日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国人の「かくあるべき」と「ソンビ精神」と呼ばれる思想


さて、今回このブロマガはとうとう100回目の記事となりました。
正直こんなに長く続けるつもりで始めたものではなかったので、本人が一番驚いているわけですが、ここまで続いたのも読者の方々がいたからこそです、運営のかたが動画ヘッドライン上で度々記事を紹介してくださったことも含め、これらが励みとなって続けられた面が大きく非常に感謝しております。


まあ、とはいえ今回100回目だからと特に何か特別な事を書くわけでもなく、いつも通りではあるのですが。


今回の内容は日本人の問題などからは少しはなれ、最近余り書いていなかった日本人と韓国人の価値観や物の見方の違いの問題、日本人と韓国人で話が全くかみ合わない原因の一つととなります。
まずはこちらの記事を


米・日・オーストラリア・インド「安保密着」...韓国は「疎外」?
NAVER/聯合ニュース(韓国語) 2014-10-15 05:30
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=001&aid=0007185753
米・日・豪が7年ぶりに3者首脳会談・・・韓・米・日は未定
日本、『韓国締め出し』観測台頭・・・韓国、『均衡外交』試験台
米国の対アジア同盟戦略に、重要な変化の兆しが感知されている。

日本の領域内安保の役割が強化されて、米・日同盟を基軸に安保協力の枠組みを拡大しようとする様相が明らかになっているのだ。特にオーストラリア(以下、豪州・豪)とインド(インド・印)を引き入れて、3者または4者安保協力を図ろうとする動きが台頭している。

しかし、韓国はこのようなアジア安保秩序の再編過程から、排除されている雰囲気だ。アメリカと手を取って新たな安保協力秩序を描こうとする日本との関係が最悪の状況に置かれ、韓国だけ『疎外』されているのではないかという憂慮が大きくなっている。
(中略)
問題は米・日同盟が主導するこのような再編の流れから、韓国は抜けているという点だ。すでに米・韓・日の三角安保協力という別の枠組みが存在してはいるが、軍隊慰安婦強制動員を含む日帝植民地過去史問題を巡って対日関係が極度に塞がった状況が、このような論議の過程で韓国を疏外させる結果を生んでいるという指摘が出ているのも事実だ。

特に極右勢力を中心に、日本で『韓国排除(Korea Passing)』を露に主張しているという話も聞こえる。
去る7月にCSISパシフィックフォーラムが主催した米・日関係セミナーで日本の参席者たちは、「『韓国叩き(Korea Bashing)』よりも『韓国排除』の現象が現われる可能性の方が憂慮される」と主張した。

また一部の参席者が「米・日・豪の3ヶ国安保会談に韓国も含ませよう」と提案したが、日本側と推測される参席者は、「韓国とは共通点があまりない上、3者協力を希薄させてしまう」と反対したという。

これとは別に、日本は国際世論形成の中心であるワシントンDCを舞台に、「韓国が中国に非常に傾倒している」という論理を広めながら、このような流れを煽っているというのは関連専門家の間では、公然の秘密となってから久しい。

もちろん、日本のこのような論理がワシントンの外交家にはまだまだ浸透していないというのが大体的な評価だが、中長期的に米国官民の認識に影響を与える場合もあり、韓国としては事態展開を注視しながら対応策を準備しなければならないという声も高い。
(後略)


ここで書かれている内容は、日米豪印の安保関係強化が行われているにも関わらず、そこから韓国が疎外され、その原因は日本による韓国外し戦略にあるとしている内容です。
が、そもそもこういった韓国外しの原因に日本はほぼ関係がありません。


問題だったのは韓国による中国傾斜、アメリカが要望していた終末高高度防衛ミサイル(THAADミサイル)配備の拒否、米国による再三の「過去より現在の北朝鮮問題を」との呼びかけ無視など、アメリカから「一体どっちの味方なのだ」と不信感を持たれる行為を繰り返し続けた結果です。
日本はただ、「韓国が自己中心的な要求を続けるのならば、そこまでして韓国と対話する必然性は無い」との態度を取り続けただけです。


ここで重要となるのが、こんな背景があるにも関わらず、韓国人の中では「歴史問題で反省をしない日本が関係悪化の原因を招いた」と信じ、現実をまるで無視した態度をとり続けていることです。
それは「(自分達が理想とする)かくあるべきが現実より優先される」、これが韓国人の基本的な考え方だからです。


以前も書いたように韓国人には判断基準が主観しかない事などもあり、どんなに自分達が信用を失う事をしてきたとしても、それは一切問題とされず、「かくあるべき」に基いた自分達に都合のいい「日本が反省しないからいけないのだ」と本気で思いこむのです。


重要なのは韓国人が建前上そう主張しているというのではなく、現実よりも「かくあるべき」が優先される韓国では、多くの人が本気でそう考えているし、そうでなければならないと考えているという現実です。
そして、韓国ではこのような考えを持たないと社会から爪弾きにあいます。
以前も書いたように、韓国という国は異論を受け入れる許容が一切無い社会だからです。


結果、最初に引用した記事のように、「こんな事になったのは日本が裏で工作しているからだ」となり、自らの行いに原因があるとは全く考えなくなると、韓国は一事が万事この状態です。
そのことは韓国の外交政策にも非常にはっきりと反映されています、当然これでは各国から相手にされなくなって行って当たり前ですし、日韓関係が一歩も前に進まないのもこれが原因です。


こちらは現実に起きている事を前提としていても、相手は自分が理想とする「かくあるべき」「こうであるべき」を優先するのですから、そもそも問題を認識するうえでの前提が違うのです。


そしてこの「かくあるべき」が現実より優先されるとの韓国人の考え方は、「ソンビ精神」とよばれる、更に独特な思想を作り出しています。
まずは少々長い引用になりますがソンビ精神を説明した以下の記事を


日本の学者「朝鮮のソンビ精神、円滑な社会的疎通に大きく寄与」(1)
2014年09月30日17時00分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/759/190759.html
「朝鮮(韓国)のソンビ精神(ソンビ=朝鮮時代に学識を持ちながら権力におもねず礼節を守った一部の士民階層、いわゆる清廉高潔な精神)は、社会が円滑に疎通するのに大きな役割を果たした。権力者だけでなく民衆とも息を合わせて合意を経ながら統一された世論形成を主導したのがソンビたちで、彼らが持つ哲学がまさにソンビ精神だ」。

26日、峨山(アサン)政策研究院主催学術会議に参加した日本の片岡龍・東北大学准教授(49)は、ソンビ精神についてこのように評した。早稲田大学大学院で東洋思想史を専攻した彼は、日本国内における韓国思想専門家だ。淑明(スンミョン)女子大でも教べんをとり「朝鮮王朝実録に見える『公共』用例の検討」など韓国に関するさまざまな論文を出した。以下は一問一答。

--ソンビ精神を定義するならば。

「公共性が強い『統合の精神』と言える。人間が生存するためには血液を通じて酸素と栄養分が全身に渡らなければいけないように、社会が正常に回っていくためには合理的な精神とシステムが必要だ。ソンビ精神は社会が望ましく動くために必要な『社会的生命の源泉』と見ることができる。特に以前は上流層が主に社会を代弁していたが、これを補完したのがソンビ精神だ。民衆の意見を上層に伝達していたためだ。またソンビ精神は生命に対する愛を含んでいる。すべての人間を尊重するという意味だ。このために李滉(イ・ファン、朝鮮時代の儒学者)先生はソンビ精神を『元気が宿る場所』と規定した」

--ソンビに対する肯定的な面だけを見たのではないのか。

「実例を挙げて説明する。『公共性』という単語が最も多く登場する文献がまさに『朝鮮王朝実録』だ。ここだけで1000件余りが登場する。中国の歴史書物ではわずか40件余りしか探せない。日本も同じだ。特に日本が公共性をとても強調しているが実際に歴史的に公共性に最も大きな意味があった国は韓国だった。その中心にソンビがいた」



日本の学者「朝鮮のソンビ精神、円滑な社会的疎通に大きく寄与」(2)
2014年09月30日17時03分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/760/190760.html
--外国人学者としてソンビ精神に対する評価は。

「地理的に隣接した日本と中国にはない独特の精神だ。日本の侍(サムライ)精神は、公共の利益を追求するよりも上の人に仕えることに忠実だ。また生命を尊重するよりは、むしろ軽視する面が強い。中国の官吏は、科挙に合格した人々を称する言葉だ。すなわち官職に上がった特殊階層で彼らは大衆とは隔離されている。一方、韓国のソンビは官職を持たずともその地位を維持する。彼らは特定の社会的身分ではないので日本と中国とは違った指向を持っている。大衆を重要だと考える理念と義理があるということだ。外国人学者としソンビを見る時、彼らは非常にダイナミックな存在であった。社会的名分と正義に忠実なために、自身の志を守る抵抗集団でもあった。このような特性により、彼らは日本の侍や中国の官吏よりも肯定的な役割を多く果たした」

--ソンビ精神を通じて現代人が学ぶ点は。

「ソンビ精神を現代に結びつけてもう少し公共の利益のための社会的システムを開発すれば、社会がはるかに効率的で公平になるだろう。成長を重視する現代社会で、科学は最も重視される学問の1つだ。だが現代科学は人格を育成するには特別に役立つことができない。科学を追求してもソンビ精神を共に付け加えることが必要だ。人間の尊厳性を重視して社会の生命を生き返らせるためにソンビ精神が大きく寄与すると信じている」

--それならば韓国社会の数多くの葛藤や事件も、ソンビ精神で解決可能なのか。

「もちろんだ。ソンビ精神が社会を主導する雰囲気が形成されれば、不合理な事件や行動が大きく減るだろう。日本の場合、こうした考えをする余裕もなくて2011年の東日本大震災の時に大きな混乱を経た。日本の場合はソンビのような中間層がおらず、国家と国民がいるだけだ。このために大地震という大きな事件が発生した後、国家が特別な解決策を提示できなかった時に国民が大変な苦痛を受けた。このようにソンビ精神は国家的事態が発生した時も重要な役割を果たせる」


非常に韓国人らしい価値観の、蔑視ありきの自民族中心主義に沿った文章なのですが、今回の本題はそこではなく、このソンビ精神というものが非常に形而上学的でまるで実体を伴っていない漠然としたものでありながら、多くの韓国人がその精神が自分の中に存在すると確信している事です。


要するにソンビ精神とは朝鮮儒教におけるある種の理想形であり、滅私奉公の精神に則った人物という事になるのですが、朝鮮の歴史を調べても、記事中に書かれているようにそういった人間が社会の潤滑油となった事例が一切存在しません。
ソンビ精神を理想としたと取れる文献はいくつかあるようですが、文献上あるだけで実体とは大きくかけ離れています。


むしろ過去の朝鮮について調べていくと、こんなエピソードばかり出てきます。


『山潮』 第24号、1933(昭和8年)。49-50頁
※「K」は日本人の砂防技師、「区長父」は現地の有力朝鮮人です。

僕が荒廃地現況調査に出張中T面S里での出来事の一つ。
(中略)
「若し砂防工事がS里で始まれば施工後は保安林に編入されますか」と僕に質問した。僕は直ちに「林野保護の上から見てどうしても保安林に編入する必要があります」と答へた。
区長父「保安林に編入されたら薪はとれなくなりますね」
K「さうです」
区長父「それではS里は砂防工事をやつて貰はなくてもよいから調査せずに帰つて下さい僕は苦笑した。何と答へ様かと思つたがすぐに「S里は大分荒廃が進んで居りますから、何れ砂防工事をやらなければとても治りません。この分では一年増しにひどくなつて、最後には一本一草も止めぬ赤禿山になるのみか年々山から流れ出る砂の爲に次第に田畑は埋没されて行きますがね」

区長父「赤禿山にならうが、田畑が埋没されやうが、私は一向構ひません。そんな理窟を云はずに早く帰つて下さい」
K「赤禿山になれば勿論薪はとれなくなります。田畑が埋没されて行けば年々お米の収穫が少くなるのみならず、豪雨の際は、家や人の命までも脅かしますがそれでもいゝですか」

区長父「貴方はまだそんな理窟を云ふ。私はもう五年六年は愚か明日にもわからない命だ。私が生きてゐる間だけ薪がとれて田畑が作れゝば結構だ。孫子の代までも考へる必要なんか無い。
私さへ生きられゝばそれで満足だ。山が禿げやうが田畑が潰れやうが、そんな先の事はどうでもよい。理窟は云はずに早く帰りなさい。 私は貴方の顔を見ると、すぐにでも砂防工事が始まる様な気がして頭が痛くなる。一刻も早く帰つて下さい。もう私は貴方に用は無い。先に帰る。」

区長の父はかく言ひ残してさつさと下山して行つた。


参考資料
山林科学院が1910年の『朝鮮林野分布図』を分析
聯合ニュース(韓国語) 2009/09/08
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2009/09/08/0906000000AKR20090908123300063.HTML
100年前の我が国の山林は、どのような姿だったのだろうか?

8日、国立山林科学院によれば、1910年に製作された『朝鮮林野分布図』を使い、100年前の南北朝鮮全域の山林の姿を分析した結果、当時の全体の山林面積は1,585万ha(島嶼を省く)で、全国土の71%に達した。

山林の面積は現在の韓国地域の山林率(64%)よりも多かったが、木材資源を示す林木蓄積量は1㌶(1万㎡)あたり17立方㍍。現在の韓国(1㌶当たり103㎡)の16.5% 水準に過ぎなかった。

森の構成は大木の森(成熟林)が32%、若木の森(稚樹林)42%、禿げ山(無立木地)26%であり、大木の森の73%が北部地域に分布した。このうち特に咸鏡道(ハムギョンド)と平安道(ピョンアンド)に66%があった。

林床分布別では、松のような針葉樹林が43%で、クヌギの木のような広葉樹林(30%)よりも多かった。

北朝鮮地域は白頭山(ペクドゥサン)を中心に、比較的鬱蒼とした森が維持されていたが、韓国地域は白頭山脈の一部に大木が残っていただけで、海抜の低い低地帯には若い木と禿げ山が大部分を形成した。

100年前の我が国の山林は、トラが出沒するくらいに古木が鬱蒼としていたという予想とは違い、現在の水準よりも劣っている事が分かる。
(後略)


また現在の韓国を見ても、セウォル号事故で乗客を見捨てて逃げ出した船員達、生贄探しに躍起になってばかりで、本来やらなければいけない全国の公共施設の安全チェックなど全く発想も無かった韓国政府、事故を口実に移民ばかり口にする一般人達、被害者として現地の体育館に居座り、現在まで援助を当然とした待遇を要求する被害者家族、みな「公」という発想とは正反対に自分の事ばかりで、事故を契機に国を少しでも良くしようとの発想がどこにもありません。
それどころか事態を嘆くばかりで、公共の利益を具体的に考えようという意見すらほぼありませんでした。


にも拘らず、多くの韓国人は「自分にはソンビ精神がある」と考えています。
要するにソンビ精神とはまさに「かくあるべき」を体現したものなのです、実体がどうであれ自分達が理想とするものだから、韓国人にとっては「あるはず」なのです。


そもそもソンビ精神を説明するために引用した記事を見ても解るように、韓国人は「公共性」という物を大事にする独特の精神は朝鮮にしか無いと考えています、これが全てを物語っているでしょう。


更に興味深い事に、この「ソンビ精神」と呼ばれるもの、以前から韓国に概念上はあったにはあったのですが、現在のようにスポットライトを浴びるようになったのは実はつい最近、2011年頃からです。


この時期に何があったのかと、このソンビ精神の再評価は非常に密接な関係にあります。
それは2011年から大きく日本で問題となり始めた、韓国による官民上げての日本文化の窃盗や寄生行為です。


この年より韓国の文化窃盗や外国での日本文化関連イベントへの寄生行為が活発化し、特にフランスのJapan Expoへの寄生行為が問題となり日本で嫌韓が激しくなってきた2011年7月後半頃より、このソンビ精神こそ朝鮮の誇るべきアイデンティティーだとの論調が増え始め、2012年7月に実質的な日本文化窃盗イベントだったコリアンコネクションの失敗が確定、ジャパンエキスポでも韓国の動向が更に注視され始めると、「日本のサムライ文化と同じように朝鮮にはソンビ文化がある」との論調が出てきます。


以下がその事を良く表す記事です。


[種列と出る方法]'ソンビ'を韓国の象徴で育てよう
インクルート(韓国語) 2012/4/21
http://people.incruit.com/news/newsview.asp?gcd=26&newsno=1000503(リンク切れ)
http://web.archive.org/web/20120426070626/http://people.incruit.com/news/newsview.asp?gcd=26&newsno=1000503
※元記事はリンク切れ、ウェブアーカイブは一端表示されますがなぜかその後エラーになります。

イ・マンヨル慶煕(キョンヒ)大教授・比較文学(本名は”Emanuel Pastreich”米国生まれ)

国際社会でサムスンやLGのような主要ブランドは良く知られ、特に優秀な品質で定評がある。しかし、世界中の人々にとって韓国という国は相変らずよく分からない国に過ぎない。米国の人々は現代自動車を走らせサムスンテレビを見ながらも彼らが韓国関連で新聞で見るのはソウルでおきることではなく、北朝鮮の長距離ロケット発射や北核問題程度だ。

過去、韓国が貧しかった時期にはこういう状況も当然として受け入れられた。しかし、韓国企業はいつの間にか他の先進国企業と競争する状況になり、もはや韓国という国のアイデンティティと特性が製品の価格に影響を及ぼす段階に入った。したがって現在の韓国に切迫して求められるのは韓国のアイデンティティ、特にその中でも肯定的な要素を国際社会に知らせる作業だ。

そのような作業で核心的に必要なことは韓国を代表できる概念を提示することだ。その概念は韓国という国を成す多様な要素と素材、主題を一つにまとめて理解でき、外国人に理解可能な文化的存在として、そして知識社会としての韓国を説明できるものでなければならない。

日本の例をあげてみよう。日本語‘サムライ’はアフリカ人でも南米人でも誰でも普遍的な意味を思い出すことができる。サムライ経営学、サムライ道徳律(武士道)、サムライ戦法などサムライの概念から派生した各種の本が出版されてきた。サムライ映画は数百を越えて全世界の子供たちはサムライ・ゲームを遊ぶ。命令に忠実に従い、厳格な行動規範を維持する忠誠に満ちた戦士はもはや日本だけの概念ではなく、全世界的な文化の一部になった。

同様の日本語の‘ニンジャ’もやはり韓国を含む全世界の文化に深く位置している。韓国の幼い子供たちも他の子供たちと一緒に遊ぶ時、ニンジャのように塀を上がったり他の人を監視したり攻撃しながらニンジャをまねる。ニンジャはもはや全世界的に通用する概念といえるが、ニンジャの概念の普遍化から生じた各種の恩恵を享受するのは宗主国日本だ。

韓国にはそのような概念がない。外国の人々が韓国を少し知っているといっても、それは韓国の大衆歌手やファッションについて少しわかる程度だ。彼らの知的想像力を刺激する魅力的な韓国の伝統はまだ明確になっていない。韓国文化が影響を及ぼす範囲は音楽や映画、そして一部の大衆文化に限定される。

韓国のアイデンティティを紹介する概念としてソンビ精神(Seonbi Spirit)を採択してはどうだろうか?ソンビ精神は韓国の社会と歴史で深く根元に打ち込まれている。高麗や朝鮮時代の中心的な人物を見ればソンビの伝統は現代の国際社会に完全に一致する模範的な人物像を提供することができる。個人的または国家的次元で適切な道徳的行動に対するモデルを提供もできる
(後略)


つまり、韓国が国を挙げて行っていた日本文化の窃盗、日本の歴史を上書きし「元々朝鮮の文化だった」と世界各国で印象操作する政策に失敗したので、それに変わるものとして出てきたのがこのソンビ精神なのです。


そしてこの事は韓国に実は大きな変化を齎します。
元々韓国人は民族主義の傾向が強く、異文化・異人種・異民族を蔑視する傾向にあり、特に2008年より政府主導のK-POP売り込み以降は、この傾向が外向きに発揮され様々なトラブルを引き起こす原因となっていたのですが、このソンビ精神の登場以降は更にそれが先鋭化し、「韓国人の正義」や「韓国人の道徳観」が「自分にはソンビ精神があるのだ」と、より補強されたのです。


この傾向は最近の仁川アジア大会でも非常に顕著に現れています。
以前より韓国人は自分達が批判されると、かなり過激に相手を蔑視しながら「反撃」する傾向にあったのですが、今回の仁川アジア大会ではこれまでにはあまり確認できなかった傾向が見られました。


タイ人が韓国の行いを批判する動画や書き込みを多数行うようになると、韓国人が反射的に「反撃」したのは今まで通りではあるのですが、その動機として「タイ人を反省させてやる」とか「立場を解らせる」というものが非常に多かったのです。


つまり、高尚なソンビ精神を持たない劣等な相手が自分達を劣等だと叩いていると、では自分達の正しさや高尚さを解らせてやろうと、そんな動機でタイ国王への侮辱などを行っていたのです。
現状韓国人の全てが「自分はソンビ精神を持っている」と考えているわけでは無く、ソンビ精神に否定的な意見も散見されるのですが、確実にこういった思想に基き「侮辱」を行う人々が多数存在していたのです。


ソンビ精神とは、ある種「かくあるべき」を前提としつつ韓国人が模索したアイデンティティーの結果とも言えるかもしれません。


そして当然この韓国の変化は日本とも無関係ではありません。
韓国は以前から書いているように「日本人は道徳的に劣等なのだ」「日本人に“正しさ”を教えてやらねば」と考える傾向にあるわけですが、「自分はソンビ精神を持っている」と考える韓国人が増えた結果、より更に「日本人は劣等な精神しかもっていない、だから我々の高尚なソンビ精神を伝え教え導かねば」と考えるようになったのです。


それが先ほどソンビ精神の説明として引用した「日本の学者「朝鮮のソンビ精神、円滑な社会的疎通に大きく寄与」」という記事です。
これは普通の日本人からすると非常に奇妙です。


元々韓国人の理想とする実体を伴わない「かくあるべき」を体現したものがソンビ精神でしかない以上、実体が無いのですからそれは日本人の価値観からすると表面的な言葉だけの存在です。
しかし韓国人にとっては「かくあるべき」こそがある種「現実を超えた現実」なので、むしろソンビ精神を薦めてくる韓国人に疑問を持つ日本人こそ奇妙なのです。


当然双方共に全く考えがかみ合いません。
前提としているものが根本から違うのですから当たり前です。
しかし、上での引用でもあるように、韓国人の言分を何でも額面通り受け止め疑問すら持たずに肯定する日本人が確実に一定数存在します。


結果韓国人は「日本人でも正しい道徳観を持つ人にはわかるのに、なぜ右翼は“正しい事”を拒否するのだ」と、価値観の違いが根底にある事に気付けなくなり、大半の日本人は「価値観の押し付けをしてくる迷惑な人達」と感じるようになると、そして余計に双方の不信が高まっていくわけです。