日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国起源説全般について解説してみる


さて、本日は以前リクエストのあった韓国起源説の分類などについてとなるわけですが、まず韓国起源説といってもあまりにも種類がありすぎるため全てをここで説明する事は不可能です。
参照 韓国起源説の一覧 Wikipedia ※ここにある起源主張が全てではありません)


またカテゴリー分けに関しても、厳密に区分けできるものよりも複数の要素を持つものが多いので、ここではあくまで私が選んだ代表的なものについて書く事とします。


ちなみに、今回かなり長くなってしまいました。
これでも引用数を半分に減らしており、あまりにも長すぎたため当初の予定では2部構成だったものをかなり強引に一つの記事にしています。


一概に「韓国起源説」といっても実際のところその背景は様々であり、たとえばいわゆる「日帝残滓」問題に関連し、韓国内で「それは日本由来のものだから止めろ(廃止しろ)」との批判を受け、その批判を回避するために「実はこれは韓国起源なのだ」と主張するようになった事例。


上記背景とは全く関係が無く、国際的に評価された日本文化などを彼ら独特の価値観=常識である「悪い事は他人のせい、良い事は自分のお陰」との考え方に基き、「実はそれは韓国が起源なのだ」と国際的にアピールするようになった事例。


または、近年の先鋭化する民族主義によって元々日本由来であると認知されていたものが「実は韓国起源である」とされるようになった事例や、中には元々韓国起源とされていたものが近年日本起源であると一部認めるようになった事例、過激な民族主義者がただそう主張しているだけのもの、どの分類にも当てはまらないものまで千差万別様々な事例が存在する。


そこで今回は、便宜上前者2つの事例(日帝残滓関連、国際評価関連)を第一群、後半の事例を第二群と大雑把に定義して区分けする事で解説し、また韓国内における韓国起源説の背景などもある程度解説することにする。



1:第一群に関する解説(part1)


ここでは、現在も韓国で年々先鋭化している民族主義国粋主義を背景として頻繁に行われている、日本の影響(日帝残滓と呼ばれている)を社会から排除するための運動に関連し、その批判を回避するために発生した起源主張について。


もう一つ、近年国際的な評価を受けるようになった日本文化などを、韓国独特の価値観である「良い事は自分達のお陰、悪い事は他人のせい」との価値観を背景として「実はあれは韓国起源なのだ」と国際的にアピールするようになった事例について書いていきます。


この2つを第一群と一つにまとめているのには理由があり、現在韓国で最も支持する人の多い部類に入る侍や剣術(場合によっては日本刀も)の起源主張と、いわゆるソメイヨシノ=王桜説に関連した一連の韓国起源説に関しては、前者から始まって現在は後者が目的化しているという特徴があるからです。


そしてこれ以外に、単純に「日本文化が国際的に評価を受けたから」との理由で始まった起源説や、「日帝残滓排除運動」を回避する動きが存在せず起源主張が発生しなかった事例などもあり、これらを一つのグループとして第一群と定義しました。


まずはこちらの記事から


イ・ジョンニム大韓剣道会長 「剣道、2020 東京夏季オリンピック示範種目推進」
スポーツソウル(韓国語) 2015-06-01
http://www.sportsseoul.com/?c=v&m=n&i=220893

[スポーツソウル]「全世界剣道人のためにもオリンピックに必ず進出しなければなりません。」
第16回世界剣道選手権大会閉会式が開かれた31日の日本武道館国際剣道連盟(FIK)副会長であり、韓国剣道の歴史の生き証人である凡事8段イ・ジョンニム(76)大韓剣道会会長は57ヵ国963人の選手団、役員の前でこのように述べた。 日本武道館を埋めた1万4000余りの観衆も拍手喝采を送った。

イ会長は世界選手権期間スポーツソウルと会った席で、剣道のオリンピック進出を数度にわたって強調した。
彼は「剣道が2020に東京夏季オリンピックの示範種目の推進を狙っている。 オリンピックを2年後に控えて開かれる仁川世界選手権で剣道の真価を見せなければならない責任感を負うことになった」と話した。

イ会長が歩んできた道は1953年に発足し、今年で62周年を迎えた大韓剣道会の歴史と軌を一にする。
2年前、競技人では史上初めて大韓剣道会首長職に座った彼は、持続して剣道の大衆化に力を入れた。
しかし、まだ不人気種目の足枷から解き放たれなかったのが事実だ。しかも、昨年、大韓体育会は全国体育大会100周年を控え、一部種目の縮小案を出したが、オリンピック種目ではない剣道も含め、甲論乙駁してきた。暫定的に留保された状況や危機に陥ったのが事実だ。

しかし、韓国剣道は同好人を中心にいつのまにか70万の人口を誇っている。45年の歴史を誇る世界選手権でも唯一の日本の対抗馬の役割を果してきており、今大会でも史上初めて女子個人戦で2人も入賞した。
男女団体戦も準優勝をするなど、世界トップクラスの技量を誇った。 全国体育大会で除外されたら、ただでさえ劣悪な状況で活動する男女剣道の選手たちの未来まで根絶することになる。

そんな中で、オリンピック進出は国内だけでなく全世界剣道人の夢だ。 励みになることは、イ会長が大会期間のFIK理事会でアジア地域を代表する副会長に選出された。 剣道界にもっと影響力を行使するようになった。

また、新任会長もトヨタ自動車の常任顧問出身である張富士夫(78)が選ばれたが、武安義光(91)前会長よりも剣道の開放政策を念頭に置いている。 武安会長は剣道の宗主国の位置づけにも、剣道のオリンピック進出に反対してきた人物だ。 剣道をスポーツの価値より武道で解釈した。 韓国を含めて、多数のアジア圏国家と欧州、アメリカなどは、オリンピック進出に肯定的な見解を示したのと対比された動きを見せた。 内面には、国際剣道界影響力が大きい日本剣道が世界選手権ではタイトルを独占してきたが、五輪では不可能なためだ。 ややもすると、韓国などにトップを奪われた場合、宗主国の位相が揺らぐと思うためだ。

イ会長は「新しいFIK会長も1964年東京オリンピックの時、柔道が五輪正式種目に採択された時のことを考慮するようだ」、「剣道界が息を吹き返すには、無条件でオリンピックやアジア大会種目に含まれなければならない。
今大会に参加した57ヵ国の代議員たちが概ね共感を示している」と話した。

そんな中、3年後に仁川で開かれる17回世界選手権大会はオリンピックの夢をつかむための前哨戦になる可能性が高い。1988年、ソウル7回大会以後、30年ぶりに韓国で開かれる。

1973年、米国で開かれた2回世界選手権男子個人戦で3位を手にし、韓国剣道史上初の国際大会入賞という快挙を成し遂げたイ会長。彼は剣道は日本の武道という視線に対して不満感を示していた。これまで古文書を耽読し、研究に邁進したイ会長は剣道の起源が韓国にあったと強調する。

「剣道の近代化を成し遂げたことは日本であっている。 しかし、日本で剣道という名称で定着する前には“撃剣”という名前が使用された。 三国史記と三国遺事などにあまねく登場する韓国語だったのだ。また、日本で11世紀以前まで使用した剣の形も、三国時代に我が国で使用したものと同じだ。」

よく日本をはじめ、他の国では剣道を“ケンドウ(KENDO)”と呼ぶが、韓国において“コムド”で使用することも、このような自負心から始まった。 また、世界大会でも韓国だけが唯一の“白衣民族”を象徴する白色道服を着用している。


まずここで主張されているコムドのオリンピック種目化運動は、恐らく1990年代後半頃から始まっており、韓国で民族主義が先鋭化し始めた2002年より前から発生している問題である事が非常に興味深いです。


そして恐らくですが、現在日韓の間で特に問題となっている、韓国による韓国起源説の国外でのアピール問題の最初の事例(厳密には最初の事例はテコンドーの可能性があります、定義の仕方にもよりますが)であり、ある種現在の韓国起源説のモデルケースとなった事例ともいえます。


そして注目すべきは、元々朝鮮における剣道は日本統治時代に始まり、また戦後は日韓国交正常化前から日本の剣道家達が韓国へ赴き剣道の指導などを行っており、大韓剣道会はその過程で生まれた組織という背景を持ちます。


そうした背景から、韓国では元々韓国内にあった民族主義的傾向から、「あれは日本のものだから排除しろ」との風潮があり(韓国では1990年代まで侍や日本刀は日本の野蛮性の象徴とされる考え方が一般的でした)、大韓剣道会はこの批判を回避するために「実は剣術や侍は韓国起源なのだ」と主張していたのです。


恐らくですが、当初のコムドの世界化運動もこの主張の延長線上だったと思われます。
同時に1990年代後半頃からは徐々に韓国の民族主義が高まりだしていた時期であり、この背景から侍が韓国起源であるとする2つの映画サウラビ(2002年公開 日韓合作)MUSA -武士- (2001年制作の韓国・中国合作映画)が公開されたことも何かしらの形で関係しているでしょう。


世界が注目する「サウラビ」 朝鮮日報 2001/05/24


そして恐らく「日本が評価されたから」という動機に変質する最も大きな切っ掛けとなったのは、2003年にアメリカで大ヒットしたラストサムライの影響が最も強いと考えられます。


以後韓国では国内的に日帝残滓との批判を避けるための起源主張から、国際的に「日本の文化抹殺政策で奪われた韓国文化」として、国際的にアピールする活動が活発化していき、2006年頃になると大韓剣道会から分裂した海東剣道の活動もパトロンヒュンダイの支援を受けて活発化していきます。


参考記事
「Japan Expoに寄生しないで独自のコリアエキスポやればいいのに」→過去にやった事があります
韓国の偽剣道団体「海東剣道(Haidong Gumdo)」が詐欺すぎて突っ込みを入れてみた


これと似たような事例としてソメイヨシノ韓国起源説があります。


こちらの場合には、1980年代頃から「桜は日帝残滓である」として切り倒す運動が発生しており、「桜の名所」を観光資源としていた自治体などがこれに反発、そこから韓国起源説が派生したものと考えられます。


参考記事
ソメイヨシノ韓国起源説問題まとめ(前編)
ソメイヨシノ韓国起源説問題まとめ(後編)


またソメイヨシノ韓国起源説の場合、2000年代初頭から春になると定期的にメディアで起源主張がされていた背景があるのですが、韓国内全般としてはそもそも2000年代以降あまり起源を気にする人が存在しておらず、花見なども過去の経緯(切り倒し運動)なども関係なく普通に行われていました。


これが大きく変わったのは実はつい近年であり、2010年代から急速に起源主張の頻度が増えていき、2014年に韓国の公共放送であるKBSがこの起源主張を特集すると、韓国内での知名度が一気に上昇します。


(※1)
「花の戦争…桜の花原産地は‘韓国’」 KBS(韓国語) 2014.04.03


以後、李承晩とこじつけて政治的に起源主張を利用する動きが活発化し、2000年代以降「桜が国際的に評価されている」事と相まってターゲットとされていたアメリカワシントンの桜祭りとこじつけられ、目的が世界各国の桜祭りの乗っ取り、桜=日本というイメージの上書きへとシフトしていきます。


またこの頃から、慶尚南道昌原市鎮海区や済州特別自治道などの桜を観光資源化している自治体、また韓国内のカトリック系団体などもソメイヨシノ韓国起源説の周知運動に関わり始め、問題は更に深刻化していきます。


侍や剣術に関する韓国起源説と、ソメイヨシノ韓国起源説に関しては、このように過去の動機と現在の動機が民族主義の先鋭化や日本文化の国際的な評価の高まりとともに変化してきたという経緯があり、韓国内での知名度の高さと相まって非常に特殊な事例といえるでしょう。


要するに韓国内で韓国起源説が特定の団体によって利権化しているのです。
この2つには韓国政府も深く関与していますが、その背景にもこうした団体の利権構造が深く関わっています。


2:第一群に関する解説(part2)


次に第一群の中で上記二つの特殊事例に当てはまらない、単純に日本文化の国際的評価への便乗としての起源主張と、日帝残滓問題から起源主張へとシフトしなかった事例についても書いていきます。


以前ポケモンGOの事例でも書いたように、韓国では日本の何かしらのコンテンツや文化などが国際的に評価されると、それに便乗しようとする動きが非常に頻繁に見られます。


たとえば日本のレストランなどがフランスのミシュランガイドで高い評価を受けると、韓国でも「韓食の世界化」運動とミシュランガイドの誘致運動が始まりましたし、日本のアニメやマンガが国際的な評価を受けると韓国も国策事業としてアニメやマンガの事業投資を行った事例などがあります。


韓国起源説の世界でもこの動きと連動したものがあり、例えば折り紙の韓国起源説や茶道の韓国起源説などがその代表例です。


参考記事
まだまだ続く折り紙の韓国起源説
どんどん酷くなる折り紙の韓国起源説
韓国が嫌われるもう一つの原因


特にこの2つに注目するのは、侍や剣術の起源主張、またソメイヨシノの起源主張などの事例と同じで、参考記事で詳しく書いていますが韓国内に茶道や折り紙を行う団体が存在しており、そこが主導し、ときに政府の支援などを受けて国際的な起源主張活動を行っている点です。


この事例でもそうですが、韓国内で単に起源主張をしているだけの事例と国際的な活動が活発になる事例の最大の違い、また韓国内での知名度の大小の違いを分ける違いは、このように韓国内で活発に起源主張をする団体が存在しているかいないかで分かれます。


知名度の面で上記2つほど有名ではないですが、「日本の禅」の起源を主張する韓国の仏教団体最大手、曹渓宗の問題なども背景としては同じです。


参考記事
韓国は仏教も反日


そしていわゆる日帝残滓問題に関してもこのことが大きく関係しており、韓国では民族主義が先鋭化しており、日本由来のものは「表面上の見栄えのみ(厳密に定義して排除するのではなく目立つものを選び出しパフォーマンス的に)」片っ端から排除する傾向にあるのですが、ソメイヨシノの事例や侍、剣術の事例のように、特定の団体によって利権化していないもの、或いは利権化しようのないものは積極的に排除される傾向にあります。


たとえば近年の事例だと、韓国では元々住所が日本と同じ地番地名だったのですが、これが日帝残滓であるとして排除運動が起こり、欧米式の道路地名に変更になった事例や、議員バッジのシステムが日帝残滓であるとして排除運動が起きた事例があります。


大韓民国の住所体系、来年から道路名住所に全面改編 KOREA.net 2013.11.21
韓国の国会議員バッヂ廃止を推進=「日帝残滓清算」の側面も 朝鮮日報 2016/06/20


上記事例では、特に国際的な評価を受けていない事と、韓国内で利権化のしようがないので起源主張にいたらなかったという事です。


一見すると起源主張をするのには無理があるからとも見えますが、そもそも彼らは根拠を重要視しない文化であるため、無理があっても動機さえあれば強引にこじつけますので、整合性や根拠よりも利権化できるかどうかと、国際的に評価されているかどうかが重要なのです。



またもう一つ特殊な事例として、日本が海女をユネスコに遺産登録をしようとしたところ、韓国が「海女の起源が日本に奪われる!」として起源主張してきた事例があります。


(※2)
「済州(チェジュ)で海女技術習った日本に元祖奪われるところ」 済州の声(韓国語) 2016年6月21日


これの場合には、韓国の海女がユネスコに遺産登録されるかどうかで変わるでしょう。
登録された場合には恐らく上記と同じように利権化し、国際的な「日本の海女は韓国起源である」とする活動が始まるわけです。


3:第二群に関する解説


次の事例では、上記の事例に当てはまらない韓国起源説について書いていきます。


まず最初に紹介するのは、元々韓国内で明確に「日本由来」として認知されていたものが、近年の民族主義の先鋭化に伴って韓国起源とされた事例と、その逆に元々韓国起源とされていたものが、部分的に日本起源と認知されるようになった事例です。


上記に関しては、以前の記事に書いていますので詳細は省きますが、代表的な事例としては沢庵と扇子の韓国起源説があります。


これら2つは、過去にも起源主張が行われた事例があるにはあり、それは一過性のものだったのですが、今年に入り発生したものはそれとは違い民間で規模がそこそこ大きなキャンペーンが行われるようになり、扇子に関しては恐らく政府も関与して起源の既成事実化が進んでいます。


上記は2つともまだ韓国内での知名度が低いですが、活動が活発であるため今後どうなるかは未知数です。
今までの流れですと来年には忘れ去られている可能性もありますが、特に扇子の場合には近年国際的な評価も受け始めている事から、今後韓国内で利権化が発生し永続化する可能性は十分にあります。


またこれとは逆に、元々韓国内で韓国起源とされていたものが様々な理由から日本起源であると一般的に認められるようになった事例も少数ですが存在しています。


たとえば柔道の韓国起源説の場合、現在完全に起源主張がなくなったわけではないのですが、過去には2002年のアジア競技大会で韓国の公式サイトが起源を主張した事例や、アテネオリンピックで韓国の選手がインタビューに答えて起源を主張した事例などがあります。


(※3)
釜山アジア大会組織委HP 日本側抗議、柔道は削除 産経新聞(紙面のみ) 2002年9月29日


この件に関しては、実は2000年代半ば頃を最後に公式には主張されなくなっています。
理由は明白で、日本の柔道連盟と国際柔道連盟(IJF)が公式に抗議したこと、またIJFの規約として柔道の定義を「嘉納治五郎が様々な日本の流派を研究して創設した武道」と定義していたため、それらが歯止めとなったわけです。


ただ以後も韓国の柔道団体が「柔道は日本起源だが道の精神が韓国起源である」等と別の起源主張を続けており、問題が完全に消えたわけではありません。


韓国柔道を世界に伝えた主役たちが一堂に 朝鮮日報 2008/09/18


またもう一つ似たような事例として、武田惣角陸奥会津藩の殿中武術を参考にして創始した大東流合気柔術の起源を主張していた事例では、現在でもハプキドーを名乗る団体が武田惣角の正統後継者を名乗るなど問題は残っていますが、「柔術の起源は新羅花朗にある」などとしていた起源主張は近年かなり減少傾向にあり、韓国でも殆ど主張されていません。


ただしこれに関してはそもそもこうなった明確な原因が良くわからないうえに、この主張を基にした偽忍者団体が現在も国際的な起源主張活動をしており、2011年と2012年にフランスで行われたコリアンコネクションというイベントにおいて、この団体が韓国政府の支援を受けてフランスで起源主張のアピール活動をしていた事は以前も書きました。


参考記事
「Japan Expoに寄生しないで独自のコリアエキスポやればいいのに」→過去にやった事があります


また他の事例として、過去韓国ではテコンドーは2000年前からある伝統武術のテッキョンをベースとしており、日本の空手にも影響を与えたと主張されていたのですが、これに関しては韓国でテコンドーの長老とされる人物がテコンドーが空手をベースに創始されたものである事を公表、このことが国際的に広まり完全ではないですが公的な主張は激減しました。


(※4)
テコンドー 初期 元老たち ほとんどが 空手修練者 MOOTO(韓国語) 2001/03/07


このように、外部からの抗議や批判など、原因がはっきりした形で起源主張が一応表向きには止まった事例もあるわけです。


また他にも、韓国内でもあまり知名度が高くなく、利権団体なども存在しないか規模が小さく、動機も民族主義から名声目的まで様々な韓国起源説が無数にあります。


ただしこれに関しては、一応支援団体がある場合もあれば単に個人が主張しているだけの事例や、ほとんど発作的に起源主張をしているだけの事例など、その種類は千差万別で分類する事自体が無意味であり、第二群に分類したのも他に分類のしようが無いからというだけです。


たとえば、片仮名の起源を主張した事例や、日本のものは何でも片っ端から起源主張をする韓国人教授のイ・ナムギョの事例、旭日旗の起源を主張した事例まで千差万別でまさにカオスです。


「カタカナの起源は韓国」と教授が裏付ける重要証拠を発見! ゴゴ通信 2016/04/24
(※5)
[イ・ナムギョの日本語源流散歩25]カミサマ(神様) 韓国毎日新聞(韓国語) 2009-07-01
「旭日旗」韓民族軍旗でモチーフ " 文化日報/NAVER(韓国語) 2013-10-31


また他にも、沢庵や扇子の事例と似たタイプとして殆ど発作的ともいえる形で起源主張を行う事例もあり、以下の事例のようにおでんや花札などが唐突に起源主張される事があります。


韓国風おでん「オムク」は「わが国固有」と説く識者 産経新聞 2016.1.16
花札に込められた韓日中文化(3) 中央日報 2016年02月09日


この辺りの起源主張は書き始めるときりがないうえに、韓国内でも知名度は殆どないに等しく当然信じている韓国人の数も少ない傾向にあります。


そして最後に上記事例にまるで当てはまらず、政治目的と民族主義が融合する独立した事例として、天皇韓国起源説があります。


(※6)
[新しい50年を開こう]百済、日と交流最も活発…明仁「私は武寧王の子孫」 ソウル新聞(韓国語) 2015-07-12


これに関しては、完全に独立した第三群としても良かったのですが、あまり分類を複雑化するのもよくないため第二群に分類しています。


これなのですが、先ほども書いたとおり動機は政治的な動機と民族主義の融合です。
2000年代初頭のいわゆる「天皇のゆかり発言」を基とした起源主張なのですが、元の発言では単に高野新笠という桓武天皇の生母が百済の王族である武寧王の子孫であった可能性があることから、「百済とのあいだにゆかりがある」と発言をしたのが切っ掛けです。


そもそもなぜ「ゆかり」なのかといえば、高野新笠とは武寧王から数えて10代目の人物であり、百済系といっても要するに在日百済系10世であり、しかもその5代も前に日本に帰化しているのです。


しかも文献によって矛盾があることから、武寧王の子孫というのはあくまで説のうちの一つに過ぎないのです。


ですから「ゆかりがある」としたわけなのですが、これが韓国で拡大解釈されて一人歩きし、現在の韓国や在日韓国・朝鮮人、また日韓友好論者の間では多くの場合で「天皇は朝鮮系」という事になっており、これを彼らの前で否定すると極右の差別主義者扱いされ、ときには人格そのものを否定するような罵詈雑言を受ける事もあります。


このような背景も含めてこの件は「非常に特殊」であり、第二群ではありますが独立系としても良いです。


4:韓国起源説の背景


今回書いたように、韓国起源説といってもその背景は様々であり、今回分類したように


・第一群
 日帝残滓回避目的の事例
 日本文化の国際評価への便乗とイメージの上書き目的の事例

・第二群
 元々日本由来とされていたものが民族主義の先鋭化から韓国起源とされた事例
 元々韓国起源とされていたものが外部の圧力などで部分的に日本由来と認められた事例
 個別の背景などから民族主義の発露や名声目的で行われる雑多な事例
 政治的な動機と民族主義が融合した特殊な事例


と分けることができます。
実際には、単に「第一群とその他」というだけなのですが。


そしてこうした様々な韓国起源説のベースとなっているのが、韓国で子供の頃から教育されている「日本人は何一つ文化を生み出せず、日本の文化は全て韓国人が教えてやったものだ」とする内容です。


韓国首相「日本の起源は百済…日本の歴史歪曲、絶対許せない」(1) (2) 中央日報 2015年04月10日


全ての韓国起源説はこの韓国における教育方針に根ざしたものであり、特に2000年代以降の韓国における民族主義の先鋭化から、韓国起源説も年々数が増え過激化していったという背景と、若い世代ほど教育の影響からこの傾向が強いことです。


また、この問題を語る上で注意しないといけない事として、韓国起源説には政府主導のものがいくつかあるため、この問題をイデオロギー問題で語ろうとする人がいますが、そもそもその発想自体が間違いです。


まず、この過激な民族主義なのですが韓国全体として民族主義の傾向は強いのですが、それでも政府系の団体などはニューライト運動などにみられるように、多少なりとも学術的視点を持とうとする動きがあります。


まあ、「それであの起源主張」なのですからいろいろとお察しなところがあるわけですが、政府系に否定的な韓国内の親北左派系(リベラル系)は更に輪をかけて過激であり、ニューライト系などの韓国における主流派層の歴史観などを、「(日本人が朝鮮人を支配するために植えつけた)植民地史観である」として全否定、殆どオカルトに近いような歴史(壇君古記などに代表されるトンデモ系)を主張しています。


【コラム】韓国の上古史論争、良識とルールを守ろう 朝鮮日報 2016/06/26 (1/2ページ)(2/2ページ
[寄稿]歴史を捨てた歴史家による教科書執筆 ハンギョレ新聞 2016.07.05


ですから、政府に否定的だから起源主張を信じないというわけではなく、この問題で韓国をフォローしようとする人は、例えばこのブロマガのコメント欄でも「政府系と非政府系の対立構造」などを持ち出すわけですが、そもそもその対立構造で韓国起源説を語る事自体が間違いなのです。


実際問題、ソメイヨシノ韓国起源説の件を例に出せば、例えばKBSは幹部は政府寄りではありますが製作現場は反権力志向が強く、どちらかといえば親北系寄りですが、最初に引用したようにソメイヨシノ韓国起源説を行っていますし、同じく親北系のハンギョレ新聞も起源主張を行っています。


[記者手帳] 韓日のソメイヨシノ起源論争はなぜ終わらないのか ハンギョレ新聞  2015.04.04


要するに、「右だから左だから」「政府系だから、非政府系だから」という分類自体が無意味という事です。
あくまでベースとして存在するのは、イデオロギーとは殆ど関係なく存在する韓国内の民族主義と、それに根ざした子供への教育方針にあるのです。


またもう一つの問題として、「そもそも韓国起源説の何が問題なのか」にスポットが当たることが少ないという問題があります。


まず、韓国起源説の最大の問題は何かといえば、それは起源主張そのものではなく韓国が場合によっては官民挙げて国際社会に対して「本来朝鮮の文化だったものを、日本が植民地支配の過程で文化抹殺政策をして奪い去り、自分達の文化としてしまった」と世界中に向けて宣伝している事なのです。


極論を書いてしまえば、韓国内で韓国人同士が起源主張をしているだけならばそれは彼らの勝手であって特に問題は無いのです。


重要なのは、韓国起源説の目的が国際社会における日本のイメージの上書きになる場合が多く、韓国起源説が国際的にアピールされるということは、単に日本文化が韓国文化にされてしまうというだけでも問題にもかかわらず、冤罪で悪人にされてしまうところにあるのです。


だから韓国起源説は問題なのであり、しかもそれを韓国は政府とメディアと学者が官民挙げた国策事業として行ったり、韓国の大手財閥がスポンサーとなって行ったり、韓国内で活動する韓国起源説系団体が外国に支部を作って現地の人々にこの件を広めようとするから問題なのです。


韓国起源説の問題とはこのように、主張そのもよりもそこから派生する様々な事柄のほうが問題なのです。


今回かなり長くなり投稿時間も遅くなってしまいましたが以上となります。
長々とお付き合いありがとうございました。



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以下は当ブロマガのお勧め記事マイリストです、もしよかったらこちらもどうぞ。











(※1)

「花の戦争…桜の花原産地は‘韓国’」
KBS(韓国語) 2014.04.03
http://news.kbs.co.kr/news/NewsView.do?SEARCH_NEWS_CODE=2838738&
<アンカーコメント> ちょうど今、桜の花で、全国各地壮観を織り成しているでしょう?
この桜の花は、ほとんど王桜で我が国をはじめ、日本で最も多く見られる種類です。
ところが、日本がこの桜の花の原産地も歪曲しているといいます。
(省略)

<質問>それでは、桜の花の原産地はどこですか?
<回答>去る1908年に、済州島を訪問したフランス人神父タケが漢拏山中腹から王桜の自生地を発見します。

文献を見てみましょうか?
朝鮮総督府でも我が国全域を直接現地調査し、桜の花の原産地が済州島だと明らかになりましたが、日本の船乗りたちが桜を済州島から持ってきて神に献上したという文献もあります。

特に原産地を判断するのに最も重要なのが自生地であるかどうかで、済州島には、自生桜が確認されただけで200本を越えました。

立山林科学院キム・チャンス博士の話を聞いてみましょう
<インタビュー>キム・チャンス(国立山林科学院、暖帯亜熱帯山林研究所):"変異がずっと正規分布をする必要があります王桜の葉の形がこのようにできたとすると、これを基準として…"

科学的な研究結果も桜の花が韓国産であることを裏付けています。
山林庁が、日本と韓国の桜のDNAを分析した結果はもちろん、米国農務省が、最近の日本と韓国の桜試料82個を採取して塩基配列などを分析した結果でも、済州王桜と日本のソメイヨシノが遺伝的に同一であることが確認されました。


<質問>ところが、日本は桜の花の原産地が自国だと主張していないですか?
<回答>先に文献で桜の花の原産地が済州だと認めた日本が、光復以後、突然態度が
急変しました。日本の桜と済州島の王桜は完全に別の種というものです。

先に見た、韓国と米国の遺伝子研究結果にもかかわらず、日本は自生種であるエドヒガン
オオシマザクラの雑種交配で、済州王桜である「ソメイヨシノ」が生まれたと主張しています。

日本の専門家の話を聞いてみましょうか?
<インタビュー>カツキトシオ(博士/日本森林科学園):"桜の花は、元々、日本に自生していた私たちが見る桜の花はソメイヨシノを含む栽培品種というものです"

しかし、肝心の日本は自分たちの桜の花の自生地は、まだ探しているという立場です。
自生地をまだ知らないというものです。

<質問>日本はこの桜の花も外交的に利用していますね?
<回答>はい、ご覧の画面が大規模な桜祭りが開かれるアメリカワシントンDCポトマック川沿いです。去る1912年、日本の東京市長が桜3000本をプレゼントしたのがきっかけになりました。第二次世界大戦当時、日本が真珠湾を襲撃し、桜を切ろうという動きがあったが、李承晩元大統領が桜の原産地が韓国だという事実を知らせて維持された。

日本はこの桜の花が日本産だと主張しているが、この花さえも、済州王桜と同じ種であることが確認されました。このように、私たちが無関心な間、日本軍国主義の象徴でもある桜の花は、アメリカとヨーロッパに木が伝えられたり、各種キャラクター商品化を通じて日本を知らせる外交的手段で着実に活用されているのが実情です。

国境を越えて誤った認識が根付いている状況なので、今でも正すための努力が必ずされなければならないと考えられます。

(※2)

「済州(チェジュ)で海女技術習った日本に元祖奪われるところ」
済州の声(韓国語) 2016年6月21日
http://www.jejusori.net/?mod=news&act=articleView&idxno=179047

イ・ソンファ議員.

済州海女(チェジュヘニョ)から潜水(ムルジル)技術を習った日本に海女(アマ)に元祖の席を奪われるかもしれないという憂慮が民意の殿堂で公式に提起された。

イ・ソンファ議員(セヌリ党)は21日午後に開かれた第341回第一次定例会第二次本会議で5分間の発言を通じて「最近、日本のSNSを見ると、済州海女や海女文化を国内だけでなく世界に知らせるマーケティング済州島(チェジュド)が一層拍車をかけなければならない」としてこのような憂慮を伝えた。

イ議員が最も憂慮した場面は去る5月25~27日、日本の三重県伊勢志摩で開かれたG7首脳会議だ。安倍総理夫人がG7首脳配偶者プログラムを通じて日本海女を世界に知らせる広報の場に活用したのだ。特になかなか国際行事に顔を出さなかったドイツのメルケル首相の夫(ヨアヒム・ザウアー)が今回のG7首脳会議に参加することになった理由について「海女文化に対する個人的な好奇心のため」と話した部分は大きな衝撃だった。

これについてイ・ソンファ議員は「日本は海女文化をこのように国家ブランドとしてグローバル・マーケティングするにあたって、すでに画家らが描いた切手もあり世界へ行って政府と首相夫人まで立ち上がって日本の海女を広報するとはうらやましいばかりだ」と吐露した。

イ議員はまたSNSで‘済州海女に海女技術を習った日本、あきれたことに海女の元祖を主張し日本に元祖の席を奪われる危機’というタイトルの文がトピックとして広がると聞いて「日本の海女の国家的関心は全世界に広がっている反面、これを見守る私たちは危機感に置かれている」と憂慮を伝えた。

済州海女文化をユネスコ登録に集中する戦略の問題点も指摘した。イ議員は「本来、世界の人々に愛されて共感を得るのは元祖の済州海女(チェジュヘニョ)ではなく日本の海女(アマ)」として「世界の人々に‘チェジュヘニョ’は発音するのも難しいが、日本の‘アマ’という発音は簡単で、政府の支援を受けた各種マーケティングを通じてグローバルブランド化されつつある」と話した。

それと共にイ議員はウォン・ヒリョン知事に‘SOS’を出した。本来、済州海女文化がユネスコ文化遺産登録されても全世界の人々から愛されるコンテンツは日本のアマになりかねない、という憂慮を伝えたイ議員は「済州海女文化の価値を高めるために、知事と済州が持つ全世界の人々とのネットワークを稼動して欲しい」と訴えた。

(※3)
釜山アジア大会組織委HP 日本側抗議、柔道は削除
産経新聞(紙面) 2002年9月29日
第十四回アジア大会が二十九日、韓国・釜山で開幕する。過去最大級の大会を運営する韓国の組織委員会が一方で日本独自の競技である柔道、沖縄で発達した空手を「朝鮮半島から伝わった」とする“珍説”を公式ホームページ(HP)で展開し、日本の関係団体が苦り切っている。

柔道は明治十五(一八八二)年、柔術各派を修行した嘉納治五郎が創始した。
国際柔道連盟(IJF)は規約第一条で、「嘉納治五郎により創設されたものを柔道と認める」としている。ところが組織委は中国の春秋時代に生まれた柔術が、豊臣秀吉朝鮮出兵(韓国では壬辰倭乱)で「日本に伝わった」と指摘。その後「新しい流派を発足した」としている。

空手は十四世紀末、明の華南地方から沖縄(琉球)に伝来した拳法が独自の発達を遂げたとされるのが定説。しかし組織委は「古代印度で発祥し中国に波及、唐の時に韓国へ」伝わり、日本に伝わったとしている。いずれも「韓国伝来」で共通しているが、柔道の基となった柔術も日本の戦国時代までの実戦の中で練磨されたとされ、秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わったとする根拠はない。

空手については、空手から派生し韓国で創設されたテコンドーを韓国側が「二千年の歴史」として、逆に空手の起源とする主張の影響もあるとみられる。
全日本空手道連盟の蓮見圭一専務理事は「組織委には事前に資料を送ったのですが…」と困惑の表情。訂正、削除要請などを検討中だ。

韓国では日本文化は半島伝来とする考えが根強く、剣道、合気道から華道、盆栽、サムライという言葉まで半島源流などとされている。しかし権威ある国際大会の運営団体の主張となると笑っていられない。組織委は「HPは各競技担当部署が作成した。対処したい」としている。(只木信昭)

(※4)
テコンドー 初期 元老たち ほとんどが 唐手 修練者  
MOOTO(韓国語) 2001/03/07
http://www.mooto.com/kor/webzine/news_view.asp?news_no=1105
https://web.archive.org/web/20040307203440/http://www.mooto.com/kor/webzine/news_view.asp?news_no=1105
3月6日、東亜日報の報道によると、国政広報処が韓国関連の外国のサイトを調査した結果、韓国の情報がある外国のサイト654個を検索した結果、二重56.4%である369個から515件の誤った情報を見つけたという。 この中で、私たちの関心を引くのは、テコンドー関連する部分である。

国政広報処は、米国モンタナ大学の格闘技サイト(www.bstkd.com)がテコンドーの起源が日本の空手と紹介していると述べた。 報道によると、国政広報処は、さらに、このサイトの運営者に誤った情報を是正するよう要求して関連資料を送るとする。

しかし、国政広報処のこのような措置は、適切ではないだろう。 なぜなら、テコンドーが空手の影響を受けたことは明らかな事実であるばかりか、さらには、テコンドーが空手から派生した武術だという主張をしても、これを根本的に否定することはできないからである。

青島管創立者であるイウォングク翁など1940年代後半テコンドーを広めるために先頭に立った多くの元老たちが日本で空手を修練したこれらのというのは、すでに広く知られた事実である。 まだこの事実を知らない人はこれに対して、もはやどうこう言うべきではない。 実際イウォングク翁は日本松島館系譜に今もその名が登録されていることが知られている。

ソング無関係に立てたベテラン直翁も日本松島館空手を修練したことが知られているが、自分が立てたソング無関係の「ソング」がまさに松島館の「ソング」であることが知られている。 イウォングクノット立てた青島管の「も」はまた、松島館の「も」だ。 これは、名前を明らかにしないようにお願いしたテコンドー元老から直接聞いた話だ。 この元老は、テコンドーは空手の「イミテーション(imitation)」と述べた。

今は故人となった青島管出身オジョンリム将軍は、記者との会話の中で「私は空手をしたし、後で崔泓熙将軍などが主軸になって名前を変えたことを意図 "と話した。 米国テコンドーの発展に大きな貢献をしたATAの高イヘンウン会長も、自分が最初に米国に行った時「コリアン空手」と自分の武術を紹介して教え、実際のテコンドーと空手の違いはなかったと証言した。 これは、すべてのテコンドーという武術が最初から存在しなかったが空手を学んだ人々が、解放後塗装を開いて空手の韓国の発音である「空手」を教え込むが、後で「テコンドー」という名前を書くようになったことを物語っている。

これは、ガンウォンシクテコンドー新聞社社長とイギョンミョンチュンチョンデ教授が共同執筆した「テコンドー現代史」でもよく紹介されている。

フィンチ部屋龍仁大教授やキム・ヨンソン延世大学講師、アンヨンギュハンチェデ教授なども一様にテコンドーが空手の影響を受けたという事実は認めなければならないという主張をしてき彼らの立場は非常に妥当性を認められている。 ガンウォンシクテコンドー新聞社社長も、自分が講義する大学院授業でそう教えているということがある。

これらの主張の核心は、1945年以前に韓国に「テコンドー」という武術が存在しまっいかなる証拠もなく、現実的に、初期テコンドー元老たちが皆空手修練育つことを見たとき、現在国技院、世界テコンドー連盟が採用している「2000年の歴史のテコンドー」という公式的な立場は、正しくないということだ。 だからフィンチ部屋教授は、かつて解放前の「テコンドー社」は「伝統武芸社」に修正しなければならないと主張している。

解放後にテコンドーを修練していた長老たちの話を聞いてみるとテコンドーの用語や技術などすべてが空手と変わらなかったという。 いくつかの元老は、それが空手という事実も知らずに学んだが、後でガソヤそれ空手とまったく同じだということを知って驚いた話した。

もちろんテコンドーは、50年以上の時間を経過して空手を「克服」してきた。 独自のキック技術を継続的に発展させてきた試合化部門では、オリンピックに正式種目に採択されるなど、注目したほどの成果を収めることもした。 しかし、テコンドーが空手で出てきたのは明らかな事実である。 これを否定するものでは「歴史を歪曲すること」である。 すでにテコンドーは独自に自己のアイデンティティを確保し空手に気後れなくなるほど、世界的に伝播された。 そしてテコンドーの宗主国が韓国であることを否定する人は誰もいない。 もはや「伝統コンプレックス」に陥っている必要がないということだ。

最後に、老婆心から追加ザラザラテコンドーと空手の関係の問題を論じるとき、数千年前の古代史は、の推知やめようというものである。 地政学的に見たとき、中国で韓半島を経て日本文化が伝播したので、日本の事源流は、最終的にすべて私達がだの空手の源流が誕生した沖縄のような小さな島で騎馬姿勢が出てくるはずがないからである馬に乗って通っていた大陸で渡ったことを証明することがだのする言葉だ。 これは、全く別の説になるからである。

(※5)
[イ・ナムギョの日本語源流散歩25]カミサマ(神様)
毎日新聞(韓国語) 2009-07-01
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=29420&yy=2009

神といえば韓国の人々は全知全能な唯一神を考える。しかし日本の神はそうではない。全国に数十万もある神社に祭られる神々はその領域により各々違う役割を果たしている。勉強ができるようにする学問の神、配偶者を求める縁結びの神、お金が儲かるようにする七福神、火災予防の神、航路の守護神、豊作にする神、等とても多いが、このため、日本人らはこれを「ヨロズノカミ」すなわち「多くの神々(マヌン シンドル)」という。

「ヨロズ(万)」という言葉を辞書でひいてみれば、「マン(万)の子供式表現」となっており、「ヨロズヤ(万屋)」といえば、「よろず屋(マンムルサン)」という意味だ。「ヨロズ」という言葉は韓国語の「ヨロッ(多数)」という言葉に由来したもので、「多数(ヨロッ)」すなわち「多い(マンダ)」という意味だ。

とにかく日本の神々は人間世界の職業ほど細分化されていて、その役割もまた多様だ。ところで、この神々の中にも大王神がいる。その神を「スサノオノミコト」(素盞鳴尊)といって、新羅からきたとされるため「シンラシン(新羅神)」とも言う。島根県出雲大社がその神を祭ったところで、陰暦10月には日本全国の神々がここに集まって会議をするという。そのため、日本は陰暦10月を「カンナズキ」(無神月)すなわち、「神のいない月」という。したがって陰暦10月に神社に行って祈る人は何も分からない馬鹿(村八部)として扱われる

史書を見れば「毎年陰暦10月には日本の神々が新羅神らを招へいして、会議や歌舞を楽しんだ」とあり、毎年陰暦10月になれば偏西風が吹き、新羅から船を出して1週間ほどでこちらの島根県近海に到着したという。それで日本の神々は刈りいれが終わったこの時期に韓国の神々を招請して、共に楽しんで交流したのではないかと言える。そして「神(シン)」を「カミ」というのは、これは私たちの神話の「熊(コム)」に由来したもので「コム⇒カム⇒カミ」に変化したのだ。

韓国では古代から神木を「カムナム」といって、昔は田舎に行けばカムナムに縄を縛り付けて蒸し餅を入れて祈る風景がしばしば見られたが、このカムナムが移転したのが日本の「カムナビ」(神奈備)で、これは「神霊が宿った山や森」を示す言葉だ。

私は日本の神社の神々を調査してみてびっくりしたことは、これらはすべて家系図を持っていて、彼らの故郷が伽揶、新羅百済高句麗と全部古代韓国だという。どうして日本人たちは私たちの先祖を自分たちの神として祭っておいて、祭祀を行って担ぐのだろうか?この点は次の機会に詳しく説明したい。


旭日旗韓民族軍旗でモチーフ
文化日報/NAVER(韓国語) 2013-10-31
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=021&aid=0002175001 (リンク切れ)
http://archive.is/ayXU8 (ウェブページキャプチャーアーカイブス)
日本軍国主義を象徴する優勢期(旭日昇天旗)が、実際には、韓民族の旗(軍旗)に書かれた「韓(ハン)」の模造品格という興味深い主張が出てきた。 旭日期日本軍が第2次世界大戦当時、士気高揚の手段として使用し、前後には右翼団体が展示態勢をとるために使用した。 したがって、日本の歴史認識退行を示す代表的な象徴物として考慮される。

ギムチェス(64・日文学・写真)高麗大教授は「韓日サッカー競技場でしばしば問題となっている旭日期」韓」を元にして作られた可能性が高い」と明らかにした。 キム教授によると、「韓」は「朝の光がさんさんと輝く姿を示す旗」を意味するが、旭日期そのようなイメージがより強烈に形象化されたものである。 しかし、これが旭日旗の「歴史的原罪」をなくしてくれるわけではない。 キム教授も、「日本人の旭日旗の使用を「韓」の掲揚行為で眺めることができる広い視野を提示したい」と伝えた。

キム教授のこのよう独特の「旭日旗モバンソル」は「アルタイ文明論」に基づいている。 キム教授は最近、アルタイ文明の最初の単行本「アルタイ文明論」(バクイジョン)を発刊、韓・中・日三国の民族・文化的な関係をグローバル的視点に考察した。 キム教授のアルタイ文明論は、檀君 '神話'で放置しておいた韓民族韓民族)の起源を見つけるプロセスである。 彼は「東アジアの古代国家の形成に肯定的な影響を及ぼしたのがまさにアルタイ文明」とし「今は一つの民族的、視覚(nationalism)や同じ文化圏的視点(regionalism)を止揚し、全地球的視点から物事を見なければならするとき "と意味を付与したが、旭日旗の破格的な解釈もこの過程で出てくることができた。

アルタイ文明とは、紀元前2000〜3000年の間にユーラシア大陸の中央に位置するアルタイ山脈の近くで形成された青銅器文明を指す。 これは、ユーラシア大陸の西メソポタミア地域で紀元前3500年ごろに発生した青銅器文明の東晋(東進)の過程で形成された後、東アジアの遼河地域と朝鮮半島、そして日本列島まで伝播したというのが、アルタイ文明論である。 簡単に言えば、現在の私たちが檀君朝鮮を立てた檀君王倹の子孫であるとすれば、檀君朝鮮はまさにこのアルタイ文明の影響下に建てられたわけである。

キム教授は「遼河地域青銅器文明が形成される過程で、古朝鮮(紀元前2300年ごろ)が成立した」とし「檀君王倹が建てた国は遼西、すなわち内モンゴル付近で把握される」と明らかにした。 これは、既存の国内の古代史の学者が朝鮮半島北部大同江流域を檀君朝鮮設立地域で見ると異なっている。 キム教授は「遼河地域と朝鮮半島の北部地域は、ユーラシア草原にを介して石器時代以来、文化的・人的交流が絶えず行われてきたため、韓半島の青銅器文明も遼河文明の影響下に生まれた」と述べた。 したがって、韓半島西北部の民族は、遼河の遼西地域で青銅器文明を起こした民族の一派という立場も自然に成立する。 遡れば、この一派は、アルタイ地域で青銅器文物を持って要しに到来した者たちである。 これを根拠に、金教授は、「檀君神話でいう檀君王倹の父親桓雄は天から降りてきた者ではなく、まさにこの渡来人たちを指す」と説明した。

ややもすると、金教授の主張は、中国の歴史歪曲プロジェクトである東北工程と接しているような誤解を呼び起こす。 東北工程論者たちは遼河文明の影響下、黄河文明が形成さドェトダミョンソ古朝鮮など、韓半島の歴史を中国史編入させようとしている。 キム教授はこれについて、「アルタイ文明論によれば、遼河文明を起こした民族はアルタイ語族(与え - 目的語 - 動詞として構成されたSOV型言語を使う民族)日しかない」とし「その部分で全​​く異なる立場の違いを見られる」と伝えた。 すなわち、上に上がれば、中国東北工程の核心である遼河文明の主体は、最終的にした(漢)がない限り、(韓)民族である。 古朝鮮を起こしたが遼河文明は、年次的に韓半島三韓と三国を誕生させ、日本列島に渡って、現在の天皇家を主軸とした古代国家を作ることになる。 この時点で、再び「韓」が旭日旗の母胎になったという主張がとんでもない解釈ではないことを知ることになる。


(※6)
[新しい50年を開こう]百済、日と交流最も活発…明仁「私は武寧王の子孫」
ソウル新聞(韓国語) 2015-07-12
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20150713007005

▲パク・チェヨン忠南道歴史文化研究院責任研究員が去る3日、忠南公州の武寧王陵模型展示館で築造方法を説明している。

(前略)アキヒト(明仁)日王は2001年12月23日、68才の誕生日の記者会見で「私は桓武天皇(50代・737~806)の母が武寧王の子孫だと記録されて韓国と縁を感じている」と爆弾発言をした。日本古代史記録の‘続日本紀’に書かれた記録を引用したわけだが、日王自らこれを認めた破格の発言だった。

3年後の2004年8月3日にはアキヒトの5親等堂叔で日本王族のアサカノ・マサヒコが親戚と共に武寧王陵を参拝した。世論を意識した非公式参拝だったが、日本王族の武寧王に対する関心を見せてもらうに充分だった。

▲忠南(チュンナム)扶余(プヨ)にある定林寺(チョンニムサ)跡。1塔1金堂様式で日本の多くの過去の寺院がこれをまねて作られた。

武寧王は日本で生まれた。百済漢城(ソウル)時代最後の王、蓋歯王(ケロワン)が高句麗を牽制するために外と交流を深めようと461年4月、弟・昆支を日本に送り、妊娠していた自分の夫人を一緒に送った。夫人はその年6月、北九州の各羅嶋(かからのしま)で息子を産んだ。この子供が25代武寧王だ。

アキヒトの先祖の桓武天皇の父、光仁天皇の婦人が武寧王の10代の子孫だ(訳注:韓国の記事では古代の天皇は「天皇」、近現代の天皇は「日王」と使い分けている)。桓武天皇は母が亡くなるとすぐに皇太夫人と追叙して手厚く法事を行った。

この日、現場取材に同行したパク・チェヨン(43)忠南道歴史文化研究院責任研究員は「百済中興を導いた武寧王の時、日本と交流が非常に活発だった」として「この過程で百済の数多くの先進文明が日本に伝授された」と話した。
(中略)
扶余邑にある定林寺(チョンニムサ)跡は学校運動場ほどの大きさであり、池の上の橋を渡れば‘定林寺跡5重の石灯’が立っている。パク研究員は「石で作った塔だが屋根軒がそびえて、4段の石積みなど木造様式をそのまま踏襲したもので、塔が木から石に変わった初期形態」と知らせた。彼は「日本はこの様式を受け入れて木塔を作った」と付け加えた。石塔の後に仏像をまつる金堂がある。3階建ての金堂は芝生で跡を表示した。その後に韓国式家屋形式の講堂建物がある。

パク研究員は「百済伽藍(寺)の伝統様式は南北一直線上の1塔1金堂で1塔3金堂の新羅や高
句麗と違う。百済様式が大阪の四天王寺や奈良の法隆寺などに適用された」と話した。

武寧王が熊津(ウンジン、公州)時代を導いたとすれば聖王(訳注:武寧王の息子)は扶余時代を開く。聖王は怒唎斯致契を送って日本に仏像と経典など仏教を伝えた。百済技術者らは日本に多くの寺を建て、飛鳥文化の花を咲かせた。製錬技術、馬飼育方法、養蚕と衣服製作技術も日本に伝授され、その跡が京都、大阪、奈良などに残っている。

先進文明の恩恵を受けた日本は百済が戦争した時、軍を送って助けた。百済が滅亡した後は、遊民4000人余りが日本に亡命して様々な里を作って暮らし、そこで官位もたくさん得た。パク研究員は「百済と日本は兄弟のように互いに助けながら過ごした」として「この頃、ことごとにふらつく韓日関係を見れば本当に残念だ」といった。