日韓問題(初心者向け)

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韓国の「恨(ハン)」は2種類存在している


さて、本日は過去にも何度か扱ったことのある朝鮮半島独特の概念、「恨(ハン)」についての考察となります。


韓国ではありとあらゆる場所で「恨(ハン)」に対する言及があり、韓国人自身も恨が韓国社会の中核となっていることを認めているほどだが、良く調べてみると彼らが説明する恨の概念には2種類ある事が解る。


一つは実際の用法としての概念で、これは以前からこのブロマガでも書いている「嫉妬や羨望、恨み、悲しみ、怒りなど様々な感情」を内包する諦めを前提とした終わりの無い概念であり、もう一つは「(自己の望む)かくあるべき姿」としての向上心に近い概念がある。


現在の韓国では、この実態としての恨とかくあるべき姿としての恨の2種類が存在しており、この実態としての恨とかくあるべき姿としての恨を状況によって使い分けると同時に、後者の恨を否定されると前者の恨を蓄積し解消しようとするという特徴がある。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。



1:2種類の恨(ハン)



まず大前提として「恨(ハン)とは何か」という事になるのですが、このブロマガでは大雑把に「自己の望むかくあるべき姿が達成されない場合に、韓国人が受ける喪失感や怒り、悲しみ、羨望、嫉妬など様々な感情の総称であり、そこから生み出される諦めの蓄積」としています。


くわしくは過去に何度か記事にしているのでこちらを参照してください。


そのうえでまずはこちらの記事から

<Wコラム>韓国のスポーツ界3・恨ハンとは何か、あなたは本当に「韓国」を知っている?
WoWKorea 2016年12月11日
http://www.wowkorea.jp/section/interview/read.asp?narticleid=179482

このような必死さは韓国社会でよく言われる「恨ハン」とも関係があります。

 李御寧『韓国人の心』から引用しますと、「恨」は別に他人から被害をこうむらなくても湧いてくる心情である。自分自身の願いがあったからこそ、また自分自身の能力があったからこそ、何かの挫折感がはじめて「恨」になるわけだ。それは、かなえられなかった望みであり、実現されなかった夢である。

 他人を恨むのでなく心の奥底のマグマがフツフツと沸いてくることを「恨」と規定しています。

 この欲求不満が韓国人の活力であり、荒さ、激しさであります。決して自分は劣っているとは思わず、機会や状況に恵まれないので自分の夢が叶えられないだけだと考えます。

 「今に見ていろ俺だって! 」この自意識が心の支えであり、目標に向かって全力投球する原動力です。ここには日本のように周りへの心配りのようなやさしさはなく、ただ目標に向かって突き進む集中力があるだけです。
(後略)

関連記事
【コラム】恨と興の融合民国=韓国 中央日報 2014年03月19日



上記記事では、恨をある種の向上心に近い概念としており、記事中でも「今に見ていろ俺だって! 」と表現されているように、自身が自身の望む希望を達成できない現状に対して立ち向かい苦難を克服する態度としています。


これなのですが、たしかに恨は「自己のかくあるべき姿が達成されないことに対する様々な感情」という意味を含んでいるので、拡大解釈をすればこうした表現も可能ではあるのですが、実態としての恨とはかけ離れています。


それが何故なのかといえば、韓国では現在「対外的に」恨の概念を説明する場合この解釈が使われることが一般的ではあるのですが、韓国発の記事で恨の表現が使われる場合、この向上心を伴う恨の概念に当てはまらないものしかないのです。


たとえば歴史関連や慰安婦問題関連、戦後補償問題関連で恨の表現は頻繁に使われますが、そこでは


【コラム】三・一節、また増えた慰安婦少女像 朝鮮日報 2016/03/02 (1/2ページ) (2/2ページ
「晴らせない無念の思い」

【コラム】韓国人の中の嫌韓 朝鮮日報 2016/02/26 (1/2ページ) (2/2ページ
「運命に対し1000年間募った憤怒と恨(ハン=晴らせない無念の思い」

「謝罪に執着する韓国人を風刺」 朝鮮日報 2015/10/25
「悲しみや怒り、絶望が入り混じった『恨(ハン=晴らせない無念の思い)』のためだ」

【時論】韓国文化のアイデンティティを考えよう(2) 中央日報 2013年03月14日
恨(ハン、韓国人特有の情緒で、蓄積された痛恨・悲哀・怒りなどの感情)

(※1)
[キム・ヨンリム]パク・クネ「千年の恨」対する日本の巨大な誤解② 東亜日報ブログ(韓国語) 2015年7月28日
「自分の運命に対する強烈な心残りと悔しさ、そして忍耐を優先して‘残念で悲しい’感情」



など、明らかに克服や向上心には関連付けることの出来ない表現ばかりです。


また以下の記事では恨をコンプレックスに根ざしたものと定義し、これを個性化によって克服しないといけないと分析しており、最初の記事とは定義が正反対です。


【BOOK】コンプレックスのかたまり韓国人、理解してみれば幸せなこと(1)
 (2) 中央日報 2013年03月25日


また他にも「相対的に社会的弱者である女性の哀切さ」とか、「ハーグは大韓帝国の恨が染みついたところでもある」など、「今に見ていろ俺だって! 」という表現とはとても関連付ける事のできない表現は多々あります。


<インタビュー>長身、整った顔、切ない声色…国楽アイドルのキム・ジュンス(2) 中央日報 2016年09月06日
BMW防弾車にオランダ国王との昼食会…朴大統領に特級儀典 中央日報 2014年03月25日


要するに実態としての恨は「自己の望むかくあるべき姿が達成されない場合に、韓国人が受ける喪失感や怒り、悲しみ、羨望、嫉妬など様々な感情の総称であり、そこから生み出される諦めの蓄積」で間違いが無いのです。


では最初の記事は何かといえば、これは韓国社会における理想としての「かくあるべき姿」の恨であり、更に書けば元々は実態としての恨しかなかったところへ、ここ10年ほどで外国へ向けての説明用として「かくあるべき姿」の恨が新たに登場したのです。


実際、韓国には「恨500年」という民謡から出来上がった有名な歌謡曲があり、韓国を知る年配の方なら知っている人も多く、韓国を代表する歌の一つとされているのですが、ここでの恨は明らかに「実態としての恨」を前提としているのです。


2:「かくあるべき恨」から発生する恨と解消行動


上記のように、韓国では現状「実態としての恨」と「かくあるべき姿としての恨」という2種類が存在しており、その意味は両者でまるで別物であると同時に、多くの場合で韓国人は恨を外国人に対して「後者の事である」と解釈させようとします。


恐らくですが、2000年代以降韓国人は国際化によって様々な国の人々とかかわりを持つようになった結果、「実態としての恨が受け入れられない」事を知ったためにこのような形になったのでしょう。


そしてこの事が実は更なる恨の蓄積を発生させています。


特に2000年代以降韓国での民族主義の高まりから、「韓国の経済発展や経済危機からの脱出は民族の力だ(民族の優秀性の証明だ)」とする考え方が強くなり、同時に日本からの経済援助や経済危機での支援が助けになったという事実を積極的に否定する風潮が出来上がりました。


最初に引用した記事にもあるように、かくあるべき姿としての恨は「今に見ていろ俺だって! 」という、向上心を伴うコンプレックスの克服の概念であるのですが、これは要するに「恨の力によって韓国は独自に経済発展したのだ」という大前提を作り出しているからです。


要するに、韓国は民族主義の高まりと共に「経済発展に日本からの助けがあった事」を許容できなくなってきたため、このかくあるべき姿としての恨の概念を組み込んで問題点を解消したのです。
(改変されたから組み込んだのか、組み込むために改変したのか、どちらなのかはわかりませんが)


また特に近年は、韓国が行う他国への援助に「漢江の奇跡(韓国の経済発展)をモデルケースにする」等のアピールを積極的に行っていたり、同じく漢江の奇跡をユネスコの記憶遺産に申請するといった活動も活発化しています。


そのため、「日本に援助された」とか「日本に助けられた」としてしまうとこの大前提が崩れてしまうので、だからこそそれらを積極的に否定するのです。


日本よ、「漢江の奇跡」を侮辱するな 朝鮮日報 2015/03/27
「韓国が厳しい時、日本が最も遅く外貨融通」 中央日報 2009年07月07日

(※2)
[特派員コラム]心の狭い金持ちの隣人 韓国経済(韓国語) 2008-11-10


現在でも、積極的に日本に対して実質的な韓国の救済である「通貨スワップ協定」を求めながら、過去の日本による通貨スワップ協定締結にケチをつけたり、アジア通貨危機で日本が韓国を助けた事を否定したり、漢江の奇跡に日本の援助があったことを否定するのはこのためです。


「我々独自の恨の力によって危機を克服し発展したのに、その事を日本が否定し侮辱している」と考えているのです。
そしてこのことで彼らは日本に対して更なる恨の蓄積を行います。


少々ややこしいですが、かくあるべき姿が達成されない事が恨のトリガーとなるわけですが、恨自体が「かくあるべき姿化した」ために、「恨が恨を生み出す」状況になっているのが現在の韓国なのです。


「韓国を助けると恨が蓄積される」現象にはこうした面もあります。
実態よりも「かくあるべき姿」を優先する韓国らしい反応なのですが。


そしてだからこそ、現在の韓国は「日本に対して更に恨の解消を行わないといけない」状況にになっており、韓国の次期大統領候補として文在寅議員や李在明市長に人気が集まるのも、要するに「日本に対して恨の解消を積極的にしてくれそうだから」なのです。


3:「何に対して恨を感じるか」が重要


今回書いたように、対外的な説明用に恨の概念を改変した結果、その改変結果が更なる恨を生み出すというややこしい状況になっています。


そしてここで重要となるのは、解消行動そのものは逆恨みとか逆切れ、八つ当たりなどとも表現できる現象であり、これといって特殊なわけではありません。


ただし、「何に対してそうした行為をするのか」が重要であり、以前も書きましたがたとえば「レストランで隣の席の人が自分よりも良いものを食べていた」これだけで理論上の恨の条件は成り立ちます。


最初の記事の引用にある


「恨」は別に他人から被害をこうむらなくても湧いてくる心情である。自分自身の願いがあったからこそ、また自分自身の能力があったからこそ、何かの挫折感がはじめて「恨」になるわけだ。それは、かなえられなかった望みであり、実現されなかった夢である。


とはそういった意味を含んでいます。


また、彼らは自己の優越性や正当性の証明手段として「他者の劣等性を指摘すること」を何よりも重要とする価値観を持っているので、「いかにして相手の劣等性を指摘して引き摺り下ろすか」が一般的な解消行動となります。


韓国関連では、韓国の問題点を指摘すると「問題を指摘した側の問題を指摘し返して、その事しか話さなくなる」とか、「相手も同じだ、どっちもどっちだ」と強引に相対化して問題点を打ち消そうとする行動が良く見られますが、これも広い意味では解消行動の一種です。


自身の劣等性が指摘されたと考えるので、そこに恨を感じて「自分が上に登れないなら相手を自分と同じ位置かそれよりも下に引き摺り下ろそう」という発想になるわけです。


またこのような性質から、「こちらに一切身に覚えが無いのにいきなり攻撃(恨の解消行動)をされる」事例が発生し易いのも特徴のうちの一つです。
「自分の望みが適わないのに相手の望みが適うのはおかしい」という発想が根底にあるからです。


先ほど「2:」の事例で紹介したように、「日本は援助が遅かった」とか「むしろ妨害した」とか「韓国の経済発展に日本は一切貢献していない」とか、そういった事を国際社会に向けて積極的にアピールするのはその典型例です。


また、恨の解消とは「その問題と直接関係していなくても良い」という特徴があり、以前「嫌韓の出発点、2002年日韓共催ワールドカップで何が起きたのか」で紹介したアン・ジョンファンによるスケートパフォーマンスの事例などがその典型例です。


要するに、解消行動に至るまでの動機や過程が「まるで予測できない」わけです。


こうした面からも、韓国との係わり合いは慎重にならないといけませんし、安易に彼らの要求を聞いたりすると次々と問題が発生するので、彼らの社会に対する相応の知識をつけたうえで、かかわりは最小限にしないといけないのです。


そしてこれはあくまで個人的な見解なのですが、韓国人による恨の蓄積そのものは完全に彼らの内面の問題なので防ぐ事はまず不可能ではあるのですが、実は韓国人的表現での「情がない」態度を取り続けると、恨の解消行動に至らない場合が多いです。


「情がない」とは要するに、事務的で「冷たい態度」のことです。
どういうわけだか、こうした態度の相手には韓国人は比較的解消行動を行わない傾向にあります。
あくまで「比較的」ですから絶対ではないですが。



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以下は当ブロマガのお勧め記事マイリストです、もしよかったらこちらもどうぞ。









(※1)
[キム・ヨンリム]パク・クネ「千年の恨」対する日本の巨大な誤解②
東亜日報ブログ(韓国語) 2015年7月28日
http://blog.donga.com/milhoon/archives/6045

私的報復を認める文化

日本の嫌韓論者らは私たちの‘恨’を‘恨み’と翻訳した。恨と恨みは同じ漢字を書くが概念は全く異なる。韓国人の‘恨’は自分の運命に対する強烈な心残りと悔しさ、そして忍耐を優先して‘残念で悲しい’感情を強調する。一方、日本人の‘恨み’は他人の処置に‘憤慨して憎悪する心’が強調される。やられたら必ずやり返えさなければならない‘怨恨’に近い概念だ。

両者の解決方式も違う。これは両国の代表的古典を読んでもその差が分かる。韓国の‘薔花紅蓮伝’は無念の死を遂げた姉妹の恨を新しく赴任した地方官が殺人者の継母と腹違いの兄弟を処罰することによって解決する構造だ。姉妹の怨みの霊は新任官吏の公式手続きを通じて正当さが証明されたので恨みをはらすことができた。
(後略)


(※2)
[特派員コラム]心の狭い金持ちの隣人
韓国経済(韓国語) 2008-11-10
http://www.hankyung.com/news/app/newsview.php?aid=2008111084061&sid=0105&nid=005<ype=1
(前略)
全く不可能と見られていた韓国とアメリカの間のウォン・ドルスワップは成立したが、既存の通貨スワップ規模をふやそうという日本との論議は具体化されていない。アジア共同基金も、日本はアジアでの経済主導権を得るための手段だけに関心がある。私たちの立場では、真実「心の狭い」隣人を持ったわけだ。アメリカに続き世界第二位の経済大国、中国に続き世界第二位の外国為替保有額を持った金持ち国家が日本だが、隣りの韓国にはけち臭いことこの上ない。窮地に追い込まれたアメリカのモルガン・スタンレーには90億ドル(約10兆ウォン)を支援しながら、韓国には酷いではないかと残念に思われる。

最近、東京を訪問した政府関係者も韓国に対する日本の冷ややかな態度に「日本はアジアのリーダーとして資格がない」と鬱憤をはき出した。問題はいくら心が狭くてけち臭いといっても、日本は無視できない金持ちの隣人と言う事実だ。韓国の輸出比重だけ見ても中国(22%)アメリカ(11%)に引き続き日本(7%)が三番目だ。韓国に対する外人直接投資規模は日本が今年に入って9月末まで8億8400万ドルでアメリカ(9億4700万ドル)と並ぶ。韓国製造業はまた部品・素材分野で日本にどれほど寄り掛かっているか。

歴史的には忘れることができない傷をつけたし、今も無茶な脅迫までする隣人だが、どのように活用するかは私たち次第だ。日本が好きだからではなく、私たちが暮らすためだ。日本のように気難しい隣人を持ったのも結局、私たちの宿命だ。