日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

日韓友好は無理解と誤魔化しで出来上がっている


さて、今回はメディアなどでもよく取り上げられる日韓の関係改善や友好と呼ばれるもの、それを成立させるために行われている様々な事柄の大部分が、日本人と韓国人の「違い」に対する無理解と、都合の悪い情報をなかった事にしてしまう誤魔化しで出来上がっているという内容となります。


今まで書いてきたように、日本人と韓国人との間には、価値観やあり方にかなり大きな隔たりがあるわけですが、韓国との友好を訴えるメディアや様々な団体のほぼ全てで、この違いについてまともに取り上げるところがありません。


また、もし真に友好を考えるのならば、韓国人が日本の何を問題としており、どんな主張をしているのか、その部分も具体的かつ正確に把握して解決策を提示していかなければ本来はお話になりませんが、現実にはそれすらできていないにも関わらず、友好や関係改善を訴える人々ばかりです。


私個人の意見としては「日韓は価値観があまりにも違いすぎるため、本質的に相互理解が不可能であり、個人の関係を超えたレベルでの友好は不可能」との考えなのですが、勿論それに異論がある人がいてもかまいません。
ただしそれは「隔たり」の解決策を具体的に提示できる場合に限りますが。


これを踏まえたうえで、まずは以下の記事から。


(社説)検定発表 教科書はだれのものか
朝日新聞 2015年4月7日
http://www.asahi.com/articles/DA3S11691787.html
教科書は、国の広報誌であってはならない。
来春から中学校で使う教科書の検定結果が発表された。
文部科学省は今回の検定から新しいルールを用いた。

教科書編集の指針を見直し、領土問題について日本政府の考え方を書くよう求めた。

検定基準も、慰安婦や戦後補償など政府見解がある事柄はそれに基づいて記すよう改めた。自民党の意向に沿ったものだ。
これまでの検定は、教科書会社が書いてきた記述を前提に判断する姿勢だった。それを具体的に書かせる方向に転換した。

結果はどうだったか。

領土問題は、社会科の全社が扱った。「日本固有の領土」「竹島を韓国が不法に占拠している」など編集の指針をなぞる社が多い。相手国の主張や根拠まで扱った本はほとんどない。

これでは、なぜ争っているか生徒にはわからない。双方の言い分を知らなくては、中韓やロシアとの間で何が解決に必要かを考えるのは難しいだろう。

文科省は答えが一つでない問いについて、多様な人々と話し合いながら解決の道を探る力を育てようとしている。その方向とも相いれない。

社会科の教科書は、国が自分の言い分を正解として教え込む道具ではない。
子どもが今の社会や過去の歴史、国内外の動きを理解するのを助けるためにある。
政府の見解を知っておくことは悪いことではない。ただ、それは一つの素材に過ぎない。

例えば戦後補償問題の場合。戦争で被害を受けた人々の証言、彼らの生きた戦後、中韓や欧米、国連の動きも併せて紹介し子どもが考える。そんな教科書が求められるのではないか。
どんな教科書をつくるかは、出版社が判断することだ。国の検定は控えめにすべきである。
政府見解は絶対的なものではない。時の政権で揺れ動く。
検定でそれを書くよう強いれば、合格がかかるだけに教科書会社や執筆者は萎縮し、政府の主張ばかり記すようになる。

教育内容が国に左右される危うさを、この社会は先の大戦で痛感したのではなかったか。
教科書を選ぶ作業が、これから各自治体で始まる。
今月から、自治体の長が設ける「総合教育会議」の制度が始まった。首長の教育への関与を強める狙いだ。
だが、教科書採択はあくまで教育委員会の権限である。
我が街の子どもに、どの教科書がふさわしいか。教委は教育の視点でこそ選んでほしい。



まずそもそも、「韓国側の主張」というものには実際のところまるで意味がありません。
ソメイヨシノ韓国起源説で説明したのと同じ事で、彼らは誰も検証しないまま様々な説を出し続けているので、説同士が相互矛盾する事が日常茶飯事であり、政府見解すらも安定しません。


また、韓国の教科書にしても説自体がこの有様なので、年代や学年によって書いてある事が異なるというのも「よくある事」です。
更に書けば、韓国の小学校と中学校の歴史教科書は国定一種類であり、朝日の記事にある「教育内容が国に左右される危うさ」を体現したような代物です、つまり朝日風に書けば「国の広報誌」です。
そこに書かれた記述をそのまま併記するのでしょうか?


そもそも、以前も書きましたが韓国の竹島に対する領有根拠がこの状態なのは、彼らの価値観では根拠というものを軽視するからです。
彼らの中には「絶対的正しさ」というものが存在する事になっており、それは疑問や疑いを持つような類の物では無く、根拠というのは絶対的正しさの「オマケ」程度のものでしかありません。


ですから、主張に一貫性が無かろうと、明らかに間違いがありそこを指摘されてもどうでもいいのです。
突っ込みがあったらあったで、また新たな説を持ってくればそれでいい、その程度の認識のものだからです。


朝日の記事で想定されている「相手国の主張や根拠」というものは、あくまで日本人の価値観における前提での主張や根拠です、そういったものに価値を見出していない人々の主張や根拠を、日本人の価値観の前提で紹介して一体何の意味があるのでしょうか。
朝日のこの記事を書いた記者は、韓国のことをまるで知らないか、或いは知っていて誤魔化し政府批判に都合よく利用しているか、そのどちらかとしか思えません。


また戦後補償問題にしても、この記事では実態を何も把握していません。
それを知ってもらう上で非常に興味深い記事が最近あったので、まずそちらを


[注目!この人] 澤田克己毎日新聞ソウル支局長「日本は約束、韓国は正義を重視」
京郷新聞(韓国語) 2015.03.31
http://weekly.khan.co.kr/khnm.html?mode=view&artid=201503311358201&code=115
▲澤田克己、日本毎日新聞ソウル支局長は1999~2004年、2011~2015年など合計9年4カ月間ソウル特派員を務めた。大学時代、米国のバックパック旅行を計画しお金が足りずに韓国に来たのが縁になった。

「韓国の人々は心が暖かく素朴だが、論争では絶対退かない。個人の間でも政党でも同じだ。日本との問題でも違わない。‘関係者が問題解決’とか‘相手の立場で考えること’を自分ではなく相手方に向かって言うのを韓国で初めて見た。」

10年間のソウル特派員生活を終え4月、東京に帰る毎日新聞、澤田克己ソウル支局長(48)は韓国で感じた韓国の人々に対する印象をこのように話した。1999年から2004年までソウル特派員を経験し、2011年からソウル支局長になったので韓国通と見ることができる。

韓国人の感情に基づいて韓日問題を解説するコラムで有名な彼は最近<韓国「反日」の真相>という本を日本で出した。澤田支局長は「韓国人には正しさを追求しようとする感情がある。これを中心に韓国人と韓国について説明した本」といった。

‘正しさ’を説明する代表的事件が2012年の三菱重工業新日本製鉄に対する植民地期強制徴用被害賠償判決をした韓国大法院判決だ。これについて日本では1965年の韓日協定と消滅時効を無視した‘反日判決’という解説が相次いだ。中国よりも予測不可能な国という非難もあった。
(後略)


まず重要なのは、「‘関係者が問題解決’とか‘相手の立場で考えること’を自分ではなく相手方に向かって言うのを韓国で初めて見た。」という部分です。
「そのまま」なので詳しく説明する必要はないとはおもいますが、韓国人の発想では「まず相手が」という考えが何よりも優先されるのです。
要するに「何かあったら他人のせい」という考え方の延長です。


つまり、問題や対立が起きたら「自分は一切間違いをしていないのだから、相手が問題解決のために努力し、かつ相手がこちらの気持ちや立場を“理解しなければいけない”」との発想が先に来ます。
最近の韓国側の態度もこれが土台となっています。


そしてもう一つ重要な要素として、先ほどの引用記事のタイトルにもある「韓国は正義を重視」という部分です。
要するに彼らの中では、条約や約束よりも韓国人的な発想としての「正しさ(正義)」が上位に来るのです。
そしてここまでで紹介した3つの要素


・韓国では根拠が重要視されない
・韓国では「何かあったら他人のせい」という考えが一般的
・韓国では条約や約束よりも優越する「絶対的正しさ」が存在する


を踏まえたうえで戦後補償問題の対立の要点を説明するのならば本来こうなります。


日本「条約で双方同意したのになぜ韓国は蒸し返すのか、なんて非常識なのだ」
韓国「日本は条約と言う瑣末な問題に拘って正しい行いを放棄している、なんて非常識なのだ」
と。


常識や価値観が違えば問題に対する視点や解決のためのロジックも当然異なってきます。
重要なのは自分達の価値観で相手を見るのではなく、自分達と相手の考え方の違いを理解し「なぜなのか」を知ることです。
勿論、この韓国の考え方は現在の国際常識と相反する考えですから、日本が韓国の言分を聞く必要は無いのですが、それが彼らの「常識」である以上、その考え方を知る必要はあります。


そのうえで、朝日の記事の「例えば戦後補償問題の場合。戦争で被害を受けた人々の証言、彼らの生きた戦後」という、日本人の価値観の前提で韓国の立場を説明す行為に、意味があるでしょうか。
そもそも当然ですが、朝日の記事のようなやり方では一切問題解決の役に立ちませんし意味もありません。
(韓国人の感情を理解し、韓国人のために日本が努力するという、全面的に韓国人の価値観に同調する方法なら別ですが。)


もし竹島問題や戦後補償問題に教科書で言及するとしたら、強いて書くならこの「考え方や価値観の違い」に言及するべきでしょう。
その結果がどうであれ、少なくとも「相手への理解」は確実に深まります。


要するに、朝日の記事は何一つ韓国の実態を捉えてない、韓国側の主張の要点も一切捉えていない、「批判のための批判」「理解の放棄」「場当たり的な誤魔化し」でしかないわけです。
当然教科書への注文としては見当違いも良いところです。


これが日韓友好や関係改善を訴える人々の考え方の最大の問題点です。
理解という行為そのものを放棄し、違いの存在そのものを認めず、延々とミスリードを誘って自分達の独りよがりな思想を押し付けているだけです。


そして更に、彼らは違いの指摘すら「ネトウヨ」とレッテルを貼ったり、また「差別問題」に摩り替えて相手を黙らそうとします。
そんな事をしても、現実に起きている問題の解決にはならないですし、何より問題が深刻化するだけです。


何より彼らの考え方では、最近ニコニコニュースで話題になっていたこれをどう説明するのでしょうか。


日本は「百回でもわびるべき」 歴史問題で韓国高官
ニコニコニュース/共同通信 2015/4/3
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1527622
【ソウル共同】韓国外務省高官は3日、日本との歴史問題に関して「加害者というものは(被害者に)100回でもわびるべきではないのか。何回(謝罪を)しようと関係ない」と述べた。聯合ニュースが報じた。

 日本で、韓国に何度謝罪しても蒸し返されるとの不快感が強まっているとの指摘が出ていることを問われ答えた。日本の過去の政権が謝罪を表明したとしても、同様の認識を現政権が示す必要があるとの考えを示したとみられる。

 韓国では、朴槿恵大統領が就任直後の2013年3月の演説で、日本の植民地支配による加害者と被害者の立場は「千年の歴史が流れても変わらない」と述べたことがある。



朝日などがやっているように、実態を無視して価値観やあり方の違いすら認めないという態度では、根本的に何一つ話が前に進まなくなるわけなのですが。


最後に。
私はこの価値観やあり方の隔たりを善悪や優劣ではなく「違い」と解釈したうえで、個人の関係以上の友好は韓国との間には成り立たず、多文化主義に基く「相互理解と調和」も不可能であるとの結論に達しているわけです。


そしてだからこそ、かかわりは外交上最低限必要な事だけに留め、「近くて遠い国」同士になるのが最も最良の選択であると考えるわけです。
韓国人の「絶対的正しさ」という概念を受け入れるのは、殆どの日本人にとって不可能ですし、逆に韓国人が「絶対的正しさ」を放棄するのも、今までの経緯を見るに無理そうですから。



2015年4月8日22時35分追記
引用記事を一つ貼り忘れていたので追記しておきます。


余談になりますが、韓国人が韓国人的価値観で「日本を理解する」とこうなります。


[寄稿/ユ・クァンソク]対日強硬外交、戦略的転換必要
東亜日報(韓国語) 2014-10-23
http://news.donga.com/Main/3/all/20141023/67375206/1
(前略)
日本は慰安婦問題に関し、請求権協定に対する既存の法律的解釈を外れた外交的決断で賠償できる国ではない。私たちがこの問題を引っ張って明らかになった結果は、河野談話とともに以前確保していた真相の粗探しだけだった。

韓日関係に対する愛情と良心に従って河野談話村山談話など歴史的文書の発表に先に立った人々が売国奴と罵倒される状況で、わが政府は大切な資産である彼らを保護するために何をしたのか。

韓日関係の類例がない悪化は私たちと米国の関係にも影響を及ぼしている。ひいては現政権が核心的な外交構想として提示した東北アジア平和協力構想、韓半島信頼プロセスとユーラシアイニシアチブなどが日本との協力がなくても具現できると信じるなら、あまにも希望的な思考と考
えられる。

わが政府が遅まきながら戦略的決断をして対日外交の方向を切り替えれば、国民はこれを屈辱外交とさげすむことなく、虚実を区別する実利外交として歓迎すべきだろう。