日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国では被害者が一番偉い


さて、今回は日本人と韓国人の価値観やあり方の違いの問題となります。
以前から書いているように、日本人と韓国人は根本的な価値観に大きな違いがあります、そしてそれを理解せずにお互いが関われば必ず何らかのトラブルが起きます。
「日本人と韓国人は違うのだ」という事を知ることは非常に重要なわけです。


今回の問題を知る上でまずこちらの記事を

「歳月号特別法与野党の合意を尊重」の独立性など5つの補完事項提示
東亜日報 2014-11-03
http://news.donga.com/3/03/20141103/67610089/1
セウォル号遺族が先月31日妥結した与野党セウォル号特別法合意案を事実上受け入れた。京畿(キョンギ)安山(アンサン)檀園(ダンウォン)高の遺族で構成されたセウォル号惨事家族対策委員会は2日午後6時、安山市花郎ファラン)遊園地内の京畿道美術館で総会を開いてこのように決定した。家族対策委は総会直後に発表した立場文を通じて「‘10・31合意案’は家族と国民の努力が作り出した初めての結実」として「両党の合意過程を尊重する」と明らかにした。
(中略)

家族対策委は5種の提案を政府と与野党に提示した。

△法案処理前に遺族が指摘した改善案の反映
△‘真実糾明と安全社会建設のための対国民誓約式’の開催
△年内に特別調査委を構成後、来年から本格活動
△後続の手続きに遺族が参加
△賠償・補償に生存者、被害者の参加を保障
などだ。中略

この日の総会には遺族230人余りが参加した。総会が行われる間、大声や論争はなかったことが分かった。
9月30日に与野党が新しい合意案を用意した時、家族対策委内部で賛否論争が激しく行われた雰囲気とは大きく異なっていたと伝えられた。
(中略)

これに先立ちセウォル号沈没事故から200日目となる1日、全南(チョンナム)珍道(チンド)のパンモク港ではセウォル号惨事200日の文化祭が行われた。珍島の室内体育館には失踪者八家族だけが残っている。
同日安山市政府合同焼香所では檀園高の遺族と生存学生家族300人余り、一般人200人余りが参加した中で追悼式が行われた。



色々と問題があるのですがそれは後回しにして、最後のほうの「珍島の室内体育館には失踪者八家族だけが残っている。」をみて貰えば解るように、セウォル号事故の遺族達が未だ体育館に「住んでいる」のです。
なぜまだ体育館にいるのか、なぜそこに拘るのか、遺族には同情もしますが日本人から見ると非常に不可解でしょう。
そもそもこれでは公共施設の私的占有でしかありません。


また更に、こちらの記事を見ると遺族の一部が全南大学自然学習の場という場所に移動するとの事が書かれており、遺族側でも体育館にいることの必然性に拘っていない人もいるようです。
ただし、記事中で

セウォル号に対する国民の関心がますます消えていく状況で生存者を一番最初に移した室内体育館を離れているとき、行方不明者の調査が終る前にセウォル号の惨事が完全に忘れていることもあるという懸念が提起された。

と、体育館にいる事に拘っている人々や支持者もいるようで、結局体育館は使えないままのようです。


なぜこんな事になっているのでしょうか、そこに韓国人独特の価値観が関わってきます。
韓国では、被害者は文字通り「偉い」のです。
以前紹介した韓国人の蔑視ありきの自民族中心主義とも関わってくる事なのですが、韓国では他者の劣等さが自己の優越さの根拠です。


するとどうなるかといえば、「被害者」という事は加害者もいるわけで、加害者は悪であり道徳的に劣った存在であるとの考えが独り歩きし、逆説的に「被害者は道徳的に優れている」という考えに至っているのです。
他者の劣等さや道徳的優劣が自己の存在定義となる非常に韓国人らしい発想です。


この考えの結果、遺族やその支援団体は最近あたかも19世紀までの朝鮮の貴族である両班のような傍若無人な態度を示すようになり、以下の記事のように韓国内で問題になり始めているようです。


【社説】セ号遺族に見る韓国の歪んだ自画像
朝鮮日報 2014/09/19
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/19/2014091901202.html(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20140919063419/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/19/2014091901202.html(ウェブアーカイブ
 17日に未明に発生した暴行事件の責任を取る形で、旅客船セウォル号」沈没事故家族対策委員会の執行部が全員辞任した。現在までに明らかになっている事件の経緯はこうだ。キム・ビョンゴン委員長、キム・ヒョンギ首席副委員長など幹部や遺族5人は前日16日の夕方、ソウル・汝矣島で野党第1党・新政治民主連合の金玄(キム・ヒョン)議員と共に夕食を取った。この席で家族会のメンバーは酒も飲んだ。

 その後、一行は深夜になって運転代行を呼んだが、運転手が到着してから30分が過ぎても一行は出てこなかったので、運転手は「他の業者を呼んでください」と声を掛けてその場を離れようとした。すると遺族らは「国会議員に対してその態度は何だ」と因縁をつけはじめた。運転手が「国会議員にはぺこぺこしなければならないのか」と問い返すと、一行の一人が「お前は国家情報院の関係者だな」と叫んだ。当時の様子についてこの運転手は「わけの分からないことを言われたので抗議すると、4人の男性から集団で暴行を受け、止めに入った通り掛かりの若い人たちも殴られた」と主張した。これに対して遺族らは「われわれも暴行を受けた」と反論している。

 事件の正確な真相は後に警察によって明らかになるだろうが、何よりも国民を失望させたのは、この事件を通じて明らかになった遺族代表らの意識と行動だ。一行の一人はこの日、犠牲者を追悼するための黄色いリボンを胸に付けていたようだが、現場でこの黄色いリボンは、権力を思い通りに行使できる一つの印になっていた。通り掛かりの人たちから「警察を呼ぶぞ」と言われると、彼らは「俺たちが誰だか知っているのか」と大声を上げながら逆に絡んできたという。

 遺族の代表を名乗る彼らのこのような振る舞いは、ある程度予想されていたことだ。彼らは刑法と相いれない「捜査権・起訴権」をセウォル号調査委員会に与えよと求め、またセウォル号関連法とは関係ない他の法律を速やかに成立させるよう求める一般国民の声も無視してきた。さらに与野党がいったん取りまとめたセウォル号特別法の合意案を2回も無視したが、野党とその一部支持者らはどういうわけか彼らの言いなりになってばかりいた。最近では「遺族の代表は今や野党の上王(譲位した国王)」という言葉まで出始めている。



このように、韓国的価値観や主観的価値観で、絶対的な道徳的正しさを手に入れた遺族やその支持者達は、自分達は特権階級であると思うようになり、傍若無人な振る舞いや法の上位にくるような特例措置を要求するまでになったのです。


勿論これはこの関係者達の「主観的考え」でしかないので、韓国内でも異なる立場の人々は批判しており、体育館に住んでいる遺族達に対しても、自治体や周辺住民が「体育館でスポーツイベントが開けない」と苦情の声を挙げているようです。
しかし遺族や協力者にしてみれば、「こんな悲しい出来事を体験した被害者になんと言う仕打ちだ、国民が皆協力し助けるのは当然だ」との態度を取り続けているのです。


韓国人は被害者となることで相対的な道徳的優位性や大義名分としての正義を手に入れてるのですが、これが対外的に最もトラブルを起こす原因となる事例は韓国人が「加害者」となった場合です。
韓国人の価値観では、被害者であれば「正しさ」を手に入れ特別な存在となれるわけですが、逆に加害者となってしまうと、「(道徳的に)劣等な存在」としてむしろ迫害される立場になります。


韓国人の価値観ではそれはなんとしても阻止しないといけません、つまり加害者(道徳的劣等者)であると批判されたら、なんとか被害者(道徳的優位者)に立場を変えないといけないわけです。
その過程が良く解る事例がこちらです。


解雇韓国人女性逆差別訴訟
コリアタイムズ(韓国語) 2013-10-26
http://www.koreatimes.com/article/820623
ニューヨーク南部連邦裁判所に今月10日、提起された訴状によればクィーンズに居住する韓人キム某(36・女)さんは昨年1月、自身が務めていたニューヨーク、マンハッタンの「ポール・スミス」衣類売り場で黒人女性上司に親しみを示すため「ニガー」という言葉使った。

「ニガー」は通常、黒人を無視する表現で、通常は黒人以外の人種にはダブー視される言葉だが、当時、キムさんは仕事が終わらない状況で帰ろうとしていると誤解を受けた状況であり、ぎこちない雰囲気を冗談で紛らわすために「ニガー」という言葉を使ったと訴状で主張した。

しかし、キムさんの黒人上司は「ニガーは黒人だけが使用できる言葉」として逆に彼女の釈明を叱り、その後キムさんは本社が開いた二回の公聴会を経て「人種差別」を理由に最終解雇されたという。

これに対してキムさんは訴状でこのような理由で解雇されたのもくやしいが、‘ニガー’という言葉を黒人だけが使えると上司が言った部分はかえって‘逆人種差別’に該当すると主張した。自身を除く黒人とヒスパニック職員が使用できる単語を会社側が使わせないこと自体が‘差別’というものだ。

キムさんは訴訟を通じて「ポール・スミス」社の人種差別疑惑を告発し、会社側が精神的苦痛にともなう被害補償金50万ドルとこれまで滞っている賃金を補償し、解雇を取り消すよう求めた。



ご存知のように、韓国人は教育と社会的背景によって、非常に異文化・異民族・異人種に対して蔑視的な態度を取ります。
しかし、韓国ではそれが当たり前でも移民先でその理屈は通じません、そのため韓国人はこういった差別問題に絡むトラブルを良く起こします。


そもそも「ぎこちない雰囲気を冗談で紛らわすために」というのもだいぶおかしな状況ですが、「その単語を韓国人が使えないのは差別」というのも、傍からみると非常に奇妙な理屈です。これは要するに自己が加害者にならないよう、むしろ逆に相手が加害者であるとする事で「道徳的優位性」を確立しようとしているのです。
これも非常に韓国人らしい問題解決法です。


そして最近、この韓国人の価値観によって引き起こされる問題が日本関連で起きています。
それがこちらです。


【社説】イ・スンチョル入国拒否、日本は理由を明らかにせよ
朝鮮日報(韓国語) 2014/11/12 08:10
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/11/12/2014111200739.html
歌手イ・スンチョルさん夫妻が9日、日本に入国しようとして入国管理局から入国拒否され帰国した。4時間ほど審査室に足止めされて調べを受けた後、帰国便に乗った。

 今のところ、その理由は明らかでない。イ・スンチョルさんは聴取が始まる前に「メディアに出たことのため」という言葉を通訳を通じて聞き、今年8月に独島(日本名:竹島)で南北統一に関する歌を歌ったことだと思ったという。しかし、日本側は聴取時にこの話を全くせずに、1990年にイ・スンチョルさんが大麻を吸引したことだけを集中的に聴取したとのことだ。イ・スンチョルさんは1990年以降、15回にわたり日本に入国している事実を挙げ、なぜあらためて問題視するのかと問いただすと、「その時はインターネットが発達していなかったため」というあきれた回答をした。

 出入国承認はすべて国の主権事項であるため、正当な理由があれば、あれこれ言う問題ではない。しかし、納得のいく説明がなければ外交問題に飛び火する可能性もあることを日本政府も分かっているはずだ。24年前の薬物使用歴だけで韓国のトップ歌手の入国を拒否すれば、ほとんどの韓国人たちが納得すると判断したわけでもなかっただろう。独島上陸歴が理由なら、なおのことあり得ないことだ。独島は毎年20万人以上の韓国人が訪れている韓国領土だ。その島で南北統一の歌を合唱したことが入国拒否の理由なら、韓国人全員が入国禁止になるということにほかならない。日本は以前にも「独島は我が領土」を歌った歌手の入国を拒否したことがあり、独島までの遠泳プロジェクトに参加した俳優に向かって外務省副大臣が「これから日本に来るのは難しくなるだろう」と発言したことがある。

 日本政府は、イ・スンチョルさん本人はもちろん、韓国政府にも正確な理由を明らかにせず、説明しないことが国際領事慣行だとしている。そうすればするほど、状況はさらに悪い方向へ転がって行くかもしれないということを日本政府は気付くべきだ。



要するにこの人物、過去の犯罪歴が発覚して入国を拒否されただけです。
しかも24年前のみとしていますが、調べてみるとその後も何度か逮捕歴があるようです。
日本側の対応が、今まで大目に見ていたのを法を厳格に適用したのか、それとも最近になって前科が発覚したからなのか、その辺りは解りませんが、明らかに彼らの言うような理屈ではないのは間違いありません。


そもそも、こういった過去の薬物使用などにより日本への上陸許可を取り消された有名人はなにも今回が初めてではありません。
たとえばポール・マッカートニー、彼は1975年に来日しコンサートを開こうとしたのですが、過去の薬物使用の犯罪歴が発覚し入国を拒否されました。
またその後1980年には日本の入管で大麻不法所持が発覚、永久追放措置が取られ1990年に国内外の支援者達からの声で特例措置が取られるまでずっと入国を拒否され続けていました。


またサッカーのディエゴ・マラドーナの場合。
1994年に過去の麻薬使用歴から入国を拒否され、2000年にも同じ理由で拒否され入国できなかったと言う経緯があります。
その後2002年にアルゼンチン政府から「アルゼンチン観光・スポーツ庁長官特使」という肩書きを貰い、外交上の特例措置としての入国が認められます。


この措置には国内外でも賛否があるようですが、日本政府の立場は以前から明確です。
余程の特別な事情でも無い限り、有名人であろうと誰であろうと犯罪歴があれば入国を拒否されるのです。
この人物にポール・マッカートニーマラドーナのような国を動かせるレベルの特別な事情があるのでしょうか?あるわけがありません。


しかし、韓国人の価値観ではそれは許されない事です。
勿論「日本だから」という感情もあるのでしょうが、「過去の犯罪歴から入国を拒否された」では、自分が加害者となってしまいます。
ですから、「自分の過去の政治活動の報復で入国を拒否された」とすることで、加害者から被害者になり、自己の道徳的優位性を証明しようとしているのです。


そしてこれは韓国政府も同じです。
少し前から話題になっているように、韓国政府は産経新聞の加藤元支局長を大統領への名誉毀損との罪で起訴し実質的な軟禁状態にしているのですが、そのことで韓国政府は世界中から批判を浴びて言論弾圧国家という不名誉な称号を得ました。


つまり韓国政府は「加害者」になってしまったわけです。
今まで書いてきたように、韓国人の価値観では加害者であるという事は、道徳的に劣等な人間との事になってしまいます。
ですから韓国政府は、今までいかに産経が道徳的に劣等な「加害者」であるか、いかにパク大統領が被害者であるかを国際的に訴えてきたのですが、当然そんな理屈が通るわけもありません。


しかし韓国人は韓国人以外の価値観を理解しようとしないので、それがなぜなのか解りません。
ですから、今回の事を「政治活動をした事への報復だ」とする事で、韓国政府も被害者となり、それで自己の正当性や道徳的優位性を取り戻そうとしていると、そんな側面があるのです。
勿論、韓国人以外には理解されないですが。


こうした韓国人の考え方は、以前も紹介したこの記事から良く解るでしょう。


【コラム】韓国をみすぼらしい存在にした三つの出来事
朝鮮日報朝鮮日報日本語版 2014/03/27 11:27
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/03/27/2014032701698.html(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20140327093215/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/03/27/2014032701698.html(ウェブアーカイブ
(前略)
日本には、国全体が嫌韓に流れても「独島(日本名:竹島)は韓国領」と語る学者がいる。「竹島の日」に反対する団体もある。安重根(アン・ジュング ン)を「テロリスト」と見なす雰囲気の中でも、安重根を世界的な「義挙の人」として追悼・尊敬する日本人はかなりいる。政治的にデリケートで自らの政治生 命を断ちかねない、靖国神社参拝問題や慰安婦問題をめぐっても、勇敢に意見を表明する政治家がいる。

 こうした人々の発言や 態度に接して感じるのは、韓国の知識人の誰かが、あるいは政治家の誰かが、例えば「韓国はいつまで過去史に埋もれていなければならないのか」「慰安婦問題 はもうこれくらいにしよう」とメディアで公に主張したら、その人物は果たして韓国で生きていけるだろうか-ということだ。おそらく、メディアや世論の袋だ たきに遭って、韓国社会では葬り去られてしまうだろう。

5000年もの長い歴史を通して、他国を侵犯したことも、他の民族を虐待したこともない韓国人は、謝罪したり過ちを正したりしたことがない。しかし韓国人は果たして、そうした問題に道理と分別、歴史意識と民族意識、真実と原則をもって臨むことができるだろうか-と問われるとためらってしまう。重要な対外問題・民族問題で、国民の一般的感情に反する意見を表明する勇気ある人物が、どの程度いるだろうか。
金大中(キム・デジュン)顧問


要するにこれは韓国人の多様性のなさを嘆く記事ではあるのですが、今回重要なのは最後の「5000年もの~」からの部分です。
色々突っ込みを入れたい人も多いでしょうが、韓国人の中では「そういう事」になっています。
ですから、韓国人にとっては自分達は被害者になったことはあっても加害者になったことは無い、だから道徳的に優位性を保っていられるのだと、だから世論と違う事を言える空気が無いのだと、そう説明しているわけです。


最後に、この問題は在日韓国・朝鮮人の問題ともリンクしています。
彼らは過去、「我々は強制連行で連れてこられ奴隷として働かされ、戦後は見捨てられ帰るに帰れなかったのだ」と主張し続けてきました。
つまり在日は皆被害者であり、加害者の日本人より道徳的に優越する存在なのだと、そんな韓国人独特の価値観に根ざした主張なのです。


しかし、近年それが明らかに事実と異なると判明すると、様々な言い訳を繰り返し常に「被害者」でいようとしました。
それは現在も変わらないのですが、要するにこれは韓国で韓国人が行っている事と全く同じです。
(※強制連行の問題について詳しくはこちら。)


強制連行されて来たという過去の言い分が間違いであると、ただそれだけであったら自分達が加害者になってしまいます。
それでは道徳的な優位性が保てないので、「そんな事を言っていたのは一部の例だけだ」とか、常に何らかの理由をつけて被害者であらなければいけないのです、そうしなければ彼らの価値観では自己が道徳的劣等者となってしまうからです。


だから決して彼らは過ちを認めません、日本人の考えでは過ちを認め再出発すれば良いだけのことなのですが、彼らの価値観ではもっと本質的に道徳的に劣等な存在であり、日本人より劣った存在となってしまうので、決してそれを認めるわけにはいかないわけです。
勿論彼らが日本に住んでいる以上、彼らの価値観がそうであるからと、その事情を汲む必要は全くありませんが。


日本人と彼らはここまで「違う」のです。
日本人の価値観と同じと思い込んで対応すれば問題が起きるのは当たり前です、ましてや違いを理解せずに接して出来た歪みを「差別」と断じて封殺して解決できるような問題でもありません。
重要なのは、違いを違いとして理解したうえで日本人の価値観や立場を説明し、彼らの価値観は受け入れられないと、そういった態度を第三者にも解る形で主張していく事が重要なのです。


彼らの言分を無条件に受け入れるのは寛容さではありません、単に価値観の違いを理解できない非常識で無知な行動、つまり多様性そのものを拒否した態度なのです。





次回なのですが、今週の土日は少し私用が立て込んでおり更新が無理そうです。
ですので次回はお休みし、次の更新は11月19日となります。