日韓問題(初心者向け)

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韓国人とアイデンティティー


さて、本日なのですが最近韓国を観察していてふと新たに気付いた事があり、その気付いた事を基に以前書いた「韓国人は世界一「嫌韓」」で言及した「韓国人にはアイデンティティーが存在しない」という説を別のものに置き換える事にしました。


ただ、今回書く結論に至ったのがつい昨日のことですので、もしかしたらまだまだ穴のある説かもしれません、その点だけご了承ください。


以前このブロマガでは「韓国人の多くにはそもそもアイデンティティーが存在せず、その代替物として蔑視ありきの自民族中心主義がある」と書いてきた。


しかし、最近いくつかの事例に矛盾するような出来事がある事を発見し再考察してみたところ、韓国人は私達とは全くあり方の違う形でのアイデンティティーが存在するのではないかという考えに至った。


通常私達は他者との「違い」を自己の中に見つけ出し、相対的に自己を定義付けてアイデンティティーとしているが、一般的な韓国人は他者との間に「違い」ではなく「優劣」を見出すことで自己を定義しているため、私達からはアイデンティティーがないように見えていただけの可能性がある。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはウェブアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:韓国人にアイデンティティーは存在しないのか?


過去このブロマガでは、韓国における移民希望者の数、「生まれ変わったら韓国人以外になりたい韓国人」の数、自身の名前を変えたい韓国人の数など、通常私達が「アイデンティティーを定義する」うえで必要な要素を「変えたがる」韓国人の多さから、彼らにはアイデンティティーが存在しないのでは?と結論付けていました。


(※:最初に引用した当ブロマガの過去記事にもありますが、韓国は潜在的な移民希望者が若い世代を中心に非常に多いです)


が、先日以下の記事を読んでいてふとある疑問がわいてきました。


韓国の親が子どものランドセル購入に飛び回るワケ
Record China 2016年3月6日
http://www.recordchina.co.jp/a130158.html

2016年3月5日、韓国・朝鮮日報はこのほど、小学校入学を控えた子どもに、人気の高価な通学かばんを買い与えようと奔走する韓国の親たちの姿を報じた。

韓国の小学生が日々の通学に使うかばん市場で、最近「プレミアムかばん」と呼ばれる高級商品が人気になっている。価格はだいたい20万〜100万ウォン(約1万8000〜9万1000円)、有名ブランドのシリーズは発売直後から品薄状態が続き、中古品のオンラインショップで商品を検索する親もいるほどだ。この高級化の波に乗って、一部の富裕層の間では日本のランドセルも人気。こちらも韓国の売り場では品薄で、数十人の仲間を募って日本から共同購入する例もある。

しかし親が苦労して買い与えた人気商品が原因で、学校では笑えない事態も起きている。記事は、韓国で一番人気のブランドかばんを背負って登校した娘に「クラスに同じかばんを持っている子が7人もいた」と言われたという母親や、「日本のランドセルを買ってもらった子がクラスに2〜3人いたが、重過ぎるので結局は軽いかばんに買い替えていた」という教師の証言を紹介した。ソウルに住むある母親は、「最近の子は互いのマンションの広さを聞き合うくらい親の経済力に敏感だ」と聞いたことから、「子どもが無視されたらと思い、高い日本製のランドセルを買う以外になかった」と語っている。

関連記事
6万円の日本製ランドセル、韓国で売り切れ続出 朝鮮日報 2016/03/06


これら一連の記事を読んでいて疑問に感じたのが、「こうした同調圧力のようなものは多かれ少なかれ日本や他の国にもある」だったのですが、これまでの韓国分析に当てはめると、これは「経済事情という他者の劣等性」から自己の優越性を感じようとする韓国人固有の特徴となります。


しかし先ほども書いたように、同じような同調圧力は韓国以外でも存在するため、これに当てはめると韓国人以外でも「他者の劣等性から自己の優越性を見つけ出す」が当たり前となってしまいます。


ただ、そうだとすると自身のアイデンティティーの構成要素である所属する国や名前、外見などを総合的に簡単に変えたがる傾向が日本やそのほかの国でも顕著に見られるということになるのですが、そのような事実は存在していません。


韓国人以外の多くの人々は、一般的に所属する国や民族や人種・外見などにしっかりとアイデンティティーを感じているということですから、当然矛盾が生じてしまいます。
こうなると「アイデンティティーが存在しないから」という大前提が成り立たず、別の解釈が必要になってくるわけです。


2016年3月9日23時48分追記
また韓国は民族主義傾向が非常に強いですが、これは通常の民族主義ではなく「蔑視ありきの自民族中心主義」に基き、「他者がこれだけ劣等だから自分達は優れているのだ(自己がどう優越なのかは考慮されない)」という発想から来るものであり、それは以下の記事などが顕著です。


【寄稿】韓国が日本を無視しても構わない理由 朝鮮日報 2015/09/27 (1/2ページ)(2/2ページ


この記事では「日本がいかに劣等か」しか書かれていませんが、韓国人的価値観では日本の劣等さから韓国が日本よりも文化的・民族的に優れているという事が証明されます。
ですので、元々の私の考え方では「民族主義ではあるがそれはアイデンティティーとしては確立していない」という考えでした。


あくまで「蔑視ありきの自民族中心主義はアイデンティティーの代替物」という定義付けだったからです。


※余談になりますが、韓国人の使う「無視」という単語には、相手を侮辱するとかバカにするというニュアンスが含まれているような印象を受けます。


2:「違い」ではなく「優劣」で判断する社会


そこで次に、改めて「アイデンティティーそのもの」について考えてみました。
そのうえでいくつかアイデンティティーついて言及しているページや辞書の記述なども参考にしたのですが、私は以下のように解釈しました。


参照:三省堂辞書サイト 10分でわかる「アイデンティテー」の意味と使い方


アイデンティティーとは、自己と他者を相対化し主観的・客観的に比較する事でそこに「違い」を見つけ出し、違いから自己を定義する行為。


これだけですと、所属する国や外見、名前などを簡単に変えたがる傾向の強い韓国人は「アイデンティティーが確立していない」と解釈する事が出来るわけですが、それだと先ほども書いたように矛盾が存在してしまいます。


そこで次に、この部分に韓国社会の特徴である「どんな事でも比較対象にしたがる」という傾向を当てはめて考えてみました。
「違いを認識する」という事は要するに比較行為だからです。


韓国人というのは、とにかく他者との比較をしたがる傾向にあり、「世界○番目」「世界○大国」「世界○大強国」等のフレーズを非常に好みます。
アイデンティティーとは、先ほども書いたように他者との比較によって成り立つものである以上、韓国人のこの傾向はある意味でアイデンティティーの確立を行っているとも解釈できます。


そこで特徴的なのが、最近日本と韓国へやってくる観光客の数が逆転した事例です。
この件に関して、日本では特にニュースになっておらずそもそも「韓国と競争している」という意識すらないわけですが、韓国ではこの事がかなりの大ニュースになりました。


韓国人海外旅行者、先月の旅行先1位は日本…東南アジアを超える 中央日報 2016年02月02日
「なぜ韓国人は日本に観光客を奪われても腹を立てないのか」 朝鮮日報 2016/02/03


そしてなぜ日本では競争している意識すら無いにも関わらず、韓国ではそれが大騒ぎになっているのかを考えた時、先ほどの矛盾に答えを見つけ出すことが出来ました。


韓国において行われる「比較」というのは、原則的にほぼ全てが「順位付け」です。
そして、この順位付けとは要するに「序列の決定作業」であり、韓国人は観光客数が日本より少なかった事を「自分たちのほうが日本より序列が下になった」と感じたため、危機意識や怒りを感じたわけです。


つまり、本来自己のアイデンティティー確立とは他者との違いを比較することで成り立つものなのですが、韓国社会ではこのアイデンティティー確立で「違い」を認識せず「優劣」を計っているわけです。


━━2016年3月10日21時42分追記━━
書き方を変えると、私達の場合は比較する事で自身と相手にはそれぞれ異なった特徴があるのだという事を自覚するわけですが、韓国人の場合には双方の「異なった特徴」というものを認識しないか、或いは軽視し、単純な優劣で「どちらが上か下か」という比較を行なっているという事です。
━━追記ここまで━━


するとどうなるかというと、所属する国や名前、顔などを簡単に変えたがるという行為は、アイデンティティーが存在していないのではなく、「個の特徴の違い」とは異なる、「どちらが上か下か」という序列を前提とした優劣を比較する行為であり、そこから独特のアイデンティティーが形成されているのではないかという事です。


そしてその前提で考えると、「変える」という行為は「(序列を上げる為に)優れた方に変わる」という解釈ができます。


これは例えば観光産業に関する最近の韓国メディアの記事でも特徴的であり、日本へ向かう観光客が韓国へ向かう観光客より増えたのだから、「韓国式ベンチマーキング=真似」をする事で「優れたほうに変わろう」としているのです。


雪がお金だ…観光商品開発に成功した日本の辺境地の村(1) (2) 中央日報 2016年02月02日
<文化が力だ>(3)社会問題、デザインが解決法…旧都心で「江戸時代」発掘した長浜(上) (下) 中央日報 2015年08月31日


観光産業という分野を考えた場合、私達の発想では「他との差別化」つまり個々の違いを作り出すことで個性を出しアピールを行おうという発想になるのですが、優劣を前提として自己を確立する韓国人的発想では、相手のほうが「優れている」のだから同じように優れている事をすれば相手より序列が上がるという発想になります。


この特徴的な反応は、例えばノーベル賞関連でもよく見られます。


【社説】科学分野ノーベル賞日本21人・中国1人、韓国人受賞はいつ? 朝鮮日報 2015/10/07
日本が韓国よりノーベル賞受賞者がずば抜けて多い理由 中央日報 2015年10月07
【噴水台】リピートの中のノーベル賞剥奪感=韓国 中央日報 2015年10月07日


彼らの発想は全て、「なぜ日本が取れているのに韓国は取れないのか」「どうやったらノーベル賞が取れるのか」「どこを真似すればノーベル賞を取れるのか」に終始しています。
「賞ありきではなく個性的な研究が必要」という発想が希薄なのです。


これを最初のカバンの事例に当てはめても矛盾がなくなります。
日本や大半の国の人々の場合には、集団の中における「違い」を避けるために同調圧力を働かせるわけですが、韓国の場合には比較によって「優劣」をつける傾向にあるため、劣等とならないためにあのような結果になるわけです。


恐らく根本的な発想として、彼らは「違い」というものをあまり意識していないか、或いは重要視していないのでしょう。
全ては優劣という比較大前提なのです。


3:私達とは根本から発想の異なる社会


以上のように、私達がアイデンティティーを確立する場合、他者との比較によって違いを見つけ出し、自身と相手が「違う」という事から見出します。


しかし韓国人の場合、「違う」という事が殆ど意識されずその代わりに「優劣」で比較を行う事で、私達とは異なる経路から独特なアイデンティティーを形成するため、私達の常識に照らし合わせた基準では「アイデンティティーが存在しないように見える」というわけです。


私達の常識からするとかなり突飛な発想ですが、韓国人にとってのアイデンティティーとは「相手より優れているか・劣っているか」なのです。


この前提で蔑視ありきの自民族中心主義という彼ら独特の価値観を解釈してみると、今までとはまた違った見え方が現れます。


以前の考え方では、アイデンティティーの代替物として他者の劣等性を見つけ出しているとなっていましたが、今回至った考えに基くと「相手の劣等性を見つけ出すことこそ彼らのアイデンティティー」という事になります。


つまり韓国社会においては、自己を自己たらしめるためには必ず他者の蔑視が必要という事になり、教育によって蔑視ありきの自民族中心主義が広まったというよりも、元々が彼らの社会では「劣等性本位制」のような概念が社会に存在し、近年はそれが先鋭化しただけという事になります。


━━2016年3月10日22時34分追記━━
元々彼等が自己の行いを余り考慮せず、自他の評価を「相手ががいかに劣等であるか」のみを基準とする傾向にあるのも、恐らくは個々の「違い」というものを考慮しておらず、優劣のみを前提とすることでアイデンティティーを形成しているからこそなのでしょう。


違いが考慮されないのならば、「自己がどうして優越しているのか」という命題で、自己の内面を見つめる必然性が無いですから。
━━追記ここまで━━


当然のことですが、ここまで「異なる」相手との通常の友好はまず不可能でしょう。
そもそも私達から見た韓国の反日というのも、本質的には「日本人の劣等性」から自己のアイデンティティーを確認しているという事になります。
以上がここ数日私が考えた結果出した結論です。



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