日韓問題(初心者向け)

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【従軍慰安婦問題】最近の朝日新聞が必死すぎるので突っ込みを入れてみる


さて、今回は従軍慰安婦問題と朝日新聞の関係について色々と突っ込みを入れていく事となります。
先日朝日新聞従軍慰安婦問題関連で大々的に記事を掲載し、所謂吉田清治証言が間違いだったと認めるなど、様々な「言い訳」をしていたのですが、全て読んでみての感想は「突っ込みどころしかないな」でした。
正直感想は草を生やして書いても良いくらいです。


まあそれはそれとして、そもそも吉田清治証言に関しては、現在韓国と日本の支援者達が世界中に広めているヨタ話の一つなので、朝日がそれを嘘と公式に認めるのは意味があるといえばあるのですが、元々この証言は十数年前から嘘が看破され、挙句実質吉田清治本人も嘘と認めた過去がある有様、何もかもが今更で特に新鮮味も何もありません。


そしてむしろ、この一連の記事群の中で注目したのはこちらです。

「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない
http://www.asahi.com/articles/ASG7L6VT5G7LUTIL05M.html
朝日新聞 2014年8月5日05時00分
 〈疑問〉元朝日新聞記者の植村隆氏は、元慰安婦の証言を韓国メディアよりも早く報じました。これに対し、元慰安婦の裁判を支援する韓国人の義母との関係を利用して記事を作り、都合の悪い事実を意図的に隠したのではないかとの指摘があります。

慰安婦問題を考える

 問題とされる一つは、91年8月11日の朝日新聞大阪本社版の社会面トップに出た「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事だ。

 元慰安婦の一人が、初めて自身の体験を「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)に証言し、それを録音したテープを10日に聞いたとして報じた。植村氏は当時、大阪社会部記者で、韓国に出張。元慰安婦の証言を匿名を条件に取材し、韓国メディアよりも先んじて伝えた。

 批判する側の主な論点は、①元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部である義母から便宜を図ってもらった②元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いたという点だ。

 植村氏によると、8月の記事が掲載される約半年前、「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の幹部梁順任(ヤンスニム)氏の娘と結婚した。元慰安婦を支援するために女性研究者らが中心となってつくったのが挺対協。一方、遺族会は戦時中に徴兵、徴用などをされた被害者や遺族らで作る団体で挺対協とは異なる別の組織だ。

 取材の経緯について、植村氏は「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と話す。元慰安婦はその後、裁判の原告となるため梁氏が幹部を務める遺族会のメンバーとなったが、植村氏は「戦後補償問題の取材を続けており、元慰安婦の取材もその一つ。義母らを利する目的で報道をしたことはない」と説明する。

 8月11日に記事が掲載された翌日、植村氏は帰国した。14日に北海道新聞のソウル特派員が元慰安婦の単独会見に成功し、金学順(キムハクスン)さんだと特報。韓国主要紙も15日の紙面で大きく報じた。

 植村氏は前年の夏、元慰安婦の証言を得るため韓国を取材したが、話を聞けずに帰国した経緯もあり、詳しい取材のいきさつは、朝鮮半島問題を扱う月刊誌「MILE(ミレ)」(91年11月号)に書いた。この時期、植村氏の記事への批判はまだ出ていなかった。

 また、8月11日の記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」などと記したことをめぐり、キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず、挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いた――との批判がある。

 慰安婦と挺身隊との混同については、前項でも触れたように、韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した。

 元慰安婦の金さんが「14歳(数え)からキーセン学校に3年間通った」と明らかにしたのは、91年8月14日に北海道新聞や韓国メディアの取材に応じた際だった。キーセン学校は宴席での芸事を学ぶ施設だ。韓国での研究によると、学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた。中には生活に困るなどして売春行為をしたキーセンもおり、日本では戦後、韓国での買春ツアーが「キーセン観光」と呼ばれて批判されたこともあった。

 91年8月の記事でキーセンに触れなかった理由について、植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と話し、「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」と説明する。その後の各紙の報道などで把握したという。

 金さんは同年12月6日、日本政府を相手に提訴し、訴状の中でキーセン学校に通ったと記している。植村氏は、提訴後の91年12月25日朝刊5面(大阪本社版)の記事で、金さんが慰安婦となった経緯やその後の苦労などを詳しく伝えたが、「キーセン」のくだりには触れなかった。

 植村氏は「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」と説明。「そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた」といい、8月の記事でもそのことを書いた。

 金さんらが日本政府を相手に提訴した91年12月6日、別の記者が書いた記事が夕刊1面に掲載されたが、キーセンについては書いていない。その後も植村氏以外の記者が金さんを取り上げたが、キーセンの記述は出てこない。

■読者のみなさまへ

 植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません。91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした。



※本題ではないので文中へのその他突っ込みをここに書いておきます。
慰安婦と挺身隊との混同については、前項でも触れたように、韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した」
と、あたかも現在は韓国も混同していないかのように書いていますが、現在も韓国は世界的に慰安婦と女子挺身隊は同じ物として宣伝しています。


「キーセン学校は宴席での芸事を学ぶ施設だ」や「学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた」と書かれているのもただの印象操作です。
単にキーセンにランクがあったと言うだけであり、最高ランクは王宮で相応の身分の人物のみを相手にしていたと言うだけの事です。
詳細は以下参照


妓生(キーセン) 「朝鮮解語花史」 李能和 著 1927年
 (李能和 1927年に当時の朝鮮総督府中枢院の顧問であった学者)
・李能和によれば妓生の起源は高麗や新羅まで遡るという 。古くは貢女(コンニョ)として元への貢物とされた 。
・高麗時代では宋や外国の使者のために妓生の歌舞でもてなし 、酒食や夜伽の相手も務めた。
李朝では辺境地区を守る兵士たちのためにも軍妓を配置した 。衣服の繕いなど身の回りの世話の他に慰安婦としての役目もあった。
李朝初期に妓生は官妓として制度化された。
・朝鮮の芸者は一牌 、二牌 、三牌 に分けられる 。妓生とは官妓である一牌のことを指す。
・一牌には鍼灸漢方薬の調合を行う薬房妓生や 裁縫の仕事に携わる尚房妓生などがあり 、彼女たちの位は高く官位を与えられた者もいた 。芸妓としての業務も兼ねていた。宮中の宴に出たり、貴賓の供応をしたり、自宅で客を取ったりと、あちこちに出向いて営業した。30歳にもなれば引退して妻妾となったり 、売酒業(実質的には売春業)を営んだりした 。
・二牌になると 妓生の落ちこぼれで格がずっと下がり 、三牌にいたってはほとんど売春婦と変わりなかった。
二牌や三牌は贈り物や人身売買の対象とされることもあった。

日本の芸者との最大の違いは、妓生は世襲制であるという点にある。それを支えていたのが、奴婢随母法であった 。
奴婢の母親から生まれた子どももまた奴婢となる 。妓生の中には前述のとおり官位を持つ者もいたが、それでも卑賎の出であり奴婢には違いなかった 。

 1894年に甲午改革科挙とともに身分制度が廃止され、奴婢制度の廃止、賎民の開放が行われた 。それにともなって王宮の妓生も開放されたが 、生活のために公娼から私娼に転じていった 。


※日本統治地代にあったキーセン学校とは、この廃止された国営の妓生学校が民間に転換したものでしかないわけです。


まずここで植村氏が取材したとする金学順という人物、実は過去に証言が10回近くも変わった事が判明している別の意味での「有名人」でした。
要するに、吉田証言を裏付けのないまま記事にしてしまった虚偽であると認めるのならば、同じく植村氏の書いた記事も「裏付けのないまま書いた虚偽」なのです。
本人が意図していたかいないかは言い訳でしかないですし、そもそもそんな内心の問題は証明しようがありません、弁解としては全くの無意味です。


植村氏の取材能力が一般人以下で、まともな情報収集や裏取りのできない人物なら、今回の朝日の記事のように書いても良いですけれどね。


以下が当時朝日新聞に掲載された問題の記事内容


朝日新聞 1991年8月11日

日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。

尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。
(中略)
女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士ニ、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。



見ての通り、内容的に吉田証言とさしてでたらめさのベクトルに差がありません。


そしてここからが本題です。
記事でも取り上げられている、植村氏の義理の母である梁順任(ヤン・スンイム)が会長を務める太平洋戦争犠牲者遺族会は、朝日の記事中ではあたかも韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)とは無関係であるかのように書かれていますが、実際の挺対協は同団体や韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会などが合同で結成した団体であり、無関係どころか関係者です。


そもそもこの2つの団体は戦後補償問題で以前から一貫して協力関係にあるのです。


まだまだ問題点はあります。
この植村氏の母が代表の太平洋戦争犠牲者遺族会も関係し、植村氏の記事にも登場する挺対協というのは、実は韓国の典型的な親北朝鮮団体なのです。


北朝鮮が仕掛けた「20万人性奴隷」 「親北」公言する韓国の反日団体
MSN産経ニュース 2014.5.24 09:57 (1/3ページ)[歴史認識
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140524/kor14052409570006-n1.htm
 中国・瀋陽で今年3月29日、韓国の反日団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)や北朝鮮の朝鮮民主女性同盟など約20団体が一堂に会した。討論会の主題は慰安婦問題だった。

 「南北の団体が政治的困難を乗り越えて再会し、連帯できたことに大きな意味がある」

 挺対協常任代表の尹美香(ユン・ミヒャン)(49)が討論会の意義を強調すると、北朝鮮代表も応じた。

 「日本の犯罪を総決算するために戦おう」

 討論会では、日本への抗議集会や署名活動を共同で進める決議文を採択した。署名の最終目標は「世界の10億人に慰安婦の真相を知らせる」ことだという。

 慰安婦問題で南北団体が顔を合わせたのは7年ぶり。韓国政府は北朝鮮側との接触を厳しく制限してきた。なかでも挺対協は「北朝鮮工作機関と連携し、北朝鮮の利益を代弁する親北団体」として、韓国治安当局が監視してきた。

 尹は今月20日、ソウルで産経新聞など日本人記者団の取材に対し、「人道主義的な『親北』だと思ってもらえばいい」と北朝鮮との“共闘”を隠そうともしなかった。



更に、この挺対協代表である尹美香の夫(金三石)とその妹(金銀周)は、1993年に日本で北朝鮮工作員接触を持ち情報交換をしていたとして、スパイ容疑で韓国当局に逮捕された過去があるのです。
そして2006年にも同じような容疑で起訴されています。


韓国良心囚を支援する会全国会議のOです。
レイバーネット日本
http://www.labornetjp.org/
http://www.labornetjp.org/news/2007/1170126307480staff01
★【緊急署名にご協力を!!】★

韓国の国家保安法によるスパイねつ造事件です。
崔基永(チェ・キヨン)さんら韓国民主労働党関係者の救援のための緊急署名にご協力 をお願い致します。
(中略)
民主労働党関連者救援のお願い>

 今回の「一心会」スパイ団事件関連で逮捕された人に崔基永事務副総長がいます。こ の崔さんの夫人が金銀周(キム・ウンジュ)さんです。彼女は兄の金三石さんと、1993 年に、権龍夫の東京にあった自宅に3ヶ月滞在したことがあります。
 彼女を知る者として、また朝鮮半島の平和と統一を願う者として、今回の事件を黙過 できないので、何年になるか分かりませんが、救援会活動をしたいと思います。
 当面して署名活動にご協力をお願いします。今後、激励ハガキの取り組みや渡韓活動 も必要になるでしょう。組織体制などは順次整える考えです。東京や大阪の仲間も救援 活動に参加するとのことです。
 道南地域での救援活動に皆さまのご協力・支援をお願いします。(権龍夫)
2006年12月9日
韓国良心囚を支援する会全国会議



ついでに書けば、上のレイバーネット日本と呼ばれる組織、最近はブルドーザーデモやスーツデモ、沖縄の米軍基地反対デモにも顔を出しているので知っている方も多いと思いますが、ここは韓国の親北派や日本の極左過激派と非常に繋がりの深い組織であり、内部的には北朝鮮の外郭団体である朝鮮総連とも繋がっているところです。


段々ときな臭くなってきましたが、要するに朝日新聞や植村氏と従軍慰安婦関連の関係を追っていくと、韓国どころか北朝鮮にたどり付くという事です。
また朝日と北朝鮮の黒い繋がりはこれだけではありません。


2005年、朝日新聞がスクープとして記事にしたNHK番組改編問題、安倍幹事長(当時)などがNHK慰安婦番組にクレームを入れ政治介入して内容を変えさせたと報じた記事なのですが。最終的に裁判となり、そもそも安倍氏らが会う前からNHK内でこの番組が問題になり内容の修正が行われていた事、安倍氏らがNHKの幹部に会ったのは番組放送直前で、その時点からの番組内容の変更など不可能だった事が判明、朝日の捏造ということで決着がついた事件です。


そしてなぜこの慰安婦番組が問題になったのか、ここが重要です。
まず、この番組の作成にあたったNHKの子会社であるNHKエンタープライズ21の池田恵理子プロデューサーは、番組で取り上げた『女性国際戦犯法廷』の運営委員であり、更にこの女性国際戦犯法廷という模擬裁判に検事役として出演していた黄虎男と鄭南用という2名の人物は、後に北朝鮮工作員と判明、日本を含む複数の国から入国禁止措置を取られています。


※ちなみに過去テレビ朝日報道ステーションにコメンテーターとして出演してた朝日新聞加藤千洋
論説委員(当時)は、この工作員と親しい交友関係にあったそうです。
そのため、一時期ネット上でこの人物は「加藤工作員」と呼ばれていました。


つまり、NHKで番組作成を担当したプロデューサーが、自身の所属する政治団体を使い、北朝鮮工作員とともにNHKの番組を使ってプロパガンダ活動を行おうとした、という事です。
これは当然放送法接触する行為であり、NHK内で問題になって当然だったわけです。
要するに政治介入というのなら、当初から北朝鮮政府からの政治介入があったわけです。


この問題のもう少し詳しい内容については、もう一つやっているブログのこちらで書いているので、詳しく知りたい方はそちらを参照してもらうとして、朝日新聞北朝鮮からのNHKへの政治介入を、あたかも自民党からのNHKへの政治介入と印象操作し、北朝鮮プロパガンダに都合の良いようにスクープをでっち上げていたわけです。
ここでも北朝鮮です。


つまり、朝日新聞の行う従軍慰安婦問題とは、常に背後に北朝鮮が見え隠れする、そんな胡散臭い代物なのです。
最近朝日が必死なのは、従軍慰安婦問題に関連し朝日関係者の国会招致という話まで出てきたので、もしそれが実現したら当然朝日と北朝鮮の関係にも言及されることとなり、朝日にとって非常に都合が悪いわけですから、「吉田清治の証言を嘘と認めるからこれで手打ちにしろ」と必死になっている。
そんな背景もあるという事です。


余談になりますが、このブロマガを以前から読んでくれている方は梁順任(ヤン・スンイム)という名に見覚えないでしょうか。
以前何度か紹介した、韓国政府が日韓基本条約の交渉過程で日本側が提案した個人保証を拒否したと言う内容、この告発を韓国の国会で行ったのがこの人物です。


この人物も所謂韓国左派=親北派の一人なので、韓国政府を攻撃できる事なら何でも材料にするのです、この情報はその過程で出てきたわけです。
そして勿論、太平洋戦争犠牲者遺族会と深いつながりのある朝日新聞や植村氏は、この事実を知っています。
知っていて「日本は戦後補償をしていない」なんて記事を書いているわけです。