日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

戦後70年談話と韓国人の易地思之という概念


さて、今回は8月14日に日本政府から発表された、戦後70年談話に対する韓国側の反応についてと、なぜそのような反応になるのか、その背景について書いて行きます。
(※談話全文に関してはこちらを参照してください「【全文】「私たち日本人は世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければならない」安倍首相が戦後70年談話を発表 ニコニコニュース/BLOGOS 2015/8/14


まずこの談話に対してなのですが、全体として韓国側では否定的な意見が主流となっています。
それについて日本のメディアからも様々な意見が出てきていますが、今回注目すべきは韓国人の主観的正しさからくる「あなたのせい」という考え方、そしてもう一つはタイトルにもある「易地思之」という、日本人にはあまり馴染みの無い四字熟語の2つとなります。


「あなたのせい」という考え方については過去にも書いていますが、今回特に注目すべきは問題が起きた時に彼等が頻繁に使う表現である「○○された」という考え方です。
韓国ではよくこのような表現がされるのですが、要するに「された」という表現の通り全てが受動的なのです。


一般的に韓国では自らの行いについてもとりあえずはまず相手のせいにする習慣があり、そうするためにあらゆる手段を使って相手の落ち度を作り出し、天秤に相手の落ち度を積み重ねる事で自らの落ち度を相対化によって打ち消す傾向にあります。


そのため、問題に対して彼らは能動的に解決策を見つけ出す、つまり自身に問題点がなかったかどうかを考えるのではなく、「相手に問題があるからこうするしかなかったのだ」と問題を受動的に捉え、また自らの主観的正しさも相手の落ち度=劣等さによって証明されます。


間違い=劣等性と考えるがために、能動的に問題解決を図る事は自らの劣等さとなってしまうことでもある事から、「常に相手に問題がある状態」を作り出さないといけません、それが彼らの「正しさ」の根源だからです。


もう一つの「易地思之」についてなのですが、韓国語では역지사지(ヨクチサジ)と表記され、日本語に翻訳されると「立場を変えて考えること」や「相手の身になって思うこと」といった意味になります。
要するに相手の立場に立って物事を考える事で問題を解決するという概念となるわけであり、韓国でもそのような意味で通ってはいるのですが、現実には韓国人が「相手の立場に立って考える」という事は殆どありません。


なぜなら、彼らは主観的正しさによって自らは絶対的に正しく正義であると考えているので、この「易地思之」という単語は実質「相手は常にこちらの身になって考え、こちらの事情を考慮しないといけない」という意味で使われるからです。


つまり実質的な易地思之の用法とは、「問題のある間違った側が、何の問題も無い正しい側の事情を考えを受け入れるべき」と言い換えることもできます。
勿論この「間違っている・正しい」の判断は彼らの主観によって全てが決まります。


少々長くなってしまいましたが、この2つを踏まえたうえで戦後70年談話に対する、以下の韓国側の反応を読んでみて下さい。


朴大統領「日本は誠意ある行動を」=光復70周年で演説
聯合ニュース 2015/08/15
http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2015/08/15/0900000000AJP20150815001500882.HTML
(一部抜粋)
14日に発表された安倍晋三首相の戦後70年談話については、「われわれとしては残念な部分が少なくないのは事実」と指摘した上で、「1965年の国交正常化以来、日本の歴代内閣が示してきた歴史認識は韓日関係を支えてきた根幹であり、歴代内閣の立場が今後も揺るぎないと国際社会に明確にした点に注目する」と強調した。

 続けて、「歴史は隠そうとしても隠せるものでもなく、生き証人の証言によって生き続ける」と述べた上で、旧日本軍の慰安婦問題の早期解決を促した。


韓国与党「意味ある内容だが残念」 安倍談話発表で
聯合ニュース 2015/08/14
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2015/08/14/0400000000AJP20150814001300882.HTML
【ソウル聯合ニュース安倍晋三首相が14日、閣議で決定した戦後70年談話を発表したことを受け、韓国与党セヌリ党の金栄宇(キム・ヨンウ)首席報道官は記者会見を開き、「日本の侵略の歴史に対する反省と謝罪に直接言及したというより、過去形で遠まわしに表現した」と非難。「(旧日本軍の)慰安婦問題についても女性たちの名誉と尊厳が傷ついたと間接的に言及したのは残念だ」と述べた。

 また、「談話のあいまいな表現にこだわるよりも、今後日本が過去の歴史に対し心からの反省と平和のための実践的な努力を見せるよう求めていく」と強調した。

 ただ、「過去の歴史についての反省とおわびなどに言及したという点では、意味のある談話だと思う」との考えを示した。その上で、「罪のない人々に日本が与えた損害と苦痛の歴史に触れながら断腸の念を禁じ得ないとする表現まで用いたことから、過去の歴史に対する安倍首相の複雑かつ哀惜の思いがうかがえる」と評した。


安倍談話 「非常に失望」=韓国最大野党
聯合ニュース 2015/08/14
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2015/08/14/0200000000AJP20150814001200882.HTML
【ソウル聯合ニュース安倍晋三首相が14日、閣議で決定した戦後70年談話を発表したことを受け、韓国最大野党、新政治民主連合の金聖洙(キム・ソンス)報道官は国会で会見を行い、「真の反省と謝罪がない」として、「非常に失望」と批判した。

 金報道官は「安倍談話は戦後50周年の村山談話の4大キーワードである植民地支配、侵略、おわび、反省をすべて表現したが、巧妙な方法で責任を避けた」とした上で、「侵略と植民地支配を避けられない選択だったと表現し、加害者としての責任を事実上回避した」と批判した。
(後略)



日本のいくつかのメディアでは、あたかも朴政権や与党が談話に好意的な反応を見せたかのように書かれていますが、実際は上記の通りかなりの不満があり談話全体としては否定的な意見を持っている事が解ります。


この韓国側の反応と最初の2つの概念がどう関わるかについてなのですが、要するに「日本の反省が足りないから我々は批判するしかないのだ」とすることで、自身の道徳的正しさを世間にアピールしているのです。


そしてもう一つの「易地思之」に関しても、「自分達は正しい歴史観を持っているのだから、日本はこの韓国の正しさを“易地思之”しなければいけない」、要するに韓国側の正しさや気持ちを理解しての反省ができていないという事です。
このようなロジックの結果が、先ほど引用した朴大統領や韓国与野党の反応から解るわけです。


また次に、韓国人のこの絶対的に正しい歴史観や易地思之の用法が非常にわかりやすい記事が最近ありましたので、以下を。


【コラム】被爆国・日本の「犠牲者コスプレ」
朝鮮日報 2015/08/14
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/14/2015081401042.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/14/2015081401042_2.html
「核は非人道性の極致」「長崎、生き残る苦しみ」…。ここ数日、日本の各紙は原爆投下70年に合わせ、先を争って特集記事を掲載している。1945年8月6日に広島、9日に長崎へ投下された原子爆弾で、それぞれ14万人、7万人が命を失い、「無条件降伏」を受け入れるしかなくなった日本としては、痛い記憶なのだろう。1、2発の爆弾でこれほど多くの命が一瞬のうちに失われることもあり得るという事実は悲劇で、二度と繰り返してはならない。しかし、侵略戦争を起こし、中国や韓国をはじめ、アジアで1000万人を越える死者を出した加害者・日本が「原爆被害国」として「犠牲者」のように振る舞うのは、どこかしっくりこなかった。
(中略)
広島と長崎の被爆者の中には、徴用などで連れて行かれた朝鮮人7万人も含まれている。広島平和記念資料館で聞いた被曝生存者の肉声録音の中に、今なお忘れられない声がある。在日朝鮮人の証言だった。「原爆投下の当時、自分が生きているという事実を確認した後、真っ先に抱いた思いは、日本人が自分たちに責任を負わせて虐殺するかもしれないという恐怖だった」。空前の惨劇の現場で、1923年の関東大震災の際、6000人近い朝鮮人が虐殺された記憶から思い出したというのだ。

 おととい、植民地時代に韓国の独立運動家が辛酸をなめた西大門刑務所の歴史館を鳩山由紀夫元首相が訪れ、ひざまずいた写真は印象的だった。鳩山元首相は、被害に遭った側から「もういい」と言われるまで謝罪をやめてはならないと言った。安倍首相が率いる今の日本社会ではほとんど影響力がない元首相の突出行為なのかもしれないが、東アジアの平和を望む韓日両国の国民にとっては、感動的な場面だった。日本が東アジアで信頼を獲得し、平和国家と認められるためには、「犠牲者コスプレ」はそれくらいにして、相手の立場から考える「易地思之」を学ぶべきだ。



以前から書いているように、韓国的価値観では被害者とは被害者になった時点で絶対的な正義であり、「正しい」存在の事を意味します。
そしてこの記事にあるように、韓国では広島・長崎の被爆者追悼式典が「日本人が被害者(正しい側)に成り代わろうとしている」ように見えるわけです。


韓国人の一般的歴史観では、日本は「加害者=悪」であるはずなので、常に自身が加害者=悪であったことを示さねばならず、追悼式典でもその事を「韓国の立場や考えを考慮して」反省の場とするのが当たり前の事であり、それをせずに「原爆被害者を追悼する」式典は歴史の誤魔化しをしているように見えるのです。


また「易地思之」は使われてはいませんが、これと同じロジックの記事は中央日報ハンギョレ新聞でも掲載されています。
(つまり特定の勢力の偏った考え方ではないという事です)


【コラム】日本の精神的・道徳的優位に立って堂々と(1)(2)
2015年08月14日10時58分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/445/204445.html
http://japanese.joins.com/article/446/204446.html


安倍政権に掌握されたNHKで消える「戦争の反省」
ハンギョレ新聞 2015.07.27
http://japan.hani.co.kr/arti/international/21468.html


ここまで読んで貰えば解るとは思いますが、韓国では一般的に自分達の価値観を絶対普遍のものとして、相手も「同じ価値観を共有している」という前提で物事を判断していることがわかります。
なぜなら、彼らの中ではこの価値観は世界の常識のはずであり、普遍的な道徳的正しさに根ざしているはずだからです。


「あなたのせい」という考え方も、被害者・加害者に関する考え方も、「正しさ」に基く歴史観も、易地思之という概念も、日本人の一般的価値観から見ればあまりにも非常識で荒唐無稽ですが、韓国側から見れば日本人がそう考えることこそ非常識で荒唐無稽なのです。


ですので、日本では談話などに対して「表現が曖昧だ」等の見当違いの批判をしている人々がいますが、本来はそんな表層的な事が日韓の間で問題になっているのではなく、お互いの社会の常識があまりにも違いすぎるので問題になっているのです。
元々表現が曖昧だろうが具体的だろうが、韓国人の常識に沿わなければいずれにせよ彼らは不満を持つのです、彼らにとって日本の常識は非常識であり、道徳的に間違っているからです。


ちなみに、「彼等の要求を完全に呑み、彼等が望む謝罪をすればいいのではないか」との意見がありますが、それは全くの無意味です。
彼等が望むのは、日本人が韓国人に対して「加害者としての劣等性」を伝え続けることで、彼らの主観的正しさを満足させることであり、それは要するに要求に答えれば答えるほど更なる要求が延々と増えていき、究極的には「日本は韓国の望む事を無条件に何でも叶えなければいけない」という状態になるだけだからです。


そんな事は現実的に不可能ですし、それは結局のところ日本側が様々なことを犠牲にしないと成り立たないのですから、より対立が激化していくだけです。



お知らせ。
このニコニコのブロマガの仕様上、コメントが新たにあった事は解るのですが「どの記事にコメントがされたのか」を確認することが困難です。
そこで、もし過去記事に質問等私が何らかの回答を必要とするコメントをされた方は、お手数ですが最新の記事かtwitter@ooguchib」のアカウントのほうへその旨を書いていただけると助かります。