日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国人は異なる考えや価値観を許容できない


さて、今回の内容なのですが、これは「知らないから許容できない」ではなく「知っても許容できない」という意味です。
まずはこちらの記事から


「韓人を侮辱」「どれ程ならば…」掲示論議
コリアタイムズ(韓国語) 2013-03-26
http://www.koreatimes.com/article/785251
LAコリアタウン内のある建物の外壁に韓人を侮辱する内容の禁煙ポスターが貼られている

「話を聞かないのは韓人だけだ。人間になれ」

LAコリアタウン内のある建物にこのように韓人を侮辱する文句が書かれた禁煙ポスターが貼られて論議がおきている。

ウィルシャー・ブルーバードとセント・アンドリューズ交差点近隣のあるショッピングモール外壁にコピー紙にプリントされて貼られたこの禁煙ポスターには「韓国の方々はここでタバコを吸わないで下さい。話を聞かないのは韓国の人だけ。ここでタバコを吸う人は自分の居間で吸うのと全く同じ。人間になれ」という内容の刺激的な文句が書かれている。

何日か前に路上駐車して道を歩きポスターを見たという韓人キム某氏は「いくら韓人がタバコをたくさん吸うといっても韓人らを侮辱するような警告文句は度が過ぎるのではないか」として「人種差別的な性格のために法的な問題にもできるだろう」と話した。

このポスターが貼られた建物には様々な韓人会社が入店しているが、周辺会社はこのポスター掲載を否認しており、どの会社がこれを貼ったかは確実でない状況だ。これについて一部韓人は「韓人らがタバコをたくさん吸うことは吸う」としながら「どれほど苦しかったらこんな形で掲示板を作ったのか」と話した。



この記事なのですが、「もし日本人を対象としたポスターだったら自分はどう反応するか」を考えてみてください。
表現に多少の賛否はあるでしょうが、注意をしても聞かないからポスターを貼られたという事実がはっきりしている以上、注意しても聞かない日本人が悪いと考え「日本の恥」と感じるでしょう。


しかし韓国人は記事の通りそうは考えていないようです。
それがなぜなのか、まず韓国は非常に喫煙率の高い国であり、路上喫煙や吸殻のポイ捨てなども日常であり、それを咎めるような習慣が殆ど無い事が関係しています。


韓国内でそれが良い事なのか悪い事なのか、それは韓国人が決める事なので良いとしても、その習慣をそのまま国外でも実行すれば当然トラブルになります。
しかし例外こそあれ、多くの韓国人にとっては自分達の常識こそが全てであり、その常識の範囲の外にある考え方や価値観というのは、自分達の常識より自動的に「下位」に位置付けされます。


結果として記事にあるように、「なぜこのような注意書きをされたのか」は韓国人の常識から見て「大したことない問題」とされ、これは韓国人に対する侮辱や差別があるからこうなるのだと、自分達を軽く見ているからこんな事をするのだと、そう「彼らの常識に照らし合わせて」考えるわけです。
他者から見てその行いがどう見えるのかは一切考慮されません。


当然のことですが、これは日本との間でも同じです。
例えばこちらの記事


「日強奪文化財、無条件出せと言うなら解決できなくて」
東亜日報(韓国語) 2015-01-01
http://news.donga.com/3/02/20150101/68865059/1
(前略)
チョン・ウテク東国(トングク)大美術史学科教授は「ひとまず互いに相手側の立場で懸案を眺めようとする試みが必要だ」として「日本側では直ちに目の前に起きた状況(対馬仏像)を国際協約により処理することが先決課題と見ている。日本側は長い間の歴史的悪縁によって韓国社会に根付いた日本に対する否定的感情の必然性を理解しようとする努力を見せるべきだ」とした。

ムン・ミョンデ韓国美術史研究所長は「私たちの文化財を返してもらわなければならないという目標は明確に置いても、交流協力を通じて相談する努力なしに一方的に返還主張だけしては、得るものがない」として「実益のない消耗的感情対立を自制し、長い観点の戦略的接近を堅持しなければならない」と話した。



対馬の仏像盗難事件に関連した記事なのですが、重要となるのはこの部分です


>ひとまず互いに相手側の立場で懸案を眺めようとする試みが必要だ


としながら、結局は


>日本側は長い間の歴史的悪縁によって韓国社会に根付いた日本に対する否定的感情の必然性を理解しようとする努力を見せるべきだ


と、自分達の都合を日本側が理解すべきだとしています。
そもそも日本側の都合として記事に書かれているのは国際法の遵守であり、韓国側の都合として書かれているのは、「日本人の価値観からすると」単なる身勝手なわがままでしかありません。


要するに韓国側は、国際法よりも韓国人の国民感情を考慮し理解しろと、そう主張しているわけですが、韓国人の価値観では法よりも感情が優先され考慮されるとうのは当たり前の事なのです。
そしてその価値観が韓国人の中では絶対なので、日本側の「国際法の遵守」という考え方はそれよりも下位に位置付けられ、このような反応になるわけです。


またこちらの記事も本質は同じです。


西洋にはネルソン、東洋には李舜臣…海外でも認識拡散中
2015年01月06日15時14分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/918/194918.html?servcode=400&sectcode=400
http://japanese.joins.com/article/919/194919.html?servcode=400&sectcode=400
http://japanese.joins.com/article/920/194920.html?servcode=400&sectcode=400
昨年1700万人の観客を動員した映画『鳴粱(ミョンリャン)』の火で、全世界も燃やすことができるだろうか。李舜臣(イ・スンシン)将軍が「歴史韓流」「軍事戦略韓流」「リーダーシップ韓流」の中心に立てるだろうか。韓国を訪れる観光客ならば誰でも帰国の途に李舜臣将軍の銅像や亀甲船の模型を買っていくようになるだろうか。

そんな可能性が十分にある。光化門(クァンファムン)にある李舜臣将軍の銅像は、パリのエッフェル塔やニューヨークの自由の女神に劣らず強力な私たちの国家の象徴になりうる。ロサンゼルスタイムズは昨年8月17日の記事で、李舜臣将軍の銅像がある光化門広場がソウルの象徴的中心点(epicenter)だといった。

李舜臣将軍の偉大さについては海外でも知っている人は知っている。問題は、李舜臣将軍という潜在力満点の国家ブランドを、いかに世界の一般の人々に効果的に広報するかだ。その種は早くにまかれた。英国海軍提督であり歴史学者であったG .A.バラッド(G.A. Ballad、1862~1948)は自身が記した『海が日本の政治史に及ぼした影響(The Influence of the Sea on the Political History of Japan)』(1921)でこのように記述している。「英国の立場でネルソンと同等の提督がアジアから出たということを認めがたいが…李舜臣将軍はネルソンと同級ということを認めるほかはない」

今や李舜臣将軍は海外の新聞にも出てくる「今日生まれた人々」欄にも登場する。例えば昨年、ニュージーランドヘラルドの報道によれば李舜臣将軍は米国大統領ジェームズ・モンロー、数学者のクルト・ゲーデルサダム・フセイン、女優のペネロペ・クルスジェシカ・アルバとともに4月28日生まれだ。アマゾンでオックスフォードブランドの李舜臣将軍の望楼のレゴ(LEGO)も買える。

李舜臣将軍について海外メディアが頻繁に扱ってくれるようにするには、まず西欧の主な参考図書(reference book)や戦争史など専門書籍にもれなく登場しなければならない。徐々に李舜臣将軍が多く登場しているのは事実だ。R.G.グラントが書いた『海上戦闘:海戦3000年史(Battle at Sea:3000Years of Naval Warfare)』は、李舜臣将軍と壬辰倭乱文禄・慶長の役)を6ページにわたり紹介している。この本は「コーヒーテーブル(coffeetable)」だ。特に米国の人々は、リビングのコーヒーテーブルに出しておいて時々読んでみるコーヒーテーブルと呼ばれる挿絵・写真がたくさん入った本が好きだ。李舜臣将軍が米国のリビングに進出したのだ。
(後略)



近年韓国での民族主義の高まりと共に、李舜臣は韓国人の民族主義の象徴となってきており、特に去年からは記事にもあるように映画「鳴粱」の大ヒットによってその勢いは加熱してきています。
そして、韓国内で韓国人が熱狂する分には特にこちらから何も言う事は無いのですが、記事にもあるように韓国人は世界中の人々が李舜臣を偉大な人物として英雄視しないといけないと、そう考えているのです。


以前も少し書きましたが、この文禄・慶長の役における鳴粱海戦というのは、史実では李舜臣が1回の戦術的勝利のために戦略拠点である鳴粱湾を放棄した戦略的敗北、それだけの戦闘です。
またこの時討ち取った武将は来島通総(1561~1597)という人物なのですが、戦国武将としては特に有名でもなければ歴史に大きく関わった人物でもありません。


伊予風早郡1万4000石が来島通総の資産の全てあり、秀吉の家臣のなかでも特に有力でもなければ重要でもありません。
しかも文禄・慶長の役においての日本側武将の戦死者はこの来島1人なのです。
しかしこの「鳴粱」という映画のなかでは、来島があたかも秀吉の重要な家臣であり、石田三成などと同等であったかのように扱われ、更には李舜臣は133隻の大艦隊を打ち破った事になっているのです。
(実際は小・中型船で構成された30隻程度の先遣隊)


当然ですが、いくら韓国側が映画「鳴粱」を史実であるとして、それを世界中の人々が受け入れろと要求したところで、それはいくらなんでも無理な相談です。
あくまでこれは韓国人が韓国人の都合によって民族主義の高まりと共に作り出したフィクションであり、どんなに歴史資料を漁っても韓国人の望むような記録は無いからです。


しかし韓国人の中では韓国人の事情や歴史観が全てであり、それと異なる歴史観は一切容認されないので、自分達がそう感じているのならば世界中の人々がそう評価しなければいけない、今現在できていないのは正当な評価がされていないからなのだと、そう考えているわけです。
もっと広い意味で見れば、韓国人の民族主義に根ざした歴史観を世界中の人々が肯定的に受け入れなければいけないと、そういう意味です。


また次にこちら


蓮池寺鐘還収委「日本は壬辰倭乱反省しなさい」
慶南新聞(韓国語)  2014-03-26
http://www.knnews.co.kr/news/articleView.php?idxno=1105153
社団法人蓮池寺鐘還収委員会(ジョンヘ僧侶)は来る31日午前11時、泗川(サチョン)市、船津里城入口にある朝明軍塚前で第2回壬辰倭乱反省と蓮池寺鐘還収要求大会を持つ。

この日の行事には日本で壬辰倭乱反省運動をしている会員団体20人余りと蓮池寺鐘還収委員会100人余りが参加する予定だ。蓮池寺鐘還収委員会は昨年3月25日、晋州城壬辰癸巳殉義檀の前で壬辰倭乱の反省と蓮池寺鐘還収要求大会を持ったことがある。

ジョンヘ僧侶は「日本人たちが壬辰倭乱を本当に反省していれば日帝36年の侵略もなかっただろうし、今の慰安婦・独島(ドクト、日本名:竹島)問題、歴史教科書歪曲の様な問題もなかっただろう」として「壬辰倭乱激戦地と壬辰倭乱と縁がある場所を訪ね歩いて小さい声だが一生懸命この集まりを主導している」と話した。

一方、蓮池寺鐘還収委員会は昨年7月15日、慶南道(キョンナムド)から社団法人設立認可を受けて蓮池寺鐘還収運動のため努力している。



要するに「日本人は文禄・慶長の役(韓国名:壬辰倭乱)を反省しろ」と要求しているわけですが、これがどういう事なのかを説明するために、以前も少し紹介した「恨(ハン)」の概念について書きます。
この恨の概念とは、嫉妬、羨望、絶望、恨みなどが混在した韓国人特有の考え方なのですが、これには「終りが無い」つまり「水に流す」とか「時間が解決する」という概念が存在しません。


要するに文禄・慶長の役が何百年前のことであろうと、韓国人は自分が受けたことのように恨をいつまでも感じ続けないといけないのです。
そしてだからこそ、韓国人は「日本人はこの事をいつまでも反省し続けなければいけない」と考えているのです。
また、この恨を前提にしない考え方は韓国で「情が無い」とされ、心の冷たい人間と定義されます。
その結果が上記の記事です。
(一応、相手が過ちを全面的に認め反省すれば「恨が晴れた」とされるようですが、そうでない事例も多数あり非常に曖昧です)


そして韓国人は自らの価値観や考え方が絶対的で異なる価値観を容認も許容もできないうえに、日本人は自分達と同じ価値観を共有していると考えているため、反省できないのはきっと右傾化しているからだとか、侵略的野心をまだ持っているからだとか、韓国人の価値観を前提として日本側の反応を「解釈」するわけです。


またこちらの記事も同じです。


日本の極右漫画がブーム … 青少年の歴史観揺さぶる
国民日報/KUKIニュース(韓国語) 2013.10.26
http://news.kukinews.com/article/view.asp?page=1&gCode=kmi&arcid=0007689105&cp=nv

日本極右主義者らの情緒を入れたアニメーションが(韓国)国内で旋風的人気を呼んでいる。
日本政府が独島領有権主張動画を流布するなど急速に右傾化する状況で、こうした作品が我が国の青少年の歴史観に及ぼす影響を憂慮する声が大きい。

最近輸入された日本漫画『進撃の巨人』は独特の設定とストーリーで若者たちの注目を集めた。国内での累積部数は20万部を越え、今年4月にはケーブルTVでこの漫画を原作にしたアニメーションも放映された。

この漫画の原作者である諫山創は先日、自分の秘密ツイッターアカウントで、「日本統治で朝鮮人の人口と寿命が2倍に増えた」と主張した。この事実が知られると直ちに陳重権(チン・ジュングォン)東洋大学教授はツイッターで、「漫画の第一話から、昆虫が互いに食い合う話が出るが、これは典型的な右翼世界観から出た隠喩だ。作品に日本右翼の世界観が含まれているのは確実」と評した。世界を適者生存と無限競争のジャングルだと見る右翼論理が露骨にあらわれているということだ。

子供・青少年用の作品にも極右論理は浸透している。2007年に国内出版された豪屋大介ライトノベル『A君(17)の戦争』には、「1937当時の南京の人口は20万人だったのに南京大虐殺で30万人が殺害されたなど、お話になるか」という歴史歪曲を狙った文章が含まれている。

マニア層でブームになったアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」は、「赤城」「蒼龍」「綾波」など登場人物の苗字をすべて日帝の海軍艦艇の名前から取っている。一時子供たちの大統領と呼ばれるほど人気を呼んだ「カエル中士ケロロ」は、主人公が旧日本軍の帽子と似た帽子をかぶって登場する。今年9月に国内で封切された宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」は、日本海軍の戦闘機「ゼロ戦」の開発者である堀越二郎の一代記を扱い、軍国主義美化論議を呼んだ。

このように日本の右翼論理が込められた漫画やアニメは着実に輸入されてきた。1980年にMBCが放映したアニメ「宇宙戦艦ヤマト」は、日本帝国主義の象徴に通じる海軍戦艦「大和」をモチーフにしている。1997年に国内出版された『沈黙の艦隊』は、海上自衛隊の軍人が原子力潜水艦を拿捕して艦名を「やまと」に変えて世界戦争を行うという内容だ。

このような作品は戦争犯罪を隠し、日本が国際情勢に積極的に介入すべきだとの主張を含んでいる。光云大学日本学科の姜テウン教授は、「日本人が全般的に誤った歴史認識を持っていると、作家は人気を呼ぼうとして作品に極右的コードを入れる場合が多い。空想科学(SF)物にもそのようなケースが多く、若者が娯楽で読むうちに背後に敷かれた論理に影響を受ける可能性がある」と憂慮した。




これも日本人の価値観からすると理解しがたいとは思うので、少々解説を。
まず、これには上記でも書いた「恨」の概念が関わっています、要するに終り無く恨を感じ続けているのです。
またもう一つ重要な要素として、韓国人にとって娯楽や文化と政治的主張は不可分であるという事が関係しています。


韓国の娯楽作品などや韓国人の反応を見ていると解るのですが、韓国人の作成する作品の中には特に政治的メッセージを入れる必要のなさそうなもののなかにも、普通に政治的な主張が入っている場合が多いです。
また韓国はネットゲームが盛んな国ですが、そういったゲームにおけるイベントでも竹島問題や日本海呼称問題、その他様々な歴史問題が題材となる場合が非常に多いです。
更に、韓国では日本で活動する韓国系の芸能人に対し、「政治的な踏み絵」をさせる事例も多数あります。


日本人の価値観からすると非常に「鬱陶しい」と感じるでしょうが、韓国ではそれが普通です。
そしてだからこそ、上記で挙げた記事のように日本の作品が右傾化した政治的メッセージの作品に見えるのです。
ですから韓国人は、韓国人の考えや価値観に日本の作品を当てはめ、自分達と同じ動機で政治的な意図でこんな事をしているのだと、これは日本の右翼による文化侵略だと、世界中の人々にに誤った歴史観を持たせるためにこんな事をしているのだと、そう考えるわけです。


当然のことですが、このような背景から日本人の作者が意図する「本来のメッセージ」は彼らの中で一切考慮されないか、或いは重要なことではないと判断されます。
あくまで韓国人の価値観の範囲で、韓国人の尺度で「右傾化した結果だ」と解釈するだけです。


最後に。
過去私が韓国を観察し続けて気付いたのは、結局のところ善悪や優劣の判断というのは、自身の主観的基準から見てそれが善か悪か、優れているか劣っているかなのだという事です。
要するに自身の持つ価値観の延長線上の「どの位置にあるか」がその判断の物差しとなるわけです。


しかし、これはあくまで同じ価値観を共有しているものの中でしか通用しません。
なぜなら自身の価値観という物差しの基準でしかなく、その物差しに普遍性や客観性は無いからです。
要するに、前提が全く異なる価値観を持つ相手に対して、自身の物差しを基準とした善悪や優劣の判断は全くの無意味と言う事です。


結局のところ、今回書いた事は韓国人が韓国人の主観的物差しの範囲内で判断し、その基準に照らし合わせて善悪や優劣の判断をした結果なのです。
しかしそれはあくまで韓国人の価値観を前提としたものであり、実際には日本人も含めた他の国の人々は別の価値基準に基く別の物差しを持っています。
結果として様々なトラブルが起きるわけです。


そしてこれは日本人も同じです。
韓国人の様々な問題への指摘を差別と感じるのも、逆に韓国人は劣等だと感じるのも、等しく「日本人の価値観の延長線上の前提」で韓国人を見ているからに過ぎません。
そしてそれは先ほども書いたように全く無意味なことです。


日本人と韓国人はそもそも全く異なる価値観や物差しを持っているのですから、それは本来善悪や優劣で図れるようなものではないのです。
重要なのは、韓国人は日本人とは全く異なる価値観やあり方を持っており、完全に「別の」存在なのだと、我々の常識と彼らの常識そのものが全く違うのだと、その前提で対応していかないといけないわけです。


そして、今までそれが出来なかったから今があるのだという事でもあります。
当然ですが、このような背景がある以上日本の一部のメディアなどが書くように「韓国人の事情を考慮して」という論調は間違いです。
それはあくまで「お互い様」という概念のある日本人の価値観の中でしか通用しない概念なのですから、この価値観で接すればいずれ破綻します。