日韓問題(初心者向け)

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韓国に対して「日本が嫌いなら関わらなければ良いのに」は通じない


さて、今回は韓国が日本人から見た「反日」をするたびに、日本側から聞こえてくる「日本が嫌いなら関わらなければ良いのに」というフレーズ、これはあくまで日本人的な価値観から来る発想でしかないという事を書いて行きます。


日本でも度々話題となる韓国の反日、これが話題となるたびに「そんなに日本が嫌いならば日本に関わらなければ良いのに」という言葉がよく聞こえてくるが、この発想はあくまで日本人的な発想から来る物であって韓国には通じない。


そもそも厳密には、韓国人の多くは日本を「嫌っている」という表現は正確ではない。
以前何度か説明した事のある「恨(ハン)」を感じているからこその言動がそう見えているという事例が多く、彼らはこの「恨(ハン)」の解消行動として積極的に日本に関わろうとしてきている場合が多い。



だからこそ、日本人的発想の「嫌いなら関わらなければ良いのに」は彼らには一切通用しない。
当然の事だが、韓国人が良く言う「嫌っているのは政府と右翼であって一般の日本人ではない」という内容も実態とは大きく異なる。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。



1:「恨(ハン)」に根ざした行動原理


「恨(ハン)」については過去にも記事を書いており、韓国や北朝鮮独特の価値観に基く概念で、嫉妬や羨望、諦め、恨み、怒り、悲しみなどが入り混じった感情であり、一般的には「変える事の出来ない現実への対処法として発達した朝鮮独特の感情」という解釈で説明される事が多い概念です。


しかし、具体的な説明となると人によって内容が区々であり、これが恨に対する解釈を混乱させる原因となっているのですが、このブロマガではその原因と恨の解釈として、


「韓国人の恨とは、主観的・絶対的正しさに基づく、韓国人の理想とする『かくあるべき姿』が世間から受け入れられない場合に、韓国人の感じる理不尽さを根底として、そこから導き出される様々な反応の総称」


と定義しました。


参考記事
韓国人の中にある「主観的正しさ」と「恨(ハン)」


そしてこの韓国人の感じる理不尽さを彼等が解消しようとする場合に、彼らは恨を感じた相手に積極的にかかわる=かくあるべき姿を実現させようとする行動に出る事があります。
例えば以下の事例がその典型例です。


韓紙人形で再現した朝鮮通信使の行列
朝鮮日報 2016/04/19
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/04/19/2016041900862.html
http://web.archive.org/web/20160422065358/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/04/19/2016041900862.html (インターネットアーカイブ





18日、釜山市影島区の国立海洋博物館2階の企画展示室で開かれている「朝鮮通信使テーマ展」を訪れ、364点の韓紙人形で再現した朝鮮通信使の行列図を眺める市民の様子。


韓国人の歴史観では、朝鮮通信使とは未開で交戦的だった日本に対して文化と文明を教える役割を持った文化使節団という解釈であり、日本人は朝鮮通信使を崇拝し先進的な朝鮮の文明と文化を受け取っていたという事になっています。


朴大統領「5000年の歴史は人文学的な文化の力」 朝鮮日報/yahoo 2013年8月8日
タウンたうん:江戸時代の“韓流ブーム”--唐津 /佐賀 毎日新聞 2011年9月13日


画像の紙人形はそれを再現したものなのですが、元となったと思しき画像とは明らかに異なる部分があります。







使節を担いでいるのが日本人という事には変わりありませんが、元の絵の方では色付きの服を着ているのに対して、紙人形の方では担いでいる人々や往来の人々が色の付いていない服を着ており、朝鮮通信使の方はそれとは対照的にカラフルな服を着ています。


これは、韓国人の中では当時の朝鮮は文明的に日本よりずっと進んでいたはずで、日本人は未開で「まともな服も着られなかった筈」という前提が存在しているからです。


ここに韓国人の「恨」が非常に深く関わっています。


現在、日本の中世文化は世界的に広く周知されており、忍者や侍など以外でも、着物や浴衣、扇子、家具、寿司や天ぷら、緑茶など様々なものが知られているのですが、先ほども書いたように韓国人の中では中世の日本人は文化的にも文明的にも未開だったはずです。


韓国人の中では、日本の文化は全て朝鮮が教えたものであり、日本は何一つ文化も文明も生み出せていないはずで、日本に対する国際的評価は韓国人にとって「不当な評価」のはずなのです。


つまりこの歴史観が韓国人の中の「かくあるべき姿」であり、彼らの中では「そうでなければいけないはず」なのです。
しかし現実には様々な日本の中世文化が世界に広まっており、逆に朝鮮文化は知名度が低いです。


また、1764年に第11次朝鮮通信使として来日した金仁謙の『日東壮遊歌』には、むしろ日本の文化・文明が朝鮮よりもはるかに進んでいたことを驚く記録がありますし、儒学者新井白石伊藤仁斎荻生徂徠、太宰春台などは来日した朝鮮の儒学者に対して否定的な意見を持っていた記録があります。


つまり、現実には日本側が朝鮮通信使を崇めていたという事実も、先進国の使節として重視したという記録も無いのです。
また「まともな」日本の研究者などからも彼らの「かくあるべき歴史」は否定されているのです。


こうして彼らの「かくあるべき姿」が否定され「恨の成立条件」が整います。


そこで、日韓交流と称して「未開な日本」という既成事実を朝鮮通信使の中に作り上げたいという願望ができあがり、恨の解消行動として上記のような紙人形ができあがり、未開で劣った日本と先進的で文明的な優れた朝鮮という「かくあるべき姿」を既成事実化し、恨の解消を行おうとしているわけです。


現在韓国は日本の日韓友好論者達と朝鮮通信使ユネスコ世界遺産に登録しようと積極的に活動していますが、背景にはこの彼らの望む「かくあるべき姿」を実現し、「恨」を解消したいという彼らの願望があるわけです。


これは朝鮮通信使関連に限らず、韓国側が日本に積極的に関わろうとする事例では頻繁に見られます。
全ては日本に対して感じた恨の解消を前提とし、彼らの望む「かくあるべき姿」を実現させたいがためなのです。


2:様々な「恨(ハン)」の成立条件


上記の事例以外でも、彼等が恨を感じて解消行動の切っ掛けになる事例は多数あります。


たとえば、日本の浮世絵が西洋にもたらされゴッホやモネといった画家達に大きな影響を与えた事例、これは韓国人達に非常に強い恨を感じさせます。


なぜなら韓国人は子供の頃から学校などで「日本の文化は下等で低俗な物ばかり」と教えられているので、一般的に彼らは「日本の文化は自分達の文化よりも序列が低い」と解釈している場合が多く、この前提があるために「日本の文化が西洋文化に影響を与えた」という歴史が受け入れられないのです。


なぜなら「優れているはず」の朝鮮文化を差し置いて日本文化が西洋で受け入れられたという事実は、彼らの中で「あってはならないこと」だからであり、彼らの解釈では「朝鮮文化は日本文化よりも序列が下」となってしまうからです。


こうした恨の蓄積が恨の解消行動として働き、「日本人に対して優れた朝鮮文化を認めさせたい」という願望が生まれ、韓流ごり押しなどに反映されたという背景があります。


また、歴史的背景以外でも彼らは日本に対して次々と恨を溜めていきます。


たとえば、最近朝鮮日報で「韓国のビルや橋に韓国の独自技術がなく、皆外国の技術で建設されている」という記事が掲載されました。


韓国独自の技術が見当たらない「韓国最高層」ビル 朝鮮日報 2016/04/22 (1/2ページ)(2/2ページ

韓国最長の橋も外国技術頼み、独自技術不在で海外に従属 朝鮮日報 2016/04/22 (1/2ページ)(2/2ページ


これなのですが、日本人の発想ですと「なら技術の蓄積で実績を作り独自のものを作り出していけば良い」となり、記事でも似たようなことが書かれてはいるのですが、実際には韓国は地道な技術の蓄積をやるつもりが一切ありません。


ではどうするかといえば、特に技術をもっている日本に対して「恨」を蓄積させ、解消行動として「日本のものを盗み取ろう」とします。


以前紹介した造船関連の事例が代表的で、日本の企業が韓国人を技術研修生として受け入れたところ、研修生がコンテナ1個分の工具や設計図を盗み出し、それが韓国で美談として語られたという事例がありました。


そしてその後、韓国の造船業はこの盗んだ技術やダンピングにより次々と日本のシェアを奪い取り、「造船世界一」「日本に勝った」と宣伝していました。


これも彼らの典型的な恨の解消行動の一つであり、上記のビルの事例や橋の事例でも彼らは日本の建設業界に対して積極的に関わり同じ事をしようとします。


なぜなら彼らの中では「韓国人は優れた民族、日本人は劣った民族」との前提の下、本来日本が受けている評価は韓国人が受けるはずのもの=かくあるべき姿であり、この行動は「韓国人が受けるべき評価を取り戻した」との解釈になっているからです。


こうした「恨の解消行動」に基く日本に対する積極的な接触は他にも多数あり、たとえば2000年代初頭頃から韓国は日本の漫画業界に積極的に接触を持つようになり、日本の出版社から様々な技術を習得したのですが、その結果以下のような事例が発生しています。


韓経:「韓国ウェブトゥーン、フランス『マンガ』市場を浸食する」 韓国経済新聞/中央日報 2016年04月08日


また他にも、数年前に日本の東レが韓国企業と提携し韓国に大規模工場を建設しところ、最近になって以下のような事例が発生しました。


韓国産炭素繊維、日本企業の独壇場に挑戦状 中央日報 2016年04月21日


全ては韓国人による「恨の解消行動」を動機とした、日本への積極的な接触から始まっているわけです。


余談になりますが、原理的には「レストランで隣の席の人が自分より良いものを食べていた」これだけでも「恨(ハン)」の成立条件は満たしています。


恨とはそういうものであり、現在の韓国では「怒りを抑えられない人々」が若い世代を中心に増えているそうですが、これは情報の氾濫により何もかもを他者と比較しようとするため、「恨」が韓国内で飽和状態になりつつあるからでしょう。


怒りをこらえられない韓国人、人格・行動障害の受診者急増 朝鮮日報 2015/10/10


3:韓国の「恨(ハン)」を知り対処する


以前書いたとこがありますが、韓国社会では一般的に評価基準が自身の中に存在せず、全ての評価を外部に依存し、常に他者との比較を行おうとします。


そして、日本はその評価基準となる場合が非常に多く、彼らは日本の成功事例を「正解」としその日本の成功に恨を感じ、「かくあるべき姿」を実現させようと積極的に日本と関わろうとしてくるわけです。


韓国が常に日本の後追いをし、何かにつけて日本に関わろうとするのはこのためです。
だからこそ、「嫌いならば関わらなければ良い」は彼らには通用しないのです。そもそも「嫌い」という発想自体が実態としては違うのですから当たり前ですが。


そして多くの日本人はこの彼ら独等の価値観に根ざした「恨」を知らないため、彼等が日本に接触を持とうとする動機を日本人的価値観で「友好のため」と解釈し、安易な接触を持つ事で次々とトラブルを作り出して行くのです。


ですから、まず日本側がしなくてはいけないのは、彼らが日本に積極的に関わろうとする動機の中には、全てではないにしろ多くの事例で「恨の解消」という目的が存在しているということと、彼らにとっての友好とは「(韓国人の望む)かくあるべき姿」を実現させる事だということを理解し、常に一定の距離を取る事を心がけることです。


また「恨」という概念は、言葉としてはこうして説明することはできますが、恐らくその本質を日本人が理解する事は不可能であり、私も未だこの概念を完全には理解できておらず、今後も「100%の理解」は不可能でしょう。
価値観の違いにはそういう側面もあります。


ただし、今回説明したように「恨を前提とした解消行動」とその結果発生する事象は過去の事例から把握し理解する事が出来ますから、それを教訓としてこれからに生かしていく事はできます。


重要なのは、日本人と韓国人はその価値観の本質部分に大きな違いがあり、「友好」という言葉一つをとっても、その行動原理には今回紹介したように日本人とは全く異なる発想が根底に存在し、接触を持とうとする動機も異なるという事を理解する事です。


そしてまた、多くの場合彼らの行う「恨の解消行動」とは、日本人の発想からするとかなり奇妙ですが、「悪意から来る物ではない」という事です。
彼らの中では、本来あるべき「かくあるべき姿」を実現させるための当然の行動との解釈だからです。


だからこそ厄介なのですが。


そしてこれは「嫌いな相手には関わらない」=「嫌いな相手とは友好しないはず」という日本的発想自体が韓国には本質的に通用しないと言う事を示す事例でもあります。




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