日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

日本と韓国では「差別」に対する考え方が違う


さて、今回は以前書いた「韓国人の差別意識の特徴とタイの嫌韓」に関連した内容となります。


以前の記事では、韓国的価値観では上下関係が全てであり、韓国独特の価値観で劣等と定義された相手が蔑視の対象となり、その事を多くの韓国人は当たり前の事としているという内容を書きました。


今回の事例では、上記に加えてそもそも根本的に何を差別と定義するのかが彼らと私達では大きく異なるため、同じ単語を使っていても実際にはまるで異なる認識をしている事を書いていきます。


そもそも差別というものを考えた場合、これはかなりの部分を個人の主観に依存しているものであるがため、多くの人が差別と感じる場合もあれば、特定の人以外からは差別とはまるで感じられないものまで多岐にわたり、例えば去年の1月に問題となったANAのCM(参照:「金髪に高い鼻」は人種差別、ANA新CMに外国人から苦情 AFP 2014年01月20日)のように、当事者達にはまるでそのような意識はなくとも、相手から見れば差別と取られてしまう事例もあります。


しかしそれを踏まえてもある程度国際的に共有できる判断材料があり、「他者に対して蔑視的と取られないようにする事」を心がける事ができ、主観に依存するためそれすらも判断が難しい場合もありますが、一応の多国間における共通認識とする事ができます。


ただしこと韓国の場合、そもそもこのセオリーが通用しません。
なぜかといえば、韓国社会では対等という概念が一般的では無いうえに、他者の劣等性が自己の優越性の直接的根拠となる価値観があり、尚且つ自己の正当性を主張するうえでも他者の劣等性が非常に重要となるという、他者に対する蔑視を当たり前とする社会であるからです。


そのため、韓国においては「他者に対して蔑視的であってはいけない」という認識にも私達とはズレがあり、彼らの中では「正しい(優越的)存在が不当に扱われる事(蔑視されることも含まれる)」が差別と定義されているのです。
要するに、「他者」が無条件ではなく条件付なのです。


裏を返せば、彼等が間違っている(劣等)と定義した相手に対しては、文字通り何をしても許されるうえに、それは正当な行いであって差別では無く、むしろその彼らの行為を批判する相手こそ「正しい事をしている相手を不当に貶めている」となるため、差別主義者となる場合すらあります。

まずはこちらの記事から


韓国紙掲載「墜落の風刺画」、ロシア大使が非難
TBS 2015年11月5日
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2629372.html
http://web.archive.org/web/20151107144816/http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2629372.html


乗客乗員224人が死亡したロシア機の墜落に関連して、韓国の新聞が掲載した風刺画が侮辱的であるとして、韓国駐在のロシア大使が非難しました。

 3日付の韓国の新聞「コリア・タイムズ」には、墜落したロシア旅客機に関するイラストが掲載されました。旅客機の上で、過激派組織「イスラム国」を示す鳥が「我々がやった」と言っていることに対して、「運命」と書かれたマントを羽織った死神が「手柄泥棒め」と言い返す様子が描かれています。

 JNNの取材に対し、韓国のロシア大使館は、「無実の人々が犠牲になったロシアの航空機事故をめぐって掲載された風刺画は、私たちの国に対する侮辱と考えている」と述べ、コリア・タイムズに抗議する予定であることを明らかにしました。

 また、ロシア通信は2010年にモスクワで40人が死亡したモスクワ地下鉄テロ事件の際も、「コリア・タイムズ」が侮辱的な画を掲載したと伝えています。



これなのですが、我々の価値観では非常に不謹慎な蔑視的表現となるわけですが、韓国社会における一般的な価値観ではこれは何の問題も無い表現です。


なぜなのかといえば、少し前にロシアはウクライナ問題で世界中から批判されたわけですが、その時点で韓国人的価値観においては「ロシアは劣等」と定義されたため、自動的に韓国人はロシア人よりも優越的な存在となり、ロシア人に対する無差別テロの犠牲者へのこのような表現も、「劣等な相手には何をしても許される」という価値観から正当な行いとなるわけです。


また、韓国メディアにおけるこの系統の表現は特に今回が始めてというわけではなく、過去にも何度も行われており、そのたびに国際社会から批判されているわけですが、価値観の違いから本質的に彼らはなぜ批判を受けるのかが根本的にわかっていない場合が多いです。


バージニア工科大銃乱射事件当日 2007年4月16日

ソウル新聞
ブッシュ大統領:1発で33人・・・これで改めて我が国の銃器技術の優秀性が・・・
(※ソウル新聞は犯人が韓国系と判明するとこの画像を別のものに差し替えました)

【4月9日】大恥
朝鮮日報 2005/04/08
http://www.chosunonline.com/article/20050408000068
http://web.archive.org/web/20070505183900/http://www.chosunonline.com/article/20050408000068


盧武鉉:あのような人たちと一緒に住むということは、世界にとって不幸だ
国際会議出席者:また、原爆を落とされたか


上記の事例も同じで、彼らの価値観においては何かしら相手の劣等性があれば自動的に自身が相手に対して優越的存在であるとみなされ、そして優越的存在、つまり上位の存在は下位の存在に対して何をしても許されるという考え方から、自然と上記のような考え方になるわけです。


このように、他者を蔑視することが自己確立や表現のベースにあるがために、「差別」というものに対する考え方も大きく変わるわけです。
またある程度察しは付くと思いますが、こうした価値観が背景にあるため、例えば他国の人が韓国に対して上記の画像と同じような事をしたら、当然韓国人は「差別だ」と怒ります。
なぜなら「正しい存在を不当に扱った」からです。


またこうした価値観の違いから、彼らは私達の定義する差別や蔑視とはまるで異なる出来事に対して、差別や蔑視を感じ取ります。
以下の記事を


[コラム]朴槿恵外交はどこへ向かおうとしているのか
ハンギョレ新聞 2015.11.09
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/22448.html
(前略)
11月2日、韓日首脳会談を終えて帰国した安倍首相の言動も、私たちを落胆させる。「ランチなんかで国益を損なうだろうか」、「出来ないことはできないと言った」。安倍首相が朴大統領をどう考え、このような傲慢極まりない発言を口にできたのか?これは、米中間でどたばたした外交を行う韓国を見極め、日本が今後、韓国を見下すことに決めた証拠に他ならない。

 米中間でそれなりのバランス外交を展開してきた朴大統領が今年の秋、両極端に走った。韓国外交が方向を失って右往左往するのを見て、日本が韓国を見下すようなことまで起きた。角度を変えれば、これは韓国型戦闘機(KF-X)事業よりも深刻な問題であるのに、今回のこともうやむやになっている。こうしたことがあってはならない。今後のことを考え、韓国外交の切実な“リバランス”が急がれる。


上記の態度は、単に日本と韓国の国益がぶつかった結果というだけなのですが、彼らの価値観では「正しい行いをしているのに不当に扱われた」「韓国が米中板ばさみで困っているから見下してきた」と判断されるわけです。
異なる価値観だからこそこのような表現となっているという典型的な事例です。


最初に書いたANAの事例のように、「相手によっては蔑視と感じる」つまり視点の違いによって差別になるかならないかが決まるという事例とは、根本的に発想が違うという事がよく解ります。
彼らの中の、相手の劣等性を担保として成り立つ「正しさ」を基準とし、その正しさが肯定されているか否定されているかで差別かどうかが決まるのです。


こうして彼らは、彼ら独特の価値観でそれが差別かどうかを区分けしているため、本人達は全くそのつもりがなくとも、以前も紹介した以下のようなアンケート結果となります。


韓国人の優越的態度、外国人に好感を持たれない 
朝鮮Biz(韓国語) 2014.05.26
http://biz.chosun.com/site/data/html_dir/2014/05/26/2014052601000.html
高度成長を土台にした韓国の優越的な態度が、国内外の居住外国人に非好感に指摘された。 外国人に韓国人たちは懸命に働くが、自尊心が強く、余裕がないイメージが強かった。

韓国貿易協会国際貿易員は「コリアイメージを根拠とした海外マーケティング戦略:3新興市場編」を26日に発刊、国内外在住外国人を対象に調査した韓国のイメージを分析した。

昨年国際貿易研究院が総数1160人の国内外の在住外国人を対象にアンケート調査をした結果、外国人は韓国の代表的なイメージで「急速な経済発展」を挙げた。
(中略)
一方外国人は、韓国の「優越的な態度」を最も非好感に指摘した。 経済成長を土台にした韓国の優越的態度は、高所得(29.9%)と低所得新興国外国人(25.2%)に、すべての欠点に選ばれた。 この他にも韓国の人々は懸命に働くが、「プライドの高い姿」と「余裕がない生活」などは、非好感で指摘された。
(後略)



外国人から見れば、韓国人の態度は無駄に他者に対して蔑視的であり、だからこそ「優越的態度に見える」わけですが、韓国ではそもそもそれが当たり前の態度であり、蔑視する事が日常であるからこそ、こうした結果になるという事です。


「差別」という単語一つとっても、私達と彼らの間には非常に大きな価値観の隔たりがあるわけです。
ですから、例えば彼等が「差別されている」と訴えてきても、それを無条件に我々と同じ定義の差別であると考えると、それは大きなトラブルの元になります。


また、逆に私達が彼らに「それは差別だ」と指摘しても、彼らとは根本的に差別に対する定義も考え方も違うため、まるで意味が無いどころか先ほども書いたように「正しい事をしているのに不当に扱われた」と感じて、逆に指摘した側に対して「差別だ」と訴えてくる場合もあります。
(参照:解雇韓国人女性逆差別訴訟 コリアタイムズ(韓国語) 2013-10-26


どちらの事例でも、実際のところは大抵の場合差別に対する考え方の違いから、そもそも意思疎通が出来ているようでできていないのです。
「日本と韓国では差別に対する考え方が違う」まず日本人は、この事を知らないといけません。


最後に。
韓国に在住していたり、或いは在住経験がある人から「韓国人は日本人に対して何をしても許されると思っている」という韓国評が結構頻繁にでてくるのですが、それは間違ってはいないですが厳密には少し意味が違います。
今回書いたように、彼らは「日本人だから」というよりも、「劣等な相手だから」何をしても良いと考えて、日本人に対して様々な行いをしているのです。


私が以前より「反日は問題の枝葉でしかない」と指摘するのも、ようするにこういうことです。
反日は目立ちますし日本人なら気にして当たり前なのですが、実際の問題はもっと根深い根本的な価値観の違いの問題なのです。
そして価値観の問題であるからこそ、善悪や優劣では計れず、また「これをしたら解決する」という簡単な問題でも無いのです。





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