日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国ではなぜ自浄作用が殆ど作用しないのか


さて、今回は韓国における自浄作用についてとなります。
「韓国に自浄作用が無い」というのは、今までの韓国の様々な出来事を通じて多くの方がご存知でしょう。
そして、自浄作用が作用しない大きな理由として、過去このブロマガでも何度か書いてきた「自らの行いすら他者のせいにする」という独特の価値観の存在があるわけですが、実はもう一つ理由があります。


それは、韓国では責任を「負う」ものではなく「負わされる」ものだということが大きく関係しています。
通常の日本社会では責任と言うのは大抵どんな物にもついて周る物であり、何かをしようとすれば必ずその事を念頭に置かないと何事もうまく行きません。
(日本でもマスコミ業界は別なようですが)


だからこそ、大抵の事柄で誰もが何かしらの責任を「負う」ものですし、それが出来なければ「無責任な人」として嫌われ信用を失う事となります。


しかし韓国では、自ら率先して責任を「負う」という発想そのものがありません。
誰もが何一つ責任を負わないままありとあらゆる事柄を行い、問題が起きれば全てを他者のせいに転嫁し、そうする事で他者に責任を「負わせる」わけです。
書き方を変えれば、責任とは韓国では一般的に「生贄に詰め腹を切らせること」“のみ”なわけです。


こうした社会のため、誰も問題を直視し問題提起をしたり、自ら責任を負って選び・決断し・実行し問題を解決しようと動く事はありません。
問題が起きたら他者を生贄にするか、或いはひたすら事態が変わるよう他者に「要求」を繰り返すだけです。

そのため何事においても責任という重みが存在しないため、誰もがあらゆる問題に対して他人事「自分は関係ない」という態度を取ります。
誰も「生贄」になりたく無いからです。
そしてだからこそ、内部から問題提起によって自己の問題を改めようと言う自浄作用が、一切働かないわけです。
以下のように


【コラム】「自分だけは清廉」卑怯な韓国政界のボスたち
朝鮮日報 2015/04/20
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/20/2015042001520.html
韓国の大統領やその候補になるような人間たちは、本当に「自分だけは清廉潔白なまま今の地位に上り詰めた」と考えているのだろうか。あるいは「君王は無恥」と考えているのだろうか。

 2011年10月、当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領は大統領府で開催されたある会議で「この政権は資金提供を受けず選挙を戦って誕生した。道徳的には完璧な政権だ」と発言したが、この言葉は後から全くのパロディー、あるいは笑いのネタになった。直後に実の兄や側近など、李大統領のいわゆる「メンター(優れた助言者)」の立場にある人物が次々と身柄を拘束されたからだ。李大統領が当選した07年の大統領選挙は、選挙戦の序盤から勝敗がはっきりしていたため、確かにこれまでの大統領選挙の中では最もカネが掛からなかった。それでも公にできない巨額の資金が使われたのは確かで、これは選挙陣営の関係者なら誰でも知っていることだ。

 それは今の朴槿恵(パク・クンヘ)政権もさほど違いはない。朴大統領もその周辺の人物たちも、機会があるたびに自分たちだけは清廉潔白であるかのように語っている。例えば金淇春(キム・ギチュン)前大統領秘書室長は辞任する直前の会議で「この政権はこれまでで最も清潔な政府だ」と発言しており、また朴大統領と近いいわゆる「親朴」と呼ばれるグループの複数の幹部も「われわれがポケットマネーを全て出し合って選挙を戦った」と語った。このように現政権の関係者の多くが、この種の誰も信じない言葉を今も堂々と口にしているわけだが、朴大統領本人に至ってはこの信念がさらに固いようだ。建設会社前会長で元議員の故・成完鍾(ソン・ワンジョン)氏が、朴大統領の8人の側近に多額の現金を渡したと書き残したいわゆる「成完鍾メモ」について、朴大統領は今月15日「不正腐敗に責任のある人間は誰も許されないし、国民はそのような人間を許さないだろう」と発言した。ところがこの発言について野党はもちろん、与党からも「まるでひとごと」などと非難する声が相次いでいる。


こういった他人事な態度と言うのは、なにも韓国の政治の世界のみのことではありません。
最近韓国は対日政策において「ツートラック・アプローチ」と呼ばれる、安保問題と歴史問題を分離して考えようというスローガンを、政府もメディアもしきりに行っているわけですが、そもそも歴史問題と安保問題の足枷にしてきたのは、韓国政府だけではありません。


歴史問題を口実にするよう煽ってきたのはまさに韓国のマスコミですし、何より国民もそれをしきりに支持してきました。
にも拘らず、現在韓国ではメディアも政治家も国民も、さもそれが全て他人事であったかのように振舞っています。
誰も自らの言動に責任を負っていないからです。


そしてこのツートラックアプローチそのものに関しても、言動に責任を負っていないため「訴えるだけ」で全く実体を伴っていない物となっています。


対日二重路線の韓国政府、謝罪省く安倍談話に危機感
朝鮮日報 2015/04/22
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/22/2015042200730.html
安倍首相、終戦70周年談話で謝罪表現を省く可能性を示唆
米国での友好的なムードを察知し、周辺国の目を意識しないとの見方も
韓国政府、「ひとまず見守ろう」との意向
(中略)
一方、共同通信によると、安倍首相は21日に始まった靖国神社の春季例大祭に合わせ、供物を奉納したという。また、安倍首相の側近の一人である衛藤晟一首相補佐官靖国神社に参拝した。これらはテレビ番組での発言に続き、挑発のレベルを次第に高めていると解釈される背景になっている。

 これに対し、外交部(省に相当)の魯光鎰(ノ・グァンイル)報道官は「A級戦犯を神として祭っている神社に、日本の政治指導者たちが敬意や感謝の意を表するというのは、国際的な秩序を否定する行為だ」と批判した。

 政府はこれまで、歴史認識や領土などの問題と、安全保障や経済の問題を切り離して対応する「ツートラック・アプローチ」を通じ、米国の求めに応じて韓日関係の改善に向けた姿勢を示してきた。その代わり、日本が歴史認識問題で前向きな姿勢を示すよう、米国が圧力を掛けることを期待してきた。だが、韓国のこうした努力にもかかわらず、安倍首相が外交的な挑発をすることで、「ツートラック・アプローチ」の基調があいまいなものになるのはもとより、「韓米・韓日外交が全て失敗した」との批判に直面しかねない。




そもそも「日本が歴史認識問題で前向きな姿勢を示すよう、米国が圧力を掛けることを期待してきた」という時点で、問題を一切切り離せていないのですが、責任を負わず要求するだけが「当たり前」の韓国人の価値観では、「自分達が努力しているのに日本が挑発してくる」となるわけです。


ツートラック・アプローチを訴えたからと言って、それを自らの責任において実行する必然性は感じないのです、問題は他者にあり自分達には何の責任も無く、問題があれば自らはただ責任の外から要求をするだけだからです。


またこの何もかもが他人事で自らが責任を負わないと言う態度は、自身の言葉や自らが所属する共同体に存在するはずの責任そのものが最初から存在していないため、韓国人の言動は度々韓国独特な問題を対外的に引き起こします。


「1965年の韓日協定、対等な両国関係に立脚し改善を」
朝鮮日報 2015/04/24
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/24/2015042400526.html
韓日国交正常化50年を記念し学術大会

韓国国立外交院とソウル大学日本研究所が共催し、朝鮮日報社が後援する学術会議「法的側面から見た韓日関係50年 過去、現在、そして未来」が23日、ソウル市中区の韓国プレスセンターで行われた。国交正常化から50年を迎えようとしている中、改善の糸口をつかめていない韓日関係について歴史的に分析し、解決策を探るという目的で行われた。

 専門家たちは、1965年に韓日両国が結んだ協定の問題点について集中的にスポットを当てた。国立外交院国際法センターのシン・ガクス所長は「韓日間の協定締結当時、あいまいな形で妥協した歴史問題が、今日まで噴出し続けている」と指摘した。

 国民大学の李元徳(イ・ウォンドク)日本学研究所長は「1910年の韓国併合条約について、韓国は『原則的に無効』と主張する一方、日本は『当時は合法だった』と反論する状況で、国交正常化が実現した」と述べた。

 このような過程を経て締結された韓日間の協定について「未完の縫合(パク・チョルヒ・ソウル大教授)という指摘もあった。釜山大学のパク・ペグン教授は「日本は侵略によって被害を与えた国々に対し、賠償や経済協力、借款など様々な方式によって経済的な負担を回避した一方、ドイツはナチス政権の被害者に総額660億640万ユーロ(現在のレートで約8兆5400万円)の補償を行った。重要なことは金額の違いではなく、『過去との断絶』を実行に移したドイツと、『過去の栄誉と利益』を維持しようとする日本の認識の違いだ」と指摘した。

 だが専門家たちは、韓日間の協定の肯定的な側面も看過してはならないと強調した。「米国が主導する東アジアの国際秩序に本格的に加わり、輸出主導型の経済成長を成し遂げることができた(イ・グングァン・ソウル大教授)」という見解だ。

 専門家たちは、現在進行形となっている歴史問題を解決するため、韓国政府が積極的な姿勢を見せるべきだと主張した。仁荷大学のイ・ソクウ教授は、大法院(日本の最高裁判所に相当)と憲法裁判所が2012年、旧日本軍の慰安婦や第2次大戦中の強制徴用について「1965年の韓日請求権協定締結とは関係なく、補償を行うべき事案だ」との判決を下したことに対し「被害者たちが十分な謝罪や賠償を受けられないまま放置され、次々と亡くなっていくという状況で、司法が有意義な判決を下した」と評価した。

 イ・グングァン教授は、韓日間の協定締結後も、河野談話(1993年)や村山談話(95年)などが発表されたことを挙げ「韓日間の協定は固定的なものではなく、進化を続けてきたものだけに、対等になった両国の関係に立脚し、補完・改善を図るべきだ」と主張した。



例えばこちらの事例では、以前から書いてきたようにそもそも個人保証という日本側の提案を拒否して条約を締結したのは韓国です、しかし、記事中ではあたかも一方的に条約を押し付けてきたかのようになっています。
これも当時の韓国政府の決定に、誰も責任を負っておらず、全てが他人事だからです。


また、「国民大学の李元徳(イ・ウォンドク)日本学研究所長は「1910年の韓国併合条約について、韓国は『原則的に無効』と主張する一方、日本は『当時は合法だった』と反論する状況で、国交正常化が実現した」と述べた。」という部分に関しては、実際のところ既に結論が出ています。


2002年11月16~17日、アメリカのハーバード大アジアセンター主催で、日韓併合条約(1910年)が合法だったか不法だったかの結論をだすための国際学術会議が開かれました。
これは2000年2月、ハワイで「二十一世紀韓国・朝鮮研究国際会議」が事実上の韓国政府の資金で開催され、その後3回の事前会議等が開かれた後の4回目、総合的な結論をだすためのものでした。


そしてこれは事実上韓国政府の資金で開かれたという事からも解るように、韓国政府が日韓併合条約は不法と学術的に結論を出す事で、日本との外交を有利に進めようとの意図で、日本側に事前告知のないまま一方的に開催を決定したものでした。


が、開催してみると韓国の意図とは裏腹に、韓国側が推薦した英国ケンブリッジ大学国際法学者J・クロフォード教授から合法論が提示され、会議全体が「当時としては合法だった」という結論へと向かいました。


これに対して、韓国側が「理屈はそうだが受け入れられない」という態度を取ったため、会議がそれ以上進まなくなり、会議そのものが実質的な無期限延期へと追い込まれ、その後現在に至るまで次の会議は開かれていません。
つまり、当時としては合法だったと言う主張に対して、韓国側は何一つ有効な反論ができなかったわけです。


本来、この状態でそれでも不法論を通したいのならば、また第三者を入れての国際学術会議を開き、韓国側が合法論への新たな反論を行い議論をするのが筋です。
しかし韓国側は記事にもあるように日本側へ自らの主張を受け入れるよう「要求」しているだけです。


自らの責任で新たな説を打ち出し、そこから相手の主張を変えていくという事は一切していません。
これも自分達の言動に一切の責任を負っておらず「要求するだけ」が当たり前だからです。
そして何より、彼らは自らの言動に責任を負わないからこそ、彼らは根拠というものを重要視せず、過去間違いや問題点を指摘された説を何度も何度も繰り返し主張するわけです。


そしてまた、彼らの態度と言うのはこの部分で一貫しています。
「自分は何も変わらない、相手がこちらの要求を受け入れ無条件に変われ」というものです。


この韓国人の「一貫した態度」や今回書いた責任に対する考え方に、過去このブロマガで何度か書いてきた韓国人独特の価値観である蔑視ありきの自民族中心主義や、「絶対的正しさ(道徳的正しさ)」というものを組み合わせると、彼らの言動の大半が説明できるようになります。


大半の韓国人は自分達は常に絶対的に正いと考えており、その正しさは他者の劣等さを担保として成り立っているわけなのですが、韓国人は問題が起きればまず他者のせいにします、それはつまり他者の劣等さという事であり同時に自己の優越性(正しさ)という事になります。


その結果、彼らの価値観では問題が起きるのは劣等さをもつ他者の責任(負わせる責任)という事になり、自身には何の責任も無い事になります。
だから問題を解決する責任を負うのも他者となり、自身はただ自らの望みを相手に「要求するだけ」となるわけです。


韓国政府の外交における言行不一致の態度というのもまさにこれです。
また、個別の事例でも韓国人に問題点を指摘すると「相手も同じだ」という反応をする事が非常に頻繁に起こります。
これも要するに、「相手も同じだ」とすることで彼らの中で自己の責任における問題が打ち消された事になるからです。
「一部の例だ」というのも基本的に同じです、自分の与り知らない他者に責任を転嫁しているのです。


結局のところ、自浄作用というのは自らの言動における責任を認め、そこに問題がある事を自覚して自己の問題の改善していく行為のことですから、自らを絶対的正義とし、常に他者に問題があるという前提の元で自身に一切の責任がないとの大前提があれば、当然自浄作用は働かないという事です。


最後に。
当然のことですが、韓国人がこういった価値観を持っている以上、日本人の「お互い様」という態度で日韓の問題を解決しようとすると、問題が更にこじれる事になります。
なぜなら、彼らのする「要求」というのは、自らは常に正しく常に責任は他者にあるという前提で行われる物だからです。


「お互い様」と言う考えは、自身が落ち度を認め折れれば相手も落ち度を認めて折れるという大前提で成り立っているわけですから、そもそも自己の責任を認めないと言う前提の相手とは非常に相性が悪く、日本側が折れれば彼らは「相手が責任を認めた」という事にしかならないので、要求が更に増えて問題が深刻化するだけなのです。


本来、日本人の常識を前提に日韓の間にある問題を考えてはいけないのです、彼らには全く別の「常識」があるのですから。
「日本が韓国の○○という要求を呑めば、韓国も△△してくれるはずだ」という考えは非常に危険なのです。