日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

「右だ左だ」そんな話はもうやめよう


さて、今回は特に最近の嫌韓の流れがメディアへも波及するにつれ、どんどんネット上で繰り広げられる韓国批判の本質からそれ、実体としての日韓問題からどんどんかけ離れた左右二元論へと変質して行ってしまっている、そしてそれがネット上にまで波及しつつあるそんな問題についてとなります。
要するに、今現在起きている日韓の問題は左右の思想やその延長線上にあるものではない、そんな話はもうやめにしようと、そういう事です。


まずちょっとしたたとえ話を書きます。


血液型性格診断ってありますよね。
あれは要するに「気のせい」であり、人間の性格が血液型の4パターンで決まるわけではありません、実際何十年も前に日本でもこの実験が行われましたが、最終的に血液型による性格の分類はできないとの結論に至っています。


結局のところ、これは血液型によって性格が分類されているわけではなく、分類された項目から自身や他者の「当てはまる部分」のみを抽出し、当てはまらない部分を無視しているだけであり、血液型性格診断という結論に都合のいい情報のみを選択収得しているだけに過ぎないのです。
「良く当たる占い」と同じような物ですね。


ではだからといって、この話を血液型性格診断の話題で盛り上がっているところでドヤ顔でご披露したらどうなるでしょうか?
正直鬱陶しいですよね、例えそれが正論であったとしても、血液型の話で盛り上がっている人達は別にそれが本当に科学的に正しいか正しくないかなんて、そんな次元の話は最初から問題にしていないわけですから。
要するに話の種として、コミュニケーションの一環としての「話題」、そんな意味しかないからです。
極論を書いてしまえば、ぶっちゃけ本当に当っているかどうかなんてどうでもいいのです。


では逆に、人の性格を血液型診断に頼りきり、他者との相性をそれに依存して、実際の人付き合いの好悪の判断にまで影響を及ぼしていたり、或いは逆に自身の行いや欠点の「言い訳」に利用している人がいたらどう思うでしょうか?


それはそれで鬱陶しいですよね、結局は双方とも一つの考えに囚われて、他の可能性や選択肢が見えなくなり、血液型性格診断が単なる娯楽枠以上のものになってしまっている、だから鬱陶しいわけです。
これは前提としている問題そのものが根本から違うから起きる事です。


思想の左右二元論というのも同じ事です。
たとえば嫌韓の側から見た場合、韓国を擁護する人々が往々にして「左翼」或いは「サヨク」、もっと書けば「売国」とか「国賊」と表現される場合があります。
確かに中にはそんな人もいるでしょう。
しかし、多くの「なんとなく韓国はイヤだな」と感じている人にとって、そんな事を言われても全くピンときません。
そんな話には違和感しか感じないでしょう。


問題はもっと単純だからです。
以前から書いていますが、嫌韓の発生原因はそんな政治的、左右のイデオロギー的なもので始まったものではありません。
2002年のサッカーワールドカップでの韓国の醜い行いに始まり、その後の韓流を通じて韓国人の蔑視ありきの自民族中心主義に根ざした価値観を目の当たりにし、それが日本人の価値観では漠然と「嫌なやつ」に見えた、ただそれだけ、そんな単純な物なのです。


たとえば、韓流ではよく「韓国のものはこんなに優れているのに日本のものは」とか、「韓国人の○○という考えはこんなに素晴らしいのに日本の○○は」とか、或いは一連のフィギュアの浅田真央いじめなどもこれに当てはまるでしょう。
要するに相手を相対化して下に見ることで自己(韓国)の優秀性を強調していた、他者の欠点をあげつらう事で自己の価値を見出す表現をしていた、だから嫌われた、それだけです。


一連の韓国の朴政権や李政権による反日や、或いは対馬の仏像盗難事件、従軍慰安婦問題、旭日旗問題、日本海呼称問題、歴史教科書問題、それらは先ほど紹介した価値観の違いから来た「なんか韓国人は嫌なやつだな」と感じてきた積み重ねの漠然としたイメージ、そこを根っことして派生した悪印象ともいえます。
結局は枝葉でしかないわけです。


そういった単純な日常に根ざした「好きか嫌いか」という問題に対して、極めて政治的な問題やイデオロギー的な左右の問題を持ち出しても、仮にですが例えそれがどんなに正しくとも多くの人にとっては鬱陶しく感じるわけです。
一連の嫌韓メディア報道というのもまさにこれです、そんなご大層な話には大半の人がついて行けないのです。


そして逆に、例えばこの嫌韓の流れに対して「社会不安により右翼思想が蔓延っている」とか、「日本人の自信が喪失したから」だとか、「韓国の躍進に嫉妬している」だとか、そんなガチガチのイデオロギーの話をされても、それもそれでドン引きで鬱陶しいですよね。


ぶっちゃけてしまえば、日本人の中で韓国人はそんな大きな存在ではないのです。
多数ある国の中の一つでしかないのですが、それを韓流と称して強引に持ち上げ、しかもそれに異論を持ち込むことが一切許されない、少しでも異論を出せば右翼思想の差別主義者扱いされたり、上記のように社会の落伍者のようにメディアで扱われる、メディアを中心に「好きである事を強要されている」ようなものです。


(それがはっきりと認識されたのが、2002年のサッカーワールドカップにおけるメディア報道です、ここで始めて韓国や韓国関連の報道に対してはっきりとした嫌悪感を持った人が多くいました、ある意味で嫌韓の出発点はこのメディアによる「親韓である事の強要」が作り出した側面もあります。)


ただでさえあまりの価値観の違いに違和感を覚え、そこから嫌悪感へと派生していっただけにも拘らず、こんな人格を全否定されるような事をされたら反感を持って当たり前なのです。
本質は個人の価値観としての好き嫌いの問題なのにも関わらず、「お前は劣等な右翼思想を持っているからだ」なんて言われたら、余計に嫌いになるだけですよね。


結局は上で挙げた2つの事例どちらも、思想の左右というイデオロギー対立の前提の枠の中でしか物事を論じていないのです。
血液型性格診断で、極端に理屈にこだわる人と過度に依存しすぎる人。それと全く同じ、問題の前提としている物があまりにも違いすぎるから、何を言っても多くの人が違和感しか感じない、だから鬱陶しがられ支持されないのです。


例えばこれは朝日新聞の一連の問題でも同じ事です。
メディアはこれを程度の差こそあれ思想の左右の枠内で批判したり擁護したりしています。
しかし現実としての朝日の問題とは


「長年嘘をついて開き直り、挙句今頃になって一部過ちを認めながら、最終的には言い訳に終始し自身が被害者であるかのように振舞っている」


なのです。
こんなの、思想の左右で論じる内容ではありません。
社会の一般常識として、「見苦しい」から批判され嫌われているだけです。この朝日の件に限らないのですが、過去ネットを中心に「炎上」した事例は全てこれです、事後対応が見苦しいから炎上し批判された、ただそれだけです。
そして、その積み重ねが今のメディア批判でもあるわけです。


今現在の「売国だ」「国賊だ」あるいは「右翼だ」「差別だ」という分析が、いかに問題の本質から逸れた的外れな視点であるか、イデオロギーの対立でしか物事を見れない人がメディアで主要な役割を果たしている限り、実際の世論との剥離からどんどん問題をこじらせ混乱させて、問題をより深刻化させていくだけでしょう。
だから右だ左だと、そんな話はもうやめるべきなのです。
イデオロギーの対立で世論を先導など、現実との剥離からもうどうやっても不可能なのですから。


最後に、このイデオロギー対立から抜けきれていない記事を紹介します。


小倉紀蔵氏「韓国の中国偏重が嫌韓あおった」
朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/11/25/2014112501436.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/11/25/2014112501436_2.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/11/25/2014112501436_3.html
東アジアを「謝絶」したい嫌韓
「『勢いの強い韓中と付き合わず自分たちだけで静かに生きよう』という心理強まる」
嫌韓には「戦後日本のヘゲモニー批判」の一面も
「朝日など左派の論理を打ち破ることが嫌韓派の目標」
日本を変える力は韓国にある
「和合の努力を認めず日本批判ばかりすれば、安倍政権にエネルギーを与える形に」
(前略)
嫌韓現象のほかの一面はないのか。

 「嫌韓現象は韓国に対する批判であると同時に、戦後日本のヘゲモニー(主導権、権力)に対する批判でもある。日本の嫌韓はこの二つが合わさっている。嫌韓派は戦後日本のメディアや学界などがこぞって左寄り、あるいは中道に偏っていると見ている。マスコミの場合、朝日新聞をはじめ日韓友好を主張する勢力がこれまで主導権を握り続け、韓国を研究する学界も『植民地支配に対する反省がなければ朝鮮に対する研究とはいえない』といった風潮が支配してきたというのが、嫌韓派の主張だ。朝日に代表される左派の論理を打ち破ることが、嫌韓派の大きな目標の一つだ。最近の『朝日バッシング』は、単に同紙による慰安婦強制動員記事の撤回や謝罪問題のせいだけでなく、こうした意図の延長線上にあると見るべきだ」

-韓国はどのように日本と付き合うべきか。日本を変化させることはできるのか。

 「もちろん、日本が変わらなければならない。しかし、韓国も1965年の日韓国交正常化以降、両国が積み重ねてきた和合の努力を過小評価すべきではない。日本側のそうした努力を少しでも理解し、認めるジェスチャーを見せれば、日本社会のムードが瞬時に変わることも考えられる。韓国人が日本を批判してばかりいるという認識を与えることは、嫌韓派と安倍政権に『成長エネルギー』を与え続けることにしかならない。今の日韓の社会を見ると、日本よりも韓国の方が心理的に余裕がある。韓国は嫌韓派を親韓派に変える力を十分に持っていると信じている」



この京大教授は、過去私が紹介してきた「良心的日本人」或いは「親韓モドキ」まあ呼び方はなんでもいいですが、そういった類の人とは少し違います。
韓国の批判すべきところは批判していますし、単純に韓国の行いならなんでも受け入れるというタイプの人ではありません。
(微妙に北朝鮮派っぽいような気もしますが)


しかし、そんな人でもイデオロギーの対立と言う構図から抜け切る事ができないので、抜粋してあるのは一部だけですが、これより前の部分ではテンプレのように「日本人の自信喪失」とか「韓国の成功への嫉妬心」とか、そんな話をしています。


イデオロギーの対立を前提としているがために、この人は中道を名乗っているようですが、結局のところはそれは「思想の左右の対立の上での中道」でしかないのです。
そして、その枠の中でしか物事を論じれないので、今起きている現象をその色眼鏡でしか見る事ができず、テンプレのような「分析」を行ってしまっているわけです。


勿論、これは今まで書いてきたように「反対側」の人でも大筋は同じです。
「自身が持っている知識としての常識が、他者にとっても常識とは限らない」からこそこんな問題が起きるとも言えます。
イデオロギー対立というのは、いまや「思想の左右を前提としている人」の中にしか存在しないのです。


まあ、長々と書いてしまいましたが、要するに「肩肘張らずに物事をもっと単純に見てみたら?」という事なのですが。
そんな難しい事でもないはずなんですけどね。


2014年11月30日 0時20分追記
左右二元論の対立の構図というのは、結局のところ「ありきによる思考」です。
まず左右の対立軸といった「ありき」が存在し、その前提に物事を強引に当てはめるがために、単純な社会常識の範囲の問題がイデオロギーによる天下国家の問題に摩り替わってしまったり、価値観の対立の問題が思想前提の対立や差別問題に摩り替わってしまったりするのです。


そうじゃないんだと、もっと単純に、自身の日常の延長線上としてその行いが受け入れられるか受け入れられないか、そう考えてみたら良いという事です。
以前も書きましたが、他者の欠点をあげつらう行為が自己の評価と思いこんでいる人は日本人でもいます、でもそういった人は日本では一般的に「嫌なやつ」と定義されます。
また、自己の価値観を強引に押し付けてこようとする人も日本人の中にいます、でもそういった人は「めんどくさい人」と思われ敬遠されます。


それが国単位で起きたのが要するに昨今の日本の嫌韓現象であると、ただそれだけの事なのです。
朝日の問題も、ただ単純に事後対応が「見苦しい」それだけのことです。
そういった日常の延長としての問題であって、そこに右だ左だという考えが入り込む余地はないのだと、そんな非現実的な「ありき」の思考はさっさと捨ててしまおうと、観念論のような思想の二元論ではなく、現実に起きている事を前提に問題を考えようと、それだけのことなのです。