日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国の行いを善悪や優劣で判断しない理由


さて、今回はタイトル通りの内容なのですが、これは過去いくつかの記事やコメント欄で書いてきたことでもあります。
要するに、日本と韓国は根本的に価値観や常識の異なる社会であるため、我々の社会の持つ常識を韓国に当てはめ、優劣や善悪で判断することには無理があるという考え方です。


ブロマガを始めて約1年半、運営さんのほうで記事を多数紹介してもらえた事もあり、定期的に記事を見てくださる人がかなり増えました。そこであらためて私が日韓問題(初心者向け)をどのようなスタンスで書いているのかを書いておこうと、そしてただそれだけではいけないので、私がなぜこういった考えに行き着いたのか、その経緯などについても書いていくこととします。


以前何処かで書いた覚えがあるのですが、私も元々は「韓国人は反日教育で洗脳されているのだ」としか考えておらず、一時期は「狂っている」とも考えいました。
が、日韓翻訳掲示板などで韓国人と様々なやり取りをしていると、それでは説明のつかない、何か漠然とした違和感のようなものを感じるようになってきました。


たとえば、私は主に韓国起源説関連で色々と韓国人とやりあっていたのですが、韓国人は起源を主張するばかりで具体的根拠をまるで提示しません。
それどころか史料もろくに調べておらず、起源を主張した文化などの成り立ちや「過去の姿」、そこからどのように現在の形になって行ったのかなど、本来文化を知る上で最も重要な部分が完全に抜け落ちていました。


そこで、たとえば日本刀の成り立ちについてならば、6世紀頃の蕨手刀から始まり、それが毛抜型蕨手刀となり、毛抜型太刀を経て唐様式の「唐太刀」の要素を取り入れ10世紀後半頃に太刀となり、その後14世紀に今現在一般的に見られる日本刀のイメージの姿である打刀が成立して行ったこと、そこに朝鮮半島が関わった要素が何も無い事などを説明してきました。


つまり、文化は最初から「完成品」があるわけではなく、その途中経過が必ずあると、起源を主張するのならば、その途中経過を説明できなければお話にならない、韓国側の起源主張はどれもそこが抜け落ちている、だから間違っているのだと、そういった事を様々な根拠をもとに指摘してきたわけです。


それに対し、意外かもしれませんが体感で大体3~4割くらいの韓国人は、この説明で納得していたのです。
が、問題はここからです。その時の説明で納得したと思われていたのと同じ韓国人達が、別の起源主張ではまた同じように途中経過を無視したロジックでそれらを支持するという事が、“かなり”多数あったのです。


1度や2度なら解らなくも無いですが、本当に何度も何度もです。
最初は意地を張って引くに引けなくなっているだけなのかとも考えたのですが、どうもそうでもなさそうだという事が段々と解ってきました。


なぜかといえば、もし「理屈」をちゃんと理解していたのならば、持論を固持するための嘘でも曲解でもなんでもいいですが、そういった過去の指摘に対して、何らかの対策や予防線を張ったうえで持論を展開するはずです。
しかし彼らはそういった事は何もしません、全く同じロジックで同じような起源主張をしたりするのです。


この事に気付いたとき、「どうも彼らは根本的に我々とは全く異なる前提を背景としたロジックで思考しているのではないか」と考えるようになりました。
我々は根拠を前提として、その根拠を自ら説明し証明することで自説を展開する事を常識としているわけですが、彼らはその過程を経ずにいきなり結論に行き着くことを常識としていたからです。


これについて、私はまず「我々がなぜ根拠を重視する事を“常識”としているのか」について、一度考え直してみたうえで、そのうえでひとまずこの前提で彼らを見てみる事にしました。
「常識とは、その社会にとって都合の良い事柄の事であり、非常識とは都合の悪い事である」と。


この前提を元に、韓国が徹底した上下社会である事を当てはめると、「根拠を常識としない社会」というものが見えてきたのです。
人間関係が徹底した上下で成り立つ社会では、上位の人間は下位の人間に自分の考えを無条件に押し付けるだけで、そこに根拠や理屈を必要としません。


また、下位の人間はいくら根拠を提示しても、上位の人間はそんな事をお構い無しに持論の押し付けをしてきますから、根拠は考えるだけ無駄です。
つまり、どちらの立場でも根拠というものが無意味なのです。
書き方を変えれば、徹底した上下社会では根拠というものはむしろ社会を成り立たせる上で都合の悪い物という事になります。


そこで彼らは、根拠の変わりに「絶対普遍の正しさ」という最初から正しさはそこに存在しているという考えを常識とし、その常識を前提としたロジックで思考し様々な結論を導き出す、その結果が結論ありきの思考となっているわけです。
だから先ほど書いた韓国起源説の事例でも、説明してその場では納得できても、元々「根拠を前提とする常識」を背景としてもっていないので、他に応用する事が出来ず「同じロジック」で思考するわけです。


つまり、極論を書いてしまえば先ほど私が書いたような日本刀の成り立ちなどの説明は、彼らの常識ではまるで無意味な価値を見出せない説明だったわけです。


ここまでが私がこの結論に行き着いた体験ではありますが、客観性が無いので客観性のある実例を見ていきましょう。


たとえば慰安婦問題、過去こちらの記事(【河野談話】韓国政府が自爆しました)で指摘しましたが、韓国側の公式見解と日本で韓国を支持する人々の見解には大きな違いがあります。
韓国側は「軍命令による組織的強制連行」を慰安婦問題としており、日本で韓国の主張を支持している人々は「本人の意思に反して慰安婦になった人々の人権」を問題としており、「軍による組織的な強制があったか無かったかは本題ではない」としています。


ここで重要なのは、日本側で韓国を支持している人々も、過去こちらの記事(【従軍慰安婦問題】共産党の機関紙「赤旗」も突っ込み所だらけな件)で指摘したように、結論ありきで思考する傾向にあるのですが、それでも「根拠ありきを常識としている」社会に生きているため、根拠の存在しない「軍命令による組織的強制」に拘っていたら不利になるという事を理解できているという事です。


つまり「対策や予防線を張った」わけです。


だから「軍関与」という、どう関わったのかに主語の無い言葉に拘ったり、定義を拡大し軍命令による拉致があったか無かったかは問題ではないとしているわけですが、韓国側は「根拠を常識としない社会」であるため、「軍命令による組織的強制」に根拠が無いという事が重要では無く、そのため「かくあるべき」「絶対的正しさ」を前提とした軍命令による組織的強制に拘っているわけです。
これは「異なる常識の社会」の反応として非常に象徴的です。


またこちらも事例も同じです。


【寄稿】安倍政権は独島侵奪政策を即刻中止すべき
朝鮮日報 2015/04/10
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/10/2015041001411.html(リンク切れ)
http://megalodon.jp/2015-0412-2346-38/www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/10/2015041001411.htmlウェブ魚拓
このところ、日本の安倍政権の虚偽妄言や独島(日本名:竹島侵奪政策の総攻勢は危険水位を超えている。日本でかつての軍国主義の侵略膨張にいまだ未練を持っている人は、独島を国際法上韓国領と規定した連合国の決定や地図を、一度読んでみるべきだ。

 1945年8月15日に日本が無条件降伏した後、連合国軍総司令部GHQ)は、国際法上有効な指令(SCAPIN)677号で、独島を日本領から除外して元の主人である韓国に返還するよう公布し、付属地図にも曲線で境界線を描いて独島を韓国領と明瞭に表示した(地図1)。また46年6月22日、連合国軍最高司令官はSCAPIN1033号を発出して、日本の漁業者が独島とその12カイリ水域に接近することを厳しく禁じ、独島が韓国領だということを重ねて明確にした。

 連合国は、サンフランシスコ講和会議開催(51年)の前年に当たる50年、領土問題処理の事前準備として「連合国の旧日本領処理に関する合意書」を作成した。この合意書で連合国は、独島は「大韓民国の完全な領土として帰属する」とあらためて合意・決定した。日本は、51年9月8日に調印されたサンフランシスコ平和条約をめぐり、独島を韓国領から取り除いて日本に付属させてくれたら、独島をレーダー基地・気象観測所など米軍基地として提供するとロビー活動を行ったが、失敗した。米国の、ごく少数の一部官僚がやや態度を変えたが、英連邦などほかの連合国は、真実のとおり韓国領にすべしと主張したからだ。サンフランシスコ講和会議準備委員長のダレスは、本会議(9月8日)直前の51年9月5日、「提出された連合国の日本領最終案は、6年前の連合国決定に依拠した」と声明を発表し、この最終案がそのまま会議を通過した。条約文を簡潔にするため無人島の名称は記載しない方針で、「独島」の名称が条約文にないのも6年前の連合国の決定に依拠するものであって、46年1月のSCAPIN677号に依拠して独島は「大韓民国の完全な領土」と規定されたのだった。



この記事で言及されているSCAPIN677(連合軍最高司令部訓令第677号)とSCAPIN1033なのですが、これはこの範囲で指定された領域を、日本の管轄から一時的に除外しGHQの直接管轄とするとしたものであって、記事にあるように日本の領域から切り離すとしたものでもなければ、韓国領とするとしたものでもありません。


そもそもこの2つの覚書内には、677号「この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」となっており、1033号「この認可は、関係地域またはその他どの地域に関しても、日本の管轄権、国際境界線または漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」と、臨時措置である事がはっきりと明記されています。


そしてこの事は、日本もアメリカも政府レベルで何度も韓国側に指摘して来たうえに、私の知る範囲ですら民間レベルで何度も何度も韓国側の解釈の間違いについて、上記の覚書内に書かれている内容を根拠として指摘されてきたものです。


しかし韓国側は、上記の記事のように今現在でもこれを竹島領有の有力な根拠として使っています。
数十年前から突っ込みを入れられ続けてきた内容を、今でも一切変らず持論の基盤としているのは、まさに根拠を常識としない社会だからです。


根拠を常識として持たない社会である彼らにとっては、原文にどう書かれていようと一切関係が無いのです。
重要なのは彼らの中に最初からある「絶対的正しさ」であって、「正しさを証明する根拠」ではないのです。


さて、長々と「根拠を常識としない社会」とはどういったものかについて書いたのですが、ここからが重要です。


この韓国社会の価値観や常識なのですが、これは「我々の社会が過去に通った道の途中にいる」のかといえば、それは全く違います。
なぜなら彼らは鎖国して孤立してきたわけではなく、世界に開かれた社会で同じ情報を長年共有し続けてきたからです。


彼らは我々の過去の世界にいるのではなく、我々とは全く違った道を通って「現在にいる」のです。
「我々の過去にいる」ならば、進歩が遅れているという事ですから「劣っている」と評価してもいいわけですが、全く別の道を通って現在にいるのならば、それは優劣の問題ではありません。


また、常識とはその社会において都合の良い事柄という前提で見るのならば、彼らにとっては「絶対的正しさ」こそが社会にとって都合の良い常識であり、根拠を提示する事は非常識です。
つまり、日本社会とは根拠の扱いが真逆であり、善悪に対する認識も逆転していることになります。
日本社会では根拠を提示せずに持論を展開する事、つまり根拠の存在しない絶対的正しさというものを前提とした持論は「悪」となるわけですが、韓国社会ではそれが「善」なのです。


日韓双方の社会で善悪の価値基準が真逆であるのだから、我々の社会の常識としての悪を韓国に当てはめる事はできないというわけです。


だから韓国の行いを善悪や優劣で判断できないとなるわけです。
彼らは我々とは全く異なる常識を長年積み重ね、その積み重ねの結果我々とは全く「異質」な価値観を持つ社会として「成り立ってきた」のが韓国社会であり、全く積み重ねてきた物の違う日本の価値基準で彼らを見ることそのものが見当違いであると、私は過去韓国と様々な係わり合いのなかで、そう結論付けたわけです。


日本と韓国は、反日だとか洗脳だとか、そういったものでは無く、もっと深い根本的な部分で「違う」のです。
この前提で韓国を観察すると、韓国の行いの「不可解」な部分がかなり解消されます。