日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

ソメイヨシノ韓国起源説の政治的背景


さて、本日もソメイヨシノ韓国起源説関連となるわけですが、今回は他の韓国起源説にはあまり見られない2つの特徴のうち一つについて書いて行きます。
もう一つに関してはまた次の機会とします。


通常韓国起源説は韓国における民族主義が強く影響しており、直接的な利害よりも民族主義国粋主義の鼓舞を主目的として行われる場合が多いが、ソメイヨシノ韓国起源説に関してはそれだけではなく、韓国における右派(国粋主義民族主義)と左派(親北民族主義)の対立の影響を受けたものが存在している。


そのため、元々はいわゆる便宜上の右派・左派関係なく起源主張が行われていたが、ここ数年は双方の起源主張の傾向に違いが現れており、とくに便宜上の右派は「李承晩(韓国初代大統領)の権威復活」の目的でソメイヨシノ韓国起源説を宣伝する場合が多い。


つまりソメイヨシノ韓国起源説は、民族主義の先鋭化や反日という背景を超え、韓国内の政治的な派閥争いの延長としての意味が強く、通常の起源主張とは少し性質が異なる。
このため、ソメイヨシノの問題を周知する場合このような背景も存在している根深い問題である事を伝える必要がある。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはウェブアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:右派・左派対立としてのソメイヨシノ韓国起源説


まずは以下の記事を


米ワシントンで迎える『桜エンディング』
CBSノーカットニュース(韓国語) 2016-03-14
http://www.nocutnews.co.kr/news/4561760
ワシントンの通りを埋め尽くした桜

“春風翻して舞い散る桜の花びらが~”春のキャロルと呼ばれるバスカーバスカー(※K-POPバンド)の「桜エンディング」が全国に響き渡る桜シーズンが間もなくやってくる。
一番先に花を咲かせる済州島をはじめ、汝矣島 、鎮海、河東などの街頭を薄桃色で覆われるのは、想像するだけでもときめきいっぱいの風景だ。実は、我が国に自生している桜の木は、天然記念物第159に指定された済州島王桜で、我が国で生まれ育ったのだ。
この王桜の木は、春になると地球の反対側ワシントンでも花を咲かせている。日本が親善の証で米ワシントンに桜を送ったのが、まさに王桜だからだ。

1920年代半ば、李承晩(イ・スンマン)元大統領の米国留学時代、この街が「日本桜通り」 に指定されて、「韓国桜通り」に変えてほしいと米政府に要請すると、米国政府はこれを受け入れて「東洋桜通り」に変わることになった。

ワシントンでは3月中旬から4月中旬まで毎年ワシントン桜祭りが開かれる。昨年は150 万人の観光客が訪れたこの祭りは、凧揚げフェスティバル、花火、パレードなどの多彩なイベントが開かれている。

今年の春、米国ワシントンで異色の桜祭りを楽しんでみてはいかがだろうか?
本当に良い旅行( www.verygoodtour.com )が来る20日から4月17日までに、ワシントン桜祭りが開かれる期間に残し、米東部・カナダ10日商品を発売した。

アシアナ航空を利用するこの旅はワシントンをはじめ、米国の代表都市、ニューヨーク、米国東部最大のウッドベリーアウトレット、全世界的に有数の教育の都市ボストン、世界3大瀑布ナイアガラ、カナダ首都オタワとモントリオールケベック州などを訪問することにされる。

旅行日程は、7泊10日または8泊10日のいずれかを選択可能であり、往復航空券、カレンダー内宿泊料と食事、観光地入場料、専用車などが含まれて219万ウォン(総額運賃基準)からだ。 今回の旅行は、出発日から15日以内に長期滞在が可能である。


この記事にもあるように、韓国初代大統領である李承晩がアメリカ留学時代にソメイヨシノ韓国起源説を訴え、その主張が受け入れられたとの内容が特にここ数年韓国メディアで目立つようになってきています。


要するにこれはワシントンDCの桜並木の桜は元々自分達の物だとする主張の延長なのですが、こうした主張は非常に政治色が強いためなのか「桜の季節」以外でも度々韓国メディアで取り上げられるようになってきています。


米ワシントンに咲く冬桜、日本の緻密な戦略か 朝鮮日報 2015/12/28


実際のところはどうなのかといえば、太平洋戦争中にワシントンDCの桜が「日本の」から「東洋の」と名称の変更がされた時期があった事は確実なのですが、その理由はアメリカの公式発表によると1941年12月11日に桜並木の桜が4本切り倒される事件が発生し、その原因が「敵国日本」への報復と考えられた事から、桜並木が更なる被害を受けないようにするための措置とされています。


参考資料
Cherry Blossom Festival National Park Service


そして、上記韓国の記事にあるような「李承晩の訴えで通りの名称が変更された」との記述は少なくともアメリカの公式には一切記録が無く、韓国側の作り話の可能性が極めて高い事が解ります。


ではなぜ韓国側がこんな事をしているのかといえば、そこには「ワシントンDCの桜を自分達のものという事にしたい」という願望以外に、現在韓国で行われている「親日派論争」が関係しています。


韓国ではノ・ムヒョン政権辺りから、親北左派系の団体が右派系の有力者達を「あいつは親日派の子孫だ」と糾弾する活動が激しくなってきており、それが過激化し現代の魔女狩りである「親日派財産没収法(日本統治時代に日本に協力して財産を得た人物の「子孫」の財産を没収する法律)」まで登場しています。


参照
韓国の親日派財産没収法のとんでもなさとその背景


そして近年はこれが韓国内で親北派に都合がよく作用し効果があったためエスカレートし、韓国の右派系の政治的な大物を片っ端から親日認定して攻撃するというところまで行っており、つい最近もソウル市が市内の学校に対して「親日派リスト」を教材として買うように強要し、拒否した校長が糾弾されるという事態まで発生しています。


こうして勢いの付いた親北派は、ここ数年今度は「李承晩も親日だった」というトンデモ説を打ち出して攻撃するようになってきており、去年韓国の公共放送であるKBSが「李承晩が朝鮮戦争中に日本へ亡命しようとしていた」と放送、右派左派対立が激化し大騒ぎになりました。
(亡命打診に関しては恐らく事実です)


KBS放送、保守陣営が反発する「李承晩亡命」で異例の反論報道 ハンギョレ新聞 2015.07.07

(※1)
私の国籍は日本」李承晩米国滞在時代手書き国籍表記の衝撃 newsis(韓国語) 2013-10-05

2016年3月20日 21時25分追記
韓国語ソースにも拘らず、上記記事の全文が引用されていませんでしたので、文末に追記しました。


面白いのは、以前書いたように李承晩は自国民に対する大虐殺を行った人物であり、わざわざ親日派認定などせずとも攻撃材料はいくらでもあるはずなのですが、現在の韓国では自国民に対する虐殺という事実よりも、「親日派だった」というレッテルの方が効果が高いという事です。


参照
韓国の反日は李承晩が作り上げた


このことが実は韓国右派にとってかなり問題であり、元々韓国内の親北左派は「北朝鮮のほうが建国理念に正当性がある」という主張をし、「韓国の建国は間違いだった」との考えを広めているため、事は単に李承晩の問題だけでは済まされず、なんとしても初代大統領である李承晩の権威復活、つまり韓国建国の正当性の証明をしないといけなくなったわけです。


そこで恐らく彼等が最も注目したのが「韓国起源説とセットにする」という方法なのでしょう。
以前から書いているように、韓国では「日本は自分達が作った」「日本の文化は全て自分達の劣化コピーである」との考えが教育によって深く根付いており、韓国起源説とはその考えから様々な方向へと派生して行った結果です。


そしてこれは、他者の劣等性を担保として自己の優越性を証明するという韓国人の価値観と非常に相性がよく、これを否定するとなると韓国では「民族の誇りを傷つけた」と思われる可能性が高くなることから、親北左派系もおいそれと「李承晩賛美」を否定する事ができなくなるのです。


結果、韓国右派は「建国の父(李承晩)が、ソメイヨシノは実は韓国の王桜であるとアメリカで訴えていたのだ」と主張する事で、民族主義を利用してワシントンDCの桜並木を「韓国のもの」とする既成事実化と同時に、李承晩の復権にもある程度成功したわけです。


つまり現在のソメイヨシノ韓国起源説は、右派左派対立の結果韓国内で急速に広まって行ったという背景もあるわけです。


余談になりますが、この傾向が原因なのか右派系傾向が強い場合は「ソメイヨシノ=王桜自生説」が主張される事が多く、左派系傾向が強い場合は「ソメイヨシノ=王桜と日本の桜の交配説」を主張する場合が多いようです。


桜の花‘韓-日原産地論争’なぜ終わるのではないか ハンギョレ新聞(韓国語) 2015-04-03


親北左派としては、ソメイヨシノ韓国起源説は支持したいが、李承晩の復権には手を貸したくないため、苦肉の策としてこのような手段を講じているのでしょう。


2:ワシントンDCの桜の植樹経緯


上記のように、ワシントンDCの桜を韓国側が狙う背景には韓国内の政争が深く関係しているわけですが、実際のところワシントンで桜がどのような経緯を辿って植樹されたのかには詳細な記録が残っており、彼らの主張は無理があります。


以下はポトマック川沿いの桜並木の経緯を時系列でまとめたものです


ワシントンの桜並木の経緯
1885年 ナショナルジオグラフィック協会初の女性理事であったエリザ・シドモアが日本からの帰国後、ポトマック川河畔沿いに桜の木を植えることを提案し、その後24年間に及ぶ植樹運動が始まる

1905年 日本人科学者高峰譲吉と駐ニューヨーク日本総領事水野幸吉から植樹運動を知らされた尾崎東京市長により、日本でも桜寄贈運動が始まる

1909年 シドモアが当時の大統領夫人ヘレン・タフトに桜の植樹運動への協力を呼びかける手紙を送る

1909年8月 東京市会で桜の寄贈を決定

1909年11月24日 2000本の苗木が横浜から出航

1909年12月10日 シアトルに到着、検疫で病害虫が確認され焼却処分

1909年12月~1910年3月頃 東京品川の「妙華園」当主河瀬春太郎が中心となり荒川堤の穂木の選別が新たに行われる

1910年3月 東京市農商務省農事試験場長の古在由直農学博士に害虫の駆除や苗木づくりの方法について調査依頼

1910年5月 古在博士が植木の栽培が盛んだった兵庫県川辺郡稲野村之内新田中野村字東野(現伊丹市)の久保武兵衛に寄贈用の台木を発注

1910年12月 3人の技師の指導で育てられた東野の台木苗15000本が静岡県にある興津園芸試験場へ送られる

1911年2月  興津園芸試験場に植えられていた東野村の台木苗と荒川堤の穂木苗で接ぎ木が始まる(興津の記録では10,050本の台木に接木)

1911年12月 桑名技師の考案したガス薫蒸室での消毒後再度仮植え

1912年2月14日 横浜港より桜苗木6040本を積んだ「阿波丸」が出航

1912年3月26日 苗木がシアトルを経てワシントンに到着、アメリカ農務省と昆虫局長のハワード博士により病害虫が一切無い事を確認

1912年3月27日 ポトマック公園でヘレン・タフト大統領夫人と珍田日本大使夫人参加で植樹式

1981年 戦時中の伐採と戦後の公害により消滅した荒川堤の五色桜が、レーガン大統領の呼びかけでワシントン市の協力を得て「桜の里帰り」(35種約3000本の苗木が送られる)により復興

参考資料
千住物語 荒川堤(足立区江北)の五色桜と日米さくら交流
ワシントン桜物語 アメリカと日本の友情を深める花
他多数


上記のように、「いつ」「誰が」「どのようにして」ポトマック川沿いに植樹したのかが詳細にわかっているのです。
当然ですがそこに「朝鮮」や「王桜」の入り込む余地はありません。


しかも、王桜の「発見」経緯は以下のような時系列です。


王桜が新種とされるまでの経緯
1908年4月15日 フランス人宣教師エミール・タケにより、漢拏山北側の観音寺裏手の山、海抜600メートルの地点で採集
1912年 ドイツに送られたサンプルがバラ科の権威ドイツベルリン大学ケーネ博士によって新種と同定される


当たり前の事ですが、1912年にドイツで新種と同定された桜を、1912年の2月時点でアメリカへ向けて「苗木を出荷」するなど物理的に不可能です。


ただし、これはあくまで右派系に多く見られる「最初の桜は病気で全滅し、その後病気に強い済州島の王桜が贈られた」とする、ソメイヨシノ=王桜自生説をベースとした主張への反論にしかならず、「ソメイヨシノ=王桜と日本の桜の交配種説」や、「百済から王桜が伝わった」「文禄・慶長の役の頃に持ちこまれた」「朝鮮通信使が送った」という他の説には別の反論が必要です。


そちらに関しては、以前の記事でソメイヨシノと王桜が遺伝子的に異なっている事、史実としてのソメイヨシノの誕生経緯などを書いているので、前々回の記事を参照してください。(参照:今年も続くソメイヨシノ韓国起源説


また、このブロマガの右のほうにある「カテゴリ一覧」から「ソメイヨシノ」を選んでもらうと、過去に書いた韓国側の主張への突っ込みも出てくるので、そちらも参照してください。
(流石に全てをここで網羅するのには無理がありますから)


3:ソメイヨシノ韓国起源説は根深い問題


今回紹介したように、韓国側の間違いや矛盾を説明するのはそれほど難しいことではありませんが、問題が韓国内で単なる民族主義の枠を超え「右派左派対立の政争」という属性をもっているため、実は他の韓国起源説よりも問題の根が深く、性質としては竹島問題や日本海呼称問題に近いものがあります。


ですから、単に日本側から突っ込みを入れればそれで韓国側が萎縮するという単純なものではなく、韓国内でこの政争が続く限り延々とソメイヨシノ韓国起源説も続くのです。


しかも厄介な事に、こちらは韓国起源説全般に言えることなのですが、韓国人から「良心的日本人」と呼ばれている日韓友好論者が韓国人の起源主張を間接的に後押ししているのです。


以前何処かで書いた覚えがありますが、韓国人は韓国起源説が日本人に知られる事を恐れる傾向にあるのですが、これは彼等が根拠を必要としない「主観的・絶対的正しさ」を前提として思考し、かくあるべき姿を疑いなく信じている傾向にあるので、「日本人から反論される事(※注)」を原則的に考慮していないからです。


※注(2016年3月21日20時00分追記)
韓国社会と言うのは非常に強固な序列社会であり、「対等」という概念が希薄なわけですが、その影響で彼らは根拠よりも「正しさを序列に求める(序列が高いほうが正しい)」という思考をする傾向があります。

また日本の文化に関して、韓国人は「日本の文化は全て自分達が作ったものであり、日本の文化も本来は自分たちの物がオリジナルのはずである」と考える人が多く、つまり日本文化が世界で受け入れられるという現象を「日本統治時代に文化抹殺政策を通して韓国文化を日本文化に書き換え、韓国が受けるべき賞賛を横取りしている」と考える傾向にもあります。

そしてそれが今でも国際社会で受け入れられているのは、「日本のほうが経済力(序列)が上だから不当に評価が高いため」と考え、起源主張を行っている事を日本に知られて反論された場合、「(国際社会で不当に)序列が高い日本の主張のほうが受け入れられてしまう」と考えるわけです。

また、この場合日本側から「韓国が嘘をついて日本文化を盗もうとしている」と訴えられると、韓国的価値観では日本が被害者で韓国が加害者という構図が出来上がるため(韓国社会では被害者になると序列が一気に引き上げられる)、それを避けたいという考えもあるようです。
だから日本人に知られる事を「恐れる」というわけです。



その状態で「日本人から突っ込みを入れられる」と対応できずにうろたえるのです。


ですので、日本との関係が悪化すると韓国起源説を主張する頻度も低下するわけですが、問題は日本側からこの件で韓国を批判しようとすると、日韓友好論者が批判者に対して差別主義者とか「ネトウヨ」とのレッテルを貼り攻撃するため、韓国人から見ると「正しい考えの日本人が助けてくれている」ように見えるのです。


特に近年、韓国との交流を持とうとする人々の大半が日韓友好論者ばかりとなった事で、韓国内では「殆どの日本人は韓国人の正しさを知っている、一部の右翼が韓国の躍進に嫉妬して嫌韓をしているだけだ」という考えが主流となっています。


また、日韓友好論者は「韓国へ行っても反日はない」等とメディアなどを通じて訴えたりしますが、そもそも韓国人はRPGに出てくるモンスターではないのですから、当然日本人に「エンカウント」すれば襲い掛かってくるわけではないです、せいぜい日本人には気付かれないように嫌がらせをする程度、それも体感ですが2~3割程度の頻度でしょう。


他にも、韓国起源説に関して「起源などちらでも良い」等の発言も日韓友好論者によく見られる傾向ですが、こうした発言を日韓友好論者がしている事は韓国人もよく心得ており、その態度を見て彼らは「自分達は正しい事をしており、多くの日本人も本当は自分達の考えに賛同しているのだ」との考えを持つ傾向にあります。


しかし実際には、韓国起源説によく見られる「元々は韓国の文化だったが日本が文化抹殺政策で奪った」という主張は十分「日本人から見た」反日に定義できますし、人によっては韓国起源説自体を反日と定義する人もいるでしょう。
また多くの日本人にとって、この歴史の改変を伴う「文化窃盗・剽窃行為」は不快に感じます。


つまり現実問題として反日は存在しており、そしてそれは反日よりももっと根深い韓国人の特異な価値観から発生しているものであり、それが日韓問題の主要構成要素であるにも関わらず、日韓友好論者は問題を全て無視或いは矮小化し、韓国人に対して本来の問題の火種が日韓の間のトラブルの原因ではないかのように誤ったメッセージを送り続けているのです。


特にソメイヨシノ韓国起源説の場合、官民挙げて行われている非常に規模の大きい起源主張であると同時に、現在韓国で最も活発な国際的活動の一つであり、その矛先がワシントンDCポトマック川沿いの桜並木に向けられている以上、放置すれば当然他国で「信じる人」が出てきてしまいます。


また右派左派対立の属性が加わっている以上、右派左派共に民族主義の鼓舞にこれを利用するわけですから、当然「一部のおかしな人が言っているだけ」という理屈も成り立たず、また根拠を提示して反論すればそれで終るというものでもありません。


実際、竹島問題や日本海呼称問題などでは、何度日本側が韓国側の主張を根拠付きで否定しても、その間違いが判明した説を韓国側が何度も何度主張し、いつまで経っても終りが無いという状態に陥っています。
このまま放置しておけば、いずれソメイヨシノ韓国起源説も同じ状態となり、最悪の場合はワシントンの桜祭りが「乗っ取られる」でしょう。


この「成果」が韓国で右派或いは左派の政治的な功績に直結しているのですから、彼らは非常に積極的に活動しているのです。


だからこそ、特に韓国起源説に対する日韓友好論者の態度というのは、文字通りの「癌」でしかないのです。
彼らの行いは韓国に誤ったメッセージを伝え、韓国内の民族主義の先鋭化を正当化する口実にしかならず、日韓の間にある問題を悪化させ続けているからです。


そしてだからこそ、日本国内で「日韓の間にはこのような問題があるのだ」という事を周知していくことが極めて重要なのです。
この問題と問題の根元がどこにあるのかを正確に知る日本人が増えれば、それだけ問題の解決に向かう事が出来るわけですから。



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(※1)
「私の国籍は日本」李承晩米国滞在時代手書き国籍表記の衝撃
newsis(韓国語) 2013-10-05
http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20131005_0012410664&cID=10104&pID=10100

初代大統領の李承晩(イ・スンマン)に対する再評価作業が行われている中、アメリカ滞留時代に国籍を日本と表記した文書が公開されて注目を集めている。

最近アメリカの国家記録院と古文書保管サイトのAncestry.comが公開した資料によれば、1918年の李承晩元大統領の徴集書類で国籍が日本になっている事が判明した。

これに関連してニューヨークの韓国日報では、この書類は『第一次世界大戦徴集カード(U.S. World-War I Draft Registration Cards)』で、李承晩元大統領の『英語名』(Syngman Rhee)、『生まれた年』(1875年)などと一致する連邦文書60件が発見されたと伝えた。

李承晩元大統領が直接筆記体で作成したこのカードには、年齢(44歳)と旧暦誕生日(3月26日)、職業は韓国学校校長(Korean School Principal)、ハワイ在住住所など人的事項が書かれている。

また、『一番近い親戚』はイ・シム(Shim Rhee)にして関係を『妹(Sister)』に、韓国の住所と一緒に作成して人種は『アジアン(Oriental)』と表記した。

驚くべき事は、李元大統領が自分の国籍を『日本』(Japan)と記載したという事実だ。日本の強制併合で植民地の国民に転落した時点ではあるが、ハワイなどアメリカで外交中心の独立運動を行っていた彼が、個人情報欄に国籍を日本と明記した事は非常に興味深い。

第一次大戦徴集資源(志願かも?)を把握するために作成された徴集カードは、当時アメリカに住む18~45歳の男性を対象に行った。市民権者はもちろん、アメリカに住む全ての外国人男性を含み、アメリカ全域で約 2400万人がカードに自分の個人情報を収録した。現在この徴集カードは『セレクティブサービス(Selective Service)』という名称で満18~25歳の男性を対象にしている。

彼が国籍を日本に表記したのは、植民地民に転落した時点でアジアの列強である日本の国民に個人情報を記録した方が良いと判断した経緯からである。しかし翌年に上海臨時政府の大統領に選出されるなど、海外の独立運動の中心にいた彼がアメリカの公文書に『日本人』と明記したのは、皮肉としか言いようがないところである。

一方では、物議の種である彼の『親日指向』によるものだという分析もある。露日戦争終盤の1905年8月4日、李承晩はハワイのユン・ビョング牧師と一緒に、セオドア・ルーズベルト大統領に面談している。

これを巡り、李承晩が高宗密使に派遣されていたという説が定義されたが、当時ニューヨークのヘラルドトリビューンなどアメリカの新聞報道によれば、李承晩とユン・ビョングは、「我々は皇帝の代表者ではなく、“一進会”という団体の代表者である」とし、「皇帝は韓国人の利益を代弁する事ができない」と、大韓帝国と高宗を積極的に否定した。1904年結成された一進会は翌年の11月、朝鮮の外交権を日本に渡したウルサ条約(第二次日韓協約=乙巳保護条約)を積極的に賛成するなど、大衆的影響力を持った親日団体に成長した。

ニューヨークのヘラルドトリビューンは、「ロシア人々はずっと敵だったし、我々は日露戦争で日本が勝っていることに喜ぶ」というユン・ビョングの言葉と共に、「日本とロシアの間でこれらは日本を主人に選択する事に躊躇しないと見られる」と伝えている。

一方、今回発見された古文書に中には、1933年の李元大統領のニューヨーク入港記録もある。1933年にヨーロッパを訪問した後、フランスを出航した『レックス号』に乗ってニューヨーク港を通じてアメリカに入国した記録だ。この入国書類に書かれた李承晩の職業は『博士、教授(Doctor, Professor)』で、「英語を読んで書けるか?」という質問欄は、『はい(Yes)』となっている。人種は『韓国人(Korean)』、出生地は『韓国(Korea)・ソウル(Soeul)』で作成している。

他にもフィリピンと日本などを出発してハワイ・ホノルルやカリフォルニア・サンフランシスコなどに到着した多数の入港記録と、陸路を通じてカナダ・ブリティッシュコロンビア州からアメリカに渡った入国記録などが一緒に発見された.。