日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国人の反日は宗教に近い要素を持っている


今回は以前の「日本人の考える反日と韓国人の考える反日は違う」の延長線上として、この韓国人が反日と認識していない反日についてもう少し掘り下げて書いてみます。


以前書いたように、韓国人は日本人が「韓国人の反日行為」と認識している物を反日とは認識していません、それは「道徳的に正しい事をしているだけだからだ」という認識だからだと書きましたが、日韓の問題について韓国人が語るときに良く使われる「道徳的な正しさ」とはなんなのか、実は私自身過去意味が良く解らず、漠然と「恐らく客観的な視点が欠けているからなんだろうな」と考えていました。


しかし、韓国発のニュースや韓国人の言動を観察していると、その解釈にもどうにも何か違和感を感じていたわけですが、あるとき日本で販売されている韓国の国史(日本で言う日本史)教科書を読んでいてふと気付きました。


「あ、これは宗教的な概念に近いものだ」と。


そう考えてその視点から韓国人が教わる「歴史」を読んで行くと、この教科書は一種の教典なのだなと気付く事ができました。


韓国人が学校で教わる歴史は大雑把に書くとこんな感じです。


                   ━━━━━━━━━━━━━━
古代朝鮮人は未開な日本に文化と技術を教えて文明化させてやった、しかし中世に入ると日本はその「恩」を忘れ、秀吉が朝鮮を侵略したが李舜臣に成敗された。
その後家康がこの事を深く反省し、朝鮮の高度な文化と文明を教わるため朝鮮通信士を受け入れた。


その後19世紀末になると、またも日本はこの「恩」を忘れ、欧米の真似をしていち早く文明化し、朝鮮を侵略し植民地化した。
だが朝鮮人日帝の支配に激しく抵抗し、数多くの義士が現れ独立政府を作り、ついには独立政府が連合国の力を借りて勝利し独立を勝ち取った。
                  ━━━━━━━━━━━━━━


というものです。
本来歴史というのは一方的な加害者と被害者などという物は存在しないし、文化というものは相互に作用するもので、一方が一方的に「教えてやる」などという状態は普通はない、例え支配する側とされる側であったとしても、実際には支配する側も支配される側から様々な形で文化的影響を受けます。
とはいえ、大抵どこの国でも自国寄りの都合の良い視点に多少なりとも偏るものではあるのですが、韓国の場合はそこが極端でまさに、古代から現在に至るまで全て「善の朝鮮と悪の日本による勧善懲悪のストーリー」になっているわけです。


これは韓国の教科書だけではなく、韓国のメディアの伝える記事からも読み取れます。


【コラム】韓国をみすぼらしい存在にした三つの出来事
朝鮮日報朝鮮日報日本語版 2014/03/27 11:27
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/03/27/2014032701698.html(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20140327093215/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/03/27/2014032701698.html(ウェブアーカイブ
(前略)
5000 年もの長い歴史を通して、他国を侵犯したことも、他の民族を虐待したこともない韓国人は、謝罪したり過ちを正したりしたことがない。しかし韓国人は果たし て、そうした問題に道理と分別、歴史意識と民族意識、真実と原則をもって臨むことができるだろうか-と問われるとためらってしまう。重要な対外問題・民族 問題で、国民の一般的感情に反する意見を表明する勇気ある人物が、どの程度いるだろうか。
金大中(キム・デジュン)顧問


最近中国が似たような事を言い出しましたが、あれはベトナムとの領土紛争で対外的に批判された事に対する一種の開き直り、つまりプロパガンダの類なわけですが、これは明らかにそれとは事情が違います。
全体としては「日本人でも日本の行いを批判する者がいるが、韓国は歴史上反省するような事をしていないから反省になれておらず、自らを省みる事ができない」と指摘している内に向けた記事です。


「つい数十年前にすらベトナム戦争で大虐殺をやらかしているのに良くこんな事が書けるな」と突っ込みの一つも入れたくなりますが、これもただの歴史ではなく宗教的要素の入った物語と考えればどうでしょう。
普通教典には自らの宗教に都合の悪い事は余り書きませんし、当たり前の事ですが宗教の教義には客観的視点など必要ありません。
むしろ都合の悪い出来事は都合よく上書きされるのが普通です。


またこんなものもあります。

「柳寛順への日本の蛮行、誇張多い」
http://japanese.joins.com/article/426/24426.html?sectcode=400&servcode=400
2002年02月26日21時21分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
(前略)
任さんは、柳寛順の最終刑量は、懲役7年でなく3年だったと主張した。京城キョンソン)復審裁判所(控訴審)の判決文と受刑者記録表によると、柳寛順は小学校の教科書にあるように「検事に椅子を投げつけたため法廷冒とく罪が追加され、7年の刑を宣告された」のではなく、3年の刑を受けたという。その後、柳寛順は高等裁判所(現在の最高裁)に上告せず、これが最終刑量になったという。

梨花学堂時代、柳寛順の級友だったポガック(99、僧侶)さんの証言によると、死亡して20日余り過ぎた後、柳寛順の死体を受け取ったそうです。その時、死体は腐っていましたが、四肢は切断されてはいなかったという話です」。

任さんは「柳寛順への盲目的な思い込みから、こうしたいい加減な事実が広まり、子供向けの伝記にまで掲載された」とし、「今は、冷静になって史実を確認すべきだ」と話した。

大学で農学を専攻した任さんは、農村振興庁で勤めた経験があり、20年余り自営業(農薬販売)を営んできた。だが現在は、天安地域の郷土史研究に没頭している。


これは12年も前の記事ではありますが、柳寛順に関して当時を直接知る人物や当時の史料を検証した人物が間違いだと指摘しているにも関わらず、現在でも韓国では「柳寛順は日本人に拷問され四肢を切断され殺された」という事になっています。


これもたとえ韓国人の歴史観という視点で見たとしても、拷問されたとか四肢を切断されたとかそんな脚色は本来必要ありません、しかし宗教上の「聖人」として見た場合はどうでしょうか。
朝鮮独立運動という苦難の末、弾圧され拷問されて殺された悲劇のヒロイン、まさに聖人そのものです。
ちなみに、韓国では柳寛順を「東アジアのジャンヌダルク」と呼んでおり、ある意味で「そのもの」です。



このように、韓国人は学校教育として宗教上の教典や教義のような歴史を教わり続けるわけです。
そして宗教というのは、今も昔もよく国を統治するために利用され、また人々に道徳を説くことで秩序を作り出すという作用もあります。


過去、私は何度か韓国人に対して「日本人の考える反日」について問い詰めた事があるのですが、大抵の場合はおかしな部分を指摘するとただ怒り狂うか黙ってしまうだけでしたが、ある程度日本に理解があり、韓国の外の世界を知る韓国人は少し反応が違い、「おかしな部分はあるが、韓国が国としてまとまるためには反日が必要だったのだ」「だから韓国では反日である事は必要な事だったのだ」という趣旨の答えが返ってくる場合が多くありました。
つまり、現実的におかしいかおかしくないかでは無く、秩序維持の観点から「そういうものなのだ」というのです。


こういった視点で韓国のメディアや韓国人がよく日本人に対して、「道徳的正しさ」から歴史を正そうとしたり、矛盾点や間違いを指摘すると議論の余地もなく拒絶する理由が納得できます。
宗教における道徳を説く教義に近い視点なので、「道徳的間違いをただす」という行為をするわけです。


また歴史なら指摘された間違いが本当に間違いかどうか議論すればいいですが、たとえばどの宗教でもいいですが、原理主義的な信者に教典のおかしさや矛盾点を指摘したらどうなるでしょうか、大抵の場合は激怒して議論の余地もなく拒絶されるでしょう。
そういう事です。


反日ではないと韓国人が考えるのもこれなら当たり前でしょう、彼らにとっては疑いの余地のない絶対的な思想信条そのものなのですから。
そして、ある意味で韓国人は友好と言う過程で「堕落した不信心者」である日本人を正しい道に導いてあげようとしているというわけです。


そして次に、以下のニュースを見てください


韓国・鬱陵島反日博物館 日本人叩き潰す内容のゲーム存在
週刊ポスト2014年5月23日号
http://www.news-postseven.com/archives/20140515_255933.html
(前略)
子供向けの展示も充実していた。「4D映像館」は可動型の座席に座って、特製のメガネをかけて立体映像で安龍福拉致事件江戸幕府の関白を説き伏せるという“歴史物語”を楽しめる。

タッチパネル式のゲーム「私たちの国土の守護者 独島はわが領土だ」もひどい内容で、内蔵マイクの前で手を叩くと、竹島の周辺海域にいる日の丸入りの陣笠をかぶった日本人を、蚊を潰すように駆逐できる。

いかに多くの日本人を叩き潰すかでランクが決まり、“功績”が大きいと内蔵カメラで自分の顔をモニターに当てはめて「将軍」気分になれるという仕組みだ。
(後略)


これも子供にこんな憎悪むき出しの「遊び」をさせるのは異常としか見えませんし、韓国特有の異文化や異民族・異人種への蔑視ありきの自民族中心主義教育があるにせよ、流石にこれは「やりすぎ」で普通なら倫理的矛盾を抱えてしまいます。
しかし「(宗教的な視点から見た)不道徳者を打ち倒す」という視点ならどうでしょうか、それなら韓国人が倫理的矛盾を抱える事はありません、なにせ疑いの余地のない絶対的な善が疑いようの無い絶対的な悪を打ち倒しているだけなのですから。


そして次にこちらの画像を見てください













これは韓国の独立記念館にある、日本による植民地支配で起きた出来事を再現した蝋人形なのですが、当然こんな事をしていたという客観的記録はありません。
そして韓国では学校行事として、小中学生がこの場所を訪れます。
これも上記と同じで、韓国人を疑いようのない善であり日本人を疑いようのない悪とするために、子供達にこういったショッキングな人形を見せて、日本は「道徳的に間違っているのだ」ということを刷り込んでいくわけです。



最後に。
こうは書いていますが、韓国の反日は宗教そのものというわけではありません、あくまで主体は政治的な意図や儒教などの文化的な背景から来た物ですが、そこに宗教的な手法や概念が入り込んでいるという事です。
その点だけはご注意ください。