さて、今回は最近何かと批判されている黒田勝弘氏についてとなります。
この方、少し前の田原総一朗氏との対談などでも最近の「嫌韓現象」に否定的な見解を述べており、今回また東洋経済において似たような見解を述べ、最近ネット上でかなり批判されています。
こういった批判について私は少し異論があるので、今回予定を変更し急遽このテーマにしました。
問題の記事はこちら
(文章量が多いので前半の一部のみ引用)
日本人よ、「反韓・嫌韓ブーム」は見苦しい!
週刊東洋経済 2015年01月09日
http://toyokeizai.net/articles/-/57530
http://toyokeizai.net/articles/-/57530?page=2
http://toyokeizai.net/articles/-/57530?page=3
http://toyokeizai.net/articles/-/57530?page=4
黒田勝弘氏、長引く反韓の空気を憂慮
日本では、マスメディアを中心とした「反韓」「嫌韓」の感情的な言動や報道がなかなか衰えない。そんな状況は、在韓経験30年以上、韓国の現代史を見つめてきたベテラン記者にはどう写っているか。産経新聞ソウル駐在客員論説委員で、最近『韓国人の研究』(角川oneテーマ21)を出版した黒田勝弘氏は、「反韓の情熱に驚くばかり」と吐露する。
韓国メディアは産経新聞を「日本を代表する極右新聞」とし、なかでも支局長を長年勤めた黒田氏を「極右言論人」との枕詞をつけて紹介することが多い。そんな黒田氏でも、現在の反韓・嫌韓ブームには強い違和感を感じている。
(中略)
反韓への“情熱”はどこから?
ところが現在の反韓は一般大衆にまで深く根付いてしまった。韓流ブームの反動という感じがするほど、情熱的ともいえるようなコリア批判になっている。実に不思議な現象だ。韓流ブームと同じく、反韓も韓国への強い関心の結果だから、日本にとって韓国がそれほど大きな存在になっていたことに改めてびっくりしている。
━━日本の書店には「反韓本」があふれています。
何冊か目を通してみたが、これら反韓本の著者の大部分は韓国の専門家やゆかりがある人ではない。専門家でもない人がなにゆえそれほど韓国に関心を持ち、韓国を批判するのか。読者を含め、その情熱がどこから出てくるのか。
韓国に住んでみると、韓国は発展したものの、生活のあちこちで「まだまだだなあ」と思うことが多い。それを考えると、韓国を目の敵にしてまで批判する感情は覚えない。日本で韓国があれほど袋だたきにされているのを見ると、逆に韓国に同情したくなるほどだ。
(後略)
これだけを読むと、既存の嫌韓批判と同じような論調で、無条件に韓国を擁護し数ある諸問題を無視し、強引に友好へともって行こうとしている人々と同じ印象を持つかもしれませんが、これはあくまで東洋経済の記者が記事を書いているため、「相応のフィルター」がかかっている事は間違いないです。
そのうえ、私が今まで書いてきた日本人と韓国人の価値観の違いや数々の諸問題、これらを全て黒田氏は重々承知しており、かつ明らかに私以上に詳しいです。
私が書いてきた問題と同じテーマで黒田氏が書けば、より詳しく詳細な記事が書けるでしょう。
ではなぜこんな内容になっているのでしょうか、フィルターがかかるとはいえ、嫌韓批判をしていることには変わりないのですから。
それは黒田氏が、「まだ韓国は立ち直れる」「まだ(良い方向に)変われる」と信じているからです。
黒田氏の考え方は、以下の記事が解りやすいでしょう。
(少々長いですが、氏の考え方を知ってもらうためにあえて全文掲載します)
韓国が「対中歴史カード」切る日はくるのか
産経新聞 2014.5.31
http://www.sankei.com/world/news/140531/wor1405310043-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/140531/wor1405310043-n2.html
http://www.sankei.com/world/news/140531/wor1405310043-n3.html
今週、韓国と中国の間では王毅・中国外相がソウルを訪問した。中国の西安市では日本との戦争中、中国軍に加わっていた韓国の抗日部隊を顕彰する「光復軍記念碑」の除幕式があった。前者は6月末の習近平国家主席の韓国公式訪問に向けた準備であり、後者は中国・ハルビン駅に開設された伊藤博文暗殺の安重根記念館に続く韓中の“反日歴史共闘”の産物だ。
その他、韓国は直接には関係なかったが、東シナ海で中露の合同軍事演習や南シナ海でベトナムと中国の“衝突”もあった。18日にはソウルの中心街でベトナム人約300人が「中国のベトナム侵略糾弾!」を叫んでデモをしたが、メディアからは注目されなかった。そういえば、中露演習時の中国軍機による自衛隊機に対する“挑発事件”も報道は大きくなかった。
気のせいか、韓国世論は中国には甘いようだ。習主席が国賓訪問する来月は、韓国では朝鮮戦争(1950~53年)を想起する「護国の季節」だが、韓国政府はもちろん、マスコミもこれまで通り、朝鮮戦争にかかわる中国の“侵略責任”には口をつぐみ、謝罪も反省も求めないのだろうか。
一方で、日本の集団的自衛権問題では、各紙一斉に「アベが“戦争しうる日本”を宣言」などと刺激的に伝えている。マスコミは申し合わせたように「戦争しうる日本」が大見出しになっている。
執拗(しつよう)に続く韓国マスコミの“安倍たたき”は表向き「過去の歴史を踏まえ、軍事的影響力が強まる日本への警戒」ということだが、実際は日本を非難していれば何も考えずにすむという、逆に気楽の境地からくるといってもいい。
ところが、このところの周辺情勢は、中国による日本やベトナムへの軍事的圧力、ロシアとの軍事協力など軍事的強気が目立つ。力で現状変更を狙っているのは中国であって、日本の動きはむしろそれへの備えにみえる。「日本の右傾化」批判だけでは済まなくなったのだ。そこで早くも「日米VS中露の新・冷戦構造」などという言葉の下に「韓国はどうする?」と自問が始まっている。
そこで珍しく「韓国の同盟国である米国をはじめEU(欧州連合)、ASEAN(東南アジア諸国連合)、豪州、ロシアなど多くの国が日本の集団的自衛権行使を支持しているのに、わが国が反対するのは国際社会でプラスよりマイナスの方が多い。日本の軍事的脅威を実際以上に誇張したり、『軍国主義復活』などと非難したりするのは均衡を欠いている」(東亜日報16日付社説)といったまともな反省も登場している。
問題は日本を心配、批判する前に自分はどうすべきかで、日米より中国に身を寄せるのかどうかだ。朴槿恵(パク・クネ)大統領にとって安重根記念館や光復軍記念碑は当初、自らを愛国者にイメージ付けたい国内向け演出だったが、いまやこうした歴史カードは中国の“反日国際戦線”に体よく利用されている。
王毅外相は今回の訪韓を「近くの親戚や親友を訪ね未来の青写真を描くため」と語っていた。習近平訪韓ではもっと甘いささやきが予想されるが、韓国には朝鮮戦争という対中国追及の歴史カードがあるではないか。新・冷戦構造の中で独自の存在感を確保したいというのなら、中国に対しこうした歴史カードを切ってみてはどうだろう。(ソウル・黒田勝弘)
ご覧の通り、韓国人の問題を指摘しその事を批判し、そのうえで「韓国よ、そんな事ではダメだ」と指摘しているのです。
これが、批判を自身への侮辱や劣等さの証明と感じる韓国人には「ただの韓国叩き」に見え、そのせいで彼は「極右の黒田」などと韓国でレッテルを貼られていたのですが、それも全て解ったうえで黒田氏は「もっとしっかりしろ」と書いているのです。
ここが既存のただ友好を吼えるだけの「にわか」とは黒田氏が決定的に違うところです。
彼は韓国の問題も欠点も何もかも知っており、それを一切否定していません、否定していないどころかかなり手厳しく批判する事もあります。
そしてそれは、先ほども書いたように「まだなんとかなる、変われる」と信じているからです。
私の考えは黒田氏とはここが大きく違います。
私が日韓問題に興味を持ち調べ始めたのが2001年頃、それから本格的に資料集めや韓国人や韓国と長い関わりのある人々との接点を持ち始めたのが2003年頃、黒田氏の半分にも満たない期間でしたが、その中で私は日本人と韓国人の決定的な価値観やあり方の違いに気付き、「これはそもそも友好など無理だ、どちらかが一方的に“我慢”することでしか関係構築が出来ない」との結論に至っています。
ですから私は、韓国との交流は必要最低限の政府間のものだけに限定し、韓国には必要以上に関わるべきではないし。価値観の違いから、関われば多くの場合必ず何らかのトラブルが発生する、そして双方に余計に反感が募っていくだけだとしています。
ここに来ている皆さんも多くはそういった考えでしょうし、そうでなくとも「もう韓国とは係わり合いになりたくない」というのが、今の嫌韓世論の大半の意見でしょう。
そこが黒田氏と大きく違い、彼は「まだ変われる」と考えているからこそ、現在の「完全に拒絶している」嫌韓現象に苦言を言いたいのではないでしょうか。
そして、ここからは私からの「お願い」なのですが、黒田氏をその辺の有象無象の「にわか」と一緒くたにして批判するのはできればやめて欲しいのです。
勿論、彼のスタンスを知った上でのその前提の批判ならかまわないですが。
彼は人生の約半分を韓国と共に生きてきた人です、「にわか」が北朝鮮を支持し韓国を批判していた頃からずっと韓国を見守り続けてきた人です、だからこそ韓国に対する思い入れも一際強くまだ希望を持ちたいのでしょうから。
問題点そのものを否定し、韓国に対するあらゆる批判や指摘を「差別問題」に摩り替えるような輩とは全く別のタイプの人です。
私と黒田氏は韓国への認識の結論が決定的に違いますし私はそもそも面識自体ありません、しかし彼のように韓国を知り韓国の問題点を昔から日本人に伝え続けた人々がいなかったら、今のような流れそのものができていなかったでしょうし、何より私はここで皆さんにブロマガを書いている事も無かったかもしれないのですから。