日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国では「肩書き」が全て


さて、本日の内容なのですが一見すると日本とはまるで関係なさそうですが、実際には日本でも度々問題になる韓国のパクリや韓国起源説にも関連した問題となります。


韓国社会において最も重要な事は「肩書き」つまり権威や地位・名声であり、技術や知識、能力など結果を出すための経緯は軽視される傾向にある。


このため韓国においては技術の継承なども軽視される傾向にある事から、「老舗」や「職人」が極端に少ない傾向にあり、軽視されるからこそ韓国内で尊敬の対象となることもなく、日本と違って老舗や職人が権威とはならない。


こうした社会的傾向から、韓国ではとにかく良い会社に入ったり「学者になって偉くなる」あるいは「他人に指示を出せる地位に就く」というタイプの権威が最も重要視され、殆どの韓国人が「そうなること」を目指す傾向にある。


またこの傾向から、どのようにして地位や名声などの肩書き=権威を手に入れるのかが重要ではないことから、一足飛びに結果が出せるいわゆるパクリや韓国起源説が頻繁に発生する。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:「肩書き」のみが評価される社会


まずはこちらの記事から


<Wコラム>日本と違う韓国のビックリ~「韓国には老舗がほとんどない」
WoWKorea 2016年4月25日
http://www.wowkorea.jp/section/interview/read.asp?narticleid=164990

韓国から親しい友人が来たので、浅草を案内したことがある。彼は大変な博学で、私もいろいろと彼の意見を参考にさせてもらっていた。

 その彼が浅草を歩いていて、「韓国では考えられない」と首をかしげた。
 何かというと、あるソバ屋が創業百年を誇示する看板を掲げていたのである。「うちは古くから営業している老舗ですよ」とアピールしているわけで、日本ではどこでも見られる光景だろう。

 しかし、彼の受け取り方は違った。「韓国では食堂で成功したら、子供たちに最高の教育を受けさせてエリートにさせようとするだろう。『ウチの店は継がないでいいから、医者や大学教授をめざせ』と子供たちにハッパをかけるのが当たり前。それなのに、あの店は代々の子孫がずっと継いでソバ屋を開いているという。韓国の人があの看板を見れば、『あの店は百年も頭がいい子供が出なかったのか』と思ってしまうだろう」。

 彼の話を聞いていて、韓国の食堂で何人かのアジュンマ(おばさん)が自慢げに言っていた言葉を思い出した。

 「私はこの商売をやっていて、息子(あるいは娘)を外国に留学させたよ」
 学歴偏重の韓国では、親はこぞって子供たちがいい大学を出てエリートになることを心から願う。

 お店を経営している人や職人さんにしても、「跡を継がなくていい。それより必死に勉強しろ」と口がすっぱくなるまで子供に言うのである。

 そういう風潮が「韓国には老舗がほとんどない」という現状を生んでいるのかもしれない。日本では、「子供が家業を継ぐ」というと喜ぶ親が多いが、韓国はまったく違うのである。



日本人からみるとかなり奇妙な発想ですが、こうした事例は韓国では非常に多く、私も過去何度か似たような話を聞いたことがあります。


このような発想の背景には、韓国において尊敬される人物とは「たくさんお金を稼ぐ人」や「高い社会的地位で他人に命令できる人」のことであり、技術を継承することは「お金にならない」という発想と、人の上に立てない人間は能力が低いという発想があるからです。


またこの背景から、韓国では「独自の新しい発想」というものが価値を見出される場合が少なく、皆が皆既存の権威を上り詰めようとしたり、あるいは国際的な評価や他国で成功した事例のみに価値を置く風潮があり、その結果「韓国の富豪は全員世襲」という状態となっています。


韓国の富豪、一代成功型はゼロ=世界400大富豪 朝鮮日報 2016/01/05 (1/2ページ)(2/2ページ


社会全体として「すでに評価が確定している」ものにのみ価値を見出すため、新しい発想が生まれ難くこうしたある種の社会的地位の固定化が発生するわけです。


更に興味深い事に、以下の朝鮮日報の記事では上記のような社会的風潮を批判しているのですが、それと同時に模倣で得た地位の事を「韓国企業は外国企業を一生懸命に追いかけて1位になった」と表現しています。


「1位の外国企業まねてばかりの韓国企業オーナーたち」 朝鮮日報  2016/04/22


日本人の一般的な発想では、追いついてから更に独自の技術を生み出して発展させてこそ「トップ」と考えますが、彼らにとっては肩書きこそが重要でありそこまでの経緯は重要ではないことから、「新たな発想が必要だ」とする記事でもこのような表現になるわけです。


2:「肩書きを得る事」が目的化した社会


以前ノーベル賞の事例でも紹介しましたが、韓国では一般的に研究や発明などは名声や社会的地位などの「肩書き」を得るための手段という考え方が一般的です。


つまり、研究などによって新たな発見をして知的好奇心を刺激する「知識欲」という考えが非常に希薄であり、知識欲を原動力として研究をする人はいるにはいますが少数派であり、またそういった人が韓国内で高く評価されることもありません。


そのため、「研究」というものに対するアプローチ法も私達とはかなり異なっており、それをよく表す記事が先月中央日報に掲載されました。


1兆ウォンの真空トンネル、加速器…机上で物理学研究をする時代は終わった=韓国 中央日報 2016年03月29日


上記は「現在の風潮は紙とペンでノーベル賞を得るのではなく、大規模な観測装備と資本が学問競争力の基礎となっている」という記事なのですが、学問というアプローチから見た場合、確かに研究に大規模な観測装置などが投入される場合も多いですが、まずそもそも「何を観測するか」「何を研究するか」の研究は今でも机上が基本のはずです。


しかし韓国社会では、肩書きを得ることこそが何よりも重要であり、そこに至るまでの経緯は重要視されない事から、大規模観測装置での学術的発見という「目立つ権威」は重要視しますが、そこに至るまでの地道な研究という経緯には価値を見出していないわけです。


なぜなら彼らの発想においては、大規模観測装置を使って「発見をして権威を得ること」が重要なのであって、「何を発見するのか」「何を装置に観測させるのか」は問題ではなく、また観測装置に拘る動機も「日本がカミオカンデを使ってノーベル賞を取ったから」という、既存の成功例の模倣だからです。


似たような発想として以下のような記事もあります。


宇宙誕生の謎を解く「暗黒物質」、これさえ発見すればノーベル賞だが=韓国(1)
 (2) 中央日報 2016年03月29日
ソウル大生の75%「実験データ捏造しても問題ない」 レコードチャイナ 2014年10月31日


価値観の違いから、彼らは私達と発想の根本が違うわけです。


3:「肩書きのみ」が重要だからこその発想


今回紹介したように、韓国では「そこに至るまでの経緯」や知識や技術、あるいは実績の地道な蓄積というものは殆どの事例で重要視されません。


この発想には、朝鮮伝統の儒教朱子学小中華思想が関わっており、こうした思想においては元祖や起源が最も重要であって、そこから継承されたものは全て「元祖の劣化コピーである」という考えが根底にあります。


彼らの価値観においては、最初に評価された事柄つまり起源のみが権威であって、そこから継承され進化・発展し新たな価値が誕生するという発想がありません。
彼らの中では、それは起源の劣化であって無価値なのです。


韓国がひたすら「パクリ」や「起源主張」をする背景にも、この考え方が関わっています。


彼等が「パクル」のは、「起源(この場合には既存の成功例)」と同じ事をする行為こそが価値であり、既存の成功例に独自の発想を加えて進化発展させる事は「劣化」であって無価値なのです。


そのため、韓国人の多くは「韓国は日本の技術力を超えた」と考えています。
なぜなら日本のやっている事は韓国的価値観では「起源の劣化」であって、韓国のやっている事は「起源の模倣」つまり韓国的発想における「権威ある事」だからです。


韓国起源説なども基本は同じです。
以前から書いているように、韓国では「日本の文化は全て自分達が教えたもの」「日本の文化の起源は朝鮮」という事を子供の頃から教えられて育ちます。


この考え方に対する歴史的事実の正誤はここでは本題では無いので置いておくとして、重要なのは彼らにとって日本の文化は全て「朝鮮文化の劣化である」という考え方が存在している事です。


起源こそ価値がありそこから継承されたものには価値がないとする彼らの価値観では、当然のことですが日本の文化には価値がなく、本来価値がないものが世界的に評価されるなどあってはならないことです。


ですが実際には日本の文化が世界各国で評価されている事から、彼らは「その起源は自分達だ、日本の文化よりも価値があるのだ」とアピールし、それが韓国起源説となるわけです。


また彼らの韓国起源説そのものにも、彼らのこの独特の価値観が関わっています。
彼等が起源主張をする場合、大抵の場合「現在の形の文化」が最初から朝鮮に存在していた事になっている場合が殆どです。


たとえば折り紙の韓国起源説の場合、本来の日本の折り紙の歴史は神道などにおける儀礼折り紙から始まり、それが武家社会で発展して遊戯折り紙の基盤となり、江戸時代の庶民文化の発展と共に現在知られる遊戯折り紙の原型となり、明治維新後に西洋折り紙と融合し現在の形となったという経緯があります。


しかし彼らの主張では、「最初から今の形の遊戯折り紙が朝鮮に存在した」という事になっています。
なぜなら彼らの発想では起源から継承されたものは全て劣化でしかないので、長い歴史の中で文化が進化発展し現在の形になったという「経緯」の発想が抜け落ちているからです。


要するに、彼らの起源主張には彼らの価値観に基いているがために「現在に至るまでの経緯・経過」が存在しておらず、最初から「現在国際的に評価されている形(=価値のある肩書き)」があった事になっているわけです。


彼らの行うパクリや起源主張とは、パクリ対象や起源主張の対象そのものに価値を見出しているのではなく、そこに付随する国際的評価という肩書きに価値を見出し、その肩書きを手に入れたいがためにパクリや起源主張をしているというわけです。


ですから当然のことですが、彼らに対して「そこに至るまでの経緯」を説明したり、文化や技術には様々な途中経過や派生が存在し、それぞれに価値があるという事を説明しても殆どの場合意味がありません。
彼らはそこには価値を見出していないので、それを説明しても「通じない」のです。


こうした面からも、日本人と韓国人はまるで価値観が異なります。
そして価値観が異なるからこそ、日韓は様々な問題で「対話不能の事態」に陥り問題が次々と発生するという背景があります。


重要なのは、「だから韓国はおかしい」という発想では無く、「韓国は我々とは根本から価値観が違うのだ」という事を知り、そのうえで安易な交流をせず一定の距離を取り、「住み分け」をしていくことです。


勿論、国際社会に対して韓国側が起源主張などをしてきたら相応の対応をしなければいけませんが、基本は必要以上に関わらない事です。
日本人と韓国人は価値観の相性が悪すぎます。




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