統刺繍の独創性を見せる作品です。

韓国刺繍博物館ホ・ドンファ館長は1980年代初め、古美術商がトルコ大使夫人に渡すことになっていたこの作品を契約を破棄するように説得して入手したといいます。そのおかげで韓国の地に残って宝物と指定することができました。

イ・ギョンヒ記者