日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国が『パクリ』を続ける原因




(画像は韓国の美術家が作成したアトマウス)


さて、今回はご存知の方も多い韓国の「パクリ」について、その原因について原因を3つに分けて書いていくこととなります。


一つ目は「韓国に蔓延する極度の権威主義で技術や創造力軽視の風潮」です。
まずはこちらの記事から。


韓国家電業界でも「ミー・トゥー」戦略が浸透
朝鮮日報 2006/5/15
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2006/05/15/20060515000055.html(リンク切れ)
サムスン電子は今月中にも、「タイムマシン機能」の付いたテレビを発売する。タイムマシン機能とは、視聴者が生放送の番組を見ている最中に席から離れなければならなくなったとき、番組を中断し、席に戻ったときに中断した場面から番組を見ることができる機能をいう。テレビに内蔵されているメモリーに番組内容が記憶され、これを再生する仕組みとなっている。サムスン電子はライバルのLG電子サッカーワールドカップを前にタイムマシン機能の付いたテレビを発売し脚光を浴びているのを受け、自尊心を捨てて同様の製品の発売に打って出た。

 このような動きはエアコンでも見られる。見た目だけではどのメーカーの製品なのか見分けがつかない。例えば200万ウォン(約23万5,000円)以上の高級スタンド型エアコン(室内などに立てかけて使用するタイプ)は、サムスン電子LG電子、大宇電子ともに金色や赤系統の外装材を用い、似たような模様を入れている。
 ライバル社のデザインを模倣する「ミー・トゥー(Me too)」方式のマーケティングが急速に広まってきている。菓子、飲料などの生活消費財から始まった「ミー・トゥー」戦略が、デジタルテレビなどの高価な家電製品、携帯電話などにも急速に広まっている。
 家電業界で「ミー・トゥー」戦略が広まった背景には、韓国内の各メーカーの技術力がほぼ同じ水準になったということもある。しかし、各メーカーが莫大(ばくだい)な研究・開発投資をするよりも、ライバル社のヒット商品をまねて、たやすく金もうけしようという動きに出てきたことも否定できない。LG電子の関係者は「各社が似たような製品を発売する『ミー・トゥー』戦略は、市場を拡大する上で効果がある。先んじて製品を発売したメーカーの立場としては、似たような製品があふれることは必ずしも悪いことばかりではない」と話す。

 携帯電話の場合、サムスン電子の「ブルー・ブラック・ホン」がヒットした後、黒い携帯電話が続々と登場した。最近ではスリム型の製品開発が主流となっている。ナノシルバーを使用した殺菌機能も今や洗濯機に欠かせない機能として各社の洗濯機に取り入れられている。サムスン電子が2、3年前に銀を電気分解して小さな粒子状にし、洗濯物の繊維に浸透させる技術を開発したと発表したが、これに対抗してLG電子も洗濯槽に銀をコーティングした製品を発売した。
 家電業界では「ミー・トゥー」戦略に歯止めをかけるため、「ブラックボックス作戦」という新たな対応策も登場している。ライバル社にまねされるのを少しでも遅らせようというものだ。サムスン電子の李基泰(イ・ギテ)社長は「あまりにも模倣がひどいので、展示会への新製品の出展も自制するほどだ」としている。

 食品・飲料分野では「ミー・トゥー」戦略に対する訴訟が相次いでいる。例えば、オリオンは昨年末、「オーワウ」を発売したが、これに対しヘテ製菓は「チョコケーキの主力製品である『オーイェス』の売り上げが、『オーワウ』のせいで減った」として、「オーワウ」の販売禁止を求める仮処分申請をした。1982年から発売されてきたヘテ製菓の「ホームランボール」は、昨年にロッテ製菓が「マイボール」を発売したことで打撃を被った。ヨーグルト「ブルガリス」がヒットしたナムヤン乳業も、似たような名前の「ブルガリア」を発売した毎日(メイル)乳業を提訴した。
 サムスン経済研究所のイ・ジョンホ研究員は「製品の販売周期が短くなりつつある一方で、開発やマーケティングに掛かる費用は高騰しているため、『ミー・トゥー』戦略は最も現実的なマーケティング戦略だ。しかし独自のブランドの差別化を図る上では害毒になる」と話す。



ご覧の通り、この記事で書かれているミー・トゥー戦略と呼ばれるものは、企業が商品開発や技術開発の資金を軽視するために出てくる風潮なのですが、こういった風潮は何も商品を作る企業だけではありません。


たとえば一時期日本でもメディアが大きく取り上げていた韓流ドラマやK-POPなど、最近落ち目になった背景には勿論ごり押しや韓国人の蔑視ありきの自民族中心主義の発露に日本人が嫌気が差したという背景もありますが、もう一つ「模倣が日常化しているためどれも紋切り型の“似たもの”になってしまう」ので、結局のところ飽きられたという事です。


要するに最初は日本のものを模倣し、その後そこから独自の発展をすれば早々飽きられる事もないのですが、創造性というものを非常に軽視する韓国人はそういった事ができないため、「同じ物」を名前を変えて繰り返す事しかできないと言うわけです。
また体感ですが、どうも韓国は新たな発想というものを非常に嫌い、元からある権威が付随していないと受け入れない傾向にあるようです。


2014年9月4日0:10追記
引用を忘れていた物があったので追記しておきます。
例えばこんな風に、韓国は建国以後あらゆる物を日本から模倣し、そこから何も発展させてこなかったわけです。


金時福「韓日関係の新たな転換期」 韓国日報 1981年8月14付
国史で最も多忙だったこの十六年間は、日本社会の影響を集中的に受けた時代でもある。海一つ隔てた日本社会は常に模倣答案のようなもので、韓国人は猛烈にそれを書き写した。

韓牛増産を目標に牛肉を輸入し、その利益を国内畜産業者に分けるというアイデアは、四年前の日本の牛増産策をそっくりまねたものであり、坪当たり八十万ウォンもするアパートの分譲価も日本のアパートの値段や不動産政策をそっくりまねたものである。それだけではない。テレビ番組、化粧品の種類や包装、ラーメン、ヤクルト地下商店街、正露丸、ゴキブリとり、ホテルとサウナ、流水プール、高校生の暴力新聞の編集とコラム等々。
既に韓国化したものも真新しいものも、ほとんどが日本を媒介にしたものである。

新開発の商品の品名や形に首をひねる必要はない。あまたの法令集の文章や専門用語に感嘆する必要もない。棒のように突っ立っていた歌手がある日突然激しいゼスチャーとともに歌い始めたからといって驚くこともない。理由は簡単である。日本のそれをまねているのだ。

癒着の範囲は人間に限らない。社会全体が、目に見えるものも、見えないものも日本の模倣で蔓延しているのだ。
その結果、日本の絆から解放された韓国は、逆説的なことに日本の模倣社会になってしまった。


「韓国は日本を見習え」滞在三年、韓国エリート官僚の直伝  李銅焄著
日本に来て滞在する韓国人は、日本のテレビを見て初めて韓国のテレビ番組が日本とまったく同じであるのを知り、ひそかに羞恥心にさいなまれているのだ。
聞くところによれば、駐日大使だった某氏は在任期間中、いつも大使館近くの寿司屋で江戸前寿司を買い、飛行機で大統領に空輸していたという。
大統領は国民には日本文化は下品だと言って輸入を禁止しておきながら、こっそりと空輸された寿司を食べていたのだ。一体何を考えていたのだろう。怒りがまたこみあげてくる。



そして現状でも日本以外からもこんな酷評をされています。


"Hyundai ... seriously"
Los Angeles Times August 10, 2005
http://www.latimes.com/classified/automotive/highway1/showroom/la-hy-neil10aug10,0,7170145.story?coll=la-class-highway1-showroom(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20050915211448/http://www.latimes.com/classified/automotive/highway1/showroom/la-hy-neil10aug10,0,7170145.story?coll=la-class-highway1-showroom(ウェブアーカイブ
(一部訳)
精巧なまでの模倣は賞賛に値。本物に忠実であれば悪くはない?
普通、模倣品と言えば犯罪以外の何でもないが、ヒュンダイソナタは今市場に出回っている車の中で、その犯罪を最も鮮やかに成し遂げている車だろう。
ヒュンダイが「アメリカにおいて雇用創出に貢献する」と謳い完成させた、総工費数十億ドルのアラバマ工場から初めて生まれた車である。
ちょうどZosoがLed Zeppelinのトリビュートバンドであったように、ヒュンダイソナタは本物より安価で販売されるホンダ・アコードの精巧なまでの模倣品だ。
(後略)

━追記ここまで━


たとえば日本にはビジュアル系バンドというものがあります、これは元々は欧米で発達したロックから派生したメタルに由来するのですが、いわゆるビジュアル系は今やメタルとは似て非なるものになっています、本来文化とはこういった派生と昇華の繰り返しで発達していく物です。
こういった独自発展というものが韓国には致命的にないのです、新たなものが出てきても結局韓国社会は既に評価されているという「権威」がないので受け入れないのです。
これが「パクリが横行する原因」の一つ目です。


二つ目は「言い訳をして自己完結してしまう」です。
まずはこちらの記事を


【コラム】“鉄腕アトム”50歳の小市民になる
2013年09月05日14時07分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/823/175823.html?servcode=100&sectcode=140



なめらかな肌にクリっとした目、翼もなしに空を飛んで地球を守った“鉄腕アトム”。彼もいつのまにか家長になった。見送る妻子を後に今日も出勤する。昨夜に会食をしたのか苦々しい表情になっているのは栄養ドリンクでも1本渡さなければならないようだ。意志の強い少年ロボットの無邪気な表情は、影も形もない。ヒョン・テジュン氏の『鉄腕ア…ボジ(アボジ=父親)』だ。

アトムは1951年、手塚治虫(1928~89)が漫画の連載を始めて生まれた。1963年には日本で最初のテレビアニメとして制作され、計193編のシリーズで放映された。アトム放送50周年を記念して、日本の東京都現代美術館では『マンガの力』展を開催している。いつのまにか50歳、漫画の主人公も“知天命”(注:「五十而知天命、五十にして天命を知る」から)に達した。しかし年だけを取って、天命どころか地上の常識さえも分別し難い。背景のみすぼらしい家からもくもくと上がっている黒い煙のように、“ア…ボジ”になったアトムの現在と未来は不確実なものだ。地球を救う名分で戦った戦争ではなく、自分と自分の家族を救うことにも汲々としながら日々の戦争に追われる小市民アトムだ。ただ毎日毎日、疲れるばかりなのだ。

美術館でのアトム展示は、漫画の原画展が持つ地味な印象を解消しようと多角的に努力したようだった。額縁の代わりにアトムが生まれそうな透明カプセルの中に原画を入れて展示した。展示場の説明パネルも漫画で描き、手塚治虫の家を70%に縮小した模型図もつくった。漫画家が幼少期を過ごした部屋には当時のラーメン、サイダー、やかんまで持ち込まれていた。これほどになればアトムも“郷愁”商品だ。

アトムは韓国の現代美術でも愛されるアイコンだ。アトムと童心を共にした若い美術家が主力だ。イ・ドンギ氏(46)の『アトマウス』は、アトムとミッキーマウスの結合体で、93年に生まれた。絵の中のアトマウスはうどんを食べてシャボン玉のように軽々とキャンパスの上を漂う。この韓国的ポップアートはキャラクター商品ではなく美術品として主な展示空間や市場で脚光を浴びている。ヒョン・テジュン氏の『ア…ボジ』は、これとは違いB級の情緒で満ちている。“美術界のPSY”として韓国的なおもちゃ収集界の大物であるこの作家のアイデンティティに似ている。

漫画の中のアトムの誕生日は2003年4月7日だ。制作当時、遠い未来と想定された時間だ。今ではアトムは未来でなく過去に住んでいる。「はやくはやく」という既成価値が闊歩(かっぽ)していた裏舞台で“変形”アトム美術を試みた若者たちも、もう50歳を眺めるおじさんになった。おじさんと大して変わらないこのおばさんは、絵を観てくすくすと笑い、ふと胸が痛くなる。



サムネにもある「アトマウス」に関連した記事なのですが、アトムを貶して最終的にアトマウスを評価するのは非常に韓国的な表現なのですが、例えばこれの場合にはアトマウスというあからさまなパクリを、「アトムは時代遅れ」という自己完結の評価で言い訳しに、アトマウスというパクリを肯定してしまっているのです。


また、これ以外にも韓国人はパクリを批判されると「日本もやっている」と反論する事が頻繁にありますが、これも一種の自己完結型の言い訳です。
韓国人のこの言い訳を良く良く聞いてみると、結局前提が全く異なっていたり、背景が全く違っていたり、酷い場合にはただ似ているだけや影響を受けただけでパクリでもなんでもないものまであります。
これはいわゆる「論点のすり替え/燻製ニシンの虚偽」と呼ばれる詭弁です。


勿論、日本でもパクリはあります。
有名なところでは少し前に大きく話題となった、踊る大走査線のOP曲 「RHYTHM AND POLICE」が、メキシコで数十年前に発表された「El cascabel」とそっくりでパクリであると話題になった事例でしょう。しかしこれを「○○もやっている」と免罪符にし言い訳をしたでしょうか?
著作権切れ云々の言い訳をしている人は見た事がありますが…


パクリに対しての対応が韓国とそれ以外の国ではここに大きな違いがあり、韓国人はパクリを批判されると「○○もやっている」という言い訳を自己完結で免罪符にしてしまうので、いつまで経ってもパクリがなくならなず、それ以上のものに昇華する事ができないわけです。


また韓国人は、日本人には創造性や独自の文化を産む能力がなく、日本の文化は全て朝鮮か西洋のの文化の模倣でしかない、日本のものは西洋のパクリを除いたら全て我々が教えてやったもののパクリだ、と考えている人が多いです。


これは要するに、文化の相互作用や昇華と独自発展というものが韓国社会では完全に抜け落ちているからなのですが、韓国人はパクリを批判されるとこの「日本人には独自文化がない」そのものを言い訳にすることも多いです。
要するに、「(韓国人の価値観から見て)日本人はパクリしか出来ないのに、オリジナルの文化を教えてやった我々を批判するのは傲慢だ」と感じるため、こういった反応になるという背景があります。
まあ結局は、これは蔑視ありきの自民族中心主義の弊害なわけですが。


三つ目は「(韓国人の認定する)良心的日本人」が何でも韓国の行いを肯定・弁護してしまう」です。
2003年から2004年にかけて、日本のメディアがごり押しをし続け大ヒットしたことになった冬のソナタ、この挿入歌である「最初から最後まで」が、1980年代の日本の雅夢のヒット曲「愛はかげろう」にそっくりであると発覚し、盗作問題に発展した事がありました。


しかし、日本のメディアはこれを一切批判せず、それどころか冬のソナタを放送したNHKは、愛はかげろうを作曲した三浦和人氏に「NHKが」使用料を払うことで決着させてしまったのです。
作曲を手がけたO Suk Joonやユ・ヘジュン、歌を歌ったRyuなどの韓国の関係者は誰一人釈明も責任も取っていません。


また上で紹介したアトマウス、実は日本でも個展を開いているのですが、これが出来たのは日本側でこの個展に協力した人々がいたからです。
こういった良心的日本人が韓国の行いを何でも肯定し批判をシャットアウトしてしまい、挙句に批判者を差別主義者や「ネトウヨ」呼ばわりしてしまうので、結局韓国人はこの良心的日本人の「肯定」が大義名分となって批判者の言葉を無視or攻撃するようになります。


以上のように
・創造性や技術を軽視の風潮
・主観的な自己完結の言い訳を免罪符にしてしまう
・良心的日本人がパクリや盗作を肯定してしまう


が韓国を未だに「パクリ国家」として成り立たせているわけです。
この風潮は現在も全くなくなる気配がなく、それどころか最近の民族主義の暴走とリンクし更に状況が悪化してきている有様です。
特に「日本もやっている」は韓国で言い訳の常套手段となっており、去年盗作疑惑で話題になった韓国のK-POPグループCrayon Popルパン三世のOP曲とそっくりの曲を出した時も、韓国人や韓国を擁護する人々はひたすら「日本もやっている」と言い訳をしていました。


韓国は今後もずっとこの調子でしょうし決して過ちを認めないでしょう、それは韓国の価値観や文化的背景に由来するものなうえに、日本人が批判をしても良心的日本人が全て批判をブロックしてしまうからです。


むしろ日本人が批判すべきは、あらゆる韓国の行為を肯定し助長し、批判者を差別主義者やネトウヨとレッテル貼りし続けるこの「良心的日本人」にあると考えます。
重要なのは、彼らの使う詭弁に惑わされない事です。
「それはそれ、これはこれ」ですから。


2014年9月5日22時50分追記
色々とコメントを書いていただきありがとう御座います。
そのうえで、いくつかのコメントで「韓国人をみんなそんな風だと印象操作して蔑視している」との意見が見受けられたのですが、まずそもそも文中でも過去の内容でも言及していますが、社会全体の風潮・価値観=全ての韓国人ではありません。


元々韓国の現状に批判的な韓国人も存在していますが、社会全体の風潮があの有様なので、現状を問題視する意見が決して受け入れられないのです。


本文中でも新たな発想の物を作り出しても社会が受け入れないとは、まさにそういう事です。
こういった反論をする人々は、ここで言及されているようなことがまさに韓国でごく一部の人々がやっているだけだと言いたいのでしょうが、もしそれが事実なら現在のような状況にはそもそもなっていません。
何より韓国は形だけでも民主主義国家である以上、政治家は国民の代表であって為政者と国民が切り離された独裁国家ではないのですから尚更です。


そして、韓国のそういった風潮に批判的になるとどうなるか、その典型的事件が2年前にありました。
韓国で活動しているウェブ漫画家のユン・ソインという人物がいるのですが、韓国社会のパクリの酷い惨状や体質を批判するマンガを書いてネット上で公開していたのですが、以下のように最終的に社会的に吊るし上げられ、親日派認定されて袋叩きに合いました。




(画像はユン・ソインの書いたマンガの一部)


以下は袋叩きにあった当時の韓国の新聞記事


「なぜ韓国キムチで日本が金儲け…」 韓国人を皮肉るウェブ漫画
2012年05月09日11時21分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/800/151800.html
韓国のウェブ漫画家ユン・ソインが、日本の「キムチ」に怒る韓国人を皮肉る漫画を描き、物議をかもしている。

ポータルサイトのヤフーに「ジョイライド」というウェブ漫画を連載しているユン・ソインは2日、「私たちが元祖なのに…」編を掲載した。太極旗が描かれた服を着た韓国人が「なぜ大韓民国のキムチで日本が金儲けをするのか」「大変だ。このままではキムチを奪われる」と怒る場面が出てくる。

ユン・ソンは「こういう見方をすれば…」として次の場面を描いた。各国の国民が米国の外食チェーンに怒る姿だ。ベトナム人が「なぜベトナムのフォー(ライスヌードル)で米国が金儲けをするのか」と言って米国のチェーンに怒り、豪州原住民は豪州式ステーキ専門店に「なぜ豪州の伝統食で米国が金儲けをするのか」と話す。

イタリア人はスターバックスのコーヒーを見ながら「このままではエスプレッソを奪われる」、メキシコ人も米国のメキシカン料理チェーンを見ながら「大変だ。このままではタコスを奪われる」と言う。

これに対し、金髪の米国人は「食べ物に国境というものがあるのか。君たちもハンバーガーで金儲けをしているではないか」と反論する内容だ。

韓国のネットユーザーは「頭がおかしい」「話にならない内容」などと不満を表している。ネットユーザーは「日本がキムチを‘韓食’として売れば何の問題ない。ところが‘日本食’として売っている」とし「上で羅列されたものは、その国固有の食べ物だというイメージが全部ある」と主張した。このコメントは140人以上のネットユーザーから賛成を受けた。別のネットユーザーは「抗弁をしようと思っていろんな食べ物を探したようだ」と書き込んだ。「作家は親日派なのか」というコメントも多かった。

しかし一部のネットユーザーは「間違った話ではない」「情緒上、反日感情を刺激して悪口を浴びているだけ」とユン・ソインを支持した。

非難世論が広まると、ユン・ソインは心境を伝えた。ユン・ソインは7日、ブログに「分別なく行った点をお詫びします」とし「食べ物の元祖やキムチに関する自分の考えは変わらないが、対応方式に問題があったことを認め、漫画自体もやや下手な点があった点も認めます」とコメントした。また「もし私のために気分を損なわれた方がいるのならお詫びします」とし「これからはキムチに関するものは載せず、コメントもせず、これまでしてきたことを続けながら静かに謹慎します」と伝えた。

ユン・ソインのウェブ漫画がインターネットで物議をかもしたのは今回が初めてではない。昨年12月には校内暴力による自殺の原因が被害者の親にあるという主旨のウェブ漫画を掲載して物議をかもした。ユン・ソインのウェブ漫画やコメントは今もインターネット主要掲示板などで広まっている。


このウェブ漫画家、調べてみる限り韓国政府の歴史観を信じているようですし、日本人から見るとどちらかと言えば反日に定義できる人物です。
しかしかれは、韓国の現在の風潮は良くないとしこういったマンガを書き続けた結果、韓国社会の多数派はそれを受け入れず、親日派とし袋叩きにしたのです。


これはまさに、パクリ体質や蔑視ありきの自民族中心主義が韓国の「一部のおかしな人達」のものではなく、むしろ現状がおかしいと感じている人々が韓国では少数派であるという事を証明する典型例です。


そしてもう一つ重要なことは、「一部の例を全体に当てはめて蔑視している」と韓国批判を批判する人々は、このユン・ソインのような人を無視するんですよね。
本来韓国を擁護するのならこういった社会的に虐げられた人を助けるべきにも関わらず、それをせずに批判を全て差別問題にすり替え問題そのものを矮小化してしまっている、結果状況はより悪化し日本での嫌韓が増えて行くのだということを自覚すべきでしょう。