さて、今回はタイトルにもあるように韓国側では日韓の問題がどのように見えているのかについてとなるのですが、何気にこれは非常に重要です。
日韓の間には非常に大きな価値観やあり方の隔たりがあり、たとえば以前書いた「日本人の考える反日と韓国人の考える反日は違う」のように、反日という現象一つをとっても日韓で全く認識が違うという事が発生しています。
ですから当然、日韓の問題における「嫌韓という現象」についても、なぜそれが起きているのかには日韓で大きく異なる、つまり日本人が「△△があるから韓国が嫌いだor不信感がある」と考えていても、韓国人の側からは「嫌韓は○○が原因だ」と、全く別の原因と捉えている、そんな事が発生するわけです。
そしてこれを知る事が「本当の意味での日韓の問題を知る」という事であり、尚且つなぜ日韓は距離をとって必要以上に干渉しあわないようにすべきなのか、そのことが解るというわけです。
ではまずこちらの記事から。
【コラム】韓日関係悪化は扇情的メディアにも責任
2015年05月26日09時02分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/871/200871.html
韓国と日本の関係が日増しに悪化している。両国関係はなかなか改善される兆しが見られない。歴史認識など両国が抱えている問題はすぐに解決するのが容易でないためだ。こうした状況は基本的に両国の政治指導者の認識の違いから発生するが、国民感情を刺激するメディアの役割も小さくない。
日本人として韓国メディアが報道する日本関連ニュースに接する時にたびたびいぶかしさを感じることになる。以前に日本の人工衛星打ち上げと関連して韓国メディアは「日本の人工衛星がミサイルに転用されかねない」という点を強調した。人工衛星を軍事力膨張や戦争と結びつけようとする意図がうかがえるものだ。日本国内で軍国主義を主張する極右勢力は確かに存在する。しかし多くの国民は軍事力増強や戦争を望まない。日本政府がこうした方向に進む場合、これを支持する国民がほとんどいないという点は明らかだ。
日本国内の「嫌韓デモ」関連の報道もこうした脈絡で解釈することができる。嫌韓デモがあるのは事実だが、相当数の日本人はこれを恥ずかしいと考えているということを韓国メディアは見逃している。まるで嫌韓デモが懸念すべき水準で発生しているような報道を送り出している。日本の知識人と一般人は嫌韓デモを非難する。だが、これと関連した報道は相対的に少ないため韓国人は日本に対し誤解しやすい。
日本メディアの態度も大きく異ならない。韓国内の「反日デモ」と関連し、歪曲と誇張報道に明け暮れる。極端な反日の人たちの過激な行動をそのまま伝える。これにより日本人と韓国人の互いに対する感情はますます悪化している。私もやはり韓国に対し正しく知る前にはこうした報道によって漠然とした恐れを持ったのは事実だ。留学のために韓国に住み感じたことは非常に平和で安全な社会ということだ。現在両国メディアのスタイルはほとんどテレビ番組『世の中にこんなことが』に出てくる水準だ。ごく少数のとても特別なケースを一般化してはいけない。私は日本を訪問するたびに親切な韓国人と平和な韓国社会に対し多くの話を聞かせている。だが、依然として「韓国は危険なところだから早く勉強を終えて帰国しなさい」と忠告する知人がいる。歪曲されたマスコミの報道が両国民の誤解の谷間をさらに深くさせているようで苦々しい。
メディアは社会の監視者として大きな影響力を持っている。特にインターネットの発達は一般の人たちにもメディアに直接参加する幅をさらに広げた。歪曲されたマスコミの報道はインターネットを通じ急速に広がりその歪曲のレベルを深める。ブレーキのない自動車のように制御できず盲目的に走ることになる。こうした場合結局韓日両国の対立は「チキンゲーム」へと突き進むことになるかもしれない。こうした破局を防ぐためにはまず両国メディアの正しい報道姿勢が先行しなければならない。事実に基づいた報道ではない国民感情に訴える報道は止揚されなければならない。韓日両国のメディアは本来の役割と姿勢を改めて反芻しなければならない時だ。
安藤純子国民大大学院国際地域学科博士課程
相変わらずの論点のすり替えと無駄な相対化なのですが、韓国では今こういった論調が非常に多いです。
しかし、まずそもそも多くの日本人は例えばこんな人達
(画像は韓国の空港施設内で抗議活動をする韓国の典型的民族主義団体「活貧団」)
を見て嫌韓になったわけではないです。
勿論「嫌韓デモをしている人だけが嫌韓」であるわけでもないです。
こういったものではなく、例えば対馬の仏像盗難事件とか、数々の日本文化窃盗行為である韓国起源説とか、旭日旗問題とか、最近の世界遺産登録への抗議問題とか、竹島問題や日本海呼称問題、或いは慰安婦問題に代表されるような歴史問題、そういった事柄での韓国人や韓国政府の態度「そのもの」から、嫌韓になったり韓国への不信感を持ったりしたわけです。
また或いはここでも過去に書いてきたように、韓流を通じて韓国人の非常に先鋭的な民族主義や蔑視ありきの自民族中心主義を目の当たりにして、つまり「一部の人達」の行いではなく韓国全体の行いに不信感や嫌悪感を感じたからこそ今があるわけです。
が、韓国人にとってこういった「本来の原因」は絶対的正しさに基く当たり前の行為であって、それが問題になっているという認識は一切ありません。
これらは多くの韓国人にとって「正義の行い」であり、それに反するありとあらゆる行為は「悪の行い」だからです。
書き方を変えれば、韓国人のこういった主張に反する意見は、全て「歴史修正主義者の右翼」なのです。
そのうえ最初に挙げた記事にあるように、韓国側に立つ日本人も決して本当の意味での問題には触れようとしません。
あくまで韓国人にとって都合の良い、韓国人にとって耳に聞こえの良い、韓国人の「正しさ」に沿った「原因」しか提示しません。
結果として日韓の隔たりはどんどん大きくなるわけです。
メディア報道という要素一つとっても、このように原因と結果に対する日韓の認識が全く違うわけです。
そのため、例えば韓国では今現在「反日を煽るな」という論調が非常に多いにも拘らず、それを指摘する大手メディアで普通に以下のような記事が掲載されています。
日本が強要したモンペ、レトロ・ファッションとして復活
朝鮮日報 2015/05/24
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/23/2015052300415.html
1950年代は「着用運動」も
国中が光復(日本による植民地支配からの解放)の感激で沸いていた1945年8月15日の日中、ソウル市内の孝子洞でこれを祝う行進をしていた群衆が、通りかかった女性をつかまえ、はいていたズボンを脱がせた。そのズボンは「もんぺ」、つまり日本の労働用ズボンだったからだ。地方でも多くの女性たちが「もんぺ」をはいて外出中にこれを引き裂かれた。日本食の食堂の看板も壊されるほど反日感情が強かった当時、「もんぺ」も容認されるはずがなかった。これはもともと、北海道や東北地方の女性たちが畑仕事をする時にはいていた作業服だった。ところが、日本がいわゆる「戦時体制」を宣言した1940年代には国民服のようにはくことを強要された。下着のようで女性たちはあまりはきたがらなかったが、44年には「もんぺ」をはかない女性に対してバス・電車の乗車や役所の出入りが制限された(72年4月5日付朝鮮日報)。
光復後はしばらくの間、姿を消していたが、50年代になると街で再び見かけるようになった。貧しかった時代、着る服を選ぶ余裕はなかった。男性の多くが兵士の服を着たように、女性の普段着は「もんぺ」に黒いゴム靴だった。さらに官庁でも着用を強く推進した。ソウル鍾路警察署は50年、「ぜいたく者は立ち入り禁止」「女子にはもんぺ着用を特に要望する」とした(50年11月14日付東亜日報)。日本が韓国の王宮を辱めるために作ったソウル・昌慶苑動物園が光復後も数十年間そのままだったように、朝鮮総督府の「もんぺ」推奨策も韓国の警察がまねたようだ。市民の反発が大きかったのか、51年に内務部(省に相当)長官が警察の「もんぺ強要」を「非常識な警察官たちによる婦女子人権侵害だ」と批判、「(日本の服を)民族的にも奨励する理由はない」とクギを刺した。それでも「もんぺ」はなくならず、庶民の間で「最も楽な服」としてはかれてきた。99年に財閥グループ会長夫人が犯罪の容疑をかけられていた夫を救うため、高官夫人の服代を支払ったといううわさに端を発する「服ロビー疑惑事件」時、ある市民団体代表が「もんぺ」18着を首相に送った。「外国製の服を買うのに夢中な長官夫人にあげなさい」という意味だった(99年6月1日付朝鮮日報)。
こうした歴史や事情を知ってか知らずか、数年前「もんぺファッション」が若い女性たちの間でブームになった。高齢女性のものだとばかり思っていた、ダブダブの柄物パンツがレトロ・ファッションとして復活したのだ。幅が広い「バギーパンツ」の流行とも相通じるものがあった。ある専門家は「母親たちの『もんぺ』姿を見たことがない世代はこの服のもともとの用途を知らないため、はきやすくて目新しいファッションとして受け入れられたのだろう」と分析している。
よくよく読んでみれば、日本が強要云々は口実でしかなく、単に民族主義の発露の方法として利用しているだけである事が明白で、単なる韓国の国内事情で完結する「典型的な日本人から見た反日」であり、こういったものを見て日本人は嫌な気分になるわけですが、韓国人がそれに気付く事は決してないわけです。
韓国人からしてみたら、過去の日本の行いは全て悪でなければならない、それが韓国では「絶対的な正義」だからです。
そして悪でなければならないからこそ、ありとあらゆる「日本風」の事柄が全て悪意に満ちた「文化侵略行為」に見え、その「悪の行為」を口実として民族主義の鼓舞を行う、そしてそれは韓国では正しい行いであり、それを見て日本人が不快に感じたら、それは「過去を美化する日本の右翼」、最初に挙げた記事風に書けば「嫌韓デモをする例外的な一部のレイシスト」となるわけです。
裏を返せば、韓国人の側から見た(韓国人的絶対的正しさを持つはずの)善良な普通の日本人は、こういったものに一切疑問を感じないし、ましてや異論を出す事などありえないわけです。
よく韓国人が主張する「嫌韓も反日も一部だけ」というのはそういう意味でもあるのです。
つまり、実際にそうなのではなく、認識の違いから来る錯誤から表面的にそう見えているだけであって、彼らは誤魔化しているわけでも嘘をついているわけでもないという事です。
そして勿論、ここで書いた事を例えば韓国人に指摘したとしても、多くの韓国人は一切その事を意に介しません。
「韓国人の気持ちを理解していない、お前はレイシストだ」と憤慨するだけです。
なぜなら何度も書いているように、これ等は韓国人のなかで「絶対的に正しい」からです。
このように、日本人が見て不快に感じた韓国人の数々の行いは、韓国人にとっては全て当たり前の事であり、絶対的に正しい事であるからこそ、それが原因となって嫌韓や韓国に不信感を持つ人が増えたということは、全く想像もつかないわけです。
また韓国人からしてみたら、最初の記事を書いたような人達がいるがために、「殆どの日本人は正しさを理解しているはず」なのです。
最近韓国は、「政治と民間は別、政府は悪いが民間は友好していける」と訴えていますが、それもこの前提でそう主張しているわけです。
韓国人の中では、日本政府やその支持者は極右のレイシストで軍国主義者だから「正しさ」を理解していないが、多くの日本人は当然「正しさ」を理解している事になっているからこそ、この主張をしているのです。
この事を踏まえたうえで最近の以下の記事を見てみましょう。
日本「韓国、水産物の輸入禁止解除を」WTO提訴…政府「韓日関係にまた冷水」…遺憾表明
2015年05月22日10時55分
[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/782/200782.html
日本政府が日本産の水産物に対する韓国の輸入規制を世界貿易機関(WTO)に提訴することになり韓日関係に小さくない波紋が予想されている。日本は韓国が他国に比べて自国の水産物輸入を過度に規制していると指摘してきた。それでも韓国政府が2年近く顕著な緩和措置を取らなかったためWTO提訴というカードを持ち出したのだ。
日本産の水産物輸入規制がWTO紛争に広がったことは、韓日関係にとってさらなる悪材料だ。来月の韓日国交正常化50周年を前に今週末には韓日財務相会談と韓日通産担当相会談が続けて開かれる予定だった。専門家たちはこれらの会談を機に韓日関係が氷解の兆しを見せると予想していた。しかし日本の突然のWTO提訴によってこうした展望が色あせた。
(中略)
WTOで韓国政府は敗訴する可能性が高いというのが専門家たちの見解だ。1997年に日本は果樹被害を誘発するコドリン蛾の流入を防止するためにリンゴなど米国産農産物8種に対する輸入を禁止してWTOに提訴された。WTOは当時「輸入禁止国が危害性についての科学的証明をしなければならない」として提訴国である米国の手をあげた。
日本の水産物輸入禁止規制も韓国が危害性の立証をしなければならない状況だが容易ではないという指摘だ。政府関係者は「簡単に解決できる方法をわきに置いて日本政府が突然WTOに提訴することにした」として「特に韓日の主要長官の相次ぐ会談を前にこのような措置を取ったのは理解できない」と話した。
この件なのですが、これは過去日本が2020年のオリンピックを誘致活動していた頃、韓国がその妨害として行った措置が今でもそのままなのです。
そして動機が動機なので本来は輸入制限をするまともな根拠が何も無く、実は韓国内でも過去この措置は早急に取りやめるべきとの意見がありました。
(【社説】日本水産物輸入制限を解除、正しい決定だ=韓国 中央日報 2015年02月13日)
にも拘らずそれがそのまま放置され今に至るわけです。
当然のことですが、こんな事をしてそれが今でもそのままになっている時点で、日本人から見れば友好もなにもあったものではないのですが、以前から書いているように韓国では「問題が起きたらそれは他者のせい」とするのが一般的であるため、これも日本が悪いのです。
つまり、こんな状態になったのは日本が原因であり、韓国は「日本のせいでこうせざるを得なかっただけ」にも関わらず、日本は友好を訴える韓国にWTO提訴で冷水を浴びせて台無しにしたと、そういうわけです。
当然これも韓国人的価値観では上記の理由から日本人が韓国人を嫌ったり不信感を持ったりする“理由にならないはず”という事になります。
韓国人からしてみたら「我々がこうせざるを得ない状況をつくっておいて、更に抗議までするのか」というわけです。
このように、日韓は根本的価値観が違うため同じ問題を見ても見えているものも問題意識も全く違います。
結果として原因の解決には決して至らないわけです。
ではこの問題を解決するために、お互いに何を問題にしているのか、ちゃんとひざを突き合わせて話しあえば良いのでは?と考える人がいるかもしれませんが、それは無理です。
日本では根拠を前提として何が問題なのかを考える、それが常識ですが、韓国では根拠の上位に「絶対的正しさ」が来る事を前提として問題を考えるのが常識です。
これはつまり、双方が納得できる妥協案というものが存在しないという事です。
なぜなら妥協するのなら、お互いに自分達が生活するうえでの大前提としての「常識」に反する行為をしなければいけないからです。
それはつまり、どちらにとっても非常識な行為という事だからです。
だからこそ、日韓は距離を取り必要以上に干渉しあわない関係こそ最善なのです。
韓国人から見えている日韓の問題、或いは嫌韓現象というのは、日本人が実際に感じた原因とはかけ離れており、それは単純な誤解では無く根本的な価値観やあり方の違いから違う見え方をしているのであって、お互いが物事を認識する土台そのものを否定しない限り、双方のこの違いを埋める事は不可能だからです。
そして現在日本で日韓友好を訴える人々は、この認識を誤魔化すか、或いは韓国人の常識を日本人に押し付けることで友好を成り立たせようとしているだけなうえに、そこから発生する「歪み」や「矛盾」を全て差別問題やレイシズムに摩り替えて抑え込もうとしているだけなのです。
当たり前の事ですが、それは明らかに正常な状態ではありません。