日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国では「仮定の話」が「事実」として成り立つ


さて、本日なのですが最初に少し注意事項を。
韓国においても、単語としての「仮定」と「事実」は別のものとして区分けされています。
今回紹介するのは、そのうえで韓国社会においては仮定の話が概念上事実として論じられる状態が、日常的に成り立っているという意味です。


要約

韓国人との(主に対立する事柄の)会話において、日本人がまず最初にぶつかるであろう壁に「韓国人は仮定の話を事実として論じてしまい、会話が成り立たない」という問題がある。


これは、韓国において過程や根拠が重要視されず、自分達が理想とする「かくあるべき姿」に基く「今の感情」が最も重要視される傾向にあるからであり、結果的に彼らは結論ありきで思考するためこのような問題が発生する。


そしてこの事は政府レベル、学術レベル、場合によっては司法のレベルでも日常的に行われる上に、韓国人から良心的日本人と呼ばれる日韓友好論者が、しばしば彼らの論じる「仮定の話」を無批判に受け入れてしまうため、彼らの中で既成事実化してしまい更に対話不能になる事例も多い。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはウェブアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:外交上の反論の根拠として成り立つ「仮定の話」


まずはこちらの記事から


慰安婦の強制連行否定 「問題の本質ごまかす」と批判=韓国
聯合ニュース 2016/02/01
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2016/02/01/0400000000AJP20160201002500882.HTML

【ソウル聯合ニュース】韓国の外交部当局者は1日、記者団に対し、日本政府が国連女子差別撤廃委員会に提出した報告書で、旧日本軍の慰安婦問題と関連し、強制連行を否定したことについて、「文書記録がないとして強制連行を否定することは問題の本質をごまかすこと」と批判した。

 韓国当局者の発言は、日本政府が河野内閣官房長官談話(河野談話)で示された「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」という「広義の強制性」は否定しないながらも、軍や官憲による「狭義の強制性」を否定し、慰安婦の強制連行問題をごまかそうとしていると批判したものだ。
(中略)
同当局者は「強制連行の論争に巻き込まれる必要はない」として、「慰安婦被害者の中でも強制的に連れて行かれたと証言する方がいる」と説明。強制連行の証拠が残っていないとの日本側の主張に対しては、▼当時にも違法だった強制連行の記録を残さなかった可能性▼敗戦とともに関連記録を廃棄した可能性▼当時、朝鮮半島で植民統治が確立していたため、強制連行の形を取らなくても本人の意思に反する動員ができた可能性――などを取り上げて反論した。
(後略)


これなのですが、以前から書いている日韓における慰安婦問題の最も重要な論点である、「軍命令による組織的強制の有無」の問題です。


日本側は「軍命令による組織的強制は存在しない」とのスタンスであり、韓国側は「軍命令による組織的強制が存在した」とのスタンスであるため、この問題は延々と続いているわけですが、今回重要なのはそれが実際にあったかなかったかの論争の問題ではありません。


重要なのは上記記事で韓国外交部が公式声明として発表した以下の部分です。


  • 当時にも違法だった強制連行の記録を残さなかった可能性
  • 敗戦とともに関連記録を廃棄した可能性
  • 当時、朝鮮半島で植民統治が確立していたため、強制連行の形を取らなくても本人の意思に反する動員ができた可能性


証言の問題は過去記事で取り上げているので今回は省略し、上記の内容についてとなるわけですが、「証拠が存在しない」という意見に対して、根拠の提示されない「○○の可能性」という内容は反論足り得るでしょうか。


日本人の一般的な価値観においては、これは「間接的推定」に基く「仮定の話」であって、これを反論として持ってくる場合には一つ一つにそれを裏付ける客観的な根拠が必要となります。
仮定の話はあくまで仮定の話であって、具体的な根拠に基く客観性が証明されない限り事実とはなりえないからです。


また、「事実と仮定を混同する」という論法は、日本において一般的に詭弁と定義されます。


しかし記事を見ても解るように、韓国においては政府レベルの公式見解で、事実と仮定が混同され仮定の話が「証拠が存在していない」という内容への反論として説明されています。
韓国社会においては、政府レベルで仮定の話を事実と混同しても成り立つのです。


2:学術レベルで「仮定の話」が史実として成り立つ


つい最近の事なのですが、何年か前に韓国で発見された百済の木簡が「九九の表である」と確認され韓国で大きなニュースとなりました。


これなのですが、韓国でとりわけ大きなニュースとして報じられたのには他にも理由があり、調査を行った国立の研究機関が「日本に九九を伝えたのは百済と判明したからだ」と発表したからです。


これも以前から書いていますが、韓国においては「石器時代だった日本に文明を伝えたのが百済新羅」とか「日本は百済新羅が支配していた」とか「天皇百済人である」といった根拠不明な俗説が史実とされているため、「百済が未開な日本に九九を伝えたのだ」と韓国で盛り上がったからです。


しかしそれを伝えるニュース記事を読んでいるとおかしな事に気付きます。


どこを読んでも、証明されたのは「7世紀の木簡が九九と証明された」というだけであり、「日本に伝えた証拠」とか「日本の九九表との類似性」などの証明は一切されておらず、木簡が九九と証明された=日本に伝えたと証明されたというロジックになっているのです。


(※1)
"百済九九ニュースに日本がしょげた理由は?" ノーカットニュース(韓国語)  2016-02-01


まず重要なこととして、日本でも8世紀の九九の木簡が奈良県平城宮東方官衙跡から過去に発見されており、詳細な調査によって「中国から九九が伝わったようだ」という事が発表されています。


その根拠として、発見された九九の木簡が中国の隋や唐で使用されていた九九の特定の算術書と類似性があり、特に「=」の表記法として「如」が使われていることから、原典が「孫子算経」ではないかとされたからです。


九九の中国伝来、裏付ける木簡 平城宮跡で出土 日経新聞 2010/12/3


つまり遣隋使か遣唐使が持ち帰った文物の中に、「孫子算経」かそれに類するものがあったという事の根拠となるのですが、今回の韓国側の発表を見ると、実は今回韓国で確認された木簡では「=」の表記として「如」が使われていないのです。


学問としての一般的な思考をすれば「日本と百済には別々のルートで中国から九九が伝わった」という事になり、百済の木簡は原典が「孫子算経」ではない可能性が高いという事です。


しかし韓国では、「日本のものより少し古い九九の木簡が出土した」という内容から、一足飛びに「日本に九九を伝えたのは百済だ」という話になっており、明らかに理論の飛躍と事実と仮定の混同が見られます。
国立の研究機関における学術分野の話でも、仮定の話が事実として通用するのです。


3:司法の分野でも通用する「仮定の話」


以前も何度か話題にしたことのある対馬の仏像盗難事件なのですが、現在でも盗まれた仏像のうち一つが返還されていません。


韓国は「文化財の不法な輸入、輸出及び所有権移転を禁止し及び防止する手段に関する条約」を批准しているので、本来ならば盗難品は日本へ返還しないといけないのですが、韓国の裁判所が返還の差し止めを行っているので返還されていません。


そして、韓国の裁判所が差し止めをしている理由が今回のテーマと同じ「仮定の話」に基いています。


韓国側の主張は「搬出経緯が明確ではなく焼け焦げたような跡などもある事から、元々朝鮮の寺にあったものを倭寇が略奪した可能性が高く、正当な理由で拾得した事を証明しない限り返還できない」との内容です。


対馬盗難仏像の返還は司法判断を尊重=韓国文化長官 聯合ニュース 2013/09/28


しかしおかしいのは、「盗まれた」とされる客観的根拠がそもそも存在しておらず、「焼け焦げたような跡がある」とか「持ち出された可能性のある時期が倭寇の期間に近い」という推定から、一足飛びに「略奪された」という話まで飛躍している事です。


600年近く前の事柄に現代の法律を適用できるのかという問題もありますが、根本的に現代の法に従うのならばまず「略奪された」という事を韓国側が客観的に証明できなければ本来はお話になりません。


しかし韓国の裁判所は、間接的推定に基く「仮定の話」としての「倭寇に略奪された」という内容を前提に、「日本に渡った経緯が分かるまで返還しない(日本が略奪された物ではないと証明しろ)」としているのです。
本来ならば法治主義国家ではあり得ない判断です。


韓国では、司法の場でも仮定の話が事実と同等に扱われるのです。


4:なぜ韓国では事実と仮定が混同されるのか


今回紹介した事例のように、韓国ではあらゆる分野で仮定の話が事実と同等に扱われています。


日本人の一般的価値観から見ると非常識極まりないのですが、なぜこんな事が韓国でまかり通るのかについては、韓国人独特の価値観である「(自分達の理想とする)かくあるべき姿」や、経緯や経過を重要視しない「今の気持ち」が最も重要とされる価値観などが関係しています。


彼らの価値観においては、客観性よりも主観に基く「かくあるべき姿」が重要視される傾向にあり、またそこに至るまでの経緯や経過よりも「今現在の感情」を重要視する事が美徳とされています。


そのため、いくら彼らの「かくあるべき姿」に反する資料や根拠が存在していても、または彼らの望む姿に反する経緯や経過が存在していても、「今の感情」が優先されるため彼らの中では受け入れることができないのです。


ですから、どんなに無理があっても「かくあるべき姿」に基く「今の感情」を優先するため、往々にして仮定の話が事実と混同されて使われるわけです。


また、彼らは意図して事実と仮定を混同する詭弁を使っている場合はむしろ稀であり、大抵の場合そもそも意識せずに事実と仮定を混同している場合が多いです。


たとえば、「それは仮定の話であって根拠足りえない」と指摘された場合、事実と仮定の区別が付いているのならば、誤りを認めるか或いは言い訳をしたり何らかの方法でその場を取り繕って整合性を取ろうとするわけですが、彼らは往々にしてそのような態度を取りません。


よほど追い詰められない限り、ただ単純に「捏造だ」と相手の指摘を突っぱねるか、或いは仮定に次々と仮定を積み重ねたり、別の仮定で上書きしようとしたりします。
もし「区別できている」のならばこのような反応はまずしないでしょう。
これはつまり私達とは根本から思考のロジックが異なるという事です。


2016年2月11日21時31分追記
書き忘れがあったため、「相手の指摘を突っぱねるか、~」以降の部分を書き加えました。


また彼らのこの事実と仮定の混同には別の問題もあります。
韓国人から良心的日本人と呼ばれる日韓友好論者は、大抵の場合この韓国人による事実と仮定の混同を無批判に受け入れる傾向にあります。


他にも、上記のような人々とまではいかなくとも、「何であれ友好するのは良いことだ」と日本人と韓国人の決定的な価値観の違いを理解しないまま安易な交流を行うため、結果的に彼らの事実と仮定の混同の既成事実化に利用されてしまう人々もいます。


たとえば、去年9月に韓国で開かれた国際学会において、奈良県橿原考古学研究所附属博物館の木下亘副館長という人物が、「古代シルクロードは中国・西安を起点にローマへと続く道ではなく、新羅とローマを結ぶ道だった」とする主張の既成事実化に利用された事例があります。


「シルクロードの起点は西安ではなく新羅」 朝鮮日報 2015/09/21


(※ 少々余談となりますが、そもそもシルクロードというのは文字通り「絹の道」の事であり、古代中国において養蚕が盛んであり一大産業として成立していた事から、西の方の様々な国家や民族がシルクを求めて中国との交易を行い、シルク以外にも様々な物品の交易の拠点として西安が利用されたという歴史的背景があります。

だから「シルクロード」なのです。

また、当時日本や朝鮮半島でも養蚕は行われていましたが、交易を行えるほどの産業規模はなく西方の諸国や民族との大規模交易も行われていないので、当然「起点」とはなりえません。)


この人物が先ほど挙げた「どちら」なのかはこの記事のみでは判別できませんが、少なくともこの「シルクロード韓国起源説」とも呼べる主張の既成事実化に利用されたのは間違いがないです。


安易な交流はこのような問題も引き起こすのです。
「日本人と韓国人は根本的な価値観は違う」この事を知る事がどれ程重要なのかがよく解る事例です。
価値観の違いが存在する事を知らなければ、本人の意図するしないに関わらず、様々な問題が引き起こされる場合もあるのです。



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(※1)
"百済九九ニュースに日本がしょげた理由は?"
ノーカットニュース(韓国語)  2016-02-01
http://www.nocutnews.co.kr/news/4541411

■放送:CBSラジオ<キム・ヒョンジョンのニュースショー>FM98.1(07:30~09:00)
■進行:キム・ヒョンジョン(アンカー)
■対談:イ・ビョンホ(国立弥勒寺(ミルクサ)跡遺物展示館館長

数学の勉強の基礎で一番重要なのが九九でしょう。ところがこの前、1500年前、つまり百済で使われた九九表が発見されて話題になりました。非常に長い木板に筆文字で記されている九九表が発見されたのです。我が国ではこれまで九九表が発見されたことが一度もなかったため、これが本当に百済の九九表かどうかで諸説乱舞がちょっと続きました。

結局は百済で使われた九九表と結論が出ました。今日の話題のインタビュー、九九の話ちょっとします。韓国木簡学会理事であり国立弥勒寺(ミルクサ)跡遺物展示館の館長です。イ・ビョンホ館長、つないでみます。館長様、こんにちは。

◆イ・ビョンホ>こんにちは。
◇キム・ヒョンジョン>が百済九九表を判読した方でしょうか?
◆イ・ビョンホ>はい、そうです。
(中略)

◇キム・ヒョンジョン>これまで日本が日帝強制支配期に我が国に九九を伝えてくれた、このように思っていました。これをもうひっくり返したわけですね。

◆イ・ビョンホ>ところが事実、最近の2000年代初期に日本の奈良文化財研究所が日本の東方官衙遺跡を発掘し、そこで九九表が発見されました。表現は「九九如八十一」で等号(=)に如を使っています。中国のとても古い文献も同じように等号に如を使いました。それで日本では8世紀台の日本の九九木簡は韓半島を経ずに直接中国から日本に渡った可能性、直接伝来の可能性を大々的にメディアで広報したことがあります。ところが7世紀の百済遺跡で木簡が確認されたことによって日本の主張はもうこれ以上成立できなくなった、その点で、とても重要な意味を持ちます。

◇キム・ヒョンジョン>うまくいきました。日本がしていた話が無くなったんですね(笑い)。突然の質問ですが、世界的には九九がいつどこから使われ始めましたか?

◆イ・ビョンホ>西アジアで発生したという説もありますが、中国の場合、文献記録上では紀元前10世紀からすでに九九があったことが確認されています。そして我が国の場合も広開土王陵碑を見れば広開土王が即位した年を記録する歴史記録を見れば18才で即位したことになっています。ところが広開土王陵碑には‘二九登祚’として2×9=18に該当する表現があります。これを見ればすでに高句麗の時も九九を知っていたと推量できます。このように具体的な資料を見せることによってこれ以上の議論は眠らせることができるようになったと考えます。

◇キム・ヒョンジョン>そうですね。我が国の人々は数学が得意でしょう。ここでもまた、証明になりますね。何よりも日帝強制支配期になって私たちがはじめて九九を日本のおかげで知ることになったという汚名をそそげて良いですし。

◆イ・ビョンホ>新羅の場合には国学という国立大学に該当する所で算学を教えた記録が残っています。そしてその当時には九章算術と言って今日の二次方程式程度に当たる計算を実際に下級官員らや官僚らが解いたそのような記録も残っています。なのでとても早くから我が国で数学に対する見解や識見があったと考えることができます。

◇キム・ヒョンジョン>分かりました。今後もこういう遺物をたくさん分析して下さい。
◆イ・ビョンホ>ありがとうございます。
◇キム・ヒョンジョン>ありがとうございます。