日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

【ゆっくり解説】尖閣諸島はなぜ日本領?


さて、本日は年末特番第二弾として、尖閣諸島問題について扱っていきます。

本日の投稿動画


YouTube
https://youtu.be/xjL0h7QXfgc

元記事
竹島と尖閣諸島がなぜ日本領なのか、すごーーーーーーーーく簡単に説明してみる。

注意
・この動画は「価値観の違い」を扱っています

・うp主のスタンスは「価値観に善悪や優劣は存在しない」というものです

・相手が不法を働いているからとこちらが不法をして良い理由にはなりません

・自身の常識が相手にとっても常識とは限りません、「他者がそれを見たら
どう思うか」という客観性を常に持ちましょう。

・日常生活で注意する程度には言動に注意を心がけてください

・リクエストは原則受け付けていません

・引用ソースへのリンクが同時掲載のブロマガにあります

・毎週土曜日更新

以下は動画のテキスト版になります。


レイム マリサ
ゆっくりしていってね


マリサ
さて、今回はマスコミ問題じゃないが、前回レイムが解説をしていたので今回は私がやっていくぜ。


レイム
まあ、うp主は中国関係詳しくないから、あまり期待はしないでね。


マリサ
とはいっても、基本の部分は前回の竹島問題と同じで、国際法解釈が本題となるけどな。
あと、これも前回に引き続きなんだが、あくまで基本的な部分のみしか扱わないから、その点だけ考慮して欲しいぜ。


レイム
前回も言ったけど、詳細にやっていると尺がいくらあっても足りなくなるのよね。
それと、「国際法とは国家間の条約や協定の事」である以上、何をするにしても重視すべきことだと忘れてはだめよ。


マリサ
そんなわけで早速本編へ行くぜ。


決定的期日(critical date)


レイム
それで、まずは「決定的期日」からやるの?


マリサ
そうだぜ。
前回の動画でこの決定的期日について詳しくやらなかったからな、疑問を持つ人が多かったんだぜ。


レイム
ああ、あれね。
尺が伸びすぎて省略しちゃったのよね。


マリサ
それでだ、国際法における「決定的期日」というのは、「国際法上において、ある紛争当事国間に存在する法的状態を決定する基準となる期日」のことで「争われている権利義務関係は、この期日をもって凍結される」となっているぜ。

決定的期日

国際法上において、ある紛争当事国間に存在する法的状態を決定する基準となる期日
・争われている権利義務関係は、この期日をもって凍結される



レイム
要するに、「紛争が発生した日」を決めて、それ以降に「双方の国が行った権利の行使」は、裁判での判断に考慮されないって事よね。


マリサ
そうだぜ。
竹島問題の場合には、韓国が李承晩ラインに基いて竹島を占拠した1952年に日本政府が抗議した時点を国際法上の「決定的期日」としているぜ。


レイム
なので、1952年以降に韓国が竹島に対して行ったあらゆる行為は「領有権原」として認められないって事ね。

※領域権原(領有権原)

一定の地域について領域主権を有効に設定し、行使するための原因または根拠となる事実である。領土権原、領有権原、領土取得権原といわれることもある。



マリサ
だからな、韓国はよく「韓国が竹島を実効支配している」と主張するし、それに同調する日本人やメディアもいるが、そもそも決定的期日以降に何をしても「無意味」なんだぜ。
日本が「抗議し続けている」限りな。


マリサ
そして逆に尖閣の場合には、1895年に日本が無主地として領有してから、1970年に台湾が、1971年に中国が領有権を主張するまで、日本が「どこの国からも抗議されることなく」平和的・継続的に統治していたという記録があるから、「決定的期日以前の有効な統治実績がある」という事になるぜ。


レイム
つまり、竹島の場合韓国の行っている「実効支配」は、決定的期日以降のものなので「まるで意味がない」状態で、逆に尖閣の場合には日本は決定的期日前の「実効支配」をしているから、ちゃんと領有根拠があるって事ね。


マリサ
そういう事だぜ。
ちなみに竹島の場合も、前回の動画にあるように、韓国側は1905年の島根県令に対して「抗議できるにもかかわらずしなかった」のだから、「日本の平和的・継続的統治」が成立しているって事になるぜ。


中国の矛盾1


マリサ
それでな、ここからが今回の動画の本題なんだが、さっきも言ったように、日本は1895年に尖閣諸島を正式に領有していて、「平和的・継続的統治」が成立しているって言ったよな。
そして1919年のこの記録を見ると

尖閣列島遭難 中華民国感謝状 玉代勢孫伴
尖閣諸島史料ポータルサイト
https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/shiryo/senkaku/detail/s1920052000103.html

感謝状
中華民国八年冬福建省恵安県漁民
郭合順等三十一人遭風遇難飄泊至
日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島
内和洋島承
日本帝国八重山郡石垣村雇玉代
孫伴君熱心救護使得生還故国洵属
救災恤鄰當仁不譲深堪感佩特贈斯
状以表謝忱
中華民国駐長崎領事馮冕 印
中華民国九年五月二十日 印


中華民国駐長崎領事・馮冕から石垣島島民への感謝状

 感謝状

中華民国八年(一九一九年)冬,福建省恵安県の漁民である郭合順(かく・ごうじゅん)ら三十一人が,強風のため遭難し,日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した。

日本帝国八重山郡石垣村の玉村勢孫伴(たまよせ・そんはん)氏の熱心な救援活動により,彼らを祖国へ生還させた。救援において仁をもって進んで行ったことに深く敬服し,ここに本状をもって謝意を表す。

  中華民国駐長崎領事 馮冕(ふう・べん)
中華民国9年(1920年) 5月20日


マリサ
中国福建省の漁民が遭難して尖閣に流れ着いて、沖縄の漁民に救助され、翌1920年中華民国の長崎領事が日本にその件で感謝状を贈っているんだが、その感謝状に「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と書かれているんだぜ。


レイム
ああ、なるほど。
少なくとも1920年の時点で、中国は尖閣を日本領と認めていたって事ね。


マリサ
他にもこの事例みたいに

中国「立場変わらず」 過去の人民日報も「尖閣」表記
朝日新聞 2012年12月27日
http://www.asahi.com/special/t_right/TKY201212270904.html

 尖閣諸島琉球に含まれるとした中国政府の文書について、在日中国大使館の楊宇報道官は27日の定例会見で「この目で見たことはないが、文書があったとしても中国の立場は変わらない」と語った。中国外務省の華春瑩副報道局長も会見で「釣魚島(尖閣諸島の中国名)の主権について十分な歴史的、法的な根拠を持っている」と主張。「古来、中国固有の領土だ」と改めて繰り返した。

 一方、政府の文書とは別に中国共産党の機関紙・人民日報は1953年1月、琉球諸島が「尖閣諸島」を含む島々からなるとする記事を載せていた。58年に中国で発行された地図でも尖閣は沖縄に属する島として扱われた。(北京=林望

マリサ
1953年の人民日報が、「琉球群島人民による反米闘争」という記事で尖閣を沖縄の範囲に入れていたり、1958年発行の中国の地図でも「尖閣が沖縄に属する」と記載されたりしていて、1950年代にも中国が尖閣を日本領と認識していた記録があるんだぜ。


レイム
つまり、1960年代にあの辺りの海域で海底油田が発見される前までは、中国は尖閣に対する領有主張をしておらず、積極的に「日本領」と認めていたって事ね。


マリサ
そういう事になるぜ。
記事では中国側が「「釣魚島(尖閣諸島の中国名)の主権について十分な歴史的、法的な根拠を持っている」と主張しているが、それ自体「韓国レベルで怪しい内容」なうえに、「国際法上無意味な根拠」でしかないんだぜ。


レイム
なるほどね。


マリサ
しかもな、中国はこの3つの「中国が日本領と認めていた証拠」に反論しているんだが、

人民日報の古い記事は日本を救う藁ではない
人民日報 2012-10-09
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2012-10/09/content_26735925.htm

釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題を引き金にした国際世論戦が日増しに激しくなっている。日本政府は、1953年の「人民日報」の記事を論拠に、中国が釣魚島を日本の領土としてかつて認めたと言い出したが、こうしたまずい手法では話のつじつまを合わせられないし、日本が釣魚島を占領するための有効な根拠にもならない。

日本の外務省は公式サイトに「人民日報」の関連記事の写真を掲載し、「中国はかつて尖閣諸島を沖縄の一部としてみていた」と注釈している。ただこれは人民日報の言葉ではなく、日本が一方的に解読・錯覚でしかない。日本側は釣魚島を有効に支配する根拠が少ない状況にあって他人のあらを探すしかなく、昔の記事を持ち出し、各国の首脳や外相との会談で積極的に上述の内容に触れ、インターネットを通じて情報を配信し、積極的に宣伝を行っている。

われわれは当時の歴史の状況と琉球の局面を振り返る必要がある。当時の琉球、つまり沖縄は国連が委任管理しており、主権も日本に属していなかった。日米は当時の冷戦戦略を考慮して琉球を米国占領軍によって委任管理したが、これは国際法上合法ではなく、当時の中国政府もそれを認めていない。1951年、当時外相だった周恩来が米英の対日講和条約草案、およびサンフランシスコ会議について発表した声明が正式な政府文書で、それには中華人民共和国の参加がない場合、その内容や結果がどうあろうと、中国人民政府はすべて不法とみなし、従って無効である、それは各種国際法で認められていると指摘している。

清華大学当代国際関係研究院の劉江永副院長の調査によると、「人民日報」のこの記事は1953年1月8日4面の資料欄に掲載されたもので、日本語の資料を翻訳した無署名の資料で、評論でも社説でもなく、中国政府の釣魚島帰属に関する立場を代表するものではない。いわゆる中国側が釣魚島は日本に属すると認めたとの説は成立しないという。

http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2012-10/09/content_26735925_2.htm

それだけではなく、1953年のこの「人民日報」の記事の政治背景と法的意義は国際法上、政府の立場を代表するものとはみなされない。同時に人民日報にまったく誤りがなく、一言ですべてを言い尽くせるとはいえない上、人民日報の政治的操作や当時の歴史的視野には限度があり、誤りを犯すこともありうる。こうした誤りは永久的な法的意義を持たない。1971年に米国が釣魚島の行政権を日本に引き渡した後、人民日報は立場を表明する記事と声明を繰り返し発表している。そのほうが法的効力を持つ。

1970年以前に発行した釣魚島が中国領となっている地図や日本の歴史家・井上清氏らが釣魚島は中国の領土と明確に論証していること、1971年の日本紙「長周新聞」が日本の呼称である「尖閣諸島」ではなく釣魚列島という中国の地名を使用していたことには日本は触れないでいる。

1971年12月30日、中華人民共和国外交部は釣魚島主権に対する正式な声明を発表、これまでに何度もその立場を表明してきた。実例、策略、十分な法的基礎のどの角度からも、中国が釣魚島に対して領土主権を保有していることにゆるぎはない。日本が奇計で虚を衝き、自らを騙し、人民日報の記事を持ち出して言いがかりをつけても、すぐに各方面の反発を招くだろう。日本の言い分は強引なこじ付けで、自らを騙し他人も騙しているにすぎない、国際法的にも認められない。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年10月9日

マリサ
まず人民日報の記事に関しては、「日本語の資料を翻訳した無署名の資料で、評論でも社説でもなく、中国政府の釣魚島帰属に関する立場を代表するものではない」とか主張しているな。
人民日報は中国共産党の機関紙なのにな。


マリサ
しかも「日本の歴史家・井上清氏らが釣魚島は中国の領土と明確に論証していること、1971年の日本紙「長周新聞」が日本の呼称である「尖閣諸島」ではなく釣魚列島という中国の地名を使用していたことには日本は触れないでいる」とか書いているが、実質的な政府機関紙と民間メディアや個人研究家じゃそもそも比較にならないんだぜ。


レイム
というか、これ韓国と同じただの後出しジャンケンよね。
「日本の領有に一切抗議していない」という事実は変わらないし。


マリサ
そうだぜ。
更に中国は感謝状に関しても

釣魚島問題をめぐる日本側の虚偽の主張に再び反論する
人民網 2016年05月05日
http://j.people.com.cn/n3/2016/0505/c94474-9053389.html

日本政府は、「日本または琉球国による釣魚島の保有」を裏付ける法理や根拠となる事実を1895年以前に遡っては挙げられないことを重々承知している。日本政府はそのためこれまで長期にわたり、事実と文献を歪めた一面的な解釈を国際法の学者を通じて与えることを余儀なくされてきた。近年はとりわけ、国内の学者や記者、右翼団体などを利用し、中国大陸と台湾の関連地図・文献を隅々まで探し回り、釣魚島の日本帰属を中国が認めていたことをどうにか証明しようと躍起になっている。日本政府はウェブサイトで、これらの調査活動の結果を公表している。だがそうした努力は徒労である。以下、いくつかの例を挙げてこれを説明しよう。(文:劉江永・清華大学国際関係研究院教授)

 一、日本外務省によると、「1920年5月に、当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状においては、『日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島』との記載が見られ」、これは、釣魚島の日本帰属を中国が認めた揺るがぬ証拠だという。だが日本の台湾殖民統治時代の史料を証拠として持ち出すのは、時間的な順序の転倒した錯誤である。

 中華民国9年(1920年)5月20日中華民国駐長崎領事・馮冕が「日本帝国八重山郡石垣村顧玉代氏孫伴君」に宛てたものとされるこの「感謝状」には、「中華民国8年、福建省恵安県の漁民である郭和順ら31人が、強風のため遭難し、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した」との記載がある。日本の一部はこれを、「尖閣列島が日本の領土であることを中国が認めていたことを示す最も有力な証拠」とみなしている。

 だが「感謝状」に記されている「尖閣列島内和洋島」がどの島を指すのか、今になっても明らかになっていない。中日両国が釣魚島を「和洋島」として扱った先例はない。日本側の資料にも「和洋島」という島名は見当たらない。日本はかつて中国の釣魚島を「魚釣島」「和平山」と称したが、「和洋島」という呼称を使った例はない。

 従って「感謝状」記載の情報の真偽には考証の余地がある。だが史料の真偽を問うまでもなく、歴史的事実を少しでも分析すれば、「感謝状」が十分な証拠足り得ないことはすぐわかる。日本は1895年、不平等条約「馬関条約」(下関条約)で中国の台湾省を不当に占領した。これに先立って、台湾に属する島嶼の釣魚島も奪取している。この状態は、日本が敗戦・降伏する1945年まで続いた。つまりこの間の「感謝状」にそう書いてあるからといって、釣魚島が日本の「固有の領土」であることを証明することはそもそもできないのである。台湾殖民統治時代の「証拠」を持ち出しても証拠にはならない。

http://j.people.com.cn/n3/2016/0505/c94474-9053389-2.html

二、日本政府の挙げる「証拠」の一つに、1958年に中国が出版した『世界地図集』(1960年第二次印刷)がある。この地図帳においては尖閣諸島が「沖縄の一部として扱われ」、この地図の記載は1972年になって初めて改訂されたという。だが事実は異なる。自らと他人を欺く日本側の細工は見事失敗に終わっている。

 日本のやり方は、一部を取り上げて全体を説明するもので、まったく成立しない。中華人民共和国建国からまもない1950年代には、いくつもの種類の世界地図帳が出版されている。例えば1953年に中国地図出版社が出版した『新世界分国図』では、日本に琉球群島は含まれておらず、釣魚島も当然含まれていなかった。これは戦後の日本の領域に対する当時の国際社会の認識を反映したものと言える。日本側は、中国大陸部で1958年に発行された『世界地図集』の日本についての記載に「尖閣諸島」が出ているのが証拠だと主張する。だがこの地図帳の扉ページには、「中国の一部の国境は抗日戦争以前の『申報』地図に基づいて制作された」または「中国の一部の国境は解放前の『申報』地図に基づいて制作された」という注があることは言及されていない。「申報」は長い歴史を誇る上海の新聞で、1885年9月には、台湾北東の島嶼(即ち釣魚島)の占領を目論む動きが日本にあるとの動向を伝えている。だが1941年に上海が日本軍によって占領されると、「申報」も接収された。この間の「申報」の出版した日本地図は、日本の台湾殖民統治時代の島名と管轄範囲に基づいて作成された。1958年に出版された地図帳は、台湾本島こそ日本国外に置いているものの、日本の範囲を画定するにあたっては抗日戦争勝利以前の「申報」の地図の影響を受けざるを得なかった。当時の中国側の地図作成者が扉ページに加えた説明はまさに、こうした保留の態度を示すものである。そのためこれらの地図は、中華人民共和国政府の立場を代表するものとは言えない。

 日本外務省のウェブサイトは、1958年に中国が出版した地図と1972年に出版した地図とを並べ、1970年代に石油が発見されたことで中国が釣魚島の主権を主張し始めた証拠としている。だがこれはまったくのデタラメだ。1956年に中国地図出版社が出版した「世界分国図」では、日本に釣魚島またはいわゆる「尖閣諸島」は含まれておらず、これらの島嶼琉球群島の範囲外に記されている。この地図の裏表紙には、「本図における中国の国境線は弊社『中華人民共和国地図』に基づいて画定された」との注がある。この地図の出版時期は、上述の1958年の地図よりも早いはずである。1956年以前に中国はすでに、日本の版図または沖縄県内には釣魚島とその付属島嶼が含まれていないことを意識していたことになる。1958年に中国が発行した地図を根拠として、釣魚島に関する中国政府の立場を判断しようという日本側の論理は成り立たない。

 三、日本外務省ウェブサイトには最近また、1969年に中華人民共和国国家測絵総局が出版した『中華人民共和国分省地図』が公表されている。この地図に「尖閣群島」との名称が記されていることは、この島嶼が中国に帰属すると中国が考えていなかったことを示すという人がいる。だがこうしたな強引で一面的な解釈は、1960年代中期に釣魚島海域で石油の埋蔵が確認される前から、中国が釣魚島や黄尾嶼、赤尾嶼を中国台湾省の地図に入れていたことを逆に証明するものとなっている。

 1965年に中国科学院地図研究所が作成し、1969年に中華人民共和国国家測絵総局が出版した40年以上前のこの地図『中華人民共和国分省地図』はこれまで「秘密」にされていたという。18ページの「福建省台湾省」の地図では、釣魚島とその付属島嶼の最東端の赤尾嶼までが中国の台湾省内に入れられている。最東端は地図の枠を拡張して収められており、釣魚島とその付属島嶼が中国台湾省の一部と考えられていたことは確かである。日本側は、この地図に「尖閣群島」や「魚釣島」の島名が使われていることを根拠に、これらの島嶼が日本に属していることを証明しようとする。だがこれらの名称は、台湾の地名に対する日本の50年にわたる殖民統治の影響の名残にすぎず、これらの島嶼を中国の領土とみなす中国政府の原則的な立場を変えるに足るものではない。中国外交部の洪磊報道官はこの地図について、福建省北部と台湾省南部、釣魚島と附近の海域の3カ所が通常の枠をはみ出して示されているのは、福建省台湾省の範囲を完全に収めるためであり、釣魚島が中国の一部と考えられていたことの有力な証拠であると指摘している。

http://j.people.com.cn/n3/2016/0505/c94474-9053389-3.html

 いわゆる「尖閣諸島」(釣魚島とその付属島嶼を指す)は、戦後から1972年までの日本のほとんどの地図にも書き込まれていなかった。1879年の日本による琉球合併後、中国の釣魚島は日本語の語順に従って「魚釣島」と呼ばれるようになり、黄尾嶼は「久場島」、赤尾嶼は「久米赤島」(後に「大正島」)と改称された。釣魚島とその付属島嶼は1900年から「尖閣諸島」と呼ばれるようになった。だが日本の多くの地図と文献ではその後も、中国側の島名「黄尾嶼」「赤尾嶼」が使用され続けた。日本側の上述の論理に従えば、日本は早くからこれらの島嶼が中国に属していることを認めていることが証明されていることとなる。

 四、日本外務省のウェブサイトによると、中国外交部が1950年に受領した(中国側)関連資料でも「尖閣諸島」の名称が用いられており、釣魚島が日本に属する証拠となっているという。だがこの資料はむしろ、中国側が1950年の時点ですでに、釣魚島と赤尾嶼の返還を求める主張をしていたことを裏付けるものである。この主張が提出されなかったのは、サンフランシスコ講和条約から中国が閉め出されていたからにすぎない。

 1950年5月15日に中国外交部が受領したという「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」に作成者の署名はない。この中には、対日講和条約起草にあたっては、赤尾嶼を含む釣魚島とその付属島嶼の中国への返還を求めることを検討する必要があるとの指摘がなされている。釣魚島とその付属島嶼は1895年から50年にわたり、日本の統治者によって「尖閣諸島」または「尖閣列島」と呼ばれていた。草案にこの名称が使われたのは、日本の占領統治下における島名がそのまま使われたにすぎず、法的な意義を持つ正式な名称として使われたのではない。類似の状況は「カイロ宣言」起草時にも見られる。この文書に「満州」という言葉が使われていても、中国が「満州国」を承認した証拠にはならない。

 同草案は、戦後の日本の領土画定について二種類の提案をしている。第一に、1879年の日本による琉球合併の際、中国側の承認を得るために八重山諸島宮古諸島を中国の帰属とすることが合意されたことを根拠に、これらの島嶼を台湾に帰属させるという提案。第二に、清朝冊封使・張学礼らの記載を根拠に、琉球の範囲を(釣魚島を含まない)36島とし、台湾から近い「尖閣諸島」(日本側の名称で、釣魚島と黄尾嶼、南小島、北小島を指す)と赤尾嶼は台湾に帰属させるという提案である。こうした主張は、戦後初期の国民政府のこの問題に関する立場と基本的に一致している。(編集MA)

 「人民網日本語版」2016年5月5日


マリサ
あの感謝状では「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した」と書かれているが、「中日両国が釣魚島を「和洋島」として扱った先例はない。日本側の資料にも「和洋島」という島名は見当たらない。日本はかつて中国の釣魚島を「魚釣島」「和平山」と称したが、「和洋島」という呼称を使った例はない。」だから無効だと主張しているぜ。


マリサ
でもな、和洋島は和平島の筆誤で元々中国では「和平山」と表記していたが、この語源が英軍水路誌の「Hoa-pin-san」で、更にその語源は台湾北東にある「花瓶嶼(かびんしょ)」の事、領事が島の位置関係をちゃんと把握していなくて、花瓶嶼が尖閣諸島の島と思いこんでいただけなんだぜ。


レイム
というより、「沖縄県八重山郡尖閣列島」と書いている時点で個別の島の名前が間違っていても尖閣諸島事態を日本領と認めていたことに違いはないじゃない。


マリサ
もっと言えば、中国側の主張は「日本の平和的・継続的統治」に反証できる証拠になっていないんだぜ。
しかもこっちの記事での地図に関する反論は、さっきの記事と異なる主張という支離滅裂さだぜ。
この記事の中で書かれている事も、中国が日本の尖閣領有に対抗できる内容はないぜ。
一つを除いてな。


中国の矛盾2


レイム
一つを除いて?つまりちゃんと根拠があるって事?


マリサ
「韓国レベル」ではな。


レイム
それ、「無い」ってことじゃない。


マリサ
まずさっきの人民網のこちらに注目してくれ。

釣魚島問題をめぐる日本側の虚偽の主張に再び反論する
人民網 2016年05月05日
http://j.people.com.cn/n3/2016/0505/c94474-9053389.html

(一部抜粋)
 従って「感謝状」記載の情報の真偽には考証の余地がある。だが史料の真偽を問うまでもなく、歴史的事実を少しでも分析すれば、「感謝状」が十分な証拠足り得ないことはすぐわかる。日本は1895年、不平等条約「馬関条約」(下関条約)で中国の台湾省を不当に占領した。これに先立って、台湾に属する島嶼の釣魚島も奪取している。この状態は、日本が敗戦・降伏する1945年まで続いた。つまりこの間の「感謝状」にそう書いてあるからといって、釣魚島が日本の「固有の領土」であることを証明することはそもそもできないのである。台湾殖民統治時代の「証拠」を持ち出しても証拠にはならない。


マリサ
ここでは「日本は1895年、不平等条約「馬関条約」(下関条約)で中国の台湾省を不当に占領した。これに先立って、台湾に属する島嶼の釣魚島も奪取している。この状態は、日本が敗戦・降伏する1945年まで続いた。つまりこの間の「感謝状」にそう書いてあるからといって、釣魚島が日本の「固有の領土」であることを証明することはそもそもできないのである。台湾殖民統治時代の「証拠」を持ち出しても証拠にはならない。」と書いているぜ。


レイム
これどういう理屈?


マリサ
中国が言うには、「戦争に負けて不平等条約で領土を奪われた状態であったため、真っ当な抗議ができず、それが1945年まで続いた」という主張だな。


レイム
なんか、韓国の「外交権を奪われて抗議できなかった」と同じ臭いがするのだけど?


マリサ
レイム、正解だぜ。
こちらをみると

東沙島への日本人の進出と西澤島事件
平岡昭利下関市立大学 経済学部
地理空間 4-1 1 -17 2011
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jags/4/1/4_1/_pdf

(一部抜粋)
古くは明代の記録に現れるとされ、これをもって中国人による東沙諸島の開発と経営の開始であるとされる。1730年、清は東沙諸島を版図に編入し、広東省恵州の管轄とした。しかしその後は、わずかな漁民を除き長く無人であった。1907年になると、日本人が入植し事業を始め、日本政府に日本領台湾への編入を申請するに至った。このような動きに対し、1909年には広東省水師提督の李準が東沙諸島を訪れ、日本政府への抗議を行った。清との関係悪化を恐れた日本政府は、同年に清による東沙諸島の領有を確認し、李準は領有を示す建築物、碑、廟などをこの島に建設した。

1901年:玉置半右衛門が外務省に無人島(プラタス島)の所属伺。
1907年8月12日:西沢吉治他2名が事業を開始し、内務省無人島(プラタス島)を台湾に編入願。
1909年10月11日:日本は清と「プラタス島引渡ニ関スル取極(交還東沙島條款)」を交わし、日本はプラタス島の施設等を38万円で清に売却、プラタス島に対する清の領有権を確認する。


マリサ
1907年に台湾の南西にある東沙諸島(プラタス島)というところに日本人が入植し始めて、日本政府に対して「日本領台湾への編入をするよう申し入れ」をしたそうなんだぜ。
これに対して、広東省水師提督が日本に抗議、日本と清国は「プラタス島引渡ニ関スル取極」を締結し、日本が東沙諸島の施設を清に売却、清の領有権を認めたんだぜ。


レイム
「領土問題」で抗議できてるじゃない。
しかも日清戦争から14年後に。


マリサ
そうなんだぜ。
なのに今の中国は、「不平等条約のせいで領土問題に抗議できなかった」と韓国と同じことを言っているわけだ。


マリサ
ちなみに、うp主は未だ中国が東沙諸島の件に反論しているところを見たことがないぜ。
韓国と同じで、恐らく「無かったこと」にしているんだろうな。


レイム
まあ、この有様じゃそう見られても仕方がないわね。

今回のまとめ

・領土問題における「決定的期日」以降の主権行使は無意味
・中国は1920年代と1950年代に尖閣が日本領と認めている
・中国は尖閣以外の領土問題では抗議をしている



マリサ
結局のところな、中国の主張は「韓国と大差ない」レベルでしかないんだが、あそこが厄介なのは軍事力でごり押ししようとしている事なんだぜ。
国際法上のグレーゾーンである「海上民兵」つまり、「便宜上の予備役漁民」を大量に抱えて、「武装させている」からな。


レイム
それ、中世ヨーロッパの「私掠船」と何が違うの?


マリサ
規模が桁違いに違うぜ。
中国は事実上の私掠船を東シナ海から南シナ海にかけて大量に展開して、他国の商業活動を妨害することで領海を増やそうとしているんだぜ。
南沙諸島では、一つの島にこの武装漁民の船200隻が群がったこともあるそうだし、「日常の操業」でも、世界各地に漁船団であらわれて漁業資源を根こそぎ採ってしまうなんてことをやっているそうだしな。


レイム
こんな事言いたくないけど頭の中が500年ほど遅れてない?


マリサ
それで済めばいいが、数万から数十万単位の武装民兵が展開していて、南シナ海では実際に民間人に死者まで出ている以上、これは笑い事じゃないんだぜ。
だからこそ、本来は自衛隊と海保の武装と法整備の強化が必要なんだぜ、正規軍に準ずる扱いの武装民兵にちゃんと対応できるようにな。


レイム
なるほどね。
もちろん問題の知識を持つことも必要だけど、ちゃんと防衛面も危機感を以て何とかしていかないといけないのね。


マリサ
そういう事だぜ。
そんなわけで今回の本編はここで終わるぜ。


レイム マリサ
ご視聴ありがとうございました。


大口
おつかれ~


大口
ところで視聴者の皆さんに質問があります。
PC用のディスプレイを新調しようと考えているのですが、選ぶときに気を付けた方がいい事とか考慮した方がいい事とかあります?


レイム
そういえばうp主のディスプレイって、2008年頃に買ったのを未だ使っている年代物なのよね。


マリサ
骨董品にもほどがあるんだぜ。
なんか黒が少し茶色っぽく見えるんだぜ。


大口
壊れないから惰性で使い続けているうちに12年も経っちゃったんだよ。
買い替え候補としては、画質はWQHDくらい、サイズは23から26くらいを検討しています。


レイム
まあ、うp主はゲームとかやるわけじゃないしたまに映画を見るくらいだから、ある程度の画質と、動画の編集しやすさとか目が疲れにくいとか、他に考慮するとしたらそれくらいよね。


マリサ
あまり性能がいいディスプレイ買っても宝の持ち腐れになるしな。
そんなわけで今回が本当の意味での今年最後の動画となるぜ。


マリサ
それじゃ改めて


レイム マリサ 大口
皆様、よいお年を。
またらいね~ん




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