さて、今回のテーマはタイトルにもある通りです。
過去、このブロマガでもこの方法について、どうしたら良いのか解らずやきもきしているといった内容がいくつか書かれていました。
そこで、あくまでこれは私の個人的見解なのですが、「こうしたらいいのではないか」という一つの解を、過去このブロマガで扱った事例や記事を元に書いて行きます。
まず最初に、この問題なのですが実のところ私が日韓問題に触れるようになった2001年頃から、ネット上でも大きなテーマの一つでした。
当時はこの問題に対する世間の風当たりは今よりもずっと厳しく、「いかにして差別問題ととられずに世間に問題の周知をするか」は切実な問題だったのです。
そして、この問題を周知する上で最も大きなハードルは、問題を知る人々と知らない人々の共有する情報にあまりにも格差があり、この情報格差のせいでそもそも問題提起をするスタートラインにすら立ってもらえない、どうやったらスタートラインに立ってもらえるのか、そこが最大の問題だったのです。
あれから14年、現在は当時と比べてかなりこの問題に対する敷居が低くなりましたが、それでも世間一般ではこの問題はタブー視されがちでしょうし、「スタートラインにすら立ってもらえない」ということが今でも同じく最大の問題なのです。
ですので今回の内容は、過去様々な場所で様々な人々が行ったこのテーマに対する試行錯誤の結果を元に、それをベースとして私が私なりの考えで導き出した結論とその方法を、初心者にも扱いやすいよう、可能な限り解りやすく書いて行きます。
さて、ここからがやっと本題なのですが、まずはこの問題で陥りやすい落とし穴とけっしてやってはいけない事、それについて書きます。
先ほども書いたように、問題の本質は情報格差です。
「我々が常識として持っている知識が、相手にとっても常識とは限らない」これは過去に何度か書いてきたことですが、ここで注意しなければいけないのは、相手よりも「正確で正しい」情報をもっているからと、相手を啓蒙してやろうとか、或いは論破してやろうとか、そういった態度は禁物です。
それはあくまで我々の常識でしかないからです。
こういった上から目線の態度は、相手の態度を硬化させるだけで決して状況の改善には行き着きません、むしろ相手が頑なになった分問題がより悪化して行くこととなります。
ですので、啓蒙や「教えてやる」といった態度、「間違っているのだから説き伏せてやる」といった態度ではなく、あくまで相手に問題を考えて貰うため、なにが問題なのかを提起をしていくといった態度でないと失敗します。
次に、これは特に初心者が陥りがちな問題なのですが、慰安婦問題を切り口として問題を扱う、これは決してやってはいけないことです。
ある程度情報を持っていれば、あの問題がいかにデタラメか、いかに日本のメディアが論点のすり替え・逸らしを行っているのか、日本と韓国での問題意識と慰安婦の定義にどれ程の隔たりがあるのか、そこが解るわけですが、それもあくまで我々がその情報を既に共有しているからです。
情報を共有していない人にとっては、この問題で否定的な内容を主張すること事態が「とんでもない歴史修正主義」に見えてしまうのです。
こうなってしまう背景には、メディアや教育界で現在も繰り返し行われている、一種の「刷り込み」が関係しています。
こういった場では、「常に韓国は被害者であり日本が加害者である」とか「韓国に否定的になるのは差別思想からである」といった内容が、繰り返し繰り返し伝えられており、視聴者などへ一種の刷り込み・条件付けとして機能し、結果として韓国に対して否定的と取れる意見は、思考するよりも先に拒絶してしまう、かなり過激な表現になってしまいますが、ある意味パブロフの犬と同じ、条件反射とか条件反応と呼ばれる反応が起きてしまうのです。
これが起きると、もうその先はありません。
そしてこの場合の条件付けとは、まさに「常に韓国は被害者であり日本が加害者である」とか「韓国に否定的になるのは差別思想からである」といった内容にあるわけですから、慰安婦問題というのはまさにこの条件が当てはまり、非常にハードルが高いのです。
ですから、例えば私が誰かから、世間に対して慰安婦問題をテーマに韓国との間にある問題を説明しろと言われても、まず断ります。
内容そのものが難解なのではなく、受け取る側の反応に元から特定方向のベクトルがかかっているのであまりにも難易度が高すぎるわけです。
このように、まずこの2つについてかなり神経を使い注意して、この条件に当てはまらないものをテーマに選ばないといけません。
そして、私はこの条件に当てはまらない物をこのブロマガのメインテーマとしています。
それは日韓の価値観の違いであり、その価値観の最も大きな隔たりである「蔑視ありきの自民族中心主義」です。
私がこのブロマガを書くにあたり、まず最初に「日韓の間にある最大の問題は反日ではない、自民族中心主義なのだ」としたのは、まさにこれが理由なのです。
日本と韓国の間に限定される、反日とか慰安婦とか竹島とか教科書問題とか、そういったものを扱うと「条件反射が起きてしまう」のですから、逆にこの条件付けに当てはまらない問題をまず扱えば良い、たったそれだけの単純なことなのです。
参照
韓国は『反日』だから問題なのか?そのあたりを解説してみる
http://ch.nicovideo.jp/ooguchib/blomaga/ar413795
韓国人が日本人から嫌われる根本的原因
http://ch.nicovideo.jp/ooguchib/blomaga/ar547023
そして、今までこのブロマガを読んできていただいた人なら解ると思いますが、この韓国の蔑視ありきの自民族中心主義は、韓国を取り巻く様々な問題に非常に深く関係しているうえに、日本との間の問題においてもこれに起因する物が多数あります。ですから、まず最初のスタートラインとしてこのテーマを扱う事は、後々他の問題を説明するうえでも非常に重要となるわけです。
そして、これを説明するうえでもいくつか注意があります。
まず、客観性と普遍性つまり日本と韓国の間「限定」で起きる事ではないという事と、日本人以外の第三者或いは、韓国人自身の評価を中心にこの問題を説明する、これも非常に重要です。
なぜならば、日本人が一方的に「これが問題だ」としてしまうと、「韓国人が被害者で日本人が加害者である」という前提が相手の中で崩れ、実際のところかなり高い確率で「条件付け」が発生してしまうからです。
そのためこれを回避するのに必要なのが、過去記事中で引用した以下のいくつかの記事です。
ワシントンポストによる「世界排他性調査」
A fascinating map of the world’s most and least racially tolerant countries
The Washington Post May 15, 2013
http://www.washingtonpost.com/blogs/worldviews/wp/2013/05/15/a-fascinating-map-of-the-worlds-most-and-least-racially-tolerant-countries/
※記事中ではこの原因を日本との確執=反日ではないかと結論つけていますが、実際は韓国人による蔑視感情や排他性は日本限定のものではないので、問題が別にある事が解ります。
韓国青少年の「共に生きる力」が世界最下位…調査結果に懸念の声
サーチナ 2011/03/28
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0328&f=national_0328_081.shtml
韓国の青少年がグローバル社会における「共生・調和」の能力において、調査対象の36カ国のうち最下位レベルという研究結果が出た。韓国メディアが相次いで「青少年の『ともに生きる力』が世界最下位」と報道、懸念の声があがっている。
韓国青少年政策研究院は27日、青少年たちの「共生・調和」の能力を示す「社会的相互作用力指標」に関する研究結果を発表した。同研究は、2009年に国際教育協議会(IEA)が世界の中学2年生の学生14万600人を対象に実施した「ICCS(国際的な市民意識の教育研究)」のデータを基に分析したものだ。
「社会的相互作用力」は、文化的、社会経済的に異質な相手と調和して生きる能力を示す指標で、「関係方向性」、「社会的協力」、「紛争管理」の3つの領域で評価し、その結果を平均して算出する。韓国の青少年は「関係志向性」と「社会的協力」部門で最下位の0点を記録、「社会的相互作用力」0.31で、36カ国のうち最下位レベルの35位だった。
(後略)
韓国人の優越的態度、外国人に好感を持たれない
朝鮮Biz(韓国語) 2014.05.26
http://biz.chosun.com/site/data/html_dir/2014/05/26/2014052601000.html
高度成長を土台にした韓国の優越的な態度が、国内外の居住外国人に非好感に指摘された。 外国人に韓国人たちは懸命に働くが、自尊心が強く、余裕がないイメージが強かった。
韓国貿易協会国際貿易員は「コリアイメージを根拠とした海外マーケティング戦略:3新興市場編」を26日に発刊、国内外在住外国人を対象に調査した韓国のイメージを分析した。
昨年国際貿易研究院が総数1160人の国内外の在住外国人を対象にアンケート調査をした結果、外国人は韓国の代表的なイメージで「急速な経済発展」を挙げた。
(中略)
一方外国人は、韓国の「優越的な態度」を最も非好感に指摘した。 経済成長を土台にした韓国の優越的態度は、高所得(29.9%)と低所得新興国外国人(25.2%)に、すべての欠点に選ばれた。 この他にも韓国の人々は懸命に働くが、「プライドの高い姿」と「余裕がない生活」などは、非好感で指摘された。
(後略)
この3つがまず重要なのは、年代も国籍も立場も異なる三者三様の機関、この場合にはワシントンポスト及び各国の社会学者、韓国青少年政策研究院と国際教育協議会(IEA)、韓国貿易協会と国際貿易研究院が、全て「韓国社会には強い排他性がある」という事を指し示す明確な数字を提示しているという事です。
これはまさに「日本対韓国」という構図から外れた事例である事から条件付けの範囲からはずれ、更に明確な数字として根拠が提示されている以上「一部の例」とか「偏った情報を継ぎ接ぎして印象操作している」というパターンに当てはめることもできません。
そして次にこちらの記事
「韓国は経済力で人種差別」米紙が批判
朝鮮日報 2014/09/21 07:10
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/20/2014092001344.html(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20140921051245/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/20/2014092001344.html(ウェブアーカイブ)
「韓国が人種を差別する基準は経済力だ。相対的に貧しいアジアの国々の人々がターゲットになる傾向がある」
米ウォール・ストリート・ジャーナルは12日、「韓国は経済力で人種差別する国なのか」と題した記事を掲載。「韓国は外国人が人口の3%しかおらず、皮膚の色が違うと目立つ場所だ。人種に対する韓国人の不理解が奇妙な形で表れることもある」と伝えた。
(中略)
同紙は「今日の韓国社会の人種差別意識は1950年代以降に形成されたものだ」と指摘した。韓国戦争(朝鮮戦争)以降、経済成長に集中し、外国に対するイメージも徹底して「経済力」が基準になったとの説明だ。同紙は「最近の韓国政府の外国人在留許可もウズベキスタン、ベトナム、中国、フィリピンに対しては徐々に厳しくなっており、多文化の多様性を生かすのではなく、韓国社会に吸収することに焦点が合わせられている」と分析した。
インターネットに掲載されたこの記事には、読者から「韓国は教育熱が高いというが、その結果が行動に反映されないようだ」「韓国人は開発途上国で特に無礼な振る舞いをする」といった書き込みがあった
Battle of the dueling war crimes
globalpost August(英語) 16, 2013 06:09
http://www.globalpost.com/dispatch/news/politics/130815/battle-the-dueling-war-crimes
(前略)
韓国人は、今さらベトナム戦争のライハダンの話はしたがらない。韓国は民間人虐殺を認め、謝罪すべきかと問いても、韓国の学者や政治家は口を開こうとしない。
韓国の女子学生に言わせると、「格下」のベトナム戦争などは過去の話で、今さら考慮に値しない。問題の根本にあるのは韓国人の「人種差別」で、ベトナムなど歯牙にもかけない韓国人が多いという。
格下の日本には「本当に気に障る」らしい。占領統治の歴史と戦後のライバル関係もあり、「格下」日本の悪行を暴くといえばたちまち国民は団結する。
「格下」のベトナムに自ら行った蛮行は気にしないが、同じく「格下」の日本にされたことは絶対許せないというわけだ。
こちらは朝鮮日報が引用したウォールストリートジャーナルの記事と、慰安婦問題に関連したグローバルポストの記事です。
ここでは、ウォールストリートジャーナルとグローバルポストというそれぞれ異なるメディアが、韓国社会に非常に強い外国人への蔑視感情が存在している事を記事にしています。
当たり前ですが、これ等メディアは自身の不幸やストレスを韓国に転嫁しているわけではありません。
更に次にこちらの記事
「韓国人の行き過ぎた国粋主義は問題」
朝鮮日報 2013/10/13
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/13/2013101300058.html(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20131016003144/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/13/2013101300058.html(ウェブアーカイブ)
(前略)
ドイツ人韓国学者のサッセ元教授が『素顔がきれいなコリアン』という本を出版した。韓国とのゆかりは50年近くになるが、韓国大衆文化に関するエッセーは初めてだ。ご飯・キムチ・韓屋(韓国伝統家屋)・あずまやといった韓国の物質文化から、ソンビ(学識・礼節に優れた文人)・シャーマニズム・ハングルなどの精神文化まで、外国出身者の視点から見た韓国文化の素顔をまとめた。
「外国人に15分間『ウリ(私たち、われわれ=韓国・韓国人を意味する韓国語)』とばかり言っていたら逃げられます。韓国の歴史を紹介するときに『ウリ』を強調し過ぎては駄目です。韓国料理・韓屋・ハングルなどどれも素晴らしいですが、『世界で唯一だ』と宣伝すれば国粋主義に傾倒しているように見えます。『韓国が一番』ではなく、韓国文化も東アジアや世界のほかの文化同様、その特性を持つ文化だということを認める必要があります」
さらに、韓国を愛するが故に「韓国人の行き過ぎた国粋主義は問題です」と批判を口にした。「5000年の歴史と言えば魅力的な言葉に聞こえますが、科学的に証明しなければなりません。こうしたことを過度に自慢すれば、外国では笑いぐさになるかもしれませんよ。誇張せず、外国人に対し体系的に、事実に基づいて韓国の歴史を紹介した方がいいでしょう」
「韓国には浅はかな民族主義があふれている」
朝鮮日報 2007/04/22
http://www.chosunonline.com/article/20070422000012(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20070526015622/http://www.chosunonline.com/article/20070422000012(ウェブアーカイブ)
J・スコット・バーグソンさん(39)=写真=は米バークレー大学を卒業後、10年間もソウル鍾路にある旅館に住み、韓国に関する本と雑誌を出版している文化批評家だ。
最近、バーグソンさんが執筆した新刊『大韓民国使用後記』(ゲリオン)の表紙には「大韓民国をかたくなに愛される方々は、この本をお読みにならないで下さい」と警告する一文が記されてある。苦言を呈するときも韓国に対する愛情がにじみ出ていた前作『マキシマム・コリア』(1999年)や『無作法な韓国学』(2002年)に比べ、バーグソンさんは確実に辛辣(しんらつ)になっていた。
(中略)
この本でバーグソンさんが最も激しく批判しているのは、韓国人の民族主義と江北再開発だ。韓国人らが脱北者には傲慢(ごうまん)な態度で接しておきながら、他国の代表チームとのサッカー競技が行われると突然「韓民族」の守護者になったかのように興奮し、審判の判定に文句を付け、国際サッカー連盟(FIFA)のインターネットサイトを麻痺(まひ)させるような姿から、バーグソンさんは「浅はかな民族主義」や「部族独裁」を読み取る(63‐71ページ)と記している。
(後略)
こちらの記事では、韓国在住のドイツ人とイギリス人が、韓国社会には非常に先鋭的な国粋主義と民族主義が存在していると明言しています。
そして重要なのは、この2名は韓国在住が非常に長い事からも解るように、嫌韓ではなくどちらかといえば親韓の立場からこの問題を指摘しているという事です。
そして最後にこちら。
なぜ韓国でこうした問題が起きるのかを説明する記事です。
初等教科書、高麗の時‘23万帰化’言及もしない
京郷新聞(韓国語)
http://news.empas.com/show.tsp/cp_kh/20070821n11817/?kw=%C0%CF%BA%BB%20%3Cb%3E%26%3C%2Fb%3E
(前略)
民族の優秀性を強調するために他民族を貶める事例もある。「一民族は強靭な所があります。中国歴代王朝、日本など周辺の国々がしつこく侵略を試みましたが、結局はすべて失敗してしまいました....(中略)例えば韓半島に韓民族ではなく日本や他の民族がいたらす
ぐに亡びたはずです。」(四年生2学期、道徳教科書89ページ)これは韓民族を優越に描くた
めに他民族を侮辱した代表的な事例だと言える。
朴教授は「文化に対する態度が幼児期に形成されるほど、幼児期に文化に対する正しい観点を確立すること重要だ。多元化、世界化の流れに照らしてみる時、単一民族主義と自民族中心主義を基礎にした教科書の記載は再考されなければならない。」と強調した。
【コラム】他国の教科書を非難する前に
2009年10月16日12時01分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/646/121646.html
(一部抜粋)
しかしもっと至急で重要なことがある。韓国も同じ誤りを犯していないのか省みることだ。残念ながら韓国の教科書は外国の教科書を非難できる立場ではない。第3世界を専攻した学者7人が2年前に出した「誤りと偏見だらけの世界史教科書」(図書出版サムイン)は、韓国の教科書の誤りを辛らつに批判している。ある中学校教科書はアフリカを「ターザンとジェーンが自然の中で美しい愛を交わしたところ」と記述している。別の教科書は「アフリカ人はうれしい時も悲しい時も歌と踊りで感情を表現する。…黒人の柔軟な体は踊る時、あまりにも自然な動きで芸術的」と記述している。一見すると称賛のようだが、「白人は理性的で黒人は本能的という人種主義的な偏見」(ハン・ゴンス江原大文化人類学科教授)という認識が根源にある。「中南部アフリカはニグロの故郷」という、黒人民権運動家が見れば驚くような表現(ニグロ)を堂々と書いている教科書も一つでない。
つまり、韓国では他者を蔑視することで自己の優越性を確立する=蔑視ありきの自民族中心主義を学校で子供の頃から教わり続け、それが社会で一般常識として価値観に組み込まれている、これが非常に強い排他性や外国人への蔑視感情、先鋭的な国粋主義や民族主義へと繋がっている、韓国では教育と社会がその価値観を形成しそれを当たり前とする社会なのだと、そういう事が解るわけです。
ここまでですら非常に長いのですが、日韓の間にある問題を説明するためには、まず前提条件としてこの事を知ってもらわないといけません。
これを知っているかいないかで、韓国に対する見方が非常に大きく変るからです。
そして、今回記事を作成するうえで過去の記事のコメント欄などをいくつか読み返し分析してみたのですが、その中で「日本も同じ問題がある」とか「反日と嫌韓が罵り合っているだけ」と、問題の相対化をしている人々がいました。
これについてなのですが、実際のところこの意見には非常に重大な欠落があります。
それは何かといえば、韓国を嫌う・否定的な意見を持つと言う条件は、「韓国人への蔑視感情」「自己の不幸やストレスの転嫁」以外には無いのか「それだけが条件なのか」、というものです。
そもそも韓国に否定的な意見が全てこの条件に当てはまるのならば、上記で挙げた記事の数々はなんなのかという事になってしまいますし、何より日本と韓国以外の外国人が「韓国人の蔑視感情や排他性、民族主義」を実感しているのならば、同じように日本人がそれを問題にする事は別に不自然なことではないという事です。
また、「嫌っているからそれは嫉妬や蔑視感情なのだ」では、それは単なる循環論法です。
たとえば、韓国人の排他性や民族主義、蔑視ありきの自民族中心主義を、それとは具体的に知らずとも肌で実感した結果、中にはその発露として過激な発言をする人もいるでしょう。
それはあくまで上記原因が存在し、その結果として過激な発言へと繋がっているのであって、嫌っているから差別しているのだという短絡的な結論はおかしいのです。
つまり、発露の方法が間違っているからと、その原因を直接的な差別問題などに繋げるのは結論ありきでしかないのです。
また、こういった情報に対して「後付けで知らされてそう思いこんでいるだけで、根底にあるのは差別感情だ」としている人もいました。
が、この条件を成立させるには、ある「ありえない前提条件」が必要となります。
それは、「日本人の一般的価値観では、民族主義や蔑視ありきの自民族中心主義に否定的感情を持たない」というものです。
そんな前提ありえるのでしょうか?
ここまで来ると、最早我々の知っている日本と別の日本の設定が必要となってしまいます。
当たり前の事ですが、日本人の一般的価値観では過激な民族主義や国粋主義は敬遠されますし、それ以上に他者の劣等性を担保に自己の優越性を証明しようとする、書き方を変えれば他者への否定的意見が自己の評価に繋がるとの考え方は、日本人にもそういった人はいるにはいますが、それは世間一般の評価では「嫌なやつ」となります。
もちろん、そういったものが気にならない人も日本人の中にはいるのでしょうが、それを一般化できるかといえばできる訳がありません。
そして、他の外国人が韓国のそういった面に少なからず気が付いているのに、日本人だけがそれに一切気付かないなどという事もありえませんし、何よりこういった韓国人の価値観は韓流を通じてかなりダイレクトに日本で発露されてきたという経緯があるのですから、具体的にこういった問題を知らなくとも、少なくないかなりの数の日本人が漠然と「韓国人は何か嫌な感じだ」と感じるのは、何もおかしな事ではないのです。
ここまで様々なことを書いてきたわけですが、最後の様々な反応とそれへの対応にしても、これは恐らく「特定の偏った思想」の人々の間の限定的反応というわけではなく、「条件付け」がされた人々はかなり頻繁にこういった反応をする傾向にあるという事です。
ですから、まずは最初の方で挙げた前提条件としての問題提起をした後で、相手が後半で挙げたような回答をしてきたら、それもまた論破してやるとか啓蒙してやるという態度では無く、実体を伴った「問題提起」として、「それはおかしいのでは?」と一つ一つ実例や実感を伴うたとえ話として説明していく、そういった事が重要と私は考えています。
日本の中にある問題(嫌韓の中の過激な言動など)と韓国の中にある問題(韓国の教育の現場で行われていること)はそれぞれ別個に考えなければいけない問題であり、その出発点もそれぞれ異なるのだから、無理に相対化して解決しようとするとおかしな事になってしまう。
反日と嫌韓は相対化できるものではないのだから、あくまで日本人の価値観は韓国人の価値観と大きくかけ離れており、この価値観の衝突が問題の根幹であって、反日はその問題の中の一部の事象に過ぎない、このことを問題提起として相手に伝え、いかにしてそれを「条件付けのトリガーを回避しつつ」理解してもらうか、これが非常に重要なのです。
まあ要するに、韓国人の中に存在する蔑視感情に否定的感情を持つのは同じく蔑視感情なのか、という自己矛盾を、いかに相手に知らせて気付かせていくのか、それだけのことではあるのですが。
2015年7月5日0:24追記
書き忘れていたことがあったので少々追記します。
こういった事例に対して、「悪いのは韓国政府であって韓国人ではない、一般の韓国の人々は被害者でしかない、韓国人を批判するのは間違い」と指摘する人もいます。
たしかにそういった側面はあるのですが、その意見にも欠落があります。
まずそもそも、例えば過去に書いたこちらの記事のように、「韓国人の差別意識の特徴とタイの嫌韓」またはこちらの事例のように
ジェノフォビアを排し多文化共同体へ
東亜日報 NOVEMBER 17, 2008
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2008111790388
「スキンヘッドのように外国人を殺し、暴力をふるう集団はまだない。しかし、韓国もジェノフォビア(外国人嫌悪)の安全地帯ではない。特に、韓国の人々は、外国人に対する侮辱的な単語を簡単に使う」
韓国滞在4年目の中国人会社員Lさん(30)。
彼は、「韓国人は学歴、年齢、性別に関係なく、『チャンゲ』、『チャンゴラ』、『中国野郎』といった単語をはばかりなく使う。この言葉が中国人をどれだけ不快にさせるのか、韓国人はまったく考えていないようだ」と話した。
国内居住外国人100万人時代を迎え、ジェノフォビアを防ぎ、健全な多文化社会を築かなければならないという声が高まっている。全北(チョンブク)大学社会学科の薛東勲(ソル・ドンフン)教授は、「多民族社会の経験が短いため、外国人に対する敵対感が生活の中に深く根ざしている。このような排他的な側面が、外国人犯罪の増加や経済危機状況とからみ合い、ジェノフォビアをさらに深める恐れがある」と憂慮した。
(後略)
実際に蔑視感情の発露を行っているのは韓国人一人一人であり、その背景には韓国社会のもつ蔑視ありきの自民族中心主義や民族主義が関係しており、この行いの責任を韓国人個々が回避する事はできません。
たとえ出発点が韓国政府の行う政策の結果だとしても、その結果に基き蔑視感情の発露を行い、様々なトラブルを外国人との間で引き起こしているのは韓国人自身なのですから、韓国内ではそれが一般的であっても対外的にはそれは韓国社会の問題となるわけです。
勿論、これを韓国社会が問題とするかしないかは韓国人自身の問題であって、我々がどうこう指図するようなことではないのですが、結果としての国際社会における対外的な「責任」は必ず個々の韓国人or韓国社会全体に存在しているという事です。