さて、本日は以前動画で予告した日本のマスコミの言動と韓国的価値観の違いについて書いて行きます。
初めて来られた方はまずこちらを先に読む事をお勧めします。
ブロマガ『日韓問題(初心者向け)』を始めた理由
注意
・このブロマガは「日韓の価値観の違い」を初心者向けに扱っています
・当ブロマガのスタンスは「価値観に善悪や優劣は存在しない」というものです
・相手が不法を働いているからと、こちらが不法をして良い理由にはなりません
・自身の常識が相手にとっても常識とは限りません、「他者がそれを見たらど
う思うか」という客観性を常に持ちましょう
・日常生活で注意する程度には言動に注意を心がけてください
マスコミ問題を扱っていると、度々韓国的価値観との類似性が指摘される事があるが、実際には「結果が似ている」だけでそこに行き着くまでには全く異なるロジックが働いている場合が多い。
そのうえで相違点は幾つかあるが、最も異なっている部分は「正しさ」のロジックであり、韓国的価値観では常に演繹的な「一つの正しさ」を絶対視する傾向があるため、どのような内容であれ「異なる考え」は異端とされ、「間違っている理由」などは考慮されず排除の対象となる。
日本のマスコミの言動とはここが大きく異なっており、日本のマスコミ業界で支配的なロジックでは、「自身が正しい」とするために、レアケースや検証不能な事例を持ち出したり、特定情報を隠蔽して状況を説明するなど、「正しさの理由付け」に重点が置かれる場合が多い。
※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブやウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。
1:韓国独特の思考
まずはこちらの記事から
朱子学の影引きずる朴氏の反日 筑波大学大学院教授・古田博司
産経新聞 2013.12.5
(1/4ページ) (2/4ページ) (3/4ページ) (4/4ページ)
わが日本国では、正当性と正統性を区別するのが難しい。「これが正しい!」と、正当であることを信じるのが正当性だ。だから異端からも正当な権力は生まれる。16世紀ごろまで、カルヴァン派はキリスト旧教にとって異端だったが、ここから当時のジュネーブの新教政権が出てくる。ゆえに、今の中国の「防空識別圏」も注意しなければならない。国際的異端者による正当性の主張だからだ。
≪異端ではないとの証求めて≫
正統性はそうではない。「どちらが正しいか。こちらだ!」という選択を経て、選ばれたものが正統で除かれたものが異端である。韓国の朴槿恵政権の苦悩はここにある。韓国は対日独立戦争をしていない。日本統治時代は自然に始まり自然に終わった。北朝鮮の金日成氏は負け戦だったが、日本軍警と東満州で一応戦っている。
国家の正統性は北朝鮮にある、と韓国の左翼政党や左翼教員組合は攻撃する。朴氏は自らの正当性を確保すべく、彼らを非合法として裁判に訴えた。同時に自分が異端でないことの証として反日を連呼する。慰安婦の像や碑を米国に建て続ける韓国系移民も同様だ。自分たちは国を捨てた異端ではないと故国に弁明しているのだ。
こういうのは日本人にとっては迷惑千万である。日本では正統とか異端とか区別しない。神道と仏教はみごとに習合し、今ではキリスト教式で結婚式をしたりする。江戸の儒者たちも寛容だった。
朱子学は南宋の朱子が作った儒教で、本来は排他性が強い。北方民族が攻めてきているし、朱子の住む中国南方では民衆は道教を拝み、仏教で葬式していた。それらはみな異端、儒教こそ正道だ、というのが朱子学の主張である。
朱子学が江戸時代に普及し、儒者の伊藤仁斎などはこれを消化しようと29歳で引きこもりになり、8年たって世に出て塾を開いた。出てきてもやはり日本人だった。弟子が「先生、人の道とは?」と問うと、「情けじゃ」と答えた。「天理とは?」と尋ねると、「おてんとうさまじゃ」と語った。
≪正統コンプレックスの極み≫
儒教立国した李氏朝鮮は苛酷である。元々排他性の強い朱子学を厳格に実践、仏教を弾圧し仏像の首をはね寺を壊し茶園を枯らし、僧侶を山に追いやった。法事など禁止だ。儒教の祭祀(さいし)をさせ、3年の喪に服さない民を捕らえ棍棒(こんぼう)で打ちすえた。異端になれば酷(ひど)い目にあうと彼らは骨身にしみた。
だから韓国人は自らの歴史から学び続ける。「剣道も茶道もうちが正統で日本が亜流。孔子さまも韓国人、中国人ではない」。周りの国々が唖然(あぜん)とするウリナラ起源説をとうとうと述べる。これぞ正統性コンプレックスの極みだ。
中国はそもそも朱子学が合わなかったので、陽明学の方が広まった。王陽明先生に弟子が意見を聞く。「先生、私はぜひとも古代の音楽を復元したいと思います」。先生はおっしゃる。「うん、しなくていいよ。それは全部、君の心の中にあるのだ」。これが陽明学の「心即理」である。思っているものは実在する。防空識別圏も、中国人が思ったわけだから、実在することになりかねないのだ。
自己中心の彼らに怒りを浴びせたのが、後に清朝を建てた満州族のヌルハチだった。満州語では中国をニカン国、朝鮮をソルホ国と呼ぶ。ニカン国は「天下の主だ」と思い、ニカン人は毎年越境して略奪する。ソルホ国はわが国の国書の受け取りを拒否し侮蔑する。満州族のハーンは二代にわたり遠征して、両国を攻め滅ぼした。竜の衣はシナの皇帝にしか着られない。清朝ではこれをすべての役人に着せ、ニカン人を侮辱した。
≪朝鮮の伝統「告げ口外交」≫
李氏朝鮮は、明国は滅んで野蛮人の清朝になってしまったのだから、明の正統性を継ぐのはわれわれだと解釈した。そこで「大明国の東の壁」と自称し、清朝から流れ込む文化を悉(ことごと)くはねつけた。
李氏朝鮮の国内では、両班たちが朱子学の正統性を争っていた。朱子学の解釈権を握り、科挙の試験官を自派で占める。合格者は官僚になって、学閥は権力を手に入れる。儒者の塾は棍棒で武装し、敵方の打ち壊しまでした。朝鮮史では、これを「党争」という。
三年喪や祖先祭祀など、朱子学の礼の実践ばかりした李氏朝鮮では、経世済民を考える暇がない。流浪の民が居ついた地方の知事が良い知事である。土地には所有権がなく、村には村界がなかった。町には民のための商店もない。
そこに、今度は近代化した日本がやって来た。南下するロシアに対する安全保障として朝鮮を統治し、開発する必要があった。手の施しようもない李朝の王は臣下たちに丸投げし、諸外国に日本のことを「告げ口」して回った。朴槿恵氏の「告げ口外交」のように、上位者に悪口を言いまくることを韓国語でイガンヂル(離間事)といい、離間が目的である。韓国人同士が毎日国内でやっている。
中国人も韓国人も世界史から学ばず、確かに自国史から学んでいる。彼らには「卑劣」ということが分からないのはそのためだ。(ふるた ひろし)
長い記事ですが、この古田教授の寄稿した記事には非常に重要な事が書かれているのであえて全文掲載しました。
要するにこれは、韓国独特の『正しさ』の概念の説明です。例えば日本の場合には「立場によって異なる正しさ」という概念があり、正しさは複数存在しているという概念が広く一般的に受け入れられています。
わかりやすい事例としては、日本史における源氏と平家の戦いや、戦国時代末期の徳川家と豊臣家の争いなど、今でも双方の視点で双方の正義が語られる創作物が多数ありますし、完全な創作物の世界の話でも、わかりやすい事例ではガンダムシリーズなどが代表例でしょう。
敵側には敵側の正義(悪)があり、味方側にも悪(正義)がある、そういう「異なる正しさの物語」が広く受け入れられているのは、文化として「異なる正しさ」の概念が社会の根底に存在しているからです。
しかし韓国の場合にはここが完全に異なります。
以前紹介したハフィントンポストの記事のように
韓国の記者は「嫌韓」や日本社会をどう見つめているのか 特派員座談会
ハフィントンポスト日本版 2015年07月09日
http://www.huffingtonpost.jp/2015/06/30/korean-correspondant-talks_n_7695732.html
(一部抜粋)
金:FAXをこんなに使う国がまだあったとは…。(提携関係にある日本の)毎日新聞で韓国に詳しい先輩から「似ていると思ってかかると大けがするよ」と忠告されました。日本では自分と他人の立場が違うことに緻密にこだわるけど、韓国では「正しいこと」は一つだけで、それを巡って争っている。それを互いに知らない。だから毎日が衝撃ですね。
彼らは常に「一つの正しさ」を追及し、白か黒かをはっきりさせ、黒となったほうを「劣等」と見なし完全排除し否定します。
そこに『異なる正しさ』が入り込む余地はありません。
そしてここで重要なのは、最初の記事にもあるように韓国では「異端」の存在は絶対に許容されませんし、異端が省みられる事もない事です。
韓国の場合には、少数派=異端が省みられるのは、異端の側が相手の劣等性を指摘して「道徳的優位性」を手に入れ相手を異端に貶めた場合のみです。
そしてこの場合には、異端から「正統」になった側が「元から自分達が正しかったが、間違った側が力を得ていた、だが(道徳的に)正しい側である自分達が本来得るべき正統な地位を手に入れた」と考えます。
※独特の正しさの概念
彼らの正しさの概念は独特であり、根拠を必要としない。
また「この世には最初から一つの正しさが存在する」と考えられており、自分はその正しさを常に選択していると考える傾向にある。
そして正しさ同士がぶつかった場合には、(曲解でも捏造でもその件と全く関係なくともなんでもいいので)相手の劣等性を指摘する事でそれを自己の正しさの担保とする。
また相手の劣等性を指摘した時点で自身が指摘された問題は相手の問題にすり替わる。
【日韓問題】日韓で異なる「正しさ」の概念
【日韓問題】日韓で異なる「正しさ」の概念 後編
要するに「相手にも理がある」という発想が無く、異端はどのような理由があれ悪でしかないわけです。
そこに根拠や理由は必要ありません、絶対的な正しさの前では全否定されるべき存在だからです。
余談になりますが、こうした考え方の違いから、韓国人は菅原道真や平将門の歴史的背景や現在の扱いを知ると驚き、場合によっては「日本の劣等性の証拠」と解釈する場合すらあります。
上記「正しさの概念」の動画で説明した事例で、彼らが既に「間違いが指摘された」竹島領有の根拠を繰り返し「これが根拠だ」と主張し続けるのも、根拠は彼らにとって「動機付けの一つ」でしかないからです。
彼らにとっては根拠は相手の劣等性の指摘の付属物としての意味しかなく、さして重要では無いのです。
ですから最近のこの記事のような発想になります。
<戦犯旗根絶特別企画>「旭日旗狩りは韓国だけ」…日本メディアのわい曲報道 中央日報 2018年08月08日
記事では、旭日旗問題に関連し、日本のいくつかのメディアなどが「旭日旗狩りは韓国だけ」という記事を掲載した事に関して、「積極的に問題をわい曲する記事を掲載した」とか「日本メディアには問題意識がない。韓国だけ戦犯旗だと言いがかりをつけているというふうにわい曲されて間違って受け取られるおそれがある」等と書いていますが、肝心の「なぜなのか」がありません。
それは「旭日旗は戦犯旗」というのが彼らの中で「唯一の正しさ」であり、それに反する意見はどのような理由があれ「異端=間違い」であるため、正しい事なのだからいちいち理由を説明するまでも無いのです。
むしろ彼らの場合、根拠を一つ一つ詳細に説明するのは「後ろめたいことがあるから」「正しくないとわかっているから理由がいるのだ」と発想します。
古田教授の記事における「正統性」の概念の元となっている朝鮮朱子学の概念がまさにこれです。
正しさとは元々そこに最初から存在しているものであり、演繹的に
「正しさは最初から存在している」
↓
「自分達はその正しさを”選択”した」
↓
「だから相手は間違いであり劣等だ」
と考える、なのでわざわざこの件で「なぜ相手が間違っているのか」を説明する理由がないわけです。
これが韓国的な発想です。
2:日本のマスコミは「理由」から入る
では日本のマスコミの場合はどのようなロジックが働いているのかというと、例えばこの事例などがわかりやすいです。
今週の筆者は社会学者・上野千鶴子さん 「ネトウヨ」とは何者か?
毎日新聞 2015年12月15日
http://mainichi.jp/articles/20151215/dde/012/070/010000c
(一部抜粋)
反マスコミの空気は2002年の日韓サッカー・ワールドカップを契機に「反日メディア」朝日新聞批判にも結びついたが、同時に韓流ドラマを過剰に放映する(と彼らには思えた)2011年のフジテレビへの抗議デモにも結びついた。その頃までは、ネット界の住民は自分たちがリアルの世界では報われない少数派だという自意識を持っていたようだ。
記事にもあるように、マスコミ批判や嫌韓に対して「ネット界の住民は自分たちがリアルの世界では報われない少数派だという自意識を持っていたようだ」と最初に理由付けを行います。
それが実態を伴っているかどうかは別にして、まず自身の「正しさ」を証明するために「相手がなぜ間違っているのか」という「理由の説明」が最初に来るわけです。
こちらの記事でも同じです。
「ネトウヨ」とは誰のことなのか? 彼らが“マスゴミ”と呼ぶ理由
AERA.dot/朝日新聞
https://dot.asahi.com/dot/2018071700064.html?page=3
(一部抜粋)
私なりに解釈すれば、「非マイノリティ」というのは、名目上はマジョリティ(多数派)だが実体としてはマイノリティ(少数派)であるひとびとのことだ。「在日特権」の語に象徴されるように、「『弱者』を装って利権をほしいままにするマイノリティ(外国人)のために、自分たちマジョリティ(日本人)が『弱者=被害者』になっている」という倒錯した意識がネトウヨの特徴だ。
マスメディア(朝日的なるもの)を「マスゴミ」と揶揄する背景にも、この「非マイノリティポリティクス」がある。これは少年犯罪に顕著で、ネトウヨは、未成年であることを理由に加害者の人権が保護される一方で、生命を奪われた(未成年の)被害者の実名や顔写真が報じられることの理不尽さを繰り返し告発することで、自らの手で「正義」を実現しようとしているのだ。
「安倍首相は現実主義者だ」(中)
WEBRONZA/朝日新聞 2016年04月23日
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2016033000003.html
(一部抜粋)
――近隣諸国に対するネット右翼の反発は強いですね。
「私の見立てでは、嫌韓7、嫌中2、嫌北(朝鮮)と嫌米をたして1の比率です。韓国への批判が色濃い。ただし最近では嫌韓をやりすぎて飽きられてきたので、嫌中の比率が顕著に増えつつあるのが特徴です。元をたどれば、生活保護などにおける在日コリアンの特権というネット上のデマゴーグがいまだに信じられているからです。過去の植民地支配の経緯などから、既存メディアが韓国批判に手心を加えたり、犯罪報道の際に通名で伝えてきた局がある、というのは確かだと思いますが、それを根拠なき特権と結びつけているのです」
とにかく「理由付け」から入ります。
これは要するに、韓国的な発想における「正しさは一つであり、その正しさは元からそこに存在している」という、朝鮮朱子学に基く演繹的な発想がないからです。
双方とも「都合の悪い情報」を無視しますし、詭弁や論点のすり替えも使いますし、自身の問題を他者に転嫁したりもしますが、ここが日本のマスコミ業界やそこに連なる「識者」と韓国的発想の大きな違いです。
日本人的な発想では「自分は普遍的な正しさを選択しているから相手は間違っているのだ」という発想に行き着かないのです。
韓国の場合には「正しさに反している=悪」ですが、日本のメディアの場合には「これこれこういった理由で相手が悪なのだ」となっているわけです。
視点を変えると、もし日本のマスコミ業界やそこに連なる人々が韓国的発想で思考しているのならば、最初のほうで紹介した中央日報の旭日旗の記事のように、相手の主張をただ「歪曲だ」とか「間違っている」と主張すればそれで済むはずです。
なぜなら「唯一絶対の正しさ」がそこにあるはずだからです。
3:根元が違う
今回書いたように、韓国的な発想というのは日本人の発想とは根底部分が大きく異なります。
最終的な結論のみを見た場合、「同じ結果」になっている事例があっても、そこに行き着くまでに日本的発想では帰納的に「なぜ自分の理論が正しいのか」を説明するのに対して、韓国的発想では演繹的に「自分は正しさを選択したのだ、だから相手は間違っているのだ」と思考しています。
マスコミ不信の根底にあるのは、これまで「暇つぶしにどうぞ」で書いてきたように、業界の自浄作用の無さや庇い合い体質、日常的に行われる特定情報の隠蔽や印象操作などですから、彼らの主張する「マスコミ批判者の動機」は単なるレッテル貼り以上のものでしかないです。
また彼らの「嫌韓」に対する説明にしても、根底にある価値観の違いを無視しているわけですから、結局やっている「反マスコミ・嫌韓」の解説はどちらの事例でも詭弁の一種である「ストローマン」に過ぎません。
※ストローマン
相手の主張を自身に都合よく歪めて説明し、その歪められた主張に「反論」する事で相手を「論破した」ようにみせかける詭弁。
そのうえで、韓国でもこうした詭弁は度々使われますが、今回書いたように根元の発想が違うので慣れてくるとその違いは簡単に見分けられるようになります。
先ほども書いたように、彼らは「自分は正しさを選択したから相手は間違っているのだ」という独特な演繹的発想で詭弁を使うからです。
勿論、日本在住で日本のメディア関連で働く韓国人の場合、韓国的発想を行っている事例もありますが、全体としてはそこまで多くありません。
この辺りは、数年韓国ウォッチャーをやっていないと「どれがそうなのか」を判別するのは難しいのも事実ですが、逆に考えれば数年彼らを観察していれば判別できるようになる程度の「わかり易い違い」ともいえます。
韓国的価値観は私達から見てとにかく「独特」ですから。
お知らせ1
15日はお休みとなり再開は22日となります。
マスコミ問題を扱う「暇つぶしにどうぞ」は8月13日をお休みし、再開は8月20日となります。
動画版は11日がお休みとなり再開は18日となります。
お知らせ2
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