日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

今後韓国からのクレームは加速度的に増えて行く


さて、今回の内容なのですが、このクレームとは先日の産業革命遺産の登録問題や、最近も話題になっている対馬の仏像盗難問題、或いは旭日旗問題・日本海呼称問題など、こういった様々な韓国独特の価値観によるクレームが、今後は更に増えていくという意味です。


特に今回書く内容は、対馬の仏像盗難事件に対する韓国側の対応に深く関係しています。


そしてこれには、韓国人の絶対的正しさ(一つの正しさ)、主観のみで物事を判断する考え方、根拠を重要視しない考え方などの要素、現実よりもかくあるべき姿が優先される、などが関係しています。
そしてそれらが複合的に合わさって、今の韓国はだんだんと「日本のやる事に反対する事」が目的化してきており、それが今後更にクレームを増やしていく事となるわけです。


まずはこちらの記事から。

【コラム】国際刑事裁判所に桜を植えて歴史洗浄を狙う日本
朝鮮日報 2015/07/14
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/14/2015071401013.html
http://web.archive.org/web/20150714080932/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/14/2015071401013.html(ウェブアーカイブ
今、オランダ・ハーグでは、韓日間の「桜をめぐる外交合戦」が繰り広げられている。日本が昨年、国際刑事裁判所ICC)新庁舎の周囲を桜の木で囲むことを提案、これに韓国が「絶対反対」と声を上げたことから始まった。たった数本の木に韓国がこのように神経をとがらせているのは、桜の花を植えることに「歴史ロンダリング」という日本の意図があると考えているからだ。

 日本の桜は近代の歴史で軍国主義の象徴だった。帝国主義国日本は「天皇のため桜の花びらのように散れ」と扇動して若者たちを戦場に追いやった。第二次世界大戦時の日本の自殺特攻隊「神風特攻隊」の戦闘機には桜の花が描かれていた。軍人の階級章も桜だ。日本の女性たちは学徒兵たちに桜の枝を渡して戦場に送り出した。

 ほかでもない戦争犯罪を扱う国際刑事裁判所をこのような桜で囲もうという試みは、日本が「戦争加害者」としての歴史を水に洗い流そうとしているからだ、というのが韓国の考えだ。ほかの国の人々に「韓国にも桜はたくさんあるのに、なぜそう言うのか」と聞かれたら、韓国の外交官はこうした歴史的背景を説明し、「『日本の桜』の意味合いは違う。戦犯裁判所に戦犯の象徴があってはならないではないか」という論理で対抗している。

 日本が明治時代の産業施設を世界文化遺産に登録する過程でもあらためて明らかになったように、日本の「歴史ロンダリング」や正当化工作は最近、緻密(ちみつ)かつ広範囲に行われている。日本は昨年、米国の教科書出版社に対し、「従軍慰安婦南京大虐殺に関する記述内容を削除してほしい」と要請、ドイツの出版社にタイしても同様の動きを見せている。また、日本の歴史関連研究や記録を「修正」する目的をもって、米国など各国の学界に莫大(ばくだい)な資金をばらまいている。

 「このような動きの背景には、修正主義歴史観に基づく安倍晋三首相の強い信念がある」というのが専門家らの共通した見解だ。日本政府が今回の世界遺産登録に産業遺産とあまり関係がない私立教育機関松下村塾」を入れたのも、安倍首相の個人的な信念によるものだという。松下村塾の創設者・吉田松陰は、安倍首相が「最も尊敬している」と語った人物だ。吉田松陰征韓論大東亜共栄圏などを提唱、朝鮮の植民地化を含む日本の帝国主義政策に理論を提供した。安倍政権は昨年、小中学校の道徳教材に吉田松陰に関する内容を盛り込ませた。

 安倍首相の長期政権が予想されるだけに、今後も日本の「歴史ロンダリングの暗礁」は繰り返し浮上する可能性が非常に高くなった。ある外交消息筋は「今この瞬間にも世界のあちこちで日本の外交官が安倍首相の指示に従い、自分たちだけの『歴史見直し』案を練るため額を突き合わせている」と言った。どこで始まるか分からない攻撃に備え、韓国外交当局は緊張を緩めてはならないということだ。韓国の防衛戦略が徹底的かつ精巧でなければ、他の国々から「韓国はなぜ日本のやることに対していちいち足を引っ張るのか」との逆風に合う可能性がある。



記事にあるように、韓国が官民あげてオランダの国際刑事裁判所への桜の植樹に反対していると言う内容です。
重要なのは、この件は韓国の政府と全国紙、様々な団体が一丸となって行っている、非常に規模の大きい、大多数の韓国人が支持する国策レベルの運動という事です。
そして過去、韓国はここまで踏み込んだクレームをした事はありません。


これなのですが、仮に韓国側の言分である「日本の桜は近代の歴史で軍国主義の象徴だった」が正しかったとしても、歴史の一部分のみを都合よく切り取って、それに基き反対するなどという事が成り立つのならば、それこそなんにでもクレームを入れる事ができるようになってしまいます。


更に記事では、「このような動きの背景には、修正主義歴史観に基づく安倍晋三首相の強い信念がある」というのが専門家らの共通した見解だ」としていますが、これは仮定に仮定を積み重ねているわけですから、これが許されるのならば、理屈の上ではどんなものにでも口実を作り出すことが出来ます。


そして特に最近、韓国側はこのようなロジックに基く「反日運動」を政府主導で官民挙げて、更に移民した韓国系も政府の音頭で動員し、非常に活発に行うようになってきています。
(ここで定義する反日とは日本人の側から見た反日であって、韓国人はこれを反日とは考えていません、韓国人はあくまで「正しい事をしているだけ」「正しい歴史を世界に教えているだけ」というスタンスです、つまり彼らの考えではこれは日韓友好に影響しません)


そして先ほど紹介した記事のように、それまでは特定の分野に限定されていたこれら活動が、「行為の目的化」により広範囲に拡大しつつあるわけです。
例えば最初の記事を例に出すならば、日本は今でも各国との友好親善の証として桜の植樹を行っているわけですが、今後韓国は上記の理由を大義名分としてその全てにクレームを入れてくる可能性すらあるという事です。


またこのロジックが成り立つのならば、問題はこれだけでは終りません。
韓国で豊臣秀吉は文字通り悪の権化のような扱いであり、どんな形であれ秀吉が肯定的に扱われる事を許しません。
そのため、過去にはこんなクレームを入れてきた事があります。


豊臣秀吉復活させたトヨタのCM、「韓国無視」と非難の声
2011年12月06日11時37分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/204/146204.html
トヨタの新作CMが議論を呼んでいる。自分たちの過去の栄光を取り戻すという抱負を広告に盛り込んだが、主人公の1人が壬辰倭乱(文禄慶長の役)を起こした豊臣秀吉であるためだ。朝鮮を侵略した豊臣秀吉が21世紀に復活するという広告の内容は韓国のネットユーザーらから叱咤を受けている。

トヨタは先月から「Re BORN」という文字が描かれたリボン形のロゴを使用している。これにはしばらく低迷していた企業状況を打開し、再跳躍するという強い意志が込められている。

問題は、「Re BORN」キャンペーンの一環として同時期に公開したCMだ。広告には16世紀の戦国時代の人物の豊臣秀吉織田信長が登場する。CMは全4編で構成され、豊臣秀吉織田信長の2人が2011年に復活し、トヨタの車に乗り日本中を走り回るというあらすじだ。豊臣秀吉役は日本の国民俳優で監督の北野武が務め、織田信長役は人気映画俳優の木木村拓哉が演じた。

豊臣秀吉織田信長は戦国時代にばらばらに分かれていた日本を統一した歴史的人物だ。 豊臣秀吉壬辰倭乱を起こした。広告には壬辰倭乱の場面は登場しない。だが、豊臣秀吉が復活するという設定自体が韓国のネットユーザーらの気持ちを逆なでした。

動画サイトのユーチューブを通じてCMを見たネットユーザーらは、「韓国と日本を不快な関係にした歴史的人物を有名俳優まで動員して美化したことは韓国を無視したもの」「隣国も配慮できない企業が世界市場で再跳躍するというのは矛盾」という反応を見せた。

トヨタ側は論議が起きると現在この広告を放映していないと伝えられた。代わりにフランスの有名俳優ジャン・レノが漫画キャラクターのドラえもんに変身した後続広告を放映している。



これだけでも日本人的価値観でみたらとんでもないわけですが、そこに更に最初に挙げた記事のロジック、つまり少しでも彼らの「正しい歴史」に反する内容に関係していたら、そこに仮定を積み重ねて大義名分とし、官民挙げて反対運動をするという考えが組み合わさったらどうなるでしょうか。


たとえば、京都は戦国時代に荒廃し、その建て直しを行い現在の街並みの基盤を作ったのは秀吉なのですが、上記ロジックならば京都で少しでも秀吉が関わった物に対して、韓国はなんにでもクレームをいれて外交問題にすることが出来ます。


また、たとえば秀吉の朝鮮出兵である文禄・慶長の役、これに参戦した戦国武将の「ご当地」は今現在どれだけあるでしょうか、そしてそれをどれだけの自治体が観光資源としているでしょうか。
歴史の一側面のみに主観的なスポットを当て、そこに仮定の積み重ねをしていいのならば、それこそ「何でもあり」なのですから、どれに対してもクレームを入れることが可能です。


つまり、今現在政府や自治体が行っている外国人観光客の誘致活動、その殆どどれにでも今後大なり小なり何らかの韓国からの横槍が入る可能性が十分にあるという事になります。


こうした韓国人独特のロジックなのですが、以下の記事を読むとその仕組みがよく解ります。


【コラム】阿部信行の「予言」
朝鮮日報 2015/07/20
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/20/2015072001414.html
http://web.archive.org/web/20150721124251/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/20/2015072001414.html(ウェブアーカイブ
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/20/2015072001414_2.html
http://web.archive.org/web/20150721124629/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/20/2015072001414_2.html(ウェブアーカイブ
阿部信行という人物がいた。武士の息子で日本の首相を務めた阿部は、1944年に最後の朝鮮総督として赴任し、朝鮮の少女たちを戦線の慰安婦にするため血眼になった。日本の敗戦後に帰国した際、彼が残したとされる言葉が伝えられている。「日本は負けたが、朝鮮が勝ったわけではない。自信を持って言うが、朝鮮人が正気に返って昔の栄光を取り戻すには100年以上かかるだろう。私たちは朝鮮人に銃や大砲よりも恐ろしい植民地教育を植え付けた。朝鮮人は仲たがいして奴隷生活を送るだろう」。

 阿部信行の発言は「私はまた戻ってくる」という言葉で終わる。この言葉の真偽をめぐってはさまざまな説がある。学界では「阿部信行がこうしたことを言った確証はない」というのが多数派だという。

 阿部信行は韓国人にとって敵(かたき)だが、日本ではエリートであり、忠臣だ。陸軍士官学校を卒業し、陸軍大将・首相を務め、息子は陸軍航空隊員として英国艦隊と戦い死んだ。その阿部でなく、普通の人々がこうした言葉を発していたとしたらそっちの方がかえって恐ろしいが、驚くべきことにその「予言」は的中している。

 阿部信行が言ったとされる植民地教育のせいか、漢字教育を受けていないせいか、そうでもなければ前後を考えず突っかかる国民性のせいか、この阿部信行と安倍晋三現首相に血縁関係があると勘違いしている韓国人もかなりいる。東京の安倍とあの世の阿部はこうした話にクスクス笑っていることだろう。「安倍が韓国人の偉大さを認めた」とぬか喜びした韓国人もいた。阿部発言の核心が「植民地教育→韓国人同士で仲たがい→奴隷のような生活」であることを読み間違えたもので、これは読書率が過去最低水準に落ち込んでいる韓国人の読解力のせいかもしれない。阿部の予言のことは忠清南道礼山の修徳寺で僧侶の翁山師に会った時に知った。
(後略)

※後半は”いつもの”「悪い事は全て他人のせい」という内容です。


この記事を読んで、何か違和感を感じないでしょうか。
文中では「学界では「阿部信行がこうしたことを言った確証はない」というのが多数派だという。」となっているにも関わらず、あったという前提で全ての話が進み、その前提で基く仮定があたかも事実であるかのように語られています。


これが韓国人の「正しさ」の基本ロジックなのです。


彼らの判断基準は主観のみであり、その主観に基き「ひとつの正しさ」を決定し、そしてそれが「かくあるべき姿」となるため、異論やその異論に対する根拠というのは大抵の場合重要視されず、異論があったり「正しさ」に反する内容の根拠があったとしても、客観的判断に基き両論を総合的に判断するという発想のプロセスが無いため、多くの場合異論は些細なノイズ程度の認識にしかなりません。


そしてその一つの正しさ(かくあるべき姿)に基き、主観的に仮定を積み重ねていくため、全てが自分達に都合の良いストーリーとして組みあがっていき、先ほどの記事のように阿部信行がまるで“ラスボス”の捨て台詞のような言葉を発していた事になった挙句、その台詞を前提として仮定を積み重ね、現在の韓国の問題が全て日本の統治にあるかのような論調が出来上がるわけです。


こうした考えがあるため、ある種韓国人にとっての歴史とは「善と悪の戦い」と解釈する事も出来ます。
そして韓国は、この善悪二元論歴史観の前提に基き、今後更なるクレームを日本へと入れ続けるわけです。


このように、日本人と韓国人は思考のプロセスそのものが全く異なっているため、我々の常識前提で彼らのクレームに対処しようとすると、大抵の場合失敗します。
当然のことですが、日本のいくつかのメディアの論調のように、彼らの言分を聞けばそれで事がおさまる訳でもありません、それはあくまで我々の価値観の前提でしか無いからです。


今後は特に、韓国側がこうしたロジックを前面に出してかなり踏み込んだクレームを入れてくることが増えてきますから、彼らの価値観がどんなものなのか、そしてその価値観に基きどんな思考をしているのか、それを知るのが重要となってくるわけです。


たとえそれが国際常識からもかけ離れていたとしても、韓国にとってはそれが常識なのですから。