(画像は韓国の偽忍者団体A.S.C.A.M NIN-JUTSU)
「日本の文化を盗み寄生する韓国」今回は彼らの起源主張の間違いと嘘について解説していきます。
解説するのは前編が画像にもある偽忍者団体のA.S.C.A.M NIN-JUTSU、偽柔術団体のハプキドー、後編が偽剣道・剣術団体の大韓剣道会と海東剣道となります。
まずはA.S.C.A.M NIN-JUTSUから。
なぜ「忍術」と日本語なのかという当然の突っ込みがあるのは置いておくとして…、彼らの主張を見てみる事にする。
韓国では百済と新羅の朝鮮王国に、スパイや暗殺者の両方の新しいタイプが登場し、多くの中国人や韓国人が日本の甲賀と伊賀の地域に移り住んだ。まず根本的な問題として、新羅や百済に忍者やそれに類する存在がいたという記録自体がそもそも存在していない。
彼らがもたらした文化や技術はとてもすばらしく、その後の仏教や儒教、天文学、地理学、魔法と深い関わりを持ち、多くの書籍に忍術の名前が記録されている。
彼らは戦闘の芸術と千年の鍼治療、解剖学と生理学の知識を統合する方法を知っていた。
忍術は、スポーツの利点を組み合わせた格闘技であり、連帯、サポート、持久力、忍耐力、努力と自己超越の愛、規律と勇気、ノウハウやスキルを学ぶことができます。
http://festival.koreanconnection.org/exposants/arts-martiaux/ninjutsu/(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20120428094208/http://festival.koreanconnection.org/exposants/arts-martiaux/ninjutsu(webアーカイブ版)
一部実際に日本に存在する忍者の流派に「中国から伝わった」とするものがあるが、それも伝説に過ぎず客観的証拠は存在しないのだが、恐らくこの「中国から伝わった」という部分を拡大解釈に拡大解釈を重ねこういう論調になっているものと思われる。
また最後の二行は一部で話題の朝鮮忍者「韓国系アメリカ人牧師グレッグ・パク」の偽忍者道場で教えられているものと類似しており、後ほど関連性を詳しく説明するがパクは過去ハプキドー道場に通っていた過去がある事から、恐らく根元は同じだと思われる。
また、上の画像に写っている偽忍者たちは地下足袋を履いているのだが、これもおかしい。
韓国では公共放送などでも良く使われる日本人への蔑称として、「チョッパリ」という呼称があるのだが、これは「豚の足」という意味であり、日本人の履く足袋を揶揄した蔑称なのだ。
つまり、裏を返せば朝鮮には足袋が伝統的に存在しなかったという事でもある。
恐らくだが、フランスなどで過去ファッションとして地下足袋が流行った事があり、そこに目をつけて整合性も考えずに地下足袋を履いて日本のイメージに便乗しようとしたのではないだろうか。
A.S.C.A.M NIN-JUTSU次にこの詐欺団体のHPに記載された内容から。
http://ascam-ninjutsu.fr/
http://ascam-ninjutsu.fr/historique/clan-takeda/
※ページ内各所で武田家の家紋を使ったり惣角の画像や大東流の画像を使っていますが、全て現在の武田家にも大東流合気柔術にもなんの許可も取らず無断で掲載し、自分たちの道場の宣伝に使っています。
トップのHistoriqueという項目へ行ってもらうと、インドや中国で発祥したものが朝鮮に入り忍者となり、それが日本に伝わったという趣旨の事が書かれている。が、これも忍者の武器に古代インドの武器との類似性があるものがある事や(恐らく仏教 とともに入ってきたものが変化した)、忍者の教えの中に孫子兵法を参考にしたものがある事から出てきた一種の俗説を、適当に継ぎ接ぎして都合よく拡大解釈したものに過ぎず、ここに書かれているような文献が存在しているわけですらない。
そもそもその俗説の中ですら朝鮮に言及したものは何も無い。
次にこのページの一番下にリンクのあるTakeda Ryuというところをクリックすると、なぜか大東流合気柔術の歴史について説明し始めている。
大東流合気柔術の「伝説」として、始祖を源義光(1045~1127年)としているのだが、義光は別名を新羅三郎義光と言う。そう名乗ったのは義光が近江国大津(現滋賀県大津市)にある、園城寺(三井寺)内の新羅明神で元服したからなのだが、彼らはこの新羅三郎という名を「新羅に存在し た三郎(サムラン)という官職」と捏造し、そこから起源を主張しているわけだ。
ちなみに大東流合気柔術の成り立ちは一般的な通説として、創始者は武田惣角であり、惣角が様々な流派の柔術を学び、明治時代に創設したものというのが現在の共通認識となっている。
勿論忍者とは何の関係もない。
そしてここからが重要なのだが、この新羅の三郎という官職が「柔術の起源」と最初に言い出したのはこの忍者団体では無く、崔龍述(チェ・ヨンスル)が創設した偽柔術団体のハプキドーである。
つまり、この偽忍者団体は根元をハプキドーとする比較的最近になってできた詐欺団体という事になる。
次にハプキドーについて。
偽忍者の件でも説明したように、この団体は崔龍述(チェ・ヨンスル)という人物が大東流合気柔術の創設者である武田惣角の直弟子であり正当な後継者であると自称して立ち上げた組織なのだが、そもそもこの人物の来歴がインタービューなどを受けるたびに違っていて非常に胡散臭い。
http://www.toshima.ne.jp/~fukuoka3/hapkido/hapkido2.htmます信州市信州山などというところが無いのは誰でもわかるとして、チェが預けられたとする寺がそもそも実在が確認されていない。
崔龍述の生い立ち
1899年生まれ
両親と親しかった日本人製菓業者・山田大吉、日本に連れてこられる。
しかしチェがホームシックにかかりだだをこねるため、ある寺に預けられる。
寺の住職で元武士の山本秀雄がチェを武田惣角に紹介し、チェは惣角の養子となった。
その後武田惣角は崔龍述を含む5人の門下生を連れて新潟県信州市信州山に入り、8年間武術修行をした。
1962年 チェ監修 『合気道』「総裁崔龍述先生修道記」より
1904年生まれ
チェは日本人の飴屋・森本に誘拐され、あまりにも朝鮮へ帰りたいと駄々をこねるので困った森本は山口県の門司でチェを捨てた。
歩いて大阪まで行き警察に保護されるが、警察は身寄りが無いと解るとチェを京都の寺に預け、寺の住職の渡辺金太郎がチェを武田惣角に引き合わせ養子となる。
そして惣角の家と道場があるアケダのシンス山に行き、彼の家で20年を過ごした。
戦後惣角は日本の敗戦を恥じ、自ら食を絶って死亡したのだが、その時惣角は大東流のすべての技を伝承したのは崔龍述ただ一人であると言い残した。
1982年 アメリカでのチェへのインタビュー
挙句に、惣角は道場を持たず生涯の殆どを東北から北海道にかけての地域ですごしており、新潟県で修行したという記録はないうえに、惣角が死亡したのは1943年4月であり、チェの証言と何一つ合致する部分が無い。
更に惣角は教えを請われれば誰にでも柔術を教えたとされており、非常に几帳面な人物だったらしく、彼が教えた人物は英名録と謝礼録という記録に名前が残されている。しかし、この記録にはチェやチェの通名である吉田朝夫与の名前がない。
挙句、惣角の親族や弟子達もチェの存在を知らないことから、チェが実際に惣角の弟子だった可能性はほぼないと言っていいだろう。
また、ハプキドー創設後に日本人から「惣角は直弟子に免状を渡していたからそれを見せてほしい」と言われると、どうも免状の存在を知らなかったらしく慌てて「帰国後に港で荷物と一緒に盗まれた」と弁解しており、惣角や大東流に関する知識をこの時点で殆どもっていなかったことがわかる。
現在、崔龍述の出自に関して「惣角の家の使用人説」や「惣角の弟子のうちの誰かの弟子説」などがあるが、どれも客観的証拠があるわけでは無く憶測に過ぎず、この人物が本当に柔術を学んだのかすら怪しいというのが実情だ。
現在、ハプキドーはチェの弟子が創設したWorld Hapkido Association(世界ハプキドー協会)やInternational Hapkido Federation(国際ハプキドー連盟)などが欧米を中心に普及活動を行っており、Korean Connectionで活動をしていたのは前者の団体と思われる。
そしてこれら団体が、ハプキドーは古代から続く朝鮮の伝統的な格闘技であり、日本の柔術の起源であると吹聴して回っているわけだ。
また、団体によっては「日本の併合時代に危険視されて存在を抹殺された、だから記録が少ないのだ」「崔龍述が惣角の弟子であった記録がないのも朝鮮人差別による物だ」と宣伝しており、欧米人の同情心を誘う事で広報をするという非常に悪質な反日プロパガンダを行っている。
最後に崔龍述本人は、実際に惣角の弟子であり合気道の創設者である植芝盛平を「弟子を自称する偽者」と口撃したり、自分は盛平の兄弟子であると主張し韓国で合気道を普及させるなと植芝に抗議したりした事は事実なのだが、新羅の三郎とか古代から続く伝統格闘技であるとか、現在ハプキドー系団体が付いている嘘を主張していたかどうかは記録がなくわからない。
はっきりしているのは、崔龍述が惣角の正当な後継者であると嘘をついていたことだけである事だけなので、その点だけは注意しないといけない。
また、合気道とは漢字の表記が同じため、合気道のコピーと思われがちだが実際は大東流合気柔術のコピーであり、植芝の創設した合気道とは直接的な関わりがないことも言及しておく。
世界ハプキドー協会
http://www.worldhapkido.com/history.html
http://megalodon.jp/2012-0721-2223-28/www.worldhapkido.com/history.html
高句麗で開発されたハプキドーが日本統治時代に抹殺された