さて、今回は前回に引き続きの内容となり、前回書ききれなかった内容となります。
蛇足とも言いますが…
前回書いたように、若者の右傾化という分析は「最近の若者は」と同じ意味であり、更に20世紀のイデオロギーの対立を現在まで引き摺っている人達特有の考え方であると書いたわけですが、今回はそれを具体例を出して書いて行きます。
イデオロギー的な思考をする人達は、韓国の自民族中心主義に対する認識を見るとその思考がわかりやすいです。
以前から書いているように、自民族中心主義とは自己の国や民族を中心に考え、異文化や異人種、異民族を相対的に蔑視する思想のことなのですが、これは本来「彼ら」からすれば極右や民族主義者にあたります。
しかし、彼らは現在の韓国人の事を極右とも民族主義者とも考えていません。
なぜこのような事が起きるのか。
それは「なぜ若者が右傾化していると考えているのか」を考えると解りやすいです。
イデオロギー的な思考をし、若者の右傾化という分析をする人達は、メディアやメディアに連なる人々、或いはメディアが支持する人々に多く見られるわけですが、それに対し「右傾化している」といわれている人達はこういった人達に反感を持ち、対立している人達です。
つまり、メディアやメディアに連なる人々と対立して反発しているので、イデオロギー的な対立軸で物事を判断する彼らからは、そういう人達が相対的に右であると見えるわけです。
自分達と対立しているから右翼であり、右翼だから民族主義者であり排外主義者であると分析しているわけです。
逆に韓国人は、彼らと同調し彼らの側にいるから、対立軸として相対的に左或いはリベラルルとなり、民族主義者や右翼ではないという事でもあります。
イデオロギーありきなので、現実にどうなのかは彼らには関係ありません。
あくまでイデオロギー上の対立軸として、自分達と対立しているか、それとも同調しているかで右と左を分けているわけです。
そして、「自分達と対立しているものは右翼である」という前提をもとにして、「排外主義や無分別な愛国主義が蔓延している」とか「日本の経済的優位が崩れ危機感を感じている」とか「貧困層の若者が右傾化している」という分析をするわけです。
現実の「右傾化した若者」とされている人達は、韓国人の民族主義や時と場所を選ばない反日活動、異文化・異民族・異人種への蔑視感情、異文化蔑視から来る起源主張など、現実に起きている問題を見て、「価値観的に受け入れられない」としている「価値観の対立」なのですから、そこには大きな認識の違いとギャップがあります。
これは多文化主義などの面からも同じ事がいえます。
多文化主義というのは、彼らが若者だった時代には新しい概念であり、正しく世界平和の象徴とされてきました。
そして、彼らが年齢を重ね社会に影響を与える地位になったとき、この理想を実現させようとしました。
それを行動に移した結果、移民の側の民族主義が暴走し、数々の問題と新たな価値観対立を発生させ、21世紀にはいると多文化主義そのものの失敗が決定的となった事は以前にも書きました。
そして「若者世代」は、この多文化主義が引き起こした問題と失敗した現在の状態しか知りません。
それらが理想とされた時代は、まだ子供だったか生まれてすらいなかったのですから当然の事ですし、もちろん多文化主義を理想とも考えていません、勿論シンパシーも感じません。
当然イデオロギー的なものとは全くの無関係です。
そして、ネットを通じて様々な情報を知り、共有し、拡散しているので、韓国人がどういう存在なのかも知っています。
現在ならば、韓国人の自民族中心主義についても知っている人は多いでしょう。
この状態でいくら多文化主義の素晴らしさを彼らが訴えたところで、「若者」には全く理解されません。
日本で多文化主義を実現させようとしても、今までの経緯と蓄積された情報から、韓国人の民族主義によって社会を滅茶苦茶にされるとしか想像できないからです。
そしてこの問題には現状解決策がありませんし、時間も解決の手段とはなりません。
もしそれで解決できるのならば、世界中の民族対立や宗教対立はとっくに解決しているはずですから。
イデオロギーの対立という認識ではなく、価値観の対立という認識で状況を分析すれば、自ずとそういう結論になります。
最後に。
イデオロギーの対立と価値観の対立、この両者の認識の違いが表面化したのが現在起きている現象というわけです。そして双方が双方の尺度で状況を認識した結果が、「若者」の嫌韓・反中・反マスコミであり、「メディアとそれに連なる人々」の分析である若者の右傾化という事になります。
思想の左右という対立軸で書きたくなかったので、あえて「左翼」とか「サヨク」という言葉で「彼ら」を定義しなかったのですが(もともとそういうレッテル貼りは嫌いですし)、結果何か抽象的で解り難い文章となってしまった感はありますが、以上となります。