日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

今年も始まったソメイヨシノ韓国起源説(part1)


さて、今回は延々と繰り返されるソメイヨシノ韓国起源説についてとなります。
ただし、あまりにも書くことが多数あるので今回複数回に分けて残りは次回に書く事にします。
そのうえで、一部繰り返しになってしまいますが事前に知っておいて欲しい前提知識をいくつか。


まず韓国は、韓国済州島の王桜と呼ばれる桜はソメイヨシノのことであり、ソメイヨシノ起源は韓国にあるとしているのですが、その既成事実化のためにソメイヨシノの韓国語表記を王桜と同じ「왕 벚나무」とし、また学名もソメイヨシノと同じPrunus(Cerasus) × yedoensisを使っています。


そのため、日本人が日本語で「ソメイヨシノと王桜は別種だ、ソメイヨシノは日本で作られた交配種だ」と指摘しても、韓国語に翻訳される過程で「王桜と王桜は別種だ、王桜は日本で作られた交配種だ」という意味不明の文章になってしまいます。
そしてこの事は韓国が官民あげてソメイヨシノ韓国起源説を行っていると言う確固たる証拠です。


また、ソメイヨシノ韓国起源説といっても実は何種類もあります。
このブロマガでも何度か扱ったことがあるので知っている方もいるとは思いますが、代表的なものでは「ソメイヨシノ済州島自生説」と王桜を日本に持ち込み交配させた「交配種説」があり、当初韓国政府が自生地説を主張していたため、前者は知っている人も多いようですが近年増えてきた後者は日本であまり知られていないように感じます。
ですので、「ソメイヨシノは自生しない」だけでは通用しない場合もあるという事です。


更に、自生説と交配説その両方で言えることなのですが、韓国では皆が皆「自分が絶対的に正しい」と考える傾向にあるため、研究者もメディアも政府もその場の思い付きで次々と「新説」を出す傾向にあり、またそれを見た人々が伝言ゲームのようにそこから更なる説を生み出したり、更にそをれ見た研究者がその「結論」を元に“ありき”の研究をして更なる説を生み出す事例すらあります。


その結果、これは韓国起源説に限ったことではないのですが、韓国で知名度が上がれば上がるほど全体像を把握するのが難しくなっていきます。
皆が皆好き勝手に新たな説を立ち上げるうえに、誰も検証をせず挙句その説から更なる説を作り出し増えていくからです。
つまり、自生説・交配説共に「亜種」が山のようにあるのです。


そのため、ソメイヨシノ韓国起源説の場合では、例えば「どの時期に日本へ持ち込まれたか」にしても、私の把握している範囲ですら6世紀の百済説、戦国時代の文禄・慶長の役説、江戸時代の朝鮮通信使説、明治時代説などバラバラで、そのうえどれも言いっ放しで根拠はあってもこじ付けの間接的推定のみ、大半はその推定すら単なる願望のみと言う有様です。


ですので、こういった韓国起源説を調べるor説明を受ける場合には、この事を事前知識として知っておかないと100%混乱します。
ちなみに余談になりますが、今年の傾向として“今のところは”自生説が多いようです。


少々前置きが長くなってしまいましたが、その前提を踏まえたうえで今年の分のソメイヨシノ韓国起源説への突っ込みを始めます。
まずは自生説から。


[光復70年・修交50年済州と日本をいう/第1部済州王桜の世界化](2)
原産地論議終止符
漢拏日報(韓国語) 2015. 03.16.
http://www.ihalla.com/read.php3?aid=1426431600493273020
毎年3~4月になると通りを派手に彩る王桜は、日本と永く分類学的あるいは原産地論争が続いてきた。学会によれば、今まで提起された王桜の自生地と起源は伊豆大島自生説、雑種起源説、伊豆半島発生説、済州島自生説など大きく四つに要約される。

この中で済州島自生説は様々な研究者の調査結果を基礎に提起されたが、一時は自生地と言うには標本と一致するほど個体がなく、その個体数も大変少ないことから否定されたこともある。その後、王桜は我が国の土地産であり、済州が原産地という事実が数多くの自生地発見と研究などを土台に確信されるに至った。

学界によれば王桜は1901年、日本人、松村博士が東京植物雑誌15冊に発表することによって学術的な名前を与えられた。しかし当時、植栽された木を基準種として発表され自生の有無が議論され、現在までも日本には確認された王桜の自生地がないことがわかっている。

1908年4月15日、フランス人タケ(Taquet)神父が漢拏山観音寺裏手の山、海抜約600メートルの森の中で桜類標本一点を採集する。標本番号4638号。この標本が自生する王桜としては世界最初の標本であり、済州島が王桜の原産地であることを証明する標本だった。タケはこの標本を独ベルリン大学のケーネ (Koehne)博士に送り、ケーネはこの植物を王桜と確認した。これを根拠に日本人、小泉、竹中、ナカイ、牧野、森などは済州が王桜の自生地であることを支持するようになる。

普通、植物が由来したところを原産地と規定するにはそこが自生地であることを立証しなければならない。植物分類学者のムン・ミョンオク博士はこのように説明する。
「王桜を立証してみよう。まず自然状態で育っている。これは基本必要条件だ。個体数が多い。個体数が多いということはそれだけ原産地である可能性が高いということだ。また、多様な形態的変移が観察される。形質変異幅が大きいことは永くその地域に自生していた証拠になる。それだけではない。多様な樹齢の個体がまんべんなく分布する。この点は完全な自然発生的基盤を持っていると見ることができる。また、類縁関係が近い種が多く分布する。近縁種が多いということはある先祖から分化した種の多い所なら近い種のない所に比べて永く進化してきた場所という証拠になる。王桜は済州が原産地であることは確かだ。」

立山林科学院暖帯亜熱帯山林研究所によれば漢拏山に自生する王桜は今まで100余株が発見された。実際はこれよりはるかに多くの個体が自生すると推定される。樹齢も幼木から200年以上と推定される老齢の目撃が確認されている。自生地は漢拏山の斜面や方位に関係なく海抜450メートルから850メートルまで天然林に等しく分布している。葉、花、種子など外部形質に対する変移調査の結果、変移の幅が非常に大きいことが明らかになった。

王桜研究の世界的権威者キム・チャンス博士(暖帯亜熱帯山林研究所長)は「済州島が唯一の王桜の原産地であって、交雑種という根拠もない」と断言する。



まずこの記事なのですが、相当な混乱が見られます。
そもそもソメイヨシノの学名であるPrunus(Cerasus) × yedoensisというのは、交雑種につけられる学名であり、自生地も何もソメイヨシノは園芸用に意図して人工的に交雑された種なのだから、自生地が無いのは当たり前です。


更に「伊豆大島自生説、雑種起源説、伊豆半島発生説」というのは、屋久島のウィルソン株を発見したイギリスの植物学者アーネスト・ヘンリー・ウィルソンが、1916年に発表した「(ソメイヨシノは)伊豆半島エドヒガンとオオシマザクラが自然交雑した」という説と、それとは全く関係の無い伊豆半島オオシマザクラは伊豆諸島からの人為的な移入であるとする説がごっちゃになったものです。


また更に、「学界によれば王桜は1901年、日本人、松村博士が東京植物雑誌15冊に発表することによって学術的な名前を与えられた」というのも色々ごっちゃになっています。


経緯を時系列で書くと、まず1900年までソメイヨシノは「吉野桜」と呼ばれていました。
これは江戸時代桜の名所として奈良の吉野山が有名であり、それにちなんだ名前だったのですが、吉野山の桜はヤマザクラが殆どである事から、1900年に博物学者の藤野寄命がヤマザクラ吉野桜の混同を避ける為に「染井吉野」と新たに命名します。


そして、翌1901年に植物学者の松村任三がソメイヨシノに「Cerasus × yedoensis」という学名をつけたという経緯です。


また更に更に、「しかし当時、植栽された木を基準種として発表され自生の有無が議論され」というのはこの出来事とは全く関係ありません。
1932年、植物学者の小泉源一がソメイヨシノと王桜の類似性を指摘し同種であるとの説を発表したのですが、採取標本の不備や王桜にオオシマザクラの特徴のないことなどから疑問が提起され、その後否定されたという経緯が、時系列を飛び越えて1901年の出来事と混ざってしまっています。


そして王桜に関してはこの記事で書かれている事に間違いはありません。
1908年にフランス人のタケ(Taquet)神父が済州島漢拏山で標本を採取、ドイツベルリン大学のケーネ (Koehne)に送り、1912年に新種と同定されたという経緯があるのですが、問題は全く異なる経緯によって学術的に定義された2つの異なる種を、韓国では同種とするために2つの経緯を混同した結果、1901年と1912年の2回「王桜が発見された」というおかしな事になっているわけです。


一体何のソースを読んでこんな事になっているのかと疑問に思うかもしれませんが、韓国ではこういった資料の「抓み食い」と「継ぎ接ぎ」が頻繁に日常的に行われています。
これは要するに「絶対的正しさ」から結論ありきでソースをあたるために、結論に合うようにソースを並べ替えてしまうから起きることなのですが。


次に王桜交配説を。


桜?日本産ではなく「済州産」が正しい~日本、敗戦国民の士気上げるため「王桜は日本産」に変更
朝鮮日報(韓国語) 2011/04/14
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2011/04/14/2011041401915.html
(前略)
◆王桜が日本産?誤解日本の崩壊から始まった

立山林科学院によれば日本で「サクラ」として「日本産」だと呼ぶ桜、その中でも派手に花が咲くことで有名な「王桜」は済州島が原産地だ。王桜は1901年、日本の学者が東京で発見して国際学界に報告し原産地が日本のように知らされた。そうするうちに庚戌国辱以後、済州島で王桜自生地が発見され多くの日本学者らが「済州島が原産地」と認めたという。1933年日本の著名な植物学者、小泉源一は「日本サクラの韓国起源論」を発表したこともある。当時、日本は内鮮一体を主張し我が国もどうせ自分たちの領土と考えたので王桜の原産地が済州島という事実をためらう事なく明らかにした。
(中略)
日帝の文化的残滓を根絶しよう?

原産地がどこでも王桜は日本の人々の好みに完全に一致したという。国立山林科学院暖帯山林研究所キム・チャンス博士は「日本の人々は本来派手な桜が好きだったが、王桜は彼らの好みにぴったり合う品種だった」と話す。キム博士によれば王桜が発見されてから日本人たちは品種改良を繰り返した。そして我が国を植民地にした後、改良された王桜を韓半島のあちこちに植えた。

原産地は我が国の木だったが「日本式」にあちこちに植えられたのが問題だった。日帝は道路を作りながら「街路樹」の概念がなかった我が国に街路樹として桜を植えた。昌慶宮庭園にも桜を植えたが、これは私たちの伝統庭園では見られない姿という。キム博士は「我が国は桜を観賞用としてよりは木材に活用した」とした。八万大蔵経の中の相当数が桜で作られ文書保管等で桜が愛用された。派手な桜を道路周辺に列をなして植えたり宮廷庭園に植えた前例はなかった。

このような理由のため解放直後、桜は日本産で日帝残滓という認識が充満したのだ。新聞では連日「日帝残滓の桜を切ってしまおう」という社説までのせた。
(後略)



これは以前も紹介したものなうえに2011年の記事なのですが、交配種説では有名な物なので再度掲載します。
要するに、記事中にもあるようにここでは明治時代に日本が発見しその後品種改良を繰り返してソメイヨシノにしたとしているのですが、時系列上の「本来の経緯」は先ほど書いた通りとして、記事中では「日本学者らが「済州島が原産地」と認めたという。」としていますが、実際は小泉源一を含む少数の学者が提唱しただけであり、日本の学界でこの説が主流になった事は一度もありません。


また、去年朝鮮日報はこれとはまた別の、ここに書かれているものとは明らかに矛盾する説も記事にしています。


サクラがある日本大使館ムクゲがない韓国大使館
朝鮮日報 2014/08/14
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/08/14/2014081400509.html(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20140814015853/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/08/14/2014081400509.html(ウェブアーカイブ
(前略)
ワシントンのポトマック川沿いは、全米一の桜の名所として知られる。韓国を植民地としていた時代、日本が友情の証しとして米国に贈った数千株の苗木が、川に沿ってぎっしり植えられているためだ。

 サクラの原産地は済州島の漢拏山で、江戸時代に日本に本格的に広まったというのが定説とされている。日本は1910年12月、米国に2000株のサクラの苗木を贈ったが、病虫害に感染していたことが分かり、全て焼却処分された。

 日本は約1年後の12年2月、ワシントンに3020株、ニューヨークに3000株の苗木を再び贈った。わずか14カ月後に6000株以上の苗木を寄贈できたことについて、東洋美術史学者のジョン・カーター・コベル博士(1910-96)は生前「日本が2度目に贈った新たな品種のサクラは済州島で採集したもので、虫に食われて枯れた日本採集のサクラとは違って生命力が強く、米国の風土で生き残ると思った」と指摘した。

 これと関連し、李承晩(イ・スンマン)元大統領は米国に滞在していたころ、ワシントンのアメリカン大学で済州島ソメイヨシノの植樹行事を行い、「日本産」となっているサクラの説明を「韓国産」に変えるよう米国政府に要請した。

 ワシントンの韓国文化院の庭園にはトルハルバン(済州島独特の石像)が置かれているが、建物の前にムクゲを植え、トルハルバンの横に同じ済州島ソメイヨシノを植えれば良いとの意見もある。
(後略)



まずそもそも移入時期が明治時代としていたにも拘らず、ここでは江戸時代としています。
これは要するに、ソメイヨシノの日本における最古の文献で江戸の染井村(現東京都豊島区)の植木屋伊藤伊兵衛の一族の記録として「吉野桜」があり、検証の結果時期は1720~1735年頃とされ、その説に合わせた結果です。


関連資料
ソメイヨシノとその近縁種の野生状態とソメイヨシノの発生地
引用文献:筑波大農林研報3:95―110, 1991.
岩崎文雄
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/Iwasaki.htm


またジョン・カーター・コベルという人物は、記事中にもあるように植物学者ではない上に、どこを探しても彼女の説を裏付ける資料がありません。
挙句、この学者はいわゆる「札付き」で、アメリカの韓国系出版社をパトロンとして、ろくに根拠も提示せずに韓国起源説を連発していた、韓国以外ではほぼ論文引用すら皆無の無銘の人物なのです。
しかもこの説だと自生説です、何もかもがおかしいです。


そもそも彼らの明治時代説にしても江戸時代説にしても、何が一番おかしいのかと言えば、「日本に入ってきた」と主張するだけで、その根拠となる資料や文献はどこでも一切提示されていないのです。
要するに言いっ放しで、次々と矛盾を指摘されるたびに新たな説を、整合性も無視して提示し続けている、そんな状態なのです。


また人工交配種説にしても色々あり、以前も紹介したこちらのようなものもあります。


成均館博士課程チョ・ミョンスクさん...済州ソメイヨシノの起源が明らかに
聯合ニュース(韓国語) 015/01/21
http://www.yonhapnews.co.kr/economy/2015/01/20/0303000000AKR20150120174400004.HTML
(ソウル=連合ニュース)イ・テス記者=昨年11月、成均館大生命科学キム·スンチョル教授の研究チームは、国立生物資源館などと一緒に済州島ソメイヨシノの起源を明らかにし、これを国際学術誌「米国植物学会誌」(American Journal of Botany)に掲載した。

研究チームは、ソメイヨシノが日本から発信されたものではなく済州島自生の王桜と、山桜複合体の交配で発生した種であることをDNAの分析を介して始めて明らかにした。

ところが、この研究の中心は、今年還暦を迎えた女性がいて目を引く。主人公は、成均館大学生命科学の博士課程を修了しているチョ・ミョンスク(60・女)氏。

チョさんは21日、「島という特殊な環境で自然に交配を介してソメイヨシノが発生したということが研究の核心」とし「植物分類学者の権威がある学術誌に大学院生の身分で論文を載せてうれしい」と所感を伝えた。

1977年梨花女子大学英文科を卒業したチョさんは34年ぶりの2011年成均館生命科学修士課程に入学した。

彼は入学するやいなや、すぐにキム教授の指導を受け、済州島ソメイヨシノの起源を研究し、その研究結果を、過去2013年の修士論文に入れた。 そしてこれを基に修正と再実験を経て、アメリカの植物学会誌に論文を載せる成果を収めた。

チョさんはそのために、毎年春に桜のサンプルを採取しに済州島と五台山、太白山、内蔵山など全国の山もちろん日本まで歩き回ったという。 草むらをかき分けて山をて乗ったため、全身は傷だらけになるのが常であった。

彼は "山の中をヘジプゴ通うことが多いため、笑い話で「植物分類学は、3D」とし「各地で桜のサンプル400個を採取し、このうち71個のDNAを分析し、ソメイヨシノの系統を追跡した」と説明した。
(後略)



この説ではソメイヨシノは王桜とヤマザクラが交配した結果だとしているのですが、そもそも王桜というのは済州島においてエドヒガン系の種とヤマザクラ系の種が山間部の中層地で自然交配した結果であるとの説が有力なので、これだと単に「ヤマザクラに近い種」が出来上がるだけです。


しかも、これだと「ワシントンに送られた桜は済州島で採取された王桜である」という説とも矛盾してしまいます。


また、先ほども書いたようにソメイヨシノは明らかにヤマザクラとは別種なので、これだと更におかしな事になります。


参考資料
日本育種学会第111回講演会
PolA1遺伝子解析によるサクラの類縁関係
-ソメイヨシノの起源-
http://www.nacos.com/jsb/02/02PDF/111_kishareku.pdf
2.発表者:中村郁郎1・高橋弘子1・太田 智2・森泉俊幸3・佐藤洋一郎4・花城良廣5・三位正洋
1(1: 千葉大学大学院自然科学研究科、 2: 静岡大学農学部、3: (株)ベックス、4: 総合地球環境学研究所、5:(財)沖縄海洋博記念公園)
3.発表概要
:サクラの類縁関係を解析するために、核ゲノム中に1組のみ存在する
PolA1遺伝子のハプロタイプを解析した。この結果を応用してソメイヨシノの起源を解析したところ、コマツオトメのようなエドヒガン系の園芸品種を母親とし、オオシマザクラを父親とした交配により起源したことを示唆する結果を得た。
(中略)
7.問い合わせ先:千葉大学園芸学部 植物細胞工学研究室 中村郁郎



このように、実際に日本で研究が進んでおり、現在論争となっているのは父方はオオシマザクラで確定、母方がエドヒガン系のコマツオトメなのか、それともエドヒガンなのかという部分なのです。


ソメイヨシノ「母」は北関東のエドヒガンか ソメイヨシノ葉緑体DNA一致
時事通信 2012/05/05
http://jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012050500199 (リンク切れ)
「母」は北関東のエドヒガンか=ソメイヨシノ葉緑体DNA一致-千葉大

桜の代表的な品種ソメイヨシノは、江戸時代後期に植木屋が多かった染井村(現東京・駒込)で伊豆諸島などに自生する野生種オオシマザクラを父親、エドヒガン系統の品種コマツオトメを母親として誕生したとの説が有力だったが、コマツオトメは母親ではなく近縁にとどまることが分かった。
千葉大園芸学部の国分尚准教授や安藤敏夫元教授らが5日までに葉緑体のDNAを解析して判明した。
 
植物で光合成を行う葉緑体には、細胞核のDNAとは別のDNAがあり、母親から子に受け継がれるため、塩基配列の特定領域が個体間の関係を解明する手掛かりになる。
 
研究チームが江戸時代から生えているエドヒガン系統の天然記念物級の古木を青森から鹿児島まで計523本探して葉緑体DNAを採取・解析したところ、ソメイヨシノと一致する木が群馬県で4本、栃木、山梨、長野、兵庫、徳島の各県で1本ずつ見つかった。
 
研究チームは細胞核DNAで個体間の関係解明に役立つ「PolA1」遺伝子や「S」遺伝子の解析も進めており、これらの結果を総合するとソメイヨシノの母親の起源地を特定できる可能性がある。研究成果は園芸学会で発表された。
 
国分准教授は「鳥が実を食べて種を運んだり、人が苗を移植したりすることがあるので、起源地の特定は容易ではない。
染井村の植木屋には各地から桜の苗が集まり、ソメイヨシノができたのではないか」と話している。
 
コマツオトメがソメイヨシノの母親の有力候補とされたのは「PolA1」遺伝子の解析結果が根拠で、千葉大静岡大の研究チームが2007年に育種学会で発表した。父親のオオシマザクラは伊豆諸島や伊豆半島、房総半島に自生している。



韓国メディアがよく引き合いに出す自生地論争というのは、恐らくこの母方がどちらの系統なのかの論争、或いはこの記事中にある「起源地の特定は容易ではない」を都合よく曲解したものなのではないかと、私は考えています。
そうすると色々と整合性が取れるのです。


また、韓国で頻繁に「DNAの調査で王桜とソメイヨシノは同種と確認された」との記事があるのですが、これに関しても恐らくこれが原因だろうと思われる記事を発見しました。
それがこちらです。


済州自生王桜名品森ハンナムリに造成される!
済州の音(韓国語) 2015年03月12日
http://www.jejusori.net/?mod=news&act=articleView&idxno=159452
済州自生王桜名品森が西帰浦市南元邑ハンナムリに造成される。

立山林科学院暖帯・亜熱帯森林研究所は、光復70周年と第70回植樹祭を迎え、国民参加植樹の一環として、王桜高級林つくりプロジェクトを開始すると12日明らかにした。

この日南元邑ハンナムリに位置する漢拏試験林で、光復会済州支部西帰浦市幼稚園小学校、西帰浦市連合青年会、関連機関など300人あまりと一緒に済州自生王桜など1000本を植える。

とくに今回植樹する王桜は済州自生王桜から採取した挿し穂から育てた優秀な苗木である。

暖帯・亜熱帯森林研究所は、今回済州自生王桜を10haに植え桜名品森になるように計画している。

研究所の研究者は「王桜名品森団地を造成して、今後ここを訪れる地域住民や観光客に多様な見所と体験空間を介して森体験プログラムを提供提供する計画だ」と明らかにした。



いわゆる「挿し木」によるクローンで王桜を増やして植林しているとの記事なのですが、こういった植林の事はあまり知らないのですが、王桜は自生種なのですから種子があるはずです、わざわざ遺伝子の多様性を失わせ栽培にもリスクの多い挿し木でクローンを作る必然性があるのでしょうか?


恐らくこれはソメイヨシノでしょう。
こうしてソメイヨシノを王桜として次々と植林し、韓国の学者達がそこからサンプルを採取して「DNAが一致した」とやっている可能性が極めて高いのです。
ですので、恐らくこの手のサンプルからは、韓国には自生しないオオシマザクラの遺伝的特徴が発見できるはずです。


このように、韓国のソメイヨシノ韓国起源説は文字通り「デタラメ」です。
時系列もバラバラ、説同士が矛盾するのも日常、同じ人物や団体がいきなり全く違う説を唐突に主張しだすのも当たり前、そしてそれは伝言ゲームで現在も際限なく増え続けているのです。


そして、これを読んでも解るように、あまりにも色々な説を好き勝手に出しているため、彼ら自身も多分何が正しいのか解っていません。
ただし、彼らにとってはそれでもいいのです。


以前も書いたように、彼らは「正しさ」に本来根拠を必要としません。
根拠というのは正しさを証明するさいのオマケ程度にしか考えておらず、だからこそ矛盾があろうが時系列がおかしかろうが、整合性が取れなくともどうでもいいのです。
彼らにとって重要なのは、「世界的に有名なソメイヨシノは実は自分たちの物なのだ」という、ただそれだけなのです。


最後に。
今回はソメイヨシノ韓国起源説の説明のみに限定しました。
実はこの起源説の最大の問題点は起源主張そのものとは別にあるのですが、事前知識としてまずこれを知っておいて欲しかったのでこちらを先に書く事としました。


次回はアメリワシントンD.C.で毎年開かれる桜祭りの件を中心に、ソメイヨシノ韓国起源説の最大の問題について書く事とします。