日韓問題(初心者向け)

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韓国社会の「主観的・絶対的正しさ」の概念について改めて考察


さて、本日は過去にも何度か言及したことのある韓国社会独特の「主観的・絶対的正しさ」について、文政権を観察していて新たに解った事もあるため、改めて考察していきます。


以前から書いているように、韓国社会には原則として根拠に依存しない「絶対的な正しさ」というものがある事になっており、彼らの社会ではこの「正しさ」が「国民情緒」とか「民族情緒」と呼ばれ、条約や法・憲法よりも上位に来る概念とされている。


ただし、この韓国的な「正しさ」は主観によって決定されるため、実態としては一枚岩ではない事は以前から書いてきたが、実はこの正しさの概念は2種類存在しており、公(おおやけ)の概念の希薄な韓国社会における公(おおやけ)の代わりとして重要な役割を果たしている。


それは「権威」=正しいという概念で、これは個々のもつ「主観的正しさ」とは分離された上位の概念であり、ある意味韓国では「いかにして個の正しさを権威としての正しさに昇格させるか」が重要となっている。


※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。



1:「正しさ」が単体の概念として独立


まずはこちらの記事から

新国家安保室第2次長 慰安婦合意巡り「まだ決定ない」=韓国
聨合ニュース 2017/05/24
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/05/24/0200000000AJP20170524004400882.HTML

【ソウル聯合ニュース】韓国の青瓦台(大統領府)国家安保室の第2次長に任命された金基正(キム・ギジョン)延世大行政大学院長は

24日、北朝鮮との対話に必要な「最低条件」について、「ひとまず北朝鮮がこれ以上挑発を行わないようにしなければならない」と発言した。

 金氏はこの日、国家安保室2次長内定の一報が伝えられた後で報道陣に対し「今すぐには(北朝鮮との)対話の方向に進むのは難しい」との見解を示した。

 また、北朝鮮との対話再開の条件が整えられなければならないとし、「エンゲージメント(関与)に関する米国の立場もあるため、その方法と時期、条件などをわれわれが先に考えておくのもよいだろう」と述べた。

 その上で「南北対話は今すぐに行うと決めることはできない」とし、「(対話)条件をどのような方法で設定するかは韓国政府が慎重に(考えねばならず)、特に米国との政策調整と協議を通じて条件に関する議論が必要ではないかと思う」と説明した。

 南北経済協力事業の開城工業団地金剛山観光の再開に関しては、「それはその次の問題だ」との立場を示した。

 一方、旧日本軍の慰安婦問題について、2015年の韓日合意の再交渉を要求する方針かとの問いには「まだ決定していない。(現在は)政策レビュー(検討)期間だ」として、「人権や普遍的な価値の観点から政策検討をしなければならない」と述べた。

 ただ、「歴史問題、傷の問題に関しては政府間の合意により『悲しみはもうやめよう』とするには少し抵抗がある」と指摘した。慰安婦合意が外交手段を通じて同問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を図ったことは不十分との認識を暗に示したものとみられる。

 金氏は「歴史問題を(政府間レベルと分離された)『トラック2』に置こうということ」として、「歴史問題の見方や解決方法において、もしかしたら政府の役割は補助的なものかもしれない」との意見を述べた。

 金氏は大統領選の際、文在寅ムン・ジェイン)大統領の外交・安保分野のブレーンとして活動。文在寅政権で事実上の引き継ぎ委員会の役割を担う国政企画諮問委員会の外交・安保分科委員長を務めてきたが、この日国家安保室第2次長に任命された後、委員長を辞任した。


上記記事でも言及されていますが、最近韓国では慰安婦合意関連で「普遍的な価値」という言葉が頻繁に登場します。


日本人的価値観ですと、これは慰安婦問題とセットになっていることから女性の人権問題の事なのだろうと連想するわけですが、記事では「人権や普遍的な価値の観点から」となっており、人権とは別である事が解ります。


ではこの普遍的な価値とは何かといえば、韓国的価値観における「主観的・絶対的正しさ」そのものの事であり、具体的に何が正しいといった事ではなく、概念的な「(自分は)正しいのだから正しい」という発想に基いています。


要するに韓国社会においては、「正しい」という独立した概念が存在しており、個々に正しさを判断するのではなく、既に「そこに存在する」正しさに沿った判断だから「正しいのだ」という解釈が行われているわけです。


「正しい」ありきなのです。


そして、この「正しい」という概念があくまで個々の主観に基いているため、一見すると一枚岩でも実は個々の発想に違いがあり、そのためかつて韓国で慰安婦の定義の問題で検察に起訴された朴裕河教授のような事例が発生するわけです。


(朴教授は中央大学の吉見教授や朝日新聞などの主張する慰安婦の定義を支持しており、韓国の慰安婦団体である挺対協や韓国世論などは、「軍や国の方針としての命令で日本人の軍人や官憲が行った女性の拉致」を慰安婦の定義としているため、朴教授の主張は慰安婦への名誉棄損であるとされました)


そしてこの「正しい」という概念は、個々の事例を一つ一つ正しいか間違っているかを検証するものではなく、「自分は正しい」という発想を絶対視する考えに基いているため、同じ行為に対する評価でも状況次第で180度異なるものになる事例が頻繁に発生します。


例えば以下の事例の場合


元駐韓日本大使 韓国非難する書籍出版=文大統領を反日と主張 聨合ニュース 2017/05/29
元駐韓日本大使「文在寅氏は最悪の大統領」、嫌韓本出版へ 朝鮮日報 2017/05/29
嫌韓本を出した元駐韓日本大使「最悪の文大統領、北朝鮮のことしか頭にない」 中央日報 2017年05月29日
「韓国人に生まれなくて良かった」 東亜日報 May. 29, 2017



最近日本の元駐韓大使である武藤正敏氏が、『韓国人に生まれなくて良かった』という本を出版することとなったわけですが、その中で文大統領を「北朝鮮の事しか考えていない」とか「反日である」とか「経済の素人である」等と書かれているとして、特に東亜日報ではかなり辛辣に武藤氏の事を批判しています。


しかしこうした文在寅大統領評は、「元々韓国三大紙が行っていた文在寅評と同じ内容」であり、当然彼ら自身がそう評しているのですから、彼らが「それは間違っている」と批判しているわけではありません。


これは要するに、韓国三大紙の記者達は(ウリとナムの概念に基いて)「自分は正しい事をしている(ウリ)」という前提で文大統領批判をしていますが、日本人はこの「正しさ」を持ち合わせていない(ナム)ため、「韓国の大統領を日本人が貶すなどけしからん」という発想になっているわけです。


「正しさ」という概念が個別の事例に依存せず、「単体」として独立した概念であるからこその事例といえるでしょう。
そしてここまでは以前も言及してきた韓国独特の正しさの概念の延長線上の内容です。

またこれは以前書いた「真正性」とほぼ同じ概念です。


2:2種類の正しさ


しかし実は、上記概念だけでは韓国の「主観的・絶対的正しさ」を完全には説明できず、いくつか矛盾も存在してしまっており、以前からどういう事なのか疑問を持っていました。


たとえばかつて盧武鉉政権時代に、1965年に締結された日韓請求権関連協定の締結過程において、日本政府側が個人に対する保証について提案したところ、韓国政府が個別請求権を放棄し政府による一括請求を求めたという事が発覚し、世論が政府批判に向かいました。


「韓国政府、韓日会談で個別請求権放棄」 朝鮮日報 2004/09/17


が、盧武鉉大統領が「国対国の補償は終わったが、個人に対する補償は別」と主張すると、かつて韓国政府が日本側からの個別保証の提案を断って一括保障を要求した背景が「無かった事」になり、世論が一気に「日本が保障すべき」という意見に向かいました。


「日本の姿勢は受け入れられない」首脳会談で盧大統領 聨合ニュース 2005/11/18
【韓日会談文書公開の世論調査】「被害者の追加補償、日本が負担すべき」43% 中央日報 2005.01.18


この事例の場合、当初「正しさ」が「個別保障提案を拒否した韓国政府の劣等性」に向かっていたにもかかわらず、そこから新情報も無く状況が何も変わっていないにも関わらず、盧武鉉大統領の一言でいきなり「日本が悪い」に変わってしまったのです。


こうした事例は、「正しさが独立した概念であり、個々の主観によって判断されている」という考え方のみでは説明できません。


そこで注目したのが大統領という「権威」です。


以前書いたことがありますが、韓国には「公(おおやけ)」という概念が非常に希薄であり、そのため日本だと「自分勝手」と定義されるような行為が頻繁に発生すると書いたわけですが、もしかすると「権威」が日本における「公」の概念の代わりとなっており、権威=正しいという構図があるのではないかと考えました。


以前の説明では、序列の上位者の正しさを下位者が「本人の意向に関係なく受動的に受け入れる」という解釈でしたが、今回の解釈の場合では権威だからという理由で下位者が能動的に上位者の正しさを支持するという違いがあります。


だからこそ、最初の武藤元駐韓大使の事例や、先ほどの日韓請求権関連協定の事例のようなことが起きるのではないかと考えました。
権威は正しいからです。


勿論日本にもこうした権威主義的な考え方はありますが、一度批判に向かった世論が、権威の一言で何の状況変化も根拠もなしに180度考えを変えるといったような極端な事例はありません。


どのようなものであれ、必ず考えを変えるための根拠が必要になります。


この考え方で現在の文在寅政権を観察してみると、一見すると不自然に見える現象に秩序が見えてきます。


例えば、彼は大統領選出馬前と出馬後と当選後で、慰安婦合意やTHAAD問題での考えを次々と変えています。


慰安婦合意では


慰安婦合意:韓国最大野党「政権執ったら『なかったこと』にする」 
朝鮮日報 2015/12/31
http://web.archive.org/web/20151231010333/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/31/2015123100717.html

[ニュース分析]慰安婦合意で逆風…朴槿恵外交の不祥事へ 
ハンギョレ新聞 2015.12.30
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/22922.html

慰安婦合意:再交渉訴える野党に韓国大統領府「最善を尽くした」 
朝鮮日報 2016/01/01
https://web.archive.org/web/20160103030734/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/01/01/2016010100569.html

上記記事で文在寅氏は慰安婦合意について、

「今回の合意は、国民の権利を放棄する条約や協定に該当するため、国会の同意を得なければならない」

「我々はこの合意に反対する。国会の同意がなかったため、無効であることを宣言する」

「政府は10億円で我々の魂を売ってしまった」

「そのお金を受け取らずに、我々が慰安婦のおばあさんたちを守ってさしあげよう。おばあさんたちのための財団設立資金100億ウォン(約10億円)の国民募金運動を提案する」

と主張しています。


再交渉とは主張していますが、この時点では文氏は「合意そのものが無効である」「なかったことにする」という前提での再協議ですから、事実上合意の破棄を前提とした交渉という事になります。


それが最近の以下の記事のように

慰安婦合意で韓国新政権が初の公式見解 「現実認め賢く克服を」 
聨合ニュース 2017/05/29
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2017/05/29/0400000000AJP20170529003300882.HTML

「(韓国)国民の大多数が情緒的に受け入れられていない現実を認め、両国が共同で努力し、問題を賢く克服していくことを望む」


と、無効どころか再交渉すら主張しなくなっており、以前も説明したように「日本側から再交渉して欲しい」と要求するような態度になっています。


またTHAAD問題に関しても

文在寅氏、「利益より損失が大きい」と THAAD配備の見直しを主張
東亜日報 July. 14, 2016
http://japanese.donga.com/List/3/all/27/538180/1

「政府はTHAAD配備決定を見直し、公論化しなければならない」
国益の観点から見て、(THAAD配備は)利益よりも損失が大きい」
「THAAD配備は韓国の財政負担を伴うため国会同意手続きを踏むことが望ましい」


と、配備白紙化を前提とした主張をしていました。
しかし去年の8月になると

文在寅氏、「THAADが現実のものとなっても…」微妙な変化 
東亜日報 August. 10, 2016
http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/710494/1

「今、韓国外交の最優先課題は、THAAD配備問題で中国との関係が悪化することを防ぐこと」


と白紙化前提の主張から後退し始め
選挙1ヶ月前になると


文、THAAD配備の可能性初めて言及…安「THAAD右偏向」加速化
ハンギョレ新聞 2017.04.12
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27040.html

「どちらかに立場を決めて次期政権に引き継がせようというわけではない」
「次期政権に決定を委ねれば、THAAD配備を一つの切り札として、北朝鮮の核問題解決に向けた様々な外交的カードとして使うこともできるということ」


とさらに曖昧になり、ハンギョレ新聞は「かつて原点から再検討と主張していたのに話が違うではないか」と批判しています。


そして現在は、以前から書いているように「米韓首脳会談後まで棚上げ」と問題そのものに言及しなくなり、どっちつかずの態度を続けています。


興味深いのは、文政権がこの状態であるにもかかわらず、韓国世論は慰安婦合意もTHAADも白紙を前提とした再交渉や再検討を求めており、しかもその状態で文大統領への支持率が上がっているのです。


韓国民の7割、韓日「慰安婦」合意の再交渉を 人民網 2017年05月25日
「THAAD配備再検討すべき」56.1% ハンギョレ新聞 2017.05.16
文大統領「うまくやる」が88% 韓国世論調査 聨合ニュース 2017/05/26


「個々に正しさが存在する」というだけならば、この状態ではむしろ支持率は落ちるはずであり、逆に支持率が上がるという事などありえないのですが、権威=正しいという前提が存在するとすると、この現象も矛盾が無くなるわけです。


どのような主張をしているかで正しさが決まるのではなく、「権威だから正しい」と判断されているということです。


3:「公」の代わりとしての権威=正しさ


今回書いたように、韓国社会における正しさとは個々の正しさをベースとして、その上位に権威としての正しさが存在しているという構造が見えてくるわけですが、ではそれで終わりかといえばそれだけではなく、この権威としての正しさが「公(おおやけ)」の概念の代わりとなっているのではないか?と考えています。


どういう事かというと、以前から書いているように韓国では「公」の概念が希薄であり、自身と自身の利益に近しい人々をウリ、遠い人々をナムと区分けする概念が存在するわけですが、権威としての正しさがこの韓国内でウリの範囲を広げる役割を持っているのではないかという事です。


つまり、個人の主観としての正しさを、例えば大統領に当選する等して権威としての正しさに昇格させれば、その正しさは韓国内で「ウリの正しさ」となり、日本における「公」と同じような役割をするのではないか、と考えたのです。


正しい=権威=(公共に相当する)ウリの利益というわけです。
(※「正しい」の概念が私達とは大幅に異なっていることがポイントです)


だからこそ韓国では韓国人達が「韓国にはデモの文化がある」と主張する程デモが多く、現在も文政権に対して様々な団体が「要求を飲ませよう」としているのではないでしょうか。


【社説】「見返り」求める支持団体、試される韓国新政権 朝鮮日報 2017/05/26 (1/2ページ) (2/2ページ

自称「政権交代の立役者」全教組、新政権におねだり攻勢 朝鮮日報 2017/05/25 (1/2ページ) (2/2ページ


上記では、かつて韓国の裁判所で「違法」とされた団体などを、司法の判断を飛び越えて政府が合法と認めよと要求しているわけですが、私達の常識からすると三権分立を無視したとんでもない要求です。


しかし、「正しい=権威=(公共に相当する)ウリの利益」という構図が成り立つのならば、この司法の独立性を無視したような要求も「あり」となるわけです。
権威が決めたのだから「ウリにとって正しい」行為だからです。


これらはあくまで私が文在寅政権を観察して得た仮定でしかないですが、こう考えると彼らの「正しさの矛盾」が解消されるのです。
日本人の常識からすると最早「異次元の考え方」ですが。



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