日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

「嫌韓という現象」について考えてみた




(画像は鳥獣人物戯画より)


さて、今回は「嫌韓と言う現象」そのものについてとなります。
ただし、嫌韓と言ってもそれは「これこそが嫌韓だ」と明確に定義できるものではなく、様々な要素や考えが存在しているので、それらを全て書いたり考察したりする事は出来ません。


過去、このブロマガでも嫌韓の発生原因についていくつか紹介してきましたが、勿論それが全てではなく、今後も機会を見つけて様々な事を書いていく事になるでしょうが、今回は「社会風刺としての嫌韓」「メディア批判としての嫌韓」にスポットを当てていくこととなります。


この社会風刺・メディア批判としての嫌韓を語る上で最も重要な出来事は、まず間違いなく2002年の日韓共催サッカーワールドカップでしょう。
厳密にはそれ以前の北朝鮮が拉致を認める前と後での一部メディアの掌返しなども含まれるのでしょうが、そちらはメディア不信の範囲が限定されるうえに、韓国はあまり関係が無いので省略します。


この日韓共催ワールドカップの何が問題だったのか、それは韓国が明らかに国を挙げての不正行為を大規模に行った事が間違い無いからです。
そしてそのことで韓国は世界中から批判される事となり、特にイタリア戦はこのワールドカップの酷さを象徴する、ある意味伝説の試合として今でも世界中のサッカーファンの間で語り継がれているほどです。


しかしこの当時、この酷い試合の数々を目の当たりにしながら、日本のメディアは韓国を褒め称え続け、日韓友好の象徴として美化し、韓国の試合での行いを番組出演者が批判すれば後に謝罪させたり実質干したりと、かなり酷い文字通りの弾圧を行いました。
批判するべき者を批判せず、むしろ批判者こそ悪であるとしたのです。


結果、最終的に韓国を批判することそのものが悪であり差別主義者であるとされるような風潮がメディアの世界に蔓延、ネットを通じて世界中から伝わってくる韓国への批判と、日本国内のメディアによる韓国賛美のギャップから、ネット上で急速に嫌韓が広がっていく事となります。
そして、これが日本における嫌韓とメディア不信の出発点となったわけです。


そしてその後2003年より、メディアは更に韓流と称して韓国のドラマをごり押ししブームを作り出そうとします。
当然のことですが、1990年代頃より個人の趣味の多様化により「誰もが共有するブーム」というものがただでさえなくなってきた時代に、韓流は嫌いだor興味が無い=悪だ、差別主義者だとするようなごり押しとブームの実質的な強制を繰り返し続けたのです。


しかし、メディアは今よりずっと世論に強大な影響力と権力を持っており、表立って公の場で韓国を批判しようものなら、メディアによって差別主義者のレッテルを貼られ文字通り社会的に抹殺されるという状況が、この後暫らく続く事になります。


そんな中、ネット上の匿名の場で嫌韓はどんどん大きくなっていきます。
そして、当時はニコニコ動画youtubeのような動画共有サイトも存在せず、そういった表現の場は主にネット掲示板と当時流行していたFlashに依存し、様々な嫌韓Flashが次々と作成されネット上で共有されていきます。


ただし、当時はまだ韓国の本当の意味での実体を知っている人はほんの僅かであり、主に嫌韓とは無批判に続けられるメディアによる韓流ごり押しに対する反発の結果であり、これが後にメディア批判・社会風刺としての嫌韓として発展して行きます。


そして、2005年頃より大きな変化が到来します。
この年はマンガ嫌韓流の発売など象徴的な出来事がいくつかあったのですが、その中でもう一つ、マンガやアニメという娯楽・エンターテイメントとしての表現の場に、文字通り社会風刺やパロディーとしてメディアの韓流ごり押しへの反発表現が見られるようになったのです。
例えばこんな風に


※ここで紹介するのはあくまで私が把握している作品の一部のみです、これが全てではない事をご了承ください。

ぱにぽにだっしゅテレビ東京系列 2005年7月~12月)










※「ホロン部」という単語について少々解説
2002年頃より2ちゃんねるのハングル板において、北朝鮮拉致問題関連スレッドに特定の時間になると現れ、特定の時間になると一斉に書き込みがなくなる荒らし集団が現れるようになります。


このことから当時のハングル板では、北朝鮮関連の問題に現れるという事もあり、皮肉を込めてこの荒らし集団を「朝鮮学校書き込み部」と名付けるようになります。
そして、その荒らしとは直接関係無いですが、北朝鮮を擁護していた固定ハンドルの1人が、とあるスレッドにおいて「日本はめちゃめちゃに滅ぶ」と書き込もうとしたところ、タイプミスで「滅ぶ」が「ホロン部」となってしまい、これが板内で大うけし以後「朝鮮学校書き込み部」改め「ホロン部」と呼ばれるようになり、これがその後ハングル板において韓国を擁護する人々にも拡大して適用されるようになります。


以下が該当の書き込み


http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1041837155/809

809 :閼伽 ◆V.bDFzs4FE :03/01/06 23:04 id:gXzvMuTH
俺の良識な意見も馬鹿にしやがって もって核が降ってくるぞ!!!!!!!
北海道は北のSWAT部隊に占領!!!!!!!!!
日本条項に気球爆弾500万個 サリンVX破裂
核が首都に落ちる 地震が起こる 噴火
日本はめちゃめちゃにホロン部

815 : ◆t/GUd7ef.2 :03/01/06 23:04 id:ulsYuj5i
>日本はめちゃめちゃにホロン部
ワロタ。
ホロン部入部キボンヌ

882 :閼伽 ◆V.bDFzs4FE :03/01/06 23:11 id:gXzvMuTH
滅ぶだホロン部じゃない!!!!!!!!!!!!
変換が機能が悪いんだ くだらんことに言ってるな 
韓国の研究を盗んでノーベルしたくせに日本人は昔からパクリばかりだな
韓国に憧れる日本人は多いのに、こんあ馬鹿なチャットぞくのせいでほろぶなっか



当然当時は韓国批判をテレビで行うなどもってのほか、そんな中ではっきりとは解らないパロディーや風刺という形で韓流ごり押し批判がアニメの世界で行われるようになったわけです。
これは大きな変化であり、メディアの態度から来る必然でもありました。


その後もこういった流れは続き、度々アニメやマンガの表現の場で韓流ごり押し批判としての風刺やパロディー表現が行われるようになります。


練馬大根ブラザーズテレビ東京 2006年1~3月)



さよなら絶望先生(週間少年マガジン 2005年22・23号~2012年28号)




学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEADAT-X 2010年7月~9月)





これらはメディアが言うように、自己の不満や社会的地位の低さを嫌韓に転嫁した結果でしょうか?
勿論違います。
結局のところこれは、嫌韓という表現を借りた、巨大な権力者となったメディアに対する風刺の一種なのです。


当たり前の事ですが誰しもが韓流を褒め称え好きになるわけではありません。にも拘らず、メディアは韓国を好きにならないもの、韓国に批判的なものを全て差別主義者と断定し、批判を一切許さず、公の場で韓流に疑問を持つ人間をあらゆる手段を使って弾圧し排除し、韓国を褒め称える者だけを優遇するという事を続けてきました。


2014年10月19日17:46分追記(すみません、この部分を書くのを忘れていました)
以下は2004年当時、徐々に大きくなり始めていたマスコミ批判と嫌韓に対し、共同通信配信で全国の地方紙に掲載された「嫌韓批判」の記事。


※ここで掲載しているのは、当時ネット上にアップされた紙面の画像を文字起こししたものです。

ネットで横行
「ネット上に『嫌韓厨房』と呼ばれる連中がいる。韓国が嫌いな『厨房=中坊』、つまり『中学生ぐらいの知識しか持たない坊主』の意。彼らは、何度も日本が謝っているのに謝罪を求める韓国はひきょうだ!などと書き込む。それがW杯以降増え、『日本は素晴らしい』という気分に結びつく」と評論家の荷宮和子が言う。
 ネットの横行するナショナリズム。荷宮は著書「声に出して読めないネット掲示板で、「嫌韓」「在日うざい」「これだから女は」「低学歴、必死だな」などの「反朝日・反サヨ(左翼)」的な言葉を挙げている。
 いわば戦後民主主義的な「韓国、在日、女性、学歴などへの差別批判」がきれいに反転した形だ。社会学者の北田暁大は「『何となくナショナリズム』とも言うべき気分。思想の実質は <<<ここは切れて読めない>>>言葉を語る欲望だけが噴出している」という。

空念仏と認識
 昨年、雑誌「世界」に載せた論文「嗤う日本のナショナリズム」が話題になった北田。一九八〇年代のテレビから今のネットに至るメディア空間で、「お約束を嗤う内輪空間」が成立したと指摘。それがいつしか「嗤い」を媒介に、内輪のコミュニケーション形成が自己目的化する過程を分析した。
 戦後民主主義的な価値観が、なぜ「お約束」と<<<ここは切れて読めない>>「彼らにとって平和や民主主義といった理念は、学級委員のきれい事にすぎない。
自分たちを建前や絵空事でなく、本音を語るタフな現実主義者と考えたがっている」
と北田。

 荷宮はそこに、社会に広がる「負け組」」の不安を見る。「自分をひとかどの人物と思いたいがため、自分より弱い存在をけなし強さを気取る。そこから露骨な差別主義、強い日本にあこがれる心理が出てくる。 従来のような素朴な反戦主義を一言で言えば、<<<ここは切れて読めない>>> いされかねない空気が充満している」
(中略)
「最近リアリズムという名の下に。歴史や過去の由来といった大きな状況を切り離し、『今』だけを見詰めてよしとする思考が、日本のあらゆる局面を覆っているように感じる」と言うのは、精神科医香山リカ
 香山リカは「プチナショナリズム症候群」で、若者が屈託なく「ニッポン!」を叫んだW杯以降の「屈託も重みもない愛国主義」を指摘した。
 「私は日本で生まれたのだから日本が好きなのは当たり前とか、日本が攻撃されそうなら守るのは当たり前1-といった形を取る。現実主義というより余りにも底のない素朴な正論で、議論にもならない、それは若者ばかりでなく、あらゆる層に広がる。例えばカジュアルな服装を好むが収入は多い、新しい知識層。 「彼らは一見、とても柔軟でスマートだが、自分たちとは異なる層への警戒感が強く、安全の確保に熱心。 やはり日本は強い国であって欲しい
とか、他国にヘコヘコしていてはダメだという意見が、あっさりと出てくる」
(後略)

(敬称略・金子直史=共同)


注目すべき点は3つ。
まず批判がメディア自身に向いているという事を、メディアが全く自覚していない・把握していない事がはっきりと読み取れるということ。


もう一つは、現在メディアで行われている嫌韓批判と全く同じ内容であり、当時からまるで進歩がなく、なぜ批判されているのか、なにが批判されているのか、そこがまるで見えおらず、無理矢理差別問題やイデオロギーの問題にこじつけているという点。


そして最後に、メディアが「批判しているのは所詮劣等な存在だ」とあからさまに上から目線で見下した態度であるという事です。
つまり、嫌韓は韓国を見下して差別しているからだ断じながら、自身は批判者を見下し劣等な存在と蔑視しているのです。


━━━追記終わり━━━


結果、ネット上では更にパロディーや皮肉を込めた韓流批判=メディア批判が激しくなっていきます。
当然本名を名乗り公然と韓流批判をすればメディアの権力の前にひとたまりも無いわけですが、ネット上の「名無し」として韓流批判を続けマスコミを皮肉り叩く分にはメディアも手が出せません。
そんな中で、様々な人々がメディア批判としての嫌韓を様々な表現を使って行い、徐々にその考えが浸透し、メディアの腐敗だけでなく段々と韓国の本当の実体も見えてきた、それが現在です。


結局のところ、嫌韓はメディア批判・反発と言う要素を多分に含み、メディアによる弾圧があったからこそ生まれたものというのが、そもそもの出発点なのです。
だからこそ、この流れは世情を動物に喩えて風刺した鳥獣戯画や、ガリバー旅行記で当時のイギリス社会を痛烈に皮肉ったジョナサン・スウィフトの手法と本質的に何ら変わりません。
権力者に直接批判が出来ないからこそ、こうした風刺やパロディーの手法で皮肉を行うしかなかったわけですが、それがネットというツールを通じてより直接的にできるようになった、という事です。


そしてこれはこの現象自体が痛烈な皮肉でもあります。
それはなぜかといえば、元々ジャーナリストとは権力者への監視役として、自らが権力と戦う者として自認していたにも関わらず、現代では自らが権力者となり巨大な力で政治にまで影響を与え、更にメディアという権力者に対抗しうる監視者すらいない絶対者として強権を振るう、その象徴的事象がまさに韓流ごり押しだったからです。


約100年前、官憲という権力の横暴に皮肉と風刺という形で対抗し、何度も弾圧された宮武外骨というジャーナリストが存在しました。
そして現代、今度はその「ジャーナリスト」が強大な権力を持つようになり腐敗し、絶対的な力で自らの行いを批判する者を弾圧し続けた結果、過去権力に対して宮武外骨が行った事をそっくりそのままネット上の「名無し」達やアニメ・マンガのクリエイター達から突きつけられたわけです、これを皮肉といわずになんと言うのでしょうか。


しかもメディアとそれに連なる人々は、自分達が未だ権力の監視者であり、権力者では無く第三者であると思いこんでいます、様々な強権を振るい敵対者にレッテルを貼り弾圧しながらです、これは最早コメディーです。


これが現在存在する嫌韓の一側面です。
こんな事を書けばメディア関係者は非常に不快に感じるでしょうが、現実として「権力者としてのメディアへの反発」は存在するのです。
そしてこれは、1960年代から70年代に発生したいわゆる「学生運動」とは根本から別物です。


なぜならそれらはイデオロギーの対立から発生した物なのに対し、これは要するに「王様の耳はロバの耳と言って何が悪い」という、もっと根本的なイデオロギーとは別ベクトルで発生した、先ほど書いたように鳥獣人物戯画やスウィフトのガリバー旅行記の発想と同質の、単純に理不尽に対する反発を根幹とした現象だからです。
それをイデオロギーの対立と混同するからメディアの論調はおかしくなるわけでもあります。


嫌韓とはただ韓国が嫌い・受け入れられないというだけではない」そういう事です。