日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

親韓・反嫌韓の意見がネットで支持されない4つの理由


さて、今回はメディアなどを中心として起きている親韓や反嫌韓の論調が、なぜネット上で全く支持されないのか、それを4つの要因に分けて説明していきます。


2015年10月22日20時21分追記
※注:ここで書く親韓とは、本当の意味で韓国との関係を考えている人達ではなく、単に自分達の思想や利害のために韓国と関わっている人達、俗に韓国人から「良心的日本人」と呼ばれている日韓友好論者の事です。
メディア等で日韓友好を訴えている人は殆どがこのタイプの人々です。


1:客観性が無い
これはこの件に限ったことではないですが、第三者に自分の意思を伝えて納得してもらうためには、主観的な根拠だけではなく、具体的な客観的根拠が必要となります。
親しい友人関係や家族なら主観的な意見だけでも良い場合もありますが、広く自身の意見を伝えて納得してもらうためには、客観的に誰でも状況を把握できる根拠がなければお話になりません。


例えばこのブロマガでは韓国の最大の問題は蔑視ありきの自民族中心主義であり、反日はこの自民族中心主義が最もわかりやすい形で表面化したものでしかなく、韓国人のこの価値観を韓流を通じて知った日本人が漠然と嫌悪を感じたのが嫌韓の正体であるとしています。


それを客観的に説明するために、ワシントンポストが行った世界各国の排他性調査の結果国連人種差別撤廃委員会からの是正勧告国際教育委員会による共生・調和能力をしめす社会的相互作用力指標の調査などから、韓国人の中に広く非常に強い異文化や異人種・異民族への蔑視感情や排他性がある事を証明し、更にその原因として韓国の大学教授からの指摘であるこちらこち更に韓国の小学校で使われている国定教科書を根拠として、この排他性は教育によって出来上がった蔑視ありきの自民族中心主義が影響しているとの証明しているわけです。


これが一般化できる客観的根拠なのは、ソースの一つ一つも勿論重要ではあるのですが、更に重要な事として、国や立場がそれぞれ異なる組織や個人の調査結果や意見が、パズルのピースのように合わさり相互補完し、「韓国人は強い排他性を持っている」という事を指し示しているからです。


これに対し、親韓の人達は「ソースが信用できない」とか「ソースが偏っている」とか「そんなものは一部の例、良い韓国人もいる」とか「ソースの解釈が間違っている」とか反論しますが、肝心のそれを証明する客観的かつ具体的な根拠がありません、言いっ放しです、それら意見は全て極々主観的で他者を納得させるだけの根拠が薄弱なのです。
ソースを批判するのはいいですが、これではお話にならないわけです。


2:ダブルスタンダード
さて、上で挙げたように韓国人の問題点を指摘するために客観的に証明でき、尚且つ一般化できるソースを提示しても、親韓の人達は「それは一部の例に過ぎない、一部の例を全体に当てはめて差別している」と「主観的に反論」するわけですが、メディアに登場する嫌韓批判はどうでしょうか。


最近非常に典型的なサンプルがメディア報道に登場したので、せっかくですからそれを使って説明しましょう。

ネトウヨの多くは「バブル末期世代」 不遇が「愛国」に走らせたのか?
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1168988
ネット上で右翼的な発言を繰り返す通称「ネトウヨ」について、投資家のやまもといちろう氏が、世代的に大きな偏りがあることを明かしている。

東洋経済オンラインのインタビューによると、2012年に右翼系動画サイト「日本文化チャンネル桜」のユーザー層を調査したところ、42歳から46歳の世代に「でっかいボリュームゾーン」があったという。

この世代は、1966年~70年生まれのいわゆる「バブル世代」末期に当たる。このことが、右翼的言動と何か関係があるのだろうか。
就職時を頂点に、一貫して急降下し続けた世代

調べてみると2012年に「42~46歳」だった層は、学生時代にバブルを謳歌した世代といえるようだ。大卒の求人倍率は2倍を超え、第一次就職氷河期に当たる70年生まれの卒業時(93年)でも1.91倍あった。

彼らはちょうど団塊ジュニアのひとつ上世代に当たる。親世代は高度成長期の恩恵を受け、バブル期には社内で重要なポジションを占めており、バブル世代も子どもの時から豊かな生活を満喫した人が多かったに違いない。
(後略)


まず、この記事の根幹となるのは「42~46歳の世代がネトウヨの中心世代であり、バブルを満喫しながら急に落とされたことで社会に不満を感じていることが原因」としています。
そしてこの世代が中心である根拠として、チャンネル桜の登録者の年齢層が多い事を挙げているのですが、まず重要なのはチャンネル桜の登録者の状況を広く一般化できるかどうかです。


そこで、2013年の内閣府による各国の好感度調査から、韓国の項目を見てみましょう。


平成25年(2013年)内閣府世論調査 外交 
韓国
http://www8.cao.go.jp/survey/h25/h25-gaiko/zh/z13.html

年齢別グラフ

(クリックで拡大します)

どちらかというと親しみを感じない
20代 26.8%
30代 30.5%
40代 32.9%
50代 33.9%
60代 32.1%
70歳以上 31.0%

親しみを感じない
20代 15.9%
30代 25.3%
40代 18.3%
50代 22.8%
60代 33.2%
70歳以上 33.5%

推計グラフ
http://www8.cao.go.jp/survey/h25/h25-gaiko/zh/z14.html


(クリックで拡大します)


見ての通り、韓国に対して「どちらかというと親しみを感じない」は20代が少し低いだけで他の世代にそこまで大きな差はありません。
また「親しみを感じない」のほうでは、むしろ40代は比較的他より数字が低い事がわかります。


要するに、この記事は単にチャンネル桜の登録者の年齢層を指し示しているだけで、所謂「ネトウヨ」や嫌韓の年齢層を指し示し一般化できるような根拠を持っていないわけです。


なぜこんな事になるのかと言えば、それは「結論ありき」で思考しているからなのですが、ここで重要となるのはその結論ありきの結論とは何なのかです。
それはこの記事に限らずメディアが行う嫌韓ネトウヨ批判全てが該当するのですが、「自身の不幸な境遇を韓国などに転嫁して“八つ当たりしているだけ”」という結論が先にあり、その結論に合うようにソースを探すから、根拠が薄弱な記事が出来上がるわけです。


ここでダブルスタンダードの話に戻るのですが、嫌韓というのは自身の不幸な境遇を嫌韓に転嫁しているだけなのでしょうか?中にはそういった人もいるかもしれませんがそれを客観的に証明するすべはありません、勿論それはとても一般化できる代物ではありません。


以前から書いていますが、日本人の一般的な価値観では蔑視ありきの自民族中心主義は嫌悪しか感じないのが当たり前です。
自身の持つ一般的な価値観に沿って嫌悪を感じたものなのですから、自身の境遇なんてものは一般的にはまるで関係がありません。


つまり、韓国批判を「一部の例を全体に当てはめて差別するな」と言っている側が、文字通りメディアを使って「一部の例を全体に当てはめて」蔑視しているわけです。
これでは支持などされなくて当たり前でしょう。
そして、このことはメディアを使って行われる嫌韓ネトウヨ批判ほぼ全てがこれに該当するので、当然一般化できる事例です。


3:反論に詰まると「差別」とレッテル貼りをする
これはもう書いた通りであまり説明する事も無いのですが、そもそも蔑視ありきの自民族中心主義を嫌うのは差別なのでしょうか?
反日を日常的な娯楽として「楽しむ」様な人達に悪い感情を持つのは差別なのでしょうか?


にも拘らず、韓国を擁護する人達はどのような問題を指摘しても最終的に「韓国人を嫌うのは差別しているからだ」という結論にもって行こうとします。
或いは、在特会のようにとても一般化できないような集団を一般化して差別問題へと摩り替えます。


2で挙げた事例でも、結局これは「自身の境遇を韓国人を差別する事でうさ晴らししているのだ」と、本来一般化できないような情報を一般化できたかのように印象つけて差別問題に摩り替えています。
結局は、結論ありきで思考しているために現実との間に矛盾が発生し、その矛盾を強引に補正するために「差別」という単語を使っているだけなのです。
相手を差別主義者だとしてしまえば、安易な大義名分が出来るので簡単に思考停止できてしまいますしね。


本来差別と言うのは、具体的な根拠が無いにも関わらず、ただ漠然とした偏見で相手を嫌悪する行為のはずです。
原因がはっきりしており、明らかに相手に落ち度があるものはそもそも差別とは呼ばないのです。
それでも気に入らないと言うのならば、レッテル貼りなどせず一般化できる具体的かつ客観的な根拠を提示して反論すればいいわけです。


4:頑なに問題の存在そのものを認めない
これは今までに挙げた3つの原因の集大成ともいえるのですが、韓国を擁護する人達は韓国のあらゆる問題そのものを認めません。
反日は一部の例」「起源主張をしているのも一部の例」「蔑視ありきの自民族中心主義も民族主義も一部の例」、一部の例とは言いますが、そもそもその根拠は一切提示しないか、或いは個人的な感想を根拠とします。


こうして問題そのものを認めないので、当然「なぜ嫌韓が発生したのか」も原因を全く理解しようとしません。
結果、正しく原因を導き出せないものだから、「自身の境遇を嫌韓に転嫁して八つ当たりしているのだ」という奇妙な結論が登場し、それがメディアによって安易にテンプレ化しているわけです。


原因があるから結果があるのですが、その原因を頑なに極主観的な視点で思考停止して否定してしまうがために、最終的に「差別だ」という結論にしかたどり着けず、結果現実が見えずにネット上で全く支持されないという悪循環なわけです。


そして実は、このテンプレ化は2004年頃から既に始まっていました。
当時、共同通信の記者が「嫌韓厨」という言葉を使って嫌韓を批判する記事を書いた事があるのですが、それが以下の記事です。


※2004年3月22日、共同通信配信で東京新聞中国新聞などの地方紙に掲載された記事がネット上に画像として掲載され、それを文字起こししたのが以下の引用です。

ネットで横行
「ネット上に『嫌韓厨房』と呼ばれる連中がいる。韓国が嫌いな『厨房=中坊』、つまり『中学生ぐらいの知識しか持たない坊主』の意。 彼らは、何度も日本が謝っているのに謝罪を求める韓国はひきょうだ!などと書き込む。それがW杯以降増え、『日本は素晴らしい』という気分に結びつく」と 評論家の荷宮和子が言う。
 ネットの横行するナショナリズム。荷宮は著書「声に出して読めないネット掲示板で、「嫌韓」「在日うざい」「これだから女は」「低学歴、必死だな」などの「反朝日・反サヨ(左翼)」的な言葉を挙げている。
 いわば戦後民主主義的な「韓国、在日、女性、学歴などへの差別批判」がきれいに反転した形だ。社会学者の北田暁大は「『何となくナショナリズム』とも言うべき気分。思想の実質は <<<ここは切れて読めない>>>言葉を語る欲望だけが噴出している」という。

空念仏と認識
  昨年、雑誌「世界」に載せた論文「嗤う日本のナショナリズム」が話題になった北田。一九八〇年代のテレビから今のネットに至るメディア空間で、「お約束を 嗤う内輪空間」が成立したと指摘。それがいつしか「嗤い」を媒介に、内輪のコミュニケーション形成が自己目的化する過程を分析した。
 戦後民主主義的な価値観が、なぜ「お約束」と<<<ここは切れて読めない>>「彼らにとって平和や民主主義といった理念は、学級委員のきれい事にすぎない。
自分たちを建前や絵空事でなく、本音を語るタフな現実主義者と考えたがっている」
と北田。

  荷宮はそこに、社会に広がる「負け組」」の不安を見る。「自分をひとかどの人物と思いたいがため、自分より弱い存在をけなし強さを気取る。そこから露骨な 差別主義、強い日本にあこがれる心理が出てくる。 従来のような素朴な反戦主義を一言で言えば、<<<ここは切れて読めない>>> いされかねない空気が 充満している」
(中略)
「最近リアリズムという名の下に。歴史や過去の由来といった大きな状況を切り離し、『今』だけを見詰めてよしとする思考が、日本のあらゆる局面を覆っているように感じる」と言うのは、精神科医香山リカ
 香山リカは「プチナショナリズム症候群」で、若者が屈託なく「ニッポン!」を叫んだW杯以降の「屈託も重みもない愛国主義」を指摘した。
  「私は日本で生まれたのだから日本が好きなのは当たり前とか、日本が攻撃されそうなら守るのは当たり前1-といった形を取る。現実主義というより余りにも 底のない素朴な正論で、議論にもならない、それは若者ばかりでなく、あらゆる層に広がる。例えばカジュアルな服装を好むが収入は多い、新しい知識層。  「彼らは一見、とても柔軟でスマートだが、自分たちとは異なる層への警戒感が強く、安全の確保に熱心。 やはり日本は強い国であって欲しいとか、他国にヘコヘコしていてはダメだという意見が、あっさりと出てくる」
(後略)

(敬称略・金子直史=共同)


見ての通り、根本的に現在行われている嫌韓批判と全く変わりません。
結局、彼らはこの10年間問題を全く見ようとせず、自身が作り出した都合の良い敵としての相手をたたき続けてきただけなのです。
当然これでは支持などされるわけがありません。



最後に
たしか2003年頃だったと思うのですが、ネット上のどこかにうろ覚えですがこんな事を書いたことがあります。
嫌韓はなくならない、なぜなら嫌韓が発生する原因が無くならないからだ、だからこれからも嫌韓はどんどん増え続け決して減る事は無い、原因を解決しようとする意思が無いのだから当たり前だ」と。


11年前に嫌韓批判をする人に向けて書いた内容なのですが、今から思うと結局この時私が書いたことは現実になったなとあらためて実感します。
彼らは10年以上も問題から目を逸らし続けてきたのです、これは当然の結末と言って良いでしょう。


その間、嫌韓となった多くの人達が地道にソースを集め分析し研究し続け、それをネットを通じて拡散し共有し、結果その成果物を私も活用しここでこのブロマガを書いているわけです。
ここまで蓄積の差がついたら、現実を無視した小手先の擁護でどうにかなるような代物ではないわけです。
今後も、問題を直視できない「彼ら」が大きく支持を集める事は決してないでしょう。