日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国の侮辱文化





さて、本日は日本で「反日の結果」と勘違いされがちな韓国の「侮辱文化」について書きます。


韓国においても、「侮辱されたら不快になる」という反応には変わりがないが、「相手の気持ちを考える」との発想が希薄な社会である事もあり、日本に比べて「他者を侮辱する」という行為へのハードルが低い傾向にある。


そのため、自己の優越性を証明するために他者の劣等性を指摘するという行為以外でも、単純に他者を貶めたり侮辱したりする行為が頻繁に行われており、ある意味での「侮辱文化」ともいえるものが存在している。


また、「他者を侮辱できるのは序列が高い証」との考えも根底にある事から、逆説的な発想で他者を侮辱する事例も多く、日本社会における発想とは大きく異なっている。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:侮辱が日常化した社会


まずは少々古い記事になりますが以下を


大好きな韓国
NHK人間講座 2002年6月~7月期
http://www.nhk.or.jp/ningenkoza/200206/mon1.html (リンク切れ)
https://web.archive.org/web/20020808121546/http://www.nhk.or.jp/ningenkoza/200206/mon1.html (インターネットアーカイブ
第四回 街角の言語 ~日常生活における祝祭意識
韓国の街角は、予想のできないことで、いつもいっぱいである。ソウルの市場にはアメ横の何倍もの規模と活気があり、売り手と買い手の活発なやりとりが展開される。
 政治的なデモでは、打倒すべき象徴的人物の人形や写真を燃やす火刑式(ファヒョンシク)が芝居気たっぷりに行なわれる。またけんかの時に相手をののしる罵倒語、身体障害者の身振りを舞踊にした病身舞(ピョンシンチム)など、韓国には豊かな表現がある。
 こうした発想は、朝鮮時代からの仮面劇や、何もない村の広場などで、即興的に演劇が始まるマダンの思想を継承している。


まだ日本のメディアによる韓流が始まったばかりの頃、NHKで韓国を「肯定的に」紹介する目的で紹介された内容なのですが、その中で「罵倒語の多さ」や「障害者の身振りを真似る踊り」が肯定的に紹介されています。


これがなぜなのかをまず説明しないといけないのですが、当事は近年のような「特定のフィルターを通した(ある種の検閲)」韓国情報のみではなく、上記のような「ストレートな韓国的表現」も普通に紹介されていました。


これはその中で当事特に有名だったもので、韓国社会において「他者への侮辱」がどのような位置にあるのかを非常に良く表しています。


要するに韓国では、「罵倒語の多さ」や「障害者の動きを真似た踊り」が『豊かな表現方法』として社会に受け入れられているという事です。
この辺りの感覚自体が日本人とはかなりかけ離れていることがわかります。


こうした発想は韓国関連ではあちこちで観察することができ、例えば数年前に話題になった事例では、サムスンGalaxyのCMでiPhoneを持つ男性はGalaxyをもつ男性より「モテない」といった趣旨の表現を行い国際的に大顰蹙を買った事例があります。


サムスンのギャラクシーギア、「今年最高の安モノ広告」 中央日報 2013年12月25日


また過去の事例では他にも、今から9年前にアフガニスタンで韓国人がタリバンの人質になった事例では、朝鮮日報が「神がこの世界を創造した際に何の使い道のないものばかりを集めて投げ捨てたところがアフガニスタン」と表現した事例や


【コラム】タリバンはムハンマドの教えを思い出すべき(下) 朝鮮日報 2007/08/02


2004年に発生したスマトラ島沖地震では、東亜日報が日本からの支援を「南アジアの強震に乗じてこっそりと自衛隊の活動領域を広げようとする日本右翼の内心」とか「国連安全保障理事会への進出のために支持勢力を増やすうえで役に立つという計算」などと記事にした事例


[オピニオン] 「蔵から人情」 東亜日報 December. 29, 2004


また最近の事例でも、リオ五輪で結果を出せなかった韓国の選手に韓国人が罵声を浴びせて侮辱するといった行為が横行し、韓国内で流石に問題になった事例などがあります。


読者の意見:五輪で負けた選手を侮辱する韓国ネット社会 朝鮮日報 2016/08/19


このように、韓国では「反日」かどうかに殆ど関係がなく、とにかくまず「相手を侮辱する」「相手を貶める」といった表現が社会で多用されており、またものによっては「自己の優越性のために他者の劣等性を指摘する」といった趣旨だけでは説明できない表現も多いのです。

2:「侮辱」が独自文化として発展


上記のように、韓国では日本とは「侮辱」という行為への社会的な捉え方がかなり異なっていることが解るのですが、では韓国内では「相手への侮辱」が社会的に完全に受け入れられているかといえばそうでもありません。


たとえば最近の事例では、韓国では少し前まで芸能人やネット上の有名人などの「暴露」を行う「江南パッチ」「ハンナムパッチ」というサイトが話題になっていたのですが、実際には殆どがデマ情報であり要するに「他者を侮辱し貶める目的」のページでした。


[オピニオン]江南パッチの嫉妬の心理 東亜日報 September. 01, 2016


こうしたページを運営していたのは複数人の20代女性だったようなのですが、大本の動機としては知人の富裕層の女性に嫉妬し、その人物のゴシップ情報をネット上に掲載したのが始まりで、そこから「ある事無い事無差別に『有名人の暴露』をするようになった」のだそうです。


このページは閲覧者も多くそれなりに人気があったようですが、同時にかなりの批判も受けており、また結果ターゲットとされた人々から名誉棄損で訴えられページも閉鎖されました。


この事例で特徴的なのは、出発点は個人的な逆恨みで個人への誹謗中傷から始まった事例にも関わらず、ターゲットが不特定多数に拡散し殆ど無差別に「侮辱」を繰り返していた事と、それが韓国社会で需要があったと同時に社会的批判を受けた事です。


これが何を意味するかといえば、まず韓国では「相手を侮辱できるのは地位が高いからだ」との認識があり、韓国社会では「(主観によって)自分は相手より序列が上だ」と感じた場合、意図して失礼な態度を取り「自分が相手より上である事」をアピールすることがあります。


要するに「序列が高い人間は低い人間を侮辱したり失礼な態度を取る資格がある」との考え方が社会に存在しているのです。


このため、韓国社会では「序列のアピール(或いは確定)のため」意図的に相手を侮辱したり失礼な態度を取ることがあり、いわゆる「ナッツリターン事件」もこの範疇に入るのですが、上記事例でも嫉妬心などから相手を侮辱し「自身の優位性」をアピールしようとしたわけです。


またこれは韓国で比較的「ウリとナムの関係性」における「ナム」に対して行われる場合が多く、江南パッチやナッツリターンの事例でも、侮辱や失礼な行為を行った側は相手の事をナムと認定し、それと同時に「相手よりも序列が高い事」をアピールするためにそのような行為を行ったという意味合いがあります。


要するに韓国における侮辱文化では、「自身よりも序列が低いナムに対しては侮辱や失礼な態度が許される」という法則性がある事になるわけですが、同時に「ウリ」の範囲が個人の主観やそのときの状況によって変動するという特徴もあります。


そのため、社会的に「侮辱行為」が条件付で容認されていても、たとえば法的な問題や「相手の社会的地位のほうが高かった場合」などで、むしろ侮辱した側のほうが「ナム認定」を受けてバッシングされる場合もあるわけです。


これを最初のほうで紹介したアップルの事例、アフガニスタンの事例、日本の事例、五輪選手の事例に当てはめると以下のような解釈ができます。


アップルの事例では売り上げでサムスンが上回ったため、アフガニスタンの事例では経済力で上回っているため、日本の事例では韓国では「韓国は日本よりも道徳的に優れている事」になっているため、自分達のほうが序列が上だと感じ序列をアピールするために侮辱を行ったわけです。


また、上記事例でターゲットとなった対象は「ウリになり難い(ウリの範囲は状況次第でいくらでも変動するためあくまで"なり難い"です)」ため韓国内では侮辱が受け入れられたとの背景もあります。


そしてリオ五輪の選手の場合には、韓国内でもウリなのかナムなのかの判断が分かれるため、「五輪でメダルを逃した」という劣等性を基に、ナムと判断した人々は侮辱し、ウリと判断した人は侮辱行為を批判したわけです。


上記のような背景から、ある意味で韓国では「独特な侮辱文化」が存在しているとの解釈が成り立ち、また侮辱行為は何でも許されるわけではなく、独特の価値観=常識に基く法則の範囲内で肯定されているわけです。
だからこそ、私達の判断基準での「侮辱だから悪い行為」との認識が成り立たないのです。


3:「反日」が主な原因ではない


今回書いたように、韓国では「他者を侮辱する行為」に対する認識そのものが日本人とは大きく異なっており、当然日本にも他者を侮辱する人はいますし、それを公然と行う人も多いですが、そこにいたるまでのハードルや認識に大きな違いがある事が解ります。


たとえば東日本大震災後に問題となった、今回ページトップに掲載している「大震災をお祝いします」横断幕や、それを受けての韓国の公共放送で行われた「日本人、体にいい福島産さくらんぼを食べろ」といった表現も、要するに反日というよりも「日本よりも序列が上である事」アピールとしての表現の意味合いが強いのです。


「日本人、体にいい福島産さくらんぼを食べろ」 放射能からめた芸人暴言コントに韓国紙「大喝采」 J-CAST 2013/8/ 6


一見すると日本人は「これこそ反日教育の影響だ」と考えがちですが、実際にはこれは勿論反日の要素が無いわけではないですが、発想の大本には韓国独特の侮辱文化が関係しているわけです。


つまり反日の要素を含んではいますが、「反日でなければ発生しない事」なのかといえば、それは「違う」のです。
韓国では、侮辱という行為が「序列が下の(主に)ナムに対して行うもの」との意味合いが強いからです。


これは別視点からも見て取れます。
数年前、韓国でOECD加盟国の社会統合分野の調査が行われたのですが、その中で韓国は「寛容性」が加盟国31か国中最下位との結果になりました。


【社説】寛容・安全はOECD最下位、他人への配慮が足りない韓国 2014年01月09日


要するに、他者に対して侮辱を行う行為がある意味で「当たり前」である事から、その行為と相対的な位置にある「他者への寛容・配慮」といった部分が著しく低かったわけです。


このように、日本と韓国とでは「他者への侮辱」という行為に対する認識に大きな隔たりがあり、日本人が「反日」と認識しているもののなかにも、実際には反日が主要構成要素ではなく、あくまで「切っ掛けの一つ」程度でしかなかったり、場合によっては全く関係ないものが多数あります。


韓国では、意図して相手を侮辱したり失礼な態度を取れるのは、それだけ自身の序列が上だからという認識があるからであり、これが独特な「侮辱文化」を形成しているわけです。



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