日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国には「(対外的な)他者を尊重する」という概念がない


さて、今回は韓国には対外的な他者を尊重したり「相手の立場になって考える」という概念そのものがなく、それが韓国の文化・習慣・価値観であり、その事が日本を含む外国との間で様々な問題を引き起こしているというお話です。


まずこちらを。
最近の記事なので知っている方も多いと思いますが。


フィリピン小学校「日の丸から太極旗に」

26日(現地時間)、フィリピンレイテ州パルロシパラス小学校の壁にフィリピンの国旗と太極旗が一緒に描かれている。この学校は、昨年11月初めに強力な台風で教室と付帯施設8棟が崩れた。
アラウ部隊員たちは現在まで3市14校の屋根と割れた窓ガラスを補修し、外観まで変えてしまった。

この地域の多くの学校は日本政府が学校環境改善事業の一環として学校の建物を新しく改装して壁面にフィリピンの国旗と日の丸が描かれていたが、最近アラウ部隊員たちが復旧し、日章旗の代わりに太極旗が学校の壁に描かれている。
アラウ部隊は最近14つの学校を復旧し病院や老人ホームなど公共施設25ヶ所を改修した。





ネイバーニュース/news1 2014-06-27 16:00
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=100&oid=421&aid=0000895049



また、最近こんなニュースもありました。


日本が寄贈したグアムの交番に現地韓国人がハングルの看板を掲げる
(前略 上記のフィリピンの事例の紹介)
それに似た事例が今回はグアムで起きている。日本企業が交番やパトカーを寄贈したグアムの交番にいつの間にかハングルが表記されているのだ。その表記は「タモン/トゥモン交番」と書かれたそうだ。

それを表記したのは在米韓国人だと言うことが判明。さてここからが少しややこしくて、日本語表記はしないのか? という疑問が湧いてくる。それに対しての返事は「金を出せば日本語も表記してあげる」という物だった。しかしそもそもこの交番もパトカーも日本が寄贈したもの。

しかし日本企業は寄贈者を表記しないので、現地の人達はその事実を知らないのである。このタモン交番は22年前に日本が2万5000ドルの寄付により建設された。
ソース:http://www.kuam.com/story/24200177/2013/12/12/tumon-police-koban-reopens-after-renovation
ここにきて出てくるのが、レイ・テノリオ副知事。副知事に抗議を申し出ると、同様に日本企業が寄贈した事実を知らなかったようだ。副知事を説得してみるも、「関係個所に問い合わせないといけない」と言われたそうだ。

しかし1時間後に副知事から連絡があり、「交番を見てみろ」と言われて見てみるとハングルの看板が取り外されていたそうだ。

ここまでの副知事とのやりとりはケン芳賀氏が行ったもの。

昨日のフィリピンの国旗の書き換えといい、今回のハングルの表記といい、世界各国で韓国の小さなロビー活動が行われているようだ。

ハングルを放置していたら今度は何の銅像を造られるのかおおよその想像は付きそうである。
livedoor/ガジェット通信
http://news.livedoor.com/article/detail/9022259/




どちらも同様の事例です。
どちらも一見すると(日本人の考える)反日行為をしているだけに見えます。
当然反日要素も強いのですが、実際はそれだけではありません、実は韓国には例外もあるにはありますが、基本的に他者を尊重したり配慮したりと、そういった文化や習慣がないのです。


※これに変わるものとして、韓国では人間関係の基本が上下関係のみとなっています。
誰もが「自分が自分が」では社会が成り立たないので、あらゆるものに上下関係をつくり、対等を排除し、それを絶対のものとして常に「下のものは上のものに無条件に従うべき」となっているというわけです。
ちなみに、韓国に移民希望者が多いのもこれが原因です、当然下のものは常に閉塞感しか感じませんから。 (2014年7月10日21:35追記)


もし自国が関与した事を表記するにしても、元々の支援国の国旗を消してそこに上書きをするという行為は、日本を含めたの多くの国の価値観では常識的にありえません。
それは相手国への嫌がらせであると同時に、現地の人々を騙す行為でもあるからです、そしてこれはそういった文化や習慣・価値観を背景として生きているからです。
しかし韓国人はその背景を持っていないのです。
これがただの反日に起因する物ではないというのは、以下のような事例からも解ります。


試合場の外では'五色燦燗'韓流がロンドンを染める
韓国日報(韓国語)  2012/7/16
http://news.hankooki.com/lpage/culture/201207/h2012071620594984310.htm(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20120801020925/http://news.hankooki.com/lpage/culture/201207/h2012071620594984310.htm(ウェブアーカイブ
(聯合ニュース)ロンドン・オリンピックに前後して英国はもちろんオリンピックに参加した世界各国に韓国文化を知らせる多様な公演、展示行事がロンドン市内のあちこちで繰り広げられる。

オリンピックに合わせて韓国文化を紹介するイベントはもちろん初めてではない。だが、今回のロンドン・オリンピックは2~3の行事やコンサートを開いた過去とは次元が違う。3カ月余りにかけて20近い展示、公演、講演などが列をなして開かれる。ドラマやKポップだけで「韓国」を記憶する人々に韓流の真の姿を見せるため文化体育観光部と駐英韓国文化院が1年以上念入りに準備した企画だ。

今回のオリンピック文化祭りの名前は「五色燦燗」英文で'All Eyes on Korea: Shining Bright, Koreathrough Colours'だ。一部の展示は先月から始まり、主要公演や展示はオリンピック期間の7月末に集中している。多数の公演、展示がヨーロッパ最大規模の複合芸術空間であり年間2,000万人を越える観覧客が訪れるロンドン名物'サウス・バンク・センター'で開かれる。
(後略)



続いてこちら

イラクの壁画にも「独島」
朝鮮日報 2005/04/12 19:41
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/12/20050412000071.html(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20050414031717/http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/12/20050412000071.html(ウェブアーカイブ



イラク・アルビルに派遣された平和再建活動を行っているザイトゥーン部隊員たちが12日、ザイトゥーン部隊の防護壁に独島(トクト)の壁画を描いている。


まずロンドンオリンピックのほうから。
当たり前の事ですが、ロンドンオリンピックの主役はイギリスと各国の選手達です。
当然観客達は韓国の文化を見に来るわけではないのですが、韓国人はそんな事はお構い無しにこんな事をしています、要するに韓国人はそこが何の目的の場所なのか、皆が何を求めているのか、そういったことは一切考慮せず自己主張をします。
そこにイギリス人への配慮は一切ありません。


また、次のイラクの記事。
これも当たり前の事ですが、平和維持軍に参加している殆どの国にとっても、イラクに住む人々にとっても、日本と韓国の領土問題は全く関係のないことです、そもそも平和維持軍は自国の領土問題のプロパガンダのアピールをするために行っているのではありません。
しかし韓国人はこんな事をしていました。


ここまで読んで貰えば大体察しが付くと思いますが、韓国人は相手の事情というのを一切考慮しません、とにかく「自分が自分が」です。
当然客観的立ち位置から自己を省みて「他者から見てどう思われるか」という事も一切考慮しません。


どうしてこうなるのでしょうか。
これには以前紹介した韓国人特有の自民族中心主義と、もう一つ「韓国人には自分達とは異なる価値観・考え方が存在する」という事が理解できないという問題があります。
要するに韓国人が時と場所を考えず、相手の事情も考慮せずこんな事をする背景には、自己の価値観や文化・習慣・考え方が絶対普遍のものであるという認識が背景にあるというわけです。


その結果、韓国人は他の異なる文化や習慣・価値観というものを一切受け付けません。
自己が「絶対的に正しい」という事になっているので、他所の文化や習慣・価値観或いは現地の様々な事情というものに一切興味が無いのです。


結果、以下に紹介するように国外へ移民して行った韓国系二世三世が韓国へ戻ってくると、この韓国人の習慣に苦悩する事になります。
これから紹介する事例では、韓国系アメリカ人が韓国へやってきて二国間交流をしようとしたようですが、韓国人は自国の文化の紹介には積極的だが、アメリカの文化や習慣を紹介しても一切興味をしめさず、むしろ否定的に受け取りまるで交流にならない事、一方的に韓国の文化習慣を無理強いしてくる事が淡々と書かれており、同じ韓国系アメリカ人の友人の言葉を借りてこのように書いています。


http://asiapages.typepad.com/the_asia_pages/2005/07/why_some_of_us_.html(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20050805235105/http://asiapages.typepad.com/the_asia_pages/2005/07/why_some_of_us_.html(ウェブアーカイブ
原文
Her comment reminded me of something an American gyopo friend of mine said as she neared her two-year anniversary in Korea. "The longer I stay here, the more bad things I see about this place. Like how nationalistic the Koreans are and how close-minded they seem. And how impossible it is to have an educated debate with them on anything related to this country. Or how they all love money or are concerned with appearance. And how no matter what, Korea is #1. I didn't notice any of this when I first came here. I feel kind of disillusioned now."


一部訳
「ここにいればいるほど、悪いことばかり目につくようになる。韓国人が国粋主義的で、独りよがりであること。この国に関することを韓国人と冷静に議論することは不可能であること。韓国人は、お金を崇拝して外面ばかり気にしていること。
そして何が何でも韓国は一番であるということ。そういうことには、初めてここに来たときは気付かなかった。今は幻滅している。」



こういった問題は、日韓の文化交流事業でも頻繁に起きています。
その典型例は朝鮮通信使関連のイベントでしょう。
以前も紹介したように、韓国人は蔑視ありきの自民族中心主義によって、「朝鮮通信使は劣った日本へ優れた朝鮮の文化を教える文化使節団」だったと子供の頃から教えられて育ちます。


結果、冷静な歴史検証は一切無視され、また日本側で積極的にこういった事業に参加する人々が韓国の文化や習慣・価値観を背景とした事情をまるで知ろうとしないため、朝鮮通信使関連のイベントは全て単なる韓国人の民族主義や自民族中心主義を満足させる場に成り下がっています。


そして、その行為に異を唱えれば「韓国人への差別」「右翼的」とレッテルを貼られてしまいます。
実体は韓国人の民族主義の発露の場でしかないにも関わらず、批判が全て差別問題に摩り替えられてしまうのです。
これではとても「交流」とは呼べません。


結局のところ、韓国と友好しようとしている日本人達が上で挙げた韓国系アメリカ人の事例とは違い問題を真正面から直視しようとせず、日本人と韓国人の間にある価値観や文化・習慣の違いを理解しないまま、「日本人の価値観と同じ価値観をもっている」という前提に立っているからおかしな事になるのです。


そのため韓国人が民族主義的であるとか蔑視ありきの自民族中心主義が根付いているとか、他者を尊重したり配慮したりする土壌がないと評価すると、それが韓国人差別に見えてしまい、まるで話がかみ合わないという状況になっているのです。


重要なのは、こういった韓国への評価を差別と感じるのは、日本人的な価値観でそれらを「悪」と定義しているからであって、それは韓国人の価値観とは違うという事です。
文化・習慣・価値観の違いを善悪や優劣で捉えるからおかしな事になるわけです。
またこれは、一部の嫌韓の人達が韓国のこの価値観を「悪」と定義し劣等だと評価するのも、実は同じように日本人の価値観を絶対値として韓国を評価しているから起きる問題です。


勿論、多くの国の人の価値観でも韓国のこの価値観は受け入れられないでしょうが、この世に絶対普遍の価値観などないのですから、あくまで「日本人の価値観では韓国人の価値観は受け入れられない」という前提で韓国が日本に与える被害や様々な問題を批判するべきという事です。
細かい事ですがこれはかなり重要です、その前提に立たないと、結局やっている事が「自己の価値観を絶対普遍の正義としている韓国人」と本質的に同じになってしまうからです。


韓国人が世界中で行う日本関連の嘘や印象操作、韓国起源説、寄生行為などはしっかりと批判するべきですが、韓国人の価値観そのものにまで踏み込み善悪や優劣を論じるべきではないという事です。
韓国人の価値観をどう評価するかは、良くも悪くもあくまで韓国人自身が決めることですから。


最後に、だいぶ話が逸れてしまいましたが、ここで紹介した「韓国人には他者を尊重するという概念がない」との前提に立ってもう一度最初のフィリピンとグアムの事例を読んでみてください。
だいぶ違った印象を受けるでしょう。


2014年7月10日21:35追記
誤字脱字等を修正しました。
一部分文章に補足説明を入れました。