日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

【米大使襲撃事件】事件後の韓国人達による奇妙な言動の理由


さて、今回もアメリカの在韓大使襲撃事件に関連した内容となります。


まずはこちらの記事から


土下座して謝罪に扇の舞いまで?…'被襲事件'過剰謝罪論議
ネイトニュース(韓国語) 2015-03-09
http://news.nate.com/view/20150309n46381?mid=n1006
[アンカー]
キム・ギジョン氏の攻撃によって大怪我を負ったリッパート駐韓米大使に対して人間として申し訳なさや切なさがするのは当然のことでしょう。しかし今回の事に関連して絶食をしたり土下座謝罪をしたり扇の舞を踊ったり米国大使館の方に向かってお辞儀をしたりするのはどのように見なければならないのでしょうか。キム氏の非理性的な犯罪行為の後にいくつか行われているこのような行動も合理的に見えないという指摘が出ています。ク・ドンフェ記者の報道です。

[記者]
マーク・リッパート駐韓米国大使が襲撃を受けた去る5日。
彼のSNSには襲撃への申し訳い思いと早期回復を祈る書き込みが殺到しました。
リッパート大使もツイッターに「一緒に行きましょう」という文を残して感謝の意を表しました。
しかし先週末から始まったいくつかの行動は度を超えているとの指摘が出てきます。

去る7日、清渓川(チョンゲチョン)広場で行われたキリスト教団体の全快祈願イベント。
マーク・リッパート大使を愛しているというバナーと一緒に大規模な星条旗が会場に入ってきます。
若い参加者数十人が乱打(ナンタ)公演とバレエをしてリッパート大使の全快を祈っています。

中年の女性参加者も扇の舞と太鼓公演で雰囲気を盛り上げています。

[リッパート大使全快祈願イベント参加者:大使の早い全快のために一緒に祈ってください、大韓民国の国民であれば一緒に参加してください。一緒に行きましょう。]
同じ日ソウル世宗(セジョン)文化会館の前では韓服を着た女性たちが床に伏せてアメリカ大使館に向かってお辞儀をしたりもしました。
リッパート大使が入院中である新村(シンチョン)セブランス病院の前ではシン・ドンウク共和党総裁が断食座り込みを継続しています。
パク・クネ大統領の妹のクンリョンさんの夫であるシン総裁はリッパート大使を守ることができなくて申し訳ないとして土下座して謝罪という単語まで口にしました。
市民らと専門家たちも度が過ぎるという立場です。
[神智院/京畿(キョンギ)高陽市(コヤンシ):国民に理性的判断を引き出すことができなくて踊るというかそんなことは過激な行事の様相であるようです。]



殆どの人にとってなぜこんな事をしているのか、まるで意味が解らないのではないでしょうか。
これなのですが、概念的に最も近いものは何かといえば、それは「抗議行動」なのです。
ただし、別に北朝鮮に同調したとか先月のシャーマン国務次官の発言に反発したからとか、そういった反米的なものではありません。


では何かといえば、「我々はこれだけ大使の安否を気遣って想っているのだ、だからこの気持ちを理解してアメリカは韓国を“許さなければいけない”」という要求であり、裏を返せば自分達への批判をさせないようにするための行動、だから概念的に抗議行動に近いというわけです。
「お願い」とはちょっと違うわけです。


なぜこういった思考プロセスになるのか、それを知ってもらうためにいくつかの要素を書くと、まずは以前紹介した「韓国では被害者が一番偉い」が関係してきます。


この考え方そのものに関してはリンク先を読んでもらうとして、この事件で韓国は「全ては親北派の異常者の犯行であり、韓国には全く責任が無い」との立場です。それはある意味で正しいのかもしれませんが、それでも警備の甘さや事件直後の対応の悪さ、入院中の大使に容易に一般人が近付ける警備体制、メディアが大使の病室番号を報じてしまうなどなど、様々な韓国側の落ち度がある事も紛れも無い事実です。


しかし、人間関係が基本的に上下関係のみの彼らにとって、自己の問題点を指摘されるという事は自己の劣等性を指摘されているのと同じです。
そして「被害者は偉い」という考え方から、落ち度を認めるという事はアメリカが圧倒的に偉く韓国側は劣等な存在、韓国的発想では「アメリカは韓国に何をしても良い」となるのです。


韓国人はこれを最も恐れます。
主観的な視点しか持たないので、アメリカ人もきっと同じように考えるはずだと、そして自分達と同じように振舞うはずだと、そう考えるわけです。


だから彼らは、まず「自分達も被害者だ」としきりに訴えます。
今回の事例ならば韓国メディアはとにかく「親北派のせいだ」ということを特に強調し、パク大統領自身もこんな反応をしています。


<駐韓米大使襲撃>朴大統領「傷の部分、手術時間、病院まで…私と同じ」(1)
2015年03月10日10時38分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/521/197521.html
朴槿恵(パク・クネ)大統領が9日、マーク・リッパート駐韓米国大使を見舞った。7泊9日間の中東4カ国歴訪を終えて同日午前に城南(ソンナム)のソウル空港に到着した朴大統領は、リッパート大使が入院中の新村(シンチョン)セブランス病院に直行した。

朴大統領は病院20階の病棟に入るとリッパート大使と握手をしながら「中東歴訪中に大使が襲撃されたとの知らせを聞いて本当に驚いた」と述べた。「私も2006年に似たようなことがあった。すぐにこの病院で2時間半の手術を受けたが、大使も同じようなことに見舞われたと考えると、一層心が痛かった」ともした。朴大統領はハンナラ党代表時代だった2006年、5・31地方選挙を控えて新村での遊説途中に、カッター刃物によるテロに遭遇して顔右側を60余針を縫うということがあった。リッパート大使も顔右側を80余針を縫う手術を受けた。

次は青瓦台が伝えた問答。

▼朴大統領=「その時も医療スタッフが『神が助けてくれた』という話をしたが、今回も『神が助けてくれた』と言っていたと聞いた。何か神のご意思があるのではと思う。その後、私は『これからの人生はおまけだ』と考えて『国と国民のために生きよう』と決心した。大使も今後、国と韓米同盟のために多くの仕事をして下さることだろうと思う。今回、大使が毅然かつ大胆に対処する姿を見て、両国国民が大きな感動を受けた。かえって韓米関係がこれまで以上に近づく契機になったと考える。病床で(ツイッターに掲載した)「一緒に進みましょう」というコメントを見て、韓国国民の心に響きがあった。はやく快復されて、韓米関係と両国のさらなる発展のために永遠に一緒に進むことができればと願う」

▼リッパート大使=「同じ病院で治療を受けたことも深い縁だ。朴大統領や大韓民国政府、韓国国民が表してくれた関心と見舞いに、私はもちろん妻も大きな祝福だと感じ、深い感銘を受けた。私も、おまけで得た人生と時間を家族と韓米両国の関係発展に使うために最善の努力を尽くしたい」



記事にもあるように、実際に朴大統領も親北派によって襲撃され斬りつけられた事があるのは事実なのですが、その事を強調して「自分も同じ被害者である」と訴えることで、「同じ立場」になろうとしているわけです。


そうすることで「下の立場」になることを避けている、つまり自身の落ち度を打ち消そうとしているのです。
こうして彼らは、様々な方法で自分達も同じ被害者であると、そのうえでこんなに大使を気遣っているのだから自分達を悪く言ってはいけないとアピールしているわけです。


上で挙げたような韓国側の落ち度や対応の悪さを認め再発防止策を取っていくと言う発想は一切ありません。
それをするという事は自らの落ち度を認めるという事であり、彼らの価値観と非常に相性が悪いのです。
だから「我々には一切落ち度が無い、大使と同じ何の罪も無い被害者である」と訴えるためにパフォーマンスを行うわけです。


次に特徴的な彼らの反応として、「一部の事例を全体に当てはめる」というものがあります。
これに関しては、よく韓国批判に対して韓国人達が反論する場合に使う言葉ではあるのですが、実はこの発想に基く言動を最も頻繁に行うのは韓国人自身なのです。


これを説明する上で、今回の韓国人の言動と非常によく似ており、かつこの反応が解りやすい事例があるので、その時の事例を使って説明します。
それは2007年にアメリカで発生したバージニア工科大学銃乱射事件です。


追悼集会が在米韓国人社会の全域に拡散
東亜日報 APRIL 19, 2007
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007041939658
「衝撃から立ち上がり、犠牲者の遺族と悲しみを分かち合う時だ」
(中略)
ニューヨーク在米韓国人社会の元老である金ヨンマン元韓国商工会議所(KOCHAM)会長は、「今回の事態で、『アンチ・コリアン』感情が広がる恐れがあるが、在米韓国人社会がこれを機にさらに努力すれば、米国社会で『模範的な移民者』という地位を回復できるだろう」と述べた。

李泰植(イ・テシク)駐米韓国大使も17日、ワシントン在米韓国人社会の主催で開かれた追悼礼拝に出席し、「犠牲者の家族と米国全体に心から弔意を示し、悲しみを分かち合おう」と述べ、米国社会と悲しみを分かち合い自省する意味で、32日間交代で断食をすることを提案した。

ニューヨーク、ニュージャージー地域の在米韓国人団体が17日夕方、特別対策会議を開いて犠牲者追悼集会推進委員会を結成したのを皮切りに、米国全域で追悼集会の動きが拡散している。

ロサンゼルス地域の市民団体は、今回の事件によって在米韓国人社会が犠牲になってはならないという内容の声明を発表した。「ロサンゼルス都市政策ラウンドテーブル(LAUPR)」と「ロサンゼルス市民権協会(LACRA)」は、コリアタウン内の総領事館を訪れ、「米国人たちは今回の事件を一人の孤立した青年の行動と見ている。在米韓人全体のせいにしてはいけない」という声明を伝えた。

盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領は18日、ブッシュ大統領に送った電報で、「犠牲者と負傷者、その家族、そして米国民に慰労と哀悼の意を表する」とし、「ブッシュ大統領指導力のもと、事件が早期に収拾され、衝撃と悲しみから抜け出すことを心より祈る」と伝えた。

米国土安保省と国務省は韓国外交通商部に、「米政府は今回の事件が韓米関係とは無関係な事案であると判断している」という考えを伝えたという。




記事を読めば一目瞭然ですが、この当時韓国人達はアメリカ社会が彼ら全てに敵意をむき出しにしてくるのでは無いかと、そう恐れていました。
実際はどうなのかと言えば、極一部に韓国人排斥の反応をした人もいたようですが、アメリカ全体としてはこの事件を個人の犯行と割り切り、韓国人全体への敵意など向けてはいませんでした。


しかし韓国人達はそうは考えず、「自分たちがしているのだから相手も同じはず」と考え、一部のアメリカ人の行動を全体に当てはめて、「アメリカ人は韓国人を差別するな」と訴えていたのです。
そしてまた、事件の犯人であるチョ・スンヒも「33人目の犠牲者である」と訴え、事実上これはアメリカ社会の問題なのだとの転嫁もしていました。


今回の事例もほぼ同じです。
このような事件が起きたのだから、アメリカはきっと韓国に何かしら報復をしてくるに違いないと全体に当てはめているからこそ、「アメリカは許さなければいけない」という発想に基いて行動するわけです。
また余談になりますが、だからこそ様々な事例でも自分達がそうだからこそ、「一部の例が~」と反論してくるという事でもあるわけです。


そして、こういった韓国的価値観から最初の記事のような発想となるわけなのですが、ここまで読んできて大体解るとは思いまずが、彼らの発想に「それを相手がどう受け取るか」という視点は殆どの場合存在しません。
最初の記事での懸念も、あくまで「やり方が大げさすぎる」というものであって、行動そのものが一方的過ぎると言う発想ではありません。


あくまで「自分達がこう思っているのだから、相手はこちらの気持ちを理解し受け入れて当然だ」という考えです。
ある種の善意の押し付けなのですが、やっている彼らには押し付けているという発想は一切ありません。
行動原理として「自分達がそう思っているのだから相手も同じように思わなければならない」という大前提が根底にあるのです。
全ては自分中心なのです。


そして、状況は少し違いますが過去日本に対しても韓国人が同じ発想に基いて行動を起こしたことがあります。
それは対馬の仏像盗難事件後に起きた一連の出来事です。


「慰労伝えたかった」韓国僧侶が会見 仏像盗難された対馬市の観音寺住職は面会拒否
msn産経ニュース 2013.3.14
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130314/trd13031419040017-n1.htm(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20130314195731/http://sankei.jp.msn.com/life/news/130314/trd13031419040017-n1.htm(ウェブアーカイブ
仏像が盗難に遭った観音寺を訪れた、韓国・浮石寺の円牛僧侶(中央右)ら=14日午後、長崎県対馬市

 長崎県対馬市の観音寺から県指定の有形文化財観世音菩薩坐像」が盗まれ、韓国で回収された問題で、仏像をもともと所有していたと主張する韓国の浮石寺の円牛僧侶らが14日、対馬市を訪れ、記者会見した。観音寺の住職は面会に応じなかった。円牛僧侶は「残念だ。浮石寺も過去3度、仏像盗難に遭っており、慰労の気持ちを伝えたかった」と述べた。

 観音寺の田中節竜住職(37)は取材に「仏像を盗まれ、失った悲しみや怒りは理解しているはずで、慰労の気持ちがあれば速やかに返還すべきだ。今は会うことはできない」と述べた。

 円牛僧侶は、浮石寺に約20年間まつられていた銅製の仏像を持参。会見で「盗まれた仏像の代わりではない。訪問の目的は観音寺の参拝だ」と繰り返した。


韓国の巫女ら200人が対馬訪問 仏像の慰霊を否定
ANN 2013/03/21
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000002327.html
20日、韓国の巫女(みこ)ら約200人の団体が、長崎県対馬を訪問しました。当初、対馬の寺から盗まれた仏像の慰霊祭を行うとみられていましたが、団体側はこれを否定し、目的は観光だとしています。

 去年、韓国の窃盗団が対馬の観音寺から盗んだ仏像を巡っては、韓国の浮石(プソク)寺が「14世紀に倭寇(わこう)に略奪された」などとして訴えを起こし、先月、大田(テジョン)地裁が返還を差し止める仮処分を出しました。韓国の連合ニュースは19日、巫女ら約200人の団体が対馬を訪問し、盗まれた仏像の慰霊祭を行うと報じていました。団体は20日夕方、国定公園内で祈祷(きとう)集会を開きましたが、無許可で大きな布を張り巡らし、祭壇を作って鐘を打ち鳴らすなどしたため、市の担当者が注意しました。
 団体の旅行代理店:「私たち約200人は昨今、問題になっている仏像とは何の関係もない団体です」
 団体側は「訪問は去年から決まっていたもので、目的は観光」と話しています。



発想としては要するに、「同じ被害者」である自分達がこうして対馬にやってきて、同じ気持ちを共有し慰労の気持ちを伝えたのだから、日本人は韓国人の気持ちを理解して「(盗難事件を)許し水に流さなければいけない」という発想です。


これに対し、観音寺側は韓国からやってきた浮石寺の僧侶との面会を拒否し、市の担当者も「許さなければいけない」というアピールをしに来た祈祷師達の行いを注意しました。
日本人的な発想ですと、こんな相手の気持ちを一切理解しない行動は容認できるわけもなく、非常識極まりないとの考えになるからです。


しかし、この対応に浮石寺の僧侶たちや事実上の「慰霊目的」でやってきた祈祷師達は「こんなに相手の事を思ってあげているのに、なんて酷い人達なのだ」と、むしろ怒って帰っていきました。
典型的な価値観の違いから来る対立です。


このように、韓国人は相手は自分達の気持ちを自分たちの想定通りに受け入れるのが当然であり、自身の落ち度を批判されそうになったら、「批判を止めさせるための抗議行動」を起こすのです。
そして、相手はその気持ちを100%受け入れるのが当然であり、そうすれば自分たちの落ち度は全て消えて無くなると考え、かつ否定されればそれは「相手の落ち度」へと摩り替わるのです。


さて最後に重要なことを。
では、この発想に基いて日本が「歴史問題で今回や今まで韓国がやってきたこと」と同じ事をしたらどうなるでしょうか。
すると彼らはこう考えます「韓国人の気持ちを理解していない」「その場しのぎで罪を誤魔化そうとしている」と、主観的視点しか持たない価値観とは、“そういう事”でもあるのです。


彼らにとって重要なのは、主観的な「彼らの気持ち」を相手が理解するかどうか、それだけなのです。
また、韓国社会でも常に皆が皆「相手が自分の気持ちを理解しなければいけない」と考えているわけですが、それを成り立たせるために上下関係が絶対の社会となっているという側面があります。
上の人間は絶対的に正しいとすることで、この価値観は成り立っているわけです。


そして韓国人にとって、日本人というのは「歴史問題で反省すべき劣等な存在」、つまり韓国人よりも下位の正しさを受け入れるべき存在という位置付けなのです。